今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第五話。
さて、同性結婚はプライバシーの問題なのではないか、という議論を考えてみよう。
この議論はドウ考えてもおかしい。社会に同性結婚を認めよという要請がなんでプライバシーってことになるんだ?
まったく。
これに比べてソドミー法は、典型的なプライバシー侵害だった。同意した大人同士が閉ざされた扉の向こうでなにをしようと誰に迷惑がかかるというのだ?
だからなんで同性結婚なんだよ?
さて、いい加減に俺が最初に答えがあるといった「何故」という質問に答えよう。
どうして同性愛活動家たちは、簡単に国民を説得できるゲイの軍隊勤務合法化よりも、国民の多数派が反対している同性結婚に力を入れるのか?
敵の支配こそ権力の増強となる
俺が思うに、ゲイ活動家はオープンに軍隊に勤務したいなんて思っちゃいない。何故ならゲイが本当の意味でアメリカ社会に溶け込むことなんて望んじゃいないからだ。同性愛共同体のthe Gay and Lesbian Alliance Against Discrimination (GLAAD)とか、エイズ活動の the AIDS Coalition to Unleash Power (ACT-UP)だの、the Lamda Legal Defense やEducation Fund、そしてEquality Californiaなんていう市民団体の権力は、個人で闘う力を得た主流なゲイなんかから来るのではないく、臆病で依存症で孤立した弱い人々の唯一つの希望として頼られることによって力を得るのだ。
「革新的」と言われるthe ACLU, People for the American Way, Democracy Alliance, そしてムーブオン(MoveOn.org)なんていう市民団体はリベラルを力づけるなんてことは絶対にしたくないのだ。何故なら力ある個人はこんな市民団体なんか必要としないからだ。左翼の市民団体のスローガンは常に「君たちは弱者であり無力だ。だから我々に頼るしかないのだ。我々に金を払え、君らのために闘って上げよう」組合が弱く無力な労働者の代表を気取るのと全く同なのだ。
ゲイ活動家も全く同じだ。彼らは常にことを個人の力と全体とのゼロサムゲームだと考える。活動家が個人と全体のどちらの味方かは明らかだろう。
主流な同性愛者に左翼は興味がない。フェミニスト各団体や環境団体と同じように、ゲイ活動家も左翼が最優先、ゲイであることなど二の次なのである。


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