なぜ保守派は文化戦争に勝てないのか?マサチューセッツ州の「トランスジェンダー反差別法撤廃の失敗」から学ぶ

先ほどツイッターで誰かがトランス活動家のプロパガンダ誌に掲載された記事を紹介していた。そのピンクニュースの記事などうでもいいのだが、そこで取り上げられていたマスレジスタンスという過激保守派サイトの記事は興味深い。それは2018年の11月、マサチューセッツ州にある反トランスジェンダー差別法を撤回させようとして失敗した保守派の反省文と言っていい。Analysis: MA voters pass trans law by large margin! (massresistance.org)

マサチューセッツ州(MA)にはトランスジェンダー反差別法なるものがあり、トランスを本人が自認する方の性別で扱わないと罰せられ罰金を課されることもある。去年の11月にその法律を撤廃しようと保守派の親家族グループによる動きがあったが、州民投票で撤廃派の試みは68-32で惨敗した。

LGBTロビーはこの問題はLGBTの人権問題だとし反対派は反人権派だと決めつけた。しかも撤廃派の20倍にあたる5.7百万㌦という支援金を集め、テレビコマーシャルや個別訪問など非常に組織的で効果的なキャンペーンを実行。もちろん主流メディアも活動家に友好的な報道をした。

それに比べて撤廃派の保守派グループのキャンペーンはお粗末なものだった。マスレジスタンスはどちらかというと過激な保守派団体のようで、今までのおとなしい保守派のやり方にかなり不満を持っているようだ。同記事は先ず保守派の「お手洗いでの安全性」を主題にした作戦が間違っていたと指摘する。

著者は反トランス法によって女子トイレの周りに変態がうろうろするとか、女性のプライバシーが侵害されるとかいう議論にばかり終始してLGBT側の人権に関する反論を全くしなかった。異様なトランスジェンダリズムに関する議論も全くせず、単に「トランスジェンダーの権利はすでに守られているので新法は必要ない」とするに留まった。また保守派側は支援金を少額しか集められず、これと言った団体からも支持されなかった。

同記事は組織的なLGBT活動家と立ち向かうためには、このようなおとなしいやり方ではなく、もっと攻撃的に相手の詭弁をひとつひとつ壊していく必要があると主張する。マスレジスタンスが注目すべきとしたのは次の三点。

  1. この法律とLGBT人権とは無関係であること
  2. トランスジェンダリズムは精神障害であり、破壊的な思想であること
  3. この法律は男が女になれるという偽りを人々に受け入れさせるものであること

マスレジスタンスというグループは保守派ではあるが、この記事を読む限りかなり過激な思想を持っているように思う。要するに彼らは既存の「女性の安全やプライバシーを守る」というような生易しいメッセージではトランス活動家たちを倒すことは出来ないと言っているわけだ。なにしろ相手は我々を少数派の人権を踏みにじる冷血な差別者であると位置づけているのだから、こちらも同等にLGBT活動家の異常さを全面的に出して戦うべきだという考えだ。

マスレジスタンスは保守派のおとなしいやり方に苛立ちを覚えているようだが、一方でLGBT過激派の活動はその過激性を増しており、一般に差別はいけないと思っていた人たちの間でも、何かおかしいという気持ちが芽生え始めている。LGBTですら一枚岩ではない。

だから私はLGBTを一緒くたにして異常だとするようなキャンペーンは逆効果だと思う。それより伝統的には左翼と言われてきたフェミニストやLGBの人たちとも連帯して、この問題は右翼とか左翼ではなく、常識対異常との戦いなのだということを地道に説得していくことが大事だと思う。


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独立を拒んできたパレスチナの歴史

多くの人々が誤解しているが、イスラエルとパレスチナの問題は土地ではない。イスラエルはパレスチナ全土を占領しているわけではない。すでにガザはパレスチナに譲渡したし、ウエストバンクの一部を除けば、ほぼすべてがパレスチナの管轄内にあるのだ。パレスチナがその気になれば、パレスチナは独立国として存在できる。そうなったら今後一切イスラエル政府と戦争などする必要はなくなるのである。なのに何故パレスチナはイスラエルと交渉しようともしないのか?

この話は過去にも数回していると思うが、デニス・プレーガーがパレスチナが過去に何度も独立の機会があったのに、それをことごとく拒んできた歴史をまとめてくれているので紹介しよう。デニス・プレーガーはラジオトークショーホストでユダヤ教研究の著者でもある。無論本人はユダヤ系。

拒絶一回目:1937年。イギリスのピール委員会がアラブ人に80%、ユダヤ人に20%の土地を与えることでパレスチナの独立を提案。アラブ人は拒絶した。

拒絶二回目:1947年。アラブ人は国連のアラブとイスラエル分離計画を拒否。

拒絶三回目:1967年。エジプト、シリア、ヨルダンの同盟軍がイスラエル打倒のため戦争を仕掛けたが、かえってイスラエルに任されイスラエルはウエストバンクとヨルダンそしてガザをエジプトから奪い、ゴーランハイツをシリアから奪った。イスラエル人はガザにもウエストバンクにも興味がなかった。例外は東エルサレムのみ。ここにはユダヤ人がモハメッドが生まれる1400年も前からユダヤ人が3000年にわたり住んで来た土地。ここでもアラブ人はイスラエルとアラブの分離政策を拒否。

拒絶四回目:2000年。キャンプデイビッドでイスラエルのエフード・バラクがパレスチナのヤサー・アラファトにガザ全土と94%の東エルサレムを含むウエストバンクを提供すると提案。アラファトは拒否した。

拒絶五回目:2008年。イスラエルのオルメルト首相がバラク首相よりも多くの土地を提供すると提案したが、パレスチナは拒否した。

この間も話したように、ツイッターで私に絡んで来たパレスチナ出身らしきイスラム教徒は、私がイスラエルから攻撃を受けたくないのなら、和解して和平を結んではどうなのかと聞くと、イスラエルが今までパレスチナに対してやってきたことを考えたら和平などありえないと言っていた。しかし戦争を永遠に続けることでパレスチナに得るものなど何もない。にも拘わらず彼らはイスラエルとの和平はあり得ないと主張するのだ。いったいそれは何故なのか?

その理由は簡単だ。パレスチナが自分たちの独立を犠牲にしてでも戦わなければならない理由は、イスラエルというユダヤ教徒国家が存在していることにある。パレスチナにとって大事なのは独立でも平和でもなく、ユダヤ人の国であるイスラエル撲滅なのである。

プレーガーはイランが執拗にイスラエルの破壊を目指す理由はひとえにイスラエルがユダヤ教徒の国であるという宗教にあるという。イランはパレスチナなどどうなっても構わない。もしイランが同胞のイスラム教徒に関して多少でも興味があるなら、イスラム教徒であるウイグル人を弾圧している中国と付き合えるはずはないからだ。

考えてみれば、イスラム教というのは他の宗教と違って憎悪で成り立っていると言える。ま、創設者のモハメッドがユダヤ人を心から憎んでいたことから始まっているのだから当然と言えば当然だが。

なぜ国際社会はこの明らかな理由を無視してイスラエルとパレスチナの紛争は土地を巡って起きていると主張するのか。それは西洋社会はおもに世俗主義であり、世俗主義の我々は他の宗教を信じる社会を破壊しなければならないなどとは思わないから。第一、もしこれが土地を巡る紛争ではないとしたら、西洋社会はイスラエルを一方的に悪者にすることが出来なくなる。

いや、もっと困るのは、イスラム教の過激思想を責めなければならなくなることだ。


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反人種差別を唱える批判的人種理論の一番の被害者は東洋人、中華系団体が強く糾弾

最近アメリカでは「批判的人種理論」(Critical Race Theory)と呼ばれる邪道が幅を利かせている。この思想は1980年代に法学者キンバリー・クレンショーという人が作った理論である。そしてこの理論は「人々を肌の色ではなく内面の人格で評価すべき」というマーティン・ルーサー・キングJr牧師が唱えた人種色盲という考えに真っ向から反発するものだ。

表向きは反人種差別の理論とされるが、実は白人は生まれた時から人種差別者であるといったような物凄く差別的な思想で、左翼活動家たちはこの理論を職場や教育の場で広めていくべく、多くの学校や企業に働きかけてきた。トランプ前大統領はこの思想は非常に危険であるとして、連邦政府機関やそれにかかわる企業においてこの理論を教えることを禁じたが、バイデン政権になって再びこの理論が猛威を振るい始めている。

そんななか、CRTは憎しみを増幅させ人々を分断させ巧みに操作された詐欺であるとして、アメリカで一番古い中華系アメリカ市民団体The Chinese American Citizens Alliance of Greater New YorkがCRTに強く糾弾する公式声明を発表した。

同団体CACAGNYはその声明文でCRTは人種差別思想であり弾圧的な差別主義でありマルクスやレニンといった共産主義思想に強く影響を受けていると語る。同団体は特にCRTの東洋人への扱いについて抗議している。CRTは東洋人が経済的にも社会的にも成功している人が多いことから、白人と同じようにCRTによって敵視の対象となっているとする。

拙ブログでも何度か紹介したように、アメリカの大学ではアファーマティブアクションと言って少数民族が大学入試で差別されないようにそれぞれの人種で枠が設けられている。しかし黒人やラテン系に比べ、白人や東洋人の応募者は圧倒的多数を占める。特に東洋人は成績が良く、受験の成績だけで合格者を選ぶとなると半数近くが東洋系になってしまうという現状がある。それで多くのエリート大学では学業以外の人格などの分野で東洋人を落とすという非常に人種差別的なことをやっているのである。

アメリカ社会において東洋人は微妙な立場にある。東洋人は白人ではないが、よく名誉白人などとおかしなことを言われ白人と同じ扱いを受ける。しかしこれは決していい意味ではなく、特に最近は悪い意味で東洋人と白人は一緒くたにされるのである。CRTの考え方は、人々が個人の努力や才能で成功するという前提を全く認めず、結果だけを見て誰が一番成功し誰が失敗しているかだけを見る。そして成功している人が多いグループは不公平な特権によって成功したのであり、失敗してるグループは人種差別のために失敗しているのだという判断をするのだ。

だから勉学に熱心で勤勉な東洋人が高い教養を得て経済的にも社会的にも成功すると、それは東洋人個人ががんばったからではなく、東洋人という種族が持って生まれた特権のせいであり、他の少数民族への差別が原因だと判断されるのだ。

先日アトランタの風俗店で連続乱射をして東洋人女性を含めた8人を射殺した白人男性の件で、メディアは最近とみにひどくなった反アジア人への白人至上主義者の仕業だと報道しているが、実は犯人は特に東洋人を狙ったというわけではなく、自分のセックス依存症に腹を立てて風俗嬢を狙ったと自白している。残念なことに風俗嬢には東洋人(特に韓国人)が多いため、犠牲者にも多くの韓国人が含まれていただけだ。

私はずっと、どうしてアメリカの東洋系は民主党を支持するのだろうかと不思議だった。民主党は東洋人をマイノリティーの枠が必要なときだけ数に入れるが、実際民主党の政策は東洋人にとってよいことなどひとつもないのだ。にもかかわらず、いまだに在米邦人の多くも民主党にべったりで共和党支持者やトランプ支持者をまるでカルト信者扱い。いい加減に目を覚まして欲しいと感じる今日この頃である。


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日本が安易に選択的夫婦別姓を認めてはいけない理由

アメリカでは選挙の度に、新しい法案に賛成するか反対するかという項目がいくつか提出される。選挙案内にその法案の簡単な要約があるが、とくにその内容に興味がなかったり、知らなかった場合には、その法案に賛成するしないの判断は難しい。しかしそういう場合、誰がその提案を支持しているかを見ることで結構正しい判断が出来ることがある。例えば教員労働組合が支持しているというのと、全国ライフル協会が支持しているというのでは、かなり違うものであるというのは自ずと解る。

さて、今日本では選択的夫婦別姓という法案が出されているという。推進者の理屈は、女性でもキャリアを求める人が多くなった今、結婚のせいで苗字が変わると仕事に差し支えるといったものだ。確かに公式に名前を変えるというのは色々面倒だ。特にすでにキャリアを積んできた中年男女の場合は色々大変だ。それで名前は変えたい人だけが変えればいいという制度にしようじゃないかという考えは同意できないでもない。アメリカでは選択制で特に支障はおきていないし。

しかし本当にそうなのだろうか?この問題はそんなに簡単なことなのか?

実は本日ツイッターでリッキー・エルウッドさんという人が、こんなことを言ってるのを読んだ。

私は憲法9条の改正、そして憲法への自衛隊の明記を願っています。ところが日本にはこれに頑強に反対する左翼の政治家達がおり、私はそんな彼らの政治行動には「彼らは本当に日本の為を思ってやっているのか」と常々疑問を持っています。で、先日この(辻本清美の)ビデオを見る機会があり、突然気づいたのです。

「『選択的夫婦別姓』を推進しているのは憲法改正に反対し、自衛隊を排斥し、安倍総理を追い落とそうとしていたのと同じ政治家達ではないか!」という事実にです。これは私にとって選択的夫婦別姓に反対するに充分な根拠となります。

私は選択的夫婦別姓の事をよく知りません。「一体何の話だろう?」と思っていた程です。でも心は決まりました。私は『選択的夫婦別姓』推進に反対です。理由は「かつて天皇家に対して悪し様な言辞を使い、今も憲法改正に反対して国力弱体化に努めているが如き左翼政治家がにこやかな表情を浮かべて甘い言葉を使って推進する法律が日本の為になる訳が無いから」です。

これは非常に大事なことだ。普段から日本を左翼社会に推し進めようとしている人たちが強く推すアジェンダが、社会主義を望まない人たちにとって良い結果を生むとは信じがたい。なにか裏に隠された動機があるのではないかと疑ってかかるべきである。

左翼活動家は常に最終目的を明確にせずに、一見無害で誰もが同意できそうな発案をしてくる。そしてそれに疑問を提示する相手に対して「それは被害妄想だ、そんなことは起き得ない」と言って片付けようとする。辻元氏は諸外国の例を出してこれらの国々で家族は壊れていないと言い張る。だから日本でも大丈夫という理屈を通している。

だが選択的夫婦別姓制度のある国々の家族は本当に大丈夫なのか?先ず欧米では結婚をする人の数が極度に減っている。私が拙ブログで2012年に紹介したこの記事から読んでみよう。

先日ニューヨークタイムスの30歳未満の女性の出産のほとんどが婚外で起きているという記事を読んで唖然としてしまった。アメリカでは過去50年間未婚女性の出産が増えて来てはいたが、ついに今年、30歳未満の女性の間では、出産の半分以上が婚外出産となってしまった。

一時は結婚外出産といえば、貧困層や少数民族の女性と相場は決まっていたのだが、最近は中流の女性の間でもめずらしくない現象となった。未婚の母の率が一番増えたのは20代の白人女性で、短大卒以下がほとんど。女性全体では2009年の出産の59%と、かろうじて過半数が結婚内の出産。しかし出産の2/3が30未満の女性によるものなので、世代が代わるにつれこの数は増えるものと想定される。

これは8年前の記事なので、今はもっとすごいことになっているだろう。それから忘れてはならないのはアメリカ社会の離婚率。アメリカでは平均して10組に一組は離婚する。人によっては何度も結婚しては離婚するので、そのたびに名前を変えていたら大変だ。

アメリカのこの状況になったのは選択的夫婦別姓が原因だとは言わないが、選択的夫婦別姓を抵抗なく受け入れられるようになったのは、こうした家族の崩壊という背景があったからなのではないだろうか?日本がそういう社会の真似をすることが、日本にとってどう良い結果をもたらすというのか私には理解できない。

だいたいこういうことに、元々社会制度の違う諸外国の風習を持ち出すのはおかしくないか?日本にはアメリカなどにはない戸籍制度というものがある。日本人は結婚を家族間の契約として考えてきた。だから女性は嫁入りし男性なら婿入りすることで、他人が家族の一員となってきたのだ。苗字を変えるということは、その人間がその家族の一員となる象徴なのだ。

家族の一員になったのに名前が変わらなければ、戸籍制度そのものにも支障をきたすのではないだろうか?待てよ、もしかするとそれが狙いか?そういえば最近、戸籍制度を撤廃しようという動きがある。私の感覚では夫婦別姓と戸籍制度撤廃は並行して行われているように見えるがどうだろうか?

これと共に同性婚やパートナシップ条令なども含むと、左翼活動家たちの真の目的がはっきりしてくる。彼らの真の目的とは、

それは日本の家族制度を破壊することだ!

これは洋の東西を問わず、社会主義国家が常に目指すことだ。独裁社会にとって家族という単位ほど面倒なものはない。家族の絆が強ければ、国民は政府ではなく家族を先ず第一に考える。だから彼らは常に家族制度の破壊を試みるのだ。

夫婦別姓など特に問題はないと考えるかもしれない、自分はそんな選択はしないから自分には関係ないと思うかもしれない。だが、彼らの運動はそこで終らないはない。これは単なる布石にすぎないのだ。それが解れば、そう安易にこの案には同意できないのではないだろうか?


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民主党文化大革命とどう戦うか

アメリカでは地方議会で共和党が多数議席を持っている州が結構ある。アメリカの全体図を見て赤を共和、青を民主とすると、西と東の一部海岸沿いを除けば、ほとんどまっかっかに染まってしまう。過去四年間にわたり保守派の本髄を貫きとおしたトランプ政権。そしてこの大統領を熱烈に指示したアメリカ国民。アメリカの政治社会はどんどん保守に傾いているように見える。にもかかわらずアメリカは何かおかしなことになっている。いくら政権が保守的でもアメリカ文化の左傾化は猛スピードで進んでいる。左翼特有のキャンセルカルチャーはリベラルの間ですら脅威を感じる人が出ているほどである。

なぜ政党や地方政治が保守派なのにアメリカ文化はどんどん左翼に傾いているように見えるのか。それは保守派は礼節を守り争いを避けたいがために必要以上に左翼リベラルの要求に妥協してしまうからだ。

言葉遣いひとつを取ってみても、黒人と呼ばずにピープルオブカラーとかアフリカンアメリカンと呼べと言われると、ま、そのくらいで気が収まるならとこちらも言い方を変えてしまう。以前は性別の分からない個人に関しては「彼」という代名詞を使ったり、スポークスマンやメイルマンといった職名も、この場合のマンは男と言う意味ではなく人という意味なったのに、彼・彼女とかパーソンとか言いかえることで左翼のご機嫌を取ってきた。

だが左翼の要求は留まるところを知らない。今度は単なる女装男を女と呼べと言い出し、一人称の代名詞なのに複数形の「They」を使えなどと言いだす始末。

左翼による歴史の書き換えもすさまじい。夏中BLMの連中が偉人の銅像を次から次へとなぎ倒したのもアメリカの歴史を人々の記憶から消し去ることが目的だった。最初は南部の勇士たちの銅像を破壊していたが、最後には奴隷を開放したリンカーン大統領の銅像までなぎ倒した。左翼にとって白人が先頭を切って奴隷制度を撤廃したなどという歴史は不都合だからだ。1619プロジェクトのような虚偽歴史を浸透させるためには、白人には永久的に白人至上主義の弾圧者としての役割を果たしてもらわなければならないからだ。

では我々はいったいどうすればいいのか。どうやってこの狂気と闘えばいいのか?

我々個人に出来ることは先ず、左翼リベラルの要求を小さなことからことごとく拒否していくことだ。例えば東洋人はオリエンタルではなくアジアンと呼べなどと言われてもオリエンタルを貫き通す。黒人はブラックで押し通す。相手が一人称を「They」と呼ばなければミスジェンダーだなどと言っても生得的性に基づいて彼・彼女の名称を呼び続ける。

職場でメリー・クリスマスと言ってはいけないと言われても言い続ける。独立記念日の装飾をしてはいけないと言われても机に小さな星条旗を飾るといったように。

もっと勇気のある人は、学校で虚偽の歴史を無理やり教えられたら、親たちが協力して学校に苦情を申し入れる、もしくは転校させる、または自宅で教育するなどして抵抗する。職場で無理やり白人は皆人種差別者だというクリティカルレースセオリーなどのトレーニングを受けさせられたら、こちらから人種差別だとして企業を訴えるなどしていかなければならない。

ビッグテックの横暴な言論弾圧で、民主党が言論の自由など信じていないことに多くのアメリカ人が気づかされた。ビッグテックが独占するSNSで保守派の声はどんどん弾圧されるだろう。だが、今後は技術の発達により、どんどん個人的なサイトが可能になってくると私は思う。

たしかに今はアマゾンなど大手サーバーを使わないとサイトも立ち上げられないという状況だが、だからこそテック通の保守派がきっと必要に迫られて個人的なサイトの立ち上げが可能になると私は思う。

個人経営のユーチューバーが高予算のテレビプロダクションに出演する芸能人より人々に与える影響力が大きくなったように、大手のサーバーを使わない個人サーバーが絶対に出てくると私は思う。そうなったら一部の人々がすべての市民の声を弾圧するなどということは不可能になる。

だから我々は語り継がなければならない、トランプ大統領がアメリカの自由と安全を守るためにどれほどの努力をしてくれたのかを。そして何故これまでトランプ親ビン一人に任せてきた戦いを我々が引き継がなければならないのかを。


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戦闘は終わったが戦争は始まったばかり

普遍の正義という言い方は大昔にカカシがヤフーの掲示板でイラク戦争について話していた頃によく使った言葉使い。良いとされる行いは誰によるものでも讃えられるべきであり、反対に悪いとされる行為は誰によるものでも糾弾されるべきということ。すべての人を同じ基準で計るというのはそうそう容易なことではない。自分の仲間や好きな人や尊敬する人が間違いを犯した場合、それをきちんと批判することが出来るという人は意外と少ない。

しかし悪いことは悪いと言えないのであれば、正義などという言葉は意味がない。先日のトランプ支持者による議事堂襲撃はどんな理由があるにせよ正当化することは出来ない。またあのような結果になったことにトランプ大統領に全く責任がないと言うこともできない。一月六日にワシントンDCに集まって抗議しようと呼びかけたのはトランプ大統領自身だから。

私は議事堂への襲撃がトランプ支持者たちが計画的に行ったことだとは思っていない。ましてやトランプ大統領自らが煽った行為だなどと言うつもりは毛頭ない。多分支持者のなかに混じったアンティファ工作員が首都警察と内通してことの暴走を煽ったのだろう。だが、誰に煽られたにしろ、審議中の議事堂に乗り込むなどという愚かな行為に参加したトランプ支持者たちには憤りを覚える。DCに集まって感情が高ぶったのも分かる、今までの不満が爆発したのも分かる。だが、最後の最後で暴力沙汰に至るなら、BLM/ANTIFAの連中とどんな差があるというのだ?敵に我々を責める弾丸を与えてしまったようなものだ。

この戦闘は明らかに我々の敗北に終わった。選挙自体はトランプ大統領の圧勝だったと確信するが、敵による不正があることは十分予測できていたにも関わらず、味方の守りはあまりにも甘かった。

敵がどれほど汚い手を使ってくるかがはっきりした以上、今後の選挙で勝とうと思うなら、こちらにも相当の覚悟が必要だ。

激戦州の多くは州議会は共和党が多数議席を握っていた。にも拘わらず、これらの共和党議員たちは民主党の選挙管理委員会や民主党法廷のやりたい放題を許してしまった。もともと郵便投票は特定の条件を満たしていなければならないという州憲法を無視し大量の郵便投票を認め、選挙締切日の延長を議会の認定なしに行った法廷を黙認してしまった。開票時に共和党監査員が立ち入りを拒否されたり、監査を阻害されたりしても共和党議会は何もしなかった。

もし今後、今回のような不正を防ぎたいと本気で思うなら、共和党は今回のような失態を絶対に起こしてはならない。それで私の提案だが、

  1. タッチパネルによる投票を廃止し、すべて紙の投票用紙を使う。タッチパネルを使っても投票が紙に印刷され、それが数えられるのであればよしとする。
  2. ドミニオン集計機の撤廃。この集計機を使った不正があったと断言はしないが、不正がしやすいソフトが入っていることは明白なので、安全確保が出来ない以上使用禁止にする。
  3. 開票時の監査は民主/共和双方の監視員を義務付け、共和党監査員を邪魔する職員はその場で逮捕する。共和党は地元警察とあらかじめ話合い、共和党監査員の身の安全を保証する。
  4. 選挙管理委員会が全員民主党の管轄になるようなことを許してはいけない。どの地区であろうとも必ず共和党メンバーが入るようにする。
  5. 憲法に従った選挙を実施し、例外を認めない。

不正が起きてしまってからでは、どれだけ証拠を集めてみても選挙結果を覆すことは出来ない。それは今回のことで十分学んだはず。もし共和党が共和党として存続したいのであれば、選挙不正は徹底的に取りしまわねばならない。

選挙に関する提案はこのくらいだが、実はもっと大事なことがある。その話は長くなるのでまた次の機会に回そう。


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起こるべきして起きた米ボーイスカウトの破産宣告

先日ボーイスカウトは性虐待に関する多数の訴訟の賠償金を払いきれず破産宣告をした。下記はニューズウィークの記事より。

ボーイスカウトアメリカ連盟は、過去の性的虐待に関する数百件の賠償訴訟によって巨額の賠償の支払いに直面する見通しとなったことから、18日に破産申請を行った。

デラウェア州の裁判所に提出された破産申請によると、連盟の負債は10億ドルという膨大な金額に上り、連盟の資産は100億ドルとされている。

創設から100年以上の歴史を誇り、現在も200万人の青少年メンバーを抱える連盟は、全国で次々に提訴される賠償訴訟を受けて、2018年12月から破産申請の準備を進めていた。 今後は破産保護のもとですべての訴訟を統合して和解交渉に入り、最終的に一括の和解合意を目指すと見られている。 (略)

連盟のジム・ターリー全国議長は破産申請に際して、「連盟は(被害者の)皆さんを信じているし、必ず賠償に応じる。皆さんと家族にカウンセリングを提供するプログラムも用意している」と、被害者と家族に呼び掛けた。被害者への賠償を進めるうえで信頼を維持するために破産を宣言した、とターリーは話している。

私は知らなかったのだが、カリフォルニアをはじめ幾つかの州で一時的に性虐待犯罪の時効を停止し、何十年前の犯罪でも民事裁判を起こしても良いという法律が通ったという。それで1944年から何十年にもわたるスカウトマスター(指導員)による男児への虐待をさかのぼって訴えることが出来るようになったということだ。

実は私もミスター苺も米ボーイスカウト(BSA)が性虐待の訴訟によって壊滅するであろうことは10年前に予測していた。当時からBSA内における大人による男児への性虐待は問題になっていたが、それに加えて左翼連中から同性愛者をBSAに入隊させろという圧力が非常に強くかかっていたからだ。

実はBSAにゲイを入隊させろという訴訟は最高裁判所まで行き、20年前の2000年にBSAの勝利で終わっている(Boy Scouts of America et al. v. Dale)。最高裁はBSAは民間の宗教団体であり親交の自由が保証されており、その方針を変えることで団体の運営に多大なる障害となる場合、特定の人間の入隊を拒むことが出来ると裁断を下したのだ。

ところがその10年後の2010年、今度は過去にスカウトマスターたちによって性虐待を受けたという元隊員たちからBSAを相手取った訴訟が相次いだ。ゲイ隊員を拒絶していてもこういう事件が起きるのであれば、入隊を受け入れたりしたらどんなひどいことになるか、それを懸念してBSAはずっとゲイ入隊を拒んできたのだろう。

しかし残念なことにBSAは2013年にゲイ隊員の入隊を受け入れた。もうこの時から私もミスター苺もこれでボーイスカウトは終わりだと思った。

BSAのピークと言えば1969年、ニール・アームストロング氏が月面に足を踏み入れた年だ。当時のメンバーの数は六百万人。50年後は2百万に減り、ユタのモルモン教支部の脱退でメンバーの数は1/5となってしまった。最近ではメンバーを獲得するためにボーイスカウトの名前をスカウトBSAと変えて女子メンバーを勧誘するまでに落ちぶれてしまった。

いったいどうしてこんなことになってしまったのか? フェデラリスト誌で去年アルフレッド・シーワーズ教授がボーイスカウトは経済的のみならず道徳的にも破産していると書いている。

BSAはもともとキリスト教宗教の道徳観念を根本にして心身ともに健全な男児を育てるという信念で始まった。にも拘わらず、最近ではLGBTQ+概念に汚染され、今年の大会ではコンドームを配るなどという話まで出ているという。そして神への忠誠を誓うという宣誓まで「神」でなく「人間愛」と差し替えられてしまったそうだ。

左翼リベラルは昔からBSAを目の仇にしてきた。神や家族を第一に考える団体は共産主義者たちには目の上のたんこぶだからである。BSAは裁判に勝ったとはいえ、多々の地域でその活動を妨害されてきた。これまで無料で使っていた公園の使用を拒絶されたり、学校での勧誘を禁止されたり、あたかも白人至上主義のネオナチ団体かなにかのような扱いをされてきたのだ。

BSAはそれに耐えて戦ってきたが、結局最後には左翼リベラルがBSA幹部に入り込みBSAの本質を内部から崩壊させることに成功した。BSAはゲイ隊員やリーダーを受け入れ、トランスジェンダーを受け入れ、そして女子まで受け入れた。

変わったのはメンバー構成だけではない。クリスチャンの教えの下に自制心を養うはずが、自己表現こそが美徳と180度変化。男子だけでセックスなど考えずに済む安全な場所であったはずがゲイだのトランスだのコンドームだのとセックスまみれの環境に変化。そしてボーイスカウト特有の厳しい肉体運動までも厳しすぎると優しい活動に変化。これではボーイスカウトの姿かたちも残ってやしない。道理でメンバーが減るわけである。

ボーイスカウトの性虐待やその隠蔽といった性質は決して褒められたものではない。宗教団体と言いながら、そのような悪い因子を許容してきたことに言い逃れは出来ない。しかし今の段階でBSAを訴えてみても被害者に損害賠償が支払われる可能性は低い。

BSA崩壊は左翼たちの陰謀だったとツイッターで書いたら、どこにそんな証拠があるのかと挑戦してきた奴がいた。それはBSAの辿った経過を見れば誰の目にも明なはずだ。左翼たちが執拗なまでに起こした訴訟また訴訟。最後には運営幹部の乗っ取り、BSAは経済的にも道徳的にも破綻してしまったのである。

参考:The Boy Scouts’ Bankruptcy Is Not Just Financial. It’s Moral


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予定外の子供なんて存在しない、妊娠中絶反対を訴える力強い映画、アンプランド(Unplanned)

先日、アラバマ州で非常に厳しい人工中絶規制法が通った。それで私は書きかけでそのままになっていた映画の話をしようと思う。

その映画というのは、アメリカの妊娠中絶専門施設プランドペアレントフッドのテキサス州にある支部の最年少局長としてやり手だった女性が、徐々にそのやり方に疑問を持ち、遂に反中絶運動家になるまでの話を描いたアンプランド。

プランドペアレントフッド(PP)とは家族計画という意味。この組織は表向きは避妊や妊婦への医療提供をするNPO無益法人ということになっているが、実は単なる中絶専門施設。アンプランドという題名は計画していなかったとか予定外のという意味で、PPの家族計画という名前にかけている。

映画は冒頭から中絶手術の生々しいシーンで観客を引き込む。主人公のアビーはPP支部の局長だが看護婦ではない。8年も務めていた自分の施設でも、それまで中絶手術に立ち会ったことは一度もなかった。彼女はその日たまたま手が足りなかった手術室に駆り出され、妊婦のお腹にエコーの器具をあてがう役を請け負った。そばにあるビデオモニターには、はっきりと胎児の姿が写っている。医師が吸引機を妊婦の胎内に差し込むと小さな胎児はあきらかに防衛本能をはたらかして逃げようとしている。そして吸引機が作動すると、胎児が動いていた部分が、あっという間に空洞になった。

私はこのシーンを息をのんでみていた。悲鳴を挙げそうになったので両手で口をふさいだ。嗚咽を抑えようと必死になった。あまりにもショックでその場から逃げ出したい思いがした。ふと気が付くと映画が始まるまでざわついていた劇場はシーンとしており、女性たちが私と同じように悲鳴を抑えている緊張感が伝わって来た。

この、冒頭から観客の感情をつかむやり方は非常に効果的だ。映画はその場面から十数年前に話がさかのぼり、主人公アビーが大学生だった頃からはじまる。アビー・ジョンソンとプランドペアレントフッドの出会いは彼女が大学生の頃、学校のサークル勧誘イベントで誘われたのがきっかけ。避妊に力を入れなるべく中絶を減らし、いざという時は安全な中絶手術を提供するという宣伝文句に動かされ、アビーはボランティアとしてPPで勤めはじめる。その後彼女は無責任なボーイフレンドとの間に出来た子供を中絶。親の反対を押し切ってその男性と結婚したが夫の浮気ですぐ離婚。離婚寸前に二度の中絶を経験する。自身の中絶体験は決して良いものではなかったのにも拘わらず、アビーは若い女性を救うためだという信念に燃えてPPで正式に勤め始める。

診療所では有能なアビーはどんどん出世し最年少の局長にまでなったが、彼女の良心に常に影を差していたのはPP診療所の前で診療所へやってくる若い女性たちに話しかけている中絶反対のキリスト教徒たち。また、敬虔なキリスト教徒であるアビーの両親もそして彼女の再婚相手で娘の父でもある夫もアビーの仕事には反対だった。

アビー・ジョンソンは悪人ではない。彼女は本当にPPが女性を救っていると信じていた。女性が妊娠中絶は非道徳的ではないと自分に言い聞かせるのは簡単だ。

先ず未婚で妊娠してしまったら、両親に未婚なのにセックスしていたことがばれてしまう、学校も辞めなきゃならなくなる、世間の偏見の目のなか貧困に耐えながら子供を育てなきゃならなくなる、養子の貰い手なんてそうそう居るわけないし、そんな家庭に生まれた子供だって幸せにならないだろう。たった一度の若気の至りで一生女の子だけが罰を受けるなんて不公平だ。それに、初期での中絶なんてまだ小さな細胞で胎児は痛みなど感じない。盲腸を取るより簡単な治療なんだから、、、などなどなど

しかしPPのカウンセラーは若い女性たちに中絶をすることによる肉体や精神的な影響について話すことはない。養子を迎えたがっている不妊症の夫婦がいくらでも居る事実も伝えない。ましてや一個の人間の命を自分の勝手な都合で殺してしまうということが如何に罪深いことなのかということを若い女性たちは教えられない。

中絶を法律で禁じても違法で危険な中絶をする少女たちは後を絶たないだろう。いくら禁欲を解いてみても本能には勝てない。だったら不覚にも妊娠してしまった若い女性たちが違法で危険な中絶をして命を落とすようなことにならないためにも、安価で安全な中絶施設を提供することの何が悪いのか。そう思いたい人の気持ちはよくわかる。

でも忘れないでほしい。中絶は母体のみの手術ではない。尊い命がかかわっているのだ。自分の身体をどうしようと余計なお世話だというが、胎児の身体は母親の身体ではない。母親だからというだけの理由で殺してもいいということにはならない。他に選択肢があるならなおさらではないか?確かに15~6歳で妊娠してしまったらどうすればいい?親にセックスしてることが知れてしまう。さっさと除去してしまいたい。その気持ちはよくわかる。でも彼女が抹殺してしまいたいその命をのどから手がでるほど欲しがっている夫婦もいるのだ。

私はアメリカの学校でどのような性教育がされているのか知らないが、避妊の話だけでなく、命の尊さについてもしっかり教えて欲しいと思う。

残念ながらPPのような組織がなくなるとは思えない。また、全国的に中絶を違法にすることが可能とも思えない。ただ、PPを無益法人ではなく営利企業として連邦政府からの補助金は今すぐやめるべきだと思う。大事なのは法律で禁じることではなく、若い人たちに中絶以外に選択肢があることを我慢強く説いていくしかないだろう。PPの柵の向こう側から祈っているキリスト教徒たちのように。いつか、アビーの心に届いたように、我々の声が届くように祈ろう。


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日本人はレイディースファーストとフェミニズムを混同している?

前回紹介した「なぜ日本人は席を譲らない?」についての感想をネット仲間(私が勝手にそう思ってる)のよもぎねこさんも同じオプエドについて全く違う反応を示していた。よもぎねこさんのブログエントリーを読んで日本ではレイディースファーストについてかなりの誤解があるのではないかと考えた。

よもぎねこさんだけではないが、日本の方々がレイディースファーストに抵抗を持つのは、それが必ずフェミニズムと結びつけて考えられるからではないだろうか。この際なのではっきり言っておくが、レイディースファーストとフェミニズムは同じではない。いや、それどころかこの二つは全くもって相反する思想であり、アメリカのフェミニストたちは往々にしてレイディースファーストを拒絶してきたのである。

もし日本のフェミニストたちが欧米ではやってるからというだけでレイディースファーストを取り入れようなどと考えているのだとしたら、その根底にある思想も解らずにただ欧米の習慣を妄信しているだけだというよもぎねこさんのおっしゃる通りだろう。

尤も連中が馬鹿フェミなのも、そもそも現在の馬鹿フェミ理論が、西欧の受け売りだからでしょう。だから男女の能力に差がない事を前提に男女平等を求めながら、「女性は男性に守られて当然」と言うレディーファーストの理論が完全に矛盾する事を理解できないのです。 つまり最初から物事を論理で考えているわけではないのです。

まさしくその通り。アメリカのフェミニストたちはその矛盾に気づいたため、ひと昔前のフェミニストたちは、男性からドアを開けてもらったりすると「私はフェミニストよ、ドアくらい自分で開けられます!」と怒ったものである。

日本でアメリカの文化について誤解が生じるのは、日本に入ってくるアメリカの政治的思想は往々にして左翼リベラルの思想なので、アメリカ全体がそうなのだろうかと勘違いしてしまうせいだろう。よもぎねこさんは、欧米に騎士道という考えがあって、それに従った礼儀作法があることくらいは知ってますとおっしゃっている。これは先のオプエドを書いた渡邊裕子さんが日本人は騎士道について知らないと書いていたことへの反論だ。もちろん私も日本人が西洋の騎士道について無知だとは思っていない。しかしながら騎士道は騎士のみならず女性にも求められる非常に保守的な礼儀作法なのだということを日本の皆さまはご存知なのだろうか。

だいたい騎士道などというものは男女の役割がはっきり分かれていた左翼フェミニストたちが心から嫌がる父系社会の賜物だ。しかも、西洋で騎士が存在していた12世紀頃の上流社会のしきたりだ。よって、そういう古臭い伝統を守っているのはアメリカでも保守的な人が断然多い。それで自分を革新派だなどと自負している左翼リベラルや、ましてや過激派フェミニストたちが支持しているわけはないのである。

日本の、特に日本の伝統を守りたい保守派の皆さまが西洋のレイディースファーストに抵抗を持つのは、西洋の悪い左翼的な考えばかり持ち込む日本の馬鹿フェミどもが欧米でやってるから日本でもやるべきと喚いているからなのではないだろうか? だとしたらそれは大変な誤解だ。

レイディースファーストはフェミニズムとも左翼リベラルとも無関係だ。今の西洋におけるレイディースファーストは、単に西洋の人々がユダヤ・キリスト教の教えに基づいて隣人への愛を表現しているにすぎない。それが日本社会に合うかどうかは日本人が決めることだが、男女問わず回りの人々に暖かい手を差し伸べることは決して悪いことじゃない。


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レイディースファーストと文明社会の関係

日本人はなぜ席を譲らない?」というニューヨーク在住の 渡邊裕子(わたなべ・ゆうこ)さんというビジネスコンサルタントのオプエドを読んで、かなり共感することがあった。実はツイッターでこの記事を批判的にツイートしている人がいて、どうせまたニューヨークリベラルの出羽守さんによる日本批判なんだろうと思って読んでみたら、全く内容が違っていたので読者諸氏と共に考えてみたいと思う。

渡邊女史は仕事の関係でよく日本へアメリカの同僚と共に出張で来るそうだ。その度に、欧米の男性は妊婦やお年寄りにすぐに反射的に席を譲るのに対し、日本の男性は若者でも優先席にのさばっていたり、重たい荷物を持っていても持ってもらったことはなく、かえってもたもたしていると「もたもたしてんじゃねーよ」などと言われると語る。そんなことをいうくらいなら手伝ってよ、と思ったというが、全く私もそう思う。

さて、面白いのは、渡邊女史がこの話をツイッターでしたところ、多くの男性から抗議の声があがったという。なんで女性ばっかり優先しなきゃならないんだ、男女平等なのに女性をかばえというのはおかしくいないか、日本はニューヨークより犯罪がすくない、などなど。

私がした座席についての指摘を「日本とアメリカ(あるいは東京とニューヨーク)とどっちが優れているか」という比較にすり替え、「だから日本の勝ち」と結論づけようとしているところだ。私は日本が悪い国だとも、アメリカが完璧だとも言っていない。日本はいいところがいっぱいある国だし、アメリカだってそうだ。そしていずれも完璧ではない。でもある種の人々には、日本のある側面を批判されただけで全否定されたように聞こえてしまうのかもしれない。

それと彼女が指摘しているように、レイディースファーストという概念に抵抗がある日本人男性が非常に多いということだ。私もツイッターで、どうしてもレイディースファーストが嫌だという人に出会ったことがある。私は女性はか弱いのだから守ってあげようという男性的な本能はないのか、と聞くと、家族ならともかく、赤の他人に女性だというだけで優しくしてやる義理はないと言われた。

日本人がレイディースファーストを理解できないのは、そんな概念を知らないからというのは本当だ。日本人は親切で色々やさしくしてくれるし、おもてなし精神も高い。だが西洋的礼儀作法は昔から教育されていなければとっさにでるものではない。

アメリカでは男女問わず、他人のためにドアを開けてあげるというのはごく自然だ。自分が先にドアを開けた場合には後ろを振り向いて後ろの人ためにドアを開けておくというのは普通だ。エレベーターなどで女子供を先に降ろすというのも普通だ。日本でこれをやると皆おろおろして戸惑うことが多い。

だがいったいこれはどういう精神から始まったのだろうか?

私は出羽守になって日本もアメリカの礼儀作法に見習うべきだなどとお説教をする気はない。だが、レイディースファーストをする国々が何故か先進国ばかりだという点には注目する価値がある。

昔、たしかバーナード・ルイス著のWhat Went Wrong?という著書のなかで、19世紀だかにイスラム圏の王子がイギリスに留学した際、イギリスの紳士がやたらと淑女たちに敬意を表することに驚いたという記載を読んだ覚えがある。イギリス紳士は乗馬中に淑女たちの馬に遭遇すると必ず道を譲り帽子を傾けて挨拶する。食卓などで淑女が立ち上がると紳士らは一斉に立ち上がるなど、男尊女卑を極めたイスラム圏諸国では見たことのない光景だった。当時のイギリスは全世界に植民地を持つ大帝国であった。明らかに男性が権力を持つこの大帝国において、何故男性たちはこのように女性を大事にするのだろうか。イスラム王子にはこれは非常な謎であった。これがいわゆる西洋社会の騎士道というものだ。

なぜか女性を大切にする社会は文明が発達する。男尊女卑の最たるものであるアラブ諸国やアフリカなどが未だに発展途上国なのも、比較的女性の地位が低いアジア諸国がまだまだ西洋諸国においつけないのも、もしかすると男尊女卑が原因なのでは?

しかしそうだとするならば、日本はレイディースファーストなんて西洋の真似をしなくても十分文明社会だ、とおっしゃる方もいるだろう。しかし日本社会は西洋とは違うやり方で女性の人権を尊重しているのではないだろうか。

例えばアメリカの家庭で女性が財布の口を握っているというのはあまり聞いたことがない。旦那さんが働いて、女性が家計を握って旦那さんにおこづかいをあげるなんて、アメリカ人男性にいったら飛び上がるほど驚くだろう。(苺畑家でもミスター苺が家計のきりもりをしてるから)。

私はグローバル化のために日本人男性だけにレイディースファーストを押し付ける気は毛頭ない。これは男性だけの問題ではないからだ。渡邊女史も指摘しているが、日本人女性は他人に何かしてもらうことに慣れてない。

去年日本に帰省した時、女友達のためにドアを開けているのに、彼女はまごまごして中にはいらない。それどころかドアを開けてる私に向かって「どうぞお先に」とまで言った。ドアを開けてる人にそれを言っても意味がない。それで私はこの人は他人にドアを開けてもらったことがないんだなと悟ったのである。

また、同じく去年、駅の構内で気持ち悪そうに柱につかまっている初老の女性が居た。周りの人は彼女を無視して通り過ぎて行った。私はすぐに彼女に「大丈夫ですか」と声をかけたが、「ちょっとめまいがしてしまって、こうしていれば良くなりますから」と申し訳なさそうに言う。私は駅員さんを呼んで助けてあげて欲しいと言った。こういう時に遠慮は不必要だ。

レイディースファーストは、決して女性への特別扱いでもなければ日本文化に対する攻撃や批判の道具でもない。単に回りの人たちへの気遣いや思いやりだ。日本が本当の意味でのおもてなし国家なら、行儀の悪い外国人観光客のために行きすぎな配慮をするより、(公共施設でのハングルや中国語の表示などといった)ごく自然に出来る他人への思いやりから始めてはどうか。

日本人は十分に親切な民族なのだから、その自己アピールを簡単に出来るところから始めても決して損はないと思う。


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