出張中の週末、忙しい中時間が開いたので昨日はディズニーの映画、”Bridge to Terabithia“『テラビシアにかける橋』を観た。

ニューベリー賞受賞のファンタジー児童文学(邦題:テラビシアにかける橋)の映画化。学校にも、家族にすらもなじめない少年ジェス(ジョシュ・ハッチャーソン)は、転校生の女の子・レスリー(アナソフィア・ロブ)と友達になる。絵を描くのが得意なジェスと空想好きなレスリーは、森の中に “テラビシア” という世界を創造する。

ジェスは小学校6年生の男の子。ティーンエージャーでけんかばかりしている姉二人と、甘えん坊の一年生の妹、生まれたばかりの乳飲み子の妹と女ばかりに囲まれた5人兄弟の真ん中にいる。田舎の村にすむジェスの父親は金物屋を営んでいるが経営は苦しく裏庭にある温室で育てている野菜は家族にとって必要不可欠。家計のやりくりや赤ん坊の世話で忙しい母親には陸上の得意なジェスに新しい運動靴を買ってやれず、姉からのお下がりで女の子用のピンクの靴を履けという。
学校でもジェスは友達がいず、後ろからわざとぶつかってくるいじめっ子たちにも妹をいじめる8年生(アメリカでは小学校から高校まで年生を続ける。)の女の子にも対抗できない。
そんななか隣に超してきた転校生のレスリーと友達になる。作家の両親を持つレスリーは偶然みつけたツリーハウスの上でいろいろなことを想像する。想像の世界をまるで現実に起きているかのように言うレスリーにジェスは最初レスリーが何をやっているのかわからず困惑するが、だんだんとレスリーの導きで幻想の世界が自分にも見えるようになってくる。

terabithia

レスリーとジェス


映画は彼等が本当に幻想の世界に行ったのかどうか断言しない。目の前にある大木が巨人に見えたり、空を飛ぶ鷹が巨大な鳥となって攻撃してきたり、松ぼっくりが手りゅう弾になったり、モグラやリスが凶暴な獣に変身したり、観客にはそれが二人の単なる想像なのか現実なのか、二人には本当にそう見えるのかただそう振舞っているだけなのか解らない。
この映画を観たある友人はファンタジー映画だと思って観にいったのに、主役の子供たち二人はファンタジーの世界に実際に行くのではなくてただ想像しているだけでつまらなかったと言っていた。
あなたが私と同じように子供だったことがある人ならきっと覚えているはずだ。ブランコが飛行機になって世界旅行をしたり、木からぶら下がってるロープを使って密林の王者ターザンになったことや、塀の上からシュワッチと行って飛び下りて完全にウルトラマンの気分で空をとんだことや、怪獣に変身した隣のマー君をこてんぱんになぐってやったことが、あなたにもあったはず。私たちはその時幻想の世界へ行かなかったのだろうか? 私たちはあの時おとぎ話の橋を渡って向こう側の世界に存在していたのではないだろうか?
そんな経験のある人ならこの映画は大人でも十分に楽しめる映画である。私は常に想像力は人の心を豊かにすると考えている。人々に想像力があったからこそ文明は発達したのだと私は思う。自分がすんでるほら穴以外に別な世界があるはずだと想像できなかったら、我々はいまでも穴暮しをしていたことだろう。
おとぎ話は想像や幻想の世界かもしれない。だがその世界を一度もかいま見ることのできなかった人は不幸だと思う。ジェスはレスリーによってその橋を渡ることができた。あなたもジェスとレスリーと一緒にこの橋を渡ってみませんか? おとぎの国、テラビシアにかける橋を。


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