August 31, 2010

ソーシャルネットワーキング、実名登録に抵抗ないアメリカ人

アメリカではフェィスブックというソーシャルネットーワキングサイトが非常に人気を呼んでいる。日本では何故かフェイスブックはあまり人気がないが、ツイッターは爆発的な人気だそうだ。私が思うに日本人はPCより携帯でネット参加する人が多いから、短い文章で色々かける手軽なツイッターが人気を呼ぶのではないだろうか。

ただ、フェイスブックは実名登録だが、ツイッターは匿名も可能。ネットで実名が暴露された事件が続発して日本では実名登録が嫌煙されているという理由もあるらしい。

ソーシャルネットワーキングについては、私もここで書いたことがあるが、私と以前に何度かネットで討論したことのある小山のエミちゃんが、これについて面白いエッセーを二つ続けて書いている。特に実名登録と匿名登録の日米の違いについてのエッセーは彼女の左翼的なアメリカ像が現れていて非常に面白い。

Facebookが日本で広まらないのは、当初から言われていたように、実名登録制が日本のネット文化に合わないからである、という説明がよく聞かれる。

Facebook以前は、あるいはそれ以降においても、実名登録制SNSは実は米国でも一般的ではない——というより、MySpaceやFriend-sterを含め、SNSの最も顕著な使われ方は「出会い系」としてのそれであり、Facebookのように「実名登録により、現実社会の友人と繋がる」という使い方はあまりされてこなかった。

となると、求人・求職目的のLinkedInは別として、むしろ問われるべきなのは、なぜFacebookだけがほかのSNSを一線を画す「実名登録制」という特色を掲げ、そしてこれほどまでに成功したのかという点だ。それはつまり、Facebookはどのようにして米国で「実名制への抵抗」を乗り越えたのか、ということでもある。

その答えは、米国に特有の階級文化のあり方と、それを背景としたFacebook自体の出自——あくまで一利害関係者の視点を通してという形でだが、今秋の映画公開が予定されているベン・メズリック著『facebook』に詳しい——にあるとわたしは考えている。

「米国に特有の階級文化」というのは非常に不思議な表現だ。アメリカには貴族だの華族だのは存在しないので、特に階級文化というものはない。金持ちで有名大学に行ったりしてエリート意識を持ってる人間がいるというならそれはそうだが、イギリスや昔の日本のように侯爵だの伯爵だのといった位は存在しないので、親の世代がいくら金持ちでも子供が浪費して破産してしまえばそれまでだし、親が一文もない移民でも、自分の代で事業に成功して大金持ちになれば、身分が低いからといって特定のソーシャルクラブに所属できないといったこともない。

小山の話だと、フェイスブックが実名登録なのは、もともとフェイスブックがハーバード大学の学生及び卒業生の間だけで普及したものだったからだという。

Facebookは、米国ハーヴァード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグによって二〇〇四年に創設された。(略)Facebook(当時はThefacebook)はハーヴァード大学のメールアドレスを持っている人だけが参加できる仕組みにすることで、実名登録への安心感を担保すると同時に、特権性・排他性を演出した点が新しかった。

そして当初Facebookを学内に広めるのに大きな役割を果たしたのが、ハーヴァード大学に多数あるさまざまな社交クラブの存在だった。(略)

.......ハーヴァード大学ともなると、普通の大学にあるフラタニティだけでなく、さらに排他的な社交クラブも多数存在していて、本人の資質だけでなく家柄や財産などによっても選別されることになる。普通の大学よりも、より将来に向けた——あるいは在学中にはじめるビジネスの——人脈作りという傾向が強いのだ。

ハーヴァード大学という排他的・特権的なコミュニティにのみ開かれたネットワークを作ることによって、実質的な利用目的はそれまでのSNSと同じく「出会い系」——クラブで開かれるパーティや宴会の目的と同じ——だったしても、それに「信頼できる仲間を作る」「将来のための人脈を築く」といった建前を用意することによって、出会い系そのものにしか見えないサイトへの登録をためらうエリート層が加入しやすいようになった。

はあ、そうなのか。と、一見納得できないこともないのだが、ハーバード大学の学生が裕福な上流家庭の子息子女だけで成り立っているというのであれば、確かにそういうこともあるかもしれないが、実はそうではない。ハーバード大学は奨学金で入学した学生が非常に多く、およそ七割の学生がなんらかの奨学金をもらっている。また少数民族や貧困過程を対象にした奨学金制度もあり、ハーバードに行っている学生は頭脳の面ではエリートかもしれないが、経済面では別にそれほど豊かな家の出身者ばかりではない。

有名校以外の学生は加入禁止という規則でもあるなら、確かにそれは排他的と言えるが、始めはそうでも、最近はフェイスブックがエリートたちの排他的なサイトというイメージはまるでない。誰でも気軽に参加できるし、日本のミクシーみたいに招待されないと参加できないというものでもないから、フェイスブックに参加する事がステータスシンボルになるなんてこともない。

有名大学の生徒や関係者のみサイトというエリート意識に対抗して、高校生や学歴の低い下々の者たちの間で広まったのがマイスペースなのだと小山は言うが、はっきり言ってそんなイメージないなあ。私の印象としては、マイスペースのほうがフェイスブックより出会いサイトという感じがする。私は当初友人のすすめでマイスペースを開設したが、水着姿をプロフィールにしたのが間違いだったのか、変な男達からの誘いばかりが殺到し、日本語で書いたら日本のミュージシャンからの広告リクエスト以外はもらったことがない。

フェイスブックでは、あまり知らない人からのフレンドリクエストが来ないし、変な出会いを期待した誘いも余りもらったことがない。それより、長年合わずに音信不通になっていた学生時代の友達や、出張先で出会ってしばらく会ってなかった人からのリクエストなどがほとんどだ。

小山はアメリカ軍隊の将校と下士官の差についても、それが階級や富の差にあると思っているらしい。

人気ブロガーでSNS研究者のダナ・ボイドは二〇〇七年に発表したエッセイで、Facebookが二〇〇五年に高校生の参加を認めて以来の変化に注目しつつ、FacebookとMySpaceのあいだでユーザが階級に沿って分離しはじめていると指摘している。

またボイドは、米軍内部でも貧しい家庭の出身が多い前線の一般兵士たちの多くがMySpaceを使っており、より恵まれた背景を持つ士官の多くがFacebookを使っていた——軍は二〇〇七年にこれらのサイトの使用を禁止する通達を出した——という点も指摘している。

一般兵士たちの多くが貧しい家庭の出身で高校卒業直後に入隊するのに対し、士官たちは大学卒業後に入隊することを考えれば、高校で既に見られる分断がそのまま軍隊にも持ち込まれているのは当然だろう。

ボイドと言う人がどういう人かは知らないが、確かに士官は大学出でなければならないから下士官より教養はあるが、下士官には貧しい家の子が多く、士官は裕福な家の子が多いというのはアメリカの軍隊を知らない人間の偏見だ。

高校卒業してすぐに志願して下士官になる人というのは、家が貧しくて大学に行けない人というより、高校は出たけど大学には行きたくない、かといってそのまま社会人にはなりたくない、という人が意外に多い。軍隊は、特に下士官は仕事は厳しいが高校時代の延長線みたいな雰囲気がある。回りに年代の同じ仲間が沢山いるし、上から言われた事をしっかり守ってさえいれば特に自分でキャリアを考える必要はないし、昇進に必要な試験にきちんと受かっていれば途中で追い出されたりしないし、精神的には結構楽なもんなのだ。(もちろん戦争に行くのは大変だけど)

大学出で士官として入隊する人は、最初からリーダー格の仕事を望んでいる。士官だからかならず部下がいるわけで、どんな位の低い士官でも自分で判断し下のものを率いる素質を持たなければ昇進できない。私は士官でも若くして部長並みの地位についた人たちと一緒に研修を受けたことがことがあるが、彼らは誰もが頭脳明晰、リーダーシップ抜群で、私の隣に座っていた海軍少佐などは、私の息子くらいの年代なのに、彼に「カカシさん、これやってください。」と言われると、つい「はい!」と言って立ち上がってしまいたくなるほどだった。あの人がリーダーなら素直に付いて行って間違いないと思わせる何かが彼にはあった。

軍隊で士官と下士官は友達関係を結ばないというのは軍隊の規律になっている。これは士官と下士官はプロフェッショナルな関係であり、友人になってなあなあとした関係を持たないための規則である。だからもし、下士官がマイスペースを好み士官がフェイスブックを好むということが事実だったとしても、それは別に彼らのエリート意識云々とは関係がないのだ。

ところで軍隊がソーシャルネットワーキングを禁止したというのは、もしそんなことがあったとしたら一時的なことであって、今では承認している。私は一等兵が軍のコンピュターでフェイスブックを観ていたのをちゃんとこの目で目撃しているから間違いない。軍隊のコンピューターは、色々なサイトに行かれないようにしてあるが、なぜかマイスペースは駄目なのにフェイスブックは観られるという不思議な状態がある。

小山エミが実名登録のフェイスブックの拡大はアメリカ特有の階級文化である排他的なエリート意識にあると言いたいらしいが、アメリカには階級文化などというものは存在しないし、有名校の学生や卒業生たちのエリート意識も、その経済面から来るものではない。

ただ、バラク・オバマ王の例でも解るように、左翼リベラル連中にはこのエリート意識を持った人間が非常に多い。特にお金のかかるアイビーリーグ系大学に行ったひとたちにはその傾向が強い。小山の過ちは、自分が左翼なのでそういう左翼エリートとしかつきあってこなかったから、左翼エリートの階級主義やエリート意識がアメリカのそれだと思い込んでいる点だ。

もっと軍人も含め一般のアメリカ人ともつきあってみてはどうか。そうすれば、アメリカに階級文化などというものは存在せず、貧乏人の子供でも金持ちになれるというアメリカンドリームが健在であることを知るはずだ。

August 31, 2010, 現時間 5:00 PM

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