以前に作家のJ.K.ローリング女史が女性の健康に関する記事で「生理のある人」という表現をおちょくって「生理のある人、、確かそういう人を表現する言葉があったわよねえ、なんだったかしら、、」とツイートしたことがあったが、なぜか先日発表されたエリスのコマーシャルを巡って、またぞろその話題が持ち上がった。

このCM事態では明らかなレズカップルが現れて「女の子の日とか呼ばれたくないかな」と言ってる以外には、とりたてて女性のことを「生理のある人」とは言ってない。ただ、コマーシャルのなかで「女性」という言葉は一度も出てこなかった。アメリカではもっとあからさまに生理用カップのコマ―シャルで「生理のある人」という表現が出てきて、何気なく聞き流していて、はっとしたことがある。

当然のことながら多くの女性達が、女性を生理機能で表現するのは侮辱的だ、として怒っている。だが、肯定派の意見は「生理のない女性もいるし、生理のある男性もいるので、これは包括的な表現だ」という。

読書諸氏はもうお分かりだろ思うが、ここでいう「生理のない女性」とは思春期前の少女のことでも閉経後の熟女のことでもない。彼らがさす「生理のない女性」とはトランスジェンダー女性と呼ばれる男たちのことであり、「生理のある男性」とは女性としての生殖機能を保持していながら、自分は男性だと言い張るトランスジェンダー男性と呼ばれる女性達のことである。

人口の1%も占めないこうした人々の感情を気遣うために、人口の50%を占める女性達の意見は無視してもいいというのが、昨今のトランスジェンダーリズムである。

すべての女性に生理はないが、生理のあるすべての人は女性だ。そして、まだ生理のない少女たちも生理が終った熟女たちも、生理のある人たちが女性と呼ばれることに全く異存はない。反対に生理のある女性達のことを「生理のある人」と表現されると、特に私のように閉経した女性達からしたら、自分らは女装男と同じ扱いで、すでに女性とは認められない存在になってしまったのかと非常に嫌な気分になる。

何度も書いているが、トランスジェンダーリズムという概念は女性の存在を抹消する概念だ。たかが言葉使いだから妥協してもいいということではない。私たちはことあるごとに「女性」という言葉を使って行こう。決して活動家達に奪われてはいけない。


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