中国人移民がイタリアのミラノで暴動

最近ヨーロッパで暴動があったというニュースを聞くとイスラム系移民による暴動がすぐ頭に浮かぶのだが、今回イタリアのミラノで起きた暴動事件はなんと中華街での中国人移民によるものである。(Hat tip Occidentalism)
ことの起こりは商品を違法に自家用車で運搬していた中国人女性が摘発され罰金を課されたことがきっかけだという。
100人以上の中国人商店街の商人たちが中華人民共和国の旗を翻して人種差別を批判して暴れはじめた。その結果10人の警察官が負傷しほぼ同数の中国人もけがをした。
日が暮れるまで続いた暴動では車は倒されるは警察がバトンを振り回すは罰金を課された女性は逮捕されるはで大変だったようだ。
イタリアでは現在11万4千人の中国人がすんでいるといわれるが、違法移民の数もかなりあるため実際にはその倍以上だとされている。ミラノだけでも中国人の人口は過去10年で1万2千にふくれあがっているという。ローマ、プラト、タスカニーといった大都市でも中国人労働者の数はかなり増えているようだ。
特にローマとミラノでは中国人経営のビジネスが町の一画を完全に仕切っており、中国産繊維類の運搬で付近の道がかなり混雑していたことから普段から地元警察と中国人商人との間でかなりの摩擦が起きていたようだ。
オクシデンタリズムのサイトで数枚暴動の写真が張られているので見る価値あり。
はっきり言って移民として受け入れてくれた国で祖国の旗を翻して暴動するなんてのはどう考えてもいいことだとは思えない。そんなにイタリアのやり方が気に入らないならイタリアで商売なんかするなといわれても文句いえないだろう。
それにしてもたかが1万2千くらいの移民に手こずるとは、ミラノも情けないね。


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カナダの教育界を乗っ取るイスラム過激派

以前にもカナダのコンコーディア大学の生徒会がイスラム教生徒に乗っ取られてユダヤ教生徒サークルが迫害を受けた話を、北米キャンパスを乗っ取る聖戦主義のユダヤ弾圧したが、イスラム教生徒が乗っ取ったのはコンコーディア大学だけではない。ここ数年の間にイスラム教生徒たちはカナダ各地で大学生徒会を乗っ取ってきている。今のところ迫害されているのがユダヤ教生徒だけだからと涼しい顔をしているとそのうちカナダの教育界はイスラム教徒にのっとられ、大学生のみならずカナダの社会全体に悪影響を及ぼすことになる。
実は先日、アメリカのミネソタ州にあるミネソタ工科短大において、イスラム教聖徒のお祈りに必要な足洗い場を設置するという決断が下された。アメリカでは公立の学校で合唱部がハレルヤコーラスを歌ったり、キリスト教徒が教室で静かに聖書を読んでいるだけでも、政教分離の政策に反するものだと非難が絶えないというのに、ことイスラム教に関してはどの学校も神経質なほど気を使うという二重基準が存在している。
それに対してイスラム教徒への妥協はもっと理不尽な要求へとつながるだけだという格好の例がお隣の国カナダですでに起きていると、ミネソタスタートリビューンのキャサリン・カースティンがリポートしている。

カナダ生徒会連盟は先月「イスラム教生徒のために必要な企画チーム最終報告書」(Final Report of the Task Force on Needs of Muslim Students)と題してカナダの高度教育施設の全面的変革を提案した。この連盟はカナダ全土の学生の半分にあたる50万人を代表する。報告書はオンタリオに焦点をしぼってはいるものの、その結果が国中および世界中に適用が可能だと連盟のジェス・グリーナー会長は語る。

ではこの報告書がカナダの大学に要求しているものは何かというと:

  • カナダのローンを基礎にした資金援助を完全な奨学金制度にかえる。「教育に関する政府からのローンは利子を課すべきではない。」なぜなら「イスラムの教えは利子つきのローンを禁止しているからだ」
  • 「女子専門」運動施設の設置を奨励、女性が水泳プールを使っている間は「窓にカーテンもしくは幕を張る」ことを勧めている。
  • イスラム教徒専門の祈祷施設を設置するだけでなく、複数に渡る祈りのためにキャンパスのどこからでも簡単に祈りの場所へ行けるように道を作る。新築されるビルには必ず祈祷施設と必要とあれば足荒い場所を建設する。
  • 給仕担当の職員はイスラム料理の調理方法を勉強し、シャリア法の儀式にあった方法で調理する。イスラム料理以外の料理を作る場合には衛生手袋を着用の上、使った刃物や料理器具は汚染がないようにきれいに洗う。

報告書はもしも学校側がこれらの規則に従わない場合は「イスラ恐怖症」の罪を負うことになるという。イスラム恐怖症の汚名を着ないためにはイスラム教徒への暴力はもちろんのこと、イスラム教徒を理不尽に疑ってはならない、際立った侮辱でなくてもイスラム教をステレオタイプで扱ったり、シャリア法は男尊女卑だなどという間違ったイメージでイスラム教徒が学ぶ環境を悪化させてもいけないとしている。
また連盟の提案には「(学校)施設がイスラム恐怖症を通告する文化を促進する。反人種差別委員がそのような言論がされた時は即座に通告するべきである。」という。
つまりイスラム教徒が支配する生徒会連盟はカナダの大学にシャリア法をまもるための思想警察を設立せよというのだ。サウジで行われているような、バーカを着ていない女性や男性を同伴せずに外出する女性を情け容赦なく罰する宗教監視員をカナダでも設けろと要求しているのである。
これでは言論の自由も何もない。もしもカナダの学生が「テロリストのほとんどはイスラム教徒だ」とか「イスラム教の教えに問題がある」などといった日にはすぐさまイスラム恐怖症の罪を着せられ退学の危機にさらされかねない。これでは自由社会としてのカナダの存在そのものが危ぶまれる。
しかもイスラム独裁生徒連盟の要求はこのような生易しいものではおさまらない。連盟は学校の授業もコーランとイスラムの教えに乗っ取ったカリキュラムに変更して「イスラム恐怖症」を根絶やしにしなければならないというのである。そしてイスラムに関する教育は西側の思想に乗っ取ったものではなく、イスラム側からの見解でなければならないと強調する。
要するにカナダの大学でシャリア法を教えろというのである!
実を言うと私はこれらの理不尽な要求はカナダにとって良いことだと思う。イスラム教徒は共産主義者と違ってその本意を隠さない。彼等の最終目的がカナダをシャリア法のもとに牛耳ることにあるのはこの要求を読めば一目瞭然である。これまで政治的に正しいやり方で異教徒への寛容をうたい文句にしてきたカナダ教育界はイスラム教徒への好意や妥協や配慮がどういう形でイスラム教徒によって「恩返し」されたかこれでよく分かったはずだ。イスラム過激派は一歩譲れば百歩要求してくる。彼等は我々の行為や配慮を我々の弱さと取るからだ。今回のこの理不尽な要求によって鈍いカナダ社会もやっとイスラム過激派の恐ろしさに目覚め、カナダの文化と社会を守るためにイスラム過激派とは妥協はあり得ない。彼等とは断固戦わねばならないと気が付いてくれれば儲け物である。
そしてアメリカの教育界もカナダでの出来事を他人事のような顔をしてみていてはいけない。アメリカのイスラム教徒学生協会はカナダの生徒会連盟と密接な関係がある以上、カナダの教育界が今後どのような処置をとるにしてもアメリカの教育界に与える影響は大きい。ミネソタの短大で足洗い場を設置するなどイスラム教生徒らによるアメリカ教育界乗っ取りの小手試しだとキャサリーン・カースティンは言う。
だとしたら、アメリカのあちこちで今考慮されているイスラム教生徒への特別計らいは断固取り止めるべきだ。アメリカの教育界はカナダの教育界で起きている事実に目を向けて今後の方針をしっかり考えてほしい。
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銃が多いと犯罪が減る! その2

1997年ミシガン州、高校生のルーク・ウッドハムはその朝母親の喉を自宅でかっ切って殺した後、鹿狩り用のライフルをつかみ、トレンチコートのポケットに銃弾を詰め込んで自分の通うパール高校へ向かった。
学校につくとウッドハムは誰彼かまわず生徒たちを撃ち殺しはじめた。
銃声が聞こえるとともに、校長マイリック先生はすぐさま自分のトラックへかけ戻った。マイリック校長は車のドアを開けケースから銃をとりだし、別の箱から銃弾を取り出した。「私はいつもこういう時のために銃を箱にしまってトラックに積んでいました。」とマイリック先生は言う。
ウッドハムは警察が来るまで間があると踏み、黙々と撃っては玉をいれ、玉を入れては撃つという行為を続けていた。ウッドハムは警察のサイレンをきくと外の自分の車に向かって走りはじめた。後の調べで分かったことはウッドハムは車で近くの中学校へいってそこでも警察が現れるまで子供たちを撃ち殺すつもりだったのだという。
しかしマイリック校長がその計画を阻止した。先生はウッドハムが逃げようと運転する車の前にたちはだかって車のフロントガラス越しに犯人の頭を狙って銃を構えたのである。あわてたウッドハムはハンドルをきり損なって建物に激突、車からヨタヨタ出てきたウッドハムに校長先生は銃を向けたまま問いつめた。「君は誰だ、なんで私の子供たちを撃っているのだ!」ウッドハムは泣きべそをかいて「先生、覚えてませんか先週ピザを届けた時先生がチップをくれましたよ。」と答えた。「私の学校の子供たちを殺していたこのモンスターも自分の頭に銃を向けられたとたんに自分も子供にもどってしまったんです。」とマイトリック校長は思い出して語った。

銃砲取締法について語る時、銃に親しみのない日本の方々は銃への恐怖心から銃による犯罪は思いついても銃による防犯についてはあまり思い付かないのではないだろうか?市民による銃所持を全面的に反対しているアメリカの主流メディアは無論そういう事件は報道しないので上記のような事件が日本の皆さんのお耳にはいることは先ずないだろう。
しかし実際にはアメリカでは銃を持った一般市民の手によって未然に防がれたり被害が最小限ですんだ刑事事件が結構あるのである。犯罪学者のゲリー・クレック教授は著書の「ポイントブランク」のなかで、銃砲が自己防衛に使われる件数は毎年250万件もあるという。銃が犯罪に使われる数など足下にも及ばない。クレック教授によれば銃のよって失われた命ひとりあたり、25人から75人の命が反対に銃によって救われているという。
クレック教授も先日紹介したロット教授と同じように善良な市民が手にする銃は犯罪を促進するどころか、かえって犯罪を抑制する役目を果たすと結論つけている。
昨日も書いたようにアメリカは連邦制度であるため、州によって銃砲に関する法律はまちまちである。それどころか州のなかでも都市やもっと小さな区域によって銃法は微妙に異なる。小銃携帯が一般的に認められているバージニアやテネシー州などでも、学校構内は銃砲持ち込み禁止になっているところが少なくない。それで必然的に学校は殺人鬼の標的となってしまうのである。
先日の乱射事件があったのと同じバージニア州で2002年2月にアパラチアン法律学校でも同じような事件が起きたが、今回とは対照的な終わり方をしている。

2002年1月16日、ピーター・オディジズワ(43歳)というナイジェリアからの留学生は日頃から成績が悪く退学の危機に陥っていた。その朝キャンパスを訪れたピーターは最初に成績についてデール・ロビン教授に相談を持ちかけた。その直後ピーターは校長室へ行き、スーティン校長を.380経口のセミ自動小銃で射殺し、続けて居合わせたトーマス・ブラックウェル教授に発砲。二人とも至近距離で撃たれて即死した。ピーターはその後廊下で通りかかった生徒のアンジェラ・デニスさんと数人に発砲し、ほかの学生三人にも怪我をおわせた。
この行動パターンを見る限り、この男は今回のバージニア工科大学の犯人と同じようにそのまま無差別に手当りしだいに学生や教授らを射殺していくつもりだったと判断される。しかし、この事件が今回と異なるのはこの男の悪行は途中で銃を持った二人の学生によって阻止されたことだ。ピーターは発砲した校舎を出たところで銃を持った生徒二人によって取り押さえられたのだ。
銃声を最初に聞いた時同学校の生徒トレーシー・ブリジス君とミカエル・グロス君はお互いそうとは知らずに自分らの車に置いてあった銃をそれぞれ取りにいった。故郷のノースカロライナではグリフトン警察につとめる警察官だったグロス君は防弾チョッキをつけ9ミリのピストルを取り出した。ブリジス君はシェビータホの運転席のしたに隠しておいた .357 マグナムピストルを引き出した。後でブリジス君はリッチモンドタイムス新聞で撃つ時は殺す覚悟だったと語っている。
ブリジスとグロスはピーター・オディジズワにそれぞれ別の方角から近付き、ブリジスは銃を捨てろと怒鳴った。オディジズワは銃を捨て数人の生徒らによって取り押さえられた。犯人がしっかり押さえられたのを確かめるとグロスは車に手錠をとりに戻り警察が来るまで待っていた。

このように銃を持った一般市民によって大悲劇が途中で食い止められた事件というのは案外あるのである。しかし読者のみなさんは乱射事件のような大量殺人事件は滅多と起こるものではない。そんな時のために一般市民が銃を所持するなどちょっと大げさすぎはしないかとお思いになるかもしれない。しかし読者のみなさん、厳しい銃砲取締法を一番歓迎するのは強盗や強姦魔といった犯罪者なのだとカカシが言ったらどうお思いになるだろうか?
昨日もちょっとお話したように、アメリカでは空き巣は多いが住人が家に居る時に起きる強盗は銃砲所持が全面的に禁じられているイギリスや日本よりもずっと少ない。これはどんな犯罪者でも言うことだが泥棒は警察官よりも銃を持った家主のほうがよっぽども恐いからだ。

1996年1月27日、フロリダ州の自宅でエドウィン・マック・マクドナルドさん(73歳)は真夜中に物音にきずいて目をさました。暗さに目が慣れるとなにやら部屋をうろつく影が見える。マクドナルドさんは一人暮らしで近所の家は何キロも離れている。しかも侵入者はマクドナルドさんの寝床に近付いてきた。
ふとマクドナルドさんの脳裏に12年前に二人の強盗に襲われ頭にショットガンをつきつけられて大金を奪われた時の思い出がよぎった。
そして今、侵入者は叫ぶ「金をだせ!」。家主は22口径のタウラスを枕の下から取り出した。先の事件直後に自己防衛のために購入しておいたピストルである。「金はどこだ!」と男は叫ぶ。マクドナルドさんが答えないでいると男はタンスの引き出しを次々に引き出し中身を床に放り投げはじめた。
マクドナルドさんはベッドから跳ね起き男に銃を向け叫んだ。「出ていけ!」
侵入者はいったんためらってから部屋を飛び出した。マクドナルドさんはほっとして明かりをつけ、警察に電話しようと台所へ向かった。ところがマクドナルドさんが寝室を一歩でると侵入者は再びにょきっと現れた。男は出ていってなかったのである。「出ていけ!」と繰り返すマクドナルドさんに男はスタンドを投げ付けた。はずれたスタンドは後ろの壁にあたり電球が砕けた。人を殺したくなかったマクドナルドさんは天井に向かって警報を撃った。
すると男は「なんだ空砲じゃねえか」と笑いながらポケットナイフを取り出し、ナイフをふりかざしはじめた。笑い声に恐くなって後ずさりするマクドナルドさんを男をつけてくる男。男の振ったナイフがマクドナルドさんの腕をかすった。もうこれ以上逃げ場はないと悟ったマクドナルドさんは男の胸に銃を向けて発砲した。
男がよたよたと外へ出ていったのを見届けた後、マクドナルドさんは警察に電話しようと受話器をとると線が切れていた。いそいで自家用車に飛び乗って交番まで突っ走った。
午前1時20分、マクドナルドさんの自宅に現れた警察官はひとりの男がうつむけに軒先で倒れているのを発見した。男は胸に二発の銃弾を浴びていた。脈はなかった。
警察の調べでわかったことはこの男がその頃あまり近隣の家が密接していない一軒家を狙っては強盗を働いていた三人組のひとりで、その日も二人の仲間が見張りをするなかひとりで侵入したらしい。侵入した男が撃たれて家から出てきたのをみて、仲間二人はあわてて逃げてしまったのだ。

こんな話はアメリカには五万とあるが、大抵の場合強盗や泥棒は銃を持った家主を見ただけで逃げてしまうのでローカルニュースの話題にすらならない。
現に1983年にニュージャージーの刑務所で重犯罪者を対象に行った世論調査によると、39%の囚人が少なくとも一回は犠牲者が銃を持っていた理由で犯罪を諦めた経験があるとし、8%は何度もそういうことがあったと答えた。34%は銃によって威嚇された、もしくは犠牲者に発砲されて怪我をしたり取り押さえられたりした経験があると答えた。69%がそういう目にあった仲間を知っていると答えた。
34%の囚人がしょっちゅうもしくは常に犠牲者が銃を持っていることを心配すると答え、56%が銃を持っていると分かっている犠牲者には手を出さないと答えた。57%が警察よりも銃を持っている犠牲者のほうが恐いと答えた。58%が店主が銃を持っている店が強盗にあるのは酸く兄だろうと答え、74%が空き巣を狙う理由として家主から撃たれるのが恐いからだと答えた。
となってくると銃砲所持全面禁止を行った場合いったい誰が一番得をするのだろうか?もともと法律など守るつもりのない犯罪者にとってもうひとつの法律など何の意味もない。だいたい銃犯罪をおかす犯罪者の6人のうち5人は違法に銃を購入しているという。銃法を厳しくして合法な購入が不可能になっても犯罪者は闇でいくらも銃を購入することができる。
厳しい銃法によって銃が持てなくなるのは自己防衛のために銃を一番必要としている善良な市民だけなのである。そして厳しい銃砲取締法を一番歓迎するのは誰あろう凶悪犯罪の犯罪者たちなのである。


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銃が多いと犯罪が減る! ええほんとお〜?

もうみなさんもアメリカのバージニア工科大学で起きた乱射事件については色々お聞きのことだろう。

米バージニア工科大で銃乱射事件、容疑者含む33人死亡

 4月16日、米バージニア州ブラックスバーグにあるバージニア工科大学で乱射事件が発生し容疑者の男を含む33人が死亡。
 [ブラックスバーグ(米バージニア州)/ワシントン 16日 ロイター] 米バージニア州ブラックスバーグにあるバージニア工科大学で16日、乱射事件が発生し、容疑者の男を含む33人が死亡した。チャールズ・スティーガ学長が明らかにした。米国の学校構内で起きた発砲事件では過去最悪のものになった。
 大学構内の警備担当責任者によると、16日朝、構内の一角で最初の銃撃があったが、単一の事件で終わると思い、大学の閉鎖はしなかったという。しかしその後、連続して銃撃が起きた。
 負傷者は15人。銃撃を受けるか、建物から飛び降るなどして負傷した。容疑者の男は自殺したという。

こういう事件が起きる度にアメリカは銃があるから犯罪がおおいんだあ〜!銃砲取り締まり法をもっと厳しくしろ〜!アメリカ社会から銃を追放しろ!と事件の詳細も分からないうちからアメリカ内外の銃砲取締法提唱者はすぐにカナキリ声をあげる。
だがアメリカは銃が多いから犯罪が多いのだというのは神話である。実際には一般市民が銃を持っていることによって多くの犯罪が未然に防がれているのである。
例えばアメリカでは強盗などの凶悪犯罪が欧州や日本よりも少ないということをみなさんはご存じだろうか?アメリカの泥棒は家主が銃を持って反撃してくる可能性を警察につかまることよりも恐れる。だから空き巣はあっても住人が居る間の強盗の数はすくなくなるのだ。それに比べてイギリスやオーストラリアでは一般市民の銃砲所持全面禁止を施行してから凶悪犯罪率が激増したという事実もある。
ここで読者の皆さんにアメリカの銃砲取締法がどのようになっているのか説明しておく必要があるだろう。アメリカはご存じのように連邦制度であるため銃法は州によって極端に異なる。アメリカの連邦憲法では個人の市民が銃砲を所持する権利は保証してはいるが、携帯および持ち運びになってくると州によって法律はまちまちである。
例えばカカシの住むカリフォルニアでは銃を購入した時点で登録をすませておけば自宅に置いておく分には問題はない。だが、これを持ち歩くとなると話は別だ。銃砲携帯には許可が必要だが特別な職種についていない一般市民がこの許可証を手にいれることは地方都市保安官の友達ででもない限り不可能に近い。
しかし事件のあったバージニア州では犯罪歴があるとか精神病患者であるとかいう理由でもない限り、市民は申し込みさえすれば自動的に小銃携帯許可証がもらえることになっている。これをアメリカではCCW許可証という。現在アメリカでは51州のうち確か30州以上でこの法律が存在する。
ただ不幸なことに州の法律では銃携帯は合法であるにも関わらず大学の校則ではキャンパスへの銃持ち込みは禁じられているため生徒や教師の誰も銃を持っていなかった。だから犯人がキャンパス中でひとりひとり射殺していくのを見ながら生徒も教師も全く無力だったのである。
事実小銃携帯許可の普及を唱えるフロリダ大学の統計学者、ジョン・ロット教授によると、いわゆる銃砲携帯禁止地区と呼ばれる地区とそうでない地区を比べた場合、前者のほうが断然殺人事件の割合が高いのだという。
偶然だが当のロット教授は二週間前にこの銃砲禁止地区の問題点についてフォックスニュースでエッセーを公開したばかりだった。
ロット教授はワシントン州の大学で嫉妬に狂った元恋人に殺された女学生の事件をとりあげ、時として特にか弱い女性の場合、効果的な自己防衛の方法は銃を持つ以外にはないと書いている。
殺されたレベッカさんは元恋人で凶暴なローエンにずっと付きまとわれていた。ローエンは過去に何度もレベッカさんに殴る蹴る壁に叩き付けるといった乱暴を働いており、レベッカさんはその度に警察に届け、ローエンが彼女に一定区間以内に近付かないようにというリストレイニングオーダーという礼状を二回も発行してもらっていた。
しかしこのような礼状は恋人を殺して自分も死のうと自暴自棄になっている人間には何の効き目もない。レベッカさんは銃砲禁止地区の大学構内でローエンに襲われ抵抗できずに殺されてしまった。通報を聞いて警察が駆け付けたのはその7分後のことであった。
全国でこのような事件は後を絶たない。いくら警察が大急ぎで駆け付けても7分という時間は殺されているほうにしたら永遠に近いほど長い時間だ。へき地や犯罪の多い地域などでは警察がくるまでに20分も30分もかかることはざらにある。そんなところでのんびり警察がくるのをまっていたのでは命がいくらあっても足りない。市民は、特に女性や年よりなどのか弱い人々は、犠牲にならないよう自分で自分の身を守る必要があるのである。皮肉なことにこうした市民を守る意図で作られた銃砲禁止地区の設立は犯罪者の武装解除には何の役にもたたないが、反対に合法で善良な市民を丸腰にしてかえって市民を無抵抗で危険な状態においてしまう結果となる。
教授とその同僚たちがシカゴ大学のビル・ランズ教授と協力して1977年から1999年の間にアメリカの公共の場で起きた複数の犠牲者が出た乱射事件の数を調査してみた。するとシャルイシューCCW法(犯罪歴や神病以患者以外の市民なら申し込み次第許可がおりるという法律)を取り入れた州はどこも皆こぞって取り入れる前と後では60%も事件数が減ったというのである。公共の場での乱射による死傷者の数はなんと平均78%も減っていた。
常識的に考えて、強姦や強盗を企む犯罪者はもともと法律をやぶることなどなんとも思っていない。そういう人間にとって銃砲規制など何の抑止力もない。これらの悪者は女性やお年寄りといった弱者を狙う。だが善良な市民なら誰でも銃を携帯することができるとなれば、たとえすべての市民が銃を持っていなくても犯罪者は犠牲者を選ぶのが難かしくなる。一見弱者に見える女性やお年寄りも銃を構えれば犯罪者と同等の力を持つからである。
アメリカの主流メディアは全体的に銃が嫌いなのでアメリカ全土で毎年どれだけの銃によって人々の命が救われているかという確かな統計はない。だが銃によって失われる人の命を数えるならば、銃によってすくわれた命を数えるのも筋だろう。
日本人には銃というものに親しみがないため、なにやら恐いものだという印象がある。決まり文句とはいえ、銃が人を殺すのではない、人が人を殺すというのは本当だ。銃はそれを持つ人によって恐ろしい敵にも頼もしい味方にもなるのである。


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『法と秩序』か社会福祉か、揺れるフランス大統領選挙

フランスも長年に渡るジャック・シャラク大統領の時代がついに終わり、新しい大統領選挙がいよいよ大詰めである

サルコジ氏首位で最終盤へ=第1回投票まで1週間−仏大統領選

 【パリ14日時事】22日のフランス大統領選第1回投票まであと1週間。ニコラ・サルコジ国民運動連合(UMP)総裁が支持率トップを維持しているが、同総裁の問題発言が報じられるなど、選挙戦の行方にはなお不透明な要素もある。
 主要6機関による世論調査の支持率は、サルコジ氏が27−29.5%、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル元環境相22−25%、仏民主連合(UDF)のフランソワ・バイル議長18−20%、国民戦線(FN)のジャンマリ・ルペン党首13−15%。1−4位の座は最終盤にきて固まりつつある。
 こうした中、サルコジ氏が哲学誌に掲載された対談で、小児性愛や若者の自殺志向について「先天的なもの」と発言。これは「人の運命が最初から決まっていると言っているようなもの。非常に重大な発言だ」(バイル氏)などと対立候補から批判されたほか、有識者や聖職者からも相次いで厳しい指摘を受けた。

 
選挙を目前にして保守派とリベラルの間ではフランスの遊園地で起きた警察官殺人事件を巡ってフランスをまっぷたつに割っている深刻な問題が浮き彫りになった。
4月12日、Foire du Trôneという遊園地で、『若者』数人が乗車券を買わずに観覧車に乗ろうとしたところを係員に注意されけんかになった。警備に当たっていた二人の警察官が仲裁にはいったが、そのうちの一人の警察官、レイナルド・カローン巡査(31歳)が観覧車の通路に落ち観覧車に打たれて即死した。カローン巡査は強い衝撃で体がふきとばされ、そのあまりの惨さに思わずパートナーの警察官は失神しそうになったほどだという。
当初この事件はカローン巡査が誤って落ちた事故死であると報道されたが、その場にいた二人の目撃者が名乗り出て、巡査は『若者ら』に突き落とされたのだと証言したことから、殺人事件とみなされた。事件に関わった少年3人が即座に事情聴取で連行され、犯罪の常習犯でパリでも特に柄の悪いことで知られるla Cité des Pyramidesという貧民窟にすむ大柄な『黒人』の少年(15歳)が故意に巡査を突き落としたことを認めた。
フランスのメディアが「移民」「黒人」「若者」といういい方をする時は、犯人がイスラム系の移民であると判断してまず間違いはないのだが、メディアは未だに少年がイスラム教徒であったかどうかは公開していない。
ここで問題なのはフランスのメディアもそして警察も二人の目撃者が殺人を目撃しているにも関わらず、三日以上もこの事件を殺人として扱わず事故として扱おうとしたことである。
まず最初に遊園地の係員が少年らに注意したことを「的屋と若者のけんか」と表現して係員にも罪があるかのようないいかたをしたり、カローン巡査は逃げようとした少年に突き飛ばされて落ちたのであって故意に落とされたのではないとか、少年らの罪をなんとか軽くさせようという努力がされた。
フランスメディアと警察のこの消極的な態度には原因がある。実は先月の終わりにも別の遊園地で無賃乗車を取り締まろうとした警察と若者たちの間で Gare du Nord紛争と呼ばれる暴動あったばかりだったからである。
この暴動では遊園地の乗り物に無賃乗車をしよとした若者数人を逮捕した警察官のやり方を巡って若者たちが暴れ出したのがきっかけだった。小競り合いはすぐに激化し機動隊が出動して催涙ガスがつかわれるなどの大騒動となり13人が逮捕された。その時サルコジ候補は警察のやり方は正しかったとし、「切符の代金を支払わない人間を逮捕することが問題になるのはわが国くらいである」と発言。「警察が最低限の秩序を守ることが許されないなら警察はなんのためにあるのだ?」と問いかけた。
以前から再三書いてきたように、フランスではイスラム系移民の暴挙はここ数年、目に余るものがある。一日に平均10人以上の警察官が移民によって暴行を受けることや、乗用車が一晩で百代以上も焼かれていることはもうここ2〜3年日常茶飯事になっている。しかしそれに対するフランスメディアやフランス政治家の対応は取り締まりではなく迎合一点張りである。以前にパりは燃えているで私はこのように書いた。

私はこの間…フランスで起きているインティーファーダ(過激派イスラム教徒による反政権運動)について、やたらにメディアが遠慮がちであることを書いた。 アメリカのメディアは重体者を出した数台のバス放火事件の犯人を単に「若者」とか「移民を祖先に持つ若者」もしくは「低所得者住宅地の若者」といった言葉で表現し、明らかにイスラム系移民であることを必死に隠そうとしていた。しかしこの傾向は当のおふらんすメディアでも同じことらしい。 …去年のイスラム教徒による暴動のきっかけとなった二人のちんぴらが感電死した記念日に、なんと市長さんが慰霊碑にお見舞いをするという珍動。 いくらイスラム系移民の多い地区とはいえ、ここまで迎合する必要があるのか、といいたくなる。しかし過激派に対して迎合すること以外にフランス政府には政策がないというのも事実なのだろう。 そしてその迎合の姿勢を必死で守っているのがフランスメディアである。

フランスの左翼議員が下層階級の票欲しさに犯罪者に甘い顔を見せる傾向はひどくなる一方だ。パジャマスメディアに掲載されたこの記事によると、仏民主連合(UDF)のフランソワ・バイル議長などを中心に左翼の候補者たちはこぞって貧民窟で貧乏人たちと一緒に写真をとってみたり、危険な地区の地下鉄に乗ってみたりして、いかに自分達が庶民の味方であるかという態度をアピールするのに余念がないらしい。メディアが心配しているのはそんななかでこの事件が凶悪な殺人事件として扱われれば大事な選挙中にフランスの治安の乱れに市民の注目が行き、貧乏人の味方をとなえる左翼候補らより、法と秩序をうたい文句にしているサルコジ候補が有利になってしまうということなのである。
フランスの治安の乱れに関する記事は下記参照:
フランスを蝕むイスラム系移民二世たち
フランス国内のイスラム問題解決はイラク戦争にある?!
犯罪者に甘い顔をして下層の票を集めようとしているのはバイル候補だけではない。

  • José Bové:反グローバリゼーション運動家、フランスの違法移民と仲良し。
  • Olivier Besancenot:共産党、労働者と反シオニスト活動家たちに迎合している。
  • ジャンマリ・ルペン:(Jean-Marie Le Pen:国民戦線(FN)の党首)レバノン新聞でサルコジ候補はイスラエルと仲良しだからフランスには危険な人物だと主張。
  • セゴレーヌ・ロワイヤル:(Ségolène Royal – 社会党)ルペンに負けじとこちらも別のレバノンの新聞にて自分が選ばれたらブッシュ大統領とは握手しないと宣言した。

ほかにも色々いるが皆福祉のやり過ぎで経済が破たんしているフランス社会で、低家賃の住宅を保証するとか、失業者すべてに失った仕事を返すとか非現実的な社会福祉ばかりを約束している。こうした候補者にとって警察官殺人事件への注目は非常に不都合な事態を及ぼす。

フランス左翼の候補は皆ロイヤルを筆頭にバイルも含め過激派中の過激派Schivardiにいたるまで収入を分割し社会を平穏化することを約束している。左翼はGare du Nord暴動の後、選挙運動に無関係な法と秩序問題を持ち出したとして右翼を攻撃。左翼にいわせると市民は賃金の値上げや家賃援助の住宅や就職の安定そして年金について聞きたいとのことだ。残酷な若い警察官の死は優しい政府を目指す候補者には都合が悪い。市民がどう判断するかは投票によって近日中にあきらかになる。第一回目の投票は4月22日の日曜日。どちらに輪が回るのか、賭けてください。Les jeux sont faits。


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ナジャフ行進とグリーンゾーン爆破も別な見方をすれば、、

主流メディアの報道だけを聞いていると、この間のナジャフでは大規模な反米デモ行進が行われたとか、バグダッド市内では相も変わらず殺人事件が続出、警備の厳しいはずのグリーンゾーン内部ですら爆破事件がおきるなど、アメリカの新作戦は成果を見せるどころかイラクの治安は悪くなる一方だという印象を受ける。事実背後関係を全く説明しない主流メディアの報道だけを読んでいればそう感じても無理はない。しかし今のイラクの戦況を注意して見てみると実はそれほど悪い状態ではなく、それどころか結構ペトラエウス将軍の新作戦は実を結びはじめていることがわかる。
ナジャフの行進、数千か数万か
主流メディアはこぞって今回のデモ行進を「大規模な反米デモ行進」などという見出しで飾っているが、規模が大きかったのか小さかったのかということは何か比較になるものがなくては正確な判断は下せない。
イラク連合軍の当初の公式発表ではデモ行進の参加者は5千から7千とのことだった。後になってロイターが航空写真をもとにした軍の測定ではピーク時には1万5千になったと報道していた。主流メディアではその数は「何万」といった漠然とした表現しか使われていないため実際にはどのくらいの数だったのかは公式発表に頼る以外にないが、多く見積もっても参加者数はせいぜい2万人程度だった。この数をもってして果たしてサドルのデモ行進は主流メディアが言うほど成功だったと言えるのだろうか? 
幸いなことにこのインターネット時代、ちょっとした検索でサドルが主催した去年のデモ行進と比べてみることができる。下記は2006年8月バグダッドで行われたデモ行進の模様、イラクザモデルから:

世論調査で人気があるということは必ずしも事実とは一致しない。今日のデモ行進を見てもサドルが期待した百万という数に対してバグダッドの二百万を超えるシーア派市民のうち集まったのはたったの10万人。サドルは南部の地域に送迎バスまで送っったというのにだ。しかも忘れてならないのはデモが行われたのはサドルにとっては本拠地。支持者が集まるのには何の努力もいらないはずだ、なにせ自分のうちの裏庭に集まれといわれたも同然なのだから。

イラクザモデルの数は少な目のほうで、別の記事では8月の参加者は20万人だったと報道したところもある。だが期待されていた二百万よりは一桁も少ない数だったとはいえ、それでも今回の2万人に比べたら5倍から10倍の数が集まっていたのだ!
たった8か月後に送迎バスまで派遣して集めたデモ行進参加者が十分の一に減っているという事実はサドルの勢力が大幅に弱体化していることを意味する。
バグダッド市内の死者減少
さて、イラクの治安が良くなっているかどうかを客観的に判断するためには、イラク内で殺される市民の数を作戦前と作戦が始まった後とで比べてく見ることが必要だ。APの記事によればこの数は確実に減っている

APが合計したイラク警察発表の数によると作戦が始まってから木曜日までの間にバグダッド市内で殺されたイラク市民の数は1586人。

これは新作戦が始まる前の2か月間で暴力的な死を遂げた市民の数2871人に比べ大幅に減ったことになる。
二月十四日から四月十二日木曜日の間に首都外部で殺された市民の数は1504人。その前の二か月間の合計は1009人とAPの報告は示している。

バグダッドでの死亡率は45%の減少、外部では50%の増加となる。悪い奴らがバグダッドから追い出されているため外部の殺人率が増えているわけだが、それでも全体の死亡率は20%減という計算になる。
グリーンゾーン爆破の真相
警備がどこよりも厳しいはずのイラク議会ビルで自爆テロがあったというニュースは、イラクの治安悪化を意味するように見える。しかしブラックファイブに投稿したイラク議会ビルに勤める民間人によると、議会ビルは2006年からイラク政府の管轄になっておりグリーンゾーンの中には位置していないのだという。

「頑丈に要塞化されたグリーンゾーンの真ん中」の警備をテロリストがやぶって潜入したとCNNやBBCやNPRなどは報道していますが、実は議会ビルはグリーンゾーンの中にはないのです。私たちはこのビルは2006年にイラク政府に譲渡しており、ビルはグリーンまたは国際区域の北西にあたる外側に位置することになったのです。

この投稿者のいっていることが正しいかどうかは分からないが、議会ビルの警備を担当していたのがアメリカ軍でないことは確かなようで、議会ビルにつとめるイラク人たちはアメリカ軍による厳しい警備を嫌がってもっと緩い警備体制を敷いていたという。今回の犯人もアルカエダと関係のあるスンニ警備員の仕業だったようだが、もう大分前から議会ビルの警備の甘さは指摘されていた。
ということは議会ビルの爆破はおこるべくして起きたことであり、アメリカ軍の新作戦の対象にはなっていなかったことになる。この事件のせいで議会ビルは警備体制の見直しがされることになる。
このテロで注目すべきなのはアルカエダの攻撃対象となった政治家たちはスンニ派だったことである。アルカエダの連中はイラク政府に協力するスンニ派を裏切り者としてどんどん暗殺している。それに対抗し本日もこれまでアルカエダと協力関係にあったイラクイスラム軍がアルカエダと手を切ってアルカエダと戦うと宣言した。アルカエダとスンニ反乱軍の亀裂は深まる一方である。
ピンクから白へ、赤からピンクへ
ここで私が先に紹介したイラク戦争に勝つ方法の第一段階を思い出していただきたい。

1)兵を一地区に集中させること。テロリストは自動車爆弾などを使って少人数で大規模なダメージを起こすことができるが、政府軍は大人数の軍隊を使っても広範囲に散らばっていてはとてもとても市民ひとりひとりを監視することなどできない。そこでガルーラは守る地域を、白、ピンク、赤という地区に分けた。白とは政府の統括下にある地域、ピンクはゲリラと政府が競争している地域、赤は完全にゲリラが制覇している地域。対反乱作戦を成功させる鍵は、ピンクを白に、赤をピンクへと、一区画づつ地道に変えていくことにかかっている。

グリーンゾーンが白だとすればバグダッドの大半はピンクだったが、今そのピンクゾーンはだんだんと白に変わりつつある。赤からピンクへ変わる時点では戦いが激化するため双方の犠牲者は増えるが、バグダッド外部での死亡者が増えているということはレッドゾーンがピンクにかわりつつあることを意味する。
こうして考えていくとイラクの戦況はかなり良い方向へ向かっていると判断することができる。今後主流メディアの記事を読む時は自爆テロや犠牲者の数だけでなく、どの地域でどういう状況でそうした事件が起きているのか、そしてそれがどういう意味を持つのか注意してみてみれば暗雲が立ちこめるように見える空の合間に銀色の裏地が見えるかもしれない。


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イギリスは立ち直れるか?

先日帰還したばかりの15人のイギリス兵人質が、体験談を巨額な金額でゴシップ雑誌に売ることをイギリス国防省が許可したことでイギリス国民から非難ごうごうだという話を小林恭子さんのところで読んだばかりだったのだが、今日になって当局はやはりこれを許可しないと発表した。
当初はきわめて特殊な例なので許可するということだったのだが、由緒正しいビクトリアクロス受賞者くらいしか許されていない特権をたかが人質になっただけの兵士らに許していいのか、イラク戦争でなくなった人々の遺族はどうなる、などの批判が次々に寄せられたようだ。
一旦許可して批判があったからやっぱりやめましたじゃ本当にイギリス軍隊の名誉も地に落ちたというものだ。私は別に彼等が体験談を金で売ること自体が悪いことだとは思わないが、抵抗もせずむざむざ捕まって敵のプロパガンダに簡単に協力し拷問もされていないのに「殺されるかと思った」だの「恐かった」だの平気で公言し、それを恥るでもなく平気で金で売って大々的に宣伝しようという精神が理解できない。私がこんな状態で帰国したら恥かしくて世間様に顔向けできないと思うが。
これが小林さんのいうところの「新しい英国人」と私みたいな古い人間の差だろうか?

8日のサンデータイムズで、アンドリュー・ロバーツ(歴史家、作家)という人が書いていたのが印象に残る。それは、もし15人の体験談を売ることに「いいんじゃないの?すごい体験だったし、お金をもうけてもかまわないだろう」と自然に思える人は、「新しい英国人New Brit」、今回の件で怒る人は「古い英国人Old Brit」と指摘していた。まさにそうなのかもしれない、と思った。

この間私もロバーツ氏とアメリカの保守派DJとのインタビューで、下記のような発言をしていたのを紹介したばかりだ。

HH:いったいジョン・ブルはどうしちゃったんです?僕が読んだどのイギリスの歴史書でもこんな挑発があればダンスホールで歌がはじまり灯火をもった行進が始まったとあります。
AR: 残念ながら私にもわが国に何が起きたのか解りません。 私にはショックです、そしてこれだけ多くのひとが、、、私たちは首を傾げているんですが、過去の政府ならこんな明らかな暴挙にたいして必ずしたであろう対応をしたいと答えた人がたったの6%なんですから。

私はこの会話を聞いてアカデミーで主演女優賞を取ったヘレン・ミレンが主演したThe Queen (女王)という映画のなかで、ダイアナ元皇太子妃が交通事故で亡くなった時のイギリス国民の皇室に対する理不尽な不満に対して、エリザベス女王が「私の国に何が起きたのか解らない」といった意味のことを言うシーンがあったのを思い出した。
現在のイギリス社会がダイアナ妃人気の頃からどうもおかしくなっていると考えたのは私だけではなかったらしく、イギリスの政治コラムニスト、メラニー・フィリイプさんもロバーツ氏のいう新しいイギリスをイギリスのダイアナフィケーション(ダイアナ化)と呼んでいる。
故ダイアナ妃は皇太子と結婚してからパパラッチに追い回された挙げ句の果てがパリでの事故死。ダイアナに少しでも関係のあった人々は昔なら口が堅くて有名だった皇室の従業員から昔の恋人から占い師にいたるまで、皇室での出来事をゴシップ雑誌に恥も外聞もなく売りさばいた。いくら金の力は強いとは言えこれらの人々には仕事に対する誇りとか忠誠心といったものは全くないのだろうか?その傾向が一介の民間人だけならまだしもイギリス軍隊にまでひろまっているとはこれは由々しき問題だと私は思う。
アメリカ軍人の間で人気のあるミルブログのブラックファイブでは、コメントを寄せているのは内容からいって若い現役軍人が多いらしく、当初15人が拉致されたという時点で15人が抵抗しなかったことには同情的だ。ただその後捕虜になってからの態度は軍人として頂けないという意見が大半を占めていた。実際にはイラン側に協力したのは13人。15人のうち二人は最後まで協力を拒否したのだそうだ。
我々民間人や退役して何年にもなるお偉い軍人と違って、明日は我が身の若い兵たちはやはり上からの命令で抵抗するなという戦闘規約があったのなら中尉程度の立場でそれに反して抵抗を判断するのは難しいのではないかという同情心が出るようだ。しかしそのかわり、そのような戦闘規約をあのような危険な場所で実行しているイギリス海軍そのものに関しての批判は非常に大きい。
実を言えば私はこの事件はおこるべくしておこったことだと考える。最近世界広しと言えども海軍に投資し規模を拡大しているのはアメリカのほかは日本海上自衛隊くらいなものである。欧州はこの大事な時に防衛費を大幅に削りただでさえ小さい軍隊をさらに規模削減へと進んでいる。かつて皇立海軍をあれだけ誇った英国ですらブルーウォーター海軍は全面的に廃止する予定だという。あの13人の振る舞いは例外というよりも、もう長いこと病んでいるイギリス海軍の症状といってもいいだろう。
今日イギリス人であることを誇りに思うのは難かしい。
私は今のイギリスの状態は1979年にイランのアメリカ大使館をイラン人の過激派学生たちに占拠された時のアメリカと似ているような気がする。私は当時あの事件をリアルタイムでテレビでみていたが、人質をとられた直後のカーター大統領のぶざまな慌てふたふたむきぶり、その後のイランへの屈辱的な嘆願、そして恥さらしな救助大失敗と続き、アメリカではアメリカ人であることへの屈辱感が全体的にただよっていたのをよく覚えている。
実はアメリカに暗雲が広がりはじめたのは長年の苦労の甲斐もなく、ベトナム戦争がああいう形で負けた1975年頃からだ。それまで一度も戦争に負けたことのなかったアメリカにとってベトナム敗戦は非常に大きな痛手だった。
1976年、共和党のニクソンのスキャンダルとフォードの不能な政治のおかげで民主党のカーターが大統領になったが、それと同時にアメリカ経済は低迷状態。当時のインフレは20%、失業率は二桁というひどさ。オイルショックでガソリンは不足するし、日本車の進出でアメリカ自動車業界は瀕死の状態。そんな中で起きた大使館占拠事件は棺に打たれた釘といってもいい。
イランの宗教革命を事前に予知できずこのような事態を引き起こしたカーター大統領の支持率は地に落ちたが、それ以上にこの事件によってアメリカ人の自己意識は最低となった。アメリカ人がアメリカ人であることに誇りを持てなくなっていたのである。
そんな時、アメリカ人の気持ちを高揚させるひとつの出来事が起きた。皆さんは1980年の冬季オリンピックでアメリカのホッキーチームが優勝したことをご存じだろうか? (ディズニーの映画でこの時のことを描いた「ミラクル=奇跡」という映画があるので是非観ていただきたい。)
当時のオリンピックの規則ではプロは参加できないことになっていたので、アメリカチームは学生ばかりの平均年齢20歳未満のアマチュアチーム。それに対抗するのは東共産圏の経験豊な強敵プロチームばかり。なにせ共産圏の選手たちはアマチュアとは名ばかりの年も経験もいったプロばかり。青二才の学生たちばかりをかき集めたアメリカチームなど勝ち目は全くなかった。
ところがこのアマチュアチームが誰の予想にも反して優勝してしまったのだ!最近のオリンピックでアメリカのチームを応援する時アメリカ人がよく声を合わせて「USA, USA」と叫ぶのはこの時優勝の決め手となったソ連チームとの試合の時から始まったのだという。
長年アメリカ人であることに自己嫌悪を持たされていたアメリカ市民はこのチームのおかげで再びアメリカを誇りに持てるようになったのだ。
アセアンさんはよく大使館占拠事件がアメリカ人のトラウマになっているというが、私はかえってあの事件はアメリカが立ち直る踏み台になったと思う。カーター大統領の悲劇的な政権はあの事件で終止符を打った。カーター大統領に対抗して出てきた楽観的なレーガン大統領が圧勝したのもこうした背景があればこそだ。
レーガン大統領が当選した時、日本のマスコミがレーガン氏は三流の映画俳優だがハンサムだし、何よりもアメリカ人にアメリカ人であることを誇りに思わせることができるひとだと分析していたのを私はよく覚えている。
イラン大使館占拠でアメリカ人として最大の屈辱を味あわされたアメリカ人は、もう負け犬でいるのはたくさん、誇り高きアメリカを取り戻そうという気になった。今回の事件で集団的自己嫌悪に陥っているイギリス国民が、この事件を期に目を醒ましてくれることを望む私は楽観的すぎるだろうか?
イギリスよ、いまは軍事縮小の時ではない! グローバルジハーディストたちと戦うため、今こそ軍事を拡大しかつての無敵で偉大なる英国を取り戻すときなのだ!
イギリスよ、立ち直ってくれ!


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サドルの大誤算、ナジャフデモ行進の意味するもの

アップデートあり: ナジャフ行進参加者の数に訂正あり、下記参照。
昨日サドルはマフディ軍にアメリカ軍に抵抗するようバグダッド落日4年目の記念日にナジャフに集まって反米大行進を呼びかけた。それに応えて何千というマフディ軍およびその支持者がナジャフに集まってデモ行進を行っている
これだけ見ていると、サドルの人気はまだまだ高くイラクにおけるシーア派による反米感情は高まる一方だと考えがちだが、実はそうともいえない。
サドルはアメリカ軍が増派を含む新作戦をはじめた当初マフディ軍にたいしてはおとなしくしていろと命令した。逮捕されても抵抗するなとまで言っていた。サドルの狙いは三つあった。

  1. アメリカ軍の新作戦は長続きしない。ほとぼりが冷めるまで大人しくしていてアメリカ軍が撤退したらまた活動をはじめればいい。
  2. マリキ政権はブッシュ大統領からの圧力で形ばかりの民兵取り締まりはするだろうが、真剣な取り締まりなどするわけがない。マフディ兵が逮捕されても後でコネを使って釈放させればいい。
  3. この際だからマフディ軍内部にいるサドル犯行分子をアメリカ軍に引き渡し、アメリカやイラク政府に協力しているふりをしてライバルを取り除いてしまおう。

産經新聞もサドルのこの作戦について、イラク政府はシーア民兵を温存する形となったなどと報道していた。(イラク掃蕩作戦に悲観的な産経新聞参照のこと)

汎アラブ紙アルハヤートなどによると、サドル師は、マリキ首相の密使として派遣されたジャアファリ元首相(シーア派)との会談で「マフディー軍潜伏」を決断したという。「掃討作戦の対象はシーア派、スンニ派を問わない」との公式な立場を取るマリキ首相も、マフディー軍の「一時的潜伏」により大規模掃討作戦の目標の半分が、実質的に空振りに終わることを、暗黙のうちに認めていることになる。
…しかし、米軍の段階的撤退が視野に入ってきた現状で、その後も“シーア派覇権”を維持するために独自の軍事力の温存は宗派全体としての中・長期的な“戦略的利益”にかなう。

では何故サドルは今になってその潜伏作戦を覆し、アメリカ軍にたいして表立った抵抗を呼びかけはじめたのだろうか?
ここで私が一月の時点でサドルの計算違いでサドルの計画は産經新聞がいうような具合には運ばないだろうと予測していたことを思い出していただきたい。

  • 意図的にしろ無理矢理にしろ一旦敵に占拠された領土を取り戻すとなると、もともとの領土を守るようなわけにはいかない。
  • 民兵たちは正規軍ではない、ただのギャングである。何か月もサドルのいうことをきいて大人しくしているとは思えない。自分勝手に暴れた民兵たちが大量にアメリカ軍やイラク軍に殺されるのは目に見えている。
  • アルカエダの勢力は昔に比べたら大幅に衰えているため、シーア派民兵が抵抗しなければバグダッドの治安は安定しサドルの思惑はどうあれ傍目にはブッシュの新作戦が大成功をしたように見える。そうなればアメリカ軍の新作戦は長続きしないどころかずっと継続する可能性がある。

サドルの狙いに反してマリキ政権はシーア派取り締まりに真剣に取り組んだ。マフディ軍はバグダッド中心部から即座に追い出され南部へと追い込まれている。しかもバグダッドを退散した民兵たちはイラン国境近くのディワニヤ地域でアメリカ軍空軍による激しい攻撃を受けている。
また、マフディ軍無抵抗作戦に亀裂でも述べたように、マフディ軍のなかにもイラク政府に本気で協力しようという勢力と断固協力できないという勢力との間で亀裂が生じてきている。ビル・ロジオのリポートによればイラク政府に協力する勢力はどんどん増えているという。
となってくるとサドルの潜伏作戦ではアメリカの新作戦が時間切れになる前にマフディ軍の勢力が大幅に弱体化し、アメリカ軍が去った後に戻ってくる場所がなくなってしまう危険性が大きくなったのだ。そこでサドルは今必死になって作戦変更。イラク軍にたいしてもマフディと戦わないでくれと嘆願書まで送り出す始末。(無論そこはアラビア、嘆願書でも勇ましい書き方をしてはいるが、切羽詰まった感情は隠しきれない。)
アメリカ軍の概算ではナジャフに集まった群衆の数は5千から7千、サドルが期待していた何万という数にはおよそほど遠い数となった。しかもサドルがデモ行進を率先して対アメリカ抵抗を呼びかけたというのならばともかく、自分は安全なイランに隠れたままで書面だけの呼びかけなどその弱体さを暴露したようなものである。
このデモ行進の規模の小ささとサドルの臆病な態度がイラクの民兵らの士気に響かないはずがない。しかもイラク・アメリカ連合軍はマフディ軍退治の大規模な最終攻撃に備えてちゃくちゃくと準備を進めている。
サドルよ、お前の最後も近い。
アップデート: ロイターの記事によると アメリカ軍の空からの偵察写真によると参加者の数は約15000人とある。地上にいた記者の概算では数万とあるが、地上では正確な数字はつかみにくい。唯一つ正確な測定ができるのは航空写真のみなので、私はアメリカ軍の測定を信用する。


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人質はどう振舞うべきか その2

アメリカ海軍の新聞、ネイビータイムスに今回のイギリス兵と同じような状況で拘束されたアメリカ兵らの話が載っている。同じ海域で任務にあたっているアメリカ海軍としては、今回の事件は全く他人事ではない。個人的には私の同僚のおじさんが今あのあたりの軍艦で勤務中ということもある。
さて先ず気になるのはアメリカ海軍の兵士らがイギリス兵のような状況におかれた時、アメリカ兵はどのように行動することが期待されているのだろうか?ということだ。今回のイギリス海軍の反応から言って英兵らの行動はROE(戦闘規制)に乗っ取ったものであったようなので、ここでアメリカ軍のROEを確かめておこう。

4月5日のCNNのインタビューにおいて、マイク・ミュラン大将海軍総司令官は、解りやすくいえばアメリカ海軍兵はこのような状況を防ぐことを期待すると語った。

「私の期待としては、アメリカの水兵たちはこのような状況において拘束されることは絶対にないということです。」と語った。「個人や隊は自己防衛の権利に添って行動すべきであり、自分達を守るために上からの許可を待つ必要はありません。このような作戦や任務につく場合、そういう考えで出動しています。」
水兵らが拘束された場合には、アメリカ兵士として、基礎訓練キャンプで教え込まれた6つ「行動の規律」を守ることが期待されていると大将は付け加えた。 兵士は自分の名前のほかにはほとんど情報を与えず、その他の質問には「非常に限られた範囲で答えること」だと大将は語った。

ホッ! ではアメリカ軍はイギリス軍が明かに時代送れと考えている、「名前、生年月日、出席番号」以外は言うなというモットーを貫き通しているわけだ。よかった〜。
さて、ここで先のイギリス兵15人とほぼ同じ状況で捕われたアメリカ兵たちの話をしよう。まず最初の事件は1969年に北朝鮮にだ捕された偵察線プエブロの乗組員たちが11か月ほど拘留された事件。乗組員たちはその間しょっちゅう殴るけるの乱暴を受けた。彼等も今回のイギリス兵と同じようにプロパガンダの写真撮影をされたが、みんなでピースサインならぬバードサイン(中指を突き付ける侮辱のサイン)をしてにっこり撮影に応じたという。これがタイムマガジンに掲載されジェスチャーの意味が説明されてしまい、兵士らはまたまたひどい拷問にあったという。(ありがとう!タイムマガジン!)
そのうちの一人、ラルフ・マクリントックさんは「行動の規律」を自分なりに状況に当てはめて解釈しながら行動したという。
2001年4月、中国近郊の航空で中国戦闘機に無理矢理着陸をさせられた米海軍偵察飛行機PC3の乗り組み員24人が捕らえられ11日間拘束された事件では、状況が非常に似ているだけに米海軍兵と英海軍兵の行動の違いは対象的である。
そのうちのシェーン・オズボーン元海軍少尉は当初から乗組員全員で力の限り抵抗しようと決心。イギリス兵が解放された時点ではまだまだ抵抗力は残っていたという。
拘束10日目にして、オズボーン少尉は中国の空域を侵したと認める声明文を書けばその日のうちに解放してやると言われたが、「謝罪より自分が白髪頭の年寄りになる方が先だ」と部下たちに告げ部下たちも全員賛成したという。
今回の人質ドラマをみていてオズボーン氏は「私は自分の部下たちをどれほど誇りに思ったかを思い出しました。私たちは名誉を保持したまま(中国を)去りました。」
まったく、爪のあかを煎じて、、、、、

アメリカ軍人たる行動の規律

I
自分は我々の生き方をそしてわが国を守る軍隊にて戦うアメリカ人である。自分はそのためなら命を捧げる用意がある。
II
自分は決して自分の意志で降伏しない。もし自分が司令官なら抵抗の余地があるうちは隊員を決して降伏させない。
III
もし自分が捕われたなら出来る限りの方法で抵抗を続ける。自分は脱走に力の限り努力し他者の脱走も援護する。自分は敵からの恩赦も特別扱いも受け入れない。
IV
もし自分が捕虜になったなら同僚の捕虜とともに信心を守り続ける。自分はどのような情報も敵に与えず同胞を害するような行動には加担しない。自分が上官なら指揮をとる。そうでなければ任命された上の者の合法な命令に忠実に従う。
V
捕虜となり尋問された時は自分は名前、位、サービス番号、生年月日を提供する義務がある。それ以上の質問には最大限、力の限り答えるのを避ける。自分は口頭であれ筆記であれわが国を裏切り同盟国を傷付け、その努力を傷つけるような発言はしない。
VI
自分は自由の為に戦うアメリカ人であることを決して忘れない。自分が自分の行動に責任を持つこと、そしてわが国を自由にした信念に敬虔であることを決して忘れない。自分は神とアメリカ合衆国を信頼する。


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人質はどう振舞うべきか

アメリカやオーストラリアでは同じ文化を受け継ぐものとして、今回のイギリス兵捕虜の無様な姿には少なからずショックを受けている。戦時中捕虜になった軍人や民間人はアメリカには多くいるので、彼等は決して何の経験もないのに口先だけでイギリス兵を批判しているわけではない。そこで今日は人質としてとらわれの身となったアメリカ人の例をいくつかあげて、彼等がどのように人間としての威厳を守りとおしたか考えてみたい。
1975年イランはテヘランにあるアメリカ大使館が当時大学生だった現在の大統領アハマディネジャドを含む過激派学生たちによって襲撃された。当時の襲撃で何人かが殺された後、外交官や職員といった民間人と軍人を含む53人が444日間イラン政府に拘束された。
下記はパワーラインを参考にした:

人質たちは目隠しをされ後ろ手に縛られ独房に入れられた。彼等は「自白状」に署名をしろといわれ拒絶すれば殴られ、食事を拒否され、偽処刑を何度も体験した。
ジョン・リンバートさんはペルシャ語の堪能な外交官だった。彼はテヘランから200マイルほどの場所で独房に入れられており、ほかの人質がどうなったのか全く分からなかった。ある時英語を教えていたイラン看守がこれはどういう意味かとリンバートさんに聞いてきたいくつかの言葉をみてみると、、「ぼろ布頭」「ぼけなす」「*母を犯す物*」「おカマ野郎」といった言葉が並んでいたという。リンバートさんは大笑い。どこか近くにアメリカ海兵隊員が自分と同じように耐えているのだと思うと心があたたまる思いだったとリンバートさんは後に語っている。
マイク・ホーランドさんはペルシャ語堪能な警備員だった。彼は素っ裸で歩き回って看守を常に侮辱した。また救援がくると信じたホーランドさんは看守の銃に細工をしたりした。
マイケル・メトリンコさんは、平和隊でボランティア活動をしたこともあるタフな外交官。ペルシャ文化に精通していた知識をつかってメトリンコさんは何かと看守や尋問者に議論を吹っかけ精神的な抵抗をし続けた。イラン人にしか分からないような腹立たしい罵倒をするのでその度に殴られた。一度は自分のイラン人の友達が尋問を受けている最中に尋問者にけんかをふっかけ友達のかわりに殴られたりした。この抵抗精神は最後まで変わらず解放される日に輸送バスの中で兵士の母親の悪口をいってバスから引きすりおろされあやうく解放されないところだった。しかし土壇場でイラン高官が間にはいりメトリンコさんはドイツ行きの飛行機にのることができた。メトリンコさんはイランを愛するが故、過激派独裁者が許せなかったという。

下記はIMAOに寄せられた同じくイランのアメリカ大使館で人質となった海兵隊員の話を要約した。

大使館を警備していた海兵隊は1000:1で圧倒的に劣勢だった。しかし隊員たちは秘密書類や重要な器具を破壊するため12時間部屋に立て籠った。
最初に連行された時隊員たちはアメリカのイラン政策を批難する声明文に署名をさせられたが、皆「ミッキーマウス」とか海兵隊英雄の「チェスティー・プラー」「ダン・デイリー」などという名前で署名した。
イラン側はプロパガンダとして隊員たちを何度もフィルムに撮ったが、著者は常にほかの人質の影に隠れて顔を隠していたいため、そのうちアメリカでは彼は行方不明ということになってしまったという。他の隊員は裸になったり顔にケチャップをつけたりして撮影を妨害したという。
解放の前日、著者らは再び尋問され、いわれた通りの宣言をしないなら解放されないとおどかされたが、隊員たちは黙ったままだったり、海兵隊の歌や聖歌を歌ったりして全く協力しなかった。
「解放の日、おれは飛行機に向かって二匹の猿たちに連行された。おれは奴らの手から腕を振払ってアメリカはナンバー1だ!と指を立ててやった。間違った指だけど、、、」
隊員らは殴る蹴るはもちろんのこと偽処刑などの精神的拷問を何度も受けた。「おまけにアムネスティーインターナショナルのバカが時々おれたちがどれだけ人道的に扱われているか世界に知らせるためにやってきた」と著者。しかしそのようなひどい目に遭いながら、隊員たちは一人もくじけず抵抗を続けた。(ただひとり陸軍兵が最初からイラン側に協力し人質たちからは村八分になったという)
「おれたちは抵抗した、なぜならおれたちは一番に海兵隊員だからだ!おれたちはおれたちに勇気を与えてくれたアメリカに名誉と忠誠を誓うからだ。自分らの名を、隊の名を、国の名を汚すくらいなら死んだ方がましだ。
センパーファイ!(Semper Fi)」

まったくこの人たちの爪のあかでも煎じてあの15人に飲ませてやりたいね。
ハッピーイースター!


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