レズビアン女性の安全と尊厳を脅かすトランスジェンダリズム

私はJ.K.ローリング女史のツイッターを追っているが、昨日と本日、女史がツイッターで紹介していた二つの記事についてお話したい。今回はその一つ目でレズビアン女性たちの性愛対象に自称女の男性を入れろというLGBTQ+からの執拗なまでの圧力について。

以前から私は女装しているだけの身体男性が、レズビアンに性交を迫ってレズビアンたちの安全と尊厳を脅かしているという話は何度もしてきた。

レズビアンたちが女装男達から性交を無理強いされている!BBCが画期的な特集を報道 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

自分をレズビアンだと言う男は強姦魔だ! – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

今まで、この問題について語ることさえタブーとされており、LGBT活動家の間ではレズビアンたちの声は沈黙させられてきた。LGBTがレズビアンが男性と無理やり交際させられることからレズビアンを守れないどころか、黙って男の相手をしろと命令するなど、全く本末転倒ではないか? しかしやっとレズビアン女性達の間でも声を上げる人たちが出て来た。ではソーニャ・ソーダの
If a lesbian only desires same-sex dates that’s not bigotry, it’s her right (レズビアンが同性とのデートを望むのは彼女の権利だ、差別ではない)から読んでみよう。

Sonia Sodha

Sonia Sodha

個人がどういった人を好むのかというのは、個人の嗜好の問題であり、特定の人種に固執する人がいたとしても、それを人種差別と決めつけるのは正しくない。最近は異人種間のデートも珍しくないが、それは社会が人種差別のない健康な傾向に自然に向いたというだけのことで、特に活動家たちから無理やり異人種を選べと強制されたからではない。

性愛の相手の人種を監視されることが不愉快だとしたら、性指向への監視は誤りなだけでなく危険であるとソーダは言う。しかし今やなんとLGBT活動家たちが、レズビアンが自称女の男を女性として交際相手に選ばないのは差別だと責る時代である。しかもこれは一部の過激派の意見ではなく、LGBTの大御所市民団体ストーンウォールの代表はこう語っている。

性指向は個人の問題です。しかしもし交際の際に特定の人種やトランスジェンダー全体を切り捨てるのであれば、いかに社会的偏見が個人の好みを形成しているか、考える必要があります。

先週カナダの裁判所の倫理委員会において一人の判事は(a QC on the Bar Council’s ethics committee)レズビアンの性指向を表すコットンシーリングと呼ばれる壁を乗り越える必要があるとし、レズビアンがトランス女性を好まないのは偏見に満ちた行為であると、アパルトヘイト時代の南アフリカを引き合いにだして批判した。

人によってはレズビアンの女子嗜好を「性の人種差別」とまで言い、男子を交際相手から除外するのは深刻な問題だとまで言う。いや、待ってくれ、性指向が女性のみの人をレズビアンと定義するのではなかったのか?男子も交際相手に選べるなら、それはもうレズビアンとは呼べないではないか。

女性に性愛を持つ自称女たちはトランスした後に交際相手を見つけられないと愚痴る。トランスしたことによって女装男たちは普通の異性指向女性達から相手にされなくなるからだ。しかしだからといってレズビアン女性達が彼等に魅力を感じるというわけではない。

何世紀にもわたってレズビアンたちは同性愛を治すためにと男たちとのセックスを強制されてきた。彼女たちは強姦ともいえる拷問を受けて来たが、今や全くそれと同じことがLGBTたちの手によって行われようとしている、いやすでに行われているのだ。声の大きいTRA活動家やそのアライたちが、レズビアンたちに同性愛者であることを恥かしめる運動を起こしている。そしてそれを拒否したレズビアン女性が職を奪われる危機に瀕している。

アリソン・ベイリーがその一人。彼女は黒人で子供の頃性的虐待を受けた。子供の頃の苦労を乗り越えカナダで弁護士となった。しかし彼女はガーデンコート法廷により、プロとしてあるまじき発言をしたとして二つのツイートを削除するよう命令された。その一つは、「性的少数派を差別者と恥かしめ、その境界線を失くさせようとするのは強制行為だ。」というものだった。

「トランス女性は女性です」という誤った解釈で、身体の性別をジェンダーという概念で置き換え、女性専用空間やスポーツが自称女の男たちによって侵略されることが許されるなら、その自然の成り行きで女子のみを性愛対象とするレズビアンにしわ寄せがくるのは当然だ。しかしレズビアン達は誰が何と言おうと男性体に魅力を感じることはない。これは理屈ではなく、性指向の問題だ。

身体の性別をジェンダー概念が置き換えられるという考えは、同性愛指向を持つ若者をトランスジェンダリズムという間違った道に導いてしまう危険性がある。本来なら単に同性愛者となるべき子どもたちが、性同一性障害だと誤診され、不必要で危険なホルモン治療やひいては不可逆的な整形手術にまで及んでしまう。

ソーダはこの問題は女性の権利とトランスの権利との対立なのではないという。なぜならトランスジェンダーの中にも自分の生物学的な性は変えられないと考える人はいくらもいるからである。本当の問題はジェンダー概念が生物学的事実を乗り越えられるという誤った考えだ。

レズビアンが他の身体女子のみに魅力を感じることは決して偏狭心ではない、この事実をはっきり再確認する必要があると、ソーダは強調する。


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風向きが変わった?LGBTQ+運動の行き過ぎに左翼リベラルすら嫌気がさし始めた今日この頃、ローリング女史のキャンセルも終わる

さて先ずは良いニュースから。トランスジェンダーに関する臆面もない強い批判をしたことで、HBOの年末ハリー・ポッター20周年記念番組から疎外されていたJ.K.ローリンゴ女史が、HBOの新しいCEOによって、新しい企画に参加する旨が報道された。どうやら女史への謹慎処分は解けたようである。特筆すべきは、彼女はこの間、キャンセルカルチャーに屈服せず、謝罪したり迎合したりこびへつらうような行為は一切してこなかったということだ。それどころか、常に強気でツイッターなどでトランスジェンダー活動(TRA)への批判を辛辣に行っていた。ではどうしてHBOは彼女への態度を改めたのだろうか?

読者諸氏もご記憶に新しいと思うが、Netflixで人気コメディアンのデイブ・シャペルが自殺した自分のトランスジェンダー女性の友達の話を番組中にしたことで、シャペルがTGをバカにしたとしてNetflixの従業員が抗議デモをした。シャペルは後にハリウッドボウルで公演中に舞台に登ってきた男に刺されそうになるという暴行を受けたほどだ。

シャペルはおよそ右翼保守ではない、それをいうならローリング女史も左翼過激派フェミニストと言ってもいいような人だが、シャペルは自殺した自分の友達への追悼の意味でトランスジェンダリズムについて語ったにすぎないのだ。彼は一流コメディアンで大人気なので、彼のスペシャルを観た人は非常に多い。これまでに右翼保守をおちょくるコメディをいくらもやってきた人物でもあり、こんな人までポリコレにそぐわないと批判される文化とはいったい何なんだろうと多くの人が考えたはずだ。

右翼保守のベン・シャピーロやマット・ウォルシがトランスジェンダーを批判するのは誰も不思議に思わない。左翼リベラル達も右翼保守はどうせホモフォブでトランスフォブだと思い込んでいるから、彼らの発言になど耳を傾けない。しかし今まで十分左翼リベラルで自分らがファンだったり尊敬していた人たちまでポリコレに反すると批判されるようになると、いったい彼らの言った何がいけなかったのだろうかと不思議に思う人たちが出てくる。そしてその中には彼らが何を言ったのかをきちんと聞いて、別に何も悪いことを言っているようには思えないと考えるひとが出てくるはずだ。

どうして「男は女になれない」「女性を生理のある人などと呼ぶな」といった発言がいけないのだ?「女子刑務所に男子を入れるな」「男子を女子競技に参加させるな」という考えのどこがいけないのだと感じる人が出てくるはずだ。

そして今日、アメリカ人気トークショーホストのビル・マーがまさにそれをやった。彼は自分の番組の冒頭の独白でLGBTの行き過ぎたポリコレを痛烈に批判。特に子供の性転換の危険性について言及した。

「すべてが君たちのことばかりじゃないんだよ」

とビル・マー。彼は王道のコメディアンで左翼リベラル。これまでにも左翼的な発言で右翼保守を散々批判してきた男だ。しかし彼をしてまで、これはおかしい、と言わせるということで、どれだけLGBT運動が過激化したかが解ろうというものだ。

しかしもっと注目すべき点は、ビル・マーが彼の番組で公にこのような発言をしても大丈夫だと思ったことである。少し前ならローリング女史のちょっとしたツイートで彼女が自分の書いた本のスペシャルに出演できないような背景があったにも関わらず、今ならこれを言っても大丈夫だとマー自身も番組制作者も判断したことが興味深い。

私はビル・マーに信念があるなどとは思っていない。彼は典型的な日和見主義の芸能人。だから彼の今回の発言は勇気がある行為だなどと評価する気はさらさらない。しかし、彼がこのような発言をしても安全だと判断した裏には、左翼リベラルの間でさえもLGBT活動は行き過ぎていると感じる人が増えている証拠だ。彼のジョークを笑い飛ばす観客の反応も興味深い。

実は最近LGBTQ+に迎合したメディアの失敗が次々に報道されている。以前にもお話したように保守派の間で言われ始めた言い回しに”Get WOKE, Go Broke”というのがある。WOKEというのは目覚めるという意味のwakeの過去形だが、ここではポリコレへの極端な配慮を指す。つまり、「ポリコレのやりすぎは破産への道」といった感じだ。

2~3年前思春期前の少女のストリップもどきのダンスを描いた映画で批判されたNetflixの売り上げが今期かなり落ち込んでいるという。またこの間フロリダの児童手懐け禁止法を公に批判したディズニーも売り上げが伸び悩んでいるという事実がある。多くの観客はもうLGBTQ+一辺倒のメディアにいい加減うんざりしているのである。

これに加えて大柄な男子が女子スポーツで次々に記録を塗り替えたりしているのを見て、一般市民は「おいおい、ちょっと待てよ、それは違うんじゃないか?」と思い始めているのだろう。キャンセルカルチャーはその社会の協力なくしては起き得ない。社会全体がそれはおかしいと口にするのを恐れ無くなれば、TRAの特権もまた失われるのだ。


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いかにしてトランス活動家が女性の地位を破壊するか、その手口を紹介

本日非常に恐ろしい記事を見つけた。題して「ターフへの抵抗、彼らの組織を変貌させる(Resisting TERF’s and Transforming Their Organizations)」 Laura Izaguirre(ローラ・イッザギーレ)著。

これはいかにして女性専用空間や女性だけの地位を女装男たちが侵略するかという作戦を詳しく教授する記事である。まず結論をまとめてくれたツイッタラーさんがいたので、それを訳すとこうなる。

  1. 並行した団体を作る
  2. 同時に彼らの団体に潜入する
  3. 彼女達の資金源を狙う
  4. 彼女達の雇用主に通報する
  5. 彼女達のソーシャルメディア(SNS)を遮断する
  6. 彼女達の安全空間を破壊する
  7. 彼女達の身元を晒す
  8. 彼女達を痛めつける

これはまさに女装男たちによる全女性に対する宣戦布告である。

それではこれからトランスジェンダー活動家(TRA)による対女性戦争の作戦を詳細にわたってご説明しよう。

女性専用空間を破壊する方法

TRAに批判的な人々のことを彼らはTERF(ターフ)と呼ぶ。これは彼らが勝手に作り出した「トランス排除後退派ファシスト」の略語と著者は書いているが、実際は「トランス排除的過激派フェミニスト」の略だったはず。しかし聡明な読者諸氏はすでにご存じの通り、この侮蔑語は単に生物学的性別を変更することなど出来ないと信じているごく一般的な良識ある人々全般を指す。しかしTRAはTERFは右翼や極右翼(アルタナ)によって構成されているかのようにいい張り、リベラル系フェミニストやLGBや一般人がTRAを批判することを敬遠するように仕向けているのだ。実際にはLGBの中にも、特にレズビアンの間で、TRAを嫌う傾向はすでにあるにも関わらずである。これなど典型的なやり方だ。

(TERF)はLGBTコミュニティーがファシズムに対抗することを阻止するために存在する。彼らは『レズビアン』や『フェミニスト』を名乗り、白人男性がすべてのクィア性や女性を従僕とさせる手先として機能しているのだ。

つまり自分達をレズビアンだフェミニストだと言ってトランスジェンダリズムを批判する女性達はすべて女性や性的少数派を弾圧せんとする白人男性たちの手先だと言い張るのである。イギリスで、こうした女性たちを沈黙させようと暴力的な行動を続けているトランスジェンダーを名乗るほとんどの男たちが白人男性なのは皮肉である。

この記事の著者ローラ・イッザギーレはTRA批判の女性たちを男尊女卑者/ミソジニストだとして、すでにフェミニスト運動からはとっくの昔に疎外されたごく一部の女性たちであると決めつける。にもかかわらず、これらの過激派フェミニストたちは世界各国で反TRA活動を続けており非常に目障りだ。いったいこのファシストどもをどうやって成敗してくれよう、と問いかける。

ターフなど無視すればいいではないかと言う人も居る。しかしターフどもは宗教右派や反LGBT団体から資金援助を受けていると主張。

これは左翼フェミニスト達やLGB(同性愛)界隈がこれまで保守派を目の敵にしてきたことが仇となっている。彼らにとって右翼保守と一緒にされるほど屈辱的なことはないからだ。

我々右翼保守は特定の問題で左翼リベラルと同意見を持つことに抵抗はないし、同じ意見を持っているもの同士、協力しあえると考える。しかし右翼保守はファシストであり(ファシズムは左翼思想なのだが)女性や性的少数派の敵だと信じて来た人々にとって、TRAの問題で右翼保守とのほうが左翼リベラルたちより共通点が多すぎるということは不思議な感覚に違いない。

イッザギーレは「大人の女子」とポージー・パーカーが始めた運動などヘリテージ基金という保守派によって支持されていることから、白人シス男性の手先だと決めつけている。しかし考えてみれば、どうして女性専用空間運動を擁護するのが保守派団体ばかりなのかということの方が大事な点ではないだろうか?

1.並行した団体を作る

さて女性専用空間を求める団体に対抗するためには、先ずそれと同じような団体を創設し相手の団体の意味を失くすのが良作である。同じような名前の団体を作って一般人が混乱してどちらも同じなのではないかと錯覚を起こさせるやり方だ。

例えばカナダのバンクーバーには強姦被害に遭った女性達用の避難施設があるが、TRAはそれに対抗するトランス女性を許容する施設を作ることによって女性のみの施設を差別的だとして市場から締め出すことに成功した。また、テキサスのオースティン市にトランスジェンダー女性を含むCTFDという団体が出来たことで、それまで女性のみとしていた同じ趣向のクラブが潰されてしまった。

以前に紹介した女性のみのミシフェスとというミュージックフェスティバルも、トランスを許容しない差別イベントだとされ、トランス許容のキャンプトランスによって取って代わられてしまった。

2.女性団体に潜入しリーダーシップを乗っ取る

競争相手となるトランス許容団体を作っても、しぶとく活動を続ける女性のみ団体をぶっ潰すためにはどうしたらいいのか。

昔から右翼保守のグループで言われてきたことだが、積極的に左翼の参加を阻止していないと、いずれはどの団体も左翼に乗っ取られてしまう。右翼保守はすべての人々に発言権を与えようとするため、多少意見の違う人の参加も認めてしまう。それで右翼団体に加入した左翼活動家はどんどん上部へともぼっていき、多数決で指導権を握ったところでその団体の根本的な運営方法を覆してしまうのだ。TRAはまさにそのやり方を実践している。それで女性専用空間を訴える団体に一会員として加入。どんどんと仲間を増やして重要な役員へと昇進する。そして大きな発言権を得たところで女性専用空間団体をトランス許容団体へと変貌させてしまうのだ。

トランス「女性」の入会を拒絶する団体に関しては、トランスに同情的な「シス」女性を抱き込んで、トランスアライをこうした団体に潜入させる。多数決で審議する団体なら、ともかく多数議席を獲得してしまえばいいのだ。30人程度の団体なら、これは容易に達成できる。そしてリーダーを選ぶ選挙の際に、トランス排除的な人々をそれこそ排除してしまえばいいのだ。

3.資金を奪う

市民活動には資金源が必要だ。だからその資金源を断つことが出来れば、これらの団体を破壊することができる。これには政治的なロビーイング、ボイコットや抗議デモや訴訟など色々な方法がある。

カナダでは Coalition Against Trans Antagonism (CATA) なるロビー団体が「すばらしい」仕事をしたとイッザギーレ。彼らが政治家に働きかけたせいで、政府から資金援助を受けていた団体の予算が削られ倒産に追い込まれたというのだ。イッザギーレに言わせると「ターフ」の声は小さく、TRAの声は大きいので、左翼政治家に働きかければ「ターフ」グループへの資金を差し止めるなどお茶の子さいさいだというわけだ。

しかしこれは左翼リベラルな地域では容易に出来ることだが、保守派の牛耳る州ではそう簡単にはいかない。「ターフの後ろでは必ずMAGA帽の奴が応援している」からだ。

こういう場合は彼らのスポンサーを責める。ボイコットは非常に効果的な手段だ。ボイコットが成功した例としてミシフェスとが挙げられる。TRAはミシフェスとに出場する女性アーティストたちをブラックリストに入れて他のプライドフェスティバルに参加できないように手回しをしたのだ。

これによって何十年も続いたミシフェスとは閉鎖され、会場のあった土地は新しい地主に売られた。新しいフェスティバルはトランス女性を含む全く別なものとなってしまった。

ピケティングという抗議デモは昔フェミニストたちが婦人参政権を求めて行った時から使われている方法。実際に会合が行われている会場の前でプラカードを掲げて歩き回る方法。しかしTRAのピケティングは単にサインを掲げるといった平和的なものではない。私は彼らがメーガン・マーフィーが主催した女性達の会合の開場の窓を棒で叩いて大声で中に入れろとやっていたビデオを観たことがある。

イッザギーレはANTIFAの暴徒が暴力を使って保守派の講演を阻止したことを素晴らしく効果的なやり方だと称えている。それにしてもこのイッザギーレの文章は読んでいて胸が悪くなる。二言目にはターフはナチだファシストだヘイターだと繰り返すのだ。

これはTRAに限らず左翼活動家がよく使う手段だが、保守派が主催するイベント会場を監視し、そこを出入りするひとたちに主催者がどれだけのヘイトグループであるかをパンフレットを渡すなどして説得する。この執拗なやり方で売春を反対するレズビアングループが経営していたバンクーバー女性図書館は閉鎖されてしまった。

そしてもちろん最後は訴訟。トランス女性を排除するのは人権迫害だと言って団体を訴える。訴訟で勝つか負けるかは問題ではない。多くの訴訟が起きれば、相手はその都度お金をかけて裁判の及ばなければならず団体はお金も時間も浪費して活動できなくなってしまうからだ。大事なのは地域で性自認による差別を違法とする法律を通させることだ。最近日本の地方都市でこういった法律があちこちで通っているのは、いずれそれを訴訟に利用しよという布石なのかもしれない。

しかし訴訟は両刃の刃でもある。なぜなら訴訟を起こせば女性達には弁護士が付く。話題になって「アルタナライト」たちからの援助を得る可能性もある。

この訴訟で勝った例として、カナダのモーガン・オーガーがビル・ワットコットというキリスト教徒を自分がトランスであることをからかい、女ではないと発言したことは、オーガーの人権侵害であったとして55000ドルの慰謝料を勝ち取った。カナダは左翼過激派が前々から幅をきかせており、アメリカよりもずっとTRAの権力が強い。

アメリカではケーキ屋やピザ屋が度重なる不当な訴訟によって、訴訟には勝ったというものの、時間とお金を浪費してビジネスが潰れるといった例がいくつも起きている。

4.雇用主に通報する

これらの方法を使っても怯まない女性運動のリーダー達を打倒するためには、リーダー格の人間を個人的に攻撃し孤立させるやり方がある。

ターフには全てのナチスのように、平和に存在する権利も安定した職につく権利もない。彼らはファシズムへの支持を提唱したのであり、よってトランスコミュニティーをどこであろうと直接攻撃すると宣言したのだ。 彼等は他人の安全と尊厳を脅かす、よって彼らにもそれを持つ権利はない。彼らが今一度人間として生きることを選ぶまでは。

うわあ~、TRAは過激だと思っていたが、ここまで過激だったとは。彼らは我々には存在する権利すらないと言い張るのだ。

5.ソーシャルメディアの遮断

最近は誰でもソーシャルメディア(SNS)を使って自分達のメッセージを広めているが、これを逆手にとってTRAは「ターフ」たちのフェイスブックやレディットやウィキなどから、彼らが差別発言や行動をとったことがないか探し記録に取っておくようにと指図する。そしてコメントやレビューを残せるページには必ず嫌がらせのメッセージを送れとある。

6.安全空間の破壊

ネットのみならず、実際の広告なども自分らの広告を上から張るなどして破壊する。ここでイッザギーレはどんなやり方をするのかを丁寧に説明している。そしてここが怖いところ。

安全空間への出入りをコントロールせよ。ヘイトを提唱する奴らの門番となることを恐れるな。ターフはそれをやっている。プライドパレードから締め出せ。奴らが無理に入って来ようとしたら囲みこめ、やじり倒せ、そして奴らが目立つことや効果を阻止するのだ。

7.身元を晒す

TRAは女性運動家たちのフェイスブックや他のサイトを使って彼らの素性を割り出し、彼女たちの友人や家族や職場に連絡して、彼女たちが如何にトランスフォーブであるかを告げ口する。根性のない雇用主やトランスに洗脳されている大学などは、即座に女性達を解雇してしまうので、これは女性達を黙らせるには非常に効果的なやり方と言える。

このやり方で教授として職を失ったのがマヤ・フォーステーター女史だ。彼女の解雇に関してはJ.K.ローリング女史が抗議のツイートをしたことでも有名だ。TRAは彼女たちを解雇に追い込むだけでなく、将来も再就職の道を閉ざすべきだと主張する。

ここまで読んでいて、今更ながらに気が付いたことがある。私は最初この記事を単にトランス権利活動家(TRA)によるものだと思ったのだが、読んでいくうちに、これはANTIFAのマニュアルであることに気付いた。どうりでやたらとファシストという言葉が出てくるわけだ。彼らの右翼保守による憎しみもそれで理解できるというものである。

さて、アンティファは今アルタナライトの名簿を作成中だという。無論彼らにとって極左翼でない人間は誰でもアルタナライトなので意味はないが、彼らが敵とみなした人々の個人情報を集めてデータベースを作っているというのだ。

フェイスブックや他のSNSで同じようなハンドルで書いてる人間を探し出す。どこかで実名を使っている場合があるので、見つけたら即記録せよ、顔写真が出ていたらキャプチャして保存する。差別的なことを言っているものがあったらそれも証拠として保存する。などなど、、

8.暴力で女たちを痛めつける

さてこれからはANTIFAお得意の暴力行為。敵の住所を特定したら家のドライブウエイにペンキで落書きしたり、自家用車を燃やしたりする。

そして無論、ターフ本人への暴力も大いに奨励する。パンチターフス(ターフをぶん殴れ)という運動もあるくらいなので、これは良く知られたやり方だ。直接殴る勇気のない人はANTIFAがフリーランス記者のアンディー・ノーにしたようにセメント入りミルクシェイクをお見舞いさせてやれと煽る。

できれば殺人はよくない、アンティファはまだ一度も殺人を犯したことがない、とイッザギーレは言うがこれは正しくない。私が知るだけでアンティファは3人のトランプ支持者を射殺している。アンディー・ノーも単にアンティファが殺し損ねたというだけで、何人もで囲んで殴る蹴るをしておいて殺すつもりはなかったとかよく言うよ。

結論

私は前々からANTIFAには多くのTRAが混ざっていると感じていたが、これを読んでいたら、TRAはまさにANTIFAで全く区別がつかない暴力団だということが解る。アライと呼ばれるリベラルフェミニストたちは、自分らがどんな人たちと同盟を結んでいるか知っているのだろうか?

平和な社会にANTIFAこそ存在すべきではない。彼らのようにどんな手段を使ってでも意見の合わない人々を破壊しようとするような奴らと我々が共存することなどありえない。

私はトランスジェンダリズムは非常に危険な思想だとずっと考えて来たが、その私ですら、こんな危険な思想だったとは気が付かなかった。

彼らは恐ろしい組織だ。彼らと戦う我々には十分な注意が必要である。


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スエーデン、危険な未成年への第二次性徴ブロッカーの処方を禁止する方針へ

数年前から始まった、性違和のある思春期前の子どもたちに第二次性徴を阻止するブロッカー投与だが、スエーデンでは今回深刻な後遺症に悩む子供たちの現状を受け、未成年へのブロッカー投与を禁止する動きとなった。遅すぎるが、遅くてもやらないよりはずっといい。

こちらデイリーメイルの記事より。

スエーデン

スエーデンの国営放送は先日第二次性徴ブロッカーを長期にわたって接種した子供たちが大人になって苦しんでいるという番組を報道した。番組の調査によれば、同国でもっとも有名なKarolinska University Hospitalでブロッカー治療を受けた440人の子どものうち13人が恐ろしい後遺症に苦しんでいるということが解った。

病状はといえば、肝臓損傷、突然の体重増加(最高12キロ)、精神面での問題、背が伸びない、そして女の子の場合はの骨粗鬆症もみられた。

11歳から15歳までブロッカーを接種していたレオという女の子の場合、骨粗鬆症により背骨の骨折が起き、常に痛みに苦しんでいる。これは普通更年期後の60代から70代の女性の間でエストロゲン不足のために起きやすい症状だが、一度始まると元に戻すことは出来ない。

国営放送がこの番組を放映した後、Karolinska大学病院は未成年へのブロッカー投与は厳選された例以外は今後処方しないと発表した。

これによってスエーデンの保健省は18未満へのブロッカー投与は治療効果を上回る危険があると認めた。スエーデンを代表する小児科医のRicard Nergardh医師は、この薬品は子供を科学的に去勢するものであり、子供たちの精神にダメージを与えるものだと語る。

同番組では病院が「間違った体に生まれた」と主張する子供たちの性転換治療を十分な精神カウンセリングもなしに急がせたと指摘。なんと若い子では14歳で乳房除去の手術を受けさせていたという。

アメリカ

この記事とは別に、アメリカではRedditという人生相談掲示板で子供の頃にブロッカーを投与された男の子の母親からの人生相談が投稿された。評判になりすぎたため元の投稿は削除されているが、私が覚えている限りの話をすると、

ある母親は、10歳ぐらいの時に女の子になりたいと言い出した息子をジェンダー専門家に連れて行き、11歳くらいからブロッカー投与をさせた。母親は息子の性転換のためになんでも正しいことをやってきたと言う。しかし、現在20歳になった息子は、性適合手術をするにあたり、長年のブロッカ―接種のせいでペニスが十分に成長しておらず、ベニスを裏返して人口膣を作る手術は不可能だと言われたという。息子はブロッカーのせいで性欲はゼロ。女子として男子と付き合いたくてもセックスに興味がないため男子からは相手にされない。女性への性転換手術も不可能に近いとあって、息子は自殺願望になっている、どうしたらいいかという投稿だ。

「息子の性転換のためになんでも正しいことをやった」という母親の思い違いのために、息子は子供のうちから化学的に去勢されてしまい、今や男としては完全に不能な身体になってしまった。そして女として生きたいと思っても適合手術も受けられない、中途半端な身体になってしまったのだ。

リアリティーテレビで人気のあるジャズという男の子も、ブロッカーのせいでペニスが小さすぎて一番安全なペニス裏返し手術ではなく、腸の一部を使う手術を受けたが、これは非常に危険な手術で成功率は低く後々複雑な問題が起きる。ジャズの場合も術後の問題が生じて非常に苦しい思いをしているのがショーでも映し出されていた。日本人の元男の子ユーチューバーもこのやり方で「膣」から便が出るとか臭いが酷いとか色々な問題を体験から話していた。

アメリカでは最近多々の州で未成年へのブロッカー投与を禁止する法律が通っている。

未成年へのブロッカー処方を今すぐやめるべき

最近になってフィンランド、フランス、イギリスなどでも、子供の性転換にブロッカーや異性ホルモンの処方は危険なので考えなおすべきなのではないかという話が色々でている。多くのクリニックで大した問診もなく、患者が自分は性違和があると言いさえすれば、大急ぎでホルモン治療が始まってしまう。医者たちもそれを拒絶するとトランスフォーブだとか批判されるのが怖くて適切な診断を下すことが出来ない。おかげで数年後に性転換を後悔する子供たちが大勢出ている。

以前に幼少期に性違和を訴える子供の90%近くが、思春期を過ぎると普通に健康な大人になるという話を紹介した。もしも性違和が病気だとするならば、成功率90%もある治療法(自然治癒)ではなく、不可逆的で一生深刻な副作用に苦しめられる薬品治療を選ぶ理由はまるでない。

性違和の治療法としてブロッカーもホルモンも適合手術も決して効果的な方法とは言えない。我々はニューハーフに見える可愛い「元男の子」や、テレビのオネエタレントだけ見て、こうした治療法を軽く観る傾向があるが、治療に失敗して自殺する人々もかなりの数いる。そうした統計をとることは難しいが、ホルモン治療をさせないと自殺する子供が増えるなどという根拠のないトランス活動家のいうことに耳を傾けるのではなく、本当に子供の身体と精神の健康のために何をすべきなのか、大人たちは真剣に考えるべきである。

今すぐこの危険で野蛮な治療は止めるべきだ。


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何故クィア理論は小児性愛肯定へとつながるのか

前回LGBTQ+界隈がLGBの人たちをシスと言って罵り、今や性別の境界線をぼやかして性そのものをなきものにしようとしているという話をしたが、本日はこのクィア理論というものが必然的に小児性愛の肯定へとつながるという話をしたい。

フロリダで反子供手懐け法が通ったというのも、クィアを名乗る教育者たちが幼稚園児からLGBTQ+教育をして子供のうちから性に対する抵抗を薄れさせようとしていることが問題視され始めたからだ。なぜクィア連中は子供の洗脳にこうも必死になるのだろうか?

先ずクィア理論を簡単におさらいしてみよう。

クィア理論とは性別や性指向に関する伝統的な概念を解体する方法である。この分野は性指向や女性学から派生したものである。クィア理論者は性別や性指向は社会や文化によって構築された概念であると考える。クィア理論の目標はこの伝統的な学問のやり方に挑戦し社会的不平等と闘うことにある。IU Libraryより

クィア理論が求めるものは同性愛も両性愛もトランスも含めて、弾圧されてきた性的少数派をクィアという傘の元に一括して考えることだ。これをするためにはこれまで特定の属性の人々が個人の体験によって得てきた知識を根本的に拒絶する必要がある。

このクィア理論がどのように小児性愛と繋がるのか。フェデラリストの記事Defending Pedophilia Is The Logical Conclusion Of Queer Theoryから読んでみよう。

昨年2021年の11月、アリン・ウォーカー(Allyn Walker)という教授がオールドドミニオン大学を辞任した。ノンバイナリを自認する彼女の小児性愛を肯定する考えが批判を浴び辞任を余儀なくされたのである。彼女は小児性愛のことをペドフィリアではなく「未成年に魅かれる人々」という意味のMAPsと呼ぶべきと提唱した。彼女はペドフィリアが悪であるという概念は社会的構造であり、本来子供に魅力を感じることは単なる性指向であり不道徳ではない、であるからペドフィリアというスティグマのつく名前ではなくMAPという表現をすべきだと主張したのだ。ウォーカーはMAPは単なる性的少数派として扱われるべきだと考える。

ペドフィリアが普通の性癖であると考えるのはウォーカーだけではない。ウォーカーの元同僚のバネッサ・パンフィリ(Vanessa Panfil)教授もペドフィリアに関する悪い印象をぬぐうべきと主張する。ウォーカーがクィア理論の父と称えるフランスのMichel Foucault 教授もフランスにおける性行為の同意年齢規制撤廃を訴えていた。同じくゲイル・ルービン(Gayle Rubin)も1984年のエッセイ「性を考える」でペドフィリアを弁護していた。

ウォーカーは小児性愛者が実際に小児に危害を加えない以上、小児ポルノを性欲のはけ口にすることは良いことであり、大人が子供とのセックスを妄想することは無害だと考える。彼女は小児ポルノにはモデルになっている子供たちという被害者がいることなど完全に無視している。

ペドフィリアは不道徳であるという「社会構造」を破壊すべきというクィア理論によって誰が一番の犠牲者になるかといえば、それは言わずと知れた彼らの性的対象となる子供たちである。クィア理論は子供は無垢であるという思想すら拒絶するからだ。

その結果が幼稚園や小学校で「ジェンダークィア」などという本が教えられ、あからさまなポルノが学校の図書館に置かれたり、ジェンダーユニコーンなどといって幼い子供にジェンダーを選ばせるなどという「教育」が行われるようになったのである。

性嗜好に関する元来の概念を解体するという理論のもとに、クィア理論はこれまでタブーとされてきた子供への性教育を正当化した。クィア理論を笠に着て彼らはペドフィリアを正当化しようとしているのだ。

性別は二元性であるというこれまでのLGBTと違って、クィアは性別の境界線を失くし、性対象の年齢すら無視する。クィア理論は、もうすでに十分過激なトランス思想すらまともに見えるほど、恐ろしい思想なのである。


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新しいホモフォビア、それはLGBTQ+思想

以前にもLGBTQ+運動で居場所を奪われた同性愛者たちの苦悩というエントリーで、最近のLGBTQ+界隈では同性愛者たちが肩身の狭い思いをしているという話を紹介したが、今回もそれと同じテーマのオプエドを見つけたので紹介しよう。実はこれはツイッターでJ.K.ローリング女史もリツイートしていた。そのことを批判する新聞記事もあったが、まあそれは置いておこう。

今回紹介するエッセーは新しいホモフォビアで、著者はベン・アぺルというゲイ男性。

今のアメリカでは非常に恐ろしい新しい形のホモフォビア(同性愛者差別)が広まっている。しかも皮肉なことに、それはLGBTQ+活動という隠れ蓑を着ている。この活動は自分のように大人の同性愛者の権利を促進するものなどではなく、我々が平和に社会で生きていくことを困難にし、我々の存在そのものを脅かすものだ。

とアペルは始める。アぺルが最初にこのことに気付いたのは2017年の夏、彼がメジャーなLGBTQ+組織でインターンをした時だった。その夏アペルは高校卒後10年も延期していた大学生活を始めたばかりだった。それまでにも同性結婚やトランスジェンダーの人権といった活動に参加したことのあったアペルの志望は社会正義作家兼活動家になることだった。

しかし彼の夢はすぐに壊れ恐怖と恥に包まれてしまった。アぺルはすぐに自分は正しい「クィア」ではないと知らされた。彼はそれまで聞いたこともなかった「シス(シスジェンダーの略」と呼ばれ、特権階級だといわれた。何しろアぺルは普通に結婚もでき、軍隊にも入れ、父系長社会の抑圧社会に溶け込める「シスヘテロノーマティブ」の一員だからだというのである。今やゲイは新世代のクィアに道を空けるべきであり、セックス(肉体的性)を元にした人権運動や性や性指向といった活動は破壊すべきだという考えに直面したのだ。

当時アペルは同僚の正しい代名詞を覚えたり新しい革新派思想に追いつくのに疲労困憊していた。もしちょっとでも間違えたら責められると恐怖におののいていた。あまりにも圧倒されたため冷静に考えることが出来ず、いったいこんな考えが何処から来たのだろうと質問する余裕もなかった。しかし通っていたコロンビア大学でアメリカのレズビアンとゲイの歴史をというコースを取ったことで、この超クィアな思想を理解できるようになった。

このコースでアぺルはフランスのMichel Foucaultが考え出したクィア説というものを学ぶ。これは社会は人々を男子、女子、異性愛者、同性愛者に分けることによって人々を弾圧するように出来ているという考え。解決策はこの境界線をあやふやにする、つまり「クィアにする」ことだという。同大学ではこのクィアリングがジェンダーや性嗜好を語る際に主流な考え方となっていった。

この考えはツイッターやティックトックやタンブラーといったソーシャルメディア(SNS)で大拡散され、いまや自分を「ノンバイナリー」だの「トランス」だのと自認する若者が爆発的に激増している。

クィア説は白人シスジェンダー男性によって作られた、生まれた時に「割り当てられた」性別を拒絶する必要があると主張する。

もしこれが単に性別によるステレオタイプから逸脱するという考えであるなら特に問題はない。それならゲイもレズもフェミニストも多分保守派ですらも、今の時代歓迎しただろう。しかし問題なのは、単に少年がマニュキュアを塗るとかドレスを着るとかだけでは飽き足らず、危険なホルモン接種をしたり不可逆的な整形手術などを受けてしまうことだ。

非常に稀なケースで、性違和の緩和にホルモン治療が適している場合もあるが、大抵の場合は少なくとも85%の少年少女が思春期を超すと性違和を感じなくなるという調査結果がいくつもある。これらの調査では多くの少年少女が立派なゲイやレズビアンやバイセクシュアルに育つとある。

このような調査がなかったとしても、ほとんどのゲイやレズビアンはそれを体験している。同性愛者はアぺルも含めて子供の頃に男らしくないと言われて虐められることなど普通で、その度に「お前は男か女か」と問い詰められるのだ。そして「おカマ野郎」などと罵倒される。

アぺルは子供の頃姉のドレスを着て遊び、自分は女の子なんだと思ったりもした。しかし結局自分は健康で筋骨たくましい男に育った。そして長年にわたり同性愛差別の中で育ったにも関わらず自分の同性愛志向を受け入れられるようになった。

無論未だに宗教右翼による同性愛差別はある。しかし今日自分が同等に恐れるのは左翼過激派活動家だとアぺルは言う。活動家たちは時代遅れの性別役割ステレオタイプを推進し、ホルモン治療の長期的な問題点を過小評価し自分のアイデンティティーすらも奪おうとしている。なぜなら生物学的性がなければ同性愛も存在しないからだ。

今日、私のような者に一番不寛容な場所は、なんと他でもないLGBT人権組織の中だ。脅威は暴力ではないかもしれない、しかしひどいスティグマと恥という脅威を与える場所なのである。

アぺルは男性だが、これが女性の同性愛者の場合は実際に強姦を含む暴力の脅威にさらされる。だから大学のLGBTQ+サークルにレズビアン達が参加しなくなっているという現実がある。

これこそが、J.K.ローリング女史をして「性は現実だ」と言わしめた理由なのだ。


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ディズニー対フロリダ、ディズニーの暴走ぶりに怒るディサンティス知事はディズニーの税優遇扱いを撤廃すると発表

フロリダ議会は、「反子供手懐け法」に関するディズニーによる行き過ぎた関与に対して手厳しい報復に出た。

日本経済新聞【ヒューストン=花房良祐】米南部フロリダ州はテーマパーク「ディズニーワールド」の税務上の特区を2023年6月に廃止する。米ウォルト・ディズニーはLGBTQ(性的少数者)を巡る州政府の政策に反対しており、これに共和党のデサンティス知事が報復した格好だ。

1960年代から特権として認められ、税制の優遇措置を受けられるかわりに広大な敷地内の消防や電力、水といった社会インフラをディズニーが整備する「自治区」のような制度。優遇措置がなくなればテーマパークの収益性や設備の更新に影響する可能性もある。

きっかけは、州政府が小学校でLGBTQに関する教育を制限する政策を導入したこと。ディズニーは当初は静観していたが、世論の批判を受けて反対を表明した。知事がこれに報復するために州議会に特権の剝奪を要請した。

20日に州議会上院、21日に同下院で賛成多数で可決された。知事の署名で法案が成立する。

ディズニーはフロリダ首都に38人のロビーイストを雇っており、選挙の度に共和民主に関わらず大金の政治献金を送ってきた。オーランドにあるディズニーワールドとその周辺のリゾートは毎年5000万人の観光客を集め、フロリダの観光収入で地元に5億ドルの収益をもたらしている大企業である。

それでディズニーは55年間もフロリダでやりたい放題やってきた。

ディズニーワールドとそのリゾートがあるのはザ・リーディークリーク開発地域よ呼ばれフロリダ州がディズニーにオーランドの南20マイルのところにテーマパークを作ってもらいために1967年に設立された。これによってディズニーはフロリダから税金の面で多額の優遇を受けていた。また地域内で道路を作った時も、ディズニーが地元政府を通じずに債券を発行した。

しかしディズニーの特権は金銭的なことだけではない。ディズニーは地区内での道路計画など建物にして税金調達やディズニー独自の消防署や消防隊などを持っており、またディズニーワールド内では独自の発電施設まである。

フロリダのディズニーワールドリゾートには六つのテーマパークがあり、野外ショッピングモールやバスケットボール、サッカーバレーボール、野球などとのコートの他、18のディズニー経営ホテルがあり、ディズニーワールドのバスサービスはセントルイス市並の規模だ。

いまやフロリダといえばディズニーといったほどの大企業であるのに、フロリダ州をこんな扱いをしてもいいのだろうか?

もっともディズニーとフロリダ州の亀裂はコロナ政策に関しても衝突しており、フロリダ州の緩い政策にくらべディズニーは従業員の強制ワクチン接種などを強行しようとして知事ともめたこともある。そして極めつけは今回の学校における保護者の権利に関する法律、「反子供手懐け法」を巡り、ディニーが強く政府に抗議したことだ。

いくらディズニーが巨大な企業であろうと、フロリダ州の政策に口は出させないというのがディサントス知事とフロリダ議会の姿勢である。

お目覚め主義を押し通すと碌なことはない。Get WOKE, and go broke.

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夫婦別姓、同性婚、特例法の緩和、すべてに共通するのは何か?

アップデートあり:井田奈緒の過去のツイートで彼女の戸籍に関する意見を述べるものがあったので付け足す。(4・17・22)

昨日、よだかれん、という元男のトランスジェンダー議員の人のツイートを巡って井田奈緒という人とツイッターで何度かやり取りをした。よだかれんは自分は性適合手術を受けて戸籍も女性に変えた人だが、戸籍変更のための手術済という条件を緩和すべきという考えの人だ。

しかし未手術の人の戸籍を女性に変えた場合、男性体の人が女子空間に入ってくる可能性があるため、そのようなことを女性は許容すべきなのかという話で、井田は女性が受け入れるべきであり、それをしないのは性差別だと言っていたことに私が反論したことがきっかけだった。

私の議論は、性違和のある人への極端な配慮は、かえってトランスジェンダーへの反感を生み逆効果なのではないか、トランスも女性も平和共存できる方法を考えるべきなのではないかというもの。しかし彼女はトイレの警備を厳重にするとか、マイノリティがマイノリティを迫害しない社会にすべきとか要点を逃した頓珍漢な答えを返して来たので、私は下記のような質問をした。

もう一度確認します。女性がTGと女性空間を共用したくないと考えることは、TGへの迫害になるというお考えですね?マイノリティがマイノリティを迫害しない社会とは、要するに女性がTGのために我慢を強いられる社会だという考えでよろしいんですね?

私の質問に答えてください。あなたにとって性的マイノリティーと女性が共存するためには、女性が自称女性の男性を女性空間に許容する以外に方法はないという考えですよね?女性がそれを拒否したらそれは性差別とみなされるという解釈であってますよね?

井田さん、あなたに聞いてるんですけど?ちゃんと答えてくれませんか?トランスジェンダーと一般女性との平和共存は女性に犠牲を強いなければ実現しないという理解でいいんですよね?

井田が最初の質問をのらりくらりとかわしたので、私は何度も同じ質問を続けた。無論、井田はそんな質問に答えることなく、結局私をブロックした。私はこの会話を記録しておかなかったので記憶にたよるしかないのだが私へのブロック直前に私と同じようなことを言っていたひとにたいする井田の反応がこれ。ここでいう彼女とは、よだかれん議員のこと。

繰り返します。差別発言やめなさい。 彼女が誰もが生きやすい社会を目指すことの意味を、あなたが体現しています。

その後になって井田奈緒と言う人が、選択的夫婦別姓を推進している活動家であることを知った。

先ず私はこの人が女性だと知らなかった(笑)。女性が女装男子を女子空間に許容することをこれほど熱心に語る理由が理解できなかったからだ。しかも夫婦別姓というフェミニストの活動をしている人だったとは!

だいたい夫婦別姓というのは結婚したら女性ばかりが別姓を名乗らされ、多々の書類変更で時間やお金をかけさせられるのは不平等だという立場からの活動ではないのか?一方で男女平等を唄いながら、一方で女装男子に迎合して女性に犠牲を強いるというのは完全に矛盾してはいないか?

そしたら誰かが、男性同士の同性婚が認められたら、夫婦別姓なんて速攻で通りますよ、とツイートをくれ、しかも井田さんも同性婚には賛成してますよ、という情報も頂いた。それで私はピーンと来た。

なるほどそういうことかと。

先日、東京都のパートナーシップ制度の話で松浦大悟氏が同性愛者の8割がたはそういう制度を求めていないし、そういう制度のある地域でも利用しているのはごく僅かだという話をしていたが、夫婦別姓に関しても賛成と言っているのは30%程度だと言われている。しかも選択的夫婦別姓が認められているカナダやアメリカでも、旧姓を保つ女性の数は4.6%から6%とごく一部。専業主婦の多い日本では多分もっと少ないと思われる。

特例法の緩和にしてもそうだ。もともと特例法は性違和の治療として性適合手術を受けた人が風貌と戸籍が一致しないと不便だからという理由で特別に戸籍の性別変更を認めるという法律だったはず。適合手術を受けない人は、身体と戸籍の性が一致しているわけだから特に不都合はない。常識的に考えて、身体の性と戸籍の性が一致していないほうが色々と面倒なことになるはずだ。

こうして考えると夫婦別姓も同性婚も特例法の緩和も、当事者たちは求めているというよりも、活動家だけが必死に要求している法改正だということが解る。しかし当事者達が必要としていないのに、活動家たちはどうしてこんなにも一生懸命になるんだろうか?

誰かが、少なくとも井田の場合は単なる売名とお金めあてだろうと言っていた。確かに活動家というのはお金になる。この間もBLMの幹部が600万ドルの豪邸をカリフォルニアで購入して問題になった。

だが彼らの動機はそれだけだろうか?

実はこの三つの法改正には共通点がある。それはどれも戸籍制度を改正する必要があるという点だ。しかも夫婦別姓を支持する人は同性婚も特例法緩和も支持するのが普通であり、これは単なる偶然とは思えないのだ。

アメリカでもそうだが、極左翼の人々は自国の伝統や根本的な基盤を壊そうとする。日本の戸籍は世界的にもユニークな制度で、結婚して夫(または妻)の籍にはいると、妻(夫)は嫁いだ先の家族の一員として認められることを意味する。戸籍は日本の家族制度の基盤といってもいい。それを左翼活動家たちは、あっちからちょっと、こっちからちょっと、とだんだんと削り減らしていっているように見えるのだ。これは左翼が戸籍制度をないものとして、日本の家族制度を根本から崩して行こうという陰謀なのではないか、と私は思うのだ。

アップデート:2022年4月17日

ツイッターで井田奈緒の過去のツイートを張ってくれた人がいた、そのツイートのなかで井田はこんなことを言っている。

筆頭者の下に家族を紐づける戸籍制度の問題は明治大学シーダー氏も指摘してますね。当然改訂すべきです。しかし女性参政権が女性の弁護士を認める改正からはじまったように、一足と日には行きません。いまの戸籍制度を残しつつの選択的夫婦別姓実現が先ず第一歩と考えています。2018年12月19日

井田がどうも胡散臭い人だと感じた私の直感は正しかったようだ。

ちなみに井田の釈明。

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ジェンダーフリーからトランスジェンダーへ、ゲイからクィアへ、文明社会を破壊する危険な思想

日本では同性結婚などというものは起こりえないとみなさんがお考えなら、甘い、と申し上げる。(略)男女共同参画の基盤となっているジェンダーフリーという性別解消の思想が横行すれば、それが必然的に同性結婚へと結びつくことは目に見えている。性に違いがないなら同性同士の結婚になんの問題があるというのだ、という理屈になるからだ。ー 苺畑カカシ(2008年3月8日、「ジェンダーフリーは自由社会を破壊する」より)

上記はアメリカでまだ同性婚が合法となっていなかった頃に、同性婚を反対する意味で書いたものだ。私は当時、同性婚を受け入れたら、別の形の結婚も受け入れざる負えなくなり、いずれ文明社会の基盤となっている一夫一婦制の結婚制度が破壊されて文明社会の破壊をもたらすと考えていた。しかし私の理論は話が逆さまだった。「ジェンダーフリーという性別解消の思想」が同性婚をもたらすのではなく、同性婚が合法化されたことによってジェンダーフリーという性別解消思想が正当化されたのである。

人間は歴史を通じて結婚は子孫を残すための男女の結合であると考えて来た。文化によって結婚の形は必ずしも一夫一婦制ではなかったが、それでも子孫繁栄のために男女には子育てに置いて全く違う役割が課されていた。なぜなら男女の差は単なる肉体的なことだけではなく、その特性によって子育てにもたらす貢献が全く違っており、健康な子供の成育には男女双方の力が必要であると、どんな社会も理解していたからだ。

同性婚では親が二人いても、どちらの貢献も同じであり、異性親のもたらすもうひとつの要素が欠けてしまう。同性愛者によって育てられた子供の特徴が片親で育った子供のそれに似ているというのも非常に納得のいく現象である。両親というのは二人いればいいというものではないのだ。

しかし同性婚は法廷によって国民の意思を無視して認められてしまった。それによって男でも女でも親としての役割は同じであり男女には性差はないという意味となり、男/女の出来ることは女/男にも出来る、であるから男は女に女は男に性転換することが出来るのだという思想へと繋がってしまったのだ。

我々はえてしてLGBT活動家の目的は同性婚の合法化であると考えがちだが、実はそれは違う。同性婚は単なる布石であり、本当の目的は全く別なところにある。

最近地方自治体で次々に発案されているパートナーシップ制度を例に考えてみたい。こちらは多摩市の例だ。強調はカカシ。

パートナーシップ制度とは

パートナーシップ制度は、戸籍上同性であることなどを理由に入籍することができない2人が、市に対してパートナーシップ関係にあることを宣誓する制度です。市はその思いを受け止め、「パートナーシップ宣誓書受領証」と「パートナーシップ宣誓書受領証カード」を交付します。

この制度に法的拘束力はありませんが、広く制度の趣旨をご理解いただき、多様な性的指向・性自認に対する理解が進むことで、将来的に婚姻と同等のサービスを受けられるようになることが期待されます。

この「戸籍上同性であることなど」という言葉がどうもひっかかる。同性である以外のどんなカップルを想定しているのだ?

実はそれがLGBTQ+である。

LGBTQ+(エルジービーティーキュープラス)とは

LGBTQ+は、L(レズビアン)・G(ゲイ)・B(バイセクシュアル)・T(トランスジェンダー)・Q(クエスチョニングまたはクィア)の頭文字と、「+(プラス)」(それらに当てはまらない多様な性)を組み合わせたもので、多様な性のあり方を表す言葉として日本のみならず世界各国で広く使われています。

そしてLGBTQ+の解説はこちら。

レズビアン  同性を好きになる女性
 ゲイ 同性を好きになる男性
 バイセクシュアル 同性も異性も恋愛対象になる人
 トランスジェンダー 出生時に登録された性別に違和感のある人
クエスチョニング(クィア) 自分は何者なのかわからない、決めたくない人
 +(プラス) 定義しきれない多様な性

読者諸氏もおかしいと思われると思うが、パートナーシップとは合法に結婚出来ない人たちが、行政上合法なカップルとして扱われるための制度のはずだ。現在日本の法律では血縁関係の薄い大人の男女以外の結婚は認められていないので、この制度で利益を受けるのは戸籍上同性同士のカップルのみのはずだ。なぜその制度にTQ+の人たちが含まれるのだろうか?

普通に考えて自分が自分をどちらの性だと思っていようと、身体的な異性と結婚したいと思っているなら別にパートナーシップなど起用しなくても普通に結婚すればいいだけの話だ。戸籍を変えない以上、戸籍上の男性が戸籍上の女性と結婚することは全く問題ない。自分の性別が何か解らない人なども、相手が戸籍上同性でない限り特にこの制度から得られるものはない。

ゲイ評論家の松浦大悟氏によると、東京都がパートナーシップを発案する以前に行った同性愛者を対象とした世論調査において、同性愛者であることで困難な体験したと応えた人は全体の7割で、残りの三割も子供の頃にいじめられた程度の体験だった。自治体ですでに同じような制度のあるところに住む人でも8割が活用しておらず、まるで必要性を感じないと応えたという。

こうした制度を施行する自治体が意見を聞く当事者というのは左翼活動家ばかりであり、一般の当事者の声などまるで反映されていないと松浦氏は言う。では一体活動家たちの目的は何なのか?

松浦氏がいうに、戸籍上男女のカップルでも、どちらかが性自認は異性だとして、同性カップルとしてパートナー制度を利用すれば、「男」が出産したり「女」が子供をはらませるといったことが起きかねない。そうしたら自治体は彼らの性別自認を認めることになりはしないか。

同性パートナーシップ制度はそれだけでは終わらない。アメリカの例を見ればわかる通り、この制度は同性婚への第一段階に過ぎないのだ。すでに日本では同性婚合法化への訴訟が起きているが、パートナーシップ制度が全国に広がれば、すでに事実上同性カップルは社会に認められているという既成事実をつくることになる。

そして本当は異性カップルなのに、同性カップルとして登録しているからという理由で、戸籍の性別も変えられるべきだと言い出す人も出てくるだろう。そうやって既存の特例法も全く意味のないものと化してしまうのだ。

松浦氏によれば、同性婚もパートナシップ制度も同性愛者の間ではまるで人気がない。実際に求めているひとたちは同性愛者たちではなく、LGBTQ+活動家たちだけなのだ。

Qはクエッションマークを意味しない

ところで多摩市によるQの説明だが、Qは「クエスチョニング」という解釈は正しくない。このQは「クィア」のことであり「自分は何者なのかわからない、決めたくない人」などという無難な人々をさすのではない。

ではクィアとは何ぞやという話になる。

実は私は2008年にこの質問を投げかけている。何故かと言うと、当時フェミニズムについて議論していた小山エミが自分のことをクィアだと言っていたからだ。変態たちが押し進めるジェンダーフリーという神話 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)

英語でいうQueerとは形容詞で使われる場合は「一風変わった、おかしな」という意味になるが、それが名詞として使われると「一風変わった人」というよりも「変態」という意味になる。昔の人は同性愛者は変態だと思っていたので、それがだんだんと同性愛者への侮蔑語へと変わった。そして同性愛者を迫害していたイギリスなどでは、ちょっと女々しいと思われる男性を「クィア」といって罵倒し暴力を振るったりすることが結構おきていた。だから中高年以上の同性愛者たちは活動家が自分らを指してクィアと言う呼び名を使うのを嫌がる傾向があるのだ。

そういう背景があるので、小山エミが実は自称女の男だということを知らなかった私は、女性であるエミがクィアだというならレズビアンを指すのだろうと非常にナイーブな解釈をしていた。しかし小山エミはクィア=同性愛者という意味ではないと断言したため私は非常に混乱したのである。

ではいったいクィアとはどんな人たちなのか?

2008年に小山エミから「読め!」と勧められたクィアースタディー入門から読んでみよう。強調はカカシ

クィアをとてもうまく説明したものに、“Anything that is not straight(ストレートでない者はすべてクィア)”という表現がある。ストレートは、「真っすぐ、まっとうな」の意。とすると、クィアは「まっとうではない」ので、そういう意味では「変態」という日本語がいちばん近い。

つまり、クィアとは、自分はまっとうなものとは違う、という差異を示す言葉であって、どう違うかを示す言葉ではない。違いの内容に言及すると、なにがまっとうかを認めてしまうことになるから。中身の違いを言わずにただ「違う」とだけ主張するのがクィアだから、究極的には態度の問題であるといえる。クィアとは、「自分たちはまっとうじゃないよ」という態度のこと。…

したがって、クィアとは特定のグループを指す言葉ではない。ましてや、同性愛者やバイセクシュアル、トランスジェンダーやトランスセクシュアルを指す用語でもない。原理上は、「自分はまっとうじゃない」と言えばだれでもクィア。なにがまっとうかまっとうじゃないかは決めない。そんな線引きはせずに、みんな変態でいいじゃないか、という感じ。だから、クィアとはある意味、非限定的な言葉。いろんなものを含む包括的な用語概念。ーーーミヤマアキラ著クィア・スタディ入門(2)より

昔からこの手の人たちは「自分は○○ではない」とは言うが、じゃあ自分は何なのかという質問には絶対に答えずに、こうやってはぐらかすのが得意だ。しかし何が「まっとう」な状態かを定義したら、それがまっとうだと認めることになるから出来ないなんて、いったいどういう屁理屈なんだ?

ただここで解ることはクィアと自認する人たちはLGBTですら「まっとうな人たち」だと思っているほどの変態なのだということだ。今自分らのことをクィアと呼んでいる人たちを観察してみれば良く分かる。

TikTokなどで髪の毛を紫やピンクに染めて顔にピアスをいくつもつけて体中入れ墨してる男か女か解らない人たちが、幼児に極端な性嗜好を植え付ける洗脳を行っていることを観てほしい。つまり、クィアとは文字通り変態を指すのだ。彼らは幼児性愛含む非常に危険な性嗜好をもった人々であり、自分のことをクィアだなどと呼ぶ人には容易に近づいてはいけない。ましてや子供を近づけたりしてはいけないのだ。

日本のLGBT活動家たちが訳の分からない横文字を並べて、もっともらしい議論を展開するときは、我々一般人は非常に警戒して対応する必要がある。彼らは我々が理解できないことを良いことに自分らの非常に悪徳な企みを水面下で進めていこうとしているからだ。意味の分からない頭文字やカタカナ英語は我々を煙に巻く手段なのである。

ジェンダーフリーだのトランスジェンダーだのクィアだのLTBTQ+だのを連発する人に出会ったら、彼らは文明社会を破壊しようとしている奴らなのだということを我々常識人は肝に銘じて挑まなければならない。


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女性を「生理のある人」などと呼ぶな!消されつつある女性の存在

以前に作家のJ.K.ローリング女史が女性の健康に関する記事で「生理のある人」という表現をおちょくって「生理のある人、、確かそういう人を表現する言葉があったわよねえ、なんだったかしら、、」とツイートしたことがあったが、なぜか先日発表されたエリスのコマーシャルを巡って、またぞろその話題が持ち上がった。

このCM事態では明らかなレズカップルが現れて「女の子の日とか呼ばれたくないかな」と言ってる以外には、とりたてて女性のことを「生理のある人」とは言ってない。ただ、コマーシャルのなかで「女性」という言葉は一度も出てこなかった。アメリカではもっとあからさまに生理用カップのコマ―シャルで「生理のある人」という表現が出てきて、何気なく聞き流していて、はっとしたことがある。

当然のことながら多くの女性達が、女性を生理機能で表現するのは侮辱的だ、として怒っている。だが、肯定派の意見は「生理のない女性もいるし、生理のある男性もいるので、これは包括的な表現だ」という。

読書諸氏はもうお分かりだろ思うが、ここでいう「生理のない女性」とは思春期前の少女のことでも閉経後の熟女のことでもない。彼らがさす「生理のない女性」とはトランスジェンダー女性と呼ばれる男たちのことであり、「生理のある男性」とは女性としての生殖機能を保持していながら、自分は男性だと言い張るトランスジェンダー男性と呼ばれる女性達のことである。

人口の1%も占めないこうした人々の感情を気遣うために、人口の50%を占める女性達の意見は無視してもいいというのが、昨今のトランスジェンダーリズムである。

すべての女性に生理はないが、生理のあるすべての人は女性だ。そして、まだ生理のない少女たちも生理が終った熟女たちも、生理のある人たちが女性と呼ばれることに全く異存はない。反対に生理のある女性達のことを「生理のある人」と表現されると、特に私のように閉経した女性達からしたら、自分らは女装男と同じ扱いで、すでに女性とは認められない存在になってしまったのかと非常に嫌な気分になる。

何度も書いているが、トランスジェンダーリズムという概念は女性の存在を抹消する概念だ。たかが言葉使いだから妥協してもいいということではない。私たちはことあるごとに「女性」という言葉を使って行こう。決して活動家達に奪われてはいけない。


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