反戦運動に対抗、愛国者鷹たちの反撃!

アップデートとバンプ
アメリカ時間で3月17日の土曜日正午、ワシントンDCにおいて共産主義看板団体ANSWER主催の反戦(反米)デモ行進が行われた。この催しは数週間前からインターネットで参加者を募っていたが、元軍人らを中心とした愛国者たちが率先してこの反米交信に対抗するGathering of Eagles(鷹たちの集会)というデモ行進を主催し、こちらもインターネットを使って愛国心のある市民の参加を募った。
アメリカも世界のメディアも左翼反米派の行進は大きく取り上げるだろうが、それに対抗している愛国者たちの運動は取り上げないだろう。しかしそこがインターネットのありがたいところだ。主流メディアが無視するニュースを読者に届けることができる。
行進に参加したミッシェル・モルキンが行進の模様を写真付きで報告しているので、是非みなさんにも御覧いただきたい。東海岸はここ数日ものすごい寒波に見回れ、飛行ダイヤもかなり狂ったので集まるのは大変だったと思うが、ミッシェルの話ではカリフォルニアからわざわざ飛んできた主婦や、アラバマからバイクを飛ばしてやってきたバイカーたちなど、何千という人々が集まったという。

rally

星条旗がめだつ愛国者たち側


愛国者たちが「USA, USA」と叫ぶなか、反戦派の象徴となったシンディー・シーハン(息子をイラクで戦死して亡くしたことを最大限自分の政治運動に利用している女性)が汚らしい言葉でアメリカを罵る。ミッシェルが特に印象に残ったのはたくさんの星条旗に囲まれた愛国者に反して反米派たちが「イラク即刻撤退」と書かれた黄色い帯に身をつつんでいたことだという。「黄色とは似つかわしいや」とある元軍人。黄色はアメリカでは臆病者の色だからである。偶然とはいえぴったりだ。
CSPANというケーブルテレビがデモ行進の模様を生中継したが、CDR salamannder(サラマンダー司令官の意味)がそのテレビ中継を報告している。彼によるとイーグルたちの行進は全く報道されていないということだ。しかし映像で見る限り、反戦派の群衆はそれほど多くないようだ。これまでのANSWER主催の反戦行進では三万人程度の人出が普通だったが、地球温暖化の影響か今年の冬はものすごく寒いので気候が協力してくれないとデモの参加者は文句をいっていたらしい。
アップデート1):
行進から帰ってきたブロガー達からの報告がたくさんはいっているので、ちょっと紹介。
マリーキャサリン・ハムが戦争支持ラリーの演説者たちを映したビデオを公開している。反戦ラリーの演説とちがってみんな非常に英気のつくような元気なものが多い。反米派の演説は憎しみに満ちているが。
アップデート2):
Flopping Acesでは右翼の過激派のサインも掲載されている。「ペロシはアルカエダの味方」だ、とか「地獄へ堕ちろ裏切り者」なんてのもある。ちょっと問題だな。(笑)しかしエースの写真や記事から判断するに愛国者側と反米側とでは人数は同じくらい集まったらしい。これだけ戦争支持の人間が集まってるのにメディアは反戦派の方しか報道しない。
アップデート3):
主流メディアは反戦運動に対抗して現れた戦争支持者たちのことは報道しないだろうと思っていたら、APワシントンポストも報道したのには驚いた。反戦派の数は1万から2万。警察当局は公式発表をしないのでよく分からないようだがあまりにも寒い気候が災いして反戦派の参加者数は期待よりずっと少なかった。しかしそれとは裏腹に数百人集まればいいと思っていた戦争支持者の数は予想を遥かに上回り、反戦派ほどではなかったとはいえ、かなりの数が集まったようだ。おかげで主流メディアもこれまでのように無視することが出来なかったのだろう。
しかしさすがに偏向メディアだけあって、戦争支持者達をこき下ろすことを忘れない。

昨日(17日)の熱気のほとんどは何千という対抗議者(戦争支持者)から供給された。多くは元軍人で国中からベトナム慰霊碑の周りに集まれとよびかけられた。一部の人たちはインターネットにおいて、慰霊碑の壁が傷つけられる恐れがあるという訴えをきいてきたという。しかしそのような行為は報告されていない。(カカシ注:去年の反戦マーチで慰霊碑に落書きされたことがあったため元軍人たちが守っていたからだ。)…

一部の対抗議者たちは(反戦派の)行進者たちに裏切りものなどと罵倒やヤジをとばした。反戦派も答えて怒りの言葉を反復し途中警察が口げんかがエスカレートしないよう仲裁にはいることもあった…
一時、行進が始まる前に対デモ行進者たち(戦争支持者)はアスファルトのコンスティトゥーションの歩道の両脇にならび、集合場所にいくため通り過ぎる(反戦派の)行進者たちに罵倒を浴びせた。ひとりの車いすのベトナム帰還兵は子供を含んだ行進者たちに汚い侮蔑語をあびせた。
戦争支持者の一部は行儀良く反戦派とジャブをかわしていた。しかし他には行進者たちがベトナム慰霊碑の壁に近付くのを阻止するひとたちもいた。特に看板を持っている人に対して。ワシントンDC住まいのエリック・アンダーソンさん47歳は、うでからサインをもぎ取られ泥のなかに捨てられたという。(カカシ注:軍人の慰霊碑に反軍隊の看板を持って近付けると考えるほうが甘い。慰霊碑の前にはベトナム帰還兵が慰霊碑を守る目的であつまっていたのだから。)

この報道だとあたかも戦争支持者が反戦派が行儀悪く嫌がらせをしたような印象を受けるが、実は機動隊ともみ合いになったのは反戦派の若者たちである。かれらはスプレーペイントや爆竹などで武装して機動隊のバリケードをやぶって慰霊碑に近付こうとしたが阻止され、数人が逮捕された。いったいスプレーペイントで何をする気だったのだろうね?
APのほうでも同じような報道だが、やはり対反戦運動派による嫌がらせがわざわざ記されている。

しかし反戦派行進者のノースカロライナのボンヌから来たスザーン・シャインさんは対抗行進者たちに囲まれてしまい、引き裂かれたサインをもちながら涙ながらに逃げ出してきた。「私の平和のサインを引きやぶってしまいました。」と、警察が夫と二人の大人の娘たちを対抗者のグループからエスコートした後で語った。「とってもこわかったです。」

これまでは、こうした反戦マーチなどに戦争支持者や元軍人などが現れて戦争支持を唱えたりサインをもって歩いたりしたら、それこそリンチにかけられそうな目にあうのが普通だった。たまには自分達のやっていることをやり返されるのもいい薬になるというものだ。デモ行進はなにも左翼連中だけの専売特許ではないのだということを思い知るがいい。


View comment

イラク戦争支持率急落のアルカエダ

ビル・ロジオ(Bill Roggio)によると、バグダッドでの新作戦は非常にうまくいっているようだ。バグダッドでの攻撃が日ごとに難しくなってきていることに対応して、スンニテロリストたちは攻撃拠点をバグダッドの外、イランとの国境近くのディヤラ地区(Diyala)に移したらしい。
迷惑なのはディヤラ地元のスンニ及びシーアの部族たちである。アンバー地区の反アルカエダ部族と同じように、ディヤラ地区でもアルカエダはお呼びじゃないという結論に達したようだ。

アルカエダのディヤラにおける活動は地元市民によるテロ軍団への抵抗をかもし出している。アル・サバー紙によるとディヤラ地元シークらは「地区に腐敗を広めている」 アルカエダとそのイラク支部に組織的に対抗し始めている。 イラク政府もディヤラ地区への軍事行使作戦を練っている。ディヤラのシークたちは(アンバー地区にある)アンバーサルベーションフロントという対アルカエダ組織と似たような組織を結成しつつある。このグループは元反乱軍及び西イラクのアルカエダの存在に反対する部族のメンバーたちからなっている。

アルカエダがこの動きを心配している証として(アルカエダによる)反アルカエダ部族への攻撃が最近激しくなっている。マクダディヤ市ではスンニ及びシーアの部族民の家が次々に焼き払われた。未確認の報告によれば市内で放火された家屋は30軒から100軒ともいわれている。二日前ディヤラ地区のヒブヒブにて警察署が襲撃され警察官一人が殺害され3人が負傷、10人が行方不明になっている。

今年は、アルカエダから守られる立場にいるはずのスンニイラク人たちの間で、アルカエダ支持から拒絶への折り返し点となったといえる。アルカエダにとって地元からの支持と援助は必要不可欠なものだ。その支持がどんどん凍解していくなか、あせったアルカエダによるスンニ攻撃、いわゆるレッド・オン・レッドと呼ばれる内部抗争が激しくなっている。最近は単にアルカエダへの協力を拒むだけでなく、武器をとって積極的にアルカエダに抵抗するスンニ部族が日に日にその数を増している。
アメリカ軍はすでにこうした動きにすばやく順応すべく、残りの三つの旅団をディヤラやカーバラといったバグダッド衛星都市に回す用意ができている。今回の作戦はこれまでのように掃蕩後に去るではなく、掃蕩後に居座る作戦だ。
それからロジオによるとイラク・アメリカ合同警備基地(JSS)がすでに23ほどバグダッド付近に設立されているが、この基地が非常に効果をあげているため、当初の計画の35箇所の倍の70箇所を設立することになったそうだ。JSSでは、アメリカ兵とイラク兵が共同生活をする、同じ釜の飯を食ってお互いの親交を深めるという意味もあるが、イラク軍がアメリカ式の軍隊のあり方を学ぶのには好都合だし、いずれおきる任務の移行もスムーズに行くというものだ。
最後になるが、マリキ首相及びイラク政府は国の指導者たるやどういう態度をとるべきなのかということを序々に学んできているようだ。リーダーシップには権力だけでなくパフォーマンスも必要。 APによるとマリキ首相はバグダッドの西にあるスンニ反乱軍の本拠地ラマディに電撃訪問をした。という。 マリキ首相は地元の部族長たちと会談した後、イラク警備隊にも慰安訪問したという。
マリキ首相は使者をおくることもできた。スンニ派の副大統領もいることだし。だがそれをわざわざ反乱軍の本拠地に自分から出向いて行ったということは、イラク全体にマリキが代表するイラク政府がイラクを統括していると知らしめる意味がある。
最近イラクからは良いニュースがあふれている。どうりで民主党が慌てふためいているわけである。そろそろ下院議長のペロシ女史が泡を吹き出すのではないかな?


Comment

米工作員ビンラデン退治にパキスタン入国

タリバンから追い出されたアルカエダの首領オサマ・ビンラデンとその右腕アイマン・ザワヒリはパキスタンの山奥に隠れているのではないかと長いこと取りざたされていたが、ついにアメリカの秘密工作員と特別戦闘員がパキスタンに入国。ビンラデン狩に本腰をいれているようだ。

アメリカ高官によると今度の任務は明日50歳になるテロリストのリーダーへの圧力を強化し、それによって間違いを犯させるのが目的だという。ビンラデンはアフガニスタンとの国境近くに隠れていると広く信じられている。

衛星写真や交信の詳細は先週CIAのスティーブン・カペス副長官よりパキスタンの大統領に提示された。これはアメリカ諜報部にもっと協力が得られるように(パキスタン側に)圧力をかけるひとつの作戦である。
カペス氏は中東の専門家で、ムシャラフ将軍への説明会に参加するためイスラマバッドを訪れた副大統領に同伴した。氏の詳細に渡ってアルカエダがパキスタンの地で勢力を増幅している証拠を提示した。

どうやらムシャラフ大統領はこの説明に納得したようで、アメリカ諜報部並びに特別部隊の国内での工作を認めたらしい。ムシャラフにとってもアルカエダテロリストは目の上のたんこぶ。アメリカに取り除いてもらえるなら協力しない手はない。
ご存知のように、CIAは一度ビンラデンとその仲間達をアフガニスタンの山奥に追い詰め、後は突撃許可を待つのみとなったことがあった。当時の大統領クリントンは一般市民への犠牲が出ることを恐れて許可をださず、みすみす大物を取り逃がすというエピソードがあった。
タリバンはアフガニスタンでも春の総攻撃にかかっているが、追い詰められるとパキスタンに逃げ込むというパターンが繰り返されていては、いつまでたってもモグラ叩きで切がない。 この際徹底的にパキスタンのアルカエダ退治をやってもらいたいものだ。そして今度こそビンラデンとザワヒリを退治してもらいたい。
ところで、ビンラデン退治をおざなりにしてイラク戦争を始めたと批判していた民主党の連中は、もし今度こそビンラデンが退治されたらなんと言うのだろう? まさかビンラデンなど殺しても意味はないなどというのではあるまいな。(笑)


Comment

NATO軍春を待たずしてアキレス作戦

アフガニスタンのNATO軍はタリバンが予告している春の総攻撃を待つまでも無く、すでに対タリバン攻撃を始めている。題してアキレス作戦。
今回の連合軍に参加しているのはアメリカ、イギリス、オランダ、カナダあわせて4000の兵、それに1000のアフガン兵が加わる。
今回の作戦は北側のヘルムランド地区に集中される。タリバンが占拠したと発表しているムサカラ(Musa Qala) とワシア(Washir)そしてナズワドの位置する地域である。ムサカラは去年の暮れ、イギリス軍がタリバンと交渉の末譲り渡した場所だが、タリバンなどと交渉ができると考えたイギリス軍は甘かった。おかげでここを拠点にタリバンが勢力を強め攻撃をしかけてくるという有様である。再びこの土地をとりもどさねばならなくなった。イギリスとアフガンの歴史は19世紀にさかのぼるほど古いのに、何で同じ間違いを何度も繰り返すのだろう。不思議でしょうがない。,
昨日も書いたように、NATO軍はすでにあちこちでタリバンと戦闘を続けており、その度に10人から50人の戦死者がタリバン側から出ている。タリバンが面と向かった攻撃でNATO軍に太刀打ちできるわけはないのである。
去年の総攻撃では役3000人のタリバンが殺されたが、一般市民も1000人巻き添えを食ってしまった。今回も春の攻撃をめざしてタリバンは兵を集めているが、今回も大惨敗で終わること間違いなし。アフガニスタンはこうやって何年も同じことを繰り返し、どっちの辛抱が持つかで最終的な勝ち負けが決まるのだろう。


View comments (4)

何がタリバン春の大攻撃だ!

今日、産経新聞の「タリバン、春に大攻勢へ アフガン駐留外国部隊が標的」という記事を読んでカカシが大学生の、パキスタンの留学生との会話を思い出した。ある時私はパキスタンとインドがカシミアを巡ってまた戦闘を始めたようだねという話をしたら、パキスタン空軍でパイロットをしていたこともある彼は、「あ~春だからね」と退屈そうに答えた。彼に言わせるとカシミアあたりは冬は寒くて雪もつもり山岳地帯での戦闘はほぼ不可能。暖かくなってくるとお互い何発か打ち合って形だけの戦闘をやるのが習慣なんだそうだ。これじゃまるで日本の春闘とおんなじだなとカカシは苦笑いをしてしまった。(今でもあるのかな、春闘って?)

3月3日8時0分配信 産経新聞
 【バンコク=岩田智雄】イスラム武装勢力タリバンが、アフガニスタンに駐留する米軍など外国部隊に対し、春の大攻勢に向けて戦力を整えつつある。米国やアフガン政府は、テロの司令塔はパキスタン国内に潜伏しているとしており、米軍による直接攻撃の可能性も示唆し始めた。
 アフガンでは昨年だけで139件の自爆テロが発生。一昨年の21件から急増した。
 現地からの報道によると、タリバンのダドゥラー司令官は先月21日、新型の対空火器を入手したと明らかにするとともに、現在6000人のタリバン兵が、間もなく1万人になると主張。ゲリラ活動が容易になる雪解け後の攻勢が始まると宣言した。別のタリバンのカーン司令官も先月28日、アフガンで自爆要員2000人を確保し、うち1000人を、治安が比較的安定している同国北部へ移動させたと述べた。

実はアフガニスタンでタリバンはすでに何度もNATOへの総攻撃を試みており、今年にはいって200人からのタリバン武装勢力がカナダ・イギリス軍を中心にしたNATO軍に殺されている。
実は先月、ニューヨークタイムスは2006年にアフガニスタンでは4000人が殺されたと報道した 。しかしこの記事では殺された「人々」が一般市民だったのか敵側のタリバンだったのかはっきりされていなかった。 もし殺されたほとんどがタリバンだったとしたらタリバンの総攻撃は大失敗だったということになる。これは調べてみる価値があると思った。 その結果驚くべき事実がはっきりした。
タリバンの戦死者数を調べるにあたり、カカシはCounterTerrorism blogThreatsWatch に載せられたアフガニスタンに関する記事からタリバンの死者数を月別に数えてみた。9月の数はNATOの公式発表の数を使った。
2006年月別タリバン戦死者数は書きの通り。

2006年、タリバン戦死者数
戦死者数
一月 16
二月 (No data)
三月 43
四月 45
五月 412
六月 515
七月 708
八月 122
九月 900
十月 105
十一月 20
十二月 165
2006 合計 3051


これで解るように去年一年間でアフガニスタンでの戦死者4000人のうちなんと四分の三はタリバンだったことがはっきりしたのである。
これらの数は公式発表ではない。私が記事に書かれた戦死者数をいちいち数えたもので多分実際にはもっと多いはずだと考える。たとえば9月は私の勘定だと319人だったが、公式発表では900人となている。
どういうわけかイラクでのアメリカ兵の戦死者やイラク市民の犠牲者の数には異常なほど興味を示す主流メディアはアフガニスタンでどれだけ悪者が退治されても全く興味がないらしい。
ここでメディアが全く認識しないカナダ、フランス、イギリス軍の英雄たちに拍手と声援を送ろう。また9月に勇敢な戦いをしたアメリカ陸軍特別部隊にも脱帽!
確かにタリバンは完全に崩壊したわけではない。まだまだ残党がいる。しかしこれまでの何百回という戦闘でもわかるように、タリバンはNATO軍に総攻撃をかけるたびに大惨敗しているのである。去年の死者のうち2000人はタリバンが攻撃を激化させた後半の四ヶ月で出た数だ。 であるから春先のアメリカ軍への攻撃においても突然タリバンが圧倒的な勝利を得るなどという可能性は低い。
ただ問題なのはタリバンがアフガニスタンでままならぬ勢力をパキスタンに伸ばしていることである。前出の産経新聞によると、

米軍、パキスタンで直接攻撃を示唆
 イスラマバードの消息筋によると、タリバンは、最高指導者オマル師の指揮下にあり、同師の周辺にはダドゥラー氏ら30人の司令官がいる。タリバンのほかにも10以上のテロ組織があり、かつてタリバンと敵対した反米イスラム原理主義者、ヘクマティアル元首相らのグループが活動している。
 米国はこれまで、タリバンの指導者がパキスタンのアフガニスタン国境に近い部族地域などに潜伏し、国際テロ組織アルカーイダが訓練キャンプを再構築していると指摘してきた。
 消息筋によると、チェイニー米副大統領は先月、パキスタンのムシャラフ大統領との会談で、アルカーイダナンバー2のザワヒリ容疑者とタリバンのダドゥラー司令官の殺害あるいは拘束を具体的に求めたという。米国は、2人が春の大攻勢を主導し、現在パキスタンとアフガニスタンの間を自由に往来しているとの情報を得ているといい、チェイニー副大統領はテロリストの動きが止まらない場合、米軍がパキスタンで直接、武力行使する可能性を示唆したとされる。
 ムシャラフ大統領としては、パキスタン軍がタリバンを攻撃すれば、同政権がテロの標的になりかねないため、対応に苦慮しているもようだ。

ムシャラフ大統領はアメリカ政府に協力したいのはやまやまだが、自分も何度も暗殺の対象になった身でもあり、厳しい取締りをしたくてもそれだけの権力がないというつらさがある。だが、テロリストと妥協は出来ない。
ムシャラフ政権が倒れた後のことも見越して、アメリカ政府がパキスタンにある核兵器がテロリストの手に渡らないようにすでに手を打ってあることを祈るのみである。
関連記事:
NATO軍春を待たずしてアキレス作戦
アフガニスタン:どうなったのタリバン春の大攻撃?


View comments (2)

エルサレム、なぜ通路修復工事が問題なのか

今、イスラエルのエルサレムでは宮殿に続く通路の修復工事を巡ってイスラム教徒による暴力沙汰が起きている。下記は9日の毎日新聞の記事。

エルサレム旧市街のイスラム教の聖地ハラム・アッシャリーフ(ユダヤ名・神殿の丘)につながる通路の修復工事を巡り、金曜礼拝に集まったイスラム教徒が9日、投石などで激しい抗議行動を展開、イスラエル警察が聖地に入場してゴム弾や催涙ガスを使用する事態に発展した。死者はいない模様だが、双方に負傷者が出た。
 イスラム教徒はイスラエル当局が実施している同工事について「聖地が破壊される恐れがある」と激しく反発。指導者らが9日の礼拝にあわせて大規模な抗議行動をするよう呼びかけていた。
 高台にある聖地の下部にはユダヤ教徒が祈りをささげる「嘆きの壁」があり、投石が始まった後、イスラエル警察はこの付近からユダヤ教徒らを退避させる一方、聖地に入場して催涙ガスなどを使用した。イスラム教徒の一部は聖地の「アルアクサ・モスク」内に陣取るなどして抗議を続けた。毎日新聞 2007年2 月9日 21時22分

いつものことではあるが、イスラム教徒側の主張はただの言いがかりだ。この通路はテンプルマウント(神殿の丘)にあるアルアクサ・モスクに続く道ではなく、丘の下部にあるユダヤ・キリスト教の聖地へとつながる通路である。第一、イスラエルはこれまで存在しなかった通路を新しく建築しているわけではなく、すでに存在していた通路が数年前の地震で破壊された際に臨時に建てられた木造通路を、もっと安全な通路へと修復するために工事をしているに過ぎない。通路がモスク破壊につながるというのであれば、とっくの昔に破壊されていたはずである。以前にもイスラムは惜しみなく奪うで書いたように宗教的に価値あるものを破壊するのはイスラム教徒のほうでありユダヤ教徒ではない。
では何故、モスレムたちはこの修復工事にこうもムキになっているのだろうか。実は丘の上から聖地へつながる通路はモスレムが管理しているため、イスラム教徒以外の信者は通ることができない。モスレム以外の信者が聖地へいくためには下部にあるこの通路を通る以外にないのである。つまり、モスレム達はインファデル(不信心者の意味)が聖地に入るのを全面的に阻止しようとしているわけだ。
この話を理解するためには神殿の丘にまつわる歴史的背景を振り返ってみる必要がある。ここでウィークリースタンダードに掲載されたこの記事を参考に考えてみよう。(Ramping Up the Violence, The truth about the Temple Mount controversy. by David Gelernter, 02/26/2007, Volume 012, Issue 23)


Comment

アメリカが国際社会でイランのイラク関与を批判する意味

な〜んか、イラク戦争前夜と似たような雰囲気になってきたなあ〜。
我々保守派の間ではイラクにおけるイランの関与をなんとかすべきではないのかという意見がもう2年以上も前から議論されていた。しかし以前にもここで話たように、アメリカはイランの関与についてあまり表立った批判をしてこなかった。その理由はイランの関与を表だって批判しないことで、アメリカは内々にイランの協力を得ようという思惑があったからなのかもしれない。だがイランの最近の行動は目にあまるものがあるため最近アメリカ政府は方針をかえ、大々的にイランを批判すうようになった

イラクで使用の爆発物にイラン関与の証拠と、米国防長官

スペイン・セビーリャ——ゲーツ米国防長官は9日、イラクで武装勢力が使った爆発物にイランが関与したことを示す製造番号や刻印が発見された、と述べた。セビーリャでの北大西洋条約機構(NATO)の国防相理事会後の会見で述べた。
イラクの武装勢力に兵器もしくは技術を供与していることの物的証拠としている。これらの爆発物の数は全体の中で大きな比率を占めないが、「殺傷能力は極めて高い」と指摘した。路上に仕掛けられる爆弾攻撃などで米兵は大きな犠牲を強いられている。
長官はまた、「イランがイラク情勢に関与していることは驚きではないが、米軍などの家宅捜索でイラン人が実際に見付かったことは驚きだった」とも述べた。米政府はイラン政府が影響力を拡大するためにイラクに干渉していると主張している。

アメリカ軍がわざわざNATOの理事会でこのようなことを発表したとなると、アメリカ政府はいよいよイランに本格的な圧力をかける覚悟ができたということだろう。ブッシュ大統領はイランへの「侵略」はあり得ないと言っているが、この言葉使いに気をつける必要がある。ブッシュはイランと戦争をするつもりはないとも、イランに軍事攻撃を仕掛けるつもりはないともいっていない。ブッシュがあり得ないといったのはイランへの「侵略攻撃」だけである。
よくブッシュ大統領をバカにしている左翼連中はブッシュが舌がよく回らないのをおちょくってあたかもブッシュが言葉使いには疎い人間であるかのような批判をするが、実はブッシュ大統領は言葉使いには非常な神経を使っている。だからブッシュがわざわざ「侵略は」あり得ないと言ったことには十分に注目すべきである。
以前にアセアンさんがアメリカがイランとの外交をうまくやって来なかったからアメリカはイランとの戦争に追い込まれているのではないかといっていた。だが私はそうは思わない。アメリカはイランと交渉をしようとしているのである。だが、イランはアメリカと交渉をして得をすることはないと考えているはずだ。つまり、アメリカにはイランと交渉をするための札を持っていないので、アメリカが今やっていることはイランに交渉を強制させるための切り札作りをしているといえるだろう。ま、平たくいえば脅迫である。(笑)
アメリカはイランには「戦争を仕掛ける可能性がある」という姿勢を見せて脅かしながら、諸外国には経済制裁のような政治的な圧力をかけていこうと呼びかけるわけだ。そうやってイランがイラク関与をやめてくれればいいし、それが駄目なら軍事行使となるのかもしれない。
関連過去エントリー
イラクに伸びるイランの魔の手


View comment

ゲリラには勝てないという神話

先日歴史家のドナルド・ストカー氏が書いた「ゲリラはめったに勝たない」(“Insurgencies Rarely Win – And Iraq Won’t Be Any Different (Maybe) By Donald Stoker)という記事を読んで、イラク戦争も多いに歴史に学ぶことがあるなと思って感心した。
ゲリラ戦というとアメリカではどうしてもベトナム戦争の記憶が新しい。しかしストカー氏はアメリカはベトナム戦争からゲリラには勝てないという間違った教訓を学んだという。氏はゲリラは常に勝つどころか、めったに勝たないと断言する。だから、イラクでもアメリカ軍を増派し作戦を変更することで十分に勝利をおさめることが可能だというのである。しかし、イラクでアメリカが勝とうというのであれば、アメリカは過去の間違いから学ばなければならない。なぜならゲリラ撲滅は辛抱強く時間をかけてやる必要があるのだが、ブッシュにはあまり時間がないからである。

ゲリラや反乱軍は不滅であるという神話はアメリカの南ベトナム敗退についてアメリカ人が集団的に誤解したことからはじまる。この敗北は一般にパジャマ姿のベトコンによる卓抜さと軍事力によるものだと思われている。ベトナム人はタフで辛抱強かったかもしれないが、彼等は卓抜ではなかった。というより彼等は単にアメリカという自らの間違いから学ぼうとしない敵に面するという幸運に恵まれただけなのである。ベトコンが面と向かってアメリカ軍と戦った1968年のテット襲撃ではベトコンは惨敗した。1975年に南ベトナムが遂に墜ちた時も、南ベトナムはベトコンによっておとされたのではなく、北ベトナムの正規軍の侵略によっておとされたのである。ベトコンのゲリラはアメリカ民衆の戦う意志を崩壊させる要因となったが、それをいうならリンドン・ジョンソン大統領の戦争のやり方も民衆の士気を弱めた。 ハノイ勝利の鍵は北ベトナムの意志とアメリカの失敗にあるのであり、ゲリラの戦略にあるのではない。

氏はソビエトのアフガニスタンでの敗北についても同じような誤解があるという。これにしてもムジャハディーン(アフガニスタンの反ソビエト反乱軍)がソビエトを追い出したというよりも、ソビエト内部の経済および内政の混乱が原因だったのだと言う。
カカシはここでもうひとつアフガニスタンの反乱軍が勝った理由を付け加えておきたい。それはアメリカや諸外国が反乱軍に武器供給を惜しみなく与えたということだ。
ストカー氏も書いているが、反乱軍が一般的に成功しない理由は、組織力と資源に乏しいからである。あっちで一発、こっちで一発、といった散発的な攻撃をいつまでもやっていれば、いずれは弾も人間も乏しくなり戦闘は尻つぼみとなる。資源も人員も豊富な一国を相手にこのような方法ではいずれ負ける。だから反乱軍が勝つためにはこの二つの点をどうにかして確保する必要がある。
であるからイラクでの問題はイラクの反乱軍を倒すことができるかどうかということではなく、アメリカがその機会を逃してしまったかどうかにかかっている、とストカー氏は語る。
私はもうずいぶん前から、アメリカ軍がスンニ派反乱軍のアジトなどで何百という武器を発見したとか、フセインがイラク各地に隠しておいた爆弾だの銃器だのをトン単位で破壊してきたことでもあり、もうそろそろ反乱軍は人も弾も足りなくなっているはずだと考えていた。
現に2005年くらいには、テロリスト攻撃はかなり弱体化しており、アメリカ軍や保守派の間でも希望的な気持ちが高まっていたのである。それが2006年になって再びおかしな状態になってきた。私はいったいイラクの反乱軍はどこから武器弾薬や人員を補給しているのだろうと不思議に思ったものである。
最近になってその原因がイランにあることが明らかになってきた。アメリカがイラクで勝つためにはこのイランからの供給ラインを切断することが最優先されなければならない。まずイラクとイランの国境を固めること、そしてイランに政治的、経済的、軍事的な圧力をかけ、イラクの反乱軍を援助することがイランのためにならないことを思い知らせることが大切だろう。
ストカー氏はイランの話はしていないが、増派による新作戦はゲリラ反乱軍を倒す可能性を非常に高めたと語る。だが氏が一番心配しているのはアメリカがすでに反乱軍を倒す機会をのがしてしまったのではないかということだ。

一つ確かなことは時間が迫っていることだ。ゲリラとの戦いは普通8年から11年はかかる。だがブッシュ政権はアメリカ民衆の世論にあまりにも無関心であったため、このような戦争に関する説明を全くしてこなかった。それで市民の戦争を支持する気持ちはほとんど使い果たされてしまったのである。イラクでの一つの悲劇は反乱軍に対する勝利をおさめるには作戦変更がおそすぎたかもしれないということにある。

アメリカはアメリカとイラクのためだけでなく、自由を愛するすべての社会の安定のためにもこの戦争には勝たねばならない。なぜならこの戦争に負ければ戦争が終わるのではなく、新たな戦争が始まることになるからだ。その時はアメリカもそして欧州も日本も恐ろしい戦争に巻き込まれることだろう。
新作戦の成功を切に願うものである。


View comments (2)

行く先々で問題を起こすパレスチナ人たち

ファタ対ハマスの前回の停戦は三日もしないうちにお互いに約束を破りあって殺し合いになってしまったので、今回はなんとか守ろうと新しく停戦が結ばれたかと思いきや、数時間後にはすでにひとり殺されてしまった。
この二つの勢力の争いはパレスチナ庶民からすらも大きな批判を呼んでいる。 イスラエルの新聞JPostによると、庶民達は恐ろしくて外へ出られない状況だという。

「私たちは自分達で敷いた戒厳令の元に暮らしています」38歳のエンジニアーは火曜日エルサレムポストに語った。「私の子供は8歳と12愛ですが、先週の金曜日に戦いが始まって以来学校へいっていません。外を歩いたり窓から外をのぞくことさえ危険になってきています。」

ガザ市に住む多くのひとたちがそうであるように、アブサダーさんはファタとハマスの間の「ミニ戦争」が悪化して内戦になってしまうのではないかと恐れる。「この通りでの戦いは70年代から80年代のレバノンの状況を思い出させます」と電話でのインタビューで答えた。
「多くの人たちがどうしてパレスチナ人はいく先々で問題を起こすのだろうと不思議におもっているのではないでしょうか。ヨルダンでは1970年代にPLOがもう少しで内戦を起こしそうになりましたし、レバノンでも内戦のきっかけを作りました。」

またファタもハマスもお互いに病院、学校、聖廟などをわざわざ標的に攻撃しあっている。他宗教の人たちには自分らの宗教を尊敬しないのなんのと常にうるさいイスラム教徒だが、自分らの戦いではお互いに宗教を冒涜するような行為にいつも走っている。
今度イスラム教徒が我々にイスラム教の尊厳云々という話をはじめたら、パレスチナやイラクを指差して、イスラム教徒がお互いを殺しあうのを止めたらこちらもイスラム教を考え直してもいいよ、と言ってやろう。


Comment

なんでいつもイスラエルなの?

ディケンズの著書、デイビッド・コッパーフィールドのなかでミスター・ディックという登場人物が出てくるが、この男性はチャールズ王の斬首刑に病的な執着をもっていて、何の話をしていてもなぜかいつの間にかチャールズ王の首の話になってしまう。
これと同じようなイスラエルへの病的な執着が国際社会にも存在するような気がする。この風潮にはカカシは前々から気が付いていたが、カナダのナショナルポストに載ったデイビッド・フラム氏のエッセーに私がいいたかったことがかなり書かれているのでカカシの感想も含めて紹介しよう。
この間、イラク勉強会(ISG、別名the Baker-Hamilton commission)という民主党と共和党のエリート元外交官らによる委員会がブッシュ政権にたいしてイラク対策をどうすべきかという推薦調査書を提出した。この調査書の内容はアメリカでは大騒ぎになったので、ここでも取り上げようかどうしようか迷ったのだが、だらだら長い割には中身のない調査書だったのであえて取り上げないでいた。
しかしこのISG調査書のなかにちょっと気になる部分がある。それはイラク戦争の話をしているはずなのに、なぜかイスラエル問題が出てくることだ。この調査書には

「合衆国が中東における目的を果たすためにはアラブ対イスラエル問題に直接関与する必要がある。」

とある。なんでイラクの話をしているのにイスラエルの話がでてくるのか? しかもイラクの未来をアメリカがシリアと交渉する際、イスラエルがゴーラン高原をシリアに返還することやパレスチナ人のイスラエル国内への帰還の権利を話あうべきだとかいうとんちんかんな変な話も出てくる。どうしてアメリカのイラク対策でシリアと交渉するのに、他国イスラエルの領土問題を持ち出す必要があるのだろう。だいたいイスラエルがアメリカのために自分らの領土を犠牲にするなんの義理があるというのか全く不思議である。ベーカーさんは昔からイスラエルを毛嫌いしているとはいえ、アメリカの外交問題でイスラエルを犠牲にすべきだと簡単に考えが出てくるところが恐ろしい。
しかし大抵の場合は尊敬できるイギリスのブレア首相でさえも、中東の平和はイスラエルが鍵だと思っているらしい。フロム氏によると、先月ロンドンで開かれた毎年恒例の市長宅での晩餐会において、ブレア首相は「イラクに関する答えの主な部分はイラク自身ではなく、イラクの外にあります…イスラエル/パレスチナからはじめるべきです。それが根源なのです。」と発言したそうだ。

(このような意見は)ブレアひとりだけではない。似たような意見は先進国のどの国の外務省、シンクタンク、新聞の社説からもきくことができる。
単純に繰り返すことによってこの説が真実になるというなら、パレスチナ問題とイラク紛争のつながりは、ニュートンの法則と同じくらい高いレベルで「確かな」ことと言えるだろう。
しかし我々の脳みそが黙従に打ちのめされる前にパレスチナとイラクの関係がどう作動しているのか説明をもとめても良いだろうか?

とフロム氏は問いかける。まさしくカカシもこの説を理解したい。アルカエダのテロリストが自動車爆弾を学校の子供たちが集まる場所で爆破させる、その仕返しにシーアの民兵どもがスンニ市民を誘拐する。こうした行為と600マイルも離れたところで起きているイスラエルとパレスチナ紛争とどういう関係があるのだ? イラクの市街でおきている宗派間暴力がイスラエルとパレスチナ間の和平交渉でどう解決するというのだ?
反米の民兵たちに武器を供給し、アメリカ軍をイラクから追い出し、中東で石油国家の有力勢力となろうとしているイランが、パレスチナが国連に席を置けばその野心を捨てるなどという保証は全くない。
トニー・ブレアがいう通り、パレスチナ問題が解決しないことが中東アラブ人をより過激にしているというのは本当かもしれない。だが、そうだとしても歴史上世界中で起きた紛争のなかで、どうしてパレスチナ・イスラエルだけがこうも執拗に解決できないままになっているのだろうか。

ドイツ人はポーランドがDanzigを支配していることに抵抗してGdanskの通りで自分らをふっ飛ばしたりはしない。ギリシャ人はSmyrnaの返還を要求してトルコの小学生の乗ったバスを乗っ取ったりしていない。ボリビアはチリにたいして太平洋戦争の結果を覆そうと終わりのない戦争など挑んでいない。

アラブ人たちは1949年以来イスラエルと有利な条件で和平を結ぶことはいつでもできた。だが彼等は頑固にそれを拒絶してきた。パレスチナはウエストバンクとガザに1967以来いつでも独立国を持つことが できた。彼等はその提案もつっぱねてきた。
だとしたらアラブ人の過激化はイスラエル・パレスチナ問題の結果というより原因だという方が正しいのではないだろうか? 平和がないのは多くのイスラム教諸国であるイスラエルの近隣国が、アラブ人でもなくイスラム教徒でもない少数民族が服従者としてでなく中東に存在することを容認できないせいではないのか。それこそがこの問題の本当の「根源」なのであって、交渉で解決できるようなものではない。

フロム氏はそれこそ西洋社会が性懲りもなくイスラエルとパレスチナの和平交渉をいつまでも続けることこそが問題を悪化させていると語る。そのいい例が2000年に行われたキャンプデイビッドでの交渉だろう。あの時パレスチナは前代未聞な有利な条件をイスラエルから提案された。にも関わらずそれを拒絶して第2インティファーダというテロ戦争をはじめた。2003年まで連続しておきた自爆テロ攻撃も結局パレスチナには何ももたらすことはなく、パレスチナは惨敗したのにあきらめきれずロケット弾をうち続け、いまだにイスラエルからのミサイル攻撃を受けている。
本来ならもうこの辺りでイスラエル・パレスチナ間の交渉は無駄だと人々は悟るべきである。私はもう長いことイスラエル・パレスチナの話が出る度に「イスラエルは放っておけ」といい続けてきた。繰り返しになるがイスラエルがどんなやり方でイスラエルの国を創立したにしろ、幾度にも渡るアラブ諸国からの挑戦に自国を守り続けてきた。それだけで普通の世の中ならイスラエルは勝者なのであり負けた側のパレスチナをどうしようが部外者の我々がどうこういう問題ではないはずだ。
それなのに、どうして欧米諸国は自分らが中東で困難に陥るとすぐさまよってたかってイスラエルを生け贄の羊にしようと企むのか。いやそれでももし、イスラエルを生け贄にすることによって自分らの問題が本当に解決するいうならそれも分かる。だが現実にはイスラエルが原因でない以上解決にもつながらない。
それなのに彼等はいつもいつもイスラエル、イスラエルと繰り返す。あたかも「イスラエル」がどんな問題も解決してしまう魔法の呪文ででもあるかのように。


View comments (6)