ホロコーストも十字軍も教えちゃ駄目! イギリスの諸学校歴史の書き換え

イギリスではイスラム教生徒らの気分を害さないようにと、学校のカリキュラムからホロコーストや十字軍に関する授業を削除する傾向が増えているという。イギリスの教育界も左翼連中に乗っ取られたとみえる。以下はデイリーメール紙から

政府の調査では諸学校でイスラム教生徒の気分を害さないため、歴史の授業からホロコーストを削除するところが増えていると発表した。
調査によると教師のなかにはホロコースト否定論を信じる生徒を傷つけるのを恐れてこのような虐殺を教えたがらない人がいるという。
また11世紀にエルサレムでキリスト教徒とイスラム軍が戦った十字軍について教えることに抵抗する傾向もある。それというのもこれは地元のイスラム聖廟で教えられていることとよく矛盾するからである。
この調査により学校によっては歴史を使って政治的に正しい政策が促進されているという批判が上がっている。

この調査は小学校と中学校の歴史の授業を対象に行われたが、教師らはこれらの話題に反発した「反ユダヤ思想」をもっているイスラム系生徒らから抗議を受けるのを怖がって、なるべくはやくこの問題を取り上げるのをやめようと必死らしい。

歴史教育アドバイザーで元トーリー政権のアドバイザーだったクリス・マクガバン氏は「歴史は政治的なただしさの道具ではありません。子供たちはこうした問題のある主題に関して知識を得る手段をもつべきです。それが口にあったものであろうとなかろうと。」

ナチスドイツではユダヤ人を悪徳な金貸しだとか、女性を冒涜する犯罪者だらけだとかいうイメージ作りから始まり、ユダヤ人迫害への道へと進んだ。イギリスをはじめヨーロッパでは今まさにその歴史が繰り返されようとしている。
もう二度と起こしてはならないという歴史の教訓がユダヤの敵過激派イスラム教徒らによって書き換えられていくのをイギリスの教師らは正面から立ち向かうどころか、生徒から反論されても子供たちに適切な説明をする能力もなければ根性もなくただ避けて通ろうというのである。
すでにイスラム過激派の対象はユダヤ教だけでなく反キリスト教へも進んでいる。そのうちイギリスの生徒らは十字軍の存在すらも知らずに育つことになる。ヨーロッパの暗黒時代に終止符を打ち、ルネッサンスを迎えるにいたって重大な役目を果たす十字軍の歴史。エルサレムがキリスト教の手からイスラム教徒に奪われたのを奪い返した歴史もイギリスは忘れようとしている。
まったく情けない。偉大なる帝国の名が泣くよ。


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21世紀を目指す穏健派イスラム教徒の試練

先日空飛ぶイマーム達に訴えられている乗客を救う会を結成したアリゾナ住まいのイスラム教徒医師、ジャシャール医師(Dr. Zuhdi Jasser)を紹介したが、今日のミネソタ州のスタートリビューン紙に彼の過激派イマームたちとの戦いの模様が掲載されている。著者はキャサリーン・カースティン。
911が起きた時、ジャシャール医師はイスラム教がテロリストに代表される過激派イスラミストらに乗っ取られるのを心から恐れた。2003年同じような考えのアリゾナ州在住のイスラム教徒らとthe American Islamic Forum for Democracy(アメリカイスラミック民主主義討論会)を結成。
「私たちは親イスラム教ですが、反イスラミストです。」と医師は語る。医師の言うイスラミストとは宗教と政権は切ってもきれない関係にあり、聖職者が政治のリーダーであるべきだというものだ。
ジャシャール医師はアリゾナ州では結構有名らしいが、全国的にはあまり知られていなかった。それがこの間の空飛ぶイマーム事件で同じイスラム教徒でありながらイマームたちの「差別された」という抗議に真っ向から反対する人として全国的に注目を浴びた。
「アメリカ人は宗教的な感覚を傷つけるのを恐れすぎています。我々イスラム教徒が率先して『これはお祈りの問題ではない、空港の警備の問題だ』と主張すべきなのです。」医師は自分は一日に4回きちんとお祈りをするし、家族と公園でピクニックをする時に外でお祈りを捧げることもあるという。だが、911以後空港警備は国内警備の門でありそこで他人の迷惑も考えずにこれまで通りお祈りをする権利があると考えるイスラム教徒は鈍感すぎると医師はいう。
イマームたちは自分達の席で静かに祈ることもできたし、家に帰ってからゆっくり祈ることもできたはず。医師は敬虔なイスラム教徒はなにも厳しい規則に従うだけが能ではないとし、「お祈りというのは自分の信心深さを世界に訴えるためのものではありません。個人と神との約束ごとです。」と加える。
実はジャシャール医師と空飛ぶイマーム達がぶつかったのは今回が初めてではない。6人組のひとりであるアクメッド・シャケイラット(Ahmed Shqeirat)氏が常時説教をしているテンプルイスラミックコミュニティーセンターという聖廟にジャシャール医師は昔よく通っていたのだそうだ。しかし911以後聖廟での説教がテロリストを糾弾するどころかアメリカが一方的に悪いといった内容であることに反感をもったという。医師は聖廟は宗教の場で政治の場ではないと抗議するとシャケイラットはジャシャール医師は世俗主義で信心が足りないと逆に批判したという。
ジャシャール医師は2004年に「イスラム教徒と立ち上がってテロリストと戦う会」という反テロリストデモ行進を主催した際にもイマーム達は参加を拒んだという。
アセアンさんは、聖職者でもない一介の市民がいくら声を大にして騒いでみても、所詮イスラム教徒への影響力などなく、イスラム教を生まれ変わらせる力になどならないと言う。だが私はそうは思わない。ジャシャール医師によると彼のような考えを持つイスラム教徒はたくさんいるという。

「私はこの国に住むイスラム教徒の多くの人々の意見を代表していると思います。」とジャシャール。「彼等はテロリスト擁護や政治的な説教には腹をたてています。大多数のひとたちが精神的な方針と政治的な方針とを区別したいと考えているのです。」

アメリカに住む大多数のイスラム教徒がジャシャール医師のような考え方だというのはちょっと信じがたいのだが、それが本当なら歓迎すべきニュースである。しかしジャシャール医師の政教分離の考えはイスラム教にとっても決して異邦な考えではない。それどころかイラクでも最も尊敬されている偉大なるアヤトラ・シスタニ師も聖職者は政治家になるべきではないという考えを明らかにしている。だとすれば21世紀のイスラム教徒たちはイスラム教を国教として政教を同一視しているイランのような国こそが、イスラムを誤って解釈しているのだと主張することができるわけだ。ジャシャール医師のような21世紀のイスラム教徒はイスラム教が何かあるごとに原点に戻るという概念を逆手にとって、「政教分離こそがイスラムの原理だ」と主張すればいいのである。
聖戦とは個人の精神的な葛藤を意味する、異教徒の身体を殺さずとも、イスラムの教えに従わない異境徒は精神的な死を体験する、と解釈していけばイスラム教を裏切らずに21世紀の宗教に生まれ変わらせることができるのだ。
私はタルムードを読んだことがあるわけではないのでこれはミスター苺からの受け売りだが、ユダヤ教にも昔の教えには色々とおかしなものがあるという。だが、タルムードの便利なところはユダヤの昔の教えはその時代に合ったものであって、現代社会にはあてはまらないという説明が事細かにされている点だというのである。
キリスト教もカトリック教会が政治を征服している時代があったが、マーティン・ルターなどのような人々が「協会は聖書を間違って解釈している」と唱えはじめ、キリスト教は原点に戻る必要があると考えはじめた。これがキリスト教が新しい時代の宗教として生まれ変わる発端となった。
彼等のいう「原点に返る」という概念が文字どおりモハメッド時代の考えに戻るという意味でなくてもいいのだ。単に現代の信者たちが「本来こうあるべきだ」と納得することさえできればいいのである。
国家単位でもトルコのように厳しいシャリア法を取り入れず、政教分離を実現させ、西洋のような民主主義ではないとはいえ、なんとか現代社会に参加している国もある。フセイン時代のイラクやシリアに占領される前のレバノンが世俗主義だったのは周知の事実だし、聖職者が政権を握っているイランでさえも、決して原理主義のイスラム教を政治に取り入れているとはいい難い。イランに長年すんでいた人からきいたことがあるが、イラン社会は案外世俗主義で女性はバーカなど着ないで西洋風の服で闊歩しているといっていた。
つまりこれらの国々では人々は口でなんといおうと本当は現実社会とシャリアの共存が不可能なことを知っているのである。だから私はイスラム諸国が現代化することは可能だと考えているのだ。ただ、彼等の多くが種族主義部族主義であることから、「仲間対よそもの」意識が先行し、イスラム教徒が異教徒と争っていると自動的にイスラム教徒の味方をしてしまうという悪癖が彼等にはある。
ジャシャール医師のような穏健派には厳しい試練がまっている。だが、彼のように誰かがはじめなければイスラム教は滅亡の道を歩む以外にない。我々非イスラム教徒は穏健派を応援し奨励することはできるが、終局的に滅亡を選ぶか現代化を選ぶかはイスラム教徒らにかかっているのである。


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アメリカ初のイスラム教議員イスラムテロの本性現す!

アメリカ初のイスラム教徒の議員として今年から下院議員となったキース・エリソン議員。就任式の時にも聖書ではなくコーランをつかって宣誓をするとだだをこねて話題になった。選挙運動中から反対派はエリソン氏は過激派黒人イスラム教団体やアラブ系テロの看板団体CAIR(イスラムアメリカ評議会)などと深いつながりを持っている危険人物だと主張していたが、地元のミネソタ州メディアは反対派による人種差別だと言い張ってエリソン議員とテロリストとの関わりを全く報道しなかった。
おかげでエリソン議員は当選したが、この間の空飛ぶイマームたちの訴訟事件がきっかけで、ついにエリソン議員はそのテロリストたる本性をあらわした
米国下院議会で火曜日、共和党議員らによって公共交通機関を利用する乗客らが挙動不審な人物を通告する際、後に訴訟などの標的になるのを防ぐ議案が提案された。これはすでに訴訟の起きている空飛ぶイマーム事件のようなことを防ぐのが目的で、議案は304対121で圧勝した。
興味深いのはイスラムテロリストプロ市民団体代表議員のキース・エリソン議員が率先してこの議案に反対したということだ。なぜ、アメリカの議員がアメリカの一般市民がアメリカ人の安全を守るためにテロリストと思われるような危険人物を通告することを阻止しなければならないのだ?  なぜアメリカの議員がアメリカを攻撃するテロリストが行動しやすいような状況を作ろうとするのだ?
エリソン議員を選んだミネソタ市民はこの話に注目しているのだろうか? それともミネソタの新聞はこのニュースも黙殺するのかな?


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アメリカを毒するシャリア法

イスラム過激派による欧米攻撃は飛行機乗っ取り、列車や自動車爆破といった自爆テロなどという軍事攻撃だけではない。彼等による西側メディアや西側の寛容な人権保護法や移民法を悪用した民間レベルの攻撃も非常に周到に行われている。
すでに欧州ではその数を生かして、イスラム過激派はどんどんイスラム系市民への特権を手に入れているが、アメリカ国内でもその運動は非常に盛んだ。ここでも何度も紹介している空飛ぶイマームたちの訴訟などもその攻撃計画の一部である。そこで今回はアメリカ国内でイスラム過激派のプロ市民たちがどのようにシャリア法を設立しようとしているのかについて話してみたい。
まず、アメリカ下院議会で紹介されているイスラムテロリストを守る特権法の提案について紹介しよう。(Hat tip Gates of Vienna)
下院議員のジョン・コンヤース(民主)氏によって提案されているこの議案は、コーランへの冒涜禁止という題目ではあるが、このほかにも色々とこまかい規制が含まれている。例えば、空港でのイスラム教徒へのプロファイリング(テロリストの容貌にあてはまる人間を対象にした検査)の禁止、学校におけるイスラム祈祷の権利、ヘイトクライム(人種差別を動機とする犯罪)の定義拡大によりヘイトスピーチ(差別的な言論)との差をぼやかそうというものなどである。
このような法律が通れば、常識的な対テロ政策がイスラム教徒への差別だとして批判され、イスラム批判をすればヘイトクライムだヘイトスピーチだと言われて犯罪者扱いされかねない。自由社会の基盤となる国内警備や言論の自由や宗教の自由など完全におさらばである。
そしてこのような法律を後押ししているグループは、the American-Arab Anti-Discrimination Committee (ADC、アラブ系アメリカ人反人種差別委員会), the Arab American Institute (AAI、アラブ・アメリカ研究所), the Muslim Public Affairs Council (MPAC、モスレム公共協議会), the National Association of Muslim Lawyers (NAML、全国モスレム弁護士協会), and the Islamic Society of North American (ISNA、北アメリカイスラム協会)、そしてもちろんアメリカイスラム評議会(CAIR)やモスレムアメリカソサエティー(MAC)といった面々だ。
おそろしいのは、アメリカの司法省がこのようなイスラム系グループと国土安全保証対策について審議しているという点である。まるで強盗に家の戸締まりの仕方を相談しているようなものだ。Gates of Vienna(ゲイツオブビアナ、ウィーンの門の意味)の著者バーロン(Baron Bodissey)は、これはトロイの木馬だと表現している。

つまり、司法省の宗教差別対策がCAIR, ISNA, MAS (共産主義団体のANSWRと3月17日の反戦デモを共催した団体)そしてMPACといったグループの指導者たちによって先導されているのである。

以前から言っているように、これはアメリカ憲法の真ん中にトロイの馬が運ばれてきたようなものだ。これを阻止したいのであれば我々の声は聞かれなければならない…
もし今回眠ってすごしてしまったら、次回の議事はもっと通りやすくなってしまう、そしてその次、その次と続くだろう。
そしてある日気が付いた時には、イスラム宗教の自由を守る項目には、イスラム教徒の水泳プールは男女別々になり、学校の給食には豚肉を含まないメニューが保証され、イスラム系諸国での紛争にはアメリカ軍を出動させないなどの規制が含まれるようになるのだ。
つまり、アメリカはユーロアラビア(アラビアに侵されたヨーロッパ)のようになってしまうということだ!

空飛ぶイマームたちや、イスラム教徒らによるタクシー乗車拒否、豚肉販売拒否などで話題の多いミネソタ州でも、シャリア法設立の動きは活発である。これについてウォールストリートジャーナルの電子版、オピニオンジャーナルにおいてキャサリン・カーステン(Katherine Kersten)が書いている

いったい(ミネソタで)何がおきているのか?どうやらこれは地元の状況と大掛かりな動機をもつ政治活動家とが関わっているようである。タクシー運転手の例をとってみよう。ミネソタは何千何万という(アフリカの)ソマリアからの移民の里となっており、そのほとんどが最近の移民である。楽屋裏では穏健派ソマリア指導者たちと無防備な新移民を利用しようとする全国レベルのイスラム教政治組織との間で勢力争いが起きているのである。タクシー運転手の乗車拒否を拒絶するソマリア人らは、イスラム教はアルコールを飲むことは禁止しているがアルコールの輸送は禁止していないという。しかし2006年の6月、モスレムアメリカソサエティー(MAS) のミネソタ支部はイスラム教運転手に「罪に協力するのを」避けるためアルコール輸送禁止ファトワ(イスラムのお布れ)を発布した。

ファトワに調印した一人であるハサーン・モハムッドは、(タクシーの上に)二つのライトをつける案を全国の職場や住居などにおけるイスラム教徒への計らいのモデルとして奨励した。しかしセントポールにあるthe Somali Justice Advocacy Center(ソマリア正裁弁護センター)のオマー・ジャマルはMASは「ソマリア移民を過激化させ中東のアジェンダで乗っ取ろうとしている」と語る…
これらの出来事から察するに、ここにはもっと大掛かりな作戦がある。人権法におんぶしてイスラム系活動家たちは空港警備と過激な人種偏見を均等視し、ゆっくりと二つの法的機構を設立していこうというものである。威嚇はその重要な手段だ。「空飛ぶイマーム達」の訴訟に当局に通告した乗客を含むことでアンテ(ポーカーで新しい札を引く前に出す賭け金)は引き上げられた。プロ市民たちはメディアをあやつる手管も完璧化させている。ワシントンDCのレーガン国内線空港において、「祈祷デモ」をやった後、すっかりだまされたMSNBCのアンカーは空飛ぶイマームたちのパフォーマンスをロザ・パークの市民運動(1960年代の黒人解放運動発端となった女性)とを同等に比較した。
この比較は間違っている。空飛ぶイマーム達のリーダーであるオマー・シャーヒン(Omar Shahin)はテロリズムを支持して閉鎖された少なくとも二つの慈善事業のために募金活動をしていた人間だ。2000年から2003年にかけてシャーヒンは(アリゾナ州の)ツーサン市でイスラミックセンターを先導しており、このセンターはテロ専門家のリタ・キャッツ(Rita Katz )がワシントンポストにおいて「基本的にアメリカ国内における最初のアルカエダ支部」と説明しているような組織である。CAIRはテロリストとの関連が長年取りざたされている問題ある団体だが、シカゴトリビューン紙はMASはイスラム原理教のモスレムブラザーフッドのアメリカ支部だという。 彼等は「宗教と政治は離しては考えられない、政権はいずれはイスラム教になるべきだ」と唱えている。

モスレムブラザーフッドとはエジプト発生の過激派テロ軍団で、アルカエダのナンバー2となったアイマン・ザワヒリが席をおいていたグループ。イスラエルと和平交渉を結んだエジプトのサダト大統領を暗殺したのもこのグループの仕業だといわれている。
ではここでまとめてみよう。アメリカ国内ではテロリストと深いつながりのあるイスラム系過激団体が、アメリカの機構を悪用してアメリカで特権を得ようとしているのである。彼等はアメリカにイスラム教の法律であるシャリア法を設立し、イスラム教徒と他のアメリカ市民とは別々の法律のもとに裁かれるという社会をつくろうとしているのだ。
これはまさに、イスラム教徒を特権階級となり異教徒たちが下層階級の市民として扱われた7世紀の中東社会にアメリカ社会をかえていこうという陰謀である。アメリカや日本および諸外国の反ユダヤの陰謀切論者たちは、ユダヤ金融の陰謀などというありもしない陰謀に頭を悩ませる暇があったら、アメリカ及びヨーロッパ社会を蝕むイスラム過激派による本当の陰謀に目を向けるべきである。なぜなら欧米がイスラムの手中に嵌れば、東洋やアフリカもイスラムの陰謀の手を逃れることはできなからだ。


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空飛ぶイマームから乗客を守ろうと穏健派イスラム教団体らが募金運動

ミネソタ州のミネアポリス空港で不振な挙動をしていた6人のイスラム教聖職者たちが飛行機への登場拒否をされたことで、航空会社を相手どって訴訟を起こした話しはこの間空飛ぶイマームの訴訟でした通り。
その時コメンターのhoneycatさんが、イマームたちはその場に居合わせて乗務員に挙動不審なイマームたちについて通告した乗客たちまで訴えているという話をしてくれたが、その乗客たちを訴訟から守ろうという動きがミネソタ地元の弁護士や穏健派のイスラム教徒たちの間で起きているという歓迎すべきニュースがある。
アリゾナ州にあるthe American Islamic Forum for Democracyというイスラム教徒の団体がそのひとつで、その代表者のジャシャール医師(Dr.Zuhdi Jasser)がラジオでビル・べネットにインタビューされている模様をパワーラインのリンクから聞くことができる。
トランスクリプトがないので、記憶からお伝えするしかないのだが、このグループはここでも何度か紹介したテロリストの看板団体CAIR(アメリカイスラム評議会)の陰謀によって訴えられそうな乗客や乗組員の弁護費を代償するため募金運動をすると買って出た。
ジャシャール医師はCAIRのようなグループは宗教団体などではなく政治的な野心まるだしの団体であり、イスラム教の教えに反した恥べく団体だと非難する。怪しげな行動をしている人間を通告するのは市民の義務であり、それを訴訟などを使ってイスラム教差別だのといって威嚇するやりかたは、イスラム系アメリカ人と一般アメリカ市民との溝を深めるだけでイスラム系市民への偏見を減らすことに何の役にも立たないという。「こんなやり方で溝を埋めることなどできません」と医師。また空の旅は「権利」ではなく「特権」であり、航空会社には乗客を守る義務が最優先されるべきなのだとも語る。
ジャシャール医師によれば、アメリカにすむ大多数のイスラム教徒は宗教家が政治的な指導者になるべきではないという考えであり、アメリカにイスラム教法のシャリアを広めようなどという野心は全くないと語る。ロバート・スペンサーのようにコーランにそう書かれているから宗教心の強いイスラム教徒ならシャリアを望むのは当たり前という考えには全く賛成できないという。コーランは7世紀の社会に適して書かれたものであり、現在の世の中で文字どおり通用するなどと考えるべきではないというのだ。
無論べネットはそれが本当ならなぜ多くのイスラム教徒がCAIRのような団体にイスラム教徒の代表のような顔をさせておくのかと質問する。
ジャシャール医師はイスラム系市民の間では宗教心というよりもそれ以前に部族主義の傾向が高く、それが多くのイスラム教徒を沈黙に追い込んでいるという。これらの沈黙の大多数を目覚めさせ、CAIRのような団体はイスラム系市民を代表しないということを今後も訴えていくことが大切だと語る。
カカシはジャシャール医師の見解に大賛成である。私はここで何度もロバート・スペンサーのコーラン解釈を紹介してきたが、その度にスペンサーの分析は大事な情報として把握する価値はあるものの、スペンサーのいう悪の元凶はイスラム教そのものという考えにはどうしても同意できないでいた。それというのも、我々非イスラム教徒がイスラム全体を敵にまわしてしまったら、それこそ第三次世界大戦は免れないし、その犠牲者たるや双方あわせても莫大な数になるだろう。終局的にイスラム教は滅びるかもしれないが、いったいその後の世界はどのような恐ろしいものになっているのかわからない。
私はコーランは7世紀に書かれたもので、その内容の多くは現代社会にはあてはまらないという考え方に非常に励まされた。大事なのはジャシャール医師のような人がもっと多くイスラム教徒の間から出て、穏健派イスラム教徒たちがCAIRや他の政治的なイスラム系団体に対して、彼等は我々イスラム教徒を代表しないと声を大にして訴えることだろう。
さて、イマーム及び彼等を背景であやつっているCAIRの理不尽な訴訟から被告となる乗客や乗組員を守ろうという動きはここ数日活発に起きている。

ミネソタの法律事務所Faegre&Benson LLPに所属するゲリー・ノルティング(Gerry Nolting)弁護士は被告の乗客を無料で弁護すると申し出た。士は法廷が「威嚇の目的で使われている」としそれは「完全に間違っている。このようなことは断固として阻止されるべきだ」と語った。

「公共方針としてFAA(連邦航空委員会)は乗客に本土警備計画の一旦として不振な挙動を通告するようにと要請している。」とノルティング氏。「(訴訟は)人種や民族などとは無関係であり、乗客を脅かすことによって、乗客が不振な挙動を通告するのを防ごうとするもので、安全な旅行を促進することを阻止するものだ。」とした。
また別のミネソタの弁護士、トム・マローン氏(Tom Malone)もこの訴訟は「非常にあからさまに人々を威嚇しようとするものだ」さらに「無理矢理に人々を黙らせようとしている」とし、無料の弁護を申し出ている。

もっとも裁判所はこのような訴訟は取り上げないのではないかという説もある。

「もし(乗客ら)らが常識の範囲内で行動し、常識的な態度をとっていたなら、損害の責任対象にはならない」とワシントンにあるShook Hardy & Bacon LLP法律事務所のパートナーでアメリカ訴訟法改正委員会(the American Tort Reform Association)の一般顧問でもあるビクター・シュワーツ弁護士は語る。

ノルティングやマローン弁護士を含む数人のミネソタの弁護士たちは、ミネソタ基盤の三人の弁護士が経営しているブログ、パワーラインなどを通して、他の弁護士たちにも無料で乗客らの弁護をするべく呼びかけている。
また、下院議会ではスティーブ・パース議員らが中心となってテロリストと戦うアメリカ市民を守る法律、H.R. 1640 (Protecting Americans Fighting Terrorism Act) が提案された。パース議員はその際下記のように語った。

アメリカの自由な機構が対テロの戦いにおいて我々に対抗して悪用されるというのは悲しいことであります。 私は初めてミネソタでイマームたちにより起こされた訴訟について聞いた時、これは明らかに、単に自分達の安全を守ろうとしたアメリカ市民に対する不正だと感じました。 これらの勇敢な市民は評価されるべきです。特に前例のテロ攻撃を示唆するような疑わしい挙動を通告するという行為ならなおさらです。

アメリカ人として我々は我々の生き方を妨害する人々の横暴を許してはなりません。我々はテロリストのシンパたちによってテロ行為を通告する前に人々が訴訟を恐れてテロ行為を通告するのを心配するようなことを許してはなりません。これが威嚇作戦であろうと大規模な攻撃であろうと、アメリカ人は自分達と同胞市民を守る義務があるのです。そこで私はアメリカ市民を守り、すべての市民がここアメリカにおいて対テロ戦争最前線において注意深く、発言力を持ち続けられるように、この法案を提案するものであります。

アメリカ人はテロリストの脅迫なんぞには怯まんぞ! というわけである。


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『モハメッドに関する真実』 その3

本日はロバート・スペンサー著のThe Truth about Muhammad『モハメッドに関する真実』感想文最終回。
原点に戻った聖戦主義たち
この間私はヨーロッパの暗黒時代に関するドキュメンタリーを観たばかりだが、当時のイスラム圏の文化はヨーロッパがローマ時代の文化を失い後退したのと反対に、文明社会を満喫していた。それがルネッサンスを迎えたヨーロッパに完全に追い越され、以来全く発展せずに中世のまま留まってしまった。以前に読んだバーナード・ルイス博士のWhat Went Wrong? という本にも書いてあったが、イスラム教徒は何か悪いことが起きると、「どこで我々は道を踏み外したのだろうか?」と自問いするという。それは決して悪いことではない。なんでもかんでも他人のせいにするよりはいい。だが、その結論が常に「イスラム教の教えを忘れたからだ」となってしまうという。だから苦境から脱するためには「イスラムの原点に戻ること」となってしまうのである。
中世にあれだけ発展していたイスラム社会の多くが7世紀に逆戻りしてしまったのは、モハメッド時代の原点に戻ろうという原理主義のせいなのである。そしてモハメッドの生き方を地で行ってるのが聖戦主義者たちなのだ。
異教徒を暴力で改宗させる、相手がそれを拒めば追放する、もしくは首を切る。女性の価値は男性の半分であり、性犯罪の罪を証明するには男性四人の証言が必要だなど、すべてコーランに書いてあるのだ。
スペンサーにいわせると、タリバンなどはイスラム教の過激派でもなければイスラムを間違って解釈したのでもなく、タリバンのような聖戦主義者たちこそがイスラムの代表なのだ。だから西側の人々はイスラム教を「平和な宗教」などといって美化してはならない。その本質を理解しその危険性に対抗しなければないのだ。
イスラムとの共存は可能なのか?
私はイスラエルとパレスチナの紛争をみていて、彼等が平和共存することは不可能だといつも感じる。そしてその原因は一重にパレスチナ側にあると考える。これは決して私がイスラエル贔屓だから言うのではない。ユダヤ教には異教徒を暴力でユダヤ教に改宗させなければならないなどという教えはない。それどころか、ユダヤ教は父親がユダヤ人でも母親がユダヤ人でなければユダヤ人として認めないとか、かなり排他主義的なところがあり、はっきり言ってユダヤ人は宣教とか布教ということに興味があるとは思えない。
だがパレスチナの原理主義者たちは異教徒、しかも宿敵(mortal enemyは宿敵でいいのかな?)であるユダヤ教国家が聖地エルサレムに在するなどもってのほかだ。イスラムをモハメッド時代にさかのぼって解釈したならば絶対に許せることではない。
ではイスラムと西洋社会は共存できないのだろうか? 私はそうは思わない。
私はスペンサーの引用したコーランのなかでも、文字どおりの解釈をせず現代風のスピンを加えた解釈がいくらでもできると感じた。もしイスラム教徒のなかにコーランの新しい解釈をするだけの勇気のある人がいるなら、イスラムが7世紀の原始的な社会から文明社会へと参加することが可能だと私は考える。
だが、そのためにはイスラム教徒自身がその道を選ばなければならない。彼等のなかで命の危険を覚悟でコーランの現代風解釈をイスラム社会に広めなければならない。
西側諸国はスペンサーの警告に耳を傾けるべきである。これを無視することは致命的な間違いをおかすことになる。イスラム原理教の脅威は真実である。だが、もし我々現代人がイスラム対文明社会という悲惨な最終戦争を望まないのであれば、我々は穏健派イスラム教徒に訴えなければならない。
イスラム教は平和な宗教だ! イスラム教の教えは暴力での征服を求めない! イスラム教は異教徒を寛容に受け入れる! と、、
十字軍やスペイン宗教裁判などで象徴される不寛容で残虐だったキリスト教が生まれ変わったように、イスラム教も生まれ変わることができるはずだ。ただ、キリスト教がかかったような何百年という時間を待つような余裕はイスラム教にも西側にもない。
世界が宗教戦争で滅びないうちにイスラム教が生まれ変わってくれることを神に祈ろう。


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『モハメッドに関する真実』 その2

引き続き今日はロバート・スペンサー著のThe Truth about Muhammad『モハメッドに関する真実』をご紹介しよう。
都合のいいお告げ
モハメッドは一生の間何度も天使ガブリエルからお告げを受ける。しかしモハメッドのお告げは非常にご都合主義なのだ。これも聖書に出てくるユダヤヤ・キリスト教徒らが神から受けるお告げとかなりの違いがある。
例えばモーゼは神から十戒をさずかり、それを広めることを命ぜられる。キリストは神から人々の罪をしょって自分の命を犠牲にするよう命じられる。どちらも神から試練を与えられた。彼等の個人の意志や願望とは裏腹なものである。
だがモハメッドが受けるお告げは非常に自分勝手なご都合主義のものが多い。例えば自分の養子の先妻を気に入って結婚したいと思うと、都合良く神のお告げを受け、普通はスキャンダルな結婚がなぜかモハメッドだけには許されたりするし、和平交渉を結んだ敵との条約を破って攻め入るときも、イスラムが勝つためには異教徒との約束ごとは無効になるというお告げを受けたりする。
どうりでパレスチナがイスラエルとの停戦条約を守らないわけである。コーランにちゃんとそう書いてあるのだから。
特権階級としてのイスラム
スペンサーによると、イスラムには世界中の誰にもあてはまる普遍の法則というものはない。イスラム教徒は特別なのであり、異教徒と同じ法律に従う必要はないという考えなのだ。ここがユダヤ教などとは全く異なる点だろう。
例えばユダヤ教は公平な裁きを要求する。法律は誰にも同じように当てはめられなければならないという考えだから、王様でも乞食でも同じ法で裁かれるべきであり、神様でさえ自分の作った法をやぶるべきではないと考える。
腐敗したソドムとゴモラを滅ぼそうという神の意志に対して、アブラハムは「いくらなんでも一人も善人がいないってこたあないでしょう。大半の人口が悪いからって罪のない善人まで一緒に滅ぼしてもいいんですかい? ひとりでも善人がいたらどうするんです?」と神と交渉する。古(いにしえ)の時代でもやっぱ弁護士はユダヤ人に頼むべきだという証拠である。(笑)ユダヤ人が世界中で嫌われるのはこういうふう誰に対しても公正な裁きを要求するからだという説もある。
しかしイスラム教はそうではない。よく中世のイスラム社会は他宗教に寛大な時代だったという人がいる。確かに異教徒への迫害がひどかったヨーロッパに比べれば当時のアラブ諸国は比較的寛大だったといえなくもない。だが、それも異教徒が異教徒として下層階級である地位に甘んじる限りはという意味である。
モハメッドは自分が侵略した土地に住む人間が多神教徒であれば容赦なく虐殺した。異教徒がユダヤ・キリスト教徒であった場合は三つの選択をあたえた。1)イスラムに改宗する。2)出ていく。3)その場でイスラムの奴隷となる。
イスラム圏に住む異教徒達はそれぞれ宗教によって階級を与えられそれに見合った税金を収めさせられた。イスラム教徒は税金を払わないため、イスラム社会の経済は異教徒からの税金で成り立っていた。現代のサウジアラビアで働くのは外国人ばかりという状態と酷似している。経済上の理由から後には多神教の人間も受け入れたようだ。
これらの異教徒はディミーと呼ばれ、自分らの奴隷的な立場を受け入れさえすれば、一応平穏に暮らすことが出来た。とは言えそれもモハメッドの気分次第でいつ何時どうなるかわからない。異教徒にはイスラム教徒による暴挙に対して全く抵抗する手段がなかったからである。イスラム教のいう寛容とはこういうことなのだ。


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『モハメッドに関する真実』 その1

今週から一週間、例によってネットアクセス不可能な状態になるため今週は先日読み終わったロバート・スペンサー著の、the Truth about Muhammad(モハメッドに関する真実)という本についてちょっとお話したいと思う。
新しい宗教
モハメッドはご存じの通りイスラム教の創設者だが、イスラム教はその原点となったユダヤ教やキリスト教よりもずっと新しい宗教で、創設はなんと7世紀。モハメッドは自分こそが旧約聖書で約束された救世主なのだと信じてイスラム教を布教した。
しかし、キリスト教徒もユダヤ教徒もモハメッドを救世主とは認めなかった。キリスト教徒はイエス・キリストという立派な救世主が存在するし、ユダヤ教徒はユダヤの教えをきちんと学んでいないモハメッドが救世主などであるはずがないと判断したからだ。
モハメッドは最初キリスト教徒やユダヤ教徒に対して「本を信じる人々」といって敬意を表していた。だが、彼等に拒絶されると敬意が憎悪へと変ぼうするのである。特にユダヤ教の教えに関して知識の浅いモハメッドはユダヤ教のお坊さんであるラーバイ達に笑いものにされたのを根に持ちユダヤ教への憎悪はいっそう激しいものとなった。
よく、中東問題はイスラエル建国から始まるようなことをいう人がいるが、この本を読んでいると、イスラム教によるユダヤ教徒迫害は何も今に始まったことではないということがわかる。それどころか、イスラム教のユダヤ憎悪はモハメッド自身からはじまるのである。
だから例え本日イスラエルという国がなくなって、イスラエルに住むユダヤ人がすべて別な場所に移動したとしても、イスラム過激派によるユダヤ迫害は世界中に住むすべてのイスラエル人が皆死ぬかイスラム教に屈服するまで終わることはないのだ。
宣教師としてのモハメッド
モハメッドは自分が救世主であるということを天使ガブリエルからのお告げで知るとあるのだが、自分の妻や従兄弟以外にはイスラム教に改宗させることがなかなかできない。近所のユダヤ教徒を説得しようとしても反対に馬鹿にされるし、多神教を信じる人たちからも相手にされない。そこでモハメッドはだんだんと腹を立て強制的な宣教に挑む。
モハメッドがキリストと違うのはその宣教の仕方が非常に乱暴なことにある。キリストは神の教えを唱えることで周りの人々から自然と信頼をうけ信者が増えていった。キリスト自身は自分がユダヤの王だなどと自負していなかった。人々から受けるあまりの期待に埋もれそうになったりする。キリスト教の名の下に後にいろいろな暴力が振るわれたとはいえ、キリスト本人が暴力的なひとだったと語るひとは誰もいない。右の頬を殴られたら左の頬をだせというほどの平和主義の人だったことは疑いの余地はない。
それにひきかえモハメッドの宣教の仕方はお世辞にも平和的とはいえないのである。モハメッドは自分の信者たちを武装して近所にいる多神教の信者たちに攻撃を仕掛ける。そしてイスラム教に改宗しろ、さもなくば追放か皆殺しにしてやる、と迫るのである。
モハメッドが戦士であったことは有名だが、モハメッドは最初から豪族の親玉だったのではなく、イスラムを平和的なやり方では広めることができなかったため、武力による布教をするための蜂起だったのである。
ロバート・スペンサーは現在の聖戦主義者はまさにモハメッドの武力による布教を地でいく人々なのだという。イスラム教に改宗するか屈服するしろ、さもなくば首をちょん切る。スペンサーのテーマはテロリストはイスラム教を乗っ取ったのではなく、聖戦主義者こそがモハメッドの教えを忠実に守っている人々なのだと言うのである。


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北米キャンパスを乗っ取る聖戦主義のユダヤ弾圧

今日は2002年にカナダのモントリオールにあるコンコーディア大学の生徒会が過激派イスラム教徒にのっとられた一年間を記録した記録映画、マーティン・ヒメル製作の”Confrontation at Concordia” by Martin Himel(コンコーディアの対立)を紹介したい。

映像はパワーラインのリンクをつたって4部にわけて観ることができる。
2002年、イラク戦争前夜のコンコーディア大学ではどこの大学でもそうであるように、大学の生徒会に関する一般市民の関心は薄かった。それを利用したイスラム過激派の生徒たちが生徒会に立候補。イスラム系生徒を動員して生徒会の委員をすべてイスラム教徒で乗っ取ってしまった。


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イスラム教スーパー店員ベーコンの販売を拒否!

この間ミネアポリス空港で酒類を持った乗客を拒否するイスラム教タクシー運転手たちの特別扱い要求が拒絶されたことに対応してか、同じミネソタ州に住むサマリア系イスラム教徒移民たちの中で今度はスーパーなどに勤める店員が豚肉製品の販売を拒否するという作戦に打って出た。

パンベリル・デスーザさんは二週間前にターゲット(スーパーの名前)に牛乳とパンとベーコンを買いに寄ったとき、すでに遅刻しそうだった。スーパーでぐずぐずしているような気分ではなかったデスーザさんはレジ係の店員の態度にびっくり。店員は頭に伝統的なヒジャブと呼ばれるスカーフをしているイスラム教女性で、ベーコンをスキャナーにかけるのを拒んだのである。

「彼女は私にスキャンをさせたのです。そして私に袋をあけて袋のなかに入れさせました」(アメリカのスーパーでは店員が袋に入れるのが普通)とデスーザさん(53歳)は言う。「どうしてこの人はレジの仕事についたのだろうと不思議に思いました。」
豚製品の取り扱いを禁じるコーランの教えを厳格に守ろうとするツィンシティ(ミネアポリスの別名)の一部のイスラム教徒の信仰が職場での緊張感を高めている最近の例である。彼等は自分でするかわりに客自身にスキャンをさせるか、イスラム教徒でない他の従業員にやらせるなどしている。

まったく冗談じゃない。私が店長ならこういう店員は即座に首だね。与えられた仕事がどんな理由があるにしろ出来ないというのであれば、そういう人には働いて欲しくない。コーシャーというユダヤ教の教えを守っている人はいくらもいるが、ユダヤ教徒の店員が豚肉を扱うのを拒んだ例など聞いたことがない。
イスラム教徒の間でも、自分が食べてはいけないという豚肉を扱っていけないという規則があるかどうか意見が別れるようで、特にあつかってはいけないとコーランに書いてあるわけではないらしい。はっきり言ってこれもタクシーの運ちゃんの例と同じでイスラム教徒でない人々にイスラム教徒を特別扱いさせようという企みだと私は思う。
サマリア系イスラム教徒の多くはアフリカでの弾圧から逃れてきた難民である。本国での堪え難い人権迫害を逃れて来た彼等が、彼等を大手を広げて受け入れてくれたアメリカという国に対して、自分達からあわせようとせず、ホストカントリーのアメリカに特別扱いを要求するなど言語道断だ。アメリカのやり方が気に入らないなら本国へ帰ってもう一度本当の弾圧を経験するがいい。そうすればベーコンをスキャンにかけることくら耐えられるようになるだろう。


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