武士道と現代戦略が衝突した『硫黄島からの手紙』

私は負け戦は好きではないので第二次世界大戦で日本軍側からみた戦争映画を観るのは気が進まない。硫黄島の戦いを描いた映画なら、ジョン・ウェイン主演の「硫黄島の砂」でもみたほうが気分がすかっとする。やっぱり戦争映画は勝ち戦を観たい。
しかしクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」は勝ち負けは別として興味深い映画だ。
物語は硫黄島決戦の総指揮官となった栗林忠道陸軍中将(渡辺 謙)が硫黄島に赴任するところから始まる。初日から古いしきたりに従って海辺で敵を迎え撃とうと浜辺で穴掘りを命じていた大杉海軍少将(阪上伸正)と無駄な戦闘で戦士を失いたくないと考える栗林中尉との間で作戦上の衝突が起きる。
また栗林中尉は赴任早々頼りにしていた海軍の艦隊がサイパンで大敗し空軍も海軍も日本本土守備に向かったことを知らされ、硫黄島にいた海軍将校たちはそれを知っていながら赴任してきた指揮官の陸軍中佐にそのことを黙っていたことを知り、栗林は「大本営は一般市民だけでなく軍隊もだまそうというのうか?」と憤りを隠せない。
栗林中尉はアメリカに駐留していたこともあり、西洋風の現代的な戦略が頭にあるのだが、大杉や他の副官たちは御国のためにどのように勇敢に名誉の戦死するかという考えしかなく、どうやってこの戦に勝つかという思慮がまったくない。どのような事態になっても最後まであきらめず戦い硫黄島を守り通す目的の栗林中尉は、攻めてくるアメリカ軍だけでなく内部で何かと玉砕したがる将校たちとの双方と常に戦わねばならないはめになる。
映画の主人公は栗林中尉であるが、ナレーターの立場にいるのは西郷昇(二宮和也)という若い兵士で、彼はもともと軍人ではなく一介のパン屋である。身重の妻を残して召集された身で内地で威張り腐って日本市民を虐待していた日本軍がやっている戦争など全く興味はないし、名誉の戦死などごめん被りたいと思っているただの一等兵である。だからこんな臭い島アメリカにやっちまえとののしって上官にさんざん殴られたりする。

硫黄島からの手紙    硫黄島からの手紙

西男爵(伊原剛志)、栗林中将(渡辺謙)


私は渡辺謙以外の役者は全く知らないが、二宮和也の演技はあまり日本人らしくないという印象を受けた。しかし現代っ子の日本人というのはこういうものなのかもしれない。
この映画は決して反日ではないが、軍事独裁政権であった日本軍の弱さがどこにあったのかということを考えさせられる場面がいくつもあった。例えば、ひとりひとりの将校が個人の手柄ばかりを優先する武士道的な考えが先行しすぎ、戦国時代の日本で「や〜や〜我こそは〜」と刀を振り回して馬を蹴散らすような将校は自分の部隊がどのような行動をとることが戦闘全体に有利になるかとうことを考えていない。何かと刀を振り回しては威張り散らす伊藤海軍大尉(中村獅童)や、戦況が悪くなって指揮そっちのけで玉砕を嘆願する足立陸軍大佐(戸田年治)などがいい例である。こんな指揮官に指揮される部隊はたまったものではない。
そんな中で栗林の意図を理解し現代風の戦争に取り組むのは男爵でオリンピックの乗馬で優勝したこともある西竹一陸軍中佐(伊原剛志)である。西男爵はハリウッドの俳優たちとも食事を交わしたこともあり英語もはなせる教養の高い人物であり、負傷したアメリカ兵に治療を施せと部下に命令するほどの人情家でもある。捕虜にしたアメリカ兵の母親からの手紙を読んでアメリカ兵は鬼畜ではない、彼等も同じ人間だと気が付く日本兵たち。
この映画は硫黄島においてアメリカ軍と戦う日本軍の立場から語られているにも関わらず、アメリカ軍の存在はほとんどない。この映画の主題は日本軍側の独裁制の問題と、伝統的な武士道と現代的な戦略の衝突を描いた映画であるといえる。
もし日本軍が栗林や西のような将校に多く恵まれていたならば、日本軍はアメリカ軍に勝ったかもしれない。だが、もし日本軍が栗林や西で満たされていたならば、アメリカとの戦争など最初から始めなかった、、と言うこともできる。


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幻想と現実が錯誤するパンズ・ラビリンス(牧羊神の迷宮)

今日の映画はパンズ・ラビリンス(牧羊神の迷宮Pan’s Labyrinth )というスペイン映画。監督と脚本はギレルモ・デル・トロ(Guillermo del Toro)。日本公開は今年の秋。(映画情報はこちら
牧羊神が出てくるというから、ナルニア物語みたいな子供用の幻想映画だと思って観にいったらもっと暗くて悲劇的な大人の映画で非常に驚いた。小さい子供には残酷なシーンもありちょっと恐い映画かもしれない。ファンタジー映画のファンだけではなく一般のひとたちにもぜひ見てほしい美しくも悲しい物語である。
例によって映画好きな友達はこの映画がスペイン語で字幕付きだとは全然教えてくれなかったので、突然英語の字幕が現れてかなりカカシはうろたえた。それというのもアメリカではあまり外国語の映画というのは公開されないからで、カカシは画面の下に現れる字幕を読むのに慣れていない。最初の配役紹介の部分では文字を追うのにかなり苦労したが、実際に映画が始まってみると、すぐに幻想の世界に引き込まれ字幕を読んでいるということをすっかり忘れてしまった。
物語は1944年、スペイン戦争後のファシスト政権下のスペインが舞台となっている。主役の少女オフェーリア(Ivana Baquero)は、再婚して身重の母親と一緒にファシスト側の軍人である継父が勤務する森林基地へと車で向かう途中で昆虫の姿をした不思議な妖精に出会う。
母子を迎えた継父のビダル大佐(Sergi López)はゲリラ勢力の強い僻地でゲリラと戦う任務に当たっている冷酷非常な男だ。ゲリラの疑いのある人間は証拠があろうとなかろうと拷問したり殴り殺すことなどなんとも思っていない。妊娠中毒で容態の悪い妻カーメン(Ariadna Gil)をわざわざ危険な戦地に呼び出したのも息子は父親のそばで生まれるべきだという身勝手な考えからだった。ビダル大佐は跡継ぎを守るためカーメンに基地の医者をあてがうが、奥方は絶対安静が必要だというファレイロ医師(Álex Angulo)にいざとなったら母親はいいから息子を救えと命令する。
この寂しい基地でオフぇーリアは妖精に導かれ基地のすぐそばにある遺跡のなかに入り込む。オフェーリアはそこで羊と人間の間の子のような牧羊神に出会い、自分がいにしえの昔別の世界で悲劇の死を遂げた地下の国の姫であることを知る。牧羊神はオフェーリアが姫としての位を取り戻し、地下の国で再び君臨するためには満月までに三つの試練を全うしなければならないと語る。

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牧羊神から指示を受けるオフェーリア


オフェーリアの冒険はまるでおとぎ話なのだが、その背景にあるファシストとゲリラの戦いは決して子供だましではなく非情で残酷な戦争である。映画ではオフェーリアの幻想の世界と、現実の世界が交互に境目なく描写される。
オフェーリアは現実社会の基地で親しくなった賄い女のメルセデスが(Maribel Verdú)実は弟のペドロ(Roger Casamajor)がいるゲリラ集団と内通しており、基地の医者ファレイロ医師もゲリラに協力していることを早くから学ぶが、オフェーリアは残酷で非情な大佐とは対照的にやさしいメルセデスやファレイロ医師に同情して秘密を守る。
映画はどちらかというとゲリラに同情的な立場をとってはいるが、政治的なことよりもこれは個人の描写に重点がおかれている。命令されたというだけでどのような非人道的な行為でも盲目的に従うビダル大差と、たとえ命令でもそれが正しいかどうか常に自分の意志で判断するオフェーリアの対照的な姿に注目すべきだろう。
映像は怪しく美しく現実と幻想が交わって最後のほうでは何が現実で何が幻想なのかわからなくなる。おとぎ話の結末は観客の見方次第でハッピーエンドとも悲劇とも言えるが、私はハッピーエンドのほうを選ぶことにした。


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番組のおしらせ! 14日『911への道』放映

おしらせです。
日本時間14日20時よりWOWOWにおいて911同時多発テロがどのようにしておこったかを描いたテレビドラマが全編と後編にわかれて報道されます。詳細はこちら
真実を知りたいひとは是非御覧下さい。
この番組に関するカカシの意見は下記に書いていますのでご参考にどうぞ。
911ドラマ、『911への道』を観て、、


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夢いっぱいのドリームガールズ

同名のブロードウェイミュージカルの映画化だが、人気歌手のビヨンセ・ノールズを主役のディーナ・ジョーンズに起用、脇もジェイミー・フォックス、エディ・マーフィ、ダニー・グラバーなどで固めた大作。すでにゴールデン・グローブ賞にも主演女優、助演女優、助演男優などでの部門でノミネートされていたし、昼のトークショーでちらっと見た予告編でも歌の出演者の歌唱力には感服していたのでかなり期待して観にいった。そしてその期待は全く裏切られなかった。とにかくすばらしい!
映画の舞台は1960年代初期のデトロイトあたりからはじまる。地方の黒人観客専門に活躍していた歌手たちが、黒人市民運動を背景に、だんだんと人種のバリアーをこえて白人観客にも受け入れられいく時代である。そんななかで架空の黒人女性三人ボーカルグループが下積みからスターダムへとのし上がる姿が描かれている。

DreamGirls

ドリームガールス


シカゴで女友達の三人組、ディーナ(ノールズ)アニカ(ロレル・ロビンソン)エフィ(ハドソン)はドリーメッツ(後にドリームスと改名)としてエフィの弟CCの曲を歌ってコンテストに出たのがきっかけで中古車セールスマンをしながら興行師をやっていたカーティス(フォックス)に出合う。カーティスは人気歌手ジミー(マーフィー)のマネージャーのマーティ(グラバー)を説得してドリームスをバックアップコーラスにしてもらう。
ミュージックマネージャーとして才能のあるカーティスの強引なやり方はジミーとドリーメッツの人気をどんどんあげていくが、古い考えのマーティはついていけず去っていく。三人は念願かなってやっと独立しドリームスとしてしてデビューすることになるが、カーティスの独断で声も体もちょっと太めのエフィーではなく細身で美人のディーナがリードになる。歌は自分が一番うまいと自負するエフィーは不満をあらわにするが、弟のCCに「家族じゃないか、一緒にやろう」となだめられてしぶしぶ承諾する。
ドリームスとして人気が上がるにつれ一旦はリードボーカルをあきらめたエフィーだが、いつまでたってもバックにおかれていることに不満がたまり、グループの調和を強調するカーティスと噛み合ず何かと衝突しはじめる。テレビの録画中に立ち去ったのを最後にエフィーはグループからはずされ、恋人としてもカーティスから捨てられてしまう。
エフィー抜きで人気のあがるドリームスだが頑固なカーティスと衝突するのはエフィーだけではなかった。個性的で時代背景を反映した曲を書こうとするCC, 新しいイメージと音を求めるジミー、女優として羽をのばしたいディーナ、それぞれの芸術的才能がカーティスの頑固なビジネスの思想とぶつかりあって、一度は家族としてスタートしたグループの結束はじょじょに崩れていく。
ドリームスはダイアナロスとスプリームスをモデルにしたようなグループなのだが、主役のビヨンセはもとより新人のジェニファー・ハドソンの声はすばらしく力強い。キャリアの面からいえばデスティニーズチャイルドという女性ボーカルグループ出身のビヨンセのほうがずっと先輩だが、この映画は完全にハドソンの出世作になっている。演技といい歌といい彼女のほうがずっと印象的だ。エフィーが仲間から見放され恋人だったカーティスからも捨てられるシーンで歌う有名な”And I Am Telling You I’m Not Going”は胸をうたれる。(思わず泣いてしまった!)
助演のなかでも特に光っているのがコメディアンとして有名なエディ・マーフィー。人気絶頂の時ドリームスをバックアップに使っていたのが、人気を追い抜かれ、昔のイメージから抜けきろうと新しい音を求めながらも人気プロデューサーになったカーティスの手中から抜けきれずに葛藤する中年歌手。軽い演技が多かったマーフィーだがここでは実にコクのある味をだしている。マーフィは若いころレコードも出したことがあるので、歌えることは知っていたが、もしあの声が吹き替えでないとしたら歌手としても十分通用する熱唱だった。
ただ、ミュージカルとして徹底的に歌で筋を運んでいく形にするのか、歌手が歌手として歌うときだけ歌う形にするのか、一貫していないように思えた。映画の前半ではほとんどがドリーメッツやほかの歌手の舞台での演奏なので、歌手でない設定の登場人物が突然会話のかわりに歌い出すとちょっと違和感があった。
しかしエフィとほかのメンバーたちとの口げんかがそのまま歌になっていく”Heavy”のシーンはそれぞれの女性歌手たちの個性がでていて非常に迫力があった。欲をいうならもっとああいう場面を増やして欲しかったな。
欲が出たついでにいわせてもらうなら、私はダンスがすきなので、ミュージカルといえば歌と踊り。ドリームスの後ろで若い男性ダンサーが踊る場面があるので、もっとダンサーの振り付けが見られるようなカメラワークにしてほしかった。どうせ1960年代のテレビ番組を描くなら、カメラワークも当時のテレビの真似をするくらいの徹底さがあってもよかったのではないだろうか。決してダンスや振り付けが悪いわけではないのだから、カメラマンの才能をいかすより、ダンサーたちの才能を最大限に表現してほしかった。しかし振り付けがいまはやりの体全体にけいれんをおこしてるような醜いものではなく、指の先まで神経をつかったのびのびしたものになっていたのは懐かしくもあり新鮮だった。
私はこのミュージカルが若いひとたちの間で人気を呼んでいることに非常に喜んでいる。この世にはラップ以外にも音楽はあるのだということを知ってもらうことと、黒人ミュージックといえば、ラップが破壊してしまうまでは昔は歌謡曲の先端をいっていたすばらしいものだったのだということを若い人たちが改めて知ってくれることは、今後の音楽界にとっても非常に良いことだと思う。
映画全体に流れるすばらしい曲の数々。ハドソンが哀愁をこめて歌う”One night only”, ビヨンセのソロ”listen”,
フォックスの”When I First Saw You”など私は舞台のミュージカルを観ている気分で、一曲終わる毎に拍手を送っていた。
ミュージカル映画としては最近まれに見るすばらしい映画になっている。是非ぜひごらんあれ!


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滅びる文明を描いたアポカリプト

メル・ギブソン監督のマヤ文明末期を舞台に一人の男の冒険を描いたアポカリプトが高評価を受けて人気ナンバー1である。(こちらのサイトで製作の苦労話や写真集を見ることができる)
前評判では暴力的すぎるという話だったし、予告編でも走っている場面ばかり多いように感じたので観にいく気は全くなかったのだが、友達が絶対に観る価値があるからというので先日見てきた。しかし私にはハリウッド映画特有の意味のないピストルの撃ち合いや爆発シーンなどに比べれば、確かに暴力シーンは凄まじいが現実的な意味のあるものになっていたと思う。

Mel Gibson in Apocalpto

メル・ギブソン監督


スペインの侵略によって滅びた南米マヤ文明だが、彼等も決して平和的な民族だったわけではない。それどころか彼等の文化は非常に血みどろのものだった。彼等は近隣部落に戦争をしかけては人々を拉致して奴隷にしたり生け贄にしたりしていたのである。
メキシコにあるマヤの遺跡には生け贄の人間が殺された岩台は何千何万という生け贄の血でどす黒く染まっているという。
この話はマヤ族の襲撃にあった部族の男たちとその家族の冒険を被害者の立場から描いたものである。映画の前半は部落の男たちが密林のなかで狩りをしたり、村にかえってきて家族と和やかなひとときを過ごしたりしているのだが、それが突然明け方に攻めてきたマヤ族によって村は焼かれ女たちは冒涜され生き残った若い男女は捕虜にされ連れ去られ、幼子は置き去りにされる。
捕虜の男女がマヤの町へつれていかれる途中、一行は病気で(天然痘?)死んだ母親の遺体のそばにたちすくむ発疹だらけの少女に出合う。病気がうつると恐れるマヤ族の男が少女を木の枝で押しよけると、少女は無気味な予言をする。
「豹と一緒に走る男がお前たちの終わりをつれてくる。お前たちはこの世からかき消される」
豹と走る男とは誰か? マヤ族をこの世からかき消すものとは何者か? 
さて、登場人物はすべて役者ではなく地元のインディアンを起用しており、誰も映画出演の経験などないどころか演技すらしたことのない人たちなんだそうだ。だからメル・ギブソン監督はシーンをいちいち自分で演技してみせてから役者たちに演技指導をしたそうだ。
私はそのことをテレビのインタビューを見て知ったのだが非常に驚いた。なにしろ彼等の演技はみなすばらしいし、素人だけを集めたにしては男も女も美形ばっかりだ。私はてっきりメキシコ人の役者を集めたのだとおもっていた。なにしろふんどし一丁で走り回る男たちは皆筋肉隆々の美しい若者だし、女たちも美人ぞろい。特に主役の若い男は非常に魅了的だ。
本当は秋頃公開の予定だったのが、メキシコの天気にめぐまれずかなり撮影は手間どったらしい。しかし我々観客にとっては待った甲斐があったというもの。
日本公開はいつなのかちょっと分からないが、ぜひお勧め。


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007の基本に戻ったカジノ・ロワイヤル

日本公開は12月1日、(カカシの誕生日!)の007の新作、カジノ・ロワイヤル。 こちらアメリカでは2週間ほど前に公開されたので日本のみなさんに先駆けてみてきました〜! (配役やあらすじはこちら, 写真集はこちら
この新作は見出しにもあるように、ジェームス・ボンドの基本にもどったイアン・フレミングの原作が表現した生の男が赤裸々に描かれている。

CasinoRoyale

男臭さを見せるダニエル・クレイグ


まず、この話はボンドが007という肩書きをもらったところから始まるため、まだボンドは007というスパイとしての実績や経験が足りない。そのため基本的な間違いも起こすし、人を信用しすぎたり、感情に惑わされたりする。また彼が巻き込まれる暴力沙汰もコンピューターグラフィックがあからさまなきれい過ぎ画像ではなく、体と体がぶつかりあう生々しく暴力的な格闘だ。これは「ロシアから愛をこめて」でショーン・コネリー扮するボンドが列車の個室で殺し屋と格闘したシーンを思い出させる。
ここ数年ボンド映画はしょっぱなのスタントがずっと話題になってきていたが、最近はそれが行き過ぎで人間業ではないような不思議なスタントが多すぎた。「ちょっとそれはないだろう」というものが多々あった。 
今回のスタントは考えてみれば非現実であることに変わりはない。ジャッキーチェーンまがいの黒人スタントマンがすいすいと高いクレーンをのぼっていったり、クレーンからクレーンに飛び移ってみたり、確かに普通の人間ができることではない。にもかかわらず、非常に鍛えた人間なら可能かもしれないという幻想をもてるような現実みがあった。映画評論家のおスギさんがいっていたが、高所恐怖症の人にはチョット見られないシーンかもしれない。
主演のダニエル・クレイグは、美形でもなければショーン・コネリーのようなチャームもないが、生の男という感じがひしひし伝わってくる非常に魅力的な男だ。ボンドはロジャー・ムーアやピアス・ブラスノンのようなきれいな男がやってはいけないのだと私はずっと考えていたので、ダニエル・クレイグの起用は大成功だったといえる。
ボンドといえば何と言ってもタキシード姿でカードゲームをやるのが基本。映画のタイトルどおり、カードゲームのシーンがいくつか連続する。ボンド映画はアクション映画であると同時に推理映画でもあるし、精神的な戦いの映画でもある。静かにテーブルを囲んでボンドと悪者がポーカーをするシーンはどんなアクションシーンよりも迫力がある。また、ボンドたちがやってるゲームは最近欧米で大流行の上限なしのテキサスホールダム。ルールを知っている観客もかなりいるだろうから見ていて緊張感たっぷりである。なにしろこのボンド、新米だから必ず勝つとは限らないし、、
映画は何度となくどんでん返しがあり、これでおわりかなあと思うと意外な展開を繰り返す。そのなかにはアメリカ公開ではカットされそうになった残酷なシーンもまざっている。映画が始まる前に注意書きとして「裸のシーン、性的な拷問のシーンがあります」とあったが、13歳以上なら子供でも見られる映画でそんなたいしたシーンはないだろうと鷹をくくっていたらば、かなり衝撃的なシーンだった。(特にに男性には苦しいかも)
これはマッツ・ミケルセン扮する悪者ル・シッフルにとらわれの身となったボンドが座る部分をくり抜かれた椅子に全裸にされてくくりつけられ、縄の先におもりをつけたものを振り回して椅子の下からぶつけられるという拷問をうけるシーンだ。主役のクレイグにインタビューしたオスギさんの話だと、椅子の下にアクリルの板を敷いて実際には当たらないように工夫してあったそうなのだが、ミケルセンがロープについたおもりを強く振り回し過ぎて板が壊れてしまい、おもりがもろに当たってしまったという。クレイグは5分間悶絶して動けなかったとか、俳優さんも大変だな。
そうそう、忘れてはならないのがボンドガール。競演のエヴァ・グリーンは細身できゃしゃだが知的な美人。頭はいいけれど繊細な精神をもっていて勇敢。ポーカーゲームの最中に圧倒される美しさで他のメンバーの気をそらすことになっていたのに、そのあまりの美しさに肝心のボンドが気をとられてしまうというシーンは、ボンドの人間らしさが出ていて良かった。
ところであからさまなCGはないとは書いたが、迫力ある特撮は結構ある。ただどれが特撮かなどと考えずにそのまま楽しめるところがこの映画のいいところ。最後のベニスのシーンは最高。
ボンドファンは必見です!


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イスラム教、文明社会が知るべき事実 その1

本日はイスラム教過激派の脅威を描いた二つのドキュメンタリーを紹介したいと思う。 ひとつはObsession(執念)、 もうひとつはIslam – What the West Needs to Know(イスラムについて西洋が知るべき事実)。
イスラム過激派の狂信を描くオブセッション
「執念」のほうは先日テレビでその一部を観たが、情報提供をするドキュメンタリーとしてはあまり良く出来ているとはいえない。 ただ過激派イスラム教徒の狂信ぶりを言葉で説明するのではなく、イメージで訴えるやり方にはそれなりの効果がある。 何万人という信者が集まって「アメリカに死を!」と独裁者の音戸に取られて腕を降りたてながら何度も繰り返す映像はナチスドイツのヒットラーの演説を思い出させる。
また別のシーンでは幼稚園の女教師が子供に「ユダヤ人は豚だ」と教えていた。 女児が言葉に詰まった時に「はい、次はなに? 」と優しく聞き返し、女児が「ユダヤ人は豚です!」と答えると「は~い、よくできました!」と褒めてる図は背筋がぞっとする思いである。
我々文明人は自分らの物差しで他の社会を計るため、比較的民度が高いと思われるサウジやトルコ、エジプトのようなイスラム社会であからさまな反西欧のプロパガンダが朝から晩まで流されているということの深刻さに気がついていない。 一歳児に自爆ベルトを着させて自慢げに写真を撮る父親の気持ちが理解できていない。 幼稚園児が大きくなったら自爆テロになってイスラエルの豚どもを吹っ飛ばすなどと涙を流しながら訴える姿がつかみきれない。 
外面(そとづら)のいいイスラム諸国の代表者らは、西洋のメディアに面するときは西洋諸国が聞きたがる奇麗事を並べ立てる。 多くの「スポークスマン」たちは英語も達者で西欧風の振る舞いにも長けてチャーミングなため、我々西洋人は彼らも我々と同じ価値観を持っている文明人なのだとちゃっかり騙される。 だが彼らが自分達だけの間で話す時の西洋観は我々がきいてぞっとするような憎しみに満ちているのである。 たとえばここでも何度か取り上げたアメリカのイスラム教市民団体CAIRの代表が、911事件直後、「我々はこのテロリズムを断固糾弾する」と表向きは宣言しておきながら、自分らの会合では911の犯人たちを「19人の英雄たち」とたたえている映像がこのドキュメンタリーでははっきり映し出されている。
イスラム過激派は西洋社会に嘘をつきインファデル(無信心者)の我々を欺くことなど屁とも思っていない。 彼らの真の姿を知るべきだ、というのがこのドキュメンタリーのテーマだ。
悪の根源はイスラムの教えそのもにある
これとは別に、「イスラムについて西洋が知るべき事実」のほうは私はまだ観ていないが、その製作者たちの座談会がフロントページマガジンに載ったので。(Hat tip le’eXtreme-Centre )そこからこの映画の内容について紹介しよう。
元パレスチナ解放連盟(PLO)のテロリスト、福音書キリスト教徒に改宗し現在は熱心なシオニスト、「何故私がジハードを去ったのか」の著者ワリード・シューバット(Walid Shoebat)氏は、この映画についてこのように説明する。

私が過激派イスラム教を去ってからというもの、私は常に過激派イスラム教徒の心情について無知な西洋人に遭遇してきました。 どちらの側にもいたことのある私にとって私はその度に、スタートレックのスポック博士がカーク船長に幾度も宇宙人の考えを説明したように、(西洋人に)異邦人の考え方を説明するはめになったのです。 しかし西洋人と話す上で最初に私が遭遇した問題は彼らがイスラム社会も彼らと同じように、自由、平等、文明化、民主主義、そして生活向上といった希望を持っていると勘違いしている点なのです。

今日、古の世界で西に傷つけられ忘れられていた巨人であるイスラムは凄い勢いを息で吹き返してきてます。 イスラム教徒が多数を占める多くの国々で世俗主義や社会主義は人気を失い新しい傾向、本当はとても古いのですが、山火事が広まるかのように、よみがえろうとしているのです。 それが過激派イスラム教です。
私が参加したこのドキュメンタリーではイスラムの歴史のはじめから今日にいたるまでのつながりを、神話と事実が織り交ぜながら見せています。このドキュメンタリーはイスラム創造の父であるモハメッドによる紛れもない供述、イスラムそのものを情報源として、どう彼の教えが現在の我々の時代に生きているかということを説明しています。この証拠が討論されている間にも、世界の政治家達は否定できない事実を否定しています。 イスラムの真髄は単に「美しく平和な宗教」などではありません。 これは彼らだけの政治機構であるだけでなく残りの世界にも強制されようとしているのです。
東洋はイスラムが生まれた最初から知っていますが、西洋はまだ全くこの歴史に無知です。しかし西洋でもイスラムは広まりつつあるのです。すべての西洋人がこのドキュメンタリーを観るべきです。特にまだイスラムを批評する自由をもっている今のうちに。

このドキュメンタリーの製作者で、座談会に参加したほかの二人は、サージ・トリフコビック(Serge Trifkovic, 元 BBCワールドサービス報道員、元US News & World Report の記者、元Chronicles海外ニュースの編集長, そして The Sword of the Prophetの著者)と、ロバート・スペンサー(Robert Spencer, おなじみのイスラム教歴史学者。トルコ系カトリック教徒。イスラムに関する多々の著書があるが、一番最近はThe Truth About Muhammad)氏である。
この顔ぶれだけを観ても読者の皆さんにはこのドキュメンタリーの主旨がご想像いただけると思うが、彼らのテーマは欧米社会の政治家達が好んで使う、「イスラム教が問題なのではない、本来のイスラムは美しく平和な宗教である。問題はジハーディズム(聖戦主義)というイスラム過激派がイスラムを歪曲して解釈をしてテロを行っていることなのである。」という西側のレトリックは間違っているというものだ。 このドキュメンタリーはジハードの根源はイスラム教そのもにある、我々西洋人はそのイスラム教の悪から目をそむけてはならない、というのである。
この座談会でトリフコビック氏が紹介しているアメリカの公立中学で教えられているイスラム教について、驚くべき事実がある。
長くなるのでこの座談会の続きはまた明日。


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恥知らず反米左翼! ブッシュ暗殺架空ドラマを公開

トロントで今月開かれる国際映画祭ではどうやら反米映画が溢れているようだ。イラク戦争前夜にイギリスでアメリカ大統領を侮辱してカントリーファンから見放されたデキシーチックスの文句たらたら自慰映画、「黙って歌え」がここで公開されるという話をきいたばかりだったら、今度はブッシュ大統領が暗殺されるという英国作成の擬似ドキュメンタリーが公開されるという。

「ブッシュ大統領暗殺!」、英TVが空想ドキュメンタリー

【ロンドン31日】英国の民放・チャンネル4が、ブッシュ米大統領暗殺というショッキングなテーマを扱った空想ドキュメンタリーを公開する予定だ。「ある大統領の死」と題する作品で、過去の記録映像とCG映像をミックスし、「ゾッとするほど」リアルな内容となっている。論争を巻き起こすのは必至とみられる。
 「ある大統領の死」は、ブッシュ大統領がシカゴでの経済界リーダーたちを前にした演説で大々的な反戦行動に遭遇、会場を後にする際に狙撃され、シリア生まれの男に捜査の焦点が向けられるというストーリー。
 9月7日に開幕するトロント映画祭で上映された後、チャンネル4のデジタル放送「More4」で10月9日に放映される予定という。
 「More4」代表のピーター・デール氏は、「これは並外れて人を引き付ける、迫力ある作品だ。魅力的な推理劇の出発点としてジョージ・ブッシュの暗殺を振り返るドキュメンタリー形式で作られている」と述べ、「現代米国社会についていろいろ考えさせる批評ドラマだ」と売り込む。「憤慨する人もきっといるだろうが、見てもらえば、洗練された作品だと分かるだろう。決して扇情的・短絡的なものではなく、示唆に飛んだ迫力ある作品であり、背景にある制作意図は善良なのだと分かってもらいたい」と話している。

な〜にが『背景にある政策意図は善良』なのだ。アメリカ憎しブッシュ憎しの悪意に満ちた映画ではないか。テロリストたちがアメリカを初め全世界の自由国家を皆殺しにしたいと考えている時に、自由諸国の代表でもあるアメリカ大統領の暗殺を奨励するような映画を作る人間どもの悪意には吐き気がする思いである。彼等はブッシュ憎しが講じてテロリストシンパへと成り下がったといっても過言ではない。
さて時事通信の記事では映画の内容があまり詳しく説明されていないが、ミスター苺がメールしてくれたデイリーメールの記事にはもっと詳しく映画の説明が載っている。(注:カカシは映画をみていないのでこの記事に書かれていることが本当なのかどうかはまだ確認できていない。)下記はこの記事をもとにカカシが要約したものである。

2006年11月、民主主義によって世界平和をもたらそうと演説するジョージWブッシュ大統領を暗殺者の銃弾が貫いて殺害する。容疑者の正体はすぐにメディアによって大々的に報道される。アメリカ人のほとんどが犯人がシリア生まれであるということだけで満足し、イランの犬と考えられているシリア政府に焦点が当てられる。シリア外相による悔やみの言葉や否定も空しく、アメリカ市民はダマスカスやテヘランからの正式発表など全く興味をもたなかった。テレビではこれらの国々の市民がお祭り騒ぎにくり出す姿が何度も放映された。
大統領の座を得たディック·チエイニーは常に非公開の安全な場所から声明発表をするため「洞穴の男」とあだ名される。「大統領の死を祝った者たちはすぐにその味を噛み締めるだろう」と新大統領。
アラブ諸国では人々が喜びにみちたが、ヨーロッパ諸国の反応も冷たかった。イスラムテロリストによって苦しめられたイギリスでさえあまり同情はみられなかった。場合によってはイスラム教徒以外の間でも喜ぶ声さえきかれた。
しかしひどかったのはチェイニー新大統領による厳しい取り締まりであった。テロ容疑者は条令もなく逮捕され裁判もなく処刑された。ブッシュ大統領の死を祝ったとされる諸国への攻撃案が作成され、シリアがまず攻撃され、イランが続いた。イランの革命軍はヒズボラの戦い方を学び真っ向からアメリカ軍にいどまずゲリラ戦をおこなった。
戦争はペネズエラまでにおよび、イギリスではイスラム教徒による暴徒によってガソリンスタンドなどが次々に爆破された。
テロ容疑者は容赦なくガンタナモ送りになり、キューバから亡命してくるキューバ人たちをアメリカ海兵隊が虐殺したとして、抗議したキューバを黙らせるためアメリカはキューバも攻撃。
チェイニーの独裁により、アメリカは危機につぎ危機を迎えるがアメリカ市民はチェイニーを断然支持、、、

まあ、こんなもんだ。この記事を読んでわかるのは、この映画制作者たちはアメリカ国民の本質を全く理解していないか、理解してわざと無視しているかのどちらかだろうということだ。
ブッシュ大統領の暗殺を待つまでもなく、アメリカでは国民全員を怒らせるテロ行為がすでに2001年9月11日に起きているのである。犠牲者の数が最終的に3000人前後と発表されるまでの数週間、我々は犠牲者数は4000人から6000人と聞かされていた。もし貿易センターが縦に崩れずに横倒しになっていたら、もしテロが起きたのが9時10分前ではなくてほとんどの人が出勤していた10分後だったら、何万という犠牲者がでたことは必定だ。それを考えた場合、もしアメリカ国民が怒りに狂って復讐をだけを考えるような国民なら、あの時ほどその本性が現れるのに絶好の機会はなかったはずである。
だがアメリカ国内でアラブ系の人間がリンチになったり、イスラム教の聖廟が破壊されたり、条令もないのに中近東の人々が、ただイスラム教徒あるというだけで大量に逮捕されたなどという出来事は全くおきなかった。一部ぼっ発的にイスラム教徒と間違われたインド人が嫌がらせをされたり、イスラム教聖廟に石が投げられたり落書きがされたといった程度のことはあったが、組織的なイスラム教徒迫害は全くおきなかった。それどころか、アメリカ在住のイスラム教徒に不心得者からの攻撃がないようにと地元のキリスト教徒やユダヤ教徒が率先して市民に冷静を保つよう呼びかけたりしていたほどだ。
テロ対策として提案された「愛国法」ですら、アメリカ市民や合法永住の外国人の人権を妨げるようなことがあってはならないと神経質なほどの考慮がされた。
だからブッシュ大統領がシリア生まれの男に暗殺されたとしても、アメリカ国民がヒステリーを起こしてシリアやイランに戦争を挑み、チェイニー新大統領が国民の人権を無視して容疑者をかたっぱしからガンタナモに送るなどということはまずあり得ない。
この映画はブッシュ大統領やチェイニー副大統領への侮辱であるばかりでなく、アメリカ国民全体への侮辱である。このような汚物を製作する人間が自由に物を言えるのも、彼等が軽蔑するアメリカやイギリスの愛国者たちが諸外国で命がけでテロ退治をしていくれているからではないか。もし我々がイスラム過激派とのテロ戦争にまけたならば、彼等のような堕落した馬鹿左翼どもが一番最初にジハーディストの刃に倒れるのである。


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映画韓半島ウソク監督の反日ぶり

アップデート: 下記参照
きのうも当惑する韓国の反日感情でちょっと紹介したとおり、反日映画韓半島が韓国で公開された。

韓半島
監督:カン・ウソク、製作:シネマサービス、主演:チョ・ジェヒョン、チャ・インピョ、アン・ソンギ、カン・シンイル
南北統一の日が近づく近未来。だが日本は妨害に出て韓半島(朝鮮半島)を危機に陥れる。カルチャーセンターを転々としていた歴史学者、チェ・ミンジェ (チョ・ジェヒョン)はその荒波の渦に100年以上隠されて来た歴史の秘密を暴かなければならない責任を負うことになる。後輩の歴史学者イ・サンヒョン (チャ・インピョ)と勇気ある大統領(アン・ソンギ)も危機に陥った韓半島を救うために立ち上がる。

映画監督のカン・ウソク氏のこの映画に対する思い入れを夢庵風流日記さんが紹介してくれている。

この映画を撮ったのはカン・ウソク、「シルミド」を撮った監督なのだが、彼は次のようにハッキリ語っている。「なぜこんなに反日的に描いたのかと思われるかもしれないが、個人的な思いが強く作用した」、「日本人の政治的な妄言や不適切な表現は、いくら傷つけても大した抵抗はしてこないだろうという彼らの考えが現われている」、「映画監督ではあるが、個人的に(そんな日本を)映画の中でぎゃふんと言わせたかった。だから反日色が濃くなった」。 この映画、最後に悪の日本国を国際法廷に立たせることが目的とまで言い切っている。

ウソク氏のいう「日本人の政治的な妄言や不適切な表現」とは具体的に何のことをいってるのだろう。日本政府が日本領海における査察は自制しろと促したことか? 竹島のことは国際社会にもちだして白黒はっきりつけようといったことか?
朝鮮戦争開戦記念日に豊臣秀吉の話がでてくる自分んとこの大統領の「妄言」は棚におき、何をいってるんだといいたくなる。
だいたい私は芸能人や映画監督が自分の著名度を利用して政治活動をするのを見るのが大嫌いである。特にこの映画の場合韓国政府の肩入れがかなりあるというから、これじゃあまるで大本営政策のプロパガンダ映画といわれても仕方ない。
でも第二次世界大戦などおじいさんの時代になってるひとたちが、こうも日本を嫌うのは何故なのだろう。不思議でしょうがない。
いくら韓国映画が好きな人でも、この映画はボイコットすべきだろうな。
アップデート:
韓半島公開5日で163万人動員という記事を見つけました。(Rainbow Chaserさん紹介)
韓国型ブロックバスター『韓半島(原題)』が、公開5日目にして全国で160万人を突破した。

 『韓半島』(監督:カン・ウソク、製作: KnJエンターテインメント)の配給を担当しているCJエンターテインメントは18日、「今月13日に、ソウル121スクリーン、全国520スクリーンで公開された『韓半島』は、17日までで、全国観客数163万6000余人を動員した」と明かした。

 また、「この記録は、全国的に集中豪雨に見舞われている中、多くの観客が劇場を訪れた証拠」、「この勢いなら、今週末には200万人を軽く越えられるだろう」と伝えた。
 一方、15日に豪雨の中、大邱(テグ)地域を舞台挨拶に回った、チョ・ジェヒョン、チャ・インピョ、アン・ソンギ、ムン・ソングン等、『韓半島』キャストは、釜山(プサン)地域を回る等、プロモーションをさらに展開していく計画だ。 

これに関してRainbow Chaserさん曰く、

日本でもし、朝鮮を悪者にした映画なんて作ったら国内外からものすごいバッシングで、謝罪の気持ちだとか差別だとか行き過ぎたナショナリズムだとか軍靴の足音が〜とか言われまくって、ものすごいことになるんだろうなぁ。

なんというダブルスタンダード!


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当惑する韓国の反日感情

私の日本情報はどこで得るかというとこれがなんと浜村淳さんの、「ありがとう浜村淳です」という毎日放送のラジオ番組。私の出身は関東なので日本にいた頃はきいたことなどなかったのに、ここ数年インターネットのラジオですっかり浜村さんにはまってしまった。ははは、、
そんなことはどうでもいいのだが、本日の放送で浜村さんが韓国のノムヒョン大統領の異常なまでの反日ぶりに首を傾げておられた。このあいだの朝鮮戦争開戦56周年にあたる25日に歴代大統領は北朝鮮の脅威を述べるのが伝統となっていたのに、ノムヒョン大統領は突然豊臣秀吉の朝鮮侵略の話をはじめた。

「毎年、この日が来ると我が国の歴史を振り返って複雑な心境になる」と述べ、「例えば1592年、我が国は日本に踏みにじられ、あらゆる侮辱を受けた。中国からも2000年の間、何度となく侵略を受けた」と、豊臣秀吉が朝鮮半島を攻めた「文禄・慶長の役」までさかのぼって「受難の民族史」を強調した。

また韓国で公開された反日映画「韓半島」は韓国政府の御墨付きで韓国軍の全面的な協力があるなど、最近の韓国政府の親北反日ぶりは本当に当惑する。

『韓半島』
監督:カン・ウソク、製作:シネマサービス、主演:チョ・ジェヒョン、チャ・インピョ、アン・ソンギ、カン・シンイル

南北統一の日が近づく近未来。だが日本は妨害に出て韓半島(朝鮮半島)を危機に陥れる。カルチャーセンターを転々としていた歴史学者、チェ・ミンジェ (チョ・ジェヒョン)はその荒波の渦に100年以上隠されて来た歴史の秘密を暴かなければならない責任を負うことになる。後輩の歴史学者イ・サンヒョン (チャ・インピョ)と勇気ある大統領(アン・ソンギ)も危機に陥った韓半島を救うために立ち上がる。

共産主義の国、北朝鮮と手を結ぶのにこれまで韓国映画をたくさん買ってくれて韓国の観光産業をいっぺんに潤わせてくれた日本は敵に回すというわけね。うちの母などなんとかいう韓国人俳優のポスターを自家用車のダッシュボードにはりつけて毎日運転しているというのに、韓国映画界は日本様様ではないか、それがこの裏切りはなんだろう。
いや映画がこうなるのも指導者たるノムヒョンさんは、日本の拉致被害者の家族が韓国へいっても冷たい態度をとるし、韓国の拉致被害者家族への配慮もない。このあいだの北のミサイル発射だってノムヒョン大統領は日本やアメリカの反応が過剰だとすら批判していた。こうした大統領の態度には朝鮮日報の社説が強く批難している。

19日に開かれた安保関係長官会議において、盧武鉉大統領は北朝鮮ミサイル対策に関し、「実際の状況以上に過剰に対応したり、不必要な緊張と対決局面を作り出す一部の動きは問題解決にプラスにならない。特にわれわれが置かれた立場に照らして留意すべき部分だ」と述べた。

また、盧大統領は「現在は状況の本質を冷静に分析し、関連国の間で認識の共有を進め、根本的な解決のためのアプローチ方法を講究するのが何よりも重要だ」とも述べた…
しかし、一体何を指して過剰対応だとしているのだろうか。日本の首相が自国の領土を射程に収める北朝鮮のミサイルが発射されたのを受け、早朝から状況を点検したのが過剰対応だというのであろうか…
大統領は北朝鮮ミサイル問題に対し、関係国の間で認識を共有しなければならないと述べた。だが、北朝鮮ミサイル問題は韓国と北朝鮮を除けば、類例を捜し出すのが難しいほど関係国間の認識共有がうまくいっている。現在、ミサイル問題について独りよがりな変わった認識をしているのは韓国と北朝鮮だけだ。北朝鮮の「兄弟国」である中国さえも国連安保理決議案に賛成し、中国主席はこの決議案を支持するという意志を再度表明している。
大統領の発言は事実を正反対にひっくり返すものだ。現在、韓国が北東アジアでのけ者にされ、世界の迷子になってしまった原因は、韓国が北朝鮮ミサイル発射の第一の当事者であるにもかかわらず、拱手傍観で一貫してきたことにある。その結果、韓国と北朝鮮、言い換えれば「わが民族同士」を叫ぶ南と北だけが世界で孤立してしまったのだ。それにもかかわらず、大統領は世界の過剰対応が問題だとしている。

韓国にとっては日本やアメリカのほうが中国や北朝鮮などよりずっと頼もしい同盟国のはず。血がつながっているからなんていうくだらない感情に負けて自由主義を捨てるような危険をおかすべきではない。
私の同僚に以前韓国の非武装地帯で戦車を運転していた元米軍陸軍兵がいる。彼らの戦車にはアメリカ兵3人と韓国兵が一人乗り込むのが通常だったが、韓国兵はよく北朝鮮の兄弟に攻撃をしかける気はないといったという。それで私の同僚はもし打ち合いが始まったら最初に韓国兵を戦車から追い出すといっていた。敵をのせたまま戦争はできんからね。
しかしそんな韓国も今回の国連決議には日本がめずらしく背骨をみせたおかげで、諸外国の圧力に負けてしぶしぶながら同意せざるおえなかったが、これをうけて北朝鮮はすぐさま離散家族再会事業の中断を一方的に宣言した。
いくら韓国がご機嫌をとって北朝鮮を「我が民族」などと呼んでみて、北朝鮮は韓国など屁とも思っていないのであろう。ノムヒョン大統領のお人好しを利用して韓国を乗っ取ってやろうというくらいにしか思っていないはずである。北朝鮮の兄弟愛などしょせんこんなもんである。韓国は本当の味方をみきわめるべきだ。


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