中国人ユーチューバーの嫌がらせを巧妙なやり方で撃墜した中華料理屋

数日前に東中野の中華料理店が店先に「チャイナウィルス予防のため中国人お断り」と貼り紙をし、それをみた中国人ユーチューバーが腹を立てて店内に入って大声で店主を怒鳴りつけ、その様子をビデオにとってネットに掲載した。それを見た他の中国人ユーチューバーたちも便乗して店におしかけ嫌がらせを始めたので店主は店を一時休店してしまった。

それに同情した台湾人のネットユーザーたちが、中国人を近づけたくないなら香港独立を応援するメッセージや習近平を熊のプーさんに例えるメッセージなどを張ればいいよとアドバイスをしていた。

そして本日、なんと店主はこのアドバイスを受け、店先に習近平の顔をした熊のプーさんの絵を店先に貼った。これを観た例の中国人ユーチューバーはそのポスターの前で激怒のビデオを撮影してアップしたのだが、ここからがおもしろい。

中国では香港独立を応援したり、熊のプーさんの絵をネットに上げることが禁止されている。それで、中国ユーチューバーは店に抗議のつもりで動画を撮ったのだが、動画にプーさんの絵が写っていたため、中国ネットでは動画が削除されただけでなく、今度やったら彼のソーシャルメディアのアカウントはすべて永久凍結されると警告まで受けたというのだ!

おかげで店主に嫌がらせをして再生率を稼ごうとしていた他のユーチューバーたちも店に来れなくなってしまったのだ!何という妙案!

ところでもし動画に実際にプーさんの写真が写っていなかったとしても、そんな店に行ったというだけでアウトなんだそうだ。だから例え嫌がらせが目的でも中国人ユーチューバーは店内にはいったり店の前で大声あげたりすることさえできなくなったと言うわけである。素晴らしい!

私は「○○人入店お断り」という方針は全く好きではない。だが店主には誰を入れるかの判断は出来るべきだと思う。それにだ、中国では外国人お断りの店はいくらもある。「犬と日本人お断り」なんてサインもいくらもある。コロナ禍ではアフリカ系外国人をホテルから追い出したり、レストランでは白人の奥さんと一緒にきた中国人男性に奥さんだけ外で食事しろと命令したなんてこともあった。なので、中国人お断りと言われたからといって怒れた義理ではないのだ。


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左翼リベラルは右翼保守を理解してない、マット・ウォルシ批判を観て感じたこと

デイリーワイヤーのレイディーボーラーズの批評を色々観ていたら、女性自認の男性ユーチューバー二人の動画を発見した。二人ともそれぞれ一時間近くかけて映画をこき下ろしていたが、この二人に共通しているのは彼等がまるで右翼保守の思想とはどういうものなのか理解できていないということだった。

Dead DomainというチャンネルはわざわざDWに年間100ドル以上もする会費を払ってメンバーになり、DW制作の子供番組を全部みるなどの執着ぶり。特にマット・ウォルシに対する執念はすごいもので、10年以上も前にさかのぼってマットのブログを何十ページも読み漁り彼が20代の頃にやっていたラジオ番組を聴くなど非常に研究熱心である。名前が解らないのでチャンネル名からドメインと呼ばせてもらおう。

ドメインは自認女性トランスジェンダーの男性である。長髪で化粧をしているが声からも容姿からも男性であることは一目瞭然。彼は自分の肩に自信があるらしく、何かと肩を露出する服を着ているが、単なるタンクトップなどではなく、その上からショールを羽織っておいて時々それをずらして肌を露出する行為が非常にいやらしく気になる。見せるなら見せる、隠すなら隠すで統一して欲しい。この仕草はどうでもいいようで実はステレオタイプの女性の仕草に見えて非常に反感を覚えた。

ドメインは映画批判にしろマット批判にしろ色々研究している割には何も理解出来ておらず非常に表面的だなという印象を受けた。ドメインのそれぞれ一時間近くにわたる批評動画を観ていて感じたことは、彼は一旦批評の対象を「○○フォーブ」「○○差別」と決めつけると、それ以上の深堀をしないということだ。

マットの書いたものや話の内容を10年以上も遡って調べた割には、結局マットは昔からトランスフォーブだったという結論しか出していないのだ。マットが何故ドメインの言う「トランスフォーブ」の考えを持っているのかとういことにはまるで興味がないらしい。私から言わせればマットは昔から一貫しているというだけであり、それ自体が悪いとは思えない。彼はカトリック教徒であり、その教えに忠実に従っているだけだ。

私がマットの名前を始めてみたのは2015年のことである。当時5歳の娘を男の子として育てているというウィティントン夫妻の話を調べていた時に彼のブログに遭遇したのだ。

アメリカメディアにはこの夫妻のしていることが幼児虐待だと指摘するものは居ないのか?そう思って色々さがしていたら、ようやく一人私と同じことを書いてるマット・ウォルシという男性のブログを発見した。

マット曰く、この年頃の子供は親の言うことはほとんど本当だと信じ込む。だから親に言われれば、太っちょの白ひげの赤い服を着た爺さんが暖炉の煙突から毎年一回贈り物を届けにくるなんて話しも簡単に信じる。

このウィティントン夫妻は色々なメディアで取り上げられているが、つい最近もフォックニュースが好意的に報道していた。娘は思春期ブロッカーと男性ホルモンのせいで13歳の今は男の子のような風貌になっている。

結局マットは昔から子供の性転換治療に反対しているのであり、ポッドキャストで人気者になる前から各地の市議会や教育委員会に行って子供へのトランス洗脳教育をやめさせようと熱心に運動を続けて来た。今彼が住むテネシー州を始め多くの州で子供のトランス治療が見直しされているのも、彼の功績であるといっても過言ではない。それまでにもアメリカ国内で子供の性転換への批判はあるにはあったが、彼のように実際に実行している病院の内部会議を暴露したり、自分のプラットフォームを使ってアメリカの小児科の実態を多くの人に拡散したのは彼が最初だろう。そして彼の「女とは何ぞや」ドキュメンタリーの影響は多大だ。

だからマット・ウォルシを語るなら、彼のそうした運動に焦点を当てるべきなのにもかかわらず、ドメインはマットの人柄を批判することに終治している。もし彼を本気で批判したいなら、単にトランスフォーブと言っておしまいにするのではなく、彼の運動の何がいけないのかについて語るべきだ。5歳の子供をトランスさせるべきではないということの何がいけないのか、そこから始める必要がある。

マットが社交的ではないことや、トークショーで感情的になったなどということは、はっきり言ってどうでもいいことだ。彼の話かたよりも彼が何を話していたか、その内容を批判すべきだ。

ドメインが理解できないのは、右翼保守の多くがトランスジェンダリズムに異論を唱える理由である。我々がTGイズムを受け入れられないのは、それが嘘で成り立っている概念だからだ。マットはドメインが批判していたドクターフィルの番組でも「もしこれが四角を三角だと認めろという話だったとしても私は同じように異論を唱える。」と言っている。ジョーダン・B・ピーターソン教授も本人が好む代名詞を使うことを拒否する理由は、嘘の強制に屈服できないからだと言っていた。

ところでドメインにしても、もうひとりのMtFユーチューバーにしても、レイディーの中の左翼リベラルの表現がステレオタイプすぎて如何に保守派がリベラルを理解していないかがわかると言っていたが、それも誤りだ。なぜなら映画のなかのリベラルのセリフはそのまま普段からリベラルが普通に言っていることだし、学校教育でも行われていることだ。学校の図書館にどんな本が置いてあるか、「性教育」の教材がどんな内容なのか我々はもう知っている。マット演じるヒッピーについても、髪の毛を紫に染めたトランスアライの動画が毎日のようにTikTokに上げられており、それに比べたらマットの演技は誇張どころかおとなしいくらいだ。

レイディーの中で女性の振りをすることに慣れ過ぎて、自分が女なのではないかと考え出すキャラクターが出て来るが、それに対する主役のコーチの反応は、彼の混乱した精神を治療するためにいくらでも協力はするが彼を女だと認めることはできないというもの。それに関してもドメインらは「何故彼がトランスだと肯定してやらないんだ」と問いかけていた。なぜってそれは、我々はTGイズムを認めていないからだ。性違和は精神の病気でありカウンセリングなど治療が必要だと考えるからだ。本人の妄想を肯定することは本人のためにならないと思うからだ。そんなことも理解できないのか?

ドメインらTRAはTGイズムにドップリつかりすぎているせいで、自分らが一般のひとたちからどういうふうに見られているかを知らないのである。だからデイリーワイヤーによる描写が極端だとか誇張している風に見えるのだろう。そしてそれはDWがトランスフォーブだからだという結論だ。

考えが浅すぎる。


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眼瞼下垂矯正手術とルッキズム

私は一週間ちょっと前に眼瞼下垂矯正手術を受けた。この話はを特にするつもりはなかったのだが、今日ひょんなことから眼瞼下垂の手術を数年前に受けて失敗しあまりにひどい後遺症に悩んみ苦しんだ末、自殺したMさんという女性の10代のお嬢さんが、Mさんのアカウントでお母さまの死について語っておられるのを読んで非常に心が痛んだ。自分もこの手術を受けたばかりだったので、何か他人事とは思えず、亡くなったお母さまの過去ログを少し読んでみたのだが、かなりお悩みだったようだ。御冥福をお祈りしたい。

さて、私の手術の話を簡単にすると、3か月くらい前に私の右目から涙が止まらなくなったのがきっかけだ。実は数年前に左目が同じ問題を起こした。原因は涙腺が詰まって鼻へ涙が流れなくなり、外へ溢れるようになったのだ。これは特に珍しいことではなく、涙腺を開く手術をすれば数週間で治る。左目の時は原因が解らなかったので大分ひどくなるまで放置してしまったのだが、右目の時はすぐに察知して専門医に行き即手術となった。しかしその時に専門医から眼瞼下垂が酷いから、これを治す手術が必要だと言われた。簡単な手術で眼科医で局部麻酔だけで出来ると言われたので、12月のはじめに手術を受けたのだ。

医者の言う通り措置そのものは15分くらいで終わった。瞼をちょこちょこっと縫っただけで雑巾の運針より簡単だった。ただその後の腫れはひどく最初の2~3日は薄目しか開けられず、しかも目を開けると目がしょぼしょぼして痛いのでPCの画面も観ることができなかった。それでブログエントリーもXもお休みし、もっぱらオーディオブックを聴いて過ごした。

もう一週間が経ったので腫れはほとんどなくなったが、まだ瞼は紫と黒に染まっており、何かどぎつい化粧をしているように見える。このままどんどん腫れは退くと言う話だ。数年ぶりにちゃんと目が開く状態に戻るのだったらいいのだが。

Mさんの過去ログを読んでみると、彼女が受けた手術は私と同じ手術ではなく、瞼を一部切り取って目を大きく見せる美容整形だったようである。最初の医師が皮膚を取り過ぎたせいで、彼女は瞼を完全に閉じることができなくなり、あちこち痛みを感じ視力にも影響が及んだという。修正のため何度か手術を受けたがその度にさらにおかしくなってしまい、どんどん落ち込んだようである。お嬢さんから言わせると見た目は本人がきにするほどひどい状態ではなかったという。だが本人には欠点ばかりが気になったようだ。確かに手術の失敗はあったのだろう。目の痛みもあったのだろう。だが、もっと深刻な持病を持っている人でも頑張って生きているし、Mさんに必要だったのは医療手当以上に精神の治療だったように思う。

これについてXでどなたかが自分は美人の妹と常に比べられて嫌な思いをしたと書いていた。それで危険な美容整形に走るひとはルッキズム(容姿差別)の犠牲者なのではないかというのである。確かに美を追求するあまり危険な整形をする人はいるだろう。だが、それはルッキズムのせいなのだろうか?

じつは私は子供の頃から自分の風貌に悩んだことがない。それは私はもともと美人だからというわけでは全くない。我が母は若い頃から高級化粧品のセールスをしていた。母はもともとおしゃれで化粧がうまかったのでこの仕事は彼女にとって最適だった。で、母は毎朝念入りにお化粧をするのだが(88歳の今でもやってる)朝起きた時の顔と化粧後の顔の違いに驚異的なものがある。それで私は幼いころから、顔なんて化粧をすればどうにでもなると思っていたのだ。

母のようなおしゃれ女性の娘なので妹も私も容姿に拘るかと思いきや全くそうではない。私はオフィス勤めなので一応化粧をしたりスーツを着たりして出勤していたが、出張先では現場で作業着を着てゴーグルをつけての仕事なので化粧などしてられなかった。妹も長年スーパーのパートをしているが、まるで化粧っけなどない。服も機能的なものばかりでおよそおしゃれなんてものではない。

はっきり言ってルッキズムなんてものが自分に圧力をかけるかどうかは、自分がそれをどのくらい気にしているかで決まると思う。自分がブスだと思いそれを非常に気にしている場合は、周りからブスだと言われたら傷つくかもしれない。だが自分の容姿に無頓着な人はブスだと言われたからといってさほど気にならない。自分にとって大切な人から綺麗だと言われればそれでいいのだ。他人からどう思われようと別にどうでもいい。

私は美容整形が悪いとは全然思っていない。もし危険性の低い手術で自分が気になる点を治せるのならそれでいいと思う。だが整形はあくまでも整形なので、必ずしも自分が思っていたような結果が得られるとは限らない。それでもいいのなら踏み切ればいいと思う。容姿で他人を差別するような人に自分を傷つけさせてはいけない。相手にそんな力を与えないためには、そんなことに気を取られなければいいのである。


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メッセージに負けないコメディ、自称男子の女子スポーツ参加をおちょくった映画レイディーボーラーズ

ベン・シャピーロやマット・ウォルシの保守派ポッドキャストプラットフォームのデイリーワイヤー(DW)社が本格的にコメディ映画を制作した。DWの共同創設者であるジェラミー・ボーリングが脚本・演出・主演をこなしている。

ボーリングという人は凄い人で、これまでにも自分らの番組から手をひいたスポンサーに立ち向かって「ジェラミーレイザー(髭剃り)」を売り出したり、女性週間にトランス女性をモデルにしたハーシーズチョコレートに対抗してHe/Sheチョコレートを発売するなど面白いことをやってきた。またここ数年マット・ウォルシの「女とは何ぞや」などドキュメンタリーやSFやウエスタンやミステリーなどのフィクション映画も手掛け、最近は子供向けのテレビ番組も始めた。DWは保守派メディアとしてどんどん企業拡大を目指している。

今作品は低予算でかなりの短期間で制作された映画であるし、普通のハリウッド俳優は出演したがらないこともあり、演技経験が有る無しに関わらず、デイリーワイヤー出演者総出の配役である。それでかなり素人感のある映画なのではないかと思われたが、意外や意外、結構おもしろかった。

あらすじ:かつて高校のバスケチームを全国大会で連続優勝させる輝かしい業績を持つコーチ・ロブ(ジェラミー・ボーリング)だが、15年後の今はすっかり落ちぶれ、まるでやる気のない高校生チームのコーチ。しかも、今やポリコレの高校では昔のような厳しい訓練は受け入れられず生徒を厳しく説教をしたため、その仕事さえも首になってしまう。コーチ・ロブは私生活でも妻のダービー(レキシ―・コンターシ)とは離婚裁判中。そんな彼がひょんなことから国際選手権の出場資格が一般公募になったことを知り、多様性・平等・包括規則の抜け穴を悪用し、かつての高校バスケチームメンバーを集めて男子のみの「女子チーム」を結成し国際選手権に挑む。==

お察しの通り、この映画は男子が自分は女子だといって女子競技に参加することのバカバカしさをテーマにしたものだ。保守派のDWが制作したとあって保守的なメッセージが前面にでてお説教じみた映画になるのではないかと思ったが、そんなことはなく結構コメディーとして成り立っている。最近の高予算のポリコレ映画なんかよりもよっぽど説教じみてない。

映画全般にトランスジェンダリズム推進者たちの言説が満載されているため、ちょっと詰め込み過ぎの感はある。ただ彼等の主張をこうやって並べ立てると、いかにトランスジェンダリズムそのものがパロディーであるかが顕著になる。

例えばコーチロブの10歳の娘ウィニー(ローズィー・サラフィン・ハーパー)が学校で女子自認男子のペニスをお手洗いで見せられたとか、それに抗議するコーチロブを娘がトランスフォーブと責めたり、資本主義が家父長制度の最たるものだなどと授業の内容を羅列するシーンは可笑しくて笑えるのだが、実際にこれが学校で教えられていると思うと笑ってもいられない。

また全員男子の「女子チーム」をメディアが担ぎ上げ、ネットで人気が出て「女子選手一日目」とかディラン・モルベイニーをおちょくったシーンも、ディランそのものがパロディーなだけに何とも言えない。

もちろん男子が女子のふりをして女子競技に参加するという話はこれまでにも何度も映画になっている。だが、この映画とそれらの映画の違うところは、それまでの映画では男子はあくまでも女子の振りをしており、彼等が男であると知っていたのはごく一部の人たちだけだったのに対し、この映画では誰が見ても男子と解る男たちが女子だと主張して競技に参加しているということだ。レイディーボーラーズの男たちは髭もすね毛も剃っておらず、どこからどう見ても男に見えるにもかかわらず、メディアが「衝撃的に美しく勇敢」と繰り返すことに誰も異論を唱えることができないのである。

コーチロブを誘惑し男子の女子チーム結成を企てる女性ジャーナリストのグウェン(ビリー・ラエ・ブランディト)は自分のジャーナリストとしての立場を利用し男子だけの「女子チーム」は美しく勇敢だという論説を押し通してしまう。ローカルテレビ局のアナウンサー、ドレイク(マイケル・ノールズ)とステーシー(ブレット・クーパー)は最初は男子は女子に比べ不公平に優利なのではないかとグウェンに質問しようとするが「トランスフォブ」と一括されてしまう。

この二人のアナウンサーたちがシーンを追うごとに自分らが如何にマイノリティーであるかをアピールするためにどんどん自分達の祖先が先住民であったことを強調しはじめインディアン酋長のような恰好に変わっていくのもおもしろい。

レイディーボーラーズのメンバーたちは最初は自分らがインチキをしているという罪悪感を持っているのだが、だんだんと周りのメディアなどに持ち上げられ、雑誌に載ったりインタビューを受けたり、また別の競技でも優秀な成績を収めるなどし始めると、だんだんと自分らのイカサマが気にならなくなっていく。それどころか突然訪れた名声に酔い始めてしまう。私はこれを観ていて、ディラン・モルベイニーも本当はパロディーのつもりで始めた「女の〇日目」動画が思わぬヒットをしてしまい、その一時の名声に酔っているのではないだろうか。

メンバーたちがだんだんと「自認女性」に慣れて来るのとは裏腹に、コーチロブは自分が始めたことであるにも関わらず、だんだんと罪悪感にさいなまれるようになる。娘のウィニーが「私も男の子になりたい。男の子は何でも女の子より優れてるから」と言い始めて、そんなことはないよ、と諭しながら、自分が如何に間違ったことをしているかを悟るシーンはちょっと感動する。

バスケチームの五人を演じるのは明らかにプロの俳優。中でもチームのエースであるアレックス(ダニエル・コンシダイン)と元タオルボーイで「女の子選手一日目」を演じるタイラー・フィッシャーの演技は光る。他の三人ジェイク・クレイン、ブレイン・クレイン、デイビッド・コーンは何故か役名と本名が同じ。ジェイクとブレインは兄弟を演じているが、もしかして本当に兄弟なのかも。長身のデイビッドはバスケを諦めて山男になっていたのをコーチロブらの説得で下界に戻ってくるが、この場面もかなり面白い。(後で調べたらクレイン兄弟とデイビッドは三人でDWでスポーツ関係のトークショー番組を持っており、大学時代はスポーツ選手だった。三人ともクレイン兄弟は185cmくらいでデイビッドは190cm以上の長身。ただし三人とも演技の経験はないそうだ。それにしては上手だな。)

プロの役者に混ざってDWのポッドキャスターたちもちょい役で出ているが、妻の新しい恋人役の超左翼長髪ヒッピーのクリス役のマット・ウォルシはじめ、ニュースキャスター役のマイケル・ノールズやブレット・クーパーそしてベン・シャピーロなど結構演技が冴えている。それもそのはず、主役のジェラミー・ボーリングもマイケル・ノールズもブレット・クーパーも昔役者を目指したことがあり全くの素人というわけではないのだ。シャピーロは役者ではないが、長年メディアで活躍しているだけあって結構いい味を出している。最後の方で自分はトランス女性なのかもと悩み始めるアレックスのカウンセラーとして、ジョーダン・B・ピーターソン博士がちょろっと登場したのには笑ってしまった。

低予算の独立映画なので、演技にしろ脚本にしろ、ところどころ「もうちょっと」と思うところはあるが、それでも結構まとまった映画になっていたと思う。ともかくずっと笑い続けられたのでコメディとしては合格点である。


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デザインと生活習慣の関係を知る、IKEAの茶碗が駄目な件

うちにあった茶碗が古くなり、いろいろ欠けたりしていたこともあり新しい茶碗に買い替えることにした。本来ならば日系の陶器屋に行ってきちんとしたものを買うところだが、別の買い物で行ったスエーデン系家具及び雑貨屋のイケア・IKEA(アメリカではアイキアと発音する)で可愛いお茶碗を見つけたので一揃い買って来た。しかしいざ使ってみて自分の間違いに気づいた。ご飯を入れて持ち上げると熱くて持っていられないのだ。何故?と思ってよくよくみたらお茶碗の高台(こうだい)と腰が繋がっており腰の熱を高台がそのまま伝達してしまっていたからだった

こちらネットで検索した茶道具のおはなしのサイトから引用。

茶碗の部位名称

茶碗に限らず、茶道具は博物館や美術館で比較的よく展示される美術品です。たいてい解説が付いていますが、このなかで各部位の名称が使われることも少なくありません。しかし、普段よく使う用語ではないため、聞き馴染みのないものも多いと思います。これを知っていると鑑賞のときに便利ですから、簡単にまとめてみました。

茶碗の部位名称

茶碗の部位名称

上記の写真を観ていただくと解るが⑧の高台は⑥の胴とは分かれている。この部位は別に作られて後から胴の下の部分付けられてから焼かれたことがわかる。高台は単にお茶碗を立たせるための脚ではなく、お茶碗を持った時に腰の熱が伝わらないように出来ている。ところがIKEAで買った茶碗は高台の部分は違う色に塗ってはあったが、明らかに腰の部分を引き延ばして台の形に作ったもので腰と一体になっており、続いているから熱もそのまま伝達されてしまい熱くて持っていられなくなるのだ。形もデザインも可愛いし見た目は普通のお茶碗なのだが機能性が全く違っていた。

小さい器を手に持って食べるという習慣は日本独特のものらしい。中国では道端の屋台で大きな丼鉢を持ったまましゃがんでお蕎麦を描き込んでいる人の様子を動画で見たことはあるが、普通食卓について食べる場合は食器を持ち上げるということは先ずしない。

韓国の鉄のお茶碗には高台部分はなく、お茶碗の底が平になって卓に置けるようになっている。鉄なので絶対持って食べられない。学生時代に韓国人の友達に「韓国人はどうやってあんな熱いお茶碗を持って食べられるの?」と聞いて、韓国ではお茶碗を持って食べる習慣はないと笑われたことがある。

無論西洋では食器を持って食べるのは完全にノーノ―である。だからスエーデン発のIKEAでは食器を持つための機能など考えも及ばなかったのだろう。

faviconIKEA

高台と胴と繋がっている茶碗

というわけなので、結局日系のお店にちゃんとしたお茶碗を買いに行くしかないだろう。「下手な近道遠回り」(トールキン著指輪物語より)


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ユダヤ人差別で明らかになるアメリカ左翼リベラルの偽善

アップデート:12月9日現在。ペン大学のマギル学長は学長の座から本日付けで辞任した。しかし教授としては学校に残る予定。

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数日前、フィラデルフィアにあるイスラエル移民経営のファラフルレストラン前で何百人というハマステロリスト支持者たちが集まり店主や定員たちを脅迫した。店主がイスラエル出身だからといって今回の戦争とは直接関係はない。外国に住む一レストラン経営者を脅して何の意味があるというのだ。それでもアメリカがイスラエルと戦争をやっていると言うのなら同意は出来ないが感情的には理解できる。だがアメリカとイスラエルは同盟国であり、バイデン政権は一応表向きはイスラエルの自衛権を支持しているのだ。

先日もニューヨークの高校でイスラエル支持の平和的な集会に参加したユダヤ系の高校教師が怒り狂う生徒達に追い詰められて自分のオフィスに何時間も閉じ込められるという事件が起きたばかりだ。

また毎年12月に来るハヌカ期間中にアメリカ各地の都市でミノラと呼ばれる大型燭台に一日づつ灯を灯す行事を行う伝統があるが、今年はこんな状況なので中立を保つためと言ってこのイベントをキャンセルする市が出てきている。しかしアメリカ在住のユダヤ教徒の行事とイスラエルの戦争とは直接関係ないはずだ。同じ民族だというだけで他所の国で起きている戦争のために国内のユダヤ人の行事をキャンセルするのは単なるユダヤ人差別である。

もちろんその理屈でいくなら、イスラエルの国策を批判したからといって、それは必ずしもユダヤ人差別にはならないはずだということになる。無論それはそうだ。しかしイスラエルのガザ攻撃を批判する人のなかで、ハマスのテロ行為を糾弾し人質の返還を唱えハマスによるロケット弾攻撃はやめるべきだと訴える人が全く見当たらない。単に罪のない人々がこれ以上犠牲になって欲しくないというのなら、ガザ民同様イスラエルの無実の民間人の犠牲に対しても同じように思いやりがあってしかるべきだが、そうはならないのだ。

日本でも毎日のように東京のイスラエル大使館の前でデモをやっている緑の党の議員のXアカウントでは、イスラエルに今すぐ停戦しろ、ガザ民攻撃をやめろ、といいながらハマスに対してロケット攻撃やめろ、人質返せとは一言も言わない。批判はすべてイスラエルに向けられる。なぜだろうか?

ユダヤ人差別は一応聞こえが悪いので、自分はシオニズムを批判しているのであってユダヤ人差別をしているわけではないと言い訳する人がある。これは昔からある詭弁だ。シオニズムとはユダヤ人がユダヤ教国家を持つことであり、シオニズムを支持しないということは、ユダヤ人に国家を持つなと言う意味だ。もし日本人に対して「日本人を差別してるわけじゃないけど、日本という国は存在すべきじゃないと思う、さっさと近隣諸国に土地を明け渡して日本人は永遠に流浪の民として暮らすべきだ」などと言われたら、日本人はどう思うだろうか?

議会におけるエリート大学学長たちの反ユダヤ人発言が波紋を呼ぶ

先日アメリカ議会においてマサチューセッツ工科大学、ペンシルベニア大学、ハーバード大学などエリート大学の学長たちが招かれ大学キャンパスで高まる反ユダヤ人運動に関して質問を受けた。一部学生たちによるユダヤ民族浄化を訴える言動について学校側はどう受け止めているのかという質問に関する学長たちの答えが波紋を読んでいる。

反ユダヤ主義に関する議会公聴会では、全員が宣誓の上で次のような質問をされた。

「ユダヤ人の大量虐殺を呼びかけることは、(あなたの大学の)行動規範や、いじめや嫌がらせに関する規則に違反しますか?」

これまでのアメリカエリート大学における反差別主義や多様性や平等や包括性といった主義から考えれば、この質問の答えは極めて簡単なはずだ。躊躇なく「イエス」と答えられるはずである。ところが、ゲイ学長、マギル学長、コーンブルース学長ら答えは口を揃えて「文脈による」という信じられないものだった。特定民族を浄化せよという言動を糾弾するのにいったいどんな文脈が必要だというのだろうか。

質問者のエリーゼ・ステファニック下院議員(共和・ニューヨーク代表)はその答えにショックを受け、同じ質問を何度も何度も繰り返した。特にこのステファニック議員とペン大学のリズ・マギル学長のやり取りは衝撃的だ。

マギル学長:それは文脈に頼る決断です。

ステファニック議員:文脈による決断、それがあなたの本日の証言ですか?ユダヤ民族の浄化を唱えることが文脈によると言うのですか?これが虐めでも嫌がらせでもないと言うのですか?これはもっとも簡単な質問ですよ。ミゲルさん。

マ学長:もし言論が行動に移れば嫌がらせとなり得ます。

ス議員:(声を荒げ感情的な言い方で)行動とは大量虐殺を行うということですか?

ジェノサイドとは「特定の国や民族を滅ぼす目的で、その国や民族の出身者を意図的に大量に殺すことである」。行動に移すということは大量殺戮をするということだ。実際に殺人行為に移さなければ大量殺戮を呼びかけても嫌がらせにならないというのか、はっきり言ってこれは校則以前に脅迫という違法行為ではないのか?

MIT大学のサリー・コーンブルース学長も単なる発言で特定の個人に向けたものでなければいじめや嫌がらせには値しないと答えた。

ス議員:ユダヤ民族浄化を唱えることはいじめや嫌がらせとみなされますか?イエスかノーですか?

コ学長:私はユダヤ民族浄化という発言はキャンパス内で聞いていません。

ス議員:でもインティファーダの音頭の声は聞いてますよね。

コ学長:音頭は聞いてます。それは反ユダヤと見なされる可能性はあります、文脈次第では。ユダヤ人殲滅を呼びかけるものであれば。

ス議員:ではこれはMITの行動規範の違反にはならないということですか?

コ学長:それは汎発(はんぱつ)的で激しいものであればその時は捜査されます。

何百という学生が徒党を組んでキャンパス内を練り歩き「インティファーダ、インティファーダ」と叫ぶ行為は汎発的で激しい行為ではないというのか?

ハーバード大学のクローディン・ゲイ学長の答えも同じようにひどい。ユダヤ民族浄化を唱えることはハーバード大学において虐めや嫌がらせと見なされるのかという質問にたいし、

ゲイ学長:文脈によってはなり得ます。

ス議員:どのような文脈ですか?

ゲ学長:個人的に標的にされた場合です。

ス議員:ユダヤ系学生が標的にされています。ユダヤ人学生個人に向けられています。あなたは自分の証言がどれだけユダヤ人を非人間化しているかお分かりですか?

普段から、やれセーフスペースだあ、マイクロアグレッションだあ、正しい代名詞を使わないのはヘイトスピーチだあ、ハロウィンで黒塗りするのは黒人差別だあ、などと大騒ぎしている大学が、あからさまにユダヤ民族浄化を唱え大勢でユダヤ人学生を威嚇し脅迫し時には暴力を加える行為を、虐めとも嫌がらせともみなさないというのはどういう理屈だ?実際に大学構内でユダヤ人学生の虐殺でも起きない限り問題ないとでもいうのか?

この公聴会の様子を見ていて私は腸が煮えくり返る思いだった。単に彼女達がステファニック議員の質問にイエスかノーかで答えないだけでなく、議員の目も見ずにあらかじめ用意して来た書類を見ながらハンコを押したように「文脈による」と同じ言葉を繰り返し、だんだんと腹を立て声を荒げるス議員を嘲笑するかのような笑みすら浮かべているのだ。

この公聴会の三分間のやり取りは保守派メディアだけでなくCNNやMSNBCなどのメディアでも報道され激しい批判が集まった。翌日に三人はそれぞれ弁明の声明文を出したが、特にペン大学のマギル学長はビデオで謝罪と訂正を発表した

昨日の反ユダヤ主義に関する議会の公聴会で、本学のキャンパスでユダヤ人の大量虐殺を呼びかけることは、本学のポリシーに違反するのかと問われた瞬間があった。その瞬間、私は、言論だけでは罰せられないという合衆国憲法に沿った本学の長年の方針に集中していた。ユダヤ人大量虐殺の呼びかけは、人間が犯しうる最も恐ろしい暴力の呼びかけであるという反論の余地のない事実に、私は目を向けていなかったが、向けるべきだった。 それは悪であり、単純明快だ。

はっきりさせておきたいのは、ユダヤ人大量虐殺の呼びかけは脅迫的であるということだ。何世紀にもわたってポグロムと憎悪にさらされ、ホロコーストで大量虐殺の犠牲となった人々を、意図的に恐怖に陥れるものだ。私の見解では、これは嫌がらせか脅迫である。何十年もの間、ペンシルバニア大学の複数の学長の下で、そしてほとんどの大学と一貫して、ペンシルバニア大学の方針は憲法と法律に導かれてきました。今日の世界では、ここ数年見られなかったような形で、憎悪の兆候がキャンパスや世界全体に拡散しているのを目の当たりにしており、これらの方針を明確にし、評価する必要がある。ペンシルバニア大学は、私たちのポリシーについて真剣かつ慎重な検討を開始する必要があり、ジャクソン・プロボストと私は直ちにそのためのプロセスを招集します。

私は学長として、私たちのコミュニティのすべてのメンバーが成長できるよう、安全、安心、そして協力的な環境を約束します。私たちはこの問題を解決することができますし、必ず解決します。ありがとうございました。

言論の自由という概念に集中していたせいで、ユダヤ人虐殺がいけないという概念に考えが及ばなかったというのか?なんという情けない言い訳だ。はっきりさせておかなければならないのは、これらの学長は先日議会に呼び出されることは一週間も前から知っており、大学のPRコンサルタントや弁護士と事前に相談してから出席したのだ。つまり彼女たちは議会でどういう発言をするのかあらかじめ決めていたのだ。にもかかわらず後で弁明しなければならないような恥かしい証言をしてしまったことを、単なる見落としであったかのように言っても時すでに遅しである。

これはアカデミアという世界で如何にユダヤ人差別が汎発であるかを示すものだ。あまりにも普通に行われていることなので、それが差別であることすら意識されていなかったのだ。それが世間に知られ一般市民の怒りを買ってから初めて自分らの考えが異常であることに気付いたのであろう。

ペン大学は緊急会議を開きマギル学長の辞任について話しあったようである。UPenn board of trustees holds emergency meeting amid calls for president to resign over antisemitism hearing (msn.com)

ペン大学だけでなく、MITもハーバードも学長らを首にすべきだ。もしこれがユダヤ民族ではなく、黒人やアラブ人など他の民族だったら間違いなく学生たちは即退学になっていただろうし、それを擁護するような学長は即座に首になっていたはずだ。ユダヤ人にならどんな差別も許されるという風潮を作ってはならない。

ところでXでMay_Roma めいろま 谷本真由美さんがおもしろいことを言っていた。

ハーバード大学総長はアフリカ系女性だが、彼女が発表した査読論文の数や質が20代で博士号取得したばかりで講師に応募する若者並みだとして大変な批判を受けている。理系研究者が激怒。

これらエリート大学の学長が揃いも揃って女性であることや、学歴も業績もともなわない黒人女性が任命されているというのも、すべて多様性のおかげだろう。左翼リベラルの多様性なんて蓋を開ければこんなものなのだ。


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日本、少女の危険な性転換実態を暴露した翻訳本が活動家の圧力で刊行中止に追い込まれる、日本にもある恐ろしいキャンセルカルチャー

拙ブログでも3年前に紹介したアビゲル・シュライヤー著”Irreversible Damage, The Transgender Craze Seducing Our Daughters“の翻訳本『あの子もトランスジェンダーになった』が来年1月に角川文庫KADOKAWAから出版される予定だったが、日本のLGBTQ+活動家らの圧力がかかって出版は中止に追い込まれた。下記はKADOKAWAのサイトより。


学芸ノンフィクション編集部よりお詫びとお知らせ

来年1月24日の発売を予定しておりました書籍『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の刊行を中止いたします。

刊行の告知直後から、多くの方々より本書の内容および刊行の是非について様々なご意見を賜りました。
本書は、ジェンダーに関する欧米での事象等を通じて国内読者で議論を深めていくきっかけになればと刊行を予定しておりましたが、タイトルやキャッチコピーの内容により結果的に当事者の方を傷つけることとなり、誠に申し訳ございません。

皆様よりいただいたご意見のひとつひとつを真摯に受け止め、編集部としてこのテーマについて知見を積み重ねてまいります。
この度の件につきまして、重ねてお詫び申し上げます。

2023年12月5日
株式会社KADOKAWA
学芸ノンフィクション編集部

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出版中止に追い込んだ活動家たちのほとんどは原本がどんな内容なのか知らないで、ただデマだとか反トランスだとかいう米国の活動家の言い分を信じて騒いでいるのだろう。一部の人たちだけが十分知ったうえで未成年の間で広まっているトランスジェンダーブームの現実を日本人から隠しておきたいと思っているに違いない。

活動家が騒ぐのはしょうがないとして、そんな活動にいとも簡単に屈してしまった角川文庫の情けなさよ。

翻訳本は刊行中止でも原著は取り寄せられるので、英語でもなんとか読んでみたいと思う方々は是非とも読んでいただきたい。出来れば今後読みたいという人達の圧力で他の出版社からの出版が実現することを祈りたい。その間にささやかながら拙ブログで、この本に関する紹介を少しづつでもしておこう。

先ずは著者の紹介から。

アビゲイル・シュライアーはウォール・ストリート・ジャーナルのライター。 コロンビア大学でユーレッタ・J・ケレット・フェローシップを受け学士号、オックスフォード大学で理学士号、イェール大学法律大学で法学博士号を取得。

この本はここ10年来急速に激増している思春期前後の少女たちの性転換願望の理由を言及したものだ。ネットに蔓延る男性体への憧れを示す内容に、周囲に溶け込めない思春期の少女たちがいとも簡単に誘惑されていく危険性を描いたものである。

拙ブログでも何度かRapid Onset Gender Dysphoria (ROGP)急速性性違和症候群についてはお話している。これはそれまで特に異性的な性表現を全くしたことのなかった子供が思春期間近になって突然自分は異性だと言い出す症候群のことを指す。そしてそのほとんどが少女であり、そういうことを言い出す少女たちの周りにはネットにしろ実社会にしろ必ずといっていいほど他にもトランスジェンダーを自称する少女たちが存在している。つまり、シュライアーはトランスジェンダーになる少女たちは周りに感化されており、彼女たちのトランス願望は社会的感染性があるのではないかと主張しているのである。

私が持っている原著はハードカバーが出た2020年の一年後2021年出版のペイパーバック(文庫本)だが、その前書きに初版での評判や批判に関する供述があるのでそれをここでご紹介しよう。アメリカで起きたことは日本でもそっくりそのまま起きているからだ。

「この本は出版されるべきではない」とまだ製本もされておらず糊付けされる前から出版社に殺到した手紙の数々は嘆願した。「家族から受け入れられず肯定されないトランスジェンダーの子供達は非常に高い率で鬱になったり依存症になったり自殺したりする可能性があるのです。この本はこうした若いトランスジェンダーたちの危機をさらに悪化させることになります」これらの抗議者の誰も私の本を読んでいなかった(なぜなら発売前で誰も読んでなかったからだ)事実は、その脅威に対する確信も、ゆりかごの中でそれを窒息させるという決意も、弱まらせることはなかったようだ。

今日本で角川に圧力をかけた抗議者たちもきっと同じような人たちなんだろう。本が出版された後も、名だたる雑誌や新聞社は本の批評を拒否した。アマゾンも予約の期間が始まる前から広告を拒んだ。「本書は性的指向を診断、治療、質問すると主張している」からだというのが理由。だが本書は性指向についてなどまるで触れていない。それでアマゾンで本書を検索すると、トランスジェンダー推進の本ばかりがお薦めに上がってくるようになった。

本が出版されると主流メディアからは完全無視されたが、ネットメディアが色々と取り上げてくれるようになり、シュライアーはアメリカ最大人気のポッドキャスター、ジョー・ローガンの番組に招待され約2時間にわたってインタビューを受けた。ローガンのプラットフォームであるスポティファイに務める若い従業員たちはこれに激怒。このインタビュー番組の放映を止めさせようとしたが成功しなかった。

医学界の学者たちも完全無視を決め込んだ。しかしこのような言論弾圧にもめげず、子供達をトランスジェンダリズムに奪われた保護者達がソーシャルメディアで本の宣伝をしたりGoFundMeで募金運動を始め、そのお金でビルボードの宣伝をしようと計画したが、GoFundMeは即その募金アカウントを閉鎖してしまった。

2020年、本が物凄い勢いで売れて四か月が経った頃、この本が大型小売店ターゲットで売られていることを知ったTwitterユーザーが子どもを傷つける内容の本を売っているとしてターゲットに苦情を述べると、たった二人のユーザーの苦情でターゲットは本書の販売をやめてしまった。

この焚き書の成功に気を良くしたACLUのトランスジェンダー部門副部長は「アビゲイル・シュライアーの本の目的は人々をトランスにしないための危険な論争である。「この本の販売を止めることに私は100%命を懸ける」と息巻いた。UCバークレー大学の英文学の教授などは「アビゲイル・シュライアーの本を盗んで焚火で焼いてしまえ」と文字通りの焚き書を扇動した。

しかしこういったトランスジェンダー活動家の運動にも拘わらず、本書は地道に支持者を得ていった。シュライアーは先に述べたジョー・ローガンはじめメーガン・ケリーやベン・シャピーロといった人気ポッドキャスト番組に次々に招ばれインタビューを受けた。またニューヨークポストで本の抜粋が紹介されるなどした。ターゲットにも本の販売を再開しろと大量の手紙が殺到した。内容に関わらずアメリカ人は特定の本を読むなと命令されるのは嫌いなのである。そしてなんと24時間以内にターゲットは本発売を再開した。

ザ・エコノミスト誌は本書を「今年の本(2020年)」と発表。「予想通り物議を醸したが、この本には一滴の悪意も感じない」と記した。ザ・タイムスオブロンドンも本書を2020年「最高の本」リストに記載。この件に関してはイギリスのメディアの方がアメリカメディアよりも勇気があったとシュライアーは語る。確かにイギリスの方が未成年のトランス治療が始まったのが早かったし、その分その弊害が話題になるのも早かった。

本書が話題になるなか、医学界でも同じような現象を目にした学者たちによる論文が発表され、シュライアーの説が裏付けされた。また脱トランス者の数も増え続け、ユーチューブでも脱トランスした若い女性達の証言を目にすることが多くなった。有名なケースではイギリスのケイラ・ベル16歳(2020年当時)のジェンダクリニックを相手取った訴訟だ。

この裁判の中でベルが治療を受けたクリニックでも、なぜ少女の性転換者の数が激増したのか不明であるとしながら、クリニックは治療を求める患者を誰一人断っていないことを認めた。イギリス法廷はトランスジェンダーのホルモン治療は生殖機能を喪失させ、性機能を不能にし、治療が患者の精神状態を良くするという根拠がないと判断した。

イギリスメディアはこの判決は画期的な事件であるとしてザ・タイムスオブロンドンやザ・オブザーバー、ザーエコノミストやザガーディアンなどが報道した。それまで「ヨーロッパではあ~」と常に欧州のケースを引き合いに出して来たアメリカメディアはこの判決を完全無視した。

シュライアーのところには保護者から感謝のメールや助を求めるメールが殺到している。今やトランスジェンダー推進の場と化した公立学校だが、ロサンゼルスの学校では、いつもの容疑者、中絶施設で悪名高いプランドペアレントフッドが学校内の保健室でホルモン剤の配給を始めているという。

これは単なる無害な流行なのだろうか?お祭り騒ぎなのか?進歩の証? この危険な本を読んで、あなた自身で判断していただきたい。


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ドクターWHOもおしまいだ。ポリコレが次々に潰していく人気シリーズ

イギリスで超長寿番組人気シリーズのドクターWHOが今年60周年を迎える。ウィキの説明は下記の通り。

ドクター・フー』(Doctor Who)は、1963年からイギリスBBCで放映されている世界最長のSFテレビドラマシリーズである。1989年に一度終了したあと、1996年に単発の特別版を経て、2005年に新シリーズがスタートし、現在も放送されている。日本でも吹き替えで観ることが出来る。

イギリスでは古いシリーズが何度も再放送されていたので、イギリスで育った人ならドクターWHOを知らない人はいない。だから1989年に終了した時はファンは非常に失望したものである。

私がドクターWHOのファンになったのは2005年から再スタートを切った新シリーズからである。9代目から12代目までは面白かったのでずっと観ていたが、13代目の初の女性ドクターの代になってから様子が変わった。12代目の終わりの頃から多少ポリコレな雰囲気はあったが、13代目で初の女性ドクターになってからは、あまりにも話の筋がポリコレになりすぎて、2シーズンまでは真面目に観たが3シーズン目からはもう観るのを辞めてしまった。そう思ったのは私だけではなかったらしく、新シリーズでは最低の視聴率となり主演のジョディ・ウィティカ―が嫌になって辞めてしまったくらいだ。

どんどん減っていく視聴率をなんとか取り戻そうと、BBCは今回60周年記念の特別番組で新シリーズでは一番人気のあったデイビッド・テナントを14代目として再起用した。私の一番好きなドクターもデイビッド・テナントなので、この特別番組は楽しみにしていた。

と、こ、ろ、が、

蓋を開けてみると、その内容があまりにもポリコレすぎて観てられないというのがファン達の感想。なにしろドクターが主役なはずなのに脇に自認女子の男性(いわゆるトランスジェンダー)がメインキャラとして登場。ことあるごとにドクターWHOが時代遅れだのシスジェンダー男だのと言ってこき下ろされる。ドクターがエイリアンの代名詞が彼だと決めつけたと言ってトランスキャラが筋に関係のないところでドクターを咎めるなど話に集中できないと、とあるファンは言っていた。ドクターWHOには過去にもLGBのキャラクターは何人か登場した。私の好きなジョン・バローマン演じるキャプテンジャックは女性も男性も好きな両性愛者だった。しかし彼等は自分らの性嗜好を視聴者に押し付けなかった。彼等の魅力は同性愛者や両性愛者であることではなく、それぞれキャラクターの個性にあった。ところが今回のローズはトランスジェンダーであることが前面に押し出され、ことあるごとに他人に説教するという、トランスジェンダーだという以外に何の個性もないキャラクター。

Mandatory Credit: Photo by Huw John/REX (646481aj).. David Tennant as Dr Who.. 'Dr Who' TV Programme Filming, Cardiff, Wales, Britain - 21 Feb 2007.. ..
デイビッド・テナント

これだけでも観る気がなくなっていたのに、第二話が公開されるとともに、批判はもっとひどくなった。それというのも何と14代目ドクターWHOはゲイだとカムアウトしたというのだ!

ちょっと待ってほしい。これまで男性が演じたドクターWHOは断じて同性愛者ではなかった。テナントの10代目キャラクターはコンパニオンのローズとは恋仲になったし、11代目のマット・スミスの時代にはリバー・ソングという妻まで居たのだ。しかも男女誰でもすぐに魅了してしまうキャプテン・ジャックですらもドクターを誘惑することができないほどドクターWHOは男性に興味がなかった。初の女性キャラになった時ですら、彼女の性嗜好は女性だったくらいだ。姿形が変わっても同一人物であるはずのドクターの性嗜好が、特別番組で突然男に向けられるなど考えられない。もういい加減にしてほしい。

ドクターWHOが始まったのは60年も前のことだから、新しい世代のファンは新しいドクターを求めているというのならそれはそれでいい。でもだったら何故15年以上も前のキャラクターを蘇らせ、同じ俳優を起用したりするのだ?明らかに制作者たちは人気低迷のシリーズを救うためには過去で一番人気のあったデイビッド・テナントの助けが必要だと思ったからではないのか? それなのにせっかく甦らえたキャラクターをことあるごとに蔑ろにし、時代遅れだの、女性差別をしてるだのと責め立て、挙句の果てに同性愛者にしてしまというのはどういうことなんだ?これでは過去最大人気のキャラクターをわざわざ破壊するために蘇らせたとしか思えない。

このドクターWHO及びデイビッド・テナントのファンをバカにした内容に多くのファン達は激怒している。テナントが復活した特別番組であるにも関わらず、テナントのドクターとしては至上最低の視聴率だったそうだ。ネットの反響を観る限り、もう自分にとってドクターWHOは終わった、新シリーズになって新しいドクターが現れても観る気はないと言ってる人が大勢いる。

私も、もうドクターWHOは諦めた。私にとってドクターはピーター・カポリの12代目までだ。その後はもうどうでもいい。大好きなデイビッド・テナントが出演しているから特別番組は観るつもりだったが、もういい。観たところで失望し激怒するだけだろうから。

ところで今後BBCはディズニーと組んで、ドクターWHOをディズニープラスのストリームで観ることが出来るようになった。最近ディズニーが手掛けるものはことごとく失敗しているが、今回も例外ではなかったようだ。


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クリスマスツリーの悲劇

アメリカは11月最後の木曜日感謝祭が終ると、本格的にクリスマスシーズンに突入する。毎年苺畑家では人工のツリーを飾っているのだが、10年以上前に主人が買って来たこの木は2メートルもある大きなもので、組み立ても飾り付けも大仕事になるので毎年先延ばしにしていて、酷い時はクリスマス一週間前というぎりぎりまで飾らないこともあった。

この大きな木はだいぶ古くなり枝があちこち折れたりしていたので2年前に捨てた。去年は色々あってツリーどころではなかったので、友達からもらった机上に置く小さなチャーリーブラウンのツリーだけ飾ってお茶を濁した。

それで今年こそは早めにツリーを飾ろうと思い、趣味の店マイケルスで120センチくらいの小ぶりのツリーを買ってきて数日前に飾りつけを完了させた。これまでよりずっと小さい木にしたのは、もう梯子に登っての飾りつけは危険だからである。以前よりも小さい木なので持ってるオーナメンツをぜんぶ飾りきれない。それで古いものは思い切って処分してしまった。

ところが昨日悲劇が起きた!豆電球のコードに足をひっかけてしまい、ツリーが転倒したのだ!もろいオーナメンツがガッシャーンと音を立てて割れてしまい、そこら中に破片が飛び散った。ツリーを立て直そうとしたが何故か立たない。よくよくみると土台の足がひとつ折れていた。これでは無理だ。しょうがないのでネットでツリーの台ようと調べてみると、台の方がツリーより高くつく。これならツリーを買い替えた方が安い。まだ買って一週間しか経ってないのに、もう~!

仕方なく壊れたツリーを捨てて再びマイケルスへ。すると前に買ったのと同じスタイルのツリーが半額セールになっていた。ラッキー!

家に持ち帰り早速組み立てているうちに、私はあることに気付いた。それは新しい木の土台が非常にしっくりと嵌ったことだ。前のツリーの土台は部品がきっちりと嵌らずにグラグラしていたのだが、そんなもんなのかと思って気にしていなかった。だが実はあれは最初から不良品だったのだ。足がきちんとはまっていなかったせいでバランスが悪かったのである。だからちょっとコードが引っ張られた程度で転倒したのだ。私のせいではなかったのだ(いや、多少は責任あるでしょ)。

余分だと思ったオーナメンツを大量に処分してしまったため、ちょっとスカスカだが、その分色付きの豆電気優を余計に飾った。本当はこれも処分するつもりで箱につめてあったのだが早まらなくて良かった。

ともかく12月に入る前にツリーを飾れたので良しとしよう。


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