最近TikTokでトップサージェリーと俗に呼ばれる乳房除去手術後の胸を自慢げにさらす若い女性たちの姿がアップされるようになった。しかし彼女たちの胸の痛々しい傷跡をみるにつけ、これらの手術は随分と雑にされているなと思わざる負えない。MtFのボトムサージェリー(局部手術)の完成度に比べてとても比較にならないほどお粗末なのだ。
以前にミスター苺は皮膚がんになり、鼻から癌細胞を大量に切除する手術を行った。なにせ顔面であるから傷が残ったら大変醜いことになると心配したのだが、傷口はすぐに癒え、今ではどこを手術したのかさえ分からないくらいになっている。
そういう手術を見てきているので、彼女たちの胸の傷は信じられないほど酷いと思うのだ。
さて、先日Twitterで、乳房除去を去年おこなった女性の悲惨な体験談が載っていたので、ここで写真付きで紹介する。そういうことが苦手な人はこのエントリーは今すぐ閉めてもらいたい。
彼女の名前はソレン。社会的に性移行をしたのが11才。ホルモン治療を始めたのが17才。去年19歳の時乳房除去を行った。今はGNC Womanという性別に拘らない女性として生きている。
2021年の6月11日手術を行う。14日、包帯の下にかなりの青あざが生じていることに気付き、下記の写真をとって病院のスタッフに送る。
翌15日、術後の診断に行くが、看護婦は「そんな青あざは見たことがない」と言いながら医者を呼ばず、大丈夫だと言われて家に帰される。
22日、青あざや腫れがひどくなったため、時間外だったがクリニックに連絡し、下記の写真を送る。
23日、救急病院を訪問。8時間待たされる。乳房除去を行った医者には見てもらえず、別の医者が診察。その間に縫った部分が開けられ、可能して貯まった水分の除去装置が供えられる。大規模な両側血種が起きていると診断される。
その後数週間にわたって血液と膿とを毎日数回にわたって流し出す治療が行われた。そしてやっと回復へ。
彼女の体に起きた体験もさることながら、この間に彼女の手術を実際に行った医者やそのスタッフの対応はひどいものであった。
ソレンは手術前にこうした問題が生じる可能性については説明されていたが、そういう場合は医療スタッフがきちんと対処してくれるものと思っていた。ところが再三にわたる彼女に懇願にも拘わらず、手術チームは診察をしようともせず、彼女は単独で救急病院に行く羽目になったのだ。それについてソレンはこの体験を詳細にわたって記述し手術を行ったクリニックに電子メールを送った。
しかし彼女の再三にわたる問い合わせにもクリニックからの返答はなく、一か月以上が経った。そしてやっと受け取ったメールの内容がこちら。
親愛なるソレンへ、
あなたの術後の状況を聞いて非常に失望している。あなたからの反響はこれまで私が患者さんたちから受けて来た反響とは全く違うものだ。あなたが満足できるように、これからも出来る限りのことはしたいと思う。
私のスタッフに申し付けてなるべく早い時期に診察したい、、(後略)
ただ自分は忙しいので早くても次の月曜日になるだろうと締めくくられている。一か月以上も無視しておいてこの返答はないだろう。ソレンはすでに元のクリニックの対応には失望しており信頼もしていないこと、救急病院で世話になった医師とそのスタッフにおいて回復に向かっていたこともあり、これ以上元の医者とそのスタッフの世話になる気はないという旨の返事を送り、いまとなっては救急病院でかかった非常を弁償してもらえればいいと伝えた。
2021年8月、
その後クリニックからは弁償するにあたって領収書を送ってほしいとの連絡はあったが、謝罪の言葉は一言も記されていなかった。ソレンが領収書を送ると、やっとクリニックの経営者から連絡が来た。
2021年10月、
やっとクリニックから返事が来ると、弁償するにあたり必要書類に署名して返してほしいと書類が同封されていた。しかしそれにはクリニックに関する苦情を公開しないことという文節が記されていた。ソレンは無論そんな書類にサインする気はさらさらなかった。先ずクリニックがこのような状況が起きた時に今後どんな処置を取るつもりがあるのか解らないうちは、サインなどしないと突き返した。
後にクリニックからは少額の小切手が送られてきた。
ソレンは2022年の1月から性転換を停止し、今は女性として生きており「彼女」という代名詞を使っている。彼女は自分は間違った体に生まれたのではない。間違っていたのは特定な女性像に自分をあてはめなければいけないという社会観念だったと語る。それで今では彼女は自分が女性ではないと感じたのは、この特定な女性像に自分が当てはまっていなかったからで、女性であるということは、特定の外見や言動で決まるのではないと気づいた。女性であることとは個々の女性が感じ体験することなのだと自分のツイッターに書いている。
こんな恐ろしい体験をする前にそれに気づいていればよかったのだが。それでも遅くても気づかないよりはずっとましだ。残酷な言い方ではあるが、彼女はまだ幸運な方なのだ。