January 12, 2010

カリフォルニア同性結婚裁判、YouTube放映は一時差し止め

先日お話したカリフォルニアの同性結婚裁判(一夫一婦制が連邦健保違反になるかどうかを審議する裁判)において、裁判の一部始終を録画してYouTubeにアップするのは一時的に禁止されることになった。これで心配されていた弁護人や弁護側証人の顔が大々的に知られて、同性結婚活動家の過激派から暴力的な脅迫や嫌がらせをされるということは多少避けられそうだ。

ところで、私が同性愛社は少数派(マイノリティー)だと書いた事で、私自身が同性愛者に対して差別意識を持っているのではないか、という批判があったが、私自身は同性愛という行為にも同性愛趣味の人にも取り立てて反感は持っていない。私は同性結婚というものには大反対だが、閉ざされた扉の向こうで同意した大人同士が何をしようと私の知った事ではない。

私が嫌なのは、同性愛活動家が場所柄もわきまえずに公の場所で男同士でキッスしたり、学校で同性愛行為を教えたり、市民の意志を無視して同性結婚を法廷を通じて我々に押し付けようとする行為だ。彼らが一般市民の理解を仰いで選挙で結婚制度の改正を勝ち取るというのであれば、私は個人的には反対だがその法律には従う。だが、彼らは暴力を使って同性結婚反対派を脅迫するなどの違法行為にまで至っている。

この少数派と多数派という問題について、私のお気に入りの自称左翼(でも本当は違うと私は思うんだけど)のレフティさんが去年の暮れに面白いことを書いていて、私の言わんとすることと共通する点が多くあるので引用させてもらおう。

レフティさんは、靖国神社の存在に反対な台湾女性議員が神社内で過激なデモを行ったことについて、少数派だからといって多数派の決めた法律を破っていいのか、と問いかけている。

僕は靖国神社が嫌いだし、今まで何度か反靖国神社エントリーをあげてきた。 しかし、いくら靖国神社が嫌いでも、法律は守らなければならない。 と言う訳で、(略)この女性議員のやったことには、全く賛成できない。

仮にも神社の(靖国であろうと神社は神社だ)奥の間に土足であがりこみ相手に怪我を負わせるなんてことは全く支持しない。当然の話。(略)

「抗議するにしても法は守れ」という主張は一見したところ(抗議者、抗議対象の思想信条に触れていないという点で)中立的に思えるかもしれない。しかしマジョリティとマイノリティの間にある非対称性を無視してそのような「中立」の立場を降りかざすならば、それは結局のところ現状維持への加担にしかならないだろう。

らしいが、なんでこういう奴らって、こんなにも民主主義が嫌いなんだろう?

日本は民主主義国家であり、民主主義とは、みんなの共感を多く集めた立場(要するにマジョリティ)が正義となる制度である。こいつらは「マイノリティ=弱い=正しい」「マジョリティ=強い=悪い」のような一ビット脳で動いているが、ただ民主主義が嫌いなだけじゃん、としか思えない。(略)

民主主義社会で、自分の意見を通したかったら、自分の意見を回りに広げて、共感を広げて、コンセンサスを取る、ようするに、マジョリティになるしかない。キング牧師が偉いのは、彼がマイノリティだからではない。ましてや、彼がマジョリティと戦ったからではない。

彼が偉いのは、マイノリティがマジョリティの共感を得るために活動したからだ。

「抗議するにしても法は守れ」と言う意見に反対するということは、つまりマイノリティが「自分がマイノリティだから」という理由で法を破っていいということだろうか。
そんなものは、俺様正義の戯言である。

「正義のためならテロをする」と言った二・二六の青年将校や連合赤軍と何も変わらない。
(略)

マジョリティとは、民主主義社会では、正義として扱われる。
皆の共感を得ないマイノリティは、ただの俺様正義の戯言として処理される。

「マイノリティがマジョリティに自分の意見を知ってもらう、自分の考えに共感を持ってもらう」というデモ本来の目的を忘れたデモ行為なんて、ただのテロ行為に過ぎない。

民主主義社会においてマジョリティとは、何も悪いことではない。
「マジョリティの傲慢」なんて言葉は皆の共感が得られなかった俺様正義野郎の言う「お前の母ちゃんでべそ」と同じ意味である。

私は多数派が必ずしも正義として扱われべきだとは考えていない。アメリカ南部で多数派の白人が黒人を奴隷としたことでも解るように、多数派による少数派虐待や迫害という独裁は多いにおこり得る。だが、文明社会においては多数派が少数派の人権も尊重するという基本がある。だからこそ少数派もその社会の規則を守らなければならないのである。

先に少数派は多数派の寛容によって生存出来ると書いた。それは、少数派は常に多数派の御機嫌取りをしなければならないという意味ではない。多数派が少数派の人権も守るというのは、少数派がその社会の秩序を乱さないという大前提のもとにあるのだ。

そのバランスが乱れて損をするのは、なんといっても数が少ない方なのだ、ということを少数派は常に念頭に入れておく必要がある。

January 12, 2010, 現時間 8:41 PM

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下記投稿者名: Sachi

どうもコメント欄書き込みとトラックバックがうまく機能してないらしいので、このエントリーに関する感想を書いている人がいるので紹介しておく。リンクはこちら。

ホンマ分かりやす過ぎますよね。
自分の言ってることが
「世の中には同性婚など自分の気に入らない法律を通しただけで同性愛者の安心・生存を脅かす異性愛者がいるんだから、犯罪化されたり殺されたくなかったら異性愛者のいう事を聞いておかないと損だぞ。少数派で下級市民のくせにヘーコラせず異性愛者を怒らすと怖いんだぞ。だから俺の言う事聞けよコラ。あ、でも実行犯は俺じゃないよ、他の人。俺は事実を教えてあげてる善人だからヨロピク。皆のためだから(はぁと)」
といった話でしかない事になぜ気づけないかなー。まんまヤクザの言い分ですよね。

続きは本文を読んでください。

上記投稿者名: Sachi Author Profile Page 日付 January 13, 2010 6:27 AM

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