マーク・スタインのすばらしいコラム、相手から反論の「言葉」を奪う同性愛グループの独裁

私の好きな保守派ジャーナリストにマーク・スタインという人がいる。彼はカナダ国籍でイギリス育ち。いまだにイギリス訛りが抜けない変なカナダ人。そのマーク・スタインがダックダイスティーの今回の件について非常に面白いことを書いている。彼自身ヨーロッパのイスラム教徒について書いた本の内容がカナダの人権擁護法に触れて出版者と一緒に訴えられたことがあり、言論の自由に関しては自分の体験からも非常な専門家と言える。

先ずはスタインの最初のコラム、題して「不寛容な時代」から拾ってみよう。
スタインは近年アメリカやイギリスでは、言えなくなった言葉が増えたとし、今では先ず言えないという二つのジョークを挙げている。

最初のジョークはボブ・ホープが1975年に同性愛がカリフォルニアで合法になった年に言ったもの。

「カリフォルニアから飛んで来たばかりなんですが、あちらでは同性愛が合法になったんです。それで強制されないうちに逃げて来ました。」

最近では単に同性愛を許容するだけでなく、積極的に同性結婚を支持する等、彼らのライフスタイルを奨励しないとすぐにホモフォブ(同性愛恐怖症)だとか言われかねない風潮であることを考えると、ホープの「強制されないうちに逃げて来」たという台詞は笑って済まされなくなった。

次はフランク・シナトラとディーン・マーティンが25年間使い続けたジョークで、ディーンがフランクに「フルーツコージャル(a fruit cordial, カクテルの名前)はどうやって作る?」と聞くと、フランクが「奴にやさしくしてやれよ。」と答える。フルーツとは昔の言い方で同性愛者を指す。コージャルは「愛想がいい」という意味があるので、「同性愛者に愛想よくしてもらうにはどうしたらいいか」という隠れた意味があるわけ。ま、いってみればだじゃれである。

だが、スタイン曰く、我々がどれだけゲイたちにやさしくしても、過激派運動家たちの欲求は満たされない。こちらが折れれば折れるほど彼らはもっと多くを要求してくる。人々に寛容寛容と叫びながら、自分らは反対意見に全くの不寛容。まるで聴く耳もたずなのである。いや、単に聞く耳もたずどころか、脅しを使って相手を黙らせること以外に興味がないのだ。スタインはそういうゲイ活動家たちのやり方を独裁だという。

さて、面白いのはスタインが掲載したナショナルレビューオンライン誌の編集員の一人、ジェイソン・リー・ストーツが、政府による法律上の言論弾圧に対してならばスタインと供にバリケードに戦いを挑む覚悟があるとしながらも、スタインの下品な言葉使いに不満を示すコラムを書いている
ストーツは他人の言論の自由に対する不寛容を指摘するにしても、「フルーツ」のような侮辱的な言葉使いをするべきではない。意見の違いはその内容を攻撃すべきなのであって、反対意見を持つ人を批判すべきではない。過去にそういうステレオタイプをヒューモアと取り違えた人々を現代の我々が批判するべきではないが、現代人がそうした言葉使いをしない民度の高い文化にめざめたことを賞賛すべきなのだ、といった内容だ。このコラムには読者から批判の声が殺到したが、スタインの反論は最初のコラムより面白い。

ストーツがスタインのことを「政府による弾圧」と「社会による弾圧」との違いを理解していないと批判したことに対しスタインは、そんなことは百も承知だと語る。スタインは数年前に出版社の編集長エズラ・レバントと供にカナダの人権擁護協会から訴えられた時、レバントはスタインに「非常識化(de-normalize)」という言葉を使ったという。つまり敵の目的は法廷で勝つことではなく、文明社会から相手を非常識な人間として疎外させることにあるということだ。だから、レバントとスタインは人権擁護法こそが非常識なのであり理不尽な法律なのだと断固戦かった。おかげでカナダでは人権擁護委員会の評判はがた落ちし、スタインとレバントの罪は取り下げられた。

GLAADのやり方も全く同じで、彼らは法律上相手に言論の自由があるかないかなどということにはそれほど興味がない。彼らは相手を非常識な人間として一般社会から疎外出来ればそれでいいのである。だから本人だけでなく相手の雇用主やスポンサーに圧力をかけて相手のキャリアを破壊するなど、言う事をきかなければそういう目に合わせるぞと脅迫するのが彼らのやりかたなのだ。スタインはストーツが敵の汚さを全く理解していないと語る。

自分が不愉快になるような言葉使いこそ守らなければ言論の自由など意味がない。GLAADのような団体は、相手の礼儀正しさや上品さを利用して、あたかも自分らを攻撃することは下品で非常識で文明社会には似つかわしくない行為であるかのように相手を攻撃するのである。我々に対して全く礼節正しい行為を示さない相手に対して、礼節だの上品だのと言っている場合ではないのだ。

これはストーツに限らず保守派がよく犯す間違いなのだが、我々保守派は左翼リベラルと違って礼節を重んじるあまり、相手から「ホモフォブ!」「レイシスト!」などと言われると、色々自分がいかにそんな偏見の持ち主ではないかを説明しようとする。だが、相手の攻撃に守りの姿勢になったらすでに相手の思うつぼなのだ。ブレイトバートニュースの編集員ベン・シャピーロも言っていたが、左翼リベラルを相手にする時は早期に攻撃にでることが大事だ。シャピーロがピアース・モーガンと銃規制について話した時、シャピーロは「サンディフックで殺された子供達の墓の上に立ちはだかって銃規制に悪用している。」とモーガンを責めた。そういうことに慣れていないモーガンは「よ、よくも、よくも、、、、」と言っただけで全く弁論できなかった。

スタインもシャピーロと同じように、左翼リベラルとの闘いは規則正しい土俵場の格闘技ではなく、戦場での戦闘であり、負けた方は完全に破壊されるのだということを充分に理解しているのだ。
ストーツは政府による言論弾圧との闘いならスタインと一緒にバリケードにつっこむ覚悟があると言ったが、スタインは「せっかくだがお断りする。あなたではあんまり頼りになりそうもないからね。」と締めくくっている。


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ダックダイナスティー、人気テレビパーソナリティーへの攻撃で頂点に達した保守派の怒り

アップデートあり:下記参照
私自身は観たことはないのだが、アメリカのケーブルテレビで「ダックダイナスティー」というドキュメンタリー番組がある。これはアヒル狩り関係のアウトドア製品を販売しているロバートソン一家の生活を追っていく番組なのだが、彼らが大実業家であるにもかかわらず、南部の度田舎出身で言葉使いから物腰から田舎もん丸出し。家族業であることから家族の絆は強く、敬虔なキリスト教徒であり、番組の終わりには必ずお祈りで済ますという信者たちである。この突拍子もない家族の経済的な成功話が人気を呼んで、ダックダイナスティーはケーブルテレビでは稀にみる視聴率をあげている。
さて、ロバートソン一家の一人フィル・ロバートソンがGQマガジンのインタビューで同性愛は宗教上の罪であり理屈に合わないと語ったことに過激派同性愛グループGLAADからクレームがつき、番組制作のA&E放送局はフィルを番組から一時的に謹慎処分にすることを発表。A&Eは謝罪表明をしGLAADは大喜びではしゃいで、これにて一件落着と思いきや、フィル謹慎処分の発表があって24時間以内にフェイスブックなどのソーシャルメディアで「A&Eをボイコットしよう」「フィルの言論の自由を守れ」とかいう運動がおき、A&E放送局の社長やGLAADのウェッブサイトなどに抗議が殺到。ものすごいバックラッシュ旋風が吹きまくっている。
フィルの発言は言葉使いは悪かったというものの、その真髄はキリスト教の教えに乗っ取ったもので、キリスト教徒ならば誰でも信じていることにある。ファンやキリスト教徒のみならず、自分の宗教について語ることのどこが悪いのかという不満が人々の間から沸騰しているである。
アメリカでは、もうずいぶん長い間左翼リベラルによる「ポリティカルコレクトネス」という言論弾圧が幅を利かせているが、特に最近になって同性結婚をはじめ同性愛過激派グループによる横暴が目につくようになった。ネットワークテレビ番組ではそれがコメディであろうとドラマであろうとオネエキャラを見ない日がない。テレビだけならどうということはないが、小中高学校の授業にも同性愛関係の科目が強制的に組み込まれたり、カリフォルニアのバスルーム法など、男女かまわず好きなトイレや差更衣室を使ってよいなどという、めちゃくちゃな法案が通ったりしている。
アメリカはもともと宗教心の強い国であり、本音を言えばアメリカ人の圧倒的多数が同性愛は宗教上の罪であると感じているはずである。だが、同性愛活動家の政治的な力が大きくなった現在、同性愛について多少なりとも批判的な発言をすることは許されない。常に寛容寛容とがなりたてる運動家たちだが自分らに対する反対意見に関しては断固不寛容である。
これまでにもGLAADのような過激派団体による横暴に、多くのアメリカ人が不満を抱いていたが、政治的に正しくあることへの圧力はものすごいものがあるので、多くの人々が沈黙を守ってきた。ドクター・ローラやラッシュ・リンボーといった保守派トークショーホストが同性愛やフェミニストを批判するような発言をすると、過激派たちは番組のスポンサーに直接圧力をかけて、圧力に負けたスポンサーが番組から下りるなど日常茶飯事である。もっともこれらの番組は大人気番組なので、スポンサーになりたがる企業はいくらもいる。ひとつ二つの企業が降りても番組自体は何の損害もうけていない。
A&Eは自分らの人気番組から大事なスポンサーが降りてしまうのを恐れて、さっさと問題児を謹慎処分にして問題を解決したとおもったのかもしれないが、それは非常な誤算だったようだ。
考えても見てほしい。聖書を振り回して政治的に正しいことなどお構いなしにやりたいことをやってる保守派の超田舎者のロバートソン一家の生活を楽しんでみている視聴者とはいったいどういう人々なのだ? 彼らのなかにGLAADのメンバーがどれだけいるというのだ?
つまり、ダックダイナスティーのファンはほとんどが保守派でクリスチャンだろうと考えられる。だとしたら、ほとんどの人々はフィルの発言に同意しているだろう。だいたいフィルは単に聖書にかかれたことを自分なりに言い換えたに過ぎず、言論の自由と宗教の自由はアメリカの憲法で保証されている。A&Eは民間企業なので彼らにはフィルを処分する権限はあるが、何故キリスト教徒の発言のみが弾圧されるのかというファンたちの怒りをしずめることはできない。
ロバートソン一家はフィルなしで番組を続ける意志はないとしているので、A&Eが折れないと、結果的にケーブルテレビ始まって以来の人気番組を失うことになる。もともと番組を救うためにフィルを謹慎処分にしたのだから、A&Eは折れざるおえないだろう。もしA&Eが番組をやめたら、ロバートソン一家は別の放送局が雇うのは必定。そんなことになったら元も子もない。
市場を把握せずに政治的圧力に屈しているとこうなるという良い例である。
GLAADも今まで見たこともないバックラッシュを受けているとのことで、今後どうなるのか、展開が楽しみである。
アップデート:2013年12月27日 A&Eはフィル・ロバートソンの謹慎処分を取り消した。そりゃそうだろう。金の卵を生むあひるを、そう簡単には手放せない。


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カリフォルニアのトイレ法は女性差別だ!

常識では信じられないことがカリフォルニア州を含めアメリカの各地で起きている。その名もトイレ法(バスルームビル)。これは性同一傷害者が自分が同調する性の施設を自由に使うことが出来るというもの。特に女装趣味や性転換手術を受けていなくても、自分は女性だと感じていると主張しさえすれば、どうみても男にしか見えない男子でも女子トイレのみならず女子シャワー室や更衣室に自由に出入りすることが出来るというものである。しかも常に自分は女性だと意識していないくても、一時的に女性と感じると主張しさえすれば何時でも女子施設を使うことが可能となる。
同性愛運動家たちの表向きの理論は、性同一障害者が差別されないため、というきれいごとだが、実際にこんなことが実施されれば、女子生徒の裸を見たいという男子生徒らが女子シャワー室に入り込む可能性は大である。何時なんどき男子が入って来るか解らないシャワー室や更衣室で女子学生達は安心して着替え等できるはずがない。
女子施設の使用はなにも男子生徒のみとは限らない。男性職員や学校を訪問中の大人の男性も女子施設の使用が可能となる。ということは女児のシャワー室や更衣室で中年の変態男が素っ裸で歩き回っても親たちは学校に文句を言えないのである。こんなところに親たちは安心して子供たち預けられるだろうか?
女子トイレを男子が使えるというだけでなく、この法律にはもっと深刻で危険な項目が含まれている。それは自分が同調する性のスポーツに参加することが出来るというもの。性転換手術を受けていない普通の身体の男でも女性スポーツに参加できるのである!
誰が何と言おうと男子と女子とでは身体のつくりが違う。男子のほうが圧倒的に筋力がある。これまで女子と男子が別々のスポーツ競技を行って来たのも女子と男子ではその能力に差があり過ぎて比べ物にならないからである。
にもかかわらず、自分が女子だと言い張る男子を女子スポーツに参加させるとなってくると、女子生徒にとっては非常に危険な状況が生じる。ゴルフや陸上のような個人競技ならまだしもだが、サッカーやバスケットのようなグループ競技、特に柔道やレスリングのような格闘技となってくると、これはもう女子にとって命に拘る危険が生じる。どんなに強い女性でも同じように訓練した男性に勝てるはずはない。いや勝ち負けのことより大怪我をする可能性は大であり、これはヘビー級とライト級のボクサーを同じリンクに上げるのと全く変りがない。
トイレ法は女子にとって精神的にも肉体的にも非常に危険な法律であり、明らかな女性差別法である。
このような明らかな女子迫害法についてフェミニストたちから異論は出ない。今さら驚かないけどね。


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アメリカで同性結婚が普通になったらアメリカはどうなるのか

前回もお話したように、「米連邦最高裁は米連邦最高裁は26日、結婚を男女間のものと規定する連邦法「結婚防衛法」の条項を違憲とし、同性カップルにも同等の権利を保障すべきとする判断を初めて示した。(ロイター記事より引用)」実をいうとカカシはこの判決は前回お話したカリフォルニア州における州民投票の件とは違って、最高裁の理屈は理解できる。ただ、今回はこの決断についてというより、今後アメリカで同性結婚がどこの州でも普通に行われるようになった場合アメリカ社会はどのように変化するのかについてお話したい。
同性結婚ついてはカカシはここ数年何度か取り上げて来たが、すでに同性結婚を認めているヨーロッパ諸国で起きた現実をふまえれば、アメリカでも同じことが起きると容易に推測できる。まず考えられることは、、、

  1. 離婚率が増える。 誰も認めたがらないが、同性カップルの破局率は男女夫婦よりずっと高い。特に男性同士のゲイカップルなどは一年も持たないのが普通で、4〜5年一緒に居るのは珍しいほう。またゲイカップルは特定の相手が居てもお互い不特定多数の人間との性交渉を結ぶのが普通。レズビアンカップルの場合は経済的に貧困になる率が高く破局率も高い。ので、これらの関係も「結婚」というカテゴリーに含めれば必然的に「離婚率」の平均が上がるということ。
  2. 結婚率が減る。 よく同性同士が結婚したからといって異性同士の結婚にどういう影響があるのかという質問がされるが、実は同性結婚の認可は伝統的結婚に多大なる悪影響を与える。それは、伝統的な結婚は男女が一緒になって子供を育み一生を共にするという特別な繋がりを意味するが、同性結婚は単に好きな者同士が一定期間一緒に住むという程度の意味しかない。単に好きな者同士が同棲するだけなら、何も面倒くさい結婚なんてものをする必要はない。特にすぐに子供を作る気のない若い男女からすれば結婚に特別な意味を見いだせないカップルが増えるだろう。
  3. 少子化がすすむ。 ヨーロッパの少子化は深刻。結婚期がどんどん遅くなっている日本でも同じことが言えるが、結婚する人の数が減れば子供の数が減るのは必然的。無論未婚の母という形も増えてきてはいるが、片親だけで子供を育てるとなると夫婦間でのように複数の子供を作るのは困難.必然的に子供の数は減る。
  4. 精神不安定な大人が増える。同性カップルの間でも子供を育てることは可能だ。どちらかが何らかの方法で実子を得る、もしくは養子をもらうなどして子供を得るなど色々ある。だが、同性愛者を親に持つ子供は大人になって不安定になる可能性が異性夫婦を親に持つ子供よりも高いという調査もある。同性婚運動家たちはこの事実を否定すrが、実際同性カップによって育てられた子供達の将来はまだまだ未知数なのである。

このままいくと、アメリカ市民が好むと好まざるとに拘らず、法廷によって同性結婚は我々に無理強いされることは必定だ。ではそうなった時、アメリカは上記のような事態を避けることは出来ないのだろうか? 実はアメリカには唯一つ救いの神がいる。
カカシはいみじくも「神」という言葉を使ったが、これは比喩でもなんでもない。実は神様こそがアメリカを救えると私は信じる。
といっても見る事も触ることも出来ない神様が実際に手を差し伸べてくれるという意味ではなく、神への信仰がアメリカを救うという意味だ。
もともとアメリカと言う国は信仰深い国である。西洋諸国のなかで唯一少子化問題が深刻化していないのも、アメリカがユダヤ・キリスト教を基盤とする社会で、避妊や人工妊娠中絶に極度の嫌悪感を持っているからだ。
近年アメリカ社会において世俗主義リベラルによる宗教迫害は目に余るものがある。公立学校ではクリスマスにクリスマスツリーも飾れない、卒業式に卒業生が神に感謝の意を表することさえ許されない。学校のサッカー試合で勝った側の選手がお祈りの姿勢を示しただけで失格になったりする。ボーイスカウトにゲイ入会が強制される。カトリック教会系病院で避妊教育が強制される、等々数え上げたらきりがない。
しかし、こういう目に余るひどい弾圧に対して、多くのアメリカ人はかえってその信仰心を高めている。アメリカはもともと独裁の弾圧に抵抗して革命を起こして成り立った国である。内部からの弾圧にも同様に応えることが出来ると私は確信する。
現代社会における結婚は政府による承認が必要だが、誰にでも承認される結婚など意味がない。そうなれば特別な結婚を求める人々の間で、もっと宗教的に意味のある結婚が求められるようになるはずだ。教会が男女夫婦にのみ特別な承認証を発行するとか。法律上は意味がなくても宗教上には多大なる意味があるといったような特別な認証をする。
これは単なるカカシの思いつきだが、アメリカで一夫一婦制結婚が存続するためにはそうした工夫が必要だろう。そしてそれは実現するとカカシは思うね。無論世俗主義者たちがそうした制度も「差別だ」といって破壊しようとするだろうが、その度に信者達は闘わなければならない。
ローマ帝国の百年にわたる弾圧に打ち勝ち、ローマの国教となったキリスト教。ナチスドイツのホロコーストを生き延び継続するアラブからの弾圧にも抵抗しつづけているユダヤ教。これらのユダヤ・キリスト教が左翼リベラルの腰抜けどもになど負けるものか!


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カリフォルニアの同性結婚だけじゃない、最高裁の危険な判決

先日アメリカ最高裁は州民投票で既決され法律となっていた結婚は一夫一婦制のみ認めるという提案8が違憲と裁断された地方裁判所の判決を不服として訴えていたカリフォルニア市民団体に対して、弁護団には控訴の資格がないと裁断したため、事実上、提案8は違憲であるという加州連邦高裁の判決が承認されることとなった。しかしこの裁断は同性結婚のみならず、今後の州民投票の存在を問う危険な裁断だったといえる。

カリフォルニア州で同性婚再開 連邦高裁が停止解除
 【ニューヨーク=中井大助】米カリフォルニア州の連邦高裁は28日、同州内の同性婚の停止を解除した。26日にあった連邦最高裁の判決を受けたもので、同州は即日、婚姻届の受理を開始した。米国内で同性婚が認められるのは13州目となる。
 カリフォルニア州は2008年6月から同性婚を認めたが、同年11月の住民投票の結果、再び禁止した。これに対し、2組のカップルが提訴。一、二審ともに「禁止は違憲」と勝訴したが、執行は停止されたままだった。26日に連邦法の「結婚防衛法」を違憲とした最高裁は同日、カ州の禁止の是非には触れないまま、住民投票の推進者たちの控訴は無効だったと判断。一審判決が認められるべきだとして、高裁に差し戻していた。
 高裁は当初、停止の解除まで少なくとも25日かかるとしていたが、ハリス州司法長官がすぐに判断するよう求めていた。

住民投票で法律となった提案8はまだ存在し覆されていない。たとえこの法律が違憲と裁断されたとしても、すぐさまその法律が無効になるというわけではない。法律を撤回するのであればそれなりの手続きを踏む必要があり、それがされないうちに同性結婚を施行してしまうのは違法であるはず。近日中にまた保守派団体から結婚届受理停止の訴訟が起きると予測される。
さて、カカシがこの裁断が危険だと言っている理由は、一市民による『特定の法律は違憲』という訴訟に対して、被告側の州(知事及び司法省)が弁護を放棄した場合、いったい誰がこの法律を守る事が出来るのか、という大事な問題が生じてしまったからだ。
つまり、もしも州民投票によって可決された法律に州政府が反対だった場合、法律に反対する市民をそそのかして訴訟を起こさせ、州知事自身が弁護を棄権すればその法律は違憲となり無効となるというシナリオが成り立ってしまう。となれば過去に州民投票で通過したすべての法律が危険にさらされることになるのだ。(たとえば不動産税金の値上げを規制する提案13などがいい例だ。)
カリフォルニアの件のみならず、今回の同性結婚に関する最高裁の決断には非常に失望した。


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「妊娠男」離婚を求めて最高裁に訴訟を求める

2008年に性転換後に妊娠出産した男性として話題になったトーマス・ビーティー氏が、今度は離婚を巡って話題を起こしている。この話はカカシも2008年当時取り上げている。

ここ数日「男性が妊娠した、奇跡だ」という話題が持ち上がって大騒ぎになっていたので、いったい何のことなんだろうと不思議に思っていたら、何のことはない、性器整形手術とホルモン治療で外見が男に見えるようになったというだけの、生物学的には女性が妊娠したという話。奇跡でもなんでもないではないか。(略)私は性器整形をしただけで生物学的に全くなんの変化も遂げていない女性を「男性」と呼ぶのには非常な抵抗がある。見かけがどうあれ、彼女はいまでも女性なのだ。しかも、子供を生むという女性として最高の役割をあきらめていない人が自分を男だなど呼ぶのは矛盾も甚だしい

ビーティーは乳房摘出手術をし男性ホルモン治療を受けて多少あごひげが生えていたりもし外見は男に見えないくもない。だが、子供を生むために子宮は保存し、子宮摘出手術を受けて妊娠不可能だった「妻」に代わって、2008年の最初の出産に続いて人工授精で3人の子供を出産した。

しかし「結婚」9年後の今、ハワイで一緒になった二人の関係は破局。アリゾナで離婚訴訟を起こした。しかしアリゾナ法廷は、ビーティーは生物学的に女性であり、同性結婚を認めていないアリゾナ州においては同性結婚の離婚は認められないとしてビーティーの訴訟を棄却した。自分の子供達を私生児にしたくないと感じたビーティーは、アリゾナ法廷の裁断を不服として最高裁に訴えている。

ビーティーの場合、彼女は自分は女性だとは考えていないので、彼女の結婚は同性結婚だったという意識はないのだろう。しかし、いくらなんでも三人もの子供を生んだ女性を男性として扱えというのは理不尽な話だ。

同性カップルの結合を結婚という形で認めることになれば、必然的にビーティー氏のような異質な「結婚/離婚」についてまともに考えなければならなくなる。
さて、2008年当時の記事を読んでみると、

うっすらとあご髭を生やしたビーティーさんは、子供をもうけたいと思うのは性を超えた人としての欲求であり、当然自分にも血のつながった子供をもうける権利があると訴えた。

とある。だが、女性として生まれ、きちんと女性機能を持っている彼女にとって、子供を生みたいという欲求があるのは当然のことで、その同じ欲求が男性にもあるかなんてことは、生物学的に女性である彼女にわかるはずはない。彼女の子供を生みたいという強い欲求はそれは「性を超えたひととしての欲求」からではなく、単に彼女の女性としての母性本能からくるものではないのか。自分が女性であることを忌み嫌って乳房どころか健康な子宮もとってしまうというならまだ話はわかるが、女性と男性を決定的に分ける妊娠出産という欲望と機能を保った彼女が、自分は男性だと主張するのは矛盾に満ちている。

彼女自身の矛盾に満ちた自己の確立は彼女個人の問題であり我々には関係がない。だが、その矛盾を正当なものとして社会に認めろとなってくると話は別である。なぜ我々一般人が彼女の変質的な欲望につき合わなければならないのか。

問題なのは、同性婚という例外を社会が公式に認めた場合、別の形の結合も結婚として認めなければならないとなってくるのは自然の成り行きである。ひとつでも例外を認めれば他の例外も考慮しなければならなくなる。だが、そうやって例外をいくつも受け入れてしまえば、結婚制度そのものの価値が失われる。何でもありは何にもないのと同じだからである。

ビーティーのような判例が普通に議論されるようになるのも、同性結婚が真剣に吟味されることにより、いかに我々の社会が乱れて来ているかという証拠である。


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同性結婚は避けられないのか? 最高裁の裁断を待つアメリカ

現在連邦法である一夫一婦制の「結婚を守る法」(DOMA)が違憲かどうかを連邦最高裁が吟味しているところだが、連邦法律に挑戦する訴訟に対して、オバマ政権の司法省は弁護しないという姿勢を取っているため、民間の弁護士団が「弁護人」となっている。
全国どの州でも同性婚を求める提案が上がる度に、州民は圧倒的な多数決で法案を拒否してきた。アメリカで同性婚が合法となった州は大抵が州民投票ではなく、リベラル同性婚活動家たちによる訴訟やリベラル議会や知事らによる一方的なやり方で無理矢理州民たちに押し付けるというのが通常だ。
そして今や全国のアメリカ市民は、最高裁の裁断によっては、全国的に同性婚を認めざる負えなくなる危機に瀕している。
保守派ラジオトークショーのラッシュ・リンボーは同性婚はいまや避けられない状態になってしまった、なぜなら保守派はリベラルの言葉の戦いに負けたからだと悲観的なことを言っている。

左翼は本当に言葉の意味を自分らに都合のいいように変えるのに優れている。そのやり方があまりにもしたたかなため、我々の側は何がおきたのか解らないうちに、気がついた時はもう遅い、すでに負けていたのだ。

この話は何も同性結婚に限らないが、左翼リベラルは言葉の意味を書き換えるのが本当に得意だ。考えてみれば、なぜ結婚は一夫一婦制であるべき、という定義が何故「差別」だとか「人権迫害」とかということになるのか不思議である。だが、彼らはいつもそうだ。「銃規制反対派は子供の命の安全を考えていない」「避妊ピルを無料で女学生に配るのを反対するのは女性差別だ」「地球温暖化を信じない人間は環境破壊主義者だ」というように、なんでも反対派を無慈悲で非情な人間であるように定義つけることに長けているいるのだ。

「最高裁がどうしようと関係ない。これは今や確実だ。何故なら我々は言葉でまけてしまったからだ。一旦『ゲイ結婚』『伝統的結婚』『異性結婚』『同性結婚』『ヘテロ結婚』と言い出した時から我々は負けたのだ。すでに終わっていたのだ。時間の問題だ。」

リンボーの言い分は、「結婚」という言葉を色々な形で表現してきたことが、結婚は一夫一婦制しか有り得ないという議論から、結婚には色々な形があるというふうに議論がすり替えられてしまったというのである。色々な形があるのであれば、一夫一婦制に拘るのは差別主義だという議論になっても不思議はない。我々保守派は左翼リベラルが人々にそういう印象を与えることを許してしまったのだ、とリンボーは言う。
昨日通勤を一緒にしている同僚のカーラジオで左翼リベラルなラジオ局NPRの番組を聴いていたら、同性結婚ではなく一夫多妻制を真剣に唱える人間が意見を述べていた。DOMA訴訟は同性結婚を許可せよという訴訟ではなく、一夫一婦制は違憲だという訴訟であるから、一夫一婦制でなくてもいいなら、一夫多妻制も認めるべきという議論が出て来るのは当然だ。
同性結婚を支持する同僚は「なんで同性結婚の話が一夫多妻制の話になるんだ?」と首をひねっていたが、一旦一夫一婦制のみの結婚が違憲となれば、一夫多妻制にしろ一婦多夫性にしろ多夫多妻にしろ、多種の結構制度を許可せよという話になるのは当然な成り行きだ。同性結婚は認めるが一夫多妻制はみとめないという議論のほうがかえっておかしい。
一夫一婦制結婚が違憲ならば、結婚制度そのものが破壊される。なんでもありはなんにもないのと同じだからである。もっとも同性結婚を強く押している左翼リベラル達の本当の目的は同性結婚の合法化ではなく結婚制度の破壊にある。これは最初から計画的なことであり、同性愛社たちは左翼リベラルの陰謀に悪用されているにすぎない。
同性結婚が合法化すればアメリカ国内の結婚の数が減り、出生率は激減する。生まれて来るこどものほとんどが私生児で、両親の揃わない家で育つ子供が増えるだろう。そうやってアメリカ社会はどんどんと荒んで行くのだ。
同性結婚は文明社会を破壊する。なんと嘆かわしき現実。


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同性の両親に育てられた子供達は成人になってから苦労する

前回ちょっとお話したマーク・レグネラス(Mark Regnerus)教授の研究だが、教授自身による説明エッセーがスレート誌に載っているので紹介しよう。

レブネラス教授は、同性両親に育てられた子供達が成人した時、異性両親の家庭で育った子供に比べ悪影響があるなどということは全くなく、子供の成長ぶりは異性両親と全く変りがないか、かえって良い結果を生むことが多いという学説は正しくないという結果を発表した。

同教授は、これまでの同性両親の子供に関する研究は対象となる家族の数が極端に少なかったことと、対象となった人々が自分らが調査対象になっていることの政治的意味を意識していたことで、その回答が影響を受けていたことから、調査としては不十分であったと語る。

だが、教授と調査団の今回のSocial Science Research社会学雑誌で発表されたthe New Family Structures Study (NFSS)という研究においては、18歳から39歳までのアメリカ人1万5千人を無差別に選び、彼らの実の母や父が同性と恋愛関係にあったことがあるかという質問をした。そのうち175人が母親が73人が父親にそのような関係があったと答えた。

母親が女性と恋愛関係を持ったことがあると答えた人たちの生活は、実の両親にずっと育てられた人たちとはずいぶん違いがあり、どちらかというと片親や離婚して再婚した両親に育てられた人たちの結果と似ていた。
同性の両親に育てられた子供たちは、異性両親に育てられた子供よりも、大人になってから失業している、不健康、鬱気味、浮気、マリワナを吸う、違法行為をする、多くのセックスパートナーが居る、性犯罪の犠牲者になりやすい、といった事実を報告している。

教授は、これについて、同性カップルは異性夫婦に比べて安定性に欠けることが原因ではないかという。父親が同性愛関係を持っている子供たちは何故か女性の両親の場合よりは多少ましだが、それでも父親とながく一緒に暮らしているケースは稀で、それが父親のパートナーとなると、同じパートナーと三年以上暮らしたという例はひとつもなかった。

例えば、親が女性同士の恋愛関係があった成人した子供の28%が失業中であり、結婚している男女の両親を持つ人の8%を大きく上回っている。また前者の40%が結婚中もしくは同棲中に浮気をした経験を認めており、これも後者の13%を大幅に上回る。また精神科の世話になったことがあると答えた人も前者は19%、後者は8%。他にも25項目において、同性両親を持つ大人と異性両親を持つ大人とでは極めて大きな違いが見られたという。

また子育てにおいても、同性カップルは異性夫婦に比べて安定性が著しく欠ける。特に女性同士のレズビアンカップルの場合、14%の子供が里親に出されており(異性両親の子供は2%)、何と40%の子供が祖父母に預けられている(異性両親の場合は10%)。そして19%の子供が18歳を待たずに独立している。母親が女性と関係があったと答えた回答者のうち18歳になるまで母親が同じパートナーと一緒に住んでいた例はたったの2%にも満たなかった。

レブネラス教授は、対象となった数が少ないので、理想的な調査だったとはいえないと書いているが、教授が希望したほどのサンプルが見つからなかったということは、それだけ子育てをしようなどという同性カップルが少ない、つまり結婚などといった長期にわたる関係を求めている同性愛者はごく僅かしかいないということだ。

この調査でも明らかなように、同性カップルは結婚というコミットメント(commitment長期に渡る誓約)には向いていない。それでも単に自分らだけの間ならさほど問題はないが、それに子育てが加わると話は別だ。特に子供の将来に悪影響を与えるとなればなおさらだ。もし上記の調査結果が正しく同性両親を持った成人した子供の生活を表しているとしたら、これだけでも同性婚など認めるべきではない。

それにしても同性愛者たちは本当にそんなに結婚したいと思っているのだろうか?この調査結果を見る限り、そんなふうには見えないのだが、、、


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同性婚、左翼リベラルの行き過ぎが再び裏目にでるかも

昨日の「チックフィルエで同性同士がキッスをする日」は完全な大失敗に終わった。全国各地のチックフィルエーには特にこれといった抗議者は集まらず、主流メディアが前日から煽って宣伝したにも関わらず、メディアが完全無視した水曜日の感謝する日が大盛況だったのに対し、ほとんどのお店で抗議者の数はゼロだった。テキサスのチックフィルエーでは抗議者だけでなく、メディアが騒いだせいで普通のお客さんも敬遠して行かなかったらしく閑古鳥が鳴いていた。ま、いくつかのチックフィルエ支店では多少の営業妨害にはなったかもしれないが、大抵の店は特に「〜の日」という影響は受けなかったようだ。
ただハリウッドの支店だけは、ウエストハリウッドがゲイのメッカということもあり、10数人の変態が集まってえげつないことを書いた看板を掲げたり、醜い中年の男達が抱き合ってキッスしたりする気持ち悪いシーンが繰り広げられた。また、カリフォルニアのトーレンス支店では、なにものかが店の壁に落書きするなどといったことも起きた。
感謝の日に集まった保守派たちは、一時間以上もおとなしく列に並んでサンドイッチを買って帰っただけだったのに、どうして左翼リベラルが集まると、こうも醜い騒ぎになってしまうのだろう。
以前にミスカリフォルニアのキャリー・ペリジャンが結婚は一夫一婦制でしかるべきと語りミスカリフォルニアの座から引き下ろされた事件の時もそうだったが、メディアは一夫一婦制を信じることが問題な思想と表現する。一夫一婦制を確認する憲法改正案や州法を国民投票にかけた州では、一度もその法案が負けたことはないのだ。つまり、アメリカ全国各地の有権者はその清き一票によって同性結婚を拒否し伝統的な結婚制度を守り続けているのである。リベラルと言われるカリフォルニア州ですらそうなのである。
アメリカ人の大多数が同性結婚を支持していないのに、それを表現する発言が何故「問題な発言」だとされ、憎しみだとか、同性愛者恐怖症だとか、人権侵害だとか言われてさげすまれなければならないのだ?
左翼リベラルのやり方はいわゆる「いじめ」だ。自分の気に入らない意見は邪悪な思想だと決めつける。左翼リベラルが権力を握ると、奴らは自分らの権力を使って違う意見を弾圧する。
今年の6月、同性の両親に育てられた子供たちは成人してから必ずしも良い結果を生まないという研究を発表したテキサス大学のマーク・レグネラス教授などは左翼リベラルから猛攻撃を受けている
奴らは教授の研究内容を議論するのではなく、教授個人の信頼性を攻撃し、教授のキャリアを潰しにかかった。批評家の一人Scott Rosensweigという男は、教授は「科学的に学術的に悪行をおこなった。」と攻撃し、教授の信用を落とし黙らせようと必死である。この男に煽動された200人あまりの学者達が、レグネラス教授の論文を掲載したソーシャルサイエンスリサーチに対し、何故あのような論文を掲載したのだ、と苦情の手紙を送った。ソーシャル、、誌批評家が言うような掲載に関する問題は全くないと語っている。
もし、今回のことで同性愛運動家たちが、同性結婚の実現に一歩でも近づいたと思っているなら、それは大きな計算違いだ。私は以前に同性婚支持者たちの行き過ぎな行為は、かえって一般人からの反感を買い、彼らの立場はより悪いものになると書いた事がある。

同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。

左翼リベラルが同性婚を我々に押し付ければ押し付けるほど、我々の心は彼らから離れてしまうのだ。そうなって一番困るのは自分達だということに彼らはまだ気がつかないでいる。


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言論の自由を守ろう!全国チックフィルエーに集まった市民

水曜日は「チックフィルエーに感謝する日」ということで、全国各地のチックフィルエー店において普段の三倍以上のお客さんが集まった。
チックフィルエーの社長の一夫一婦制結婚制度に関する発言が元で、シカゴ市やボストン市の市長らが政治権力を使って、同市においてチィックフィルエー店の開店を許可しないとした発言は、これらの市長や同性結婚支持の過激派同性愛グループが意図したのとは全く違う方向へと進んでいる。
何度も指摘しているように、左翼リベラルは常に言葉の定義を完全に書き換えて相手を責めるが、今回も同じように「不寛容」とか「憎しみ」という言葉を全く元の意味とは違う意味で使っている。
同性愛結婚を支持しないと語ることが、何故同性愛者に対する不寛容ということになるのだろうか?何故伝統的な一夫一婦制を守るべきだという意見が憎しみに満ちているということになるのだろうか?
いや、それをいうなら、一夫一婦制を信じる社長が居るレストランチェーンを市から閉め出す行為は不寛容ではないのか? チックフィルエーの広告担当者が突然心臓マヒで亡くなった際に、大喜びして踊りまくった同性結婚支持者たちの態度は憎しみに満ちているとはいえないのか?
ロサンゼルスタイムスのマイケル・ヒルツィック(Michael Hiltzik)はチックフィルエーの社長は黙ってチキンを売っているべきだったと語る。

何十年、いや何世紀にも渡る苦い経験から、ビジネスの経営者達は商品にものを言わせ、自分は黙っているべきだという教訓から学んでいないようだ。

当然のことながら、この批判は非常に不公平だ。チックフィルエーのダン・キャシー社長の結婚に関する見解が公になったのは、キャシー社長がキリスト教のバプティスト出版社提供のラジオの宗教番組で、同性結婚は神の計画に違反するものだと述べたのがきっかけ。

「私たちは家族を大変に支持します。聖書が定義する家族という単位を」「天に拳を振り上げ、結婚とは何かについて私たちの方が神よりも良く知っていると言うことは、神の裁きを招くことになると思います。」

キャシー社長はキリスト教の番組で聖書に書かれた結婚の定義について自分の見解を述べたに過ぎない、それをヒルツィックはビジネスマンであるキャシー社長は黙っているべきだったと言うのである。キリスト教番組でキリストの教えについて述べる事が許されないと言うなら、どこでならそういう話をしてもいいというのだ?
だいたいである、左翼リベラルのビジネスマンや歌手や俳優は、日夜自分らの政治見解を公表して憚らないではないか? ヒルツィックはディキシーチックスが数年前にコンサート中にジョージ・W・ブッシュの批判をした時、「黙って歌え」と言ったか? マイクロソフトやアップルの左翼リベラル思想は有名だし、マイクロソフトなどは民主党に莫大な政治献金を払っている。そういう行為については何も言う事は無いのか?
ヒルツィックのような左翼リベラルが「黙れ」というのは、保守派の意見に関してのみである。左翼リベラルがどんな不適切なことを時と場所柄も考慮せずに発言しようが一向に構わないが、保守派がちょっとでもそれに反論すると、「政治を持ち込むな!黙れ、黙れ、黙れ〜!」

黙れ!と彼は説明した。

となるのである。
ヒルツィックはキャシー社長の発言がチックフィルエーの売り上げに響いた、ざま〜みろ、と言いたげだが、先日の「感謝する日」における同チェーン店の売上高は少なくとも1.5倍。多いところでは3倍になったという。ただ、そのうちの一軒は爆弾脅迫があり、店を開けることが出来なかったという。
政治権力や暴力や脅迫を使って相手を黙らせる、それが左翼リベラルのやり方だ。だが、そんなやり方でアメリカ人を黙らせることは出来ない。「感謝する日」の成功がそれを物語っている。


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