結婚の定義における性別対人種の違い

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第四話。
結婚の定義における、性別対人種の違い
同性結婚と異人種間結婚における比較には問題がある。それというのも異人種間結婚については、カリフォルニア最高裁の1948年のペレズ対シャープ裁判(Perez v. Sharp, 32 Cal.2d 711, 198 P.2d 17)で人種が結婚の定義に用いられることが違憲であると判断された頃から、市民の間ですでにほぼ合意が得られており、法廷が市民の意見を率先したわけではなかった。
1948年の判例に始まって1967年 (Loving v. Virginia, 388 U.S. 1 (1967)) で連邦最高裁において、最終的にアメリカにおける異人種間結婚禁止は違憲であるという判定が出た時には、1865年から1870年に起きた南北戦争も含み1964年の人権法も経て、すでに国民の間では人種差別は不法であるという認識が広く受け入れられていた。
だいたい科学的に人種の差別など証明できないし、黒人や白人や黄色人種などの間に決定的な差など存在しないことは科学者の誰もが認めることだ。
だが同性結婚にはこのどれもあてはまらない。
国民全体どころか州民の間ですら同性結婚が普通の結婚と同じように扱われるべきだなどという合意は存在しない。州によっては同性結婚支持派がかろうじて多数派を占めるというところがあるかもしれないが、(それにしたってかなり疑問だが)同性結婚の合法化が州民全体の意見として受け入れられている州など存在しない。
ここ数年における同性愛活動家による訴訟が起きるまでは、同性結婚を認める州など存在しなかった。同性結婚の前例などまるで存在しなかったのである。
それにくらべて、1776年、合衆国の最初の13州のうち多数派の7州までもが異人種間の結婚を認めていた。同性結婚はあきらかに法廷が率先しており、法廷の判決は市民の間から出た同性結婚をみとめないことが違憲だといった社会的合意への反応ではない。同性結婚憲法改正法だの憲法の見直しだのといった連邦政府の決議など全くされていない。
憲法に関する議論と言えば、1996年の the Defense of Marriage Act of 1996で、結婚は一夫一婦制であるべきという反対の議論はあっても、民主党が与党を占めている2007年から2009年にわたる議会ですらも、一夫一婦制を違憲とするという法案など提案されたこともない。それどころか、あちこちの州で同性結婚を禁止する法律が通されているくらいだ。
つまり、アメリカにおいて全国的にも地方的にも同性結婚を支持するという考えは市民の合意を得ていないのである。これはバーモント州議会のように甘やかされた左翼エリートのペットプロジェクトとして残っているだけなのだ。
そしてもちろん、人の性別(ジェンダー)は人種とは違って、特別な場合を除いて、生物学的にその違いが決定的に証明される。
結論として、結婚に関して語る時、人種と性別では全く比べ物にならないのである。


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『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』

今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾をミスター苺が書いたMartial Arts and Marital Dartsを元に考えている。
本日はその第二話。
『ゲイを軍隊に入隊させろだ? 冗談じゃねえよ』
同性愛者の公な軍隊勤務を反対するに関しては非常に多くの問題点がある。
俺(ミスター苺)はこれまでゲイが秘密裏に勤務する方がオープンに勤務するよりも望ましいという納得のいく意見を聞いたことがない。
今日において、ゲイ男性がストレート男性より劣っているなどという議論がまともだなんて考える奴はいないだろう。ゲイ男性がひ弱だとか女々しすぎてストレートな男性と並んで闘えないなんて馬鹿げたことを言う奴はいない。ただひとつ聞かれるのは、反対意見としてはかなり弱いが、オープンなゲイがいると(内密にしているのとは違って)回りのストレートな人間が居心地がわるいからといったくだらない理由だけだ。
同性愛行為をする傾向のある人物が軍隊の規律や士気に悪影響を与えるというのは、全く証明されていない偏見にしかすぎない。これは「女はPMSがあるから戦闘パイロットにはなれない」と言ってるのと同じで全く根拠がない。
こんなのは、単にホモに見つめられるのが嫌だという、以前に「黒人と一緒に仕事なんかできるか」といっていた人種差別者たちと同じで、性嗜好の違いへの偏見に過ぎない。どちらの場合も同性愛者とか黒人といった当人に問題があるのではなく、偏見を持った人間の過敏な神経が問題なのだ。
今日、誰かがゲイだということが解ったからと言って、隊の士気が乱れるなどという根拠はない。それどころか、ほんの一部の差別者を除けば、ほとんどの兵士らは同性愛が明らかになって辞任させられる仲間を懸命にかばうくらいだ。
同性愛者が隊の士気を乱すなどという理屈は1950年代かそれ以前なら信じられたかもしれない。黒人と白人兵を混ぜた軍隊への反対論が、社会がヒットラーによる人種差別を見せつけられる以前になら成り立ったように。しかし、いまや、「ゲイは気持ち悪い」などという反論は偏見への執拗な執着以外の何者でもない。
ゲイにその嗜好を隠すことを強要するのは、彼らをゆすりの犠牲者にする可能性が高い。暴露されることを怖れて敵に手助けをする者も出るかもしれない。
ゲイは人口のほんの2〜3%にしか及ばないが、その道徳心は一般人口と変わらないだろう。とすれば、ほとんどのゲイたちは国に危険を及ぼすくらいなら除隊を選ぶだろう。だが、なかにはキャリアの方が何よりも大事だと思う兵士もいるはずだ。ストレートな将校のなかに浮気をする人間がいるように。
単に浮気願望があっても実行に移さない人間を除隊させることが出来ないのとは違って、ゲイ男性やレズ女性は同性愛の傾向があるというだけで除隊されることが合法なのである。現在の法律ではゲイ男性が実際に同性行為を行わなかったとしても、そういう嗜好があるというだけでキャリアを失うという罰を受けるのだ。
同性愛者または両性愛者は、自分の性的嗜好を明らかにした、もしくは同性の人間と結婚しようとした、ということが明かになれば除隊をやむなくされる。たとえ同性結婚が合法な州での結婚であり、入隊前のことで、今は離婚して同性愛主義は止めたと言う人であっても、そいうい過去があったことが暴露されれば強制的に除隊なのである。
他に何の欠点もなく、何の悪行も犯してない人に、多くの人々が生まれつき持っていると信じる性嗜好のみによって、アメリカ市民が軍隊で勤務できないというのである。
我々が我々であることを理由に我々の文明を破壊しようという敵との闘いにおいて、どの市民も武器を持って社会を守る権利があるというのはリバティに関する問題だ。にもかかわらずこの法律は憲法は市民が軍隊において勤務する権利を認めていないと主張するのだ。
法律上はそうなのだろう。だがすべて合憲であることが道徳的に正しいということにはならない。
もし対テロ戦争が西洋文明にとって岐路となるものであると信じるなら、我々は気持ち悪いとかいうくだらない理由で良い兵士を拒絶する余裕はない。
軍隊か結婚か、それが問題だ
このように議論すれば、大抵のアメリカ人はこの「聞かない、言わない」政策は非常に不公平でアメリカ的でないと考えるはずだ。しかもアメリカの防衛に危険を与えるとなればなおさらだ。つまり、ゲイ活動家がその気にさえなれば、簡単に勝利を得られる問題なのである。にもかかわらず、彼らはほとんどこの問題には興味を示さない。
国民の大半が反対している同性結婚にこれだけ熱を入れるのは何故なのだろうか?俺からみたら、ゲイ活動家は現在の結婚制度を変えたいというより、破壊したいという雰囲気すら感じられる。一部の過激派なんて人々の意志を踏みにじって結婚制度を破壊することにオルガズムを感じるんじゃないかと思わせる。
これは決して数の問題ではないだろう。同性同士で結婚したがってるゲイの数が軍隊に入りたい人間より多いってことはないはずだ。いや、それどころか、同性結婚が合法な州での傾向をみていると、ゲイのなかで結婚したいと思う人の割合はストレートな人口より遥かに低い。
じゃあ、何故なんだ? 何故反対が多い困難な問題を、沈黙の多数派から自分らを浮き立たせ切り離すような戦いを、有権者が機会を与えられる度に拒絶してきた問題を選ぶのだ? 何故多数派がほぼ同意できる、保守派ですら味方にできる、アメリカ人の道徳や良心に訴えることが可能な問題を選ばないのだ?
テキサスのソドミー法(同性愛を含む多々の性行為を禁止する法律)を違憲とする最高裁の審判を考えてみてほしい。国民のほとんどがこの決断に異存を示さなかった。一部の保守派が騒いではいたが、ほとんどのアメリカ人は「今更そんなの当たり前だろ」と思った。これは自由なアメリカ人が自由に愛情を表現する権利の問題だったからだ。
これと同じように自由の権利として、「聞かない、言わない」政策の廃止も可能なはずである。


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専門家が語る役に立つ防犯を見直そう

自衛論云々の話が出た時に、『防犯の専門家でもないひとが、誰でもやってるようなくだらない自衛を説くな』と批判する人がいた。こちらの方が典型なのでちょっと引用。

特別、なにか目新しい、効果的な方法をあげることもできていないのに。
「何十年もやってきたので、もうそれは知ってます。それだけでは無理です。防げません。」
と、意味がないよ、と言っているのに。
それをやったこともない人が、「無意味じゃない」って。
何の根拠があって、意味がある、と断言できるのだろう。
だって、自分がしてきたことでもないのに。
防犯や武道のプロでもないのに。

こういうことを書いた人はこの人だけではないが、普通の人が思いつくような自衛など「誰でもしている」という発言には私は非常な疑問を感じていた。何故かと言うと、私自身も、気をつけなければいけないと思いつつ、ついうっかり忘れることがあるし、全く無防備だなと感じる知り合いが私の回りにも結構居るからである。
それで色々検索していたら防犯のプロが書いている、こんなサイトを見つけた。書いてるひとは佐伯幸子という防犯専門家。

さえきゆうこ、安全生活アドバイザー。92年より「頭を使って身を守る方法?知的護身術」を提唱。子どもや女性の安全対策を中心に、暮らしの中のあらゆる場面での危険を指摘、排除する方法を分かりやすく解説。危機管理のスペシャリストとして、講演やTV出演をこなす一方、著書9冊の執筆など精力的に活動。

この人のサイトでは実際に起きた犯罪を元に、どのように防犯するかという話が書かれている。引用する部分は2002年に書かれたもので、今回の一連の討論とは直接関係ないが、やはり私が思った通り、出来ることをしないで被害にあっている人が結構いる。
鍵のかかっていない部屋を狙った連続強姦魔

東京都小平市を中心に平成13年10月頃から、ひとり暮らしの女性をねらった婦女暴行事件が未遂を含めて20件連続発生しています。被害者の多くは学生など二十代の女性で、自宅のカギをかけ忘れたか、かけていなかった、いわゆる「無施錠」のところを侵入されています。
犯行は夜の10時から深夜2時くらいの間に集中しています。ほとんどの被害者が就寝中でした。犯人の男は目出し帽で覆面をして、「騒ぐと殺すぞ」などと脅迫した上で乱暴しています。カッターナイフのような刃物を突きつけられた被害者もいるようです。

佐伯さんによると、親から離れて始めて一人暮らしをするようになった若い女性は、自分が部屋に居る時に部屋の鍵をかける習慣のない人が多いと言う。また、オートロックの建物だからとその効果を過信してしまう人が案外いるという。オートロックでも建物に住む人全員が注意していなければ意味がない。やはり最後の砦は自分の部屋の鍵。
実を言うと、かく言う私も建物内の洗濯部屋に行くだけだからという気軽な気持ちで鍵をかけずに部屋を留守にして、その数分の間に泥棒に入られた事がある。もし、私が戻って来た時、泥棒と鉢合わせになっていたらどういうことになったのか、考えただけでも恐ろしい。
昼間のピンポーンにドアを開けた主婦が被害に

平成15年4月1日この事件の犯人23歳の男が逮捕されました。犯人は外国人を装った日本人の二十代の男3人でした。(内二人は今年初めに逮捕済。最後の一人が捕まったことで報道された)。「引越のあいさつに来ました」と言われれば、ドアを開けてしまう、という人情を逆手に取った卑劣な犯行でした。(2003年4月3日加筆)

真っ昼間からそんなことがあるのかと思うかもしれないが、佐伯さんに言わせると、昼間は男性が居ない家が多いことから、家には女子供だけ、子供は人質にも使えるということで、意外と狙われることが多いのだと言う。
マンションなどで、同じ建物の住人のふりをして、「下の階のものですが、水が漏ってます」とかいってドアを明けさせた例もあるというから、隣近所にどういう人が住んでいるのかということも知っておく必要があると佐伯さんは言う。
また、引っ越しの挨拶に来たというなら、管理人さんに連絡して本当にそんな人が引っ越して来たのかどうかを確認するという手もある。とにかくドアを明けないで、明けたとしてもチェーンをしたままにするとかして、知らない人を中に入れないことが大事だという。
この他にもこのサイトには色々役に立つ防犯方法が書かれているので、女性に限らず男性にも是非読んでほしいと思う。
このサイトを読んでいて思ったのだが、私自身当たり前だろそんなこと、と思っていたことを意外としていない人が多かったり、言われてみればそうだが、自分では気がつかなかったなんてことが沢山あった。
例えば、窓ひとつとってみても、留守なのに窓が開きっぱなしになっている家、レースのカーテンやぬいぐるみが飾ってあって女性の一人暮らしがすぐにバレる部屋、遅くなっても電気が着かない家、といったように、その部屋や家の住人の家族構成や生活パターンが窓を見てるだけでわかるのである。
だから、タイマー付きの電灯を付けるとか、女性の一人暮らしならカーテンは中性的なものを選ぶとか、洗濯物も男物も混ぜて干すとか、工夫が必要かもしれない。
自衛論否定者たちも、「そんな自衛は誰でもしている、そんなんじゃ役に立たない」といって自衛論を踏みつけてしまうのではなく、だったら役に立つ自衛を一緒に考えようよと言えば、もっと説得力があるような気がする。


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どうして左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?

同性結婚について何回か書いて来たので、今週は同性愛者の公な軍隊勤務と同性結婚について左翼の矛盾を考えてみたい。
これはカカシが書いたものではなく、去年の5月にミスター苺が書いたものでMartial Arts and Marital Dartsというエントリーから引用した。非常に長いので、何回かに分けて一週間の連続という形で書いてみたいと思う。
本日はその第一話。
どうしてゲイ左翼は同性結婚には熱いのに、ゲイ軍人には冷たいのか?
これは非常に興味深い疑問だ。普通ならゲイにとって利益となることを成し遂げることが同性愛活動家の目的なはずで、軍隊での勤務をゲイが秘密裏にしなければならになどという、間違いなくゲイの自由を理不尽に妨げる法律を取り除くことに先ず力を注ぐべきではないだろうか?
不思議なことに、同性愛活動家達はこの息も止まるような基本的な自由の迫害を無視して、同性結婚の方に力を入れている。もちろんゲイ活動家のウェッブサイトを深く掘り下げて読めば、ゲイを侮蔑する発言をしたどっかの将軍を批判する記事が三ヶ月くらい前に書かれたことがあることは否定しない。
だが、毎日のようにメロドラマよろしく同性結婚の話が新聞の第一面でカラー立体写真でこれぞとばかりに現れるのとは対照的に、ゲイ軍人への対応は冷ややかだ。
しかも、各州の法廷が州民の意思を無視して無理強いしなければ成立しない同性結婚とは違って、今日、いますぐにでもバラク・H・オバマの一筆で1993年の「聞かない、言わない」法によるゲイの公式軍隊勤務禁止法は撤回できるのである。
オバマ王は選挙運動中の公約にも関わらず、その約束を未だに果たしていない。そしてペンタゴン(防衛省)はゲイに関する法律を変える予定は全くないという。
俺(ミスター苺)が聞きたい根本的な質問は、なぜゲイの正式軍隊勤務合法化よりも同性結婚のほうが優先されるのかということなのだ?
読者諸君は驚くかもしれないが、俺には俺なりの回答があるんだよな。
続く。


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民主党議員、同性愛者の軍隊勤務禁止法撤回を拒む

同性結婚についてはずいぶん熱弁を振るうリベラルたちが、同性愛者の軍隊勤務合法化についてはあまり興味がないのは何故なのだろう? はっきり言って、こっちのほうがよっぽども違憲だと思う。
国のために闘うというのは市民の基本的な権利のはず。それを同性愛嗜好だというだけで拒否されるのは同性結婚などという特権が与えられないというのとは全く度合いの違う問題がある。
17年前に、民主党のビル・クリントンは大統領になるまえに、同性愛者の軍隊勤務の合法化を公約して当選したが、与党の民主党からの抵抗に怯んで大した運動もせずあっさりと諦めてしまった。私はそれまでクリントンのファンだったが、一気に彼への信頼感を失った。
その時、妥協案として軍隊方針の指導者的立場にあるアイク・スケルトン民主党下院議員(Rep. Ike Skelton (D-Mo.) )が提案し定着したのが「聞かない、言わない」法だ。これは同性愛者が内密に軍隊に勤めている分にはかまわないというもの。つまり同性愛者でもそれがばれなければいいというかなり害ある法律。
大事な職種についている軍人が何かの拍子で同性愛者であることが公になったらこの人のキャリアは終わりなのである。それが勲章をいくつも貰って戦場で勇敢な活躍をした人であってもだ。こんな不公平な法律ってあるだろうか?
同性愛がばれなければいいということは、ばれたらおしまいということであるから、これはゆすりの原因にもなる。
軍隊に居る間恋愛関係も肉体関係も全くない人などいないだろう。同性愛者は恋人の存在を隠さなければならない。もしも関係が破綻して恨みを持った元恋人に裏切られたらどうなるだろうか?
極秘情報を持つ軍の上層部の人間が同性愛者であることを他国のスパイに知られたらどうなる?
こういう悪法は国家防衛にも悪影響及ぼす。
バラク・オバマも同性愛者軍隊勤務合法化を公約して大統領になったが、クリントンの時と同じスケルトン議員が断固として引かない姿勢をしめしている。オバマにはクリントン異常の根性があるだろうか?
私にはかなり疑わしいのだが。


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差別意識は個人主義か全体主義かで違ってくる

カリフォルニアの同性結婚裁判について私のエントリーに反論しているnodadaなるサイトがあり(以前に腐男子とか言ってた人と同一人物かな?)はてなのブックマークでも似たようなコメントが多かったので、この人のエントリーをサンプルに個人主義と団体主義の違いについて考えてみたいと思う。前後の関係が解らない人は先ずこちらこちらを読んでいただきたい。
ちょっと背景を説明すると、カリフォルニアでは去年、結婚は一夫一婦制のみの間でされるべきという法律が州民投票によって通ったのだが、それに異論を唱えた同性結婚支持派が州を訴え、そういう一夫一婦制法はカリフォルニアの憲法に違反するという理由で訴えを起こした。カリフォルニア最高裁が違憲であるという裁断を下したため、州民は今度はカリフォルニアの憲法そのものを改正し、一夫一婦制を合憲とする投票を行い、これでも圧倒的多数で州民の合意を得た。これに関するエントリーは後部に付け加えておくのでご参照のこと。
さて、今回の裁判はこの法律が合衆国の憲法に違反するという理由でカリフォルニア州を相手取って訴えている訳だ。今行われている裁判はまだ連邦裁判所の地方裁判の段階で、ここでは裁判官がかなり同性結婚に同情的であるため、原告側が勝つだろうと思われている。
先の二つのエントリーで、私が強調したかったのは、

  • 同性結婚は州民の過半数が反対し、二回の投票で拒絶されているにも関わらず、同性愛者たちが法廷をつかって一般市民に無理矢理に押し付けようとしようとしていること。
  • しかも原告側の同性結婚支持過激派たちは、弁護側に暴力的な脅迫を与え、弁護チームを解体させようとしていること

である。それで私は先日、

同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。

と書いたが、それに対してノダダは、

自分の言ってることが
「世の中には同性婚など自分の気に入らない法律を通しただけで同性愛者の安心・生存を脅かす異性愛者がいるんだから、犯罪化されたり殺されたくなかったら異性愛者のいう事を聞いておかないと損だぞ。少数派で下級市民のくせにヘーコラせず異性愛者を怒らすと怖いんだぞ。だから俺の言う事聞けよコラ。あ、でも実行犯は俺じゃないよ、他の人。俺は事実を教えてあげてる善人だからヨロピク。皆のためだから(はぁと)」
といった話でしかない事になぜ気づけないかなー。まんまヤクザの言い分ですよね。
「私はそれがいいことだとはひとつも書いていない」と言うけれど、異性愛者と同・両性愛者(もっと言えば非異性愛者)との不当な権力差を自明視(他人事として放置)しておきながら、「自衛のためだ、黙っておけ」と言うのはヒドく暴力的だし、それ自体がマジョリティによる差別的支配。

と彼の勝手な解釈をしている。
私は同性結婚支持派が多数派の合意を求めるための運動をするというのであれば特に異論はない。問題なのは支持派の州民投票の結果を無視した理不尽な訴訟や恐喝といった違法行為なのである。前回も書いたように、もしも支持派の主張が州民一般にも納得され、選挙で同性結婚が合法ということになるのであれば、私個人がどう思っていようとそれはそれで問題はない。

(だいたい、異性間の一夫一妻制婚姻を認めるならモノガミーな同性婚を認めない正当な理由はないのに、一体どうして自分の主張が差別でないと言えるのか不思議)
つーか、お前の頭の中にはそんな差別主義な異性愛者しかいねーのかよ、ていう。

一旦同性結婚を許せば、『何故モノガミー(一対一)に限定するのだ?何故ポリガミー(一夫多妻制度)はいけないのだ?』という議論に発展して結婚そのものの意味がなくなるから駄目なのだ。私が何故同性結婚に反対なのかという話はすでに詳細に渡って書いているので、そのリンクも後部に張っておくから興味のある方は後部をご参照のこと。
 

彼女がいう、過激派の暴力による「威嚇」の事実がいかなものか知らないんだけど、もしも本当に「同性愛者が同性愛者というだけで差別されることに反対」するなら、「同性愛者の平等(というか性的指向に関する差別の是正)を訴えることや、一部の過激派がいることで差別的行動に出る異性愛者がいても、私はそれに反対する」と主張するのが論理一貫してると思います。ソドミー法のような性行為の犯罪化も、同性婚規制も、どちらも(同性愛者を狙った同性愛者以外も被害を被る)同様な差別のはずなので。

このことについて、私はコメント欄でこのように返答した。

一部過激派の悪行を指摘しているだけなのに、私が同性愛者全体を嫌っているというふうに解釈するのは、一部過激派の悪行のために同性愛者全体を悪者扱いする同性愛差別者と全く同じ思想だと思うね。

 
しかし、ノダダは

↑むなしいほど伝わらないね。

と返答している。何故伝わらないのだろうか?
それはノダダも同性愛者差別者も、人を個人として扱わず、何かの団体に所属している人という全体主義で扱っているからである。
私をイスラモフォビアとか呼んだ奴らも同じ部類だが、私が一部のイスラム教過激派の悪行を指摘すると、私がイスラム教全体を批判していると解釈する。なんでもかんでも一事が万事なのである。個人個人の差など無視。常に全体でしか考えられない。
そういう考えで迷惑を被るのは無関係なのに同類だと思われる人々だ。
同性愛者だからといって同性結婚を支持しているとは限らない。ましてや意味のない訴訟を起こしたり反対派に暴力をふるったりする行為など許せないと感じている同性愛者はいくらもいるだろう。しかし過激派の違法行為がひどくなればなるほど、すでに個人と団体の区別がついていない人たちの間で、「軒先貸して母屋取られる」じゃないが、「下手に出ればつけあがってからに」と忌々しく思う人たちも出てくるだろうと私は言っているのだ。
じゃあ、同性愛者たちはそれが怖くて沈黙を守らなければならないのかと言えば、無論そうではない。同性愛者たちは社会の法律を守り、多数派の意図も尊重したうえで(選挙の結果を尊重すると言う意味)地道に自分らの信じる道徳を説けばいいのだ。
繰り返すが、文明社会では少数民族を少数だというだけで迫害することは許されない。少数派が社会の秩序を乱さない限り、多数派が少数派を弾圧したり差別したりすることは出来ないのである。だが、少数派が弱い立場にあることは事実なのであり、多数派に差別や弾圧の口実を与えるような違法行為は取るべきではない、というのが私の主旨だ。
それでも私が同性愛者に対して差別意識があると感じるのは、ノダダ自身が個人と団体の区別がつかない差別者であるゆえである。
関連記事
カリフォルニアにおける同性結婚裁判の背景:
カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決
カリフォルニア州、同性愛結婚が敗北した日
私が同性結婚に反対な理由:
ジェンダーフリーは自由社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2


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カリフォルニア、弁護人を脅迫する同性愛者たちの暴挙

カリフォルニアでは今、前回の選挙で設立された、一夫一婦制のみが合法な結婚である、という州憲法改正が連邦憲法に反するという理由で訴訟を起こしており、その第一審議が明日から始まる。
ご存知のようにアメリカは連邦制なので、結婚制度も州によってまちまちである。だが慣例として他の州での結婚も合法として認めるのが普通だ。しかし、最近同性愛者たちの活発な活動によって、州によっては同性結婚を認めるところも出て来ているため、既存の法律のままでは同性結婚も認めざる負えなくなる。
そこで、たとえ他の州で合法的に結婚した同性夫婦であっても、カリフォルニア州ではその結婚が合法であるとは認めないという法律が州民投票によって設立されたわけだ。
その市民の意志を踏みにじるべく、カリフォルニアの同性愛活動家たちが、州を相手取って訴訟を起こした。問題なのは州の司法局もシュワッツルネッガー知事も、この訴訟に対して弁護を行わないという姿勢を明らかにしたため、先の憲法改正案を提案した6人が州代表として弁護人に立つということになった。
ところが、同性結婚に同情的な裁判官は、裁判の模様をYouTubeで逐一放映すると発表した。
過去にも同性愛活動家たちは暴力を使って同性結婚反対派を威嚇していたが、YouTubeなどで大々的に裁判の模様が公開されれば、弁護人や証人らの顔や名前が知れ渡ってその嫌がらせも攻撃も一層激しくなる恐れがある。
すでに弁護側の一人がその可能性を恐れて弁護チームから外してもらいたいと申請するほどになってしまった。
この人はハクシング・ウィリアム・タム(Hak-Shing William Tam)さんという人で、先の法案に関連するという理由で、過去にも命をねらう脅迫状を受け取ったり、家屋を破損されたり、道ばたで嫌がらせを受けたりしたことがあったという。今回弁護人になり、自分がもっと公になることで自分や家族への暴力攻撃が増えるのを恐れているという。
今回の裁判では同性愛者側が勝つことが予測されているが、その後弁護側が控訴し、裁判は連邦の最高裁判所まで行くであろう。そうなれば同性愛結婚は完全に違法となることは解りきっている。
だが、それには時間がかかり、その間にカリフォルニアでは同性愛結婚が合法となってしまうため、同性結婚の急増がおこる。後になって同性結婚が違法となって合法だった時の結婚を無効にするとなると、またまた問題が起こる。
連邦最高裁で、一夫一婦制のみを合法な結婚とすることは憲法違反ではない、という判断がされれば、全国の州でカリフォルニアのような憲法改正案が通り、すでに裁判所が強制的に同性結婚を合法とした州以外で同性結婚が認められることはなくなる。
私は結果ははっきりしていると思う。ただ、そこへ行き着くまでには何年もかかり、その間に同性愛者と一般市民とのあいだで激しく癒されない傷が生まれるはずだ。
同性愛者たちは、自分らが非常な少数派であるということを忘れている。同性愛者が安心して生存できるのは、一般市民の寛容心があるからである。ほとんどの異性愛者は同性愛は変態だと思っている。しかし、自分らの生活に直接邪魔にならないのであれば、その存在は許容するという考えだ。それが、自分らの道徳観念の根本を覆すような法律を自分らの意志に反して強制的におしつけられるとなれば、これまでのような寛容心はふっとんでしまうだろう。
同性愛は違法であるというような古くさい法律を取り除くことには賛成だった人々の間ですら、同性愛者は権利を与えれば与えるほど態度がでかくなって人々の平和を脅かすと思われたら、これまで得たせっかくの権利を台無しにしてしまう恐れがある。
私には同性愛主義の友達が結構いる。個人的に私は彼らに恨みもつらみもないどころか好意を持っているし、彼らが同性愛者であるというだけで差別されるべきではないと考える。しかし、同性愛活動家のあまりにも理不尽で傲慢な態度を見せつけられるにつれ、やはり同性愛や違法にしておくべきだったのではないか、と普段は同性愛者に同情的な人のこころも揺らぐのではないだろうか?
追記:結構このエントリーにも反響があるみたいなので、下記に関連記事を掲載しておこう。コメンターの意見が典型だとしたら、卒倒おこす可能性あり。ご自分達の責任で読んでいただきたい。
カリフォルニア最高裁、同性結婚禁止法は違憲と判決
同性結婚は文明社会を破壊する
同性結婚は文明社会を破壊する、その2
カリフォルニア州、同性愛結婚が敗北した日
マサチューセッツの同性結婚を導いた夫婦が離婚


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イギリス:自衛否定が行き過ぎるとこうなるという例

以前から人権擁護法などを設立して個人の自由を奪いつつある英国で、偶然なことに自衛問題に関する事件があったのでご紹介しよう。
マイリーン・クラスさん(31歳)は、イギリスでは人気者の女性タレント、元歌手で今はテレビの司会やモデルなどの仕事をしている。先日、彼女が2歳になる娘と一緒と二人きりで居た時、自宅の台所で料理中、十代の青年二人が彼女の家の庭に入って来て、台所から侵入しようとしたため、クラスさんは持っていた包丁を振り回して侵入者を追い払った。
青年二人が逃げた後で警察を呼んだクラスさんは、警察官から刃物を振り回すのは「凶器を使った」行為で違法かもしれないと警告されたという。自分の家に居てもである!
これがアメリカだったら、家主が青年二人を撃ち殺しても場合によっては罪に問われない可能性は多いにある。
イギリスではこういう恐ろしい話がいくらもある。家主が強盗と格闘の末取り押さえた後、警察は強盗を処罰せず、家主を過剰防衛で逮捕。強盗を証人にするなんてことが起きているのだ。信じられない事だが、英国では自己防衛は違法なのである。
自衛は否定しないが、自衛に関する議論は否定するなどという言っている人々の意見が行政に反映されれば、上記のようなことは日本でもアメリカでも起きうる。
みなさん、充分にご注意されたし。
追記:イギリスでも昔は銃砲所持は合法だったが、1950年頃全面的に違法になった。以来イギリスでは凶悪犯罪が激増。しかしその度に自己防衛への規制が厳しくなるだけで、防犯対策はほとんどされていないというのが現状。銃砲所持が合法のアメリカでは、どうなのか、現状は下記のエントリーをご参照のこと。
銃が多いと犯罪が減る ええほんとお〜?
銃が多いと犯罪が減る その2
追記 2:同じことを繰り返して別のエントリーを書くとこの話に興味のない読者を失うので、追記として書かせてもらう。
私への批判をするコメントは大きく分けて次の三つ。

  1. そんな話してんじゃねんだよ、勘違いもはなはだしい、外野はすっこんでろ。
  2. 正当防衛とか過剰防衛なんて話がなんで自衛論に関係あんだよ?
  3. 藁人形議論:俺たちは自衛を否定してんじゃなくて、自衛論を否定してんだよ、まだわかんねえのかよ。

私の話てることが、批判者の話している事と違うのであれば、無関係なエントリーにコメントなどしないで無視すればいいだけの話。そちらこそ外野である。
正当防衛が行き過ぎれば過剰防衛になる。どこまでが正当でどこからが過剰なのか、それは個人にどれだけの防衛権利があるのかということで決まって来る。防犯は警察の仕事であり個人にその責任がないという考えが大きければ大きいほど正当防衛の幅は狭まる。それが行き過ぎればどんな自衛も違法だということになってしまう。英国の例がそれだ。自衛は個人の責任かどうかという話において、過剰防衛規制は多いに関係がある。
個人の自衛責任を唱えてはいけないという考えは、自衛そのものを否定していることと実質的には変わりはないと言ったはずだ。藁人形論というのは、自分が答えやすい問題提議をしてそれをなぎ倒すやり方を言う。コメンター達は自衛否定は藁人形だと言いたいらしいが、何度も言うように自衛論否定=自衛否定である。よって私の書いていることは藁人形論ではない。


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左翼リベラルが自衛の自己責任を恐れる本当の理由

コメンターのBoyFridayさんも指摘しているように、一連の自衛論争で自衛(論)を否定する人たちの根底には左翼リベラルの匂いが漂っている。もし、読者のなかで被害者の気持ちをさらに傷つけたくないという理由で自衛論否定を支持している人がいるならば、はっきり言わせてもらう。あなた方は左翼リベラルの嘘にたぶらかされていると。

誰が投票して選んだわけでもないのに、勝手に被害者の代表だの女性の味方だのを気取って、個々の女性に出来る効果的な自衛を否定する奴らの本心は、女性救済でも女性の地位向上でもない。彼女達の本当の目的は自分らの運動家としての社会的地位を向上させ、左翼の社会主義を促進することにある。もし、彼女達の本当の目的が女性を救うことにあるのであれば、これ以上女性が強姦魔の被害に合わないような効果的な方法に耳を傾けず、自衛など役に立たないといって最初から自衛の効果を過小評価したり、自衛に関する議論を弾圧しようなどとするはずがない。

彼女たちは「君らの語るような自衛は誰もが実践していることで、今更指摘されるまでもない。」とは言っても、それでは、「もっと効果的な自衛方法を議論し合おうではないか」という提案は絶対にしない。それどころか自衛について議論すること自体が有害だとして、議論そのものを止めさせようと必死だ。
どうして彼女たちはこれほどまでして、個人による自衛行為を否定するのであろうか?

お断り:カカシは『自衛を否定しているのではなく、自衛を説くことによる被害者への攻撃を否定している』という理屈は認めない。私は自衛論が被害者を傷つけるという前提そのものを受け入れない。自衛は認めるが自衛に関する議論は認めないなどという、左翼リベラルの言論規制に従う気持ちも毛頭ないのであしからず。

社会主義は全体主義であり、個人主義の敵である。だから個人の力が強くなることを恐れるのだ。左翼リベラルにとって個々の人々が弱者のままに留まり、自分たちに全面的に頼り切ってくれる状況こそが理想なのだ。市民にやたらに自己防衛などされて、彼らが政府を頼りにしない自立心をもったりしては、市民を左翼リベラルの思い通りに支配することが出来なくなる。

アメリカでリベラル政治家たちが国民保険を押し進めるのも、アメリカ市民から、個人が民間の保険を選ぶなどという選択力を奪いたいからだ。彼らが小銃携帯による自己防衛を忌み嫌うのも全く同じ理由からだ。

左翼フェミニストたちは本気で自衛は効果がないなどとは信じていない。いや、むしろ自衛には多大なる防衛効果があると思っている。だからこそ、そんな効果的な方法で個々の女性らが自分の身を守って強くなるなどということは許せないのだ。そんなことになったら、か弱き女性たちに自分たちだけが頼りにされるという保証がなくなってしまう。

今なら、自分も犯罪の被害者だったから被害者の気持ちが解るといって、あたかも女性代表みたいな顔をしていられるが、そんな奴らを頼りにしなくてもいくらも防犯方法があるなどと一般市民に知られたらそうはいかない。女性の気持ちを傷つけることになるから、なんてのは一般の心優しい読者をたぶらかせて自衛論を弾圧するための口実に過ぎない。

犯罪の被害者の気持ちを傷つけてしまうかもしれないと思って自衛を語るのを控えている読者の方々に申し上げる。こんな奴らに遠慮する必要はない。だいたい外野は黙ってろとかいう奴らに聞きたい、いったい誰が内野だとか外野だとか決めたんだよ。誰があんたらを自衛討論の議長に選んだんだよ、とね。被害者だというだけでそういう権威があるというなら、カカシも被害者のひとりとして、自己防衛を否定するなどけしからん、自衛論の討論は奨励すべきだと主張したら、彼女たちはどうするんだろうね?


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六割以上の強姦被害者が自衛は役に立ったと回答、自衛否定論こそ有害である!

自衛は役に立たないとか害あって益無しとか言って自衛を否定する人々の意見とは裏腹に、強姦の被害にあった際、自衛は非常に効果的であるという非常に興味深い統計があるので紹介しておく。
これはアメリカの2006年の犯罪統計のまとめで、英語ではthe 2006 National Crime Victimization Surveyという報告書。

そのなかで、特に強姦の被害者として実際に襲われた時点で何らかの自己防衛手段を使って抵抗した人(銃や刃物などの武器を使わず、声を張り上げた、逃げた、蹴った、殴ったといったような)に、その自衛は役に立ったかどうかという質問をした時、役に立ったと答えた人が63.8%も居たという。反対にかえって状況を悪化させたと答えた人は13.8%、状況は好転もしたが悪化もしたと答えた人は1.9%。どちらとも言えないと答えたのが12.7%、わからないと答えたの人が17.8%だった。

襲われたら最後、どんな抵抗をしても無駄だとか、自衛は害あって益無し、なんて何の根拠もないのに口から出任せを言う人のいうことを信用して、実際に襲われた際に全く無抵抗で相手の言われるままになるのは、安全どころか非常に危険だ。自衛否定論は、逃げられるかもしれない状況をあえて否定してしまっていることで、非常に有害である。

ところで、自衛は否定しないが自衛論は否定するとはどういう意味だ? 「自衛をしない人間は強姦されて当然だ」という論を自衛論だと勝手に定義づけているなら、今すぐ止めてもらいたいものだ。話がややこしくなる。

アップデート:
下記のコメントで圧倒的多数意見は、『「自衛」を否定したのではなく、「自衛論」を否定しているだけだ、お前は読解力ないな! 』というものだ。

しかし『自衛は個人の責任であり、効果的である』という論説は、被害者を傷つけるだけで有益無害であるから、自衛の大切ささえ説いては行けないという理論は、結果的には自衛を否定することになる。自衛論を悪用する馬鹿がいるから自衛論そのものを弾圧しようという行為は自衛否定と全く同じ行為だ。

相手が自分と意見が異なるのは、相手が自分のいってることを理解できていないからだ、という考え方は自衛否定派たちの傲慢さを物語る。彼らのやっていることは実質的には自衛否定なのだ。彼ら自身がそれに気づいているから、「自衛は限られていて役に立たない」と何百回も言ってたくせに、自衛の効果をはっきり提示されると「自衛否定など最初からしていない。」という敗北宣言となるわけだ。

アップデート2:
私が自衛(論)否定者たちの言ってることを理解できずに自衛を奨励している、と決めつける人が非常に多いのでもう一度言う。私は自衛否定者と自衛論否定者を混同してなどいない。「自衛否定ではなく自衛論否定をしているのだ」という当人が繰り返し「自衛は役にたたない」と書いているのを私は何度も読んだ。

自衛を説く人がいうような自衛はすでに皆やっているか、あるいは現実にまったく即していないため、役に立たない、フランチェス子の日記

フランチェスコは「自衛を説くことは有害」だと断言している。自衛は否定しないが自衛を説くことは否定するなんてのは屁理屈もいいとこだ。

「自衛」を主張したって無意味です。
本当に、狙われたら最後、逃れようがないのです。
(略)
性犯罪以外にも、ひったくりや強盗もあるし、自衛は大切です。
そんなのはわかっています。
はっきり言います。誰だって自衛はしているのです。
女性は誰でもしている、ものごころついた頃からしているのです。
私も今でもしています。ずっと。
それでも、被害に遭うのです。
自衛しているにしろ、していないにしろ、被害に遭うのです。
狙われたら最後、防ぎようがない。あなたは悪くない

「自衛は大切です」といいながら、自衛などしても強姦は「防ぎようがない」と自衛の効果を否定している。これは自衛は役にも立たないと言っているのと全く同じだ。

ところで今気がついたのだが、二人とも『「自衛論」を説く人は、』とか『「自衛論」を主張しても』とは書かかずに、どちらもそれぞれ『「自衛」を説くひと』、『「自衛」を主張しても』と書いている。二人とも自衛も自衛論も同じ意味で使っている。

はっきり言って、自衛論否定は自衛否定と同じである。自衛論とは、自衛に関する個人責任を追求する論理であり、自己責任の追求は被害者を傷つけることになるからすべきではない、という考えは自衛の責任は個人にはないと言っているのと同じだ。

自衛の自己責任を否定するということは自衛を否定しているのと実質上なんの変わりもない。しかも、自衛に関する話をする事自体いけないということになるなら、人が自衛の方法を学ぶ事を否定しているのであり、自衛否定以外のなにものでもない。自衛に必要な情報や議論を弾圧しておいて、「なにも、自衛をするなとはいってない」など、よくも平気な顔して言えるものだと思う。

私は自衛(論)否定者の言っていることを誤解して批難しているのではない。私は自衛(論)否定者たちの言っていることを100%理解した上で批難しているのだ!
いい加減、ちゃんと読めよ。

追記: 日本では現実的ではないが、アメリカでは一般市民の所持する銃砲によって凶悪な犯罪が阻止された例がいくつもあるので、それについても紹介しておこう。銃砲による自衛は、一個人による防衛がどれだけ役に立つかという究極な例といえる。下記は私が二年くらい前に書いたエントリーからのリンク:
銃が多いと犯罪が減る ええほんとお〜?
銃が多いと犯罪が減る その2


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