イラク:マリキ首相の微妙な立場

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サダムフセインの死刑判決が出たことはまことに喜ばしい。 しかしだからといって喜んでばかりもいられないのがイラクの難しいところだ。 まだまだ我々の上空には暗雲が立ち込めている。
しかし先ずはいいニュースから。先週、アメリカとイラクの連合軍がバグダッドで数々の手入れを行いサドルの率いるマフディ軍の幹部らを何人も取り押さえた。(Fourth Railより)

土曜日、イラク特別部隊はアメリカアドバイザーに見守れながら、サドル市内においてイランの手先モクタダ・アルサドルとそのマフディ軍のバグダッドアジトに手入れを行った。 この手入れで「殺人誘拐犯グループ」の三人のメンバーが逮捕された。 マフディ軍はイラク軍に小銃やロケット弾で攻撃しながら逃走した。

これはノーリ・マリキ首相が先週の火曜日、一週間にわたる封鎖を解除するよう命令してから、初めての攻撃作戦であった。 同日のサドル市内での作戦では三人のテロリスト容疑者逮捕の成果があった。 封鎖解除の命令はアメリカ軍からは強く反発が出、イラク大統領もこの決断には強く反対していた。 マリキ首相がサドル率いるシーアの死の軍団の武装解除にどれだけ真剣なのかという深い疑問が生まれている。

問題なのはマリキ首相はかなりサドル勢力に政治的に傾いている点だ。彼は前任の首相ほどサドルべったりではないにしろ、なにかとサドルの肩を持ちすぎる。 マリキ首相は最近とみに、アメリカ・イラク連合軍による宗派・部族争い鎮圧の努力を邪魔するようになってきている。
この間の封鎖解除における理不尽な要請がそのいい例である。 以下ニューヨークタイムスの記事より。

マリキ氏のサドル市封鎖解除宣言はアメリカ軍司令官達には当初不意を突かれた形になった。しかし夕方までにはアメリカ軍はバグダッド東部と中央部に一週間ほど設置してあった分離帯の位置を放棄した。これはイラク軍を含めて行われていた行方不明のアメリカ兵捜索の一部として設置されたものだった。 関門は交通を迂回させたため、東部では日常生活や商売の妨げになっていた。
この宣言の言葉使いがあたかもマリキ首相にアメリカ軍に指令を下す権限があるかのような表現であったため、マリキ首相はシーア派の支援者に迎合するため、自分の権限を踏み越えたと見られている。
この撤退は人口密度が高く反米意識も高いサドル市内では歓喜で迎えられた。アメリカ軍は捜索の焦点をここに絞っていた。

マリキ首相の微妙な立場はわからないではない。彼は自分の支援者の前でアメリカ政府に対して強気の姿勢を見せなければならないのだろう。 とにかくアメリカの操り人形だと思われては困るというわけだ。 しかし自分でシーアの民兵を退治できないでアメリカに頼っている以上、大きな口を叩ける立場にはないはずだ。またアメリカ軍もおめおめとマリキのいいなりになどなるべきではない。 マリキが独立国の首相として大きな口を叩くのは独立国の首相らしくきちんと自国の暴走民兵らを取り締まってからにしてもらいたい。
私が思うに、マリキ首相はアメリカ軍の駐留はもうそう永くは無いと考えているのではないだろうか。 いったい氏はどこからそんな考えを持ってきたのだろう? どうも彼はサドルがアメリカ軍が去った後、強力な政治勢力として生き残ると踏んでいるように思える。 だからアメリカ軍が去った後も自分の立場が悪くならないように今のうちからサドルにゴマをすっておこうという魂胆なのではないだろうか。
しかし、これまでにアメリカ軍の強さを過小評価してきた多くの勢力がそうであるように、マリキは間違っている。 明日の選挙でどうなろうとも、アメリカ軍はサドルとその手下のマフディ軍、そしてバーダー旅団を始末せずにイラクを撤退するなどということはあり得ない。 大統領には議会に対抗する非常に多くの権限がある。 ロナルド・レーガン大統領が多数議席を握る民主党議会に真っ向から対決して多々の政策を押し通したように、軍隊の総指揮官であるブッシュ大統領は軍隊を自由に操る権限があるのだ。 特に議会はすでにイラク戦争を承認しているのだから、戦争を続行するのは大統領の一存ということにもならない。
どうしてこう皆アメリカ軍を見損なっているのだろう。 確かにクリントン時代のアメリカ軍は途中で戦争を投げ出すことが多かった。しかしブッシュ大統領の代になってから、そのようなことは起きていない。 ならば前大統領時代の例よりも現大統領の実績からアメリカ軍は判断されるべきではないのだろうか? 
戦闘に次ぐ戦闘でアメリカ軍は圧倒的勝利を収めている。にも拘わらずあまりにも多くに人々が我々の敗北は間違いないと確信しているのは不思議でならない。 もっとも民主党や民主党の応援団と成り下がった主流メディアの話を鵜呑みにすれば、今度の選挙で民主党が上下議院をコントロールするようになった暁にはアメリカ軍は退陣にいそしむと考えるのも無理は無いのかもしれない、メディアは皆口を揃えてそういっているではないか!
アメリカメディアのプロパガンダを完全に信じきってるのが、アルカエダもサドル達だ。 彼らは本気で民主党が勝てば自分達が勝つと信じきっている。そして彼らは愚かにも自分らが人を殺せば殺すほど、恐怖におののいたアメリカ市民は退陣を訴える民主党に投票するようになると信じているのである。
だが、真実はその反対だろう。 アメリカ人は自分らの軍人が殺されたり自国が攻撃されて怯えて逃げる人種ではない。 かえって怒り来るって奮起立つ性分だ。 今アメリカ市民がイラクに関して消極的な姿勢を見せているのは、攻撃を恐れているからではなく、負け犬の連中が声を大にして繰り返す敗北間違いなしのシュプレヒコールを信じてしまっているからだ。 残念ながら、どんな嘘でも大声で何度も繰り返せば、だんだんと人々はそれを信じるようになってしまうのが現実だ。
2009年に新しい大統領になって、イラクで確実に勝利と言われる何かが起きるまでアメリカ市民は自分達の勝利を信じられないのかもしれない。 だがここでちょっと振り返ってそう遠くない過去に我々が成し遂げた輝かしき勝利を思い出していただきたい。以下ビクター・ハンソンのエッセーより。

とうの昔に忘れられてしまったのは三週間で悪徳独裁者を倒した輝かしい戦闘。 またアメリカが、ソビエトがアフガニスタンで負けた後や我々の前任がレバノンやソマリアでしたように戦後の動乱を見放したりせずに、民主主義の理想を貫くために努力していることも高く評価されない。 そして我々はシリアがレバノンから立ち退かざるおえなくなったことや、リビアが大量破壊兵器開発をあきらめたことや、パキスタンがカーン博士を潔くみとめたことや、湾岸の王国でわずかながらも選挙が行われるようになったことにも感謝していない。.

という事実があるにも拘わらず、マリキは自分の政治将来しか考えていない。 いったいなんだってイラクはこんな奴を首相にしたんだ? あ、前任のジャファーリを追い出すためだったっけ。
だがマリキは考え違いをしている。 サドルの命はそうながくない。 我々がイラクを去るまえに誰かがサドルを殺すだろう。そうなる前にマリキもシーア派も誰の側につくのか早く決めといたほうがいい。 そうでないとサドルが地獄へ堕ちるときまだサドルにくっついていれば彼らもサドルと運命を共にすることになるからだ。
ま、それも悪くないけどね。


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ケリーの弟子? 反戦イラク帰還兵のおかしな戦話

先ほどケリー上院議員がベトナム戦争帰還後にあることないこと、(ほとんどないこと)をでっちあげて反戦運動をしたという話をしたばかりだが、新世代にもケリーのような帰還兵はいるらしい。 ミズーリ州上院議員選挙で民主党のクレア・マックカスキル(Claire McCaskill)候補の選挙運動テレビ広告では、ジョシュア・ランスデールというイラク帰還兵がイラクで負傷した足首を軍事病院で診てもらうのに6ヶ月もかかった、これというのも軍隊医療費増加法案を反対した共和党議員のジム・タレントのような政治家のせいだ、と言う証言をしている。
ランスデール君は実際にイラク帰還兵で軍医をしていて、2003年から2004年にかけてイラク戦争に参加していた。 同じランスデール君はまた別のテレビコマーシャルでも、「イラクのせいで世界はもっと危険になった。」という台詞でちょっと登場していた。 「していた」というのは実は今は登場していないからだ。 その理由はというと、
実はランスデール君がイラクで負傷した後診察を受けるまで6ヶ月もかかったという話がどうも胡散臭いのだ。 軍事病院がいくら能率が悪いとはいえ病院の話ではイラク帰還兵は最優先で治療を受けられることになっており、長くても30日以内に治療をうけられるはずだという。 この疑問に答えるためにマックカスキル候補はランスデールに診断書を提出するように要請したが、ランスデール君はマックカスキルからの電話に答えようとしないで逃げまくっているらしい。
この4月、ランスデール君は自分が足首を怪我した状況をこのように語った。

「かなり危険な場所でした。 私たちはたくさんのモーター弾や、路肩改良爆弾、自動車爆弾などの攻撃を受け、ヘリコプター墜落もたくさん目撃しました。 私たちは国連爆破時の救援にあたりました。 私は燃える建物やら、車やら、バイクなどの爆発から何人もひきずりだしました。」

しかしイラクでランスデールと同じ隊にいた別の帰還兵らの話によると、どうもランスデールが語ったこの勇ましい手柄話にもかなり後から尾ひれのついた自慢話になっているらしいのだ。
ランスデールの所属していたのは陸軍の予備隊487、エンジニア部でイラク出動は2003年5月から2004年4月までの一年間。同じ隊で消防隊チーフをしていたゲリー・クーエン(Gary Kuehn, SFC/AGR, Retired)さんの話では、、( Gateway Pundit

一度ヘリコプターのタイヤがパンクして一人の兵士が大怪我を負い、一人が死亡という事故がありました。 また一度バイクを運転していた兵士が臨設トイレ清掃車にぶつかって頭に大きなたんこぶをつくるという事故がありました。 それ以外には我々が居た間、飛行機やヘリコプターの墜落など一度もありませんでした。 我々はバグダッド近くには行きませんでしたし、大使館の建物もキャンプアナコンダへ行く途中に通りすぎだだけです。
モーター弾による攻撃は幾晩もありましたが、我々や消防署の付近まで届いたのはほんの1~2発で、しかもそれはほとんど最後のほうでした。 敵の撃った95%ははずれか不発でした。 私の部下の消防士で燃える建物から人を引きずり出した者はひとりもおりません。 二人ほど火事と戦っている最中に熱さから倒れるということはありましたが。
ジョシュア・ランスデールは確かにアメリカでは見られない色々なことを目撃したのでしょう。 しかし彼の話はあまりにも大げさ過ぎます。 私の部下に三人ほど彼など想像もつかないほど死に近づいた者達がいます。 彼の診断書をみるまではなんともいえませんが、私は彼が足首を怪我をしたことを思い出せません。 ねんざくらいはしたかもしれませんが、、

私は戦争体験者が自分の手柄話を誇張して友達や親戚に語る分には全く問題ないと思う。 たとえ自分自身危険な目にあっていなくても死ぬかもしれない戦場を覚悟で戦争に行ったというだけで帰還兵にはそのくらいの自慢話をする権利はあると考えるからだ。 しかし、それが講じて他人を傷つけるようなことになるとしたらこれはいただけない。 そのようなことをするのは自分のせっかくの栄誉に泥を塗るだけでなく、もっと危険な目にあった他の軍人達にも失礼である。
しかしこの地方選挙の泥試合、醜いものだな。


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イラク戦争には勝てるのか? 三つの段階を考える

日本の保守派ブロガーのなかでは日本内政情報についてのその知識の豊富さによって人気ナンバー1の極右翼評論の瀬戸弘幸さんが、なんと我がブログとアレックスさんのブログを並べてアメリカの中東政策情報の参考にしているとおっしゃってくださったので、新しく訪れた読者の皆様を失望させないためにも、ここはひとつイラク情勢について書かねばらないだろう。 (当ブログにおけるイラク関係の過去ログはイラク関係カテゴリーをご参考にされたし。)
のっけから瀬戸さんのご意見に異議を唱えるのも心苦しいのだが、私は瀬戸さんのイラク戦争は失敗だったとの分析にはちょっと賛成しかねる。 そこで私はアメリカのイラク政策は大成功したとは言わないが、完全に失敗したという状況ではないということを二回に分けてお話したいと思う。

フセイン旧政権が崩壊、新憲法が国民の圧倒的支持で承認されてから25日で一年が経過した。しかし、イラクは未だに武装勢力が国土の大半を支配している。

 この武装勢力は各宗派によって組織化されており、深刻な宗教対立、民族対立の中で、まさに行き場のない混沌とした状況下にある。どう見ても米国のイラク統治は失敗である…

世界中のメディアが全く認めようとしない事実に、イラク戦争において軍事的にアメリカは多大なる勝利を収めているということがある。 このようなことを書くと「え? 何が勝利なの?」と私の正気を疑うひともあることだろう。 だがちょっと振り返ってイラク戦争が経てきた三つの大きな段階に注目していただきたい。 
イラク戦争と一口にいってもこの戦争は2003年の開戦当時からいくつかの段階を通過してきた。 先ずはフセイン政権崩壊、アルカエダという外国人テロリストグループ及びスンニ親派との戦い、そして現在のイランの影響を強く受けているシーア過激派民兵との戦いである。 この三つの戦いのうち最初の二つにおいてアメリカ及び連合軍が圧倒的勝利を得た事実を皆さんに思い出していただきたい。
フセイン政権の崩壊はあっという間の出来事であったし、数あるフセインの銅像があちこちで引き倒されイラク市民がサンダルでフセインのポスターを殴りつけるシーンはいくらも放映されたので読者の皆様の記憶にも残っていることだろう。 だが、第2段階のアルカエダテロリストに対する大勝利はアメリカのメディアを始め世界メディアはほとんど無視した。 メディアの第2段階から第3段階への移行はあまりにもスムーズだったため、多くの人々がこれを見逃したとしても不思議ではない。 しかししイラク戦争の報道に注意を傾けていれば、新聞の紙面からアルカエダ、ザルカーウィ、スンニ抵抗軍、自爆テロ、自動車爆弾テロ、路肩改良爆弾(IED)という語彙がいつの間にか、宗派間紛争、民兵、サドルといった言葉に置き換えられたことに気がついたはずだ。
ではいったい連合軍はどのようにしてアルカエダ及びスンニ抵抗軍に対して勝利をおさめたのか。 イラクのアルカエダはザルカーウィを筆頭とした外国人勢力であり、その中堅部の指導者たちはイラク人ではなく外国人が占めていた。 当初彼らはアメリカ軍に対して真正面からの攻撃を試みたがこれは数十人のアルカエダ兵士の死者に対して一人二人の米兵の戦死という全く不均衡な惨敗の連続だった。 そこで彼らはスンニ居住区でのゲリラ戦を行ったが、これも2004年の二度にわたるファルージャの戦いなどでも解るようにアメリカ軍が圧勝した。 この頃(2004年2月ごろ)、ザルカーウィがアルカエダ本部へ当てて書いた手紙を持った使者が捕らえられ、ザルカーウィがアメリカ軍はどんな戦いにもひるまない、我々には新しい作戦がいる、支援を求める、といった内容の手紙が公表された。 ザルカーウィはアメリカ軍は臆病者だとののしった後で、それでもアメリカ軍はシーアを味方につけその勢力を増しており、一旦アメリカ軍に奪われた地域はアメリカ軍が去った後でも取り戻すのは難しいと語っている。

我々は荷物をまとめ別の場所を探しに出かける、悲しいながらも、我々が何度もこの聖戦において繰り替えしてきたことである。なぜなら敵は勢力を増し、その諜報能力も日ごとに増加しているからだ。 カバの主よ、この道で我々は窒息しつつあり疲れている。人々は宗教の王たちに従うであろう。彼らの心はあなた方と共にあり、彼らの剣はウマヤの力と勝利と安全にある。神よ御慈悲あれ。

イラクで勝つためにはシーアと戦わねばならないと判断したザルカーウィは作戦んを変えて、シーア派イラク市民を狙った自爆テロや爆弾テロ攻撃を増加させ、シーア派市民を捕らえては拷問斬首している姿をビデオにとってネットやメディアにばら撒くなどした。 しかしこの野蛮な行為はかえって逆効果を生み、それまでアルカエダに同情的だったスンニ派の部族すらも嫌気がさしてアルカエダと見放すという状況が出来てきた。
これに関しては2005年7月ごろに送られたと思われるアルカエダのナンバー2のザワヒリからザルカーウィへ宛てた手紙やザルカーウィが殺されたとき所持していた別の幹部からの手紙でも、ザルカーウィの野蛮なやり方はかえってイスラム教徒をアルカエダから遠ざけることになり、アルカエダがイラクをアルカエダのテロ国家として所持する目的には邪魔になるとたしなめてさえいた。
連合軍との戦いで中堅指導者を次々に失ったアルカエダは、ヨルダンやシリアから新しい指導員をどんどん呼び寄せたが、アルカエダを裏切ったスンニ派などの密告によりイラク入りしたアルカエダ幹部は次々と暗殺されてしまった。 外国人勢力であるアルカエダは地元スンニイラク人を信用しなかったため、イラクのアルカエダは指導者を失いザルカーウィだけを首領とする死のカルトへと変貌、ザルカーウィの死とともにアルカエダの威力は急激に弱体化した。
完璧な世界ならば、ここでスンニ派部族の多くがアルカエダを見放しイラク復興の政治に参加しようという気になって、一件落着、めでたしめでたし、で終わるところなのだが、そうは行かないのが中東の難しさである。 アルカエダ勢力が弱体化したことを利用し、今度は俺達の出番といって勢力を挙げてきたのがイランの飼い犬、白豚サドル(モクタダー・アル・サドル)とその手下の愚連隊マフディ民兵軍である。
サドルのマフディ軍がナジャフで蜂起したのはファルージャとの戦いと同時期でありこれは決して偶然ではない。 フセイン亡き後アメリカを追い出しイラク国内で勢力を得ようとしたサドルがアルカエダのザルカーウィと組んで同時攻撃を試みたとしても決して不思議ではない。敵の敵は味方という理屈である。
この当時アメリカ海兵隊はサドルをナジャフの聖廟に追い詰めており、一斉攻撃を仕掛ければ一日でサドルとマフディ軍を崩壊させることが出来た。だが、シーア派の大聖教者のシスタニがそれを許さなかった。シスタニは決してサドルの味方ではない。 だがサドルをシーア派の聖廟内で無信心者で野蛮人のアメリカ軍に聖廟を冒涜され信者を殺されることを容認すればシーア派の面子にかかわる。 またイラク人によるアメリカへの敵対心を煽ってイラクは余計に混乱に陥るという心配もあったのだろう。 私たちはシスタニがなんといおうとサドルを生かしておいては後でろくなことにならないと海兵隊一斉攻撃が中止されたときは多いに腹をたてたものである。
この第三段階の宗派間紛争の鎮圧において、アメリカ軍はアルカエダとの戦いから今度はシーア派過激派との戦いへと戦略を変更した。 ラマダン中に激しい闘争が繰り返されここ二年間で10月はアメリカ兵戦死者の数がこれまでで一番多いという悲しい状況が生じた。 しかし戦死者の数だけをみてアメリカ軍が戦争に負けていると判断するのは誤りである。 何故戦死者の数が増えたのかその背後にあるアメリカの戦略を考慮に入れなければ戦死者の数だけ数えてみても意味はない。
長くなるので、この現在の状況は次回に回すことにしよう。


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ブッシュ大統領、ベトナムとイラクを比較

昨日も私はああベトナムよもう一度でこの話はちょっとしたが、ミスター苺が同じ件についてもっと詳しい記事をBigLizards.netで書いていた。 さすが夫婦気持ちが通じるなあ。(笑)
実は私は今週はじめからバージニア州へひとりで出張にきている。以前にも書いたと思うが私は長期出張が多いため、一年のうち何ヶ月もホテル住まいとなる。 それでミスター苺との交流はメールや電話が主だが、仕事のいそがしさにかまけて自分の英語のブログはミスター苺に任せきりになっていてろくろく読んでもいなかった。「君ねえ、自分のブログに書かないだけならまだしも、たまには読むくらいしなさいよ」、とミスター苺に叱られそうだ。
というわけで私が取り上げた記事をミスター苺がどのように取り上げたか、こちらでも紹介しておこう。

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ブッシュは正しい! イラクはベトナムのようだ 
ミスター苺著
…とは言ってもジョージ・スナファルパガスや民主党の奴らが騒いで言ってるのとはちょっと違う意味でだけどね。 僕が何の話をしてるかって? えっと、なんだっけ? あ、そうだ。 このインタビュー、ABCテレビで大統領と司会者のスナファルパガスとのやりとりの一部にこんなのがあったんだ。 (カカシ注:司会者の名前はGeorge Stephanopoulos, でステファノポロスと発音するが、ミスター苺はいつも間違って発音している。)

ブッシュ大統領はABCニュースでジョージ・ステファノポロスとの一対一のインタビューにおいて、ある新聞記事によるイラクの現在の戦況と1968年のベトナム戦争の岐路となったテット攻撃の比較は的確であるかもしれないと語った。

ステファノポロスは大統領はニューヨークタイムスにイラクの状況は40年前のベトナムでのテット攻撃に匹敵するものだと書いたコラムニスト、トム・フリードマンの意見に同意するのかと質問した。
「彼は正しいかもしれません。」と大統領は答えた。そして加えて、「確かに、選挙を前に暴力が増加しています。」

なんてこった! ブッシュがイラクとベトナムを比べている! ブッシュでさえも戦争は絶望的だと考えてるってことだ。だよね? 他にどう取り様があるんだよ?
実はあ~、 ジョージW・ブッシュはベトナム戦争の歴史をかなり良く知ってるって意味なのだ。 少なくともジョージ・スナファルパガスやハワード・ディーン、ナンシー・ポロシ、ハリー・「土地取得汚職事件」リードや馬鹿サヨブログの連中なんかよりはね。
先ず基本から始めよう。俺達はみんなすべてひっくるめて考慮してベトナム戦争には負けたってことで同意だよな。だが左右両方全員で同意できるのはそこまでだ。
民主党の連中とってはこれはすでに信仰のようなものだが、信じられないほど強力な北ベトナム軍(NVA)と南の同盟軍である無敵の南ベトナム解放戦線(ベトコン)がレニングラードやスターリングラドで強靭な赤軍に追い返され命からがら逃げ去ったナチス軍のように、アメリカ軍を破壊し完全崩壊したのだと深く信じ込んでいる。
言ってみれば民主党はきリスト教徒がイエスキリストの復活を信じているのと同じくらいの意味で、我々ファシストで帝国主義のアメリカ軍が人民革命に打ちのめされ、それが理由でベトナムでは負けたのだと信じている。
民主党の持っているベトナムのイメージは何百何千という臆病者のアメリカ兵がパニックに陥って遁走し、何千という単位で脱走し、背中から勝ち誇るNVAに後ろから撃たれながら逃げる姿だろう。これは大げさな表現なんかじゃない、民主党員のだれとでもベトナム戦争について話してごらん、だれでもすぐに彼らの脳裏にはこのイメージがくっきりと刻み込まれていることに気がつくはずだ。
この「証拠」は不思議なNVAとVCによるテット攻撃の幻想にある。以下ウィキペディア はこう説明する。:

テット攻勢とは (1968年、1月30日 – 1969年6月8日)ベトナム戦争中におきた連続攻撃作戦のことで、南ベトナム解放戦線(ベトコン) の強力な数部隊と北ベトナム軍(PAVN)の部隊が南ベトナム軍とアメリカ軍に対して計画的一斉に行った攻撃だった。(略)攻勢は旧正月の祝いのなかで輝かしくはじまり、1969年の6月まであちこちで分散的に続いた。

NVA の強力部隊が国境を越えてなだれ込み、同時にベトコンが激しい攻撃をベトナムの主要都市を一斉に攻撃した。彼らの思惑は(共産主義者はそう信じていたのだが)アメリカ人も南ベトナム政府もベトナムでは人気がないので、このような攻撃によって人々は蜂起し国を挙げての革命にまでつながり、資本主義の豚どもを海に追い込めるというものだった。
ここで民主党が「イラクは今世代のベトナムだ」というのはこのことを意味する。つまり、イラクはベトナムがそうであったように、「勝ちようがない」、そしてイラクの解放軍はファシストアメリカ軍に戦闘に次ぐ戦闘で大勝利を挙げているという考えなのだ。 もうあとすこしで、と民主党は熱烈に願う、アメリカは負け、(911でしたように)恐縮する。そして貧乏に生まれなかったことや、黒人でないことへの罪悪感に包まれるだろう。
悪いけど、本当のテット攻勢はアカの奴らが企んだような訳にはいかなかったんだよね。民主党の信仰ともちがってね。

テト攻勢は 共産主義勢力にとって軍事的には大惨敗だった, ベトコンも北ベトナム軍も作戦の目的を何一つ達成することができなかった。さらに、作戦の損害は多大で南ベトナム軍及び同盟軍によってベトコンは事実上機能不能となった。

しかし1968年には侮ってはならない大きな親共産主義勢力が存在していた。それがアメリカのエリートメディアだったというわけ。 彼らは北ベトナムと解放戦線にアメリカ軍が圧倒的に惨敗することを切に願っていた。ウォルトおじさんの指揮にしたがって、ニュースメディアは嘘をつきまくった。抵抗軍が同盟軍によるすさまじい攻撃で崩壊したという事実を報道するかわりに、敵側の攻撃は共産主義勢力の歴史的な勝利だったという大嘘を報道したのだ。

当時もそしてその後も、戦争一般、特にテト攻勢のアメリカメディアの悲観的な報道を批判する声は多くきかれた。アール・ウィラー氏、当時のChairman of the Joint Chiefs of Staff,はテット後の 「アメリカメディアの間でみられる絶望と失望」について不満をもらしていた。

アメリカメディアのなかで一番有名で影響力のあった反戦運動といえばウォルター・クロンカイド司会で行われた1968年2月27日放送のスペシャルニュース番組である。テット攻勢語の戦場を一回り見学し、 現場の落胆した兵士や将校らにインタビューした後、クロンカイド氏は直接軍上層部とジョンソン政権を批判した。「私たちはアメリカの指導者らによって、ベトナムでもワシントンでもこの暗雲の向こうに銀色の日差しが見えるという楽観的な見解に何度も失望させられました。」この引き分け状態を終わらすためアメリカは交渉[降参] すべきだと語った。

テット攻勢は共産勢力にとっては軍事的には悲劇的で圧倒的な大惨敗だった。 だがアメリカメディアはそれを共産主義の大勝利だったと執拗にプロパガンダを流し続けた。
テト攻勢がベトナム戦争と岐路といわれるのは、このメディアプロパガンダ宣伝により、それまで戦争を支持していた人々の心が反戦へと動いて、それがアメリカ軍撤退への道へとつながったからである。
この歴史を踏まえれば、ABCが選んで放映した部分だけみても、ブッシュ大統領はテト攻勢の意味を良くわきまえた上で、上記のような発言をしたことがわかる。

「ジョージ、私の腹の勘では敵はずっと、我々に充分な損害を与えさえすれば我々が引き上げると考えてきたのです。」ブッシュは言った。「アルカエダのリーダーたちはそれを明らかにしてきました。いいですか、私はこのように見ています。先ず、アルカエダはいまでも非常に活動的です。彼らは危険です。彼らは致命的です。彼らはできるだけ多くのアメリカ兵を殺そうしているだけでなく、イラク国内で宗派紛争も起こさせています。 彼らはイラクで充分な混乱を起こすことができれば、アメリカ人は嫌気がさしてイラク戦争に疲れて、アメリカ政府に(アメリカ軍を)撤退させることができると信じているのです。」

つまり大統領は敵がイラクで「勝っている」としたら、それは反米のアメリカメディアが執拗に繰り返すプロパガンダにおいてだけだと正しく把握しているのだ。そのいい例が元クリントン大統領の報道官だったジョージ・スナフルパガスなのだ。敵の勝利が可能なのはアメリカの馬鹿サヨメディアがアメリカ市民を脅かして恐怖におののかせ、目的未達成のままアメリカ軍を撤退させるような状態になった時だけなのだ。民主党はその時が来たらどのくらい早い時期にイラクをアルカエダに手渡そうかとテロリストと交渉したくてうずうずしている。
だからブッシュ大統領は全く正しい。イラク戦争という覆面をかぶったこの政治の裏芝居はまさにベトナムの時とそっくりだ。


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非国民CNNのテロリスト狙撃ビデオに怒る米兵達

昨日私はCNNがテロリストプロパガンダのPR会社と成り果て、テロリストがアメリカ兵を狙撃して殺す映像ビデオを放映し、そのウェッブサイトにビデオリンクまでつけているという話を書いたが、このCNNビデオに関してアメリカ兵の間から激怒の反響が起きている。(当たり前だ!)
私がよく読んでいるミルブログ(現役退役米軍兵及びその家族などの米軍関係の人たちが書いてるブログ)ブラックファイフでも米兵らからの怒りのメールが殺到しているという。ここでその一部を紹介しておこう。(元記事にはかなり激しい表現があるので、訳も多少乱暴な言葉を含むがご了承願いたい。)
以下Black Five, CNN – Plays Into the Hands of the Enemy (Knowingly)より。

CNNは狙撃者がアメリカ兵を殺すビデオを載せている。記事にはこのような前書きがある。

イラクではすでに2800人に及ぶアメリカ兵が殺されています。そんななかで抵抗軍による一番の危険な攻撃は狙撃です。CNNはイラクでも一番活動している抵抗組織、「イラクのイスラミック軍」から狙撃班がアメリカ兵を標的にしているビデオを入手しました。イスラミック軍はアメリカと話がしたいといっており、イスラム系インターネットにビデオを載せることでPRキャンペーンを行ってアメリカ市民に影響を与えたいとしています。 このビデオを見るのは不快ですが、CNNは衝撃的とはいえ語られる必要のある記事だと信じます。
ああ、そうだろうとも、CNNはテロリストがアメリカ兵を殺すビデオを放映するかどうか葛藤の苦しみだっただろうよ。
だが結論として、CNNは承知の上敵の手の内にはまったってことだよ。

ブラックファイブにはこの記事に関するコメントが100以上も載っているが、文中で引用されているコメントも含めここでいくつか紹介したいとおもう。 

共産主義(コミュニスト)ニュースネットワーク(CNN) の吐き気のするビデオに出くわした。 局はイラクの抵抗軍からビデオを入手したといっている。ビデオでは抵抗軍の狙撃兵がアメリカ兵を撃ち殺す映像が写っている。こういうのを抵抗軍の奴らは俺達に見せつけたいんだ。アメリカで誰かの両親や恋人がこんなもんを観る必要はない。これは牛の糞だ!!!これでまた主流メディアを信頼できない理由がひとつ増えたぜ。今度から記者とかかれてない車にのせて、ボケナスどもが好んでかぶる青ヘルメット抜きでイラクへ送り込んでやれ。(後略) -Staff Sergeant ,OIF III (イラク戦争体験者の准尉)

もう俺はこんなことでは驚いたり腹が立ったりさえもしないね。ため息をついて自分の仕事に戻るのみだ。なぜってこんなことはもう珍しくもなんともない。主流メディアが本国での戦争支持意識を崩させようとしてるのは既成事実だからだ。 主流メディアがイラクでの長期軍事作戦に反対だってことも、おやじや爺さんが使ってたベトナム時代の主流メディア手引きをつかってるってことも、泥沼だ、勝てない状態、 切捨て撤退、なんだかんだとやってることも、これもう常識。奴らは敵を援助することになってもかまわないんだ。奴らは兵隊や海兵隊員が死んでもかまわないんだ。もちろんこれは兵士の死をニュースハイライトで使って、戦争が「絶望的」だとアメリカ市民に訴えるとき以外はの話だが…ーSGT Torgersen

もう我々はニュースメディアが客観的だなどという前提は捨てるべきだ。奴らは積極的に抵抗軍を支持し我らの現政権に反抗しているのだ。 明らかに彼らは情報源ではなく我らの敵となったのだ。今後一切やつらを敵としてみなすべきである。すべての兵士が(記者の)質問に対して、「あっちいけ、くそったれ、おめえらは抵抗軍との戦いに邪魔なんだよ。」と答えれば奴らにもそれがわかるだろう。こっちの言い分など解ってもらおうとするな。どうせ奴らは報道しないんだから。ーMike O

CNN殿:どの神の名によってテロリストがアメリカ兵を狙撃するビデオなど掲載したのでしょう?イラクで負傷し帰国を余儀なくされた一兵士の母親として、また一水兵の母親として、私はこのアメリカ軍とその家族への無神経さに激怒し、テロリストのプロパガンダを宣伝するなどという常識を超えたその行為には完全にあきれます。単にテープを観たとだけ報道すればよかったのです。我々は見る必要などありません。テロリストにいくら払ったのですか? アメリカ兵の血でいくら金儲けをしたのですか? ー兵士の母 (カカシ注:文章からいってこの女性は二人のお子さんをイラクに送っているようだ。)

アメリカのメディアが、アメリカ兵が何人死んだとか、テロ爆発でイラク人が何人死んだとかいうニュースの代わりに、アメリカ兵がテロリストを何人退治し、イラク軍の能力がどれだけ進歩し、どれだけの地域が平穏化し、どれだけの病院や学校が建てられ、どれだけの子供たちが救われたかという話を報道していたなら、アメリカ市民が戦争から受ける印象はまったくちがったもになっていただろう。
あるテレビ局は一時期、アメリカ兵が死ぬたびに追悼と称して戦死した兵士のプロフィールを紹介していたが、いつも紹介するのは兵士になる前の若者がどんなふうだったとか、帰ってきてからどうするつもりだったとか、いかにもあたら若い命を無駄になくしたという印象を与えるものばかりだった。同じ戦死者への追悼でも、この兵士の勇敢な最後の戦いや、彼が戦時中にどのような立派な仕事をしたかを紹介したなら、名誉の戦死をした兵士の魂や家族がどれほど慰められるかわからない。観ているほうも悲しいがそれでも感謝の気持ちでいっぱいになるだっただろう。この兵士の死を無駄にしてはいけないという気持ちになっただろう。
私はミスター苺と共同で書いている英語版のブログ、Big Lizards.netで、戦場からのいいニュースシリーズを時々書いている。ある時いつものようにイラクやアフガニスタンでのアメリカ軍の功績を書いていたら、アメリカ軍中央司令部(CENTCOM)の広報部の人からメールが来て、いつもアメリカ軍について良いニュースを書いてくれてありがとう、ついてはアメリカ軍に関するニュースレターを定期的に送ります、とあった。我々のような零細ブログをアメリカ軍広報部は読んでいるとはちょっと驚いた。しかしアメリカには第二次世界大戦の時のような大本営放送はない。だから軍の広報部はこうした地道な活動で軍の功績をアメリカ市民に知らせるしかないのだろう。
アメリカのメディアがアメリカ軍に味方してくれれば軍もこんなに苦労しなくて済むものを。 全く嘆かわしい。


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ああベトナムよもう一度

アイゼック・アシモフが書いたファウンデーションというSF小説のなかにミュールという超能力者が出てくる。 ミュールには敵対する側の戦士や国民の戦意を戦わずして喪失させてしまう心理的操作の能力があった。 だから彼の率いる勢力に対抗する敵は圧倒的武力を所持していても絶望に陥り大敗してしまうのである。
今のアメリカメディアを観ていると、彼らは明らかにアルカエダのためにアメリカに大してこのミュールの役目を買って出たとしか考えられない。私はアメリカメディアの愛国心を疑ってはいない。彼らには愛国心などない。彼らは裏切り者であり、非国民である。彼らの目的はアメリカに敗北をもたらせることにある。 だから彼らはテロリストプロパガンダのPR会社としてせっせと働いているのだ。
このCNNの記事はまさにその典型だ。
「ビデオが捕らえた狙撃者の凍りつく所業」( Video shows snipers’ chilling work in Iraq)と題されたこの記事ではCNNがテロリストから入手したというビデオテープの紹介がされており、ビデオのなかでカメラマンと狙撃者がどこから撃てばいいかとか相談しあっている声が入っているとある。そしてこのページにはアメリカ兵がテロリストによって狙撃され殺されるビデオへのリンクまでついている。
CNNはテロリストが人質を斬首するビデオは残虐すぎると放映しない。911事件直後タワーから人々が次々に飛び降りる姿も悲惨だといって放映しなかった。だがアメリカ兵が無残にも殺される姿を報道することには問題がないというのか? 
CNNにとって放映するビデオの内容が悲惨かどうかなどということは問題ではないのだ。アメリカ市民はテロリストが無実の市民を惨殺する姿や、テロ攻撃によって大量の市民が殺される姿をみれば、テロリストとの戦いに戦意を燃やすだろう。だが、アメリカ兵がいとも簡単にテロリストに狙撃される姿をみれば、アメリカ軍は勝てないのではないかと戦意を失う効果がある。CNNはそれを承知の上で、いやそれが目的でこのテロリストプロパガンダをわざわざ放映しているのだ。
アメリカがニクソン大統領とフォード大統領の時代にベトナムから屈辱の撤退をしたことで、アメリカ民主党及び左翼は共和党がアメリカを望みのない戦争に引きずり込んだとして30年以上も共和党バッシングに使ってきた。彼らは今回もイラク戦争に負けることで、再び政権を民主党のものに取り戻そうと考えているのだ。
我々は長い間アメリカはベトナムで大敗し引き上げざる終えなかったと教えられてきた。だが実際にはアメリカはベトナムで軍事的な勝利をあげていた。アメリカ軍は北ベトナム軍との戦闘で一度も敗れたことはなく、あの悪名たかいテット攻撃ですらも、アメリカ軍の圧倒的な勝利だった。
だがテット攻撃の直後、アメリカで一番人気だったニュースキャスターで「ウオルトおじさん」と国民に慕われていたウォルター・クロンカイド氏がベトナムから中継で「アメリカ軍はベトナムで大量に戦死している。戦況は悲惨でアメリカは大敗している。アメリカ市民は政府に騙されている」と報道したのがきっかけとなり、それまでベトナム戦争を支持していたアメリカ市民までが、戦争に背を向けるようになったのである。
イラクのアルカエダたちはこの歴史をよくわきまえている。だからアメリカは戦争が長引き血みどろの戦いが続けば戦意を失って絶望して撤退すると踏んでいるのである。そしてアメリカのメディアは血を求め残虐なニュース、(特にアメリカ兵が殺される)が好きだということをテロリスト達は知っているので、ジャーナリストの集まっているバグダッド付近、特にジャーナリストが泊まっているホテルの目の前で人殺しや自爆テロを行うのだ。 この間ラムスフェルド長官も話していたが暴力がひどいのはバグダッド周辺ほんの直径10キロ円周の中だという。
本日ブッシュ大統領もイラク戦争とベトナム戦争の共通点について述べた。だが、ブッシュはイラクがベトナムのように負けるという意味でいったのではなく、今年のラマダンでは紛争が激化したのは、アルカエダがベトナムのテット攻撃を再現させようというものではないかという問いに対して、それはそうかもしれないと同意した後、アメリカの中間選挙に向けてアルカエダは戦いを激化させて選挙に影響を与えようとしている可能性はあると述べた。 テロリスト達が「切捨て退散」の民主党に勢力を持たせようとしていることは言うまでも無い。
今度の中間選挙は現実などお構いなく、非国民メディアがどれだけアメリカ市民に悲観的な戦争像を売りつけることができるかそれを試す試験だといえる。もし共和党が圧倒的に議席を失い民主党が多数議席を獲得したならば、これだけブログやトークラジオががんばっても、まだまだ主流メディアの影響力には及ばないということが顕著になるからである。


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公開された米機密報告書、本当の内容はいかに?

この間漏えいされたイラクに関する情報をまとめた機密報告書「国家情報評価」(NIE)の一部が昨日公開された。漏えい記事を書いたニューヨークタイムスは、この報告書がいかにもイラク戦争が世界をより危険にさせたと結論付けたように書いていたが、実際の結論はもっと微妙なニュアンスがある結論になっている。だが書類が公表された今でも反戦派はこの当初の報道の結論を引き合いにだし、まだ執拗にイラク戦争のせいで危険が増加したとの姿勢を崩さない。
ではいったいNIEの本当の内容とはどういうものだったのだろうか。CNNの記事を読みながら分析してみよう。

NIEは今年4月、イラク・アルカイダ機構のザルカウィ容疑者が米軍の攻撃で死亡する数週間前に発行された。国家情報長官のサイトに掲載されたNIEの要点によると、「聖戦活動」が拡散し、反米組織が各地に設立されるなか、イスラム過激派は国際テロ対策に順応しつつある。聖戦活動は世界戦略を欠いているものの、新たなテロ組織が出現する可能性が高いため、聖戦組織を捜索し弱体化させるのは一層困難となっている。

この間アフガニスタンのアルカエダ本部からザルカーウィ宛の手紙が公開された。それによると、本部はザルカーウィのやり方にかなり不満を持っており、ザルカーウィの乱暴なやり方ががスンニ派やバース残党などを遠ざけていると批判しているものだった。つまり、アルカエダはイラクというアフガニスタンからは比較的近くにある組織ですらも思うようにコントロールすることができなかったのである。ザルカーウィは自分をアルカエダからの直接な指揮下にあると考えていなかった証拠だ。ということは指揮者もはっきりしない、小さな組織が世界中に拡散するということはその勢力も拡散し効果も半減するということだ。

米国主導のイラク戦争は、聖戦に関与している勢力にとって「関心の的」であり、米国のイスラム社会への介入に対する深い怨恨とともに「世界的な聖戦運動の支持者を育成する」結果を生んでいる。イラクの聖戦活動家らが成功を収めたと認識された場合、過激思想はエスカレートする恐れがあるが、失敗したとみなされた場合、聖戦活動を継続する活動家は減少する見通し。

さてここが非常に大事な点だ。これはこの間ブッシュ大統領がいっていた通り、イラクでの勝敗が今後のテロリストの士気に多いに影響があるということである。たとえイラク戦争がアメリカへの怨恨により聖戦運動家を増やしたとしても、イラクでテロリストが負ければアルカエダへの勧誘はうまくいかなくなり、戦争に関わった人々も国へかえって恥さらしなテロ活動はしないだろうということなのだ。ということは今すぐイラクから撤退するということは対テロ戦争において完全な命取りになるということだ。

NIEは、米国主導のテロ対策がアルカイダの指導者らや活動に「重大な打撃」を与えたとする一方、アルカイダが米国にとって依然最大の脅威であると位置づけている。また、聖戦への関与を自称するイスラム教徒の増加傾向が続いた場合、米国内外の権益に対する危険が多様化し、世界各地で攻撃が増加するとの見通しを示している。

え? なんだって、『米国主導のテロ対策がアルカイダの指導者らや活動に「重大な打撃」を与えた』?こんな大事な部分がニューヨークタイムスの記事には載っていなかったとは、これはいかに。先日新しくイラクのアルカエダのリーダーとなったAbu Hamza al-Muhajir 別名Abu Ayyub al-Masri, がイラクでは4000人の聖戦者が殉教したと発表した。(The Belmont Clubより)アメリカ軍は正確な数を発表していないが、実際の数はその倍に近いだろうということである。
イラク戦争によって聖戦活動家、ジハーディストが増えたというなら、我々が殺している中から次から次へと生まれたということになるが、経験ある戦士が次々と死んだり捕まったりしているのに、入れ替わった新しい戦士らがより強力な勢力になるとは考えにくい。

聖戦活動の拡散を容易にする原因として挙げられているのは、▽汚職や不正、西側諸国による支配への恐怖といった根強い不満▽イラク国内の聖戦▽イスラム各国における経済・社会・政治改革の滞り▽イスラム教徒の間にまん延する反米感情──の4つ。事態解決にはアルカイダ指導者の拘束や殺害以上の方策が求められているが、アルカイダがオサマ・ビンラディン容疑者やザワヒリ容疑者といった大物を失った場合、小さなグループに分裂する恐れがある。

イスラム過激派によるテロの激化を食い止める方法としては、聖戦活動家らが掲げる過激なイデオロギーの公表や、尊敬を集めているイスラム聖職者を通じたテロ非難などがある。聖戦活動家らによる大量破壊兵器の入手や、インターネットを通じた通信やプロパガンダ活動、人員募集、訓練、各種支援の取得を阻止する必要もあるという。

アメリカの各情報部が集まって作った報告書にしてはずいぶんありふれた分析だ。イスラム過激派との戦いは戦場だけでなく、諜報と情報操作にも大いに力を入れなければならない。だからこそアルカエダのザワヒリが今日も今日とてビデオでせっせと勧誘運動を行っているのである。

ブッシュ米大統領はアルカイダの拡散を指摘したNIEに同意する一方、イラク戦争によって米国が安全でなくなったとする解釈を拒否する姿勢を示した。大統領はまた、海外のテロリストを打倒することが米国を守る最善の方法だと強調した。

まさしくその通りだ。この報告書で一番大切な結論は、今すぐイラク撤退などという愚かなことをしてはいけない、イラク戦争には断じて勝たねばならない、ということだ。実際の報告書の内容は最初に漏えいされた内容とはかなりくい違うものであったことが読者の皆様にもよくお分かり頂けたと思う。
やはり中間選挙に向けて民主党がより優勢になるよう計算づくの漏えいだったのだろう。だが、ブッシュ大統領が中身を素早く公開してしまったため、「切り捨て遁走」を唱えている民主党にとって、かえってこれは逆効果になってしまったのではないだろうか。
関連ブログ記事:

「イラク戦争の勝利が決め手」ブッシュの反撃記者会見!

イラク戦争はテロを悪化させたのか?


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「イラク戦争の勝利が決め手」ブッシュの反撃記者会見!

昨日のアメリカ情報機関報告書(NIE)が一部漏えいされ、ニューヨークタイムスなどが、イラク戦争がテロを悪化させたと結論付けていたことに対して、私は色々書こうと思っていたのだが、今朝のブッシュ大統領とアフガニスタンのカルザイ大統領との合同記者会見での発言で私がいいたことをすべて聞いたので、二人の大統領の発言をここでご紹介しよう。一般公開されたNIEの内容については後ほど詳しく報告させていただく。

記者:4月のNIE報告書によれば、イラク戦争が世界中でテロ増発の燃料となったと結論付けられていますが、イラク戦争それでもなおかつイラク戦争のせいでわが国がより安全になったと主張されますか?
ブッシュ大統領:私は無論NIEの判断を読みました。そしてその結論に同意しました。なぜならそれは我々の対アルカエダ作戦が成功したことで、敵は弱体化し孤立したとあったからです。敵がイラク情勢を利用してプロパガンダの道具にし人殺しの仲間を勧誘してるときいても特に驚きません。
人によっては報告書の内容を想像してイラク戦争が間違いだったと書いてあるかのように結論付けましたが、それには全く同意できません。 全く甘い考えだと思います。アメリカ国民を殺そうとしている人々を攻めることがアメリカをより危険な状態にしているなどという考えは間違っています。テロリストたちがイラクで戦っているのには理由があるのです。彼等はイラクの民主化が進むのを阻止しようとしているのです。彼等が同じようにアフガニスタンで民主化が育っていくのを阻止しようとしているように。そして彼等はこれらの戦争を勧誘の道具につかっているのです。なぜなら彼等には何がかかっているかがわかっているからです。その大切さが分かっているからです。彼等はイラクで負けければ何が起きるか知っているのです。
いいですか、我々がイラクに侵攻しなければ過激派が過激な運動に参加する可能性が低かったなどというバラ色のシナリオを考えるのは、過去20年の経験を全く無視してるとしかいえません。9月11日の攻撃当時、私たちはイラクにはいませんでした。何千というテロリストが(カルザイ大統領に向かって)あなたの国の訓練キャンプで訓練を受けていた時、我々はイラクにはいませんでした。1993年に貿易センターへの最初の攻撃があった時我々はイラクにいませんでした。 コールが爆撃された時も、ケニヤとタンザニアが爆破された時も、我々はイラクにいませんでした。我々がイラクに行っていなければ、彼等は何かほかの口実を探したでしょう。なぜなら彼等には野望があるからです。彼等は自分達の目的のためには誰でも殺すのです。
過去にオサマビンラデンは、サマリアを口実に使って彼等の聖戦運動に加わるように説得しました。また時にはイスラエルとパレスチナの紛争を口実にしました。彼等は聖戦運動にとって便利なようにあらゆる勧誘手口を使ってきたのです。
我が政府はどのような手段をつかってでも本土を守り抜きます。 我々はわが国の攻撃を阻止するどのような口実をも使わせません。アメリカを守る最善の手段は外国で殺し屋たちと立ち向かうことによって、本土で立ち向かわなくてもすむようにすることです。我々は敵の嘘やプロパガンダに我々の勝利を左右させるようなことはさせません。
さて、NIEについてですが、この報告書は4月に結論が出ていたものです。しかも結論の資料となったのは今年の2月の終わり現在の情報です。それなのにその発表がいままで延ばされて、この時期、中間選挙を目前にして新聞記事の第一面にでかでかと掲載されたというのは興味深いとは思いませんか? 誰かが 政治的な目的でこの情報を漏えいしたのです。
私は本日情報局(DNI)のジョン·ネグラポンテと話ました。政府が秘密情報が漏れる度に情報を公開するのは決して好ましいことではないのですよ。それをやると良い情報を集めにくくなるわけですからね。長年この仕事についてるひとなら分かるでしょうが。しかしまたしても誰かが大切な情報を漏えいしてしまいました。私はこれは選挙運動中にアメリカ市民を混乱させるための故意の漏えいだと判断します。
ですから、私はDNIにこの書類を一般公開するように命じました。どうぞご自分でお読みください。そして政治的な目的で誰かが敵の性質について混乱させようとしている意見や憶測を止めたいと思います。ですからDNIのネグラポンテに言ってなるべく早く秘密書類の指定からはずしてもらいます。氏が大事な点を公開しますからご自分で読んで判断してください。(略)
カルザイ大統領: 我が兄弟ムシャラフ大統領について語る前に申し上げます。テロリズムは9月11日のずっと前から我々を傷つけていました。大統領がいくつか例をあげられた通りです。これらの過激派勢力はアフガニスタンやその近隣で何年も人々を殺していました。彼等は学校を閉鎖し、聖廟を焼き、子供たちを殺し、ぶどうの房がついたまま、ぶどうを根から引き抜き、国民を貧困と悲惨な目にあわせてきました。
彼等は9月11日にアメリカにやってきました。しかしその前から彼等はあなた方を世界のほかの場所で攻撃してきました。 我々はアフガニスタンで彼等が何者で、どのように我々を傷つけるかを見た目撃者です。あなたがたはニューヨークの目撃者です。お忘れですか、飛行機が突入し、80階や70階から人々が飛び下りたのを。 あんな高いところから飛び下るのがどのようなことだったのか想像できますか? それを誰がやったのですか?  そして彼等に立ち向かう以外にどうやって彼等と戦うのですか、どうやって彼等を取り除くのですか。彼等がまた我々を殺しにくるのを待っていろというのですか? だから我々は世界中でもっと行動しなければならないのです。アフガニスタンで、世界中で彼等過激派とその仲間も一緒に敗北に追いやるまで、

我々の行動がテロリストの行動に影響を与えるのは当たり前だ。だが、だからといってなにもしないという姿勢が得策などであるはずがない。第一、テロリストの反応に踊らされて文明社会がびくびくと脅えながら暮らしていくなど私はまっぴらごめんである。
さてこれについてワシントンポストでロバート·ケーガンが良いことをいってる。(Mike Rossさん紹介)
ケーガン氏は、我々の行動が将来誰かをテロに追い込むとわかっていたとして、我々はどうすべきなのかと問いかける。そういう場合我々は常に行動を自制するべきなのだろうか、それともそのまま行動を進めるべきなのだろうかと。例えば1991年の湾岸戦争後アメリカ軍がサウジに駐留したことでオサマビンラデンがかなり怒ったことはよく知られている。それが彼のアルカエダを使ったアメリカへの攻撃につながったことは確かだろう。だが、だからといって我々はイラクのクエート侵略をみすみす指をくわえて見ているべきだったのだろうか? 1970年代から80年代にかけてアフガニスタンのムジャハディーンがソ連と戦うのを援助したことで、イスラムテロリスト勢力の土台を強化したことも無視できない。
しかしだからといって、これらの我々の行動は間違っていたといえるのだろうか。もし我々がソビエトをアフガニスタンから追い出す手伝いをしなかったら、世の中はより平和だったといえるのだろうか? フセインのクエート侵略を阻止しなかったならばどうだろう。
第一、どの行動が我々をより安全にするかという質問には単に新しいテロリストの数を数えるだけでは答えられないと氏は語る。

私はアメリカの外交が我々の行動がどのように怒りや過激化や暴力を促進するかという恐怖によって左右されることを恐れる。過去にそうであったように、我々が判断する際計算にいれるべきことは、何が我々をそして世界をより安全にするのかしないのか、それだけのはずだ。

ケーガン氏も述べている通り、イラク戦争によって多くの人がテロに走ったからといって、それが世界をより危険な状態にしたと結論付けることはできない。確かにイラクの戦場で経験を積んだテロリストがその技術を生かして自国で悪さをするという可能性はあり得る。だが、イラク戦争で技術を磨いているのはなにもテロリストだけではない。2003年の時点で世界最強といわれたアメリカ軍だが、2006年のアメリカ軍には到底およばないのである。
それにテロリストたちがイラクで成功したなら別だが、イラクで大敗したならば、自国へ帰るまえに多くのテロリストが殺されてしまうということのほかに、失敗した作戦をそのまま持ち帰ってテロを続行するかどうかも疑問である。イラクでの敗北に士気を失うという可能性も十分にあり得る。
単にテロに走る若者が増えたから世の中がより危険になったという考え方はあまりにも短絡的すぎる。もっとも公開された報告書の内容はそんな単純なものではないようだ。
次回は問題の報告書の内容について語りたい。


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イラク戦争はテロを悪化させたのか?

アップデート!最後を参照!
この週末旅行をしていてブロギングができなかったので、コメントをいただいたみなさんに返答できなかったことをお詫びします。特にsouさんのコメントの承認が遅れたことをお詫びします。
さて、コメンターのsnoozyさんがご心配されている、イラク戦争がかえってテロを悪化させたというアメリカ情報機関NIEの報告書だが、このことについてはこちらでもニューヨークタイムスやワシントンポストが報道している。
まずは読売新聞の記事より。

「イラク戦争でテロ問題悪化」米情報機関が機密報告

【ワシントン=貞広貴志】中央情報局(CIA)など16の米情報機関が、国際テロの動向とイラク戦争の関係を分析した機密報告をまとめ、「イラク戦争は、全体としてテロの問題を悪化させた」と結論付けていたことがわかった。
24日付の米紙ニューヨーク・タイムズが報じたもので、ブッシュ政権の「対テロ戦争で世界と米国はより安全になった」という公式見解を情報機関が否定する形となった。
同紙によると、「世界規模でのテロの傾向」と題した機密報告は、政府機関内での激論を経て今年4月にまとめられた。国際テロ組織「アル・カーイダ」とその関連組織を核としていた勢力が、アル・カーイダ指導部とは直接のつながりを持たない「自己派生」の細胞組織へ変ぼうしてしまったと分析。
また、「イスラム過激主義は、衰退しているというよりも拡大している」と指摘した。
(2006年9月25日2時1分 読売新聞)

私はこの記事には二つの問題点があると考える。
先ず第一にNIEの報告書は秘密書類であるため報告書そのものは一般公開されていない。よってこの報告書の内容はNYTの説明に頼るしかなく、実際の内容をを確認することができない。これまでに何度も意図的に虚偽の報道をしてきた前科のあるNYTの記事なのでそのまま鵜呑みにするのは危険である。
第二に、もしNYTの説明が正しかったとしても、イラク戦争後にテロ活動が悪化したからといって、その原因がイラク戦争にあったという根拠にはならない。
ではNYTの記事から少し抜粋して考えてみよう。(訳:カカシ)

書類ではイラク戦争が世界的な聖戦運動に及ぼした影響についてはほんの少ししか述べられておらず、「イラクで進行中の自由への戦いはテロリストの戦意を奮い起こすプロパガンダとして歪曲されてしまった」とある。
報告書ではイラクで戦ったイスラム過激派がそれぞれの国へかえって「国内での紛争を悪化させる、もしくは過激な思想を設立させる」恐れがあると語る。
概要は過激なイスラム運動がアルカエダの中心から、アルカエダ指導層によって刺激され「自発的に生まれ」ながら直接オサマビンラデンや上層部との関連のない新しい部類のグループを含む提携した集団へと拡大したと結論付ける。
報告書はさらにインターネットがどのように聖戦主義思想を広める役にたったかを分析し、サイバースペースによってテロリスト工作がもはやアフガニスタンのような地理的な国々だけに限られないことを報告している。

テロリストの活動がアルカエダの中心からインターネットなどによってジハーディストの思想に共鳴する直接関係のないグループへと拡大したのは事実でも、それとイラク戦争とどういう関わりがあるのだろうか? イラク戦争によって反米意識が高まりジハーディストの士気があがったという理屈なら、911でアメリカがなにもしなければ、世界中のジハーディストたちが、アメリカの弱腰に元気つけられて活動が活発になったという正反対の理屈も可能だ。
イスラム過激派によるテロが悪化したことがイラク戦争のせいだというのであれば、イラク戦争がなかったらこれらの事態はおき得なかったということを証明する必要がある。だがNYTの記事ではそのような証明は記述されていない。それどころか歴史的事実がこの結論付けを完全に裏切っているといえる。
イスラム過激派の活動が活発になったのは、なにもイラク戦争開始の2003年に始まったことではない。1979年のイラン宗教革命以来、イスラム過激派によるテロ行為はあちこちで起きていた。特にジハーディストの活動が目立ってきたのはソ連によるアフガニスタン侵略以後だといえる。持ち前の資金を使ってアフガニスタンで武器調達などに貢献したビンラデンの権威があがったのもこの時期だ。
国連がイラクのクエート侵略を阻止したとはいえ、フセイン政権が存続したためクリントン前大統領の無行動によりフセインの勢力は湾岸戦争後完全に回復し、より手強い敵となってしまった。上院議会の報告書がなんといおうと、イラク国内でアルカエダがザルカーウィを筆頭にすでに訓練キャンプをつくっていたことはどの国の諜報機関も認めていることだ。アメリカがフセイン政権を倒さなければこれらのキャンプがイラク政府の協力を得てより手強いテロリスト養成所となっていただろうことは容易に想像できる。
しかもフセインは大量破壊兵器の開発への野心を全く捨てていなかった。国連による経済制裁は事実上終わりに近付いており、数年後には生物、化学兵器はおろか、核兵器ですら所持する国家になったであろうイラクにおいて、このようなテロ集団が自由に行動することを考えた場合、イラク戦争がなかったら、テロ活動が悪化しなかったと結論付けることなど絶対にできない。
第一、アルカエダのリーダーであるオサマビンラデン自身が911でアメリカ本土に戦いを挑んだ理由として、アメリカのそれまでのテロ行為に対する及び腰に勇気づけられたと語っているのである。アメリカは弱い、アメリカは反撃しないと、ビンラデンはテロ直後のアメリカ軍のレバノンやサマリア撤退、そして数々のテロ行為に対してアメリカの無策をあざ笑った。
つまりアメリカがテロ行為に反撃しなかったことが、テロリストの戦意を高めたともいえるのである。とすれば、イラク戦争がテロを悪化させたというこの理屈がどれだけ中身のないものかが分かるというものだ。
アメリカの中間選挙をひかえ、都合良くこういう報告書がNYTによって漏えいされるというタイミングも十分に考えるべきである。
アップデート:
今朝ブッシュ大統領はアフガニスタンの大統領との合同記者会見でNIEの報告書を一部公開することを発表。すでに発表されたので、後でコメントします。乞うご期待! 


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911陰謀説についてひとこと

私は世の中に陰謀が全くないなどとは思っていない。かくいう私もヒズボラの陰謀をここで何度か書いている。911などは前代未聞のアルカエダによる陰謀だった。

しかしみなさんもご存じの通り、911はブッシュ大統領とイスラエルの諜報機関モサドの陰謀だったなどというひとたちが絶えない。俳優のチャーリー·シーンなど政府は事実を隠ぺいしているなどと恥も外聞もなく公言している。「どうして第7棟がくずれたんだ!」「なんで南棟は自由落下の速度で崩壊したんだ!」など自由落下の方程式すら知らない人間がまことしやかに知ったようなことをいう。

だが、もし読者諸君がこのような陰謀説を唱えるひととの議論に巻き込まれたら、こういう枝葉末端につきあってはいけない。なぜなら貿易センターがどんな速度で崩れたかなんてことはアマゾンの大森林のなかで一枚の葉っぱの色がおかしいからここはジャングルではないと言っているのと同じくらい意味のない議論だからだ。

昨日紹介した911ドラマの話でも書いた通り、911の陰謀はブッシュ大統領政権発足と同時に始まったのではない。少なくとも1993年の2月以前から貿易センター破壊計画はラムジー·ユーセフというイラク人によって計られていたのである。クリントン大統領の就任が1993年の1月であるから計画はパパブッシュの時代にまでさかのぼる。1993年から2001年に至るまで911への計画は至る所で部分的に知られていた。アメリカ国内だけでもCIA, FBI, 移民局、農業局、関税、地方警察、地方空港の管制塔、民間の飛行訓練所、などなどで911に関わった同じ人間たちの名前がその不振な行動からあちこちで何年にもわたって取りざたされていた。これらの人間がビンラデン率いるアルカエダと絡んでなにか大掛かりなテロを企んでいることは世界中の諜報部が集めた様々な情報によって予期されていたことなのだ。

ただ当時のアメリカではそれぞれの諜報機関が情報交換をするということが法律上禁じられていた。911が起きるまでCIAとFBIが情報を共有していないという事実をブッシュ大統領は知らなかったというお粗末な展開があったほどだ。だからそれぞれの機関がもっていた一片一片の情報はそれだけでは意味のないものだった。911事件が起きて初めて、その片が膨大なジグゾーパズルのどの部分にあてはまるかがはっきりしたのである。その時無数の諜報機関がそれぞれ持っていた細い情報がやっと全体像のなかで意味のあるものとなったのだ。無論ときすでに遅しだったわけだが、、

ということは、もし911がブッシュ大統領の陰謀だったとしたならば、ブッシュ大統領は自分が大統領になる9年も前からこの同時多発テロの計画をたて、これらの細い証拠をアメリカ中、いや世界中にばらまいていたということになる。しかもジョージ·W·ブッシュはこの時大統領になれるという保証など全くないただの一般市民だった。一介のアメリカ市民が現政権に全く悟られずにイスラエルの諜報機関と共謀してアメリカ市民大量殺害の陰謀を企むことが可能だったはずがない。この時期クリントン大統領は動機はどうあれパレスチナとイスラエルの関係を正常化しようと多大な努力をしていた。こんな大事なときにイスラエルが二期に渡る政権をさしおいて前の大統領のどら息子のいいなりになる理由がない。第一、911事件がイスラエルにとって何の得になるというのだ?
もしクリントンもこの陰謀に加担していたというなら別だが、そうなってくるともうこの話はファンタジーの世界だ。

こうして考えてみると911自作自演説は貿易センターがどう崩れたとか、ペンタゴンに突っ込んだのは旅客機ではなくミサイルだったとか、くだらない説を唱えるまえに、計画の段階で完全に不可能だったことがわかる。

昔、私の大学の教授がこんな話をしてくれた。時々春先になると自称発明家と名乗る人間が「永久作動機械」を発明したといって持ってくるという。そんな時教授はすぐさま出口を案内するが、発明家は決まっていう。「でも教授!まだ私の発明をみてないじゃないですか?!」教授は発明家の肩に手をまわし出口に促しながら微笑む。「そのとおり。その必要はありません。」


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