いよいよ大詰め? アルカエダイラクが崩壊する時

最近アルカエダによるスンニ種族への攻撃は過激になってきている。すでに塩素ガスを使った攻撃は今年にはいって9件にもなる

2007.04.07
Web posted at: 16:01 JST
– CNN/AP

バグダッド——イラク警察によると、同国中部ラマディ近くで6日、爆薬や塩素ガスを積んだトラックによる自爆攻撃があり、少なくとも27人が死亡した。塩素ガスを用いたテロは今年1月以降に表面化した新たな手口で、これで9件目。
ラマディがあるアンバール州ではイスラム教スンニ派部族が、国際テロ組織アルカイダ系の外国人戦闘員の追放で政府系勢力を足並みをそろえる動きが出ており、6日のテロはこれに反発した犯行ともみられる。
現場はラマディ市から西部へ約4.8キロ離れた警察の検問所。トラックが高速で突っ込んできたため警官が発砲したものの爆発した。付近の建物も損壊するなどの被害を受けた。
呼吸困難など訴える住民が入院した。負傷者の詳しい数は不明。ラマディはスンニ派武装勢力の拠点ともなっている。

アルカエダによる元同胞への攻撃は自殺行為としかいいようがない。いくら自爆作戦が得意なアルカエダとはいえこれは完全に非生産的なやり方である。そのあまりのひどさに、スンニ派たちは次々にアルカエダに反旗を翻し、一時は敵として戦っていたアメリカ軍やイラク軍に協力する姿勢すら見せ始めている。

2007.04.07
Web posted at: 17:12 JST
– CNN/AP

バグダッド——イラクで昨年10月に結成されたとするイスラム教スンニ派武装組織の結集団体「イラク・イスラム国家」に属する「イラク・イスラム軍」は5日、イスラム系ウェブサイトに声明を載せ、国際テロ組織アルカイダを非難した。
同イスラム国家は、アルカイダ系のイラク・アルカイダ機構の指導者のきも入りで誕生したもので、団体内の対立を物語る動きとして注目される。
イラク中部アンバール州などでは、イスラム教スンニ派部族がアルカイダ系の外国人戦闘員の追放で政府系勢力と足並みをそろえる動きを見せており、これへの報復ともみられる攻撃も生まれている。
「イラク・イスラム軍」は声明で、「アルカイダは、同組織に忠誠を示さないイスラム軍などスンニ派武装勢力の戦闘員を殺害している」と非難。アルカイダはスンニ派の富裕層も標的にしており、「金を払わなければ殺害される」と主張している。
また、アルカイダを批判、もしくは路線の誤りを指摘する人物は殺されていると述べている。

毒ガス攻撃や自爆テロを「良いニュース」というのも変な言い方ではあるが、これは実際我々にとっては良いニュースなのである。なぜならアルカエダはイラク抵抗軍としての表看板を完全にあきらめたことを意味するからだ。
一般的にアルカエダはスンニと協力することでイラクを侵略者アメリカから守る「抵抗軍」だという表向きの正当性を主張してきた。しかし地元イラク人を殺しまくりスンニ派にまで愛想をつかされたのでは、アルカエダなどイラクの平和を乱す単なる外国人武装勢力、つまりテロリスト、に過ぎない。イラク人のアルカエダに対する憎悪は一部のイラク人がアメリカに持っているものなどとは比べ物にならないほど深い。イラク住民のすべてが家族や知り合いの誰かをアルカエダの暴力で失っているのだ。
ということは今後どんなことがあってもイラクがアルカエダの温床となることはあり得ない。アルカエダが地元イラク人の擁護を得ることは完全に不可能となったからだ。また今回の事件でイラク警察の活躍も無視できない。27人のイラク人を殺した毒ガス入り爆弾は関門でイラク警察が発表した際に起爆された。もしイラク警察にとめられずに貫通していたならば何百という被害者がでていたことだろう。
一方南部のシーア民兵は、、、
良いニュースといえば、同盟軍はマフディ軍も順調に噛み砕いている。昨日などは空爆を使っての猛攻撃だった。モクタダ・サドルが戻って来ようとしても彼のマフディ軍は元の面影など全くないものになっているだろう。マフディ軍のないサドルなんて、クリームのはいってないコーヒーと同じよ。政治的に全く意味のない存在となる。
また、昨日イギリス兵4人が戦死したバスラの攻撃でも解るようにマフディ軍はイラク南部へと勢力を集中させている。ところでイギリス兵4人を殺したのはEFP(explosively formed penetrator)と呼ばれる強力な武器でこれまでイラク内ではあまり見られなかった武器だが、最近イラク南部でよくみられるようになった。明らかにイランからの贈り物である。
さてそれでは現在にイラク状況をまとめてみよう。

  • イラクのアルカエダは元同胞のスンニ種族らを恐れるあまり、アメリカ軍や他のイラク人への攻撃を中断し、スンニを標的に攻撃を集中させている。
  • 一方シーア民兵は首都のバグダッドを追われ南部に追い込まれている。しかし避難した南部でも同盟軍の攻撃でどんどん勢力を失っている。
  • そしてイランはイギリス人への贈り物としてイギリス兵がパトロールを中断した海峡を使ってイラクシーア派へEFPなどの武器を供給してイギリス兵を殺している。

こうして見るとイラクの戦況はまずまずといったところだ。しかしイランからのシーア民兵への武器供給は深刻な問題だ。イギリスが人質事件騒ぎで臨検を中断しているというのも心配のひとつ。この機に乗じてイランはどんどんイラクへ武器を運び込むだろう。イギリスが海域を警備できないのであればアメリカがやるしかないが、恥さらしの臆病者15人が無事にかえってきてもその結果が勇敢にイラクで戦う別のイギリス兵を殺すことになるのでは話が逆ではないか? 早くイギリス政府はそれに気付いて海上警備を再会してもらいたい。


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英元海軍兵、帰還人質15人は恥さらしと批判

アップデートあり! エントリーの後部参照。
帰還したイギリス兵たちのいいわけがましい記者会見が続く中、アメリカの軍人らによる15人の臆病者行為の批判は高まっている。
「抵抗は論外だった」とクリス・エア大尉は語り「抵抗していたなら我々の多くはこうして今日ここに立っていないでしょう。」と続けた。これに対してアメリカのジャック・ジェイコブ大佐(退役)はテレビのインタビューで「イギリス軍の先輩たちが第二次世界大戦でこいつらのような態度をとっていたら、このぼけなすは今日ここに立っていなかっただろう。」というような発言をした。さすがアメリカ軍人、歯に衣を着せない。
しかしカウボーイのアメリカ軍人が批判するのは当たり前だが、イギリス本土では彼等に対する批判は全くないのだろうかと私はちょっと疑問に思っていた。
それでこの元イギリス海軍兵でイラクで拉致された経験もあるトビー・ハーンデン記者のこの記事は興味深い。

私はいま女王陛下の皇立海軍の隊員がマクムド・アハマディネジャドを「サー」と呼び彼と彼の同胞の水兵と海兵隊員は「あなたのお許しに感謝します。」とへつらう映像を観た。
恥かしいかって?当たり前だ。私は1990年代に15人の人質が勤務するHMSコーンウェル艦で勤務していた。だからこの件についてはちょっとは分かるつもりだ。また私はズィンバブエでしばらく拘束されていたこともあるし、イラクの反乱分子から尋問を受けた体験もある。だから自分の意志に反して拘束されるということについてちょっとした内部の知識もあるつもりだ。
この15人はやたらにカメラに映りたがってると感じるのは私だけだろうか?もちろん捕虜は言われた通りのことをするしかない。自分の命が危機にさらされているときは相手の要求をすべて飲むのは良識というものだろう。
だがこの水兵らや海兵隊員らは最初から処刑されたり傷つけられたりすることはないと解っていたはずだ。もし彼等がそれを知らなかったとしたら、シャトアルアラブ水域で勤務する船舶臨検隊員らへのブリーフィングは非常にお粗末なものだったということになる。
ちょっとおびえたふうにモノトーンで話していたフェイ・ターニー水兵(女性)を除き、のこりの水兵や海兵隊員の落ち着いた態度から言ってイラン側から良く扱われていたことを示している。では彼等がイラン水域を「侵犯」していたとそう積極的に認めてイラン側に協力する必要があったのだろうか?
我々はみな人質ビデオをみたことがある。人質には拉致者に迎合せずに振舞うやり方というものがある。湾岸戦争で撃ち落とされた英国竜巻き号のパイロットを覚えているだろうか? また2003年のアパッチ号のパイロットは?
釈放寸前に水兵と海兵隊員が熱心にアハマネディネジャドと握手をしている姿をみて、私はこれらの兵士らがこういう場合にどう振舞うべきなのか全く知らされていなかったのだと確信する。
私は別に大統領の目をつっつくべきだったと言っているのではない。だが自分らに対してひどいことを行った扇動政治家に熱心に対してこれほどまでに明らかさまに心から感謝している姿をみせるのはやり過ぎだ。拘束から解放されるのは常にうれしいことだ。私はズィンバブエでのことをよく覚えている。しかし彼等はテヘランのカメラに向かって手を振ったりニヤニヤ笑たりする必要があったのか?
私のオーストラリア人の同僚が私の事務所の前を通りすぎてくすっと笑って私に聞いた。「英国人が誇る固い上唇はどうなったんだ?」(stiff upper lip, 逆境に負けない強い精神)
もうひとつの疑問は15人が一発も発砲せずに捕われたという事実だ。英国のあの地域での戦闘規制は相手から発砲されない限り撃ってはいけないということになっている。
水兵と海兵隊員はどの時点で抵抗しなければ拘束されると判断したのだろうか?アメリカ兵がこのような状況で拉致されるということは先ず考えられない。無論イラン兵を殺すことは15人の死を招くか、すくなくとも国際紛争に発展しかねないという議論は理解できる。
場合によっては発砲を自制することは重大である。私が英国軍兵としてイラクに居た時、兵士らがその場の状況を正しく判断して懸命にも引き金を引かなかったことがあった。
しかしアメリカ兵が引き金をやたらに引きたがるカウボーイであるのと同時にイギリス兵は反対の問題を抱えているのではないか?2003年の6月に赤帽(英国憲兵)がイラクのMajir-al-Kabirで一発も発砲せず銃を降ろしてから殺された事件があったように。
私の英海軍での経験からいって、私は15人はこのような状況に対応できる十分な訓練や準備を受けていなかったのだと思う。明らかに将来このことは改正されなければならない。しかしここで問われなければならないことは15人のなかにいた2人の将校は適切な指揮をとったのだろうかということだ。
… イギリス兵が今回教訓として学ぶことは今後このような状態の時イギリス兵はどうふるまうべきなのか訓練をし直す必要があるということだ。

残念ながらハーンデン記者の意見は少数派らしい。今日ヒューヒューイットのラジオ番組を聞いていたら、イギリスのアンドリュー・ロバーツという歴史家とのインタビューでイギリス市民でイギリス兵たちがもっと強行な手段をとるべきだったとアンケートに答えたのはほんの30%程度だという話をしていた。

HH:いったいジョン・ブルはどうしちゃったんです?僕が読んだどのイギリスの歴史書でもこんな挑発があればダンスホールで歌がはじまり灯火をもった行進が始まったとあります。

AR: 残念ながら私にもわが国に何が起きたのか解りません。 私にはショックです、そしてこれだけ多くのひとが、、、私たちは首を傾げているんですが、過去の政府ならこんな明らかな暴挙にたいして必ずしたであろう対応をしたいと答えた人がたったの6%なんですから。
HH: その世論調査を信じますか?きちんと質問したんでしょうか?
AR: いえ、していません。さらに24%の人たちが政府はもっと強行な手段を考えるべきだと答えています。ですから強行手段をとるべきだという6%ともう少し強硬な手段をとるべきだと答えた人をあわせればすくなくとも30%になりますが、これは対テロ戦争を支持しているひとたちとほぼ同じ割合の数になります。

本当に偉大なる英国はどうなってしまったのだろうか? チャーチルやサッチャー首相のイギリスはもう戻ってこないのだろうか? 悲しい限りである。
アップデート: このような事件の再発を防ぐためイギリス海軍は船舶臨検方法の見直しを考えているというが、その間船舶臨検は一時中止すると発表した。先日イラクのバスラ地域でイギリス兵4人を殺害したRFPはイランからイラクへ渡った武器だったのだということをイギリスには忘れて欲しくないもんだ。臨検を怠ってもっと多くの武器がイラクへ渡れば15人程度ではイギリスの犠牲はおさまらない可能性を忘れて欲しくない。

ロンドン(CNN)2007.04.06 ペルシャ湾で船舶荷物の検査に当たっていた英水兵、海兵隊員15人がイラン軍に拘束、約2週間ぶりに5日に解放された問題で、英国防省筋は6日、事件の詳しい経緯の調査を開始、同時に同湾での臨検を中断することを決めた、と述べた。

臨検作業は、イラン核問題に絡む国連安保理の制裁決議やイラク政府の要請で実施されていた。
英海軍首脳は、拘束された水兵らの交戦規定への順守や必要とされる装備品の有無、受け取っていた関連情報の真偽などを調べると述べた。事件でイラン側は、拘束水兵の画像を放映、イラン水域侵犯を認めたなどと主張していたが、これらの発言が「強要の圧力」の結果ではなかったのかも調べるとしている。


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恥さらし米下院議長ペロシ女史の中東訪問

アメリカでは政権及び大統領に任命された外交官以外の人間が国の代表として外交するのは違法である。一個人が親善の形で他国を訪れるのはかまわないがアメリカの外交政策について他国の勢力者と直接交渉するのは禁じられている。
だがこの法律は結構しょっちゅうやぶられており、やぶった人間が法的に裁かれるということは先ずない。クリントン政権中に元大統領のカーター氏が独断で北朝鮮と交渉を行って時のクリントン政権に大恥をかかせたことなどはその典型だ。(おかげで北朝鮮の核兵器開発をアメリカは指をくわえて見守る形となってしまった。)
今回の米下院ペロシ議長の中東訪問も国の外交官としての正式に任命を受けたわけでもないのに、ペロシ女史は国務長官のライス女史を差し置いてのこのこでかけていって大恥をさらしている。主流メディアのなかでも比較的民主党寄りのワシントンポストですらも、国会議員が外交をしてはいけない典型などと言ってペロシ女史の軽々しい行為を批判している。
イギリス兵返還のニュースと共にニュース映像を埋め尽くしたのがシリアを訪れた下院議会議長のペロシ女史の醜いスカーフ姿。私は別にペロシ女史がブスだと言っているのではない。イスラム教女性の衣装であるヒジャブと言われるこのスカーフをまとい、化粧なしのすっぴん顔で聖廟を訪れるという行為そのものが醜いと言っているのだ。女史は自分がどれだけアメリカ代表としてシリアにコケにされたのか全く分かってない。女史がアメリカ国内でいつも自慢げに着ている真っ赤なデザイナースーツやどぎついほどの真っ赤な口紅をつけミニスカートにハイヒール姿ででも登場してくれたならまだいい。それがすっぴんにヒジャブ? 冗談じゃない!
ジャーナリストなどの一介の市民と違い、ペロシ議長はアメリカの都合はどうあれアメリカの顔として世界のメディアは報道しているのだ。そのアメリカの顔が独裁国シリアの女性蔑視の屈辱的な慣習に従うということはアメリカは独裁者アサドよりも下位にあると表現したようなものである。シンボル的な力関係が多いに影響を及ぼす中東外交でこのような行動は愚かとしか言い様がない。

ナンシー・ペロシの愚かなシャトルバス外交(ワシントンポスト)

Thursday, April 5, 2007
下院のナンシー・ペロシ議長(民主、カリフォルニア州代表)は昨日なぜ国会議員が国務長官の代理外交をやってはいけないのかという典型的な例を披露してくれた。ダマスカスでシリアの独裁者バシャー・アルアサドに会見した後、ペロシ女史はイスラエルのエクド・オルメルト首相からの「イスラエルは和平交渉をする用意がある」というメッセージを伝えたと発表した。さらに女史はアサド大統領も「平和行程を進める意志がある」と付け加えた。この外交的成果を発表した後、ペロシ女史はキッシンジャー式シャトルバス外交はまだ始まったばかりだとほのめかした。「私たちは私たちの良いオフィスを通じてイスラエルとシリアの仲を取り持っていきたいと思います。」と女史。
しかしここにひとつ問題がある。イスラエルの首相はペロシ女史にそのような伝言を頼んでいないのである。「合衆国議会議長に伝えた内容のなかにイスラエルの方針を変えるものは一切含まれていない。」と首相側は慌てて声明を発表した。事実オルメルト氏はペロシ女史に「最近ダマスカスを訪れた何人もの上院下院議員が受けた印象はバシャー・アサドの公式発表とは裏腹にかの国のイスラエルとの和平について方針は変わっていないというものだ。」と語っている。つまりペロシ女史はイスラエルの立場をわい曲しただけでなく、たった一人アサドの言葉がプロパガンダであることを見抜けなかったのだ。

ブッシュ政権はシリアとの正式な外交は差しとめている時であり、下院議長のダマスカス訪問はシリアに錯誤したメッセージを与えるものだと批判している。その批判に対してペロシ女史は大統領の正式許可をもたずに共和党下院議員がダマスカスを訪れたこともあると抗議した。しかしそれらの議員たちは中東問題に首をつっこむようなことはしなかった。「私たちは友情と希望そしてダマスカスへの道は平和への道という信念で来たのです。」とすっかり外交官気分のペロシ議長。これだけから度素人は始末が悪い。
ワシントンポストはペロシ議長の今回の中東訪問といい、議会が大統領の軍総司令官としての大統領の意志と完全に矛盾する政策を無理矢理おしすすめようとする議案の数々についても強い批判をしている。ポストはなんとペロシ女史は大統領に取って代わって影の政権を作ろうとしているとし、そのような行為は愚かであるとさえ指摘している。民主党寄りの新聞にここまで言わせてしまうナンシー・ペロシ下院議長。
戦争中に戦費予算削減を訴えて最近下がっている民主党の株が議長の愚かなシャトルバス外交によってまたぐっと下がってしまった。


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イランが米兵でなく英兵を拉致した理由

私や多くのアメリカ人はアメリカ兵なら今回拉致されて昨日解放された15人のイギリス兵のように簡単には人質になったりしなかっただろうと考えていた。無論これは身内のひいき目もあるかもしれないが、どうやらそう判断したのはアメリカ人だけではなかったらしい。実はイランも本当はアメリカ兵を拉致したいと思っていた。いや思っていただけでなく実際に彼等は少なくとも2度ほどアメリカ兵拉致を試みていたのであるがどちらも失敗に終わっていたのである。一度はイラン兵が殺されて終わり、二度目はアメリカ兵が5人殺されるという悲劇となった。
一つ目の事件はあまり大げさには報道されなかったが去年9月イラン・イラクの国境付近で起きた出来事である。
陸軍が公開した情報によると、イラク軍に同伴していたアメリカ陸軍82空挺師団73騎兵連隊第5中隊(the 5th Squadron 73rd Cavalry 82nd Airborne) の兵士らがバグダッドから約76マイルはなれたイランとの国境ぞいで常時パトロールに当たっていたときのことだ。兵士らはイラク側からイランへと撤退していく二人のイラン兵を目撃した。そのすぐ後今度は三人目の兵士に遭遇した。アメリカ兵並びにイラク兵がイラン将校に近付き業務質問をはじめると突然部隊はどこからともなく現れたイラン兵の部隊に高台から囲まれてしまった。
イラン軍のキャプテンはアメリカ・イラク兵らが逃げようとすれば射つと警告した。いらん兵らによる拉致を恐れたアメリカ兵らは即行動を開始し撃ち合いが始まった。イラン兵らは最初ピストルや小銃で応戦したが、そのうちロケット弾を発砲。アメリカ兵らはよりイラク内部に後退した。その間4人のイラク兵と通訳1人国境警備員1人がイラン軍側に取り残された。
しかし結果的にアメリカ兵らに死傷者は出ず、少なくともイラン兵が1人殺されて事件は終わった。
二つ目の事件はこのブログでも取り上げたが、今年1月のこの事件

イラクの軍施設襲撃事件、米当局がイランの関与を調査

バグダッド(CNNー2007.01.31) イラク中部カルバラで1月20日、米軍とイラク治安部隊の共同施設が武装勢力に襲撃され、米兵5人が死亡した事件で、米国防総省は容疑者がイラン人か、イランで訓練を受けた活動家であるとみて調査を進めている。米当局者が30日、CNNに語った。
犯行グループは米軍風の制服で変装し、米軍で使用されている種類の車に乗り、英語を話すなど、用意周到だった。米軍は当初、死亡した米兵らが武装勢力に抵抗していたと説明していたが、後日犯行グループが検問所を難なく通過したうえ、米兵らを施設から連れ出し殺害したことを認めた。こうした手口は、武装勢力や外国人過激派には見られないという

私は最初にこのニュースを聞いた時、私にはこの事件は非常に不思議だった。それというのもイラン兵は4人の兵士を拉致する際、施設内で抵抗した米兵1人を射殺しているが、彼等はイラク内の武装勢力や外国人テロリストがよくやるような残虐な拷問や死体冒涜などをした形跡はなく、残りの米兵4人はただ射殺されていたからである。最初から単に殺すのが目的ならその場で5人とも殺してしまえば話は早い。なぜわざわざ4人を外へ連れ出したのだろう?
今考えてみれば、これは米兵拉致作戦未遂事件だったのだと私は思う。米兵らは多分拉致者のイラン兵が手に負えないほど抵抗をしたのだろう。だからイラン兵らはイランまで安全に米兵らを送還することは不可能だと判断したのではないだろうか?だからせっかく拉致した米兵らをみすみす殺すはめになってしまった。
イラク駐留の米兵は口を揃えて、イラクで彼等が戦っている敵はジェニーバ条約など聞いたこともないような野蛮人で、こんなのに捕まったら地獄の苦しみを味あわされて惨殺された上遺体がさらし者になるのは必定。そんな目に合うくらいなら死んだ方がまし、なるべく多くの敵を道ずれに死んでやるという。テロリストに捕われて生きてかえってきた米兵はいないのだから当たり前だ。
しかしイラン側はこの二つの作戦失敗により、アメリカ兵を拉致するのは不可能、もしくは少なくともかなり難儀。なにしろアメリカ人はそう易々とは捕まらないし、捕まえようとするとこちらの被害もかなり考えなければならない、、、と考えたのではないだろうか? アメリカ兵の拉致は不可能となると、抵抗しない戦闘規制が厳しいイギリス海軍を狙おうということになったのではないかな?
今日はアメリカのミルブログ(アメリカの現役及び退役軍人が経営しているブログ)の数カ所でアメリカ国防庁の軍人としての規律が掲載された。

I

自分は我々の生き方をそしてわが国を守る軍隊にて戦うアメリカ人である。自分はそのためなら命を捧げる用意がある。
II
自分は決して自分の意志で降伏しない。もし自分が司令官なら抵抗の余地があるうちは隊員を決して降伏させない。
III
もし自分が捕われたなら出来る限りの方法で抵抗を続ける。自分は脱走に力の限り努力し他者の脱走も援護する。自分は敵からの恩赦も特別扱いも受け入れない。
IV
もし自分が捕虜になったなら同僚の捕虜とともに信心を守り続ける。自分はどのような情報も敵に与えず同胞を害するような行動には加担しない。自分が上官なら指揮をとる。そうでなければ任命された上の者の合法な命令に忠実に従う。
V
捕虜となり尋問された時は自分は名前、位、サービス番号、生年月日以外を低雇用する義務がある。それ以上の質問には最大限、力の限り答えるのを避ける。自分は口頭であれ筆記であれわが国を裏切り同盟国を傷付け、その努力を傷つけるような発言はしない。
VI
自分は自由の為に戦うアメリカ人であることを決して忘れない。自分が自分の行動に責任を持つこと、そしてわが国を自由にした信念に敬虔であることを決して忘れない。自分は神とアメリカ合衆国を信頼する。

イギリス軍隊にも同じような規律があったはずだ。しかし観光客気分で新品のスーツを着させてもらいお土産までもらってニコニコ顔で帰ってきたイギリス水兵と海兵隊員たちを見る限り、そんな規則が存在するとはかなり疑わしい。


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イラン英兵15人を解放、強行派アフマディネジャド折れる

まずはまあいいニュースから。

2007.04.04
Web posted at: 22:41 JST
– CNN

テヘラン(CNN) イランのアフマディネジャド大統領は4日、記者会見を開き、拘束中の英海軍兵士15人に恩赦を与えて釈放すると言明した。 先週始まったイランの新年を記念し、親善の意を表した恩赦という。大統領は記者会見後、英兵の一部と面会した。
イランの国営テレビは、大統領がスーツ姿の英兵らと握手を交わし、談笑している映像を放送。音声では、英兵の1人が英語で大統領に謝意を示す発言や、大統領が英兵らに「どんな旅を強制されていたのか」などと冗談交じりに話しかける発言が聞こえる。

はっきりいってどれほど待遇がよかったにせよ、なんで英国の水兵や海兵隊員がスーツ姿でにこにこしてるのか。解放されてうれしいのは分かるがカカシには胸くそ悪い。これがアメリカ兵でなくて本当に良かった。もっともアメリカ兵ならこんなに積極的にイランのプロパガンダには参加したとは思えないが。
とはいえ人質が無事にかえってきたのは良かった。タイミングから昨日のイラン高官解放と関係があるのだろうかという疑問はあるが、実は強行派のアフマディネジャド派が現実派のラフサンジャニに押されての妥協なのではないかという説がある。
一見イギリスはイランの無謀行為に対して強気の姿勢も見せず国連だのNATOなどに訴えるなど武力行使ではなくあくまで外交尊重の態度をとっていたことで、イランはイギリス軍などいくら湾岸に武装勢力を集中させても無力だと国際社会に証明したかのように見える。イギリス兵がイランのテレビで海域を侵しましたなどと「自白」した姿も印象的だ。
しかし一方で、イランはイギリス政府から公式にイラン海域を侵したと認めさせることはできなかったし、イギリスは謝罪などもってのほかという態度を崩さなかった。脅しは実行に移さなければ脅したほうが弱く見える。イギリスが罪を認め謝罪しなければイギリス兵をスパイの疑いで裁判にかけると息巻いていた強行派のアフマディネジャドがイギリス兵を無傷で返還したとなるとアフマディネジャドはどこかからの圧力に屈服したのか、イギリスから何か報酬を獲得したのかどちらかだろう。
もしアフマディネジャドが国内の政権から、特にラフサンジャニに示唆されたカタミ師から圧力をかけられたとしたら、アフマディネジャドのイラン国内での勢力はかなり弱まっていると考えることができる。この間の選挙でもアフマディネジャド派はずいぶん地方で議席を失っているし、イランの予算案などでもなにかとラフサンジャニに押されている。
また、イギリスがイランと裏で色々交渉をしたのではないかと考えると、イギリスが明かにイランへの報酬だと分かるものを与えなければ諸外国はイランがイギリスに脅迫されたと解釈せざる終えない。となればイギリスは無力どころか案外イランの痛いところをついたのではないか、つまりイランはイギリスに盾をつけるような立場にはないのではないか、という印象を外に与える。
となってくると、アフマディネジャドによるイギリス兵拉致作戦はイランの外交としては大失策だったのかもしれない。実際にイギリスとイラン、どちらが駆け引きに勝ったのか今後のイギリスの出方が注目される。


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女性ブロガーは狙われる! (ほかの女性からだけど、、)

左翼の女性ブロガーが自分のブログや他のブログで自分に向けられた脅迫を恐れて予定されていた講演をキャンセルするという事件が起きた。このことでワシントンポストなどの主流メディアが注目しネット上での脅迫を批判している。脅迫を受けたのはキャシー・シエラという10代の女性ブロガー。
私は決してネット上の脅迫を擁護する気はないが、この事件で大騒ぎしている主流メディアは右翼女性ブロガーが脅迫され続けてきたこの数年間どこにいたのだ? とカカシは聞きたい。アメリカメディアの左翼偏向は今にはじまったことではないから特に驚きはしないが、右翼女性ブロガーのミッシェル・モルキンや、右翼コメンテーターのアン・コルターがさんざんひどいことをいわれていた時はだんまりを決め込んでいたくせに、ちょっと左翼女性が嫌がらせをされると大騒ぎ。
私自身にも明らかに精神異常をきたしている左翼アラシのストーカーがついている。このアラシは私の実名を某掲示板で暴露し、私の写真やミスター苺の写真を貼付けて、ミスター苺の体型についてここでは再掲できないようなわいせつな内容で何か月にも渡っていやがらせを続けている。しかも性的に嫌らしいことばかり書いているこのアラシはなんと女性なのだから呆れてしまう。
しかし女性ブロガーに性的な嫌がらせコメントを残すのは案外女性である場合が多いようだ。特に左翼女性による右翼女性への攻撃はえげつないものが多い。ドクターヘレンという保守派のブロガーが受けたという嫌がらせの内容をよんでいて、カカシは口をあんぐりとあけてしまった。なぜなら彼女が受けた嫌がらせは私が受けているものとそっくりだったからである。

ブログ社会には男女差別が満載されていることに男性はあまり気が付かない。…私も気が付いたことだが、女性蔑視の嫌らしいコメントを私のブログに残す人の多くが男性ではなく女性である。割合からいって政治ブログの読者は75%が男性であることから考えて、男性からのコメントのほうが多いはずだ…多くの男性は女性のサイトを支持している。そうでなければわざわざ女性ブロガーと言葉を交わしたりしないだろう。正直言って、私がもらったひどく悪質なコメントを残すような人は、決まって私の夫の体型についてひどいことをいったりする卑怯者である。

ドクターヘレンは左翼のフェミニストブログから、彼女のご主人が大学教授であることから、ミセス教授などと言われたという。女性を配偶者の職業を使って呼びかけるやり方は女性蔑視ではないのかとドクターヘレンは問いかける。そういえば、ミッシェル・マルキンも彼女のコメンタリーは白人の旦那さんが代わりに書いてやってるのではないかなどとコメントをする人がいた。また、私に対しても私の意見は主人の意見の受け売りだと書いた左翼サイトがあった。

私は最近女性の政治ブログを調査している人から、ネット上で女性だからと差別を受けたことがあるかと質問を受けた。私は「はい。よく他の女性から受けます」と答えた。そして女性からの攻撃は大抵が控えめなものではなく、容姿に関係するものであることが多い。私はある「フェミニスト」ブログで私の書いたことに異論のあったそのブロガーが「彼女のあの髪なんとかならないの?おえ〜」と書いているのを読んで「なんて意地悪なコメントだろう」と感じた。特にこのブロガーは自分のことをフェミニストと誇っているようだったからだ。

もっとも左翼フェミニストは右翼女性は本当の女性ではないと考えている節がある。

リベラルフェミニストによると保守派女性は本当の女性ではない。グローリア・スタイナムがテキサス共和党ケイ・ベイリー・ハッチンソン女性議員について「女装した男」と言ったことを覚えているだろうか? それからNOWのリーダー、パトリシア・アイルランドが民主党支持者に「本物の」女性候補にだけ投票するように呼びかけたことは? またアル・ゴアのファッションコンサルタント、ナオミ・ウルフが外交分析専門家のジーン・カークパトリック女史にたいして「女性の体で感じる体験から全く影響を受けていない」と批判したことは?

そういえばある掲示板でミスター苺が「うちのカミさんがこういうことを言っていた」と何気なく書いたら、「本当の女がそんなことを言うはずがない。」「お前が結婚してるなど嘘だろう。カミさんは架空の女だ」という投稿が女性から続出したという。(笑)
左翼の考える本当の女性とは左翼の考えを持っているひとたちに限られ、右翼の偽女性はどんな嫌がらせをされても右翼の考えなど持っている以上自業自得とでもいうのかな?


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タイミングが怪しいイラン2等書記官の解放

今朝、読売新聞のイラクで拉致されたイラン2等書記官、解放され帰国へこの見出しを見てちょっと首をひねった。

【テヘラン=工藤武人】イラン国営テレビは3日、今年2月にイラクのバグダッドで拉致されたイラン大使館の2等書記官が解放され、同日中にイランに帰国すると伝えた。

 解放の詳細な経緯は不明だが、イラン学生通信はイランの在バグダッド大使館筋の話として、同書記官は2日に解放されたとしている。
 この書記官は2月上旬、イラク軍特殊部隊の制服姿の男たちに拉致された。同部隊はイラク駐留米軍との関係が密接なため、イラン側は、米国が関与していると激しく非難していた。
(2007年4月3日20時47分 読売新聞)

なにしろイランでは例の15人のイギリス兵が人質になっている。イギリスもアメリカもそしてイランも人質交換は公には話題にしていないが、もしこれでイギリス兵がイギリスに帰ってくるということになったなら、これは完全に人質交換の交渉が裏で行われていたということになる。非常にまずい状態だ。
一方イギリスのインディペンデント紙では、イギリス兵が拉致されたのはアメリカのイラク政策失敗が原因だという筋違いの記事が掲載されている。

イラク北部を公式訪問中のイラン警備将校のアメリカ軍による拉致失敗が10週間後にイギリスの水兵海兵隊員15人が拉致される引き金を引いた。
今年1月11日の早朝ヘリコプターで潜入したアメリカ兵らはクルド族地区のアービルに長期に渡って存在していたイランレーゾン事務所を襲撃。5人の比較的下位の職員5人をスパイ容疑で逮捕、今も拘束中。
しかし現実にはアメリカはもっと野心的な目的があったことをインディペンデント紙は学んだ。この手入れの目的はクルド地方政権に知らせずにイラン警備組織の重要人物二人を捕まえることにあった。

その後のイランの怒り狂った反応からいって、イランが報復行動に出ることくらいはイギリス政府は予期すべきだったと記事の著者パトリック・コクボーン記者。そしてコクボーン記者はイラクに公式訪問しているイランの諜報部員を拉致するということは、外国を公式訪問しているCIAやMI6の高官が外国で拉致するようなものだとし、イランが怒るのも当たり前だといわんばかりである。
ほお〜、正式な外交関係のあった国の大使館を襲撃し大使および職員53名を拉致して444日も監禁した行為はどうなるんでしょうかね? そういうことへの報復が許されるっていうならアメリカはまだイランに48人のイラン高官を拉致するだけの借りが残っている。
イランが人質をとっては自分らの理不尽な要求を突き付けているのはなにも今にはじまったことではない。1979年のアメリカ大使館襲撃はいい例ではあるが、それですら始まりではない。16世紀から19世紀にかけてバーバリーコーストといわれるモロッコ、アルジェリア、タニーシアそしてリビア海岸の海洋を荒らして欧州の船を拿捕し乗組員を誘拐しては身代金を要求していた海賊らは当時のイスラム教諸国を背後にもつ海賊たちだった。それをいうなら2004年にもイギリス兵二人がイランに拉致された事件があったではないか、あれもアメリカのせいだというのか? コックボーン記者は誘拐はイスラムの常套手段だという歴史的事実さえ知らないらしい。(先に紹介したような学校教育を受けた結果かもしれない。)
インディペンデント紙は、アメリカの作戦を批判する暇があったら、抵抗もせずにみすみす捕われの身になったイギリス兵15人の態度について見直したらどうなのだ? そして拉致された後恥も外聞もなくイランのテレビに出演して地図の前で「確かにイランの海域に侵入しました」などと白状し、汚らわしいバーカなどまとってすましている恥さらしを批判したらどうなのだ! それともイギリス兵は捕らえられたら抵抗せずに何でも敵の言われるままに行動しろという命令でも受けているのか、だとしたらそんな非常識な命令をくだしたイギリス軍高部に対する批判でもしたらどうなのだ!
このイギリス兵の無様なていたらくがどれほどイランのプロパガンダに貢献したか知れない。どれだけかつての偉大なる英国も地に落ちたかを暴露する結果となったことか。どれだけ我々の敵を元気づけることになったことか。これがアメリカ兵だったなら絶対にこのような態度はとらないとニューヨークポスト紙でラルフ・ピータース陸軍中佐(退役)。

アメリカ海兵隊員を洞穴に押し込み歯をなぐり折ったところで、彼から本国と海兵隊への誇りをなぐり折ることはできない。「センパーファイ(Semper fi)」には意味があるのだ。

オージー(オーストラリア兵)も同じようにタフだ。
いったい何が英国海兵隊に起きたのだ? エリート隊のメンバーとして通ってきた隊なのに。労働党政府の政策はイギリス軍をずたずたにした。戦闘機を飛行不能にし、軍艦を引退させ、陸軍隊を解体し、制服を着る兵士らの胸から勇気までももぎとってしまったのか?
女性水兵が泣き崩れて政府に降伏を訴える姿も無様だったが、海兵隊員までがお茶や同情を懇願しだしたとなると、もう見てられない。嘘だと言ってくれ!
…ウィンストン・チャーチルは天国でスコッチを吐き出しているだろうよ。

ピータース氏も指摘しているように、イギリス軍は当初比較的平穏だったバスラの警備を完全に怠り、バスラ警察や地元政府がシーアの民兵に乗っ取られていくのを指をくわえて見ていた。もし当時イギリス軍がアメリカ軍のように厳しい取り締まりやパトロールを行っていればイラク南部でおきたシーア派民兵による暴走を防げたかもしれない。そういう失態を棚にあげて、自分らのぶざまで臆病な態度を顧みず、アメリカだけを責めるイギリスの政治家やメディアたち。アメリカの民主党より質が悪い。
ピータースもミスター苺と同意見でこの任務に当たっていた海軍の司令官らは敵を前にして臆病な行動をとった罪で軍法会議にかけられるべきであると語る。そしてこの「ワンカーども」が所属している王立海兵隊はさっさと任務からほどかれ解散しちまうべきだ!と手厳しい。カカシも全く同意見だ。


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ホロコーストも十字軍も教えちゃ駄目! イギリスの諸学校歴史の書き換え

イギリスではイスラム教生徒らの気分を害さないようにと、学校のカリキュラムからホロコーストや十字軍に関する授業を削除する傾向が増えているという。イギリスの教育界も左翼連中に乗っ取られたとみえる。以下はデイリーメール紙から

政府の調査では諸学校でイスラム教生徒の気分を害さないため、歴史の授業からホロコーストを削除するところが増えていると発表した。
調査によると教師のなかにはホロコースト否定論を信じる生徒を傷つけるのを恐れてこのような虐殺を教えたがらない人がいるという。
また11世紀にエルサレムでキリスト教徒とイスラム軍が戦った十字軍について教えることに抵抗する傾向もある。それというのもこれは地元のイスラム聖廟で教えられていることとよく矛盾するからである。
この調査により学校によっては歴史を使って政治的に正しい政策が促進されているという批判が上がっている。

この調査は小学校と中学校の歴史の授業を対象に行われたが、教師らはこれらの話題に反発した「反ユダヤ思想」をもっているイスラム系生徒らから抗議を受けるのを怖がって、なるべくはやくこの問題を取り上げるのをやめようと必死らしい。

歴史教育アドバイザーで元トーリー政権のアドバイザーだったクリス・マクガバン氏は「歴史は政治的なただしさの道具ではありません。子供たちはこうした問題のある主題に関して知識を得る手段をもつべきです。それが口にあったものであろうとなかろうと。」

ナチスドイツではユダヤ人を悪徳な金貸しだとか、女性を冒涜する犯罪者だらけだとかいうイメージ作りから始まり、ユダヤ人迫害への道へと進んだ。イギリスをはじめヨーロッパでは今まさにその歴史が繰り返されようとしている。
もう二度と起こしてはならないという歴史の教訓がユダヤの敵過激派イスラム教徒らによって書き換えられていくのをイギリスの教師らは正面から立ち向かうどころか、生徒から反論されても子供たちに適切な説明をする能力もなければ根性もなくただ避けて通ろうというのである。
すでにイスラム過激派の対象はユダヤ教だけでなく反キリスト教へも進んでいる。そのうちイギリスの生徒らは十字軍の存在すらも知らずに育つことになる。ヨーロッパの暗黒時代に終止符を打ち、ルネッサンスを迎えるにいたって重大な役目を果たす十字軍の歴史。エルサレムがキリスト教の手からイスラム教徒に奪われたのを奪い返した歴史もイギリスは忘れようとしている。
まったく情けない。偉大なる帝国の名が泣くよ。


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フランス政府に学ぶイラク戦争に負ける方法

前回のフランス軍に学ぶイラク戦争に勝つ方法に引き続き歴史家アーサー・ハーマン氏によるHow to Win in Iraq. And how to lose.から、今度はイラクで負ける方法についてお話ししたい。
無論カカシは何もイラクで負けたいと思ってるわけではないが、どういうやり方をすれば勝てる戦争に負けてしまうのか、フランス政府の失態を教訓にしてイラク戦争でも十分にあてはまる部分を研究してみよう。
前回にも書いたようにフランス軍は2年足らずで反乱軍ゲリラのFLNにはほぼ全面的に勝利を納めていた。だが、圧倒的な軍事勝利にも関わらずフランスは戦争そのものには負けてしまった。あれだけの栄光を納めたフランス軍はそのたった2年後にアルジェリアから完全撤退してしまったのである。
いったい何がおきたのか? それはフランス軍がアルジェリア戦地で反乱軍ゲリラ相手に一生懸命になっている間、フランス国内では左翼による政治反乱軍がフランス政権を蝕みはじめていたのである。彼らは今のアメリカの民主党や左翼メディアと同じで、軍事成功そのものをあたかもフランスによるアルジェリア市民弾圧や迫害であるかのようにフランス市民に訴えはじめたのである。
フランス軍はFLN打倒の目的で、諜報のために多少の拷問は許可した。ところがフランス左翼はこれに噛み付いた。フランス市民は特に常日頃から捕虜の目玉をくり抜いたり男性性器を切り取ったりするような残虐な拷問をしているゲリラに対して特にこれといった同情心などもっていたわけではないが、50年後のアブ・グレーブがアメリカの反戦左翼に利用されたように、フランス内部の反政権勢力によってこの問題は反戦運動に多いに活用された。
反戦派のジョン・ポール・サルテル(Jean-Paul Sartre)に率いられ、フランス軍弾劾運動が始まった。左翼たちはフランス軍がフランスの宿敵ナチスとかわらないといって攻撃した。アメリカの左翼がブッシュ政権をナチスとしょっちゅう比べるのと全く同じだ。サルテルの同士シモン・デ・ブビエーなど(Simone de Beauvoir)などはフランス軍の制服は「スワスティカがかつて与えたのと同じ印象を与える」とまで言った。反戦派の先導者はほとんどが共産主義者や左翼だったが、なかにはフランス市民が尊敬する中庸派の人々も含まれていたため、フランスではだんだんと反戦ムードが高まっていった。反戦派が常に繰り返したメッセージは「アルジェリア紛争の元凶はFLNではなくフランス軍の存在だ、フランス軍が撤退してはじめてアルジェリア人は自分たちの運命を決めることができるのだ」というものだった。まさにアメリカ左翼の連中が唱えている「イラク問題はアメリカ軍にあるアメリカが撤退することでイラク人にイラク再建が出来るようになる」というメッセージと瓜二つである。
フランス軍も当時のフランス政権もこの左翼反戦派からの攻撃には面食らった。まるで予期せぬ攻撃だったのである。彼等に対してはどれだけ軍事行使の正当性を訴えてみても無駄だった。拷問を許可したもともとの命令が撤回されても全く効き目がなかった。このフランス内部の政治的混乱を利用してFLNはアルジェリア各地で爆弾を爆破させた。アメリカ国内で民主党支配の議会がイラク撤退期日決定やイラク増兵反対の議決案を通す度にアルカエダのテロリストが奮起してイラクで自爆テロを増加させるのと全く同じ状況である。 これによって1956年現在でフランス市民のほとんどが「アルジェリアを見捨てるなどもってのほか」という考えでまとまっていた団結が完全に崩壊してしまったのである。
フランス国内の分裂は政権崩壊につながり、後継のフランス政権はその存続のため軍事的に惨敗したアルジェリアの独裁政権にみすみすアルジェリア統治の権限を与えてしまった。その結果起きた悲劇は無惨であった。アルジェリアの白人層は大量にアルジェリアから避難、フランス政府に協力したアルジェリア人たちは何万何千という単位でFLNによって虐殺された。フランス軍と並んで戦ったアルジェリア軍人たちは処刑の前に勲章を飲みこまされてから射殺された。
これはアメリカ軍が撤退した後でのベトナムでも繰り返された。そしてアメリカがイラクから撤退すればアメリカ軍に協力したイラク人たちがサドル民兵やアルカエダのテロリストに全く同じ目にあわされることは火を見るよりも明らかである。
イラク戦争の最初の三年間はイラク軍がアメリカ軍が制覇した土地を継続して守ることができなかったという問題があった。アメリカ軍の数が足りていないという批評家の批判にも一理あった。だが、フランス軍の例でもわかるように戦況は作戦変更で短い時間にあっという間に成功を遂げることも可能なのである。だからカカシはイラクは軍事的に十分に勝利の可能な状況にあると主張しているのだ。
しかしアメリカ国内の内政となってくるとカカシは同じような確信を持つことができない。もし民主党がイラク戦費の差し止めに成功したならば、いくらブッシュ大統領ががんばってみても必然的にアメリカ駐留の期間は制限される。今のところ共和党議員たちが一人二人の裏切り者以外はほぼ団結しているため、上院下院の両方で議決案が通っても大統領の否決を倒して議案を成立させることはできない。
また、民主党は戦費完全差し止めを強行するにはまだまだアメリカ世論がついてこないことを承知している。だからアメリカの反戦左翼はアメリカ世論を反戦にもっていくべくそのキャンペーン運動をさかんに行っている。

たとえば、「作戦的撤退」と称する書類で the left-liberal Center for American Progressという左翼団体はイラクにおける暴力の原因となっているのはテロリストでも反乱ゲリラでもなくアメリカの『占領軍』であるという立場を明らかにしている。これによるとイラクは放っておけばシーアもスンニも必然的に妥協し平和共存する選択に迫られるというものだ。

現にノースキャロライナ大学の中東専門家サラ・シールド女史などは今日のジハーディストたちは「占領軍に対抗して戦っている最新の例である」とし我々が撤退する時期が早ければ早いほど、「我々の占領と関連したとして不利になる人々の数がすくなくてすむ」と書いているほどだ。

これはまさしくフランス左翼やアメリカ左翼の負け組がアルジェリア紛争やベトナム戦争で唱えた議論とそっくりそのままだ。これらの声に耳を傾け駐留軍が戦地から撤退することで、結果どのような悲劇を生んだか歴史が顕著に語っている。
もともとアメリカがイラクを攻めた理由はなにか? それはイラクがテロ軍団の温床となってイラクを拠点としてアメリカ本土に攻撃をしかけてくるのを防ぐための先制攻撃であった。フセイン政権打倒も、WMDの処置も、その手段だったのであり、一番大切な目的はイラクをアルカエダのようなテロリストの手に渡さないことにあった。だとすれば、いくらフセイン政権を倒してみても我々を威嚇する危険なWMDが存在しなかったとしても、イラクが内乱状態となってアルカエダが自由気ままにテロを起こせる場所にしてしまったら元も子もない。イラク戦争そのものが完全に無意味だったということなってしまうのだ。
これを考えたなら我々がイラクから絶対に撤退してはならないということは子供でも分かる理屈である。撤退は選択に含まれない。イラクでは軍事的にも政治的にも絶対に勝たなければならない。敗北は断固許されないのである!


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アメリカ兵はイラク任務遂行を望んでいる!

イラク駐留のアメリカ兵が今一番聞きたくない言葉は「私はアメリカ軍を支持します」という反戦バカサヨ政治家の偽善的な発言だろう。軍隊を支持するといいながら軍隊に必要な予算を削り、敵のテロリストを元気づけるような議案を次々に提案し議会を通す民主党の議員たち。アメリカ軍人たちは、こんな応援なら要らないよ。ほうっといてくれ!と叫びたいのではないだろうか。
アメリカメディアは現役やイラク帰還兵のなかに存在する反戦兵士たちを探し出してきては、アメリカ軍人ですらイラク戦争には反対している、即撤退を望んでいると騒ぐのに忙しい。ここでも一度紹介したが、イラク即刻撤退を訴える草の根運動といううたい文句で登場したAppeal for Redressという団体は現役および退役軍人らによって発足一か月ですでに1000以上の署名を集めたといってメディアが大騒ぎしたのもいい例だ。(発足2か月の現在はほぼ1600程度。実は草の根とは名ばかりの組織力抜群の左翼団体の看板団体であることはすでにここでもお話した通り)
だが実際には軍人たちの本心はどのようなものなのだろうか? 実は反戦署名運動に対抗してAppeal for Courageという賛戦署名運動が現役軍人らの間で行われている

発足者はジェイソン・ニコラス中尉。33歳の海軍企画将校で今年の一月からバグダッド勤務をしている。中尉は(署名運動)の目的は議員たちに軍隊がイラクでの任務遂行を達成することに焦点をあて、常時失敗を宣言するのをやめてもらうことだと語る。

「ベトナムで学んだ最大の教訓は、戦地で勝つことはできても本土で負けるということだ」と中尉はスターズアンドストライプ紙(軍隊新聞)へのメールで語った。「我々は今後も難かしい日々は続くとはいえ、イラクに駐留し最後まで仕事をさせてもらえるなら、イラクでは勝てると考えている。」
この訴えは…議会に「我々の任務を完全に支持しイラク撤退宣言を停止すること」と訴えるものである。我々はイラク戦争は必要で正当な戦争であり「敵に英気を与え本国アメリカ市民の支持を衰えさせるようなメディアの運動」に積極的に反対して欲しいと訴える。

私のネットスケープではホームページにいかれないので確認できないのだが、ミネアポリス州兵でイラク駐留のデイビッド・スル軍曹によると、始まって一か月足らずですでに1500以上の署名が集まったと言う。そうだとすれば反戦署名運動よりも署名の集まり方は早いことになる。反戦署名運動に集まった1000の署名を特集する暇があるなら、もっと多くの署名が集まった任務遂行を訴える署名運動についても主流メディアは報道すべきではないのか? むろん反戦まるだしのアメリカメディアが戦争支持の報道などするわけないが。
パワーラインでは現役軍人及びその家族から議会が押している即撤退議案についてどう思うかという意見をつのっている。パワーラインに届いたほとんどの手紙は任務遂行まで撤退すべきではないという内容だった。ここでもそのふたつみっつ紹介しよう。


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