私は911事件で家族を失った人や、イラクやアフガニスタンで息子や夫や妻を失ったという人が、あたかも自分が対テロ政策の専門家になったような口を聞くのにはかなり頭にきていた。自分が被害者だからとか当事者だからというだけで、突然その人間がテロの専門家になれるという意識が理解できない。同じように、自分が犯罪の被害者になったことがあるというだけで、突然犯罪学の専門家にでもなったつもりで「自衛論を説くな」とか命令する輩には、はっきり言って私は非常な憤りを感じる。
あんたら、何様のつもりよ?あんたらのくだらない犯罪論のせいで、防げるかもしれない被害が防げずに、被害に合わなくてもいい人が被害にあったら、どういう責任をとってくれるわけ?
自衛論は被害者を傷つけるって?セカンドレイプだって?何を根拠にそんないい加減なことをいってるわけ?
こういうことを言う人たちってのは、自衛は個人に責任があるという主張をすると、「それみろ、薄着をしている女が悪いんだ、ミニスカートで男を誘惑する女のせいなのだ、俺がわるいんじゃない。」と思って、極普通の男が突然強姦魔に変身するとでも言うのか?そうだとしたら、それこそ神話じゃないか?
普通の男は女性を強姦したいなんて想っていない。普通の男は、たとえどれだけ性欲を感じても、女性の意志に反した乱暴なことをしたいなどとは考えていない。何故なら好意をもっている女性に嫌われたい男性なんていないからだ。
女性の意志を無視して、いや、あえて嫌がる女性を無理矢理自分の支配下に起きたいなんて想ってる男は元々変態なのだ。そんな奴は自衛論の是非になど興味はない。そういう奴の犯行を阻止することが出来るのは、奴が奴の欲望を実行に移すことを困難にする状況をつくることであり、終局的には当の被害者となりうる女性の手にかかっている。
自衛を唱えると、実際に被害にあった人が裁判の際に「自衛をしていなかったからいけないんだ。」と責められる可能性があるからすべきではない。という人に対しては、私はよくアメリカで言われる「6人に運ばれるより、12人に裁かれることを選ぶ」ということわざの方を選ぶね。
つまり、自分の身を守るために加害者を殺したとして、殺人罪で裁判にかけられ12人の陪審員に裁かれたとしても、死んで6人に棺桶を担がれるよりはまし、という意味。
悪いけどね、被害者にとっては、強姦された後の裁判で犯人が有罪になろうがどうなろうが、強姦されたっていう事実を変えることは出来ない訳でしょうが。そんなことより、強姦されないように気をつける方が先決じゃないの?
私は自衛論否定者の言う事を読むにつれて、この人たちは被害者の気持ちとかなんとか言う割には、本当は被害者のことなんか本気で考えてなないんじゃないかという気がしてくる。本気で被害者を減らしたいなら、なるべく多くの女性に効果的な自己防衛のやり方を教えるべきだ。被害者なら自分の体験を生かして他人が同じ目にあわないように色々教えるてあげるべきだ。被害者に被害にあわないような自衛論を説くな、なんて馬鹿なことを言えるはずがない。
とおもうんだけどね。
アップデート:
私がフランチェスコさんの書いてることをきちんと読めてないという指摘があったので、具体的にひとつひとつの点を分析させてもらう。
自衛を説く人がいうような自衛はすでに皆やっているか、あるいは現実にまったく即していないため、役に立たない、
女性の夜の一人歩きは避けましょうとは、口を酸っぱくして言われていることなのに、まだまだ夜道の一人歩きをして襲われる女性が後を絶たない。あきらかにそんな「自衛はすでに皆やっている」という供述は誤りである。
夜道を一人歩きしないことが「現実に全く即してない」生活をしている人は、その生活を見直す必要がある。職場が遠過ぎるなら引っ越すとか、職場の従業員や雇用主も含めた人々で相談して、夜遅く徒歩で帰る従業員の送り迎えなどを考え直すことをお勧めする。
被害に遭うのは自衛がたりなかったからだという間違った認識を人々に植え付け、被害者を傷つけ、萎縮させ、黙らせてしまう。これはセカンドレイプであり、このような二次加害は、性被害をうけうるすべての男女を抑圧しつづけ、未来の被害者をもあらか傷つけている。
被害者がセカンドレイプで傷つかないようにするには、被害者の届けを扱う警察や病院や相談所などの人々が被害者に対しての心遣いをどうするか、というきちんとした教育を受けることが大切だ。自衛論を否定する暇があったら、そういう人々への理解を求める運動に力を入れてはどうなのだろうか?
自衛のプロでもなんでもない、おそらく自分さえ守れないだろう非力な人間の「ぼくのかんがえた自衛」など有害無益。「自衛を説くのが無意味だとおもわない」という人は、舗道、職場、学校、塾、家、教会、公園、ペッパーランチの店内などでいきなり誰かに襲われても、絶対に無傷(襲われてる時点で無傷じゃないから無理なはなしだけれど)でいられる方法とか、もしくは性犯罪者を事前に見分ける方法、性犯罪者と出会わないようにする方法をおしえてください。もちろんふつうに日常生活をおくりながら、です。それならきいてやってもいいわー。よろしくね。
「自衛のプロでもなんでもない、おそらく自分」では試してみた事もないのに、役に立たないと決めつけて、自衛を否定する事こそ有害無益。こういうのはハイジャックされたらおとなしく犯人のいいなりになっていなさいと言う人と同じ。この間の航空機爆破未遂事件でも乗客の「自衛」が300人以上の人々の命を救った。
公共の場所で襲われる人というのは、攻撃者からみて弱者に見える場合が多い。だから襲った場合に面倒な抵抗をしそうな人間は犯罪の被害者にはなりにくい。常に自分の回りの環境に注意を払う人、歩いている時に目的を持って歩いている人、武器をもっていそうな人などがそれだ。
また、性犯罪者を事前に見分ける方法とまではいかないが、怪しげな行動をする人を見抜く方法というのはある。これは警察官や警備員が常に受けている訓練と同じだ。個人だけでなく、隣近所の人々が、公園で一人で子供の遊びを見ている変な男がいたら、話しかけてみるとか、近所に見慣れない人がいたら、挨拶をしてみる、というだけでも犯罪者を遠ざける役に立つ。
万全の注意をしていても100%防犯が可能とは言えない。しかし、少しでも被害を少なくする事が出来るのであれば努力する価値はある。100%の効力がないから全く努力は無駄というのはあまりにも極端な考えだ。
っていうかそんなことより、身近な人が被害に遭った際、二次加害を加えないための注意事項(有害無益な「ぼくのかんがえた自衛」を説くな、もそのひとつ)や、ウェブで不特定多数の被害者を傷つけないための配慮のがよほど重要だとおもうんだけれども、なぜかそっちにはぜんぜん興味ないみたいで、そこからおのずと透けてみえるものがありますよね。
ウェッブで不特定多数の被害者の気持ちを傷つけない事の方が、今後被害者を増やさないようにすることより大切だという考え方には全くついていけない。私にとって最優先なのはこれ以上の被害者を出さない事だ。人々を犯罪から守ることのが一番大切だ。申し訳ないが私にとって、犠牲者の気持ち云々は二の次である。事件後の被害者への対策は、また別の問題として議論されるべきであり、自衛の是非に関する問題と混合されるべきではない。
正直な話、フランチェスコや他の自衛論否定者には、被害者の数を減らそうということに全然興味がないように思える。そういう行動からは、個々としての女性をあくまでも弱者として留まらせておこういという、なにやら悪どい政治的アジェンダが透けて見える。