小児性愛嗜好は実行に移さなくても駄目なのか、答え「駄目です!」

だいぶ前からLGBTQ+のQ+には小児性愛が含まれるのかという話のなかで、含まれたとして何が悪いのか、小児に性愛を持つこと自体は実行に移さない限り構わないではないかという人の意見を聞くようになった。だが私はその度に小児に性愛を持つこと自体が悪なのであり、そのような欲望を正当化してはいけないと言って来た。しかし誰に性愛を感じるかは人の自由であって、それを行動に移さない限り誰に加害をするわけでもない、その気持ちまで規制すべきではないと反論する人が少なからずいるのである。それで本日は、なぜそのような欲望を正当化してはいけないのか、その話をしたいと思う。

先日も小児性愛を差別すべきではないと言うブログエントリーを読んだ。読んでて気持ち悪くなったので読者諸氏にはお勧めしない。

「ペドフィリアは危険」の「根拠」としてよく挙がるのが、ペドファイルの欲望の対象が、性的同意が可能であるとみなすべきでない年齢であることだろう。ペドファイルは、その「定義」上、現実的には絶対に性的同意を得られない対象へ欲望が向いている。

だが同意を得られない対象と言うなら、子供だけでなく面識のないアイドルやすでに亡くなった人への性愛も危険だと言えるのだろうかとブログの著者は問いかける。

自分が求めてるのは、「同意のない行為」がなされることを阻止すること。性的同意のない対象への行為を非難することと、性的同意のない対象へ欲求をおぼえることは区別して語れるし、きちんと区別して語るべきことではないのか。(略)そもそも、あなたが本当は問題にしたいのは、「ペドファイル」の欲望ではなくて、「チャイルド・マレスター」による性暴力ではないのか。(略)加害しそうなひとやしたひとを必要な教育やケアへつなぎ、性暴力やそれを繰り返すことを共同体として防いでいくことではないのか。

著者は「同意の得られない対象への性愛(ペドフィリア)」を悪とするのではなく、「同意の得られない行為」を阻止すべきなのだと主張するが、同意のない性行為への欲望が行為に移るのを阻止するメカニズムとは何であろうか?

ある対象が性愛となるということは、その対象との性的欲望を満たしたいという気持ちがあるということだ。無論小児への性的虐待は違法である。だが法律に出来ることは実際に犯罪が起きてしまってから犯人を罰することだけであり、犯人が行為に及ぶことを阻止するためには、物理的にそういう欲求を持っている人を彼等の対象となる子供たちに近づけないこと以外にない。

だがもっと大事なことは、本人が自分の持っている欲望は悪であると意識することだ。もし本人にそれが出来ないのなら、せめて社会がそのような欲望を許さない姿勢をはっきり見せることである。ペドフィリアをLGBと同じような性指向であるかのように扱いQ+に含んで社会的に許容されるべき指向であるかのように認めるなどとんでもないことだ。

普通、道徳心のある文明人が犯罪を犯さないのは何故か?文明社会のいて普通の人がものを盗まないのは何故だ?無論窃盗は違法だが、監視カメラもなく無人の野菜売り場でも人々がお金を置いて野菜を持っていくような場所が存在出来るのは何故だ?それは誰もみていなくても罰せられる可能性が全くなくても、盗みは悪いことだという共通した道徳観念が社会にはあるからだ。

しかし社会におけるこの道徳的共通観念がなくなり法がきちんと機能しなくなるとどうなるか。それは今のサンフランシスコの無法ぶりをみていればよくわかるはずだ。

小児性愛は行動に移そうが移すまいがその欲望自体が悪なのである。社会がそのように判断しているからこそ多くの小児性愛者はそれを行動に移すことをためらうのだ。もしこれで社会がそれも正当な性指向のひとつだなどと認めたらどうなる?違法である今でさえ多い小児性虐待が爆発的に増えるのは火を見るよりも明らかである。

現にTQ+の活動家たちが子どもを性的に手懐けようと必死ではないか?

我々は決してこのような変態達の口車に乗ってはいけない。

付け足し:いままさにツイッターで子供に性行為は同意できないというツイートに対してこんなのがかえってきた。結局どんなきれいごとを言おうと本心はこういうことなのだ。

なんなんちゃんキューテストフォーエバーインザ・ワールド2023@vegan@NANANANANNNANNM

なぜ絶対合意できないと言えるんや? 判断能力なんて個別で異なるやろ。 判断能力で決めるなら知的障害者と健常者の恋愛は健常者側が変態って事やな。 ましてや知的障害者同士は恋愛するなって事やな。


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BLM暴動より数倍深刻なフランスのイスラム移民暴動

以前私はよくフランスに居るイスラム移民による問題を色々書いていた。しかしあまりにも日常的でマンネリ化してしまったので、それにあまり触れる機会が無くなった。しかしだからと言ってフランスにおけるイスラム移民による問題がなくなっていたわけではない。いやそれどころか、もっとひどい状態になっている。今回「非武装のアルジェリアン移民の少年が警官に射殺された」事件をきっかけに起きている暴動はその規模や暴力性から言って、あれだけひどかった2020年のアメリカのBLM暴動よりもさらに輪をかけて悲惨な状況になっている。

動画元主が書いているとおり、9%が都市全体を崩壊させる。 フランスが炎上中。 移民がフランスの人口に占める割合は9%、その内アフリカ圏からの移民は44%、なかでもアルジェリアからが全体の13%を占める。警察官に射殺された17歳の青年もアルジェリア系の家族出身だった。@vismogliさん)

フランス暴動まとめ 3日目 (髙安カミユ(ミジンコまさ)@martytaka777さん)

  • 公道で2560件の火災
  • 1350台の車両が放火
  • 250の建物や店舗が放火
  • 略奪:数千件

今回の暴動の主体は10代の未成年が多く、フランスの学生の中には、特に学校の授業を妨害したり、教師に暴力的行為をする移民系連中には、AfrocentrismやIslamismに感化され、そして政府や教育機関での左翼的思想のせいで反フランス、反政府、非服従のなのもと自分たちは何しても良いと考えてる層がいる(フランス在住CRISTALINE@sh29leさん)

暴動のきっかけはアメリカのジョージ・フロイドや他の黒人容疑者が警官によって撃たれた事件とよく似ていて、スピード違反か何かで警官に呼び止められた容疑者の17歳のアルジェリア系移民の少年が、警官二人による要請を無視して車のアクセルを踏んだとたんに警官が発砲。救急車が駆け付けたが少年はその場で死亡した。

少年が撃たれた瞬間のビデオを観たが、私の独断ではこれは警官の正当防衛だと思う。というのも車は十分に武器なのであって、もし警官が車に魅かれて殺されると判断したとしたら、発砲は十分に正当である。しかしアメリカと同じようにメディアは事情がはっきりしないうちに、これが非武装少年を人種差別の警官が訳もなく殺したと発表している。

はっきり言って直接のきっかけが何であったかはもうどでもよい。事情がどうあれ殺されたのがアルジェリア移民だったという事実だけで、日ごろの鬱憤ばらしとばかりにアフリカ系モスレム若者による暴動は始まってしまった。年齢からいってこれらの若者たちは多分移民二世だろう。

これは多くの移民二世に見られることなのだが、親たちは自分らの貧しい母国から逃れて豊かな先進国へ移住する。しかし先進国で成功できるような学歴も手に職もない移民たちの多くは移住先でも貧困生活をするか政府のお世話になって生活保護などを受けるしかない。そんな家庭に育つ二世たちは学校へ行っても家庭でのサポートがないため学力も伸びない。結局学校に興味を失くして落ちこぼれる。かれらは親の母国語でも生まれ育った国の言葉でも読み書きもまともに出来ない中途半端な状態になる。それで10代後半になっても学校へも行かず、かといってきちんとした仕事にもつけず、結局街でチンピラ生活を続けることになるのだ。現にツイッターではこの暴動中にもイスラム移民と思われるブルカ姿の中年女性たちが銀行に集まって生活保護支給金を引き出しに並んでいる姿が上がっていた。

モスレム移民はどこの国へ行ってもその移住先で融和せず、自分らのコミュニティーを作ってしまうことで知られている。そして彼等の間での犯罪率は他の移民をはるかに上回る。特に女性への性暴力はひどいものだ。政治的にも彼等は数が少ないうちはおとなしくしているが、だんだん増えてくると自分らの要求をどんどん押し通そうとしてくる。日本で土葬させろだの給食をハラルにしろだの言い出してるのを見ていれば解るはずだ。

ゲートウェイパンディットによれば 現在45000人の機動隊員が出動、1300人以上が逮捕されているが、暴動は全く収まりそうにない。今現在100以上の都市が燃えているという。France 24によれば、マルセイユでは金曜日略奪者が狩猟用ライフルを略奪したという。ツイッタービデオでは男が自動小銃を撃っているビデオもあり、ウクライナから違法銃が流れてきている可能性があるという。


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米最高裁、キリスト教徒ウエッブデザイナーは宗教上の理由で同性婚の依頼を拒否出来ると判決

米最高裁は金曜日(6/30/23)キリスト教徒のウェッブサイトのデザイナーには宗教上の理由で同性婚の仕事依頼を拒否できると判決を下した。以前にもキリスト教ベイカリーが同性結婚式のウエディングケーキを焼くのを拒否して勝訴した例があるが、今回の判決は何を意味するのであろうか?

ツイッターで記事を紹介してくれてる人がいたので引用する。元ツイはこちら。翻訳は@tarunynorzoさん。

「物議を醸したLGBTQの判決」 最高裁は、ビジネスがLGBTQ+コミュニティーのメンバーに対してサービスを提供する際、そのサービスがビジネス主の個人的あるいは宗教的信条に反するものであれば、拒否することができるという判決を下した

これはコロラド州のウェブデザイナーで福音主義キリスト教徒であるロリー・スミスが、同性結婚式に関する仕事を拒否したことに端を発している。 彼女の理由は、それが彼女の宗教的信条に反するというものだった。その結果、彼女は州を提訴し、最高裁は彼女の意見に同意し、彼女の勝利となった。

LGBTQ+コミュニティの熱心なメンバーや支持者の多くは、この判決を彼らの権利に対する重大な後退と受け止めている。 最高裁判事9人のうち、6人が共和党員であることも注目に値する。そのうち3人はトランプが任命し、残りの3人は民主党である。

今日の判決は6対3で、保守派の判事がロリ側につき、民主党の判事がロリに反対したもの。 ニール・ゴーサッチ判事は多数意見の中で、「コロラド州は、重要な問題に関して、コロラド州の見解に沿いながらも彼女の良心に背くような発言を個人に強制しようとしている」と書いた。

リベラル派のソニア・ソトマイヨール判事は、「今日、裁判所はその歴史上初めて、公衆に開かれたビジネスに、保護された階級のメンバーへのサービスを拒否する憲法上の権利を認めた」と書いた。 この法律がLGBTQ+コミュニティへの差別を助長するという意見も多い。

これでビジネスはLGBTQ+関連の人びとへのサービス提供を拒否出来るのかといえば、無論そんなことはない。ゴーサッチ判事の意見書によれば、今回の判決は非常に特定された言論に関してのみに当てはまり、ウエッブサイトデザイナーのサービスは顧客の好に合わせた表現を提供することで、拒否できるとされたのはこの表現に関してのみである。

ただ専門家の間ではこの判決は将来もっと拡大解釈をされ、差別禁止法が人種や宗教や性指向や性自認や年齢などによっても少しづつ削られてしまうのではないかと懸念している。しかしビジネスはいまでもすでに至るところで保守派の人間を差別している。大手銀行などは、保守派の口座を勝手に閉鎖してしまったりしているし、ペイトリアンやゴーファンドミーなどといった民間企業も自分らの気に入らない客の使用を禁止したりしている。はっきり言ってLGBTQ+への影響よりそっちの方がずっと怖いと思うのだが。


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ドジャース球場外で宗教冒涜団体に抗議するカトリック教徒たちが大規模デモ

昨日の金曜日(6/17/23)、ロサンゼルスのドジャース球場において、サンフランシスコジャイアンツとの試合の前にプライド月間の一つの催しとして、地域でプライド活動に貢献した団体が受ける地域英雄賞の授賞式が行われた。受賞したのは Sisters of Perpetual Indulgence という反カトリックの団体だ。男がけばけばしい化粧をしてカトリックの尼僧をおちょくる恰好が自慢の奴らで、カトリック教会のビショップからも冒涜者として批判されているヘイトグループである。このグループは一旦はドジャースから招待をキャンセルされたのだが、LGBT活動家らの批判に屈してドジャースは再び彼等を招待しなおした。その模様をロサンゼルス地元のテレビ局が報道しているが、下の映像を見る限り球場内はほぼ空っぽであり、賞のアナウンスがあった途端にあちこちからブーイングの声が上がったのが聞こえる。

これに腹を立てたのが地元のカトリック教徒たちである。昨晩何千という教徒が球場の周りに集まり、お祈りの会と称する大規模な抗議デモを行った。球場内が空っぽななのとは対照的に外側は抗議をする人びとでごった返しになっている。

ラーム・エマニュエル大使みたいなのばかり見ていると、アメリカはよっぽどLGBT思想に染まっているのではないかと思われがちだが、意外にもロサンゼルスにはカトリック教徒が多いのである。それというのもLAにはラテン系の移民が多いからで、彼らは元スペイン領だったことの影響で未だにカトリック教徒が大半だからなのだ。

特にスポーツファンはこういう政治的なことに巻き込まれるのを嫌う。にもかかわらずいったいドジャースは何故こんなことに首を突っ込んだのであろうか?バドライトやターゲットの炎上から何も学んでいないようだ。


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子供の性転換治療が性違和を持つ子供の命を救うという嘘

「トランスして命を救われた」と言う子供のトランス活動家の声を聴くことがおおくなった。アメリカ各地の州で未成年の性転換手術を違法にするところが増えている。この間トランスジェンダーによる乱射事件が起きたテネシー州でも最近子供の性転換手術が禁止されたばかりだった。こうした動きに対抗してトランスジェンダー活動家たちは、未成年の活動家を表に出して、思春期ブロッカーや異性ホルモン投与が子供たちの命を救っていると宣伝し始めた。しかし、性違和を持つ未成年者が性転換をしないと自殺する子供が増えるという説には全く根拠がないだけでなく、性別適合手術(SRS)を受けた10年後ぐらいに自殺をする人も多い。実際SRSを受けた人の自殺率及び自殺願望率は一般人のそれよりずっと高いという調査結果もある。だからホルモン治療やSRSが性同一性障害(GID)の治療として適切であるという医学的根拠はまるでないのである。これに関する多々の調査結果は拙ブログの過去エントリーでも紹介しているのでご参照のこと。

性同一性障害の治療は手術よりもカウンセリングが望ましい – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

子供の性転換治療をいち早く始めたスエーデンでは、すでに未成年の性転換治療を禁止している。以前に見たスエーデンのドキュメンタリー「トランス列車」(ユーチューブ動画、日本語字幕あり)子供のうちに性転換をしないと18歳までに子供が自殺してしまうというのは全く根拠のない出鱈目であったと言っていた。

最近よく聞くようになった脱トランスの体験談でも、ジェンダークリニックに精神カウンセリングを受けに行った未成年が早々に思春期ブロッカーやホルモン治療を推進され、女の子には早く乳房を取ってしまわないと自殺してしまうなどと本人や親が脅かされることもしばしばで、自分には自殺願望など全くなかったのに手術をせかされたという少女たちの話も何件か聞いたことがある。

最近早期にホルモン治療や性器除去手術を受けた未成年の子供たちが、州議会の公聴会で「性転換治療によって命を救われた」などと証言する映像をよくみかけるようになったが、そんなこと、この子たちにわかるはずがない。早い子では2歳児から親やカウンセラーや幼稚園の先生などから自分はトランスジェンダーであり極端な治療をしなければ死んでしまうと言われ続けたら、年端も行かない子供たちがそれを信じ切ってしまったとしても不思議ではない。よくGIDを小児性癌などと比べて、子供が癌だと解っているのに手術させない親などいるかと聞く人があるが、癌は身体の病気であり放っておいたら100%死亡するのに対し、GIDは精神の病気であり放っておいても90%完治するのである。まるで比較にならない。

今朝ツイッターにも5歳の時に母親からトランスを強制されたジャズ・ジェニング(20歳)が、自分はトランスしたことを後悔していないと演説していたが、トランスジェンダーとしてしか生きたことのない彼にその生き方が間違っていたかどうかなどどうしてわかるというのか?彼が出演しているリアリティーショーでもジャズは凡そ幸せな20歳の大学生には見えない。

私は彼がまだ10歳くらいの時のビデオを見たことがあるが、ジャズは当時からなんらかの精神安定剤を常飲していた。健康な子供が抗うつ剤を飲むなどありえないだろう。そしてSRSを受けた今でも、彼は激しいムードスイングに悩まされているのだ。彼の精神病の原因が何かは分からないが、明らかにSRSはこの問題を解決することには全く役に立っていない。

上記のリンクでも書いた通り、性違和だと診断される子供の大半が別の精神疾患を併合していることが多い。自殺願望はそちらの病気のせいである可能性も高い。女の子が乳房を取りたいなどと思うのは、よく精神疾患を持つ子供がする自傷行為の延長かもしれない。だとしたら、不可逆的な極端で危険な治療を始める前に、先ずそちらの精神治療から始めるというのが筋のはずだ。ともかくそうした治療を成人するまで続け、大人になっても性違和が消えない個人に関してだけ、性転換治療を始めるべきだろう。それにしたって私は性転換治療などと言う物自体が非科学的であると信じてはいるが。

以前にも話た通り、私も思春期の頃は非常な悩みを抱えていて、心配した親が神経内科に通わせたほどである。かなりの自殺願望もあったし、自分の体が嫌いで拒食症になったりもした。あの頃今のようなトランスカルトが精神科を乗っ取っていたら、私も間違いなくトランスジェンダーにされていただろう。しかし私の命を救ったのは抗うつ剤でもトランスカルトでもない。神様だ。いや、神への信仰だというべきだろうか。

私は信心深い人間ではない。特にこれといった宗教に所属しているわけでもない。今でも特にどの教会にも通っていない。ただ当時の私は非常な読書家で特にドイツとかフランスの文学を良く読んでいた。またよくお芝居も観ていた。そんな中であるお芝居で誰かが歌った歌の歌詞に「神様は越えられない試練を与えない」というものがあった。

その時なぜかその言葉が心に突き刺さった。さらにお芝居をみていて、お芝居の中の登場人物には無駄はないことに気付いた。誰にもその役割はある。たとえそれが悪役でもちょい役でも。もしこの世の中が神様の作った台本通りに回っているのだとしたら、その中の登場人物である私の存在にもなにかしらの意味があるはず。私の存在は間違いではないのだ!

とまあそんな具合に自分なりに悟りをひらいた。私の命を救ったのはその悟りだ。

最近発表されたアメリカの世論調査では定期的に教会に通っているという人の数がすでに40%くらいになっているという話を聞いた。アメリカはもともと非常に宗教的な国だったのだが、最近の世俗主義は子供たちの心のよりどころを奪っているのではないだろうか。

「神を信じなくなると何も信じなくなるのではない。何でも信じてしまうのだ。」とは誰かが言っていたがまさにその通りだ。子供たちに必要なのは、性違和のある子どもの命を救うのは手術や薬ではない。あなた達がその身体で生まれて来たことは間違いではない。神様は間違いなどおかさない。と誰かが子供たちに諭して揚げることが必要なのだ。


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家父長制度は男尊女卑なのか

先日杉田水脈議員が国会で2014年に発言した家父長制度と男女共同参画に関するビデオがツイッターで上がってきた。私は日本住まいではないし、日本国内の政治については非常に疎い。しかし私の限られた知識のなかの杉田水脈議員の発言は常に同意できるものばかりだ。これもそのひとつである。

本来日本は男女の役割をきちんとしたうえで女性が大切にされ、世界で一番女性が輝いていた国です。女性が輝けなくなったのは冷戦後、男女共同参画の名のもと伝統や慣習を破壊するナンセンスな男女平等を目指してきたことに起因します。男女平等は絶対に実現しえない反道徳の妄想です。-杉田水脈議員

それで、左翼フェミニストのなかには家父長制度が悪の根源みたいに言う人が多いが、女性は男性が守るべきという社会のほうが、女も男も外で働け!女一人でも子供育てろ!という社会より生きやすいのではないだろうか。という内容のツイートをしたら、私のことを「男尊女卑が身にしみこんでる」と返してきた人がいた。この人と私は普段はトランスジェンダーのことなどで女性空間は守られなければならない、男と女は違うという意見で一致しているのだが、どうも夫婦に関する話題になると突然敵意を丸出しにしてくる。何故左翼フェミニストはこうも男を敵視するのであろうか?

これは非常に興味深い話題だ。家父長制度とは本当に男尊女卑の制度なのか考えてみよう。

家父長制度とは、父方の家系が長男によって受け継がれる制度であるが、日本の場合は婿養子も可能なため、事実上は長女が引き継ぐことも可能だ。確かに昔は長である父親の権限が最高であり最終であるとされており、女性は財産を持てなかったり、発言権がなかったりとかなり男尊女卑な時代もあった。

しかし、戦後の家父長制は単に父方の家系が引き継がれるというだけであり、父親はあくまで家族の代表であり、絶対的権限を持つ長ではなくなった。

フェミニズムが家父長制度を毛嫌いする理由は、これを単なる家族制度と考えず、「男性支配」「女性たちの抑圧」とほぼ同義語として使ってきたからだ。この解釈は明らかに杉田議員の解釈とは違っている。

まず一旦家父長制度という言葉は横に置いて、結婚制度について考えてみよう。

先ず大事なのは結婚は女子供を守る制度だということ。極端な話、男に女子供は必要ない。野生の世界では雄は雌の種付けをしたら、すぐ去っていく種族も多い。人の雄も自然に任せればそういう傾向がある。だから何の規制も無ければ、男は女に飽きたらさっさと去っていくように出来ているのだ。

しかしヒトはそういうわけにはいかない。なぜならヒト科の雌は男性にくらべ弱体で筋力も瞬発力も劣るため雄のように狩をして必要な食料を集めることができない。またヒト科の赤ん坊は他の動物にくらべて非常に未熟なまま生まれてくるため、一時でも目を話すことはできない。だからヒト科の雌と乳児は雄の庇護が無ければ生き延びられないのである。

いにしえの昔から人間社会はそのことに気付いていた。だから男が女を孕ませた後に無責任に逃げてしまわず子供がしっかり育つまで女子供の傍にとどまるために結婚制度というものが生まれたのだ。

確かに肉体的に強い男性が女性を弾圧した時代は長い。しかし現代の日本における家父長制度は男性による女性弾圧の制度ではない。これは男が女を守るというより、結婚制度が女子供を守るのだと言い換えた方がいいのかもしれない。

ところで先ほどの@maikokarino121さんがおもしろいことを言った。

なぜ男が”長”でないといけないのかわかりませんね。役割分担があっても女性が長で問題ありません。うちは世帯主は女ですけどね。安全を守るのは男ではなく警察です。

この「警察」というのは文字通りの「警察」というより政府の象徴と解した方が解りやすい。

以前にもシングルマザーを政府がもっと援助すべきだと言っていた女性がいたが、マイコさんもこうした女性達と同じで、女手一つで子育てをするのは非常に難しいことだと認めている。だが何故か男性の伴侶と一緒に子育てをするのではなく、夫の代わりに政府に面倒をみてもらいたいという考え方なのだ。

家族単位の制度を破壊して社会全体で子育てをするというのは社会主義の典型的な思想だ。

彼女たちは長である男性に決定権を与えたくないと言いながら、政府にその絶対的権力を委ねようというのである。しかも権力者の殆どは彼女達が嫌う男性であると言うことを無視して。

現在の日本における家父長制度の長(世帯主)は、絶対的権力を持ち家族を服従させる立場にある人を指すのではない。彼はあくまで家族の代表に過ぎない。家族がひとつのチームであるとしたら、チームリーダーが必ずしもチームメンバーたちを独裁できる立場ではないことからそれは容易に理解できるはずだ。

ただ長には最終的責任がある。家族で話あって決めたことでも最終的な責任は彼がとらなければならない。だから迂闊は判断はできないのである。私はこんな責任重大な立場になどボランティア(立候補)したくない。頼りになる夫にすべて任せられるならそれに越したことはないと思っている。

日本で男女共同参画なる不思議な制度が起用されるようになって、女性達はそれ以前よりも幸せになったのだろうか?女性の権利はより守られるようになったのだろうか?

私は2008年に、男女共同参画の基盤となっているジェンダ―フリーという思想は女性の権利をまもるどころか文明社会全体を破壊しかねないと警告した。思った通り、男女共同参画によって日本女性たちは女性専用トイレを失い、女湯に男性器付き人間が入ってくる危険にさらされている。男尊女卑だと言って家父長制度を弱体化して母子家庭を増やし、ジェンダ―フリーと言って男女の差を無視した結果がこれである。

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ところで家父長制に関して批判的で、私に敵意むき出しで喧嘩腰に話しかけてくる女性達は、私から見てとても幸せだとは思えない。自分の生活に満足していて幸せな人は他人の何気ない発言に牙をむき出しにして吠えて来たりはしないと思う。

反対に、私と和やかに話をしてくれる人達は、大抵の場合自分の生活に満足している人が多い。もちろん人生色々不満なところはあるに違いないが、自分の不幸せを男性のせいにしてばかりいる女性は幸せになれないような気がする。


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道徳観念がないと理解できない他人の正義感

ちょっと今日は哲学的な話をしようと思う。もっとも私は哲学なんて大学で必須課目を一学期取っただけなので学問としての哲学に関してはほぼ無知である。私が本日話したいのは、もっと一般的な正義や道徳の話だ。

昨日私はツイッター上で渡辺(ツイッターでは白江)直弼というツイッタラーと話をしていて改めて気づいたことがある。それは、世の中には道徳観念というものを持ち合わせていない人がいるのだということだ。普通ある行為が良い行為か悪い行為かを判断するためには行為そのもので判断されるべきだ。しかし道徳観念のない人たちは行為そのものが良いか悪いかではなく、行為を行った主役が自分の仲間であるか敵であるかでその罪が良くも悪くもなると考えるのである。

そう思ったきっかけはツイッター上で回ってきた渡辺によるノートエッセーに私がコメントしたことだった。エッセーというより他人のツイッターをコピペしてその下にちょっとしたコメントを書いた程度のお粗末なものだが、彼はLGBTQがやたらとペドフィリアと結び付けられることに文句を言っていた。

渡辺はLGBTQにはペドフィリアも含まれるという言い方は、LGBTQ以外にはペドフィリアは居ないと言っているのと同じで、ペドがLGBTQ特有の性癖であるかのような誤解を与える悪意のある表現だという。

ドラァグクイーンの中にペドフィリアがいることをどれだけ主張しようが、これは(B)LGBTQを属性として見たときの「含んでいる」を示しているにすぎず、「LGBTQ以外もペドフィリアを含んでいること」を否定できません。この路線で「LGBTQはペドフィリアを含んでいる」と主張することは、過激な差別主義者がやることでしょう。

確かにペドフィリアはLGBTQ界隈の専売特許ではない。悲しいことに異性愛者の男性が女児を性的に虐待するという話はいくらでも聞く。このように忌まわしい犯罪を犯すけしからん輩はどこの世界にも存在する。

問題なのは、こうした行為を目のあたりにした時、人がどのような態度をとるのかということだ。幼児虐待は誰がやっても悪いことだからと告発するのか、それとも同胞がやっていることだからと黙認するのか。

残念ながらLGBT界隈にはその自浄作用が機能していない。いや、それどころか小児性愛はセクシュアリティーの一種でありQueerの一部として認めるべきだなどと平気で言う人までいるのだ。下記はトランスアライで有名なジェンダー学者の清水晶子女史の2016年のツイート。

どこから再燃しているのか知らないですが、またTLにあがっているようなので。ペドフィリアはセクシュアリティーの一つだと思いますし、ペドファイルはその意味ではセクシュアルマイノリティーです。それは否定できない。そのことと、性暴力や性虐待を許容しないこととは別の話です。ー 清水晶子

またQueerを自認する学者たちの間で、ペドフィリアという呼び名にはスティグマがあるので「未成年に魅かれる人々」という意味のMAPという呼び名を使うべきだなどと言う人まで出てきており、およそLGBT界隈からはペドを排除する動きが見られない。

それだけではない。最近のLGBT活動家たちの行動を見ていると、ペドを排除するどころか小児性愛を奨励し推進しているかに見える。

例えば幼稚園児や小学校低学年に「性教育」と称したポルノまがいの本を教材にして教えたり、ファミリーフレンドリーと称して子連れ親子を対象に非常に性的で卑猥なパフォーマンスをするドラアグショーを行ったり、父母たちが怒って抗議をするとANTIFA暴力団を放って父母たちを脅迫したりしている。これがペドフィリアを悪いことだと思っている人々のする行為だろうか?

このような話を私がツイッターで延々と描いていたところ、著者である渡辺が白江の名前で「なぜペドフィリアを批判するのにLGBTと結びつける必要があるのですか?」と抗議してきた。

私は先に述べたもろもろの理由からLGBT界隈はペドを排除するどころか奨励しているように見える、そうでないというなら界隈でそれを批判している例をあげてはどうか、先ずは渡辺自身が率先して批判してはどうかと返した。

ここで断っておくが、この話をする際にはLGBTQ+と一緒くたにしないでLGBとTQ以降を分けるべきだと考える。何故かと言うとLGBのなかにはLGB同盟やGays against groomers(グルーマーに対抗するゲイたち)といった、子供を性的に洗脳することや子供の性転換に反対する運動をしている人たちが存在するからである。私の知る限りTQ+でそういう運動をしている人は居ない。

しかし渡辺はLGBTを執拗なまでに一緒に扱い、「ペドとLGBTを結びつけるな」と繰り返すだけだった。

長時間にわたる彼との退屈な会話のなかで私はあることに気が付いた。それは渡辺はドラアグクィーンやゲイカップルによる幼児性虐待について、そうした事件を紹介した私に対しては何度も批判したが、実際に幼児を虐待したドラアグクィーンやゲイカップルに対する批判は一度もしなかったことである。それをいうなら小児性愛が忌まわしい性癖であり、子供を性対象にするなどあってはならない行為だという発言も全くしなかったのだ。ただただ私がペドがLGBTだけの間で起きることのようにいい、異性愛者の間で起きていることを無視していると責めるばかりである。これは私が彼に「ペド行為とその加害者を批判しないのか」と何度も聞いた後でも変わらなかった。私が何度聞いても彼はペドフィリアと言う行為も行為を行った加害者に関しても一切批判することをしなかったのである。

なぜだろうか?

そこで私はハタッと気が付いた。なんでこんな単純なことに今まで気が付かなかったのだろうか?

彼は小児に性愛を感じることや性行為をすることが悪いことだとは思ってないのだ!

彼の中には幼児虐待は加害者がヘテロだろうがゲイだろうが絶対にあってはならない行為だという感覚がまるでないのだ。渡辺からすると、

幼児とのセックスなんて誰でもやっていることで、別に悪いことでも何でもないのに、LGBT界隈がそれをすると悪いことであるかのように責め立てられるのは不公平だ。なんで異性愛者のペドフィリアは批判されないんだ。なんで異性愛者はお咎めなしなんだ。

という感覚なのだ。だから彼は長年カトリック教会の神父が男児を虐待してきたこと(これってゲイだけど?)や、男性が上半身裸で男児と走っている写真を挙げて「これを批判しないのか?批判しろ!」と鬼の首でも取ったようにわめきたてた。カトリック神父の件はカトリック教徒の間でも十分に非難されたし、だいたい告発者自身がカトリック教徒だ。そして写真については、これがどういう状況で撮られた写真かわからないので判断のしようがないというと、ほれみろヘテロの虐待は批判しないんだなと大騒ぎ。

実はこういうやり方は渡辺だけではなくアメリカのLGBT界隈が良く使う手段だ。例えば右翼保守派が子供のドラアグクィーンを批判すると、女児の美人コンテストの例を出して「これはいいのか?これは批判しないのか?」とやってくる。だが彼らにわからないのは、我々右翼保守には道徳観念というものがあるということ。女児の美人コンテストはよくて男児のドラアグはいけないなどとダブルスタンダードを言い出すような右翼保守はいない。どちらも悪いに決まってる。だから我々はどちらも悪いという。其れで話は終わってしまう。だいたいこれが反論になっていると思う彼らの思考こそ浅はかなのだ。

だから渡辺のような男には、人々がLGBT界隈のペドとの関係について批判すると、それはペドが悪いのではなく、LGBT界隈がやっているから悪いと批判されているに違いないと思い込んでしまうのだ。彼らには誰がやっても悪い行為は悪いという観念は理解できないのである。

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余談だが、私はアメリカ文化や英語を良く分からない人が、英語の文章だけを直訳してわかったようなことを言うのを見るとすごく苛立つ。その国に住んで背景をよく理解していない人にはなかなかわからないことは色々あるのだ。Case in point.

それをいうならあなたが出してるこの画像なんてちゃんと服も着てますし露出ないですよね。何が問題でどのあたりがペドフィリアだと言ってるんですか? -白江直弼

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この写真を見ておかしいと思わないその感覚がすでにおかしいのだが、これはテキサスはダラズのおカマバーで行われた「家族向け」と称したドラアグクィーンショーの一部。ごてごてに子供が悪夢でみそうな化粧をしたドラアグクィーンのお腹の上に男児が寝そべっている。そしてその横にあるサイン、”It’s not gonna lick itself” (自分では舐められない)は非常に性的に意味深である。

渡辺はこのフレーズはテキサスのアイスクリームチェーンのキャッチフレーズであり、ドラアグショーとは無関係だと主張する。だがこういうダブルミーニング(二重の意味)の看板がおカマバーに飾ってあるのは偶然ではない。下記の写真をみるとそれが良く分かる。

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もしこのサインが単にアイスクリームを宣伝しているだけのものであるなら、何故舞台の後ろ側にでかでかとピンクのネオンサインで掲げられているのだ?明らかにイベント主催者はこのフレーズを強調したくて掲げたのである。こんな子供だましの言い訳に誰がのると思ってるんだろうか?

もっともこれはアイスクリーム会社のキャッチフレーズでドラアグショーとは関係ないというアホなことを書いたのは実は渡辺ではなくアメリカ人ツイッタラーなので(笑)余計にアホかと思ってしまう。左翼ってどれだけ右翼保守をバカにしてんだか。


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歌手が歌を通じて宗教布教をしてはいけないのか、藤井風の件で考える

私はポップミュージックにはとんと疎いので、藤井風氏なる歌手が存在していることを昨日まで知らなかった。彼の信仰を巡って色々話題になっているみたいなので、どんな人なのだろうと歌を聞いてみた。最近の数曲を聞く限り、かなり才能のあるシンガーソングライターだなという印象を受けた。彼は日本だけでなくアジアを中心にかなり幅広く人気のある人らしく、英語もネイティブ並みだし、今後も世界市場でどんどん活躍できる人だろう。K-Popみたいに人工的な感じではなく、本物さを感じた。

しかし最近、彼の宗教を巡って、彼が音楽を通じてサイババというインドの新興宗教を布教しているのではないかという疑惑が生まれて来た。こちらツイッターで元共産党員のKomugiさんから紹介されたIIYY project によるNote記事から読んでみた。

先ずIIYYプロジェクトとは何か。ホームページではこうある。

「藤井風さんの音楽活動を通じたサティヤサイババの思想伝道における運営の問題の改善」を求めるため、皆さんの声を集めて運営に対し問い合わせという形で送ることにしました。

つきましては、Googleフォームにて、この件に関する藤井風運営へのメッセージを募集します。
・「藤井風さんの音楽活動とサイババの教えとの結びつきに関して、運営に対し何らかの変化、改善を求める」という目的に合意されたものであれば、どんな内容でも構いません。ひとことでも、長文でも大丈夫です。伝えたいことに合わせて、自由にお書きください。(後略)

IIYYは藤井氏の音楽活動運営にどんな問題があると考えているのだろうか。彼らは抗議の要点をこう説明する。強調は原文のまま。

私たちが今回抗議しているのは、
藤井風さんのサティヤ・サイ・ババの思想を絡めた音楽活動が、それが「サイババ思想の入り口」だと全く周知されてこなかったために、
リスナーが風さんの音楽の入り口に立った時に、充分な情報を基に自分の意思に即した判断をすることが非常に困難になっていた点
についてです。

サイババというのはインド発の新興宗教で教祖のサティア・サイ・ババはすでに亡くなっている。この宗教はインドではカルトとは思われていないようで、インドのモディ首相からサイババ御降誕97周年祭お祝いメッセージが届いたというくらいだから、それなりの格式ある宗教ということはできる。

ただ教祖のサイババが多くの男児を性的虐待していたという話もあり、かなり暗い闇の部分のある宗教のようである。無論それをいうならイスラム教のモハメッドにも9歳の娘を嫁にしたという史実があるし、カトリック教会における神父による男児虐待もある。

さて、実を言うと私はサイババという宗教がいかに問題のあるカルト集団かということには全然興味がない。私が興味があるのは、もし藤井氏がサイババの熱心な教徒で彼が彼の歌を通じてこの教えを布教していきたいと思っていたとして、その何が悪いのだろうかということだ。

IIYYは藤井氏が自分の布教の意図を故意に隠してファンを洗脳しようとしているかのように語っているが、IIYY自身が認めているように、藤井氏の最初の二つのアルバムのタイトルはサイババの教えから直接取られたものだという。

藤井風さんは2020年デビューの日本のアーティストで、「HELP EVER HURT  NEVER」「LOVE ALL SERVE ALL」という二つのアルバムを出しています。
彼のレーベルも、ここから名前をとった”HEHN RECORDS”となっています。
またこれらの思想を指す、HEHN精神、LASA精神という言葉は、「藤井風のコアメッセージ」として定着しており、ファンの間ではこの精神を実践することを呼びかけあう声も見られます。
これらの言葉はツアータイトルや彼のグッズにも頻繁に使われ、藤井風さんを象徴するものになっています。
藤井風さんのオフィシャルウェブサイトでは、プロフィールに以下のように記載されています (略)

しかし、この二つの言葉は、実はいずれも、インドのサティヤ・サイ・ババが掲げるスローガン、彼が繰り返し説いていた教えそのものでした。
そして、彼の歌やパフォーマンス、言葉によるメッセージは、サイババの教えに強く基づくものでした。

ということは、藤井氏は自分の意図をかなり明確に示していたということになるのではないか?少なくともひた隠しにしたとは到底言えない行動である。彼のメッセージがサイババの教えに強く基づくものだと彼自身が発表しなくても、インドでは広く信仰されている宗教であるならば、いずれこの教えはサイババのものであることは人々の知るところとなっていただろう。現にIIYYがそれに気づいたように。

IIYYは藤井氏が最初から自分の宗教についてはっきりファンに説明し、自分の行為は布教活動であると明言すべきだったと言いたいらしいのだが、藤井氏にそんな責任があるだろうか?それに彼には自分が宣教師であるという自覚はあるだろうか?

アメリカは以前に比べるとかなり世俗的になったとはいえ、まだまだ地元の教会に属している人は多くいるし、道を歩けば教会にあたるというくらい信心深い国だ。宗教というのは日ごろの生活に密接に関連してくるものであり、普通の会話でも「神のご加護を!」「神が私の証人だ!」なんてことは平気で言うし、食事前のお祈りをする家庭も多いとはいわないが少なくもない。

カントリーウエスタンの歌詞にはしょっちゅう神だ、お祈りだ、というフレーズが登場するが、これらの歌は必ずしもクリスチャンミュージックとはとられないし、70年代にティーンアイドルとして一世を風靡したオズモンドブラザースも敬虔なモルモン教徒で、常に兄弟愛や家族愛について歌ったり語ったりしているがこれはモルモン教の布教だなんて誰も思わない。

歌手自身が敬虔な信者であれば、音楽がそれに影響をうけるのは当然の話で、その歌詞のあらゆるところでその宗教心が現れたとしても、それは必ずしも布教しているということにはならないと思う。いや、よしんばそれが布教でも、それが何故いけないのか。布教活動も宗教の自由の一貫だろう。

音楽が特定の宗教や政治思想を広めるために使われるなんてことは太古の昔からあることだ。西洋で芸術とされる音楽の多くが讃美歌である。

新しいところでは1940年代のアメリカのフォークソングでは労働者の歌としてピート・スィーガーなど共産党員の歌手が人気を博した。ベトナム戦争が始まるとボブ・ディランなどのフォーク歌手たちは、あからさまに反戦歌を唄うようになった。日本でも加藤登紀子など、東大在籍中に学生運動に参加しご主人はその関係で逮捕されたりもしていた。70年代に妹に誘われて長谷川きよしのコンサートに行ったら、当時売り出し中の左翼政治家で元歌手の中山千夏がゲスト出演し、歌う前に二人で長々と左翼政治について演説をぶった。2003年にイラク戦争前夜、カントリーのデキシーチックスがコンサート中に反戦演説をして話題になったのも記憶に新しい(私の記憶ではだが、笑)。

つまり、音楽を通じて宗教や政治活動がされるのは珍しいことでもなんでもない。

それをいうならハリウッド映画など、昔から共産主義者の巣窟で、冷戦時代に共産主義のプロパガンダ映画がいくらも作られていた。(ブラックリストで実際の共産党員は締め出されたが)今でもWOKEカルトが実験を握ってダイバーシティーだあ~インクルーシブだ~という目も当てられないプロパガンダフィルムを作り続けている。

私は藤井風の活動や運営姿勢が特に変化する必要性を感じない。それにマーケティングの上でも自分の音楽活動がサイババ布教活動だなどと宣言することは、彼の音楽を宗教とは無関係に幅広いファンに届けようというビジネスの面でも全く良いやり方ではない。何故彼がサイババ信者以外の人から敬遠されるような運営をすることを強制されなければならないのだ?そんなことを強制するのは彼の歌手としてのキャリアに関わることであり、彼のビジネスへの営業妨害ではないか?

IIYYや他の人達が、彼の活動が布教に当たり若いファンたちを洗脳していて危険だと思うのであれば、人々が藤井氏の宗教感を知らずに布教されていることに気付かないまま信者になったりしないようにと忠告するのは悪いことではないし、どんどんやればいいと思う。

人々は藤井氏の宗教感を知ったうえで彼の音楽を楽しめばいいし、彼のメッセージに共感するなら、サイババに加入するもよし、ここは人々の自由意志に任せてはどうなのか。


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中間選挙間近、注目される文化戦争

先日、朝日新聞がアメリカの文化戦争について書いた朝日新聞、米国の過激な子供洗脳教育を取り上げる – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.netを紹介したが、11月4日の中間選挙を目の前に、全国各地で学校区教育委員会(スクールボード)をめぐって壮絶な戦いが繰り広げられている。

もうだいぶ前から保守派の親たちが中心になり、昨今行き過ぎたLGBTがらみの性教育に対する学校側の方針に対抗するために、保護者たち自らが教育委員会の委員になるべく立候補する動きが強まっている。

これに対抗してリベラルな親たちも組織を作り活動を始めたという記事を見つけたのでちょっと読んでみよう。元記事はNBCニュース。

リベラルな親たちはスクールボードの選挙が保守派に押されていることを懸念して、自分らも立候補をし始めたが、必要な資金集めがおいつかず、保守派に先を越されているというもの。この記事はあきらかにリベラル側に立った記事なので、教育界に文化戦争を射かけたのは保守派の方だと言わんばかりだが、実際に文化戦争を始めたのは過激な子供洗脳を始めた左翼教育委員界のほうである。

リベラルの親たちは、このままではスクールボードが保守派に乗っ取られる可能性があると、自分らも団結して戦いに挑んだというわけである。

ここで紹介されているのは、レッド・ワイン・ブルーという全国運動とフロリダフリーダムトゥリードプロジェクトというフロリダの二人の母親によってはじめられた二つのグループ。

フロリダの方はフロリダとニューヨークの母親たちが「キリスト教国粋主義者」が始めた禁書に懸念を抱き、ダイバーシティープログラム、トランスジェンダーや人種やLGBTQ関連の本を推進する候補者を応援し始めた。しかし保守派政治家や保守派テレビ司会者から大きな支持を得ている保守派グループと比べるとリベラルグループはあまり全国的な支持を得ていないという。それというのも、名の知れた民主党候補たちは最近とみに激しくなってきたジェンダーや人種に関する議論には頭を突っ込みたがらないからだ。

フロリダでフリーダムトゥリード(読む自由)という組織を創設したのはオーランド市にすむ二人のお母さんたち。彼女達は学校から特定の本を排除しようという動きに腹をたててこのプロジェクトを去年の11月に立ち上げた。共同創設者のジェン・カズンズさんはノンバイナリの子どもを持つ。

しかしながらカズンズさんは同じくフロリダで始まったマムスフォーリバティー(自由のためのママたち)の組織力に圧倒されていると不満を述べる。保守派のマムスフォーの方はすでに全国37州に195の支部を持つに巨大なグループで、保守派のロン・ディサントス知事の支持も得ている。マムスフォーはすでに30人のスクールボード候補者を支持しており、資金もネット広告に必要な21000ドルに加え、フロリダ州の56人の候補にそれぞれ$250ドルの献金に必要な資金を集めている。それに比べてリードトゥの方は一年で一万ドル集めただけである。選挙資金としては双方ともさほど高い金額ではないが、もともとスクールボードの選挙など合計5000ドルも使えばいいほうで、こんな金額は前代未聞だ。

カズンズさんはこの保守派の活動についてこう語る。

「もっと禁書がふえるでしょう。もっと強く推してきて、今まで以上にLGBTQ+の子どもたちを悪者扱いするようになるでしょう。まったくこれは右翼による教育の過激化です。彼らの使命は公立教育を失敗させることなのです。」

何言ってんだよ全く。極左翼のスクールボードが反人種差別を訴えるアラバマ物語やハックルベリーフィンの冒険を学校図書館から排除した時、あなた達は禁書は良くないと抗議したのか?数学や国語を教える代わりに性自認だの代名詞だので時間を無駄にしてこどもたちの学力を下げ公立教育を失敗に追い込んでるスクールボードを支援しているのはあなた方リベラル親たちのほうでだろうが。

無論フロリダ民主党はスクールボード候補者を支援しており、民主が支持表明した37人の候補者のうち10人が勝利、20人が11月の決勝に残った。しかしディサントス知事支持の候補者はすでに20人の勝利が決まっており、残る5人が決戦に残った。

元来スクールボードの選挙など人々は注意を払って来なかった。ほとんどの市民は学校はちゃんと経営されているものと信頼していた。しかしそれが変わったのは、フロリダやテキサスを含む共和党が多数議席を持つ州でスクールボードこそが戦いの場だとする動きが広まり、活動家たちが時間とお金を注ぐようになってきたからである。

ペイトリオットモービルというテキサス基盤の携帯電話会社は60万ドルというお金を注ぎ込んでスクールボードの保守派による大制覇を試みている。民主党が圧倒的多数議席を持つカリフォルニアのような州ですらも、リフォームカリフォルニア・アンド・インランドエンパイヤファミリーとキリスト教活動グループのアメリカンカウンシルという二つのグループがスクールボード委員候補者のリクルートと訓練を何か月も行って来た。

インランドエンパイヤというのはカリフォルニア中部の農業地域であり、このあたりはカリフォルニアといえども保守派の人が比較的多い地域である。

また作家であり共和党選挙運動コンサルタントのライアン・ガーダスキーが立ち上げた「ザ1776プロジェクトパック」という保守派グループは1.2百万ドルをつぎ込んで全国のスクールボードの保守派候補たち113人を支援している。

今回の選挙運動で保守派の活動が活発になってきたとはいえ、教育界は長年左翼リベラルによって独占されてきた。ガースキー氏も学校はこれまでにも学校内におけるお祈りや国に忠誠を誓う宣誓などを巡って色々な政治討論の場所となってきたと語る。しかし氏は保守派はこれまで公立学校で何が教えられているかということよりも、子供の教育にあった学校の選択の自由に焦点を当てていたという。今こそ、共和党がやってこなかった、保守派の信念に基づいて議論を親たちがする機会だとガースキー氏は語る。

保守派グループの共同創設者ティナ・デスコビッチさんはリベラル派が劣性だという解釈に反対する。なぜなら非常な権力を持つ教員組合は圧倒的にリベラル派だからである。

私たちはガライヤに対抗するデイビッドのようなものです。私たちには何百万ドルなんてお金はありません。全国の候補者に注ぎ込むようなお金はまだ持っていません。いつかそうなることを望みますが。

学校を巡る紛争が始まったのは2年前、コロナ禍において長期にわたって学校が閉鎖されたことで両親たちの不満が募っていた。しかし学校が始まると同時に、保守派保護者たちが、学校で教えられるダイバーシティーやトランスジェンダー生徒の特別扱やLGBTQ+関連の書籍に関して苦情を述べるようになった。

ジョン・バラント氏(director of the Brown Center on Education Policy at the Brookings Institution)曰く、

学校閉鎖について心配する正当な理由はたくさんあります。しかし共和党はこの不満を悪用し全く違う方向へと導こうとしています。そして民主党はそれに対抗出来ていないのです。

バラント氏は教育は民主党にとっては勝てる政策のはずだという。特に学校予算や教師の給料、学校の安全性など全て民主党が率先していた。ところが最近多くの世論調査で人々は学校に関して民主党より共和党を信用していると答えている。(found voters had more confidence in Republicans than Democrats

この調査結果は興味深い。コロナ禍の学校閉鎖で子供たちがネット授業に参加したことで、親たちは直接子供たちが何を学んでいるかを知るに至った。そして今まで一日何時間も信用して子供を預けていた学校で、女装男子が女子トイレや更衣室を使っていることや、親に内緒で子供の社会的性転換を奨励していることや、低学年生徒に同性愛セックスのやり方を教えていることなどを初めて知ったのだ。そして自ら学校に出向いてみると、図書館には年齢不相応なポルノ本がいくつもおかれていることを知った。

怒った親たちがスクールボードの会議に参加し、色々苦情を述べ始めたのが、今回の運動のはじまりである。

この記事では、あたかもこれらの運動を極右翼保守の宗教国粋主義者だけが参加しているように述べているが、学校教育には民主も共和もないはずだ。民主党支持の親たちでもこんな過激な子供洗脳教育を支持できるとは思えない。

バージニア州知事選挙でほぼ民主党候補が当選確実と言われていたのに、教育現場を改善すると公約したヤンキン氏が圧勝するという事実があったことを考えると、民主党支持者のなかにも、行き過ぎた極左翼教育に懸念を持つ親たちはいくらも居るということが解る。民主党政治家たちはそれを良く知っているからこそ、この問題に首を突っ込みたがらないのである。

リベラル活動家も無論負けてはいない。だいたい市民運動は左翼の方がずっと慣れている。前述のレッドワイン&ブルーは郊外の裕福層母親を対象に資金集めをし女性達の参加を募っている。郊外の母親たちは往々にして民主党支持でリベラルなので、これはよい作戦だろう。

しかし私は、この問題が大きく取り扱われれば扱われるほど、保守派支持の人々が増えるのではないかと思っている。民主党支持の保護者でも学校にドラアグストリッパーを招いたり、子供の同性愛セックスの手ほどきをするような教育を望んでいるとは思えないからだ。


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最高裁、フットボールコーチのフィールドでのお祈りを阻止するのは違憲と判決

次々に保守派には嬉しい判決を発表しているアメリカの最高裁だが、先日も高校のフットボールのコーチが試合後にフィールドでお祈りすることを巡って起きていた訴訟で、最高裁はコーチがお祈りをする権利があることを認める裁決を下した

最高裁は6対3で元高校のフットボールコーチだったジョー・ケネディー氏がフットボールフィールドで祈る権利は憲法補正案第一条で守られているとして氏の権利を認めた。

ケネディー氏は2016年、Bremerton教育委員会の方針に反するため止めるように警告されていたにも関わらず試合後のお祈りを続けたため、停職処分に処されていた。

学校側はケネディーに生徒と一緒に祈ってはいけないこと、宗教的な行動を生徒に奨励すると思われることはしてはいけないと警告していた。

Bremerton High School assistant football coach Joe Kennedy kneels in the center of a prayer circle before a game.
ケネディーコーチと一緒に祈るチームのメンバーたち。

ケネディー氏は2008年に一人でお祈りを始めたが、徐々に生徒達の参加も認めた。氏はチームの参加を強制したことはなく、プレッシャーもかけていない、子供たちは自発的に参加したのだという。しかし、2015年にお祈りを止めるように言われてからは、自分一人でフィールドで祈るのを続けていた。何故自分だけで誰にも見えないことろで祈らないのかと聞かれると、ケネディーは怒って、

私が何であるか何を信じているかを隠さなければならないなんて、どんなメッセージを送るでしょうか?ブレメントンはこの地区では最も多様で許容的な学校です。誰もが自分らしく自由で居られるべきです。それがなんであろうとも。

これがケネディー氏が女装して生徒の前で踊ったとかいうことだったら、学校側も教育委員会も大歓迎したのだろうな。ドラアグショーはいいのにお祈りはいけないという不思議な時代だから。

もともと教育委員会がケネディー氏のお祈りを禁止した背後には「政教分離原則」の誤った解釈がある。

アメリカの憲法補正案第一条の訳文はこちら。

合衆国議会は、国教を制定する法律もしくは自由な宗教活動を禁止する法律、または言論・出版の自由もしくは人民が平穏に集会して不満の解消を求めて政府に請願する権利を奪う法律を制定してはならない。

Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the Government for a redress of grievances.

ネット検索で見つけた解釈の一部を引用するとこうなる。

アメリカ合衆国憲法では、『信教(宗教)の自由』が認められており、法律で特定の宗教を『国教』として定めたり強制したりすることはできない。

アメリカでは言論・出版・平穏な集会(政治結社の結成)の自由が認められており、アメリカ国民は国家に対する『不満の解消を求めるための請願権』を保障されている。

このサイトではこれを政教分離の原則とすると書かれているが、アメリカ憲法の中にはどこにも政教分離という言葉は出てこない。トーマス・ジェファーソンの手紙のなかに”separation of church and state”と書かれていたのが、憲法のどこかに書かれていると勘違いしている人が多くいるのだ。

ともかく、第一条には国が国教を制定してはいけないとは書かれているが、政府機関やその施設の中でお祈りをしてはいけないとも、学校で聖書の勉強会を開いてはいけないとも書かれていない。公立学校において、生徒達が特定の宗教のお祈りを強制されたら無論それは憲法に反する。この訴訟の鍵となったのは、ケネディー氏が生徒達に強制的にお祈りをさせていたのかどうかと言う点だ。明らかに最高裁はそんな事実はなかったと判断したのだろう。

この件に限らないが、左翼が圧倒的権力を持つ学校組織では、なにかとアメリカの伝統的な宗教であるユダヤ・キリスト教が迫害される傾向にある。すでに20年以上前に生徒達が放課後自発的に集まって聖書勉強会をやろうとするのを阻止した学校が訴えられ、最高裁が生徒達の権利を認める裁決をしている。Good News Club v. Milford Central School

このほかにも、卒業式で卒業生の演説のなかに「神のご加護を」という言葉を使ってはいけないとか、休み時間に生徒達が同級生に聖書を配ってはいけないとか、リモート授業中に生徒達が自宅で祈ったのもいけないなどなど、学校によるキリスト教弾圧は後を絶たない。

それでいてイスラム教徒の多いミシガン州のディアボーン市の学校区では、学校側がイスラム祈祷のために特別に教室をあてがって、一日四回の祈祷を許可するなど至れり尽くせりなところもある。

先にもちょっと述べたが、最近多くの公立学校で、学校主催のLGBTQ+教育が熱心に行われている。学校にストリッパーさながらの卑猥な恰好をしてケバケバしい化粧のドラアグクィーンが招かれて、未成年の生徒たちの前で腰振りダンスをやるなど日常茶飯事になっている。

私が学校でLGBTQ思想が奨励され、半ば強制的に子供たちに押し付けられているのに、コーチや生徒たちが自主的に祈ることが許されないのはおかしくないかとツイッターに書いたら、LGBTは宗教ではないので問題ないと応えたアホがいた。

男が女になれるとか性別が二元性ではないとか、全く科学に基づかない出鱈目思想がカルト以外の何だというのだ?それにLGBTQ+のQに当たるクィアと悪魔崇拝思想には深いつながりがある。ドラアグたちの衣装や化粧がサタンをかたどったものであるのはよくあることだ。

ともかく、最高裁が宗教の自由を保証する判決を下したことは喜ばしいことである。今後も左翼たちが「政教分離の原則はどうなったんだあ~」と叫び続けることは間違いないが、その度に、アメリカ憲法にはそんな原則はないとはっきり言ってやろう。


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