イスラエルのレバノン侵攻にしても、英米のイラク侵攻にしても、非戦闘員の民間人が多く巻き添えになるような英米やイスラエルのやり方に問題があるという批判が多く聞かれる。ひどいひとになると、テロリストとそれと戦っている英米イスラエルといった主権国家とが道徳的に同率であるとすらいう。そして「無差別攻撃」だの「虐殺」だの「大量殺人」といった衝撃的な語彙を振り回し、「罪のない女子供が犠牲になっているのに、、、」と騒ぎ立てるが、女子供を盾にしてそのスカートの影に隠れてロケット弾をうってくるテロリストへの批判はきかれない。
こんないい方はしたくないが、2週間に渡る空爆で出た民間人の死者が600人程度ですんだら、普通なら付帯損害としては非常に少なく十分に許容範囲であると判断されるべきである。だが日本も欧米のメディアもこの程度の数で大騒ぎする。まだ始まったばかりの戦争を「泥沼」とよんだりする。現代人は平和ぼけが行き過ぎて、そう遠くない自分らの歴史すら忘れてしまったようだ。
非戦闘員をわざと犠牲にしたロンドンやドレスデンの空襲、非戦闘員の犠牲にむとんちゃくだったアメリカ軍による東京や他の地方都市への空襲など、非戦闘員への配慮がないとどういう犠牲者が出るのかここでちょっと振り返ってみよう。
ドレスデン:
ドレスデン爆撃(ドレスデンばくげき、独:Luftangriffe auf Dresden、英:Bombing of Dresden)とは、第二次世界大戦において米軍と英軍によって1945年2月13日から14日にかけて、ドイツの都市ドレスデンに対して行われた無差別爆撃を指す。この爆撃でドレスデンの85%が破壊され、3万とも15万とも言われる一般市民が死亡した。第二次世界大戦中に行われた都市に対する空襲の中でも最大規模のものであった。
ソ連軍の侵攻を空から手助けするという一応の名目はあったが、実際は戦略的に意味のない空襲であり、国際法にも違反していたことから、ナチスの空襲を受けていたイギリス国内でも批判の声が起こったという。
東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)は、第二次世界大戦中アメリカ軍により行われた東京に対する空襲のうち、1945年(昭和20年)3月10日と5月25日のものを一般的に指す…8万人以上(10万人ともいわれる)が犠牲になり、焼失家屋は約27万8千戸に及び、東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失した。
ロンドンでもドイツ軍による無差別攻撃でかなりの被害があったのだが、その数の詳細が今手に入らないので省いておく。
米軍によるイラクでの空爆でも、イスラエルによるレバノン空爆でも、民間人の被害者数は第二次世界大戦の時とは比べ物にならないほど低い。この数だけみてもアメリカ軍やイスラエル軍がむやみやたらな攻撃をしていなことが明白なはずだ。この話をしたら、現在のイスラエルにはドレスデンや東京やロンドンの空襲の時のような武器をもちあわせていないからだなどととんちんかんなことをいう人がいて笑ってしまった。何かと普段はイスラエルが核兵器を持っていることを批判する人々が、こういう肝心な時にその存在を忘れてしまうようだ。第一、現代の武器は核兵器でなくても十分に広島や長崎の何百倍の威力を持つ武器が存在する。アメリカやイスラエルがイラクやレバノンをがれきの山にしたければ、いますぐにもそれは可能だ。
やろうと思えばやれることをしないのは、そうする意志がないという証拠なのだ。
私は何かというと過去の衝撃的な歴史の語彙だけを取り出して、あたかも現在の状況が過去と同じようにひどいという表現をするメディアのやり方には非常に腹がたつ。それは現在の状況を誤って判断するだけでなく、過去の悲劇を過小評価することにもなるからだ。
イスラエルのパレスチナ人への対応をナチスドイツと比べるのは犠牲になった六百万のユダヤ人への冒涜だ。イラクをベトナムと比べるならベトナムで亡くなった何十倍ものアメリカ戦士への侮辱だ。レバノンでの数百人の死とたった一日で8万人の犠牲者を出した空襲とを同じ形容詞であらわすなら、第二次世界大戦で犠牲になったドイツ、イギリス、日本の一般市民の命などレバノン人とは比べられないほど価値が低いといってるのと同じだ。
私はイラクやレバノンの状況が深刻ではないというつもりはない。私がいいたいのはことの状況は正しく把握すべきであるということだ。劇的な効果を狙うためにやたらな形容詞を使うことは、かえって現実を見失い、ひいてはただしい対策を講じる障害へとつながるのである。