カリフォルニア州民の声は誰が訴えるのだ? 

ミスター苺著
カリフォルニアの結婚に関する定義を示した提案8号を違憲だとしたウォーカー裁判長は、今度はペリー対シュワッツルネッガー裁判の控訴に関し、弁護側には訴訟当事者として適格性がないと言い出した。
ウォーカーは明らかに反対派が控訴を予定している連邦第9巡回控訴裁判所の裁判官たちに向けて意見を述べているわけだが、この控訴はカリフォルニア知事であるアーノルド・シュワツルネッガーか州の司法長官であるジェリー・ブラウンのみに控訴の資格があるというのだ。
無論これは、シュワッツルネッガー知事もブラウン長官も提案8号を弁護する気も控訴する気もないことを充分承知の上での発言だ。(ブラウン長官といえば、80年代レーガンが大統領として去った後のカリフォルニアでばりばりリベラル知事をやった、あのジェリー・ブラウンその人である。)
ロサンゼルス・タイムスによると:

連邦法廷において適格な立場があるかどうかは、実際に損害を被ったかどうかを証明する必要があり、ウォーカー裁判長は提案支持側はその適格性にあてはまらないとしている….

「提案支持者たちは法域を保証する上で、知事か法務長官に控訴してもらうよう説得する以外に方法がない。」とウォーカー裁判長は書いた。

現役裁判官がカリフォルニア有権者に舌を出している図を想像してもらいたい。
つまり、連邦巡回裁判所として、もっともリベラルで悪名高い第9巡回控訴裁判所は、突如として控訴適格性に興味を持ち出し提案8号の弁護側にはその適格性がないとしてウォカーの判決が正しいかどうかの見直しもせず、 控訴を却下しようという魂胆なのだ。 (hat tip to Le-gal In-sur-rec-tion and Allahpundit at Hot Air)。 裁判官三人からなる審査委員会にいわせると、、

控訴のうえで、控訴側はその内容について提案すると同時に、冒頭序文において、控訴側が控訴適格をしめす第三条によって却下されるべきではないことを示す必要がある。

序文に関する記述であるが、要するにウォーカーの理屈は (1) 知事か法務長官のみがこの件について控訴する資格がある。(2) 二人ともウォカーの判決に賛成して控訴を拒絶している以上、(3) 提案8号提案者や伝統的な結婚支持者は糞食らえ、というもの。
これに関して俺にひとつだけ質問がある。たった六つの単語からなる短い文章だが、そう簡単には応えられないはずだ。
もしウォーカー裁判長が正しく、誰も控訴する事が許されないというなら… “who speaks for the people?”(誰が市民のために発言するのだ?)
7百万というカリフォルニア州民が提案8号に投票したのだ。誰が彼らの主張を訴えるのだ?
市民投票の一番大事な点は、独裁的な法律の改正を有権者自らが提案できる点にある。たとえ選ばれた高官たちが腐敗し、人々の意見を無視して勝手な行動をとっていたとしても、有権者にそれを変えることのできる手段が市民投票なのである。だが、それを政府が単に法案に対する反対側の訴訟を弁護しないという形で市民の意志を覆す事が出来ると言うなら、市民投票の意味など全くなくなってしまう。
連邦レベルでも同じ事がいえる。議会が通し前大統領が署名して法律となったものでも、それに反対する後の大統領が、法律に反対する訴訟を弁護しないことによって既存の法律を覆すことが出来るという理屈になら、憲法を変えずに憲法の裏をかいて実質上変える事が出来るという理屈になってしまう。
これこそリベラリズムである。これこそバラク・H・オバマが約束した「希望と変化」だ。これこそ左翼の得意技だ。
オバマに投票したり、第三党候補に投票したりした人々よ、これこそ君たちがもたらした世界なのだ!

 

 

 

…Miss him yet?

George W. Bush


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ゲイ裁判官の陰謀!州民の意志完全無視して一夫一婦制は違憲と判定

今月四日(8/4/10)、連邦地裁は2008年11月にカリフォルニア州の住民が圧倒的多数で可決した、結婚は一夫一婦制のみという法律「提案8号」が違憲であると判定を下した。下記の記事が比較的詳しく書かれているので一部掲載する。

カリフォルニアの同性婚禁止は違憲 米連邦地裁が初判断
2010.8.5 10:51

【ワシントン=犬塚陽介】同性婚を禁止した米カリフォルニア州の決定は法の下の平等を保障する米国憲法に違反するとして、同性カップル2組が起こした訴訟で、サンフランシスコ連邦地裁は4日、同性婚の禁止は「道徳観や宗教観のみを根拠にしている」と、法的根拠がないとの判断を示し、決定を違憲とする判決を下した。
米国世論を二分する同性婚問題で、連邦裁判所が判断を示したのは初めて。反対派は連邦第9巡回控訴裁判所に控訴する方針で、訴訟が最終的に連邦最高裁までもつれる可能性も強まっている。
訴訟の争点となったのは、2008年11月にカリフォルニア州の住民投票で可決され、州最高裁も追認した同性婚を違法とする「提案8号」の合法性。ウォーカー裁判長は判決で、提案8号は同性愛者を特別視した上で「不公平な待遇を合法化している」と指摘し、同性愛者のみ結婚を許さないという合理的な根拠はないとした。

ウォーカー裁判官の判定には色々と問題点が多い。
先ず第一に、提案8号は同性婚を特別視しているわけではない。この法律は一夫多妻婚も認めていないし、近親婚や既婚者との結婚も認めていない。提案8号は同性婚を禁止する法律ではなく、結婚の定義を一夫一婦制に限るとしているもので、とりたてて同性婚のみに不公平な法律ではないのである。
また、ウォーカー裁判官は裁判中には明らかにしていなかったが、自身が同性愛者であり、同性婚促進運動家である。本来ならばこのような偏向に満ちた裁判官が判定すべきではないのにも関わらず、ウォーカー裁判官は自分の偏向を隠して判定にあたったのである。これだけでもこの判定は無効にしてもいいくらいだ。
提案8号では同性同士の結婚は認められないが、同性愛者が結婚することを認めないわけではない。つまり、同性愛嗜好の人が異性と結婚する分には全く問題ないのだ。つまり、ウォーカー裁判官がいうように「同性愛者のみ結婚を許さないという」法律ではない。
この裁判は連邦最高裁まで控訴されるだろうから、同性愛者のみなさんは、あまり急いで結婚などに及ばない方が懸命と思われる。
私が同性婚に反対する理由は以前から色々書いているが、最近の関連記事は下記。
本当は同性結婚じゃないんだよね、同性愛活動家の真の目的
だから、なんで同性結婚がそんなに大切なんだよ?
結婚の定義における性別対人種の違い
同性結婚でステータスを求めるゲイ達
差別意識は個人主義か全体主義かで違ってくる
同性結婚は文明社会を破壊する
ジェンダーフリーは自由社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2


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本当は同性結婚じゃないんだよね、同性愛活動家の真の目的

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその最終回。
本当は、ゲイ活動家にとって、軍隊勤務の同性愛者をクロゼットに押し込んでおいたほうが都合がいい。それは自分に弱みのある人間のほうが左翼の社会主義を頼る可能性が高いからだ。自分に自信のない弱い立場にある人間ほど政府とか市民団体とかを頼りにする人はいない。
それに、もともと左翼連中は軍隊が嫌いだ。実際に軍隊に勤めたいゲイなんか奴らは大嫌いなのだ。何故かと言えば軍人になりたい同性愛者なんて多数派に迎合した裏切り者にすぎないと解釈されるからで、左翼フェミニストたちが軍隊に勤める女性達の戦闘員としての地位向上などに何の興味も示さないのと全く同じ理屈だ。
主流ゲイ団体にとって、ゲイがオープンに軍隊勤務出来るようにするなんて事は時間の無駄なのだ。それは主流フェミニスト団体が女性を戦闘員として昇格させることと同じくらい意味がないことなのだ。結論からいえば左翼は常に、個人の力を強めることよりも団体としての権力を増強させることにしか興味がない。
左翼市民団体は特定の問題に関する特定の解決方法を求めない。彼らが望むのは社会が彼らの望む不思議な形に変革することにある。彼らは既存の社会を根本的に破壊しスターチャイルドもどきの新人類を作ることを望む。言ってみればマルクス主義者が呼ぶところの「新ソビエトマン」の作成である。
彼らはまた大変革主義者でもある。彼らにとって宇宙規模の変革のみが彼らの目的を達成できると信じている。だから、部分的な問題解決は前進とは見なさない、それどころか後退と考える。部分的成功は組織への圧力を弱め、組織を破壊せず生存の可能性を強める。それこそ変革者たちの求めることと正反対なのだ。
だから、ヒステリックになって同性結婚を支持し、混み合う交差点で座り込みして『抗議』したり、商店のショーウインドーを割ったりして、計らずもクリスタルナクト(Kristallnacht)の真似をして、第8法案(Proposition 8:一夫一婦制のみが合憲とする法律) に投票した市民を同性愛恐怖症の差別者だと唾飛ばしながら叫ぶ奴らが、なんでゲイの軍隊勤務には沈黙なのか、どうして同性結婚は特別なのかといえば、同性結婚は大変革という目的に役立つが、軍隊勤務は役立たないからだ。
同性結婚は個々の力を強めない。なぜなら個々の家族にとって同棲を結婚と呼ぶかどうかなど大した意味はない。利益はすべてゲイ団体に行く。ゲイ団体の権力が強まるだけだ。
これはアメリカ社会は絶望的に差別主義だという、左翼得意の攻撃にぴったりあてはまる。この問題では右と左、共和党と民主党のあいだで完全な境界線がみられる。保守派は伝統的な結婚を支持し、リベラルは同棲結婚を支持する。だから同棲結婚を合法化すれば、特に法廷によって強制させるということは、右翼の犠牲のもとに左翼に多大なる利益を与えることになる。同性結婚を強制させることによって、西洋道徳の真髄である伝統的結婚は根本的な変革を遂げる。そしてこれが実現すれば、ユダヤ・キリスト宗教及びすべてのアメリカ伝統が底からひっくり返るということは、右も左も認めることである。左翼はまさにそれを求めているのであり、保守派はそれを防ごうとしているのだ。
もし人々が伝統的な宗教の自由が、同性愛を認めない自分らの協会や寺院で自由な宗教活動を守ってくれると思うなら甘い。ゲイ活動家がいくら、ゲイ結婚のライフスタイルを一般市民には強制しないなどと保証してみても、そのうち我々は、同性愛をみとめない我々の協会や寺院で、同性カップルの結婚式に参加させられ、一緒に写真をとられ、祝福を強制される。そしてこれらの「夫婦」が一般の夫婦と同じように養子をとることも認めさせられる。我々がそれを好むと好まざるとに関わらず、それは起きる。協会や寺院がそれに反発すれば左翼得意の訴訟が待っている。
だからゲイ活動家らとの妥協などあり得ない。保守派連中でゲイ活動家と妥協できると思ってるお人好しは、すぐにこれが常に左翼が勝つように出来てるトリックだということに気がつくはずだ。
左翼連中がどれだけ否定しようとも、一旦市民には結婚を規制する権利がないという前提をつくってしまえば、結婚は二人という単位でなければならないという規制をとっぱらうのは容易である。そうやって奴らは、二人以上の複数の結婚への道への地盤を敷こうとしているのだ。
「愛し合っているから」という理由で二人の男性が結婚できるというなら、愛し合っている三人の男性が結婚できないという理屈がどうして成り立つのだ?いや、それをいうなら二人の女性と二人の男性は何故いけないのだ?
コーランが奨励する、ひとりの男と四人の女では何故いけないのだ? これによってまたまたイスラム教のシャリア法の一部が我々の社会に注入されることになる。
「結婚」がなんでもありなら、結果的にはなんにもないのと同じだということに人々はそのうちに気がつくだろう。そうなれば、すでにヨーロッパ諸国で起きているように, 結婚しようという人々の数は極端に減り、少子化がどんどん進む。
もちろん、イスラム移民は産児制限などしないから、こうやってすでに人口でヨーロッパ諸国を乗っ取ろうとしているイスラム教がアメリカをも乗っ取る事が可能となる。
同性結婚は伝統的な結婚に向けられた毒矢である。同性結婚の目的はゲイの結婚を認めることではない。同性結婚の結末はアメリカをシャリア法に友好的な国に変貌させ、一夫多妻性を奨励する国となることである。
破壊への道は明確だ。にもかかわらず俺たちはその道をすでに歩き始めている。同性結婚を認めるということは、西洋文化の価値観を捨てるということだ。同性結婚を許すとういうことは、俺たちが文明人として集団自殺をすることなのだ。
西洋の文明が滅びて栄えるのは野蛮人だけだ。


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だから、なんで同性結婚がそんなに大切なんだよ?

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第五話。
さて、同性結婚はプライバシーの問題なのではないか、という議論を考えてみよう。
この議論はドウ考えてもおかしい。社会に同性結婚を認めよという要請がなんでプライバシーってことになるんだ?
まったく。
これに比べてソドミー法は、典型的なプライバシー侵害だった。同意した大人同士が閉ざされた扉の向こうでなにをしようと誰に迷惑がかかるというのだ?
だからなんで同性結婚なんだよ?
さて、いい加減に俺が最初に答えがあるといった「何故」という質問に答えよう。
どうして同性愛活動家たちは、簡単に国民を説得できるゲイの軍隊勤務合法化よりも、国民の多数派が反対している同性結婚に力を入れるのか?
敵の支配こそ権力の増強となる
俺が思うに、ゲイ活動家はオープンに軍隊に勤務したいなんて思っちゃいない。何故ならゲイが本当の意味でアメリカ社会に溶け込むことなんて望んじゃいないからだ。同性愛共同体のthe Gay and Lesbian Alliance Against Discrimination (GLAAD)とか、エイズ活動の the AIDS Coalition to Unleash Power (ACT-UP)だの、the Lamda Legal Defense やEducation Fund、そしてEquality Californiaなんていう市民団体の権力は、個人で闘う力を得た主流なゲイなんかから来るのではないく、臆病で依存症で孤立した弱い人々の唯一つの希望として頼られることによって力を得るのだ。
「革新的」と言われるthe ACLU, People for the American Way, Democracy Alliance, そしてムーブオン(MoveOn.org)なんていう市民団体はリベラルを力づけるなんてことは絶対にしたくないのだ。何故なら力ある個人はこんな市民団体なんか必要としないからだ。左翼の市民団体のスローガンは常に「君たちは弱者であり無力だ。だから我々に頼るしかないのだ。我々に金を払え、君らのために闘って上げよう」組合が弱く無力な労働者の代表を気取るのと全く同なのだ。
ゲイ活動家も全く同じだ。彼らは常にことを個人の力と全体とのゼロサムゲームだと考える。活動家が個人と全体のどちらの味方かは明らかだろう。
主流な同性愛者に左翼は興味がない。フェミニスト各団体や環境団体と同じように、ゲイ活動家も左翼が最優先、ゲイであることなど二の次なのである。


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結婚の定義における性別対人種の違い

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第四話。
結婚の定義における、性別対人種の違い
同性結婚と異人種間結婚における比較には問題がある。それというのも異人種間結婚については、カリフォルニア最高裁の1948年のペレズ対シャープ裁判(Perez v. Sharp, 32 Cal.2d 711, 198 P.2d 17)で人種が結婚の定義に用いられることが違憲であると判断された頃から、市民の間ですでにほぼ合意が得られており、法廷が市民の意見を率先したわけではなかった。
1948年の判例に始まって1967年 (Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)) で連邦最高裁において、最終的にアメリカにおける異人種間結婚禁止は違憲であるという判定が出た時には、1865年から1870年に起きた南北戦争も含み1964年の人権法も経て、すでに国民の間では人種差別は不法であるという認識が広く受け入れられていた。
だいたい科学的に人種の差別など証明できないし、黒人や白人や黄色人種などの間に決定的な差など存在しないことは科学者の誰もが認めることだ。
だが同性結婚にはこのどれもあてはまらない。
国民全体どころか州民の間ですら同性結婚が普通の結婚と同じように扱われるべきだなどという合意は存在しない。州によっては同性結婚支持派がかろうじて多数派を占めるというところがあるかもしれないが、(それにしたってかなり疑問だが)同性結婚の合法化が州民全体の意見として受け入れられている州など存在しない。
ここ数年における同性愛活動家による訴訟が起きるまでは、同性結婚を認める州など存在しなかった。同性結婚の前例などまるで存在しなかったのである。
それにくらべて、1776年、合衆国の最初の13州のうち多数派の7州までもが異人種間の結婚を認めていた。同性結婚はあきらかに法廷が率先しており、法廷の判決は市民の間から出た同性結婚をみとめないことが違憲だといった社会的合意への反応ではない。同性結婚憲法改正法だの憲法の見直しだのといった連邦政府の決議など全くされていない。
憲法に関する議論と言えば、1996年の the Defense of Marriage Act of 1996で、結婚は一夫一婦制であるべきという反対の議論はあっても、民主党が与党を占めている2007年から2009年にわたる議会ですらも、一夫一婦制を違憲とするという法案など提案されたこともない。それどころか、あちこちの州で同性結婚を禁止する法律が通されているくらいだ。
つまり、アメリカにおいて全国的にも地方的にも同性結婚を支持するという考えは市民の合意を得ていないのである。これはバーモント州議会のように甘やかされた左翼エリートのペットプロジェクトとして残っているだけなのだ。
そしてもちろん、人の性別(ジェンダー)は人種とは違って、特別な場合を除いて、生物学的にその違いが決定的に証明される。
結論として、結婚に関して語る時、人種と性別では全く比べ物にならないのである。


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同性結婚でステータスを求めるゲイ達

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第三話。
同性結婚でステータスを求めるゲイ達
同性結婚は自由の問題じゃない。これはステータスの問題だ。アメリカにおいてゲイであることは違法じゃない。同性行為をすることも、同性同士の同棲も、法律とは関係なく宗教上の結婚式を協会やお寺や聖廟で、友達や親戚を集めてやる分には何の問題もない。ほとんどの州ですでにドメスティックパートナーシップという結婚していない同棲カップルを守る法律が存在しており、不動産の相続や病院での面会などといった権利は保証されている。
法廷の独裁に抵抗している州が主張しているのは、単に州政府が同棲結婚を認めないということだけなのだ。この法律は同性結婚式に警察が手入れに入ってカップルを逮捕したりとかするわけじゃない。ただ、州政府による公式な認定はしないというだけの話である。
にもかかわらず、わずかな少数派である同性結婚活動家たちは社会の根本的な価値観である結婚を変えたいというのである。アメリカだけでなく西洋文明を何千年とつちかってきた価値観を「我々市民」の意志に背いて強制的に押し付けようというのだ。 彼らはアメリカに同性愛結婚に伝統的な結婚というステータスを市民が好むと好まざるとに関わらず授けろと強要するのである。ステータスは自由の権利ではない。同性カップルが夫婦のように振る舞うことを禁止する法律はない。だが、活動家たちは政府がその行動を許容するだけでなく奨励すべきだと言うのである。
これに比べて、同性愛者がオープンに軍隊勤務することを許可することには、アメリカの根本的価値観に違反しない。社会に特別に別の行き方をする人々への奨励も要求しない。国家防衛に必要な人材網を増やすというだけで、むやみに有能な兵士をゆすりの対象にしないということも含め、国家にとってマイナスになるようなことは何もないのである。浮気をしただけで除隊を強制される人がいないように、この悪法さえ取り除かれれば同性愛者であることなど問題ではなくなる。
だが、同性結婚も、好きな相手と結婚する権利という、自由の権利の問題ではないのか、という疑問はどうすればいいのか?
次回は異人種間の結婚と比べて考えてみたい。


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民主党議員、同性愛者の軍隊勤務禁止法撤回を拒む

同性結婚についてはずいぶん熱弁を振るうリベラルたちが、同性愛者の軍隊勤務合法化についてはあまり興味がないのは何故なのだろう? はっきり言って、こっちのほうがよっぽども違憲だと思う。
国のために闘うというのは市民の基本的な権利のはず。それを同性愛嗜好だというだけで拒否されるのは同性結婚などという特権が与えられないというのとは全く度合いの違う問題がある。
17年前に、民主党のビル・クリントンは大統領になるまえに、同性愛者の軍隊勤務の合法化を公約して当選したが、与党の民主党からの抵抗に怯んで大した運動もせずあっさりと諦めてしまった。私はそれまでクリントンのファンだったが、一気に彼への信頼感を失った。
その時、妥協案として軍隊方針の指導者的立場にあるアイク・スケルトン民主党下院議員(Rep. Ike Skelton (D-Mo.) )が提案し定着したのが「聞かない、言わない」法だ。これは同性愛者が内密に軍隊に勤めている分にはかまわないというもの。つまり同性愛者でもそれがばれなければいいというかなり害ある法律。
大事な職種についている軍人が何かの拍子で同性愛者であることが公になったらこの人のキャリアは終わりなのである。それが勲章をいくつも貰って戦場で勇敢な活躍をした人であってもだ。こんな不公平な法律ってあるだろうか?
同性愛がばれなければいいということは、ばれたらおしまいということであるから、これはゆすりの原因にもなる。
軍隊に居る間恋愛関係も肉体関係も全くない人などいないだろう。同性愛者は恋人の存在を隠さなければならない。もしも関係が破綻して恨みを持った元恋人に裏切られたらどうなるだろうか?
極秘情報を持つ軍の上層部の人間が同性愛者であることを他国のスパイに知られたらどうなる?
こういう悪法は国家防衛にも悪影響及ぼす。
バラク・オバマも同性愛者軍隊勤務合法化を公約して大統領になったが、クリントンの時と同じスケルトン議員が断固として引かない姿勢をしめしている。オバマにはクリントン異常の根性があるだろうか?
私にはかなり疑わしいのだが。


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差別意識は個人主義か全体主義かで違ってくる

カリフォルニアの同性結婚裁判について私のエントリーに反論しているnodadaなるサイトがあり(以前に腐男子とか言ってた人と同一人物かな?)はてなのブックマークでも似たようなコメントが多かったので、この人のエントリーをサンプルに個人主義と団体主義の違いについて考えてみたいと思う。前後の関係が解らない人は先ずこちらこちらを読んでいただきたい。
ちょっと背景を説明すると、カリフォルニアでは去年、結婚は一夫一婦制のみの間でされるべきという法律が州民投票によって通ったのだが、それに異論を唱えた同性結婚支持派が州を訴え、そういう一夫一婦制法はカリフォルニアの憲法に違反するという理由で訴えを起こした。カリフォルニア最高裁が違憲であるという裁断を下したため、州民は今度はカリフォルニアの憲法そのものを改正し、一夫一婦制を合憲とする投票を行い、これでも圧倒的多数で州民の合意を得た。これに関するエントリーは後部に付け加えておくのでご参照のこと。
さて、今回の裁判はこの法律が合衆国の憲法に違反するという理由でカリフォルニア州を相手取って訴えている訳だ。今行われている裁判はまだ連邦裁判所の地方裁判の段階で、ここでは裁判官がかなり同性結婚に同情的であるため、原告側が勝つだろうと思われている。
先の二つのエントリーで、私が強調したかったのは、

  • 同性結婚は州民の過半数が反対し、二回の投票で拒絶されているにも関わらず、同性愛者たちが法廷をつかって一般市民に無理矢理に押し付けようとしようとしていること。
  • しかも原告側の同性結婚支持過激派たちは、弁護側に暴力的な脅迫を与え、弁護チームを解体させようとしていること

である。それで私は先日、

同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。

と書いたが、それに対してノダダは、

自分の言ってることが
「世の中には同性婚など自分の気に入らない法律を通しただけで同性愛者の安心・生存を脅かす異性愛者がいるんだから、犯罪化されたり殺されたくなかったら異性愛者のいう事を聞いておかないと損だぞ。少数派で下級市民のくせにヘーコラせず異性愛者を怒らすと怖いんだぞ。だから俺の言う事聞けよコラ。あ、でも実行犯は俺じゃないよ、他の人。俺は事実を教えてあげてる善人だからヨロピク。皆のためだから(はぁと)」
といった話でしかない事になぜ気づけないかなー。まんまヤクザの言い分ですよね。
「私はそれがいいことだとはひとつも書いていない」と言うけれど、異性愛者と同・両性愛者(もっと言えば非異性愛者)との不当な権力差を自明視(他人事として放置)しておきながら、「自衛のためだ、黙っておけ」と言うのはヒドく暴力的だし、それ自体がマジョリティによる差別的支配。

と彼の勝手な解釈をしている。
私は同性結婚支持派が多数派の合意を求めるための運動をするというのであれば特に異論はない。問題なのは支持派の州民投票の結果を無視した理不尽な訴訟や恐喝といった違法行為なのである。前回も書いたように、もしも支持派の主張が州民一般にも納得され、選挙で同性結婚が合法ということになるのであれば、私個人がどう思っていようとそれはそれで問題はない。

(だいたい、異性間の一夫一妻制婚姻を認めるならモノガミーな同性婚を認めない正当な理由はないのに、一体どうして自分の主張が差別でないと言えるのか不思議)
つーか、お前の頭の中にはそんな差別主義な異性愛者しかいねーのかよ、ていう。

一旦同性結婚を許せば、『何故モノガミー(一対一)に限定するのだ?何故ポリガミー(一夫多妻制度)はいけないのだ?』という議論に発展して結婚そのものの意味がなくなるから駄目なのだ。私が何故同性結婚に反対なのかという話はすでに詳細に渡って書いているので、そのリンクも後部に張っておくから興味のある方は後部をご参照のこと。
 

彼女がいう、過激派の暴力による「威嚇」の事実がいかなものか知らないんだけど、もしも本当に「同性愛者が同性愛者というだけで差別されることに反対」するなら、「同性愛者の平等(というか性的指向に関する差別の是正)を訴えることや、一部の過激派がいることで差別的行動に出る異性愛者がいても、私はそれに反対する」と主張するのが論理一貫してると思います。ソドミー法のような性行為の犯罪化も、同性婚規制も、どちらも(同性愛者を狙った同性愛者以外も被害を被る)同様な差別のはずなので。

このことについて、私はコメント欄でこのように返答した。

一部過激派の悪行を指摘しているだけなのに、私が同性愛者全体を嫌っているというふうに解釈するのは、一部過激派の悪行のために同性愛者全体を悪者扱いする同性愛差別者と全く同じ思想だと思うね。

 
しかし、ノダダは

↑むなしいほど伝わらないね。

と返答している。何故伝わらないのだろうか?
それはノダダも同性愛者差別者も、人を個人として扱わず、何かの団体に所属している人という全体主義で扱っているからである。
私をイスラモフォビアとか呼んだ奴らも同じ部類だが、私が一部のイスラム教過激派の悪行を指摘すると、私がイスラム教全体を批判していると解釈する。なんでもかんでも一事が万事なのである。個人個人の差など無視。常に全体でしか考えられない。
そういう考えで迷惑を被るのは無関係なのに同類だと思われる人々だ。
同性愛者だからといって同性結婚を支持しているとは限らない。ましてや意味のない訴訟を起こしたり反対派に暴力をふるったりする行為など許せないと感じている同性愛者はいくらもいるだろう。しかし過激派の違法行為がひどくなればなるほど、すでに個人と団体の区別がついていない人たちの間で、「軒先貸して母屋取られる」じゃないが、「下手に出ればつけあがってからに」と忌々しく思う人たちも出てくるだろうと私は言っているのだ。
じゃあ、同性愛者たちはそれが怖くて沈黙を守らなければならないのかと言えば、無論そうではない。同性愛者たちは社会の法律を守り、多数派の意図も尊重したうえで(選挙の結果を尊重すると言う意味)地道に自分らの信じる道徳を説けばいいのだ。
繰り返すが、文明社会では少数民族を少数だというだけで迫害することは許されない。少数派が社会の秩序を乱さない限り、多数派が少数派を弾圧したり差別したりすることは出来ないのである。だが、少数派が弱い立場にあることは事実なのであり、多数派に差別や弾圧の口実を与えるような違法行為は取るべきではない、というのが私の主旨だ。
それでも私が同性愛者に対して差別意識があると感じるのは、ノダダ自身が個人と団体の区別がつかない差別者であるゆえである。
関連記事
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ジェンダーフリーは自由社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2


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カリフォルニア同性結婚裁判、YouTube放映は一時差し止め

先日お話したカリフォルニアの同性結婚裁判(一夫一婦制が連邦健保違反になるかどうかを審議する裁判)において、裁判の一部始終を録画してYouTubeにアップするのは一時的に禁止されることになった。これで心配されていた弁護人や弁護側証人の顔が大々的に知られて、同性結婚活動家の過激派から暴力的な脅迫や嫌がらせをされるということは多少避けられそうだ。
ところで、私が同性愛社は少数派(マイノリティー)だと書いた事で、私自身が同性愛者に対して差別意識を持っているのではないか、という批判があったが、私自身は同性愛という行為にも同性愛趣味の人にも取り立てて反感は持っていない。私は同性結婚というものには大反対だが、閉ざされた扉の向こうで同意した大人同士が何をしようと私の知った事ではない。
私が嫌なのは、同性愛活動家が場所柄もわきまえずに公の場所で男同士でキッスしたり、学校で同性愛行為を教えたり、市民の意志を無視して同性結婚を法廷を通じて我々に押し付けようとする行為だ。彼らが一般市民の理解を仰いで選挙で結婚制度の改正を勝ち取るというのであれば、私は個人的には反対だがその法律には従う。だが、彼らは暴力を使って同性結婚反対派を脅迫するなどの違法行為にまで至っている。
この少数派と多数派という問題について、私のお気に入りの自称左翼(でも本当は違うと私は思うんだけど)のレフティさんが去年の暮れに面白いことを書いていて、私の言わんとすることと共通する点が多くあるので引用させてもらおう。
レフティさんは、靖国神社の存在に反対な台湾女性議員が神社内で過激なデモを行ったことについて、少数派だからといって多数派の決めた法律を破っていいのか、と問いかけている。

僕は靖国神社が嫌いだし、今まで何度か反靖国神社エントリーをあげてきた。
しかし、いくら靖国神社が嫌いでも、法律は守らなければならない。
と言う訳で、(略)この女性議員のやったことには、全く賛成できない。
仮にも神社の(靖国であろうと神社は神社だ)奥の間に土足であがりこみ相手に怪我を負わせるなんてことは全く支持しない。当然の話。(略)

「抗議するにしても法は守れ」という主張は一見したところ(抗議者、抗議対象の思想信条に触れていないという点で)中立的に思えるかもしれない。しかしマジョリティとマイノリティの間にある非対称性を無視してそのような「中立」の立場を降りかざすならば、それは結局のところ現状維持への加担にしかならないだろう。

らしいが、なんでこういう奴らって、こんなにも民主主義が嫌いなんだろう?
日本は民主主義国家であり、民主主義とは、みんなの共感を多く集めた立場(要するにマジョリティ)が正義となる制度である。こいつらは「マイノリティ=弱い=正しい」「マジョリティ=強い=悪い」のような一ビット脳で動いているが、ただ民主主義が嫌いなだけじゃん、としか思えない。(略)
民主主義社会で、自分の意見を通したかったら、自分の意見を回りに広げて、共感を広げて、コンセンサスを取る、ようするに、マジョリティになるしかない。キング牧師が偉いのは、彼がマイノリティだからではない。ましてや、彼がマジョリティと戦ったからではない。
彼が偉いのは、マイノリティがマジョリティの共感を得るために活動したからだ。
「抗議するにしても法は守れ」と言う意見に反対するということは、つまりマイノリティが「自分がマイノリティだから」という理由で法を破っていいということだろうか。
そんなものは、俺様正義の戯言である。
「正義のためならテロをする」と言った二・二六の青年将校や連合赤軍と何も変わらない。
(略)
マジョリティとは、民主主義社会では、正義として扱われる。
皆の共感を得ないマイノリティは、ただの俺様正義の戯言として処理される。
「マイノリティがマジョリティに自分の意見を知ってもらう、自分の考えに共感を持ってもらう」というデモ本来の目的を忘れたデモ行為なんて、ただのテロ行為に過ぎない。
民主主義社会においてマジョリティとは、何も悪いことではない。
「マジョリティの傲慢」なんて言葉は皆の共感が得られなかった俺様正義野郎の言う「お前の母ちゃんでべそ」と同じ意味である。

私は多数派が必ずしも正義として扱われべきだとは考えていない。アメリカ南部で多数派の白人が黒人を奴隷としたことでも解るように、多数派による少数派虐待や迫害という独裁は多いにおこり得る。だが、文明社会においては多数派が少数派の人権も尊重するという基本がある。だからこそ少数派もその社会の規則を守らなければならないのである。
先に少数派は多数派の寛容によって生存出来ると書いた。それは、少数派は常に多数派の御機嫌取りをしなければならないという意味ではない。多数派が少数派の人権も守るというのは、少数派がその社会の秩序を乱さないという大前提のもとにあるのだ。
そのバランスが乱れて損をするのは、なんといっても数が少ない方なのだ、ということを少数派は常に念頭に入れておく必要がある。


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カリフォルニア、弁護人を脅迫する同性愛者たちの暴挙

カリフォルニアでは今、前回の選挙で設立された、一夫一婦制のみが合法な結婚である、という州憲法改正が連邦憲法に反するという理由で訴訟を起こしており、その第一審議が明日から始まる。
ご存知のようにアメリカは連邦制なので、結婚制度も州によってまちまちである。だが慣例として他の州での結婚も合法として認めるのが普通だ。しかし、最近同性愛者たちの活発な活動によって、州によっては同性結婚を認めるところも出て来ているため、既存の法律のままでは同性結婚も認めざる負えなくなる。
そこで、たとえ他の州で合法的に結婚した同性夫婦であっても、カリフォルニア州ではその結婚が合法であるとは認めないという法律が州民投票によって設立されたわけだ。
その市民の意志を踏みにじるべく、カリフォルニアの同性愛活動家たちが、州を相手取って訴訟を起こした。問題なのは州の司法局もシュワッツルネッガー知事も、この訴訟に対して弁護を行わないという姿勢を明らかにしたため、先の憲法改正案を提案した6人が州代表として弁護人に立つということになった。
ところが、同性結婚に同情的な裁判官は、裁判の模様をYouTubeで逐一放映すると発表した。
過去にも同性愛活動家たちは暴力を使って同性結婚反対派を威嚇していたが、YouTubeなどで大々的に裁判の模様が公開されれば、弁護人や証人らの顔や名前が知れ渡ってその嫌がらせも攻撃も一層激しくなる恐れがある。
すでに弁護側の一人がその可能性を恐れて弁護チームから外してもらいたいと申請するほどになってしまった。
この人はハクシング・ウィリアム・タム(Hak-Shing William Tam)さんという人で、先の法案に関連するという理由で、過去にも命をねらう脅迫状を受け取ったり、家屋を破損されたり、道ばたで嫌がらせを受けたりしたことがあったという。今回弁護人になり、自分がもっと公になることで自分や家族への暴力攻撃が増えるのを恐れているという。
今回の裁判では同性愛者側が勝つことが予測されているが、その後弁護側が控訴し、裁判は連邦の最高裁判所まで行くであろう。そうなれば同性愛結婚は完全に違法となることは解りきっている。
だが、それには時間がかかり、その間にカリフォルニアでは同性愛結婚が合法となってしまうため、同性結婚の急増がおこる。後になって同性結婚が違法となって合法だった時の結婚を無効にするとなると、またまた問題が起こる。
連邦最高裁で、一夫一婦制のみを合法な結婚とすることは憲法違反ではない、という判断がされれば、全国の州でカリフォルニアのような憲法改正案が通り、すでに裁判所が強制的に同性結婚を合法とした州以外で同性結婚が認められることはなくなる。
私は結果ははっきりしていると思う。ただ、そこへ行き着くまでには何年もかかり、その間に同性愛者と一般市民とのあいだで激しく癒されない傷が生まれるはずだ。
同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。
同性愛は違法であるというような古くさい法律を取り除くことには賛成だった人々の間ですら、同性愛者は権利を与えれば与えるほど態度がでかくなって人々の平和を脅かすと思われたら、これまで得たせっかくの権利を台無しにしてしまう恐れがある。
私には同性愛主義の友達が結構いる。個人的に私は彼らに恨みもつらみもないどころか好意を持っているし、彼らが同性愛者であるというだけで差別されるべきではないと考える。しかし、同性愛活動家のあまりにも理不尽で傲慢な態度を見せつけられるにつれ、やはり同性愛や違法にしておくべきだったのではないか、と普段は同性愛者に同情的な人のこころも揺らぐのではないだろうか?
追記:結構このエントリーにも反響があるみたいなので、下記に関連記事を掲載しておこう。コメンターの意見が典型だとしたら、卒倒おこす可能性あり。ご自分達の責任で読んでいただきたい。
カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決
同性結婚は文明社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2
カリフォルニア州、同性愛結婚が敗北した日
マサチューセッツの同性結婚を導いた夫婦が離婚


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