Lを犠牲にして過激派Tのアジェンダを押し続けるLGBT団体の男尊女卑

前回お話したマティーナ・ナブラチロワによる女性自認男たちによる女子競技反対コラムについて、色々検索していたら色々な情報が見つかった。先ずマティーナはこの件に関して去年の12月頃から色々な人達と議論を重ねていたらしい。しかし事情をきちんと理解できないうちに意見を述べるのは適切ではないと判断したマティーナは、色々自分なりに勉強した結果やはりトランスは女子競技に属さないと結論を下した。

マティーナ曰く:

この議論を最も基本的に言うならば、何のスポーツにしてもその組織が決めたホルモン摂取さえすれば男性が女性となり優勝を総なめして賞金稼ぎをした後、そう望みさえすれば男にもどって子供を作ることが出来るということだ。こんなことは気違い沙汰だしずるである。私はトランスジェンダー女性が好むどのような呼び方もするつもりだが、彼女らと競争するつもりはない。これは全くもって不公平だ。

マティーナのコラムを読むまで知らなかったのだが、今現在アメリカなどで女子スポーツに参加しているトランス「女性」のほとんどは、単にホルモン摂取を受けているだけで性転換手術を受けていないペニス持ちの男たちなのだ。コネチカット州の高校陸上競技で次々に記録更新している二人のトランスなどはホルモン治療すら受けていない自認のみの男子生徒だという。スポーツ奨学金で大学入学までかかっている選手権でこれはひどい。何故かスポーツ界ではトランスによる横暴に屈する組織が多すぎる。

トランスによる横暴と言えば、その代表ともいえるのが、前回も紹介したレイチェル・マッキノンという女装男。彼がマティーナに充てて書いたオプエドを読んだが、それこそ上から目線というか人を見下した書き方だ。マッキノンは先日もツイッターで、自分がトランスフォブによって攻撃されるのは、自分は教養もありトランスジェンダーについて科学的な証拠をもとに論理だった議論が出来るからだ。自分はトランスフォブにとっては最大の悪夢なのだ、がははははは~、みたいなことを書いていた。だが実際に彼の書いたものを読んでいると、単に他人をトランスフォブと呼ぶ以外の議論などしていない。マッキノンのコラムは先日のマティーナのオプエド以前、去年の暮にマティーナがツイッターで書いた下記に対する返答だ。

単に自分は女性だと唱えただけで女子と競争していいわけがない。何かしらの基準というものがあるはずで、ペニスを持ったまま女子と競技するのはその基準に外れる、、、 - マティーナ曰く

まったくもって常識的なこのツイートに激怒したのがマッキノンは「ペニスと運動神経とは何の関係もない」と書く

ペニスと運動神経とは全く何の関係もない。性器はテニスボールを打ったり、自転車をこいだり槍を投げたりするのに何の意味もなさない。それを認め国際オリンピック委員会は2015年11月にその規則を変え、性器手術を必要とする項目を削除した。

ナブラチロワは何年も前にトランス女性に対して不必要で不公平とされた時代遅れの規則を支持しているのだ。

哲学博士でしかも認識論という何をもってして真実を知ることが出来るのか、という学問専門だと常に自慢している割には、合法と正義の区別もつかないというのはどういうことだろう。

「 認識論:認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。 … 日本語の「認識論」は独語の訳語であり、日本ではヒト・人間を考慮した場合を主に扱う。ウィキより」

オリンピック委員会はトランス活動家の圧力に屈服しただけのことであり、委員会が認めているからそれでいいでは議論になっていない。マティーナはそういう規則に問題があると言っているのであり、それは変えられるべきだと言っているのだ。

もっともマッキノンの言うことにも一理ある。運動神経はペニスのあるなしだけで決まるのではない。男は往々にして骨格が大きく、したがって背も高く肩幅も広く足も長い。心臓も大きく血液の循環が女性よりも能率的。筋肉の密度も高く、テニスや自転車競技に有利な瞬発力や握力も女性より圧倒的に高い。肌も厚く怪我をしにくい。こうしたことを考慮に入れれば、トランスが去勢していようとしていまいと医学的男性が女子競技に参加することがどれほど不公平かが解る。自分は科学に基づいた議論をしていると威張るマッキノンはそうした科学的事実は完全無視し、男性ホルモン濃度が特定の基準を超えていなければいいという非科学的な規則を支持している。(参考: ナショナルレビュー

ペニスを持ったトランス女性を「本当の」女ではないとして扱うのは、まさしくトランスフォビアだ。トランス女性が単に自分は女だと発表すればそれで女になれるという間違った説を支持するのもトランスフォビアだ。法律的に女性と認識されるのは難しく複雑であり、(どこに住んでいるかによって)時として全く不可能でもある。

さらにマッキノンはご丁寧にもマティーナ及びトランスフォビア全体に向けて、他人からトランスフォビアな発言をしたと指摘されたら場合どう振る舞うべきかという命令、基、助言をしてくれている。

  1. 人々が注目するようなひどいことをしたと素直に認めること。
  2. 心を込めて謝ること。公共の場で犯した罪は謝罪も公共の場ですること。
  3. 傷つけるような内容は削除すること。
  4. 今後行動を改め、実行に移すこと

マッキノンだけではないが、トランス活動家はやたらに他人に命令するのが好きなようだ。他でトランスのアライ(味方)になりたかったら絶対にしてはいけないことという項目を見つけたが、そのなかでも面白かったのは、トランスに性器の手術をしたかどうかとかホルモン治療を受けているかどうか聞いてはいけない、トランスの性嗜好を決めつけてはいけないという二つ。ちょっと待った!手術どころかホルモン治療も受けておらず(受ける気もない)、自分は女だと言いながら、医学的な女と付き合いたいなら、単なる女装変態男じゃないか!

日本でも去勢手術をせずに法律上の女と認めろという運動があるが、それだったら法律上の性別など何の意味もないことになる。それがまかり通るというなら、自分で女だと名乗りさえすれば女になれるというマティーナの発言は全く正しいではないか?

マッキノンにしろ他のトランス活動家にしろ、いったいあんたら何様のつもりだ?と聞きたい。いったいどんな権限をもってして我々にいちいち指図するのだ?嘘を真実として捻じ曲げ、我々に真実と認めろと強制する。私はその独裁的なやり方が大嫌いである。

さて、マティーナのオプエドがもとで、長年彼女が役員を務めて来たアスレーツアーライというLGBT団体から追放されてしまったという話はしたが、最近のLGBT団体はトランスの人権ばかり気にかけてLGB特にLであるレズビアンを迫害しているという話は最近よく聞くようになった。イギリスでもストーンウォールというLGBT団体の幹部やメンバーたちがそのトランス迎合姿勢のため続々脱退しているという

イギリスのLGBT団体ストーンウォールの幹部ルース・ハントは先日同団体がLGの権利を無視してトランス人権にばかり力を入れていると批判して辞任した。 同団体の大型献金者で報道官でもある二人のメンバーも団体から脱退すると発表した。多くの人気テレビ番組を手掛けているモーリーン・チャドウィックと彼女のパートナー、キャス・ゴッツ( Kath Gotts )は「ルース・ハントは正しい。ストーンウォールは私たちの権利を守るチャンピオンではなくなってしまった。」二人は同団体はトランスの目的のためだけに動いていると強く批判している。

アメリカにしろイギリスにしろ欧米のLGBT団体はすでに女装男たちによって乗っ取られ完全な男尊女卑の団体と化している。バリバリ左翼団体が行きつくところは常に女子供を犠牲とした独裁主義である。


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二流男子運動選手が世界選手権でメダルを取る方法

先日、女子スポーツに参加するトランス/女装男たちはずるをしていると語ったことがもとで、往年のテニス女王マティーナ・ナブラチロワは長年役員をしていたアスレーツアーライ というLGBT人権運動団体から追い出された。ナブラチロワは自分もレズビアンという立場から、LGBT支援のために長年活躍してきた。にも拘わらず、男が女子競技に参加すべきではないといっただけでこの扱いだ。元のサンデータイムスのオプエドは有料なので読めないが、それに関する記事を見つけたので読んでみた。

単に名前を変えてホルモン摂取しただけで、男子を女子として競争させるのは不公平だ。どれだけ彼らがウエイト(権力)を振り回そうと。-マティーナ・ナブラチロワ

ナブラチロワはトランスジェンダー選手に関して自分なりに勉強したという。その結果、トランス女性が女子スポーツに参加すべきではないという自分の信念はかえって強まったという。何百という男子選手が限られたホルモン治療を受けただけで女だと言い張って女子スポーツに参加し、女子ではありえない成果を遂げていることは全く馬鹿げた状態だと語る。

ナブラチロワをトランスフォブと呼ぶのは非常に皮肉である。なぜなら彼女は現役時代にトランス女性のレネー・リチャーズと親善試合で知り合いになり、その後リチャーズが引退するまでコーチをしてもらっていたくらいだからだ。リチャーズは男子テニスでは完全なアマチュアだったが、43歳の時に性転換手術を受けて女子プロテニス選手権に参加。USTA全米20位という好成績を収めた。そのリチャーズ自身が、今思えばあれは不公平だったと語っている。

トランスセクシュアルはプレイをする権利があると思います。ただプロのレベルでなければ。なぜなら(男女は)同じ土俵ではないからです。もしも私が22歳の時に性転換をして24歳でツアーに参加していたら、世界中のどんな医学的女子も私の足元にも及ばなかったでしょう。それで私は考えを変えました。

リチャーズだけでなく、テニス界では元男子のトランス女性と女子選手の試合が親善試合として何度か戦われてきたが、どの場合も女子は現役バリバリの若者であるのに対し、男子は40過ぎのピークをとっくに越した選手ばかり。

1998年にオーストラリアでウィリアム姉妹が世界ランキング200位レベルの男子となら勝てるだろうと冗談を言ったことがもとで、203位の男性が二人に挑戦し、ある昼下がりに二人と次々に勝負をして悠々と勝ってしまったという話がある。往年の男子テニスプロチャンピオンのジョン・マッケンローもセリーナ・ウィリアムスは男子の300位くらいのレベルだと語っていた。(これは賞賛の意味で)

つまり、男子と女子ではレベルがこれほど違うのだという話。もっともこんなことは言われなくても誰でも知っていることのはず。ところがナブラチロワの発言に猛攻撃をかけたのがレイチェル・マッキノンという自称女の女装男。

マッキノンは昨年、2018年サイクリング世界選手権、女子200メートルスプリンターの35歳から39歳のカテゴリーで優勝した。彼のツイッターをフォローしようと思ったのだが、彼について何も書かないうちに即ブロックをかけられた。日本語で書いてる私の零細ツイートなんか読むはずはないと思ったのに何故か私の反トランス姿勢を悟られてしまったよう。

別な方法で彼の書いてるツイートをちょっと読んでみて驚いたのは、マッキノンは性転換手術どころか豊胸手術も受けていない、ただ単に女子選手権参加に必要なための女性ホルモンを受けて男性ホルモン分泌を低めただけという正真正銘の女装男だということだ。

はっきり言って女子競技に参加できるトランスの基準はまちまちで、先日コネチカット州の高校陸上競技で一位と二位を取った短距離選手二人はホルモン治療も受けていない、前シーズンまで男子競技に参加していた男子生徒だった。しかも他の女子選手から苦情が出ると、「女子たちは文句言う前にもっと練習すべきよ~」などとうそぶいている。てめえらがもっと練習して男子競技で競えばいいだろ!この二流選手!

女子競技に参加しているトランスは元二流の男子選手だという指摘に「トランスフォブ!」と怒り狂ってるマッキノンは常に自分のことをドクター・マッキノンと称し、トランス女性の運動神経は女子より不当に有利ということはない、それは医学的に証明されていると主張している。ドクターというからには医者か医学者かと思えば、彼の博士号は医学ではなく哲学だ。こういう場合はドクターではなく教授を示すプロフェッサー・レイチェル・マッキノンとするのが普通。しかも彼はまだ助教授。

まあそれはいいとして、彼は以前に自分が勝った選手権で三位になった女子が文句を言った時もSNSなどでさんざんいじめて謝らせた経験があるので、今回も差別だヘイトだトランスフォブだと言い張ってナブラチロワをアスレーツアーライから追放するのに一役買ったようだ。

しかし、こういうことがずっと続くとは信じられない。今回ナブラチロワのように偉業を遂げた女子アスレートが声をあげてくれたのは非常に意義がある。そして、長年LGBT活動を続け、トランスジェンダーなど誰も聞いたことのなかったころにトランス女性をコーチにまでした女性が、このような扱いを受けていることで、トランス活動家がどれほど過激で危険な連中であるかに多くの人々が気づいてくれることを祈る。

最後に女性アスレーツを称えたナイキのコマーシャルを紹介して終わりにしよう。誰かが和訳字幕をつけてくれた。



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対ゲイ黒人へのヘイトクライムを自作自演しなければならない社会とは?

数週間前、エンパイアというテレビ番組で人気のジェシー・スモレットというゲイ黒人俳優がシカゴで二人の白人に「ここはマガカントリーだ!」と言われて殴られたと被害届を出したことで大騒ぎになったが、実は彼自身が二人の男性に金を払って自作自演していたことが明らかになった


[シカゴ 21日 ロイター] – 米俳優ジャシー・スモレット(36)が、ヘイトクライム(憎悪犯罪)の疑いで2人組の男に襲われたと主張していたのは自作自演だったことが発覚し、シカゴ警察に21日逮捕された。出演料の低さに対する不満があったという。

オバマ政権時代のアメリカでは、白人警察官が丸腰の黒人をやたらに射殺しまくっているというフェイクニュースが蔓延した。残念なことに大統領自らがその嘘を広めていたため、主流メディアは嘘をどんどん広めていた。読者諸氏もファーガソン市で起きたマイケル・ブラウン射殺事件を覚えておられるだろう。ミズーリ州のファーガソン市でマイケル・ブラウンという黒人青年がコンビニで強盗を働いた後、白人警察官に襲い掛かり警察官の銃を取り上げようとして射殺された事件だ。ブラウン青年は確かに凶器を持ってはいなかったが、背は180センチを裕に超え、体重も150キロはある巨漢。迎えた警察官よりずっと大きかった。これは完全なる正当防衛であり、殺人犯に問われた警察官は裁判により無罪となった。

しかし、事件の事実はほとんど報道されることはなく、アメリカの白人警察官は人種差別者だらけだという印象が多くの人々の心に残ってしまった。私が愛聴している浜村淳さんでさえ、アメリカでは白人警官が無実の黒人を殺しまくっているなどとおっしゃっていて、とても悲しい思いがした。浜村さんは主流メディアの嘘記事だけを読んでるから、そういう印象をうけたのは無理もないのだが。

また、在米中の日本人でもこういう嘘を広める人が居るので困る。この間、15歳の少年がアメリカでヒッチハイクをするという時に、危ないから止めろと言った人のなかに、ニューヨークの日本人留学生でアメリカの中部や南部は人種差別者ばかりだから行くなと言った人が居て、とても腹が立った。その人はトランプが大統領になったことでも、いかにアメリカが人種差別な国かが解るはずだなどとニューヨークリベラルのプロパガンダをそのまま信じ込んでいた。当人は人種差別になどあったこともないだろうに、他の人はあってるはずだと決めつけている。

さて、右翼によるマイノリティへのヘイトクライムを自作自演した事件は何もスモレットが最初ではない。黒人教会の壁にKKKという落書きをしたり、ナチスの鍵十字を書いたりして、ヘイトクライムだと騒いだ人間が実は黒人だったり、ヒジャブを脱がされそうになったと騒いだモスレム女性が実は嘘をついていた、数年前白人大学生数人に輪姦されたと騒いだ黒人ストリッパーは裁判ですべて嘘だったことを認めた、なんて事件はいくらでもある。もし本当にアメリカが人種差別のるつぼであるのなら、そんな自作自演をしなくてもいくらも例を見つけられるはずだ。

極端な話、アメリカでは巨漢で大食いの人が多い、という説を証明しようと思うなら、近所のファーストフード店にでも行って10分も座っていればその根拠を目撃することが出来る。なにもやらせで太った人に三段重ねのハンバーガーを食べさせる必要はない。

これに反して、対保守派への暴力行為は日常茶飯事である。保守派講演者の講演が左翼暴徒によって妨害されるなどしょっちゅうだし、先日もUCバークレーで保守派学生が左翼学生に殴られたばかり。マガハットをかぶった青少年がコーラを投げつけられたり、帽子を取られたりなど数え上げたらきりがない。こんなことは自作自演の必要など全くないのだ。




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言論と暴力を混同すると、かえって暴力を煽ることになる

最近アメリカでも日本でも「言葉の暴力」といった概念が後退派左翼の間で流行って。ごく普通のことを言っただけで、「それは差別だ!ご暴力だ!」と言い出す輩がやたら多い。ある人などは「言葉で人は死にます」とまで言い張った。いったい私がどんな呪文を唱えればそういう奴を殺すことが出来るのか、是非とも教えてほしいものだ。

聡明な読者諸氏はもうすでにご承知のことと思うが、そうやって相手の言論を暴力だとか暴力を煽る行為だとか言う奴らに限って自分たちは平気で暴力を振るう。平和平和とがなり立てながら、辺野古基地前で基地に出入りする人々の車を囲って車を叩いてる奴らなんぞは、その典型である。

先日も極左翼で悪名高いカリフォルニアのUCバークレー大学で、保守派活動家が左翼暴徒に殴られるという事件が起きた。上記はその時の模様。被害者はハイデン・ウイリアムスという男性でターニングポイントUSAという保守派団体への勧誘活動を手伝っていた。ブースには「ヘイトクライムのやらせは真の犠牲者を傷つける」 ( “Hate Crime Hoaxes Hurt Real Victims”)といったサインが掲げられていたという。これは先日二人の保守派白人に襲われたという自作自演の犯罪を訴えて問題になっている黒人俳優のことを比喩している。

さて、このサインに怒った二人の男がウィリアムスに近づきウィリアムスに罵声を浴びせかけた。ウィリアムスによると男たちはウィリアムスを「レイシスト」と呼び「撃ってやる!」といって脅したという。私が見たビデオの中でも黒い服を来た男が「お前は暴力を煽っている」と言いながらウィリアムスを殴っている姿が写っている。

最近の大学キャンパスは保守派にとって非常に危険な場所になっている。とターニングポイントUSAの創設者、チャーリー・カーク氏はいう。保守派は単に意見が違うというだけで罵倒され暴力を振るわれるのが普通になっている。もしこれが反対にマガハット(トランプ支持の象徴)を被った保守派学生による暴行であったら、メディアは「ヘイトクライム」だと言って大騒ぎしたに違いない。なにせマガハットをかぶって微笑んでいただけの高校生をあれだけ吊し上げたメディアであるから。

なぜ左翼連中は保守派というだけで殴ってもいいと思うのか。それは「言論は暴力だ」という危険な思想を信じ込んでいるからだ。言論は言論だ、言論で誰も怪我をさせることなど出来ない。だがそれを「暴力だ」と言ってしまえばどうなるか。暴力なら暴力で応戦しなければならないという理屈になる。だから後退派左翼にとって保守派の言論は暴力なのであり、暴力によって対抗するのは正当防衛なのだという考えなのである。私が口を酸っぱくして言論と暴力を混同してはいけないと言っているのはこれが理由だ。

そしてこれはヘイトスピーチは暴力だとするならば、政府による暴力で弾圧されて当然という理屈になる。

先日イギリスでは38歳の母親がフェイスブックで「トランス女性は男だ」と書いただけで警察に連行されて何時間も拘束されるという事件が起きた。イギリスではこういうことがもうすでに何度も起きている。その話を上記のようにツイッターでしたら、「ミスジェンダーはヘイトスピーチだから規制されて当然」と答えて来た人が居た。

この人は自分が言っていることがどれほど恐ろしい言論弾圧であるかわかっているのだろうか?SNSで何気なしに言ったこと、しかもトランス女は男だ、などという明確な事実を言っただけで逮捕されるような世の中に本当に生きたいと思っているのだろうか?こういう人は自分は常に権力者側に居ると錯覚している。自分の意見が多数派だから自分は安全だと思っているのだろう。だが、ほんの10年くらい前ですら、男を男と呼んだらヘイトだと言われる時代が来るなんて、誰が予測しただろう?ということはいつ何時、今はポリコレな言論が明日はヘイトになるか解らないのだ。ずっとリベラル派だといってバージニア州の知事にまでなった人が30年以上も前に冗談でやった黒塗りで辞任を迫られるなんて世の中だからね。

余談だが、バージニア州の知事の黒塗り写真を検索していたら下記のようなツイートを見つけてしまった。ここまで来ると黒塗りというより変装だね。


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両親の揃った家庭の子供は教育レベルが高い

ここ数日、10年くらい前の日本のドキュメンタリー番組を観ていたら、10代でぐれた青少年を立ち直らせるカウンセリングをしている男性の話があった。興味があったので彼の扱ったいくつかのエピソードを観てみたが、どの子たちにも共通していたのが父親像の欠落だった。母子家庭などで実際に父親が居ない場合も、両親揃ってはいるが、父親が子育てに無関心な場合も結果は同じ。男の子が尊敬して見本に出来るような男性が傍に居ないと男の子は不安定になる。無論母子家庭に育った子供がすべてぐれると言っているわけではない。ただ、父母という両親が揃った家庭で育つことが子供にとっては理想なのは間違いない。

父親像が欠落するという意味ではレズビアン結婚も同じ問題を抱えているので、同性カップルによる子育ては問題である。また2012年の拙ブログでも紹介したように、男性同性カップルの子供たちは、父親のパートナーが3年以上一緒にいたケースがほとんどないということもあって、なかなか子供が安定した家庭に育つというのは難しいようだ。

それでは、両親が揃っている家庭とそうでない家庭では、子供たちの教育にどのような違いがあるのだろうか。族構成と子供の教育というサイトを見つけたので読んでみた。

学校の成績の違い

驚いたのは、結婚している実の両親と一緒に暮らしている子供たちの学校での成績がそうでない子供たちよりも断然良いという結論。2006年のアメリカの調査だが、高校生で通知表の平均点1から5までの平均値が2.9点と一番高かったのは結婚している実の両親と暮らしている子供たちだった。その後に続くのが、結婚している継母や継父と暮らしている子供たち、実の両親だが親が同棲しているだけの家庭、離婚して片親だけの家庭の子供たちは2.6。未婚の片親のみ、もしくは片親が同棲している相手と暮らしている場合は2.5点だった。


また、1997年の調査でも同じような結果が出ている。通知表でほぼA(5)ばかりという子供たちの28%は両親が揃った家庭に育っていた。それに次ぐのが両親が同棲している家庭で21%、離婚して片親になった家庭18%、 実親と継親が結婚している家庭15%、結婚していない片親の同棲パートナーとの家庭では11%、未婚片親の家庭は9%となっている。

大学進学に関しても学士取得した36%が両親が結婚している家庭出身。続いて両親が同棲している家庭で20%、離婚して片親の家庭で17%、実親が継親と結婚している家庭で16%、未婚の片親で8%、実親とその同棲パートナーの家庭で7%という結果が出ている。大学を卒業するしないに関しては両親が結婚している家庭が断然有利である。

興味深いのは実の両親が揃っていても、彼らが結婚しているか内縁の関係にあるかで子供たちの学力に影響が出るということだ。やはりパートナーとの暮らしにけじめをつけられない親は、こどもの教育にも熱心になれないのかもしれない。

学校での態度の違い

小学校一年生の場合、 母親が結婚している家庭の子供は未婚の母や同棲のみの母親の居る家庭の子供たちよりも往々にして行儀がよく、教師に反抗したり、他の生徒に乱暴したりすることが少ない。

思春期になると、両親が結婚している家庭に比べて、片親だけ及び実親と再婚相手との家庭の子供たちの方が祖業不良で停学や退学処分になる率が高い。両親が結婚している家庭は子供の教育に熱心で宿題なども言われなくてもやるように教育している。

片親とその再婚相手や継兄弟などと暮らしている子供たちは実の両親や兄弟と暮らしている子供たちよりも勉学に対する熱意が低い。離婚した家庭や両親が同棲している家庭は無断欠席やサボりが多くなる。 片親と再婚相手との家庭の子や、片親のみの家庭は、実の両親や兄弟と暮らす子供たちの3倍も学校を中退する傾向がある。これは家庭の経済状態を考慮にいれても変わりがない。

結婚している実の両親と暮らす子供たちの85%が高校を卒業するのに対し、片親のみは67.2%、再婚家族は65.4%、両親と暮らしていない生徒になると51.9%。大学受験も結婚してる家庭は69%で、そうでない家庭の60%よりもずっと高い。また別の調査では結婚している母親の子供たちはそうでない子に比べて二倍以上の割で高校を卒業するという結果も出ている。

経済面の影響

無論両親が結婚している場合は、共稼ぎのところも多いだろうし、経済面でも恵まれ、環境の良い場所に住んでいる可能性も高いので、子供たちの教育レベルも高いということはあるかもしれない。だが、もしそれだけなら、実親が再婚した場合も同じことが言えるはずだが、何故か継親の場合は実親の場合とは結果が異なる。いくら再婚相手が継子に対して実子のようにふるまおうとしても、やはり実子に対する熱意よりも薄れる傾向があるのかもしれない。

子供のために離婚は避けよう!

最近は日本でも結構簡単に離婚をしたり、未婚の母になったりする人が居る。昔は聞かなかったシングルマザーなどという言葉が今は普通に聞かれるようになった。女性が自立して不幸せな結婚にいつまでもしがみつく必要がなくなったという点ではよかったのかもしれないが、両親の身勝手で片親をなくす子供たちのことも、もう少し真剣に考えてもらいたい。

私の母はよく、「離婚したいと思ったことは何度もあった。でもあんたたちのために我慢した。」と言っていた。こう思ったのは多分母だけではあるまい。父もかなり我慢していたはずである。でも子供の教育のために離婚は良くないと思いとどまってくれた両親に私は深く感謝している。

両親が揃っていない子供がすべてグレるとか、成績が落ちると言っているわけではない。上記の統計でもわかるように両親と暮らしていない(施設もしくは里親)子供ですら51.6%がきちんと高校を卒業している。親がなくても子は育つというが、頭のいい子ならそれでも大丈夫なのだろう。だがその反面、両親の居ない半分の子供たちは落ちこぼれてしまうとも言える。

多々の調査を見る限り、子供の教育には結婚している実親と暮らすことが理想である。


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ヒッチハイクしてアメリカ横断を試みた15歳の無謀さ

先日からツイッターで日本人の15歳(中学生)の少年が一人でヒッチハイクしながらアメリカ横断を試みているという話がバズっていた。クレジットカードもキャッシュカードも持っていないので現金10万円を持ち歩いているなどとツイッターで自慢げに話していたらしく、外国暮らしの人が多い私のネット仲間たちの間では、「無謀すぎる」「危険だ」「殺される」など批判と心配の声が上がっていた。しかし、初めて数日後に警察に保護され帰国となった模様。まあ一応一安心といったところか。

彼の話が出て、ツイッター界隈ではアメリカが如何に危険な場所かという話が続々出ていたが、アメリカ在住の私としてはかなり怪しげな話も出ており、おいおい、そこまで危険じゃないよ、と言いたくなった。アメリカでなくても危険ななところもあれば安全なところもある。問題なのはよそ者にはどこが危険でどこが安全かが解らないことだ。

ツイッターでも話したが、私の回りで起きた昔の事件を思い出した。もう30年近く前の話だが、日本から来た新婚の夫婦が、「地球の歩き方」なる本を参考に、ロサンゼルスのグレイハウンドバスの駅からリトル東京まで歩いていく途中、強盗に襲われて現金などを奪われた。不幸中の幸いというか、旦那が鼻をへし折られたくらいで済み、新妻は無傷だった。もっとひどいことになる可能性はあったので、このくらいで済んで本当によかった。

日本の方々はご存知ないが、グレイハウンドバスターミナルのあるところは現地の人なら良く知っている非常に治安の悪い場所。また、リトル東京も日本人が多いからと言って油断は出来ない。日本村の回りはホームレスがたむろするおっかないところが沢山あるのだ。

当時はすでにツアー旅行に飽きた日本人が個人で旅行することが流行っており、色々なガイドブックに誘われてのこのこやってくる日本人が色々ひどい目にあっていた。ガイドブックを書く人もかなり無責任だなと現地の我々は思ったものである。

さて、 外国の怖さが解らないという愚か者は何も日本人だけとは限らない。 世間知らずでナイーブな馬鹿が身の程知らずのことをやって悲劇的な最期を遂げた例は欧米でもいくらもある。 この間もカナダのカップルが世界平和を証明しようとイラクへサイクリングの旅に出かけてすぐ殺されたなんて事件があったばかり。

もうひとつ思い出したのは1996年に本当にあった話。高校を卒業したばかりのアメリカ青年がアラスカの森林で冒険したいと全く基礎知識も持たずに一人で行って餓死するという事件があった。これは後にInto the wildという本になり、後に映画化もされているので興味ある人は観てみるといい。近所でよく狩猟などをしている現地の人に言わせると、周りには食用の植物もたくさんあり、食べられる獲物もいくらでも居たので、餓死をするような場所ではなかったということだった。しかし植物の知識もなく、狩りの仕方も知らない野外生活をしたことのない人間にはアラスカの原野は厳しい場所だ。知らないということは本当に恐ろしい。

2~3年前に私の友人(スイス系アメリカ人)の息子がイギリスに留学することになり、その前にベルギーのブルッセルに寄って観光すると言って一人で出かけるという話をしていた。私が「ブルッセルは危ないよ、行かない方がいい。」と警告すると友人は「え?なにが?大丈夫だよ、うちの子ドイツ語もフランス語も話せるから」とかとぼけたことを言っていかせてしまった。その一週間後にブルッセル空港爆破テロ発生。すぐに友人に電話して「○○ちゃん大丈夫だった?」と聞いたところ、父親は涼しい顔で「あ、うちの子は二日前にあの空港を通り過ぎてたから大丈夫だったよ。」などと言ってる。あと二日ずれてたら殺されてたかもしれないという危機感ゼロ。まったくこの親にしてこの子ありだと呆れてしまった。

この15歳少年の親も言葉も解らない外国に子供を一人で行かせるなんて無責任にもほどがある。世の中には危険が一杯ある。そうと知ってて出かけていくならまだしも、何もしらずに、よって何の準備もせずに、出かけていくは本当に危険だ。よい子の皆さんには絶対真似をしないように是非お願いしたい。

親も気を付けろ!


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「同性婚合法化は結婚制度破壊の第一歩」という動機を全く隠さない日本の活動家たち

日本で同性婚推進者の同棲カップル何組かが同時に日本政府を相手取って同性婚禁止は人権侵害であり違憲だと言って訴訟を起こした。彼らの言い分は欧米の活動家たちが繰り返したスローガンと全く同じ「同性婚が認められると、あなたにどんな不利益がありますか」というもの。不利益なんてごちゃまんとあるよ。といいたいところだが、私たち反対派が言うまでもなく、なんと日本の活動家たちは同性婚は単に結婚制度破壊のための踏み台に過ぎないと認めてしまっている。この人などはいい例。

また、私と何回か同性婚についてやり取りしたリッキーマン(@kokunusu)という人も、私の「結婚は大人の男女一人づつのみと定義された特権です。誰でも好き勝手に色々な形で結ばれていいと言う制度ではありません。 」という発言に対して、「 その特権は色々な人に渡されるべきです。あなたがそう考えるのは自由ですが、陳腐な言い回しですが、他人にそれを押し付けないで頂きたい。」と答えている。つまり、結婚が特定の形のみで認められる特権であるという定義を否定し、結婚はどんな形でも許されるべきであり、一夫多妻だろうと近親婚だろうと認められるべきだという考えを隠しもしない。 彼らの目的が既存の結婚制度の破壊にあると認めて憚(はば)からないのだ。

これだけ正直に語ってくれると、同性婚は結婚制度破壊につながるから反対だと言ってきた私たちは非常に助かる。同性愛者当事者の方々の多くもこうした活動家による同性婚推進にはかなり猜疑心を持っておられる。ひょんなことからツイッターで私をブロックした故ジャックさんは(亡くなる前に仲直りしたかったのに残念)、ゲイ当事者だったが同性婚には反対だった。


たとえばLGBT活動家たちは、「日本で同性婚の実現を!」と熱心に叫んでいますが、日本で事実上、同性婚の代替手段になっている同性の成人間の養子縁組については触れようとしません。 (略)


養子縁組によって親子になれば、遺産相続の問題とか、病気になったときの面会権とか、活動家たちが主張する同性婚ができないことによる問題を殆どクリアできます。

そのため、本当に同性カップルの幸せと権利の獲得を望むのであれば、「こういう選択肢もありますよ」と養子縁組制度を紹介しても構わないと思うのですが、活動家たちは、頑なにそれを拒んでいます。

なぜでしょうか? (略)


国に同性婚を認めさせることは、現行の家族制度を破壊するきっかけになるけど、養子縁組制度は、現行の家族制度に組み込まれているために家族制度の破壊にはつながらない。だから養子縁組を提案してもしかたない、と考えているのではないでしょうか。

この次に同性婚推進者に「どんな不利益がありますか」と聞かれたら、「同性婚の合法化は結婚制度の破壊につながるからだ、君たちもそれが目的だとすでに認めているからだ」と答えてあげよう。


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いかにしてトランスの身勝手が味方(アライ)であるはずのフェミニストを敵(ターフ)に回してしまったのか

前々から拙ブログでもトランスを名乗る女装男たちによるレズビアンやフェミニストへの攻撃について書いてきたが、いかにしてトランスの身勝手が味方であるフェミニズムを敵に回したか、という内容のエッセーを見つけたので、そのまま訳してみた。著者はOlivia Broustraで強姦の被害を受けた体験があるという。

ちょっと長くて何度も同じことを繰り返している感はあるが、まあ、それだけ彼女は怒っているということなんだろう。英語版の元記事はすでにトランスの圧力で削除されてしまったようなのでリンクはアーカイブから。

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よく出来ました。

あんたたちはトランス女性に配慮するあまり、奴らを女子刑務所に送り込むことに成功した。強姦魔を女子刑務所に送り込んでもいいってことにしたんだよ。あんたたちは女たちが強姦魔に強姦されるまで嫌がらせされるのを許したんだよ。 それをいいってことにしたのさ。なぜってトランスが承認されることの方がずっと重要だったからさ。

よく出来ました。

あんたたちは女性の避難所から二人の女たちを追い出した。彼女たちが健康体の(ペニスと睾丸がついた)男が女だけの安全地域に入ってくるのを心配したという理由でね。なぜってトランスの感情の方が大事だったからさ。

よく出来ました。

あんたたちは女を暴力で脅すのがかっこいいってことにしたんだよ。彼女をターフと呼びさえすれば、それでいいのさ。自業自得なんだもの。トランスフォビックの雌犬なんざ殴られて当然なのさ、そうだろ?デモ行進で女たちが殴られてもいいんだよ、だってただのターフなんだから。

よく出来ました。

あんたらはあんたらとセックスしたくない女をトランスフォビックといって責める。なぜってあんたたちが承認されることの方が大事だからさ。あんたらは新しい法律を作って男女別だった女性施設に男を立ち入らせることに成功した。「俺は女だ」と言いさえすれば立ち入りが許されるんだもの。今や女性の安全のために作られた空間への立ち入りが許可されている。なぜってトランスの方が大事だからさ。

よく出来ました。

あんたらは未だに女児性器切除や妊婦や勇気をもって膣について語ろうとする女たちに「許容的な言葉」を使えと強制する。あんたらは女体について語ることが許容的ではない偏狭だと説得してしまった。

よく出来ました。

あんたらは世間にトランス女性の方が本物の女性よりも女性の人権について語り、女子競技に参加し、女子よりも政治の女子議席を獲得する権利があると納得させてしまった。あんたらは世間に男は女だと納得させてしまった。そしてその過程で女たちを犠牲にした。なぜならあんたらのナルシストで自分勝手な男尊女卑の見解の方が大事だからだ。あんたらはトランス空間のために戦ったんじゃない。あんたらは女性のためだと言って戦った。その過程で女たちを踏みにじった。あんたらは自分はトランスでいいんだ、一緒に男たちの暴力と戦おうとは言わなかった。あんたらは自分らを女と呼べと要求し、女性として受け入れろと言い、反対するものを脅迫した。あんたらは世間が他の誰よりもあんたらを崇拝することを要求した。特に女性の上に君臨することを。

女とは何かと私たちが聞くと、あんたらは「感覚だ」という。女とは大人の女子のことだというとあんたらは、女の膣のことを前の穴と言ったり、手術によって裏返したペニスのことを膣と呼んだりする。なぜならあんたらは女性よりも女性である必要があるからだ、女性という定義に基づけば、あんたらは絶対に女になんかなれないにも拘わらずだ。

でも皮肉なのは、あんたらのエゴがあんたらの崩壊につながるんだよ。私はトランスの空間のために戦う用意が出来ていた。私はあんたらがデートの機会がないと愚痴ってた時に援助してあげる用意が出来ていた。あんたたちを慰めるために「彼女」と呼んであげようとさえ思ってた。あんたたちが医療保険を受けられる権利や尊厳のために戦ってあげようと思ってた。あんたらに向けられる性差別や男の暴力と戦う用意が出来ていた。私はあんたたちの味方になる用意が出来ていたんだよ。

でも、その時あんたたちは否と言った。「アタシたちはトランスの空間なんか欲しくない。アタシたちが欲しいのはあなたたちの膣よ、空間よ。アタシたちが欲しいのはあなたたちがあなたたたちの言葉を使うのをやめさせることよ、あなたたちがあなたたちの身体について話すことを止めさせることよ。あなたたちのスポーツを破壊し、議会や学校や組織であなたたちの議席を奪うことよ。アタシたちはあなたたちの女性であることが欲しいのよ!

そしてあんたたちは私に従えという。すべて渡せという。そして多くの人々を納得させてしまった。でも女たちは影で真実を語っている。人は性を変えることなんて絶対にできない。女のステレオタイプを真似することはできる、身体を似せることも出来る。それにしたって子宮や卵巣やクリトリスや骨盤のことを考えると貧層な真似だけどね。

あんたらは顔を女性っぽくすることもできる。中性的な女としては、ちょっと失礼だとおもうけど、ボイスレッスン受けたり歩く練習したりすることも出来る。でもあんたらには絶対に女として生まれた人間を体験することは出来ない。性転換なんて言葉は間違いだ。男性を女性にすることなんて絶対にできない。

そしてこれはあんたたちにもオーケーであるべきだったんだ。自分が異性でないと認めることは悪いことじゃない。障害があると認めトランスだと認めることは悪いことじゃない。生まれた性と一致しないことは悪いことじゃない。あんたたちは個性的なんだ。まさに何百人というトランスを見れば、あなただけの個性的なトランス性を表現すればいいじゃないか、トランスは一人ひとり違うんだから。

でもすべてのトランスはトランスだ。あんたたちはそれじゃ戦うには不十分だって決めたんだ。自分たちの個性のために戦うだけじゃ満足できないって。少なくとも、もっとも口煩い揮発的な男のトランス活動家にとってはね。 換わりにあんたたちは世間が常にあんたたちの妄想を承認してるかどうか偵察し始めた。

でもお聞き。私たちは拒食症の人に身体の妄想が正しく、太ってるなどとは言わない。すべてのトイレを障碍者用トイレにしたりはしない。モテないオタクとセックスするのを強制したりしない。多くの人がアレルギーがあるからってピーナッツを禁止したりしない。私たちはレイチェル・ドーゼルのトランス人種という主張も受け入れなかった。

そして私たちは人口の50%にも及ぶ人々の必要なものや問題や心配事をごく少数の定義もできないグループのために犠牲にすることを強いられるべきではない。正常さに適応できないほとんどの人々は努力したり、自分たちで助け合える仲間を作り、自分たちの空間を作る。なぜなら大抵の人たちは世の中は公平じゃないしすべての人の必要性に応じてはくれないと解ってるからだ。

あんたたちが女性の権利を破壊しようと戦えば戦うほど、あんたたちは敵を作ってしまう。あんたたちは「女性のチンコ」を嫌がるレズピアンやストレートの男たちをトランスフォビックだと言って怒らせた。あんたらは女性であることの意味を取り上げ、私たちが勝ち取った空間を破壊し、私たちが安全を求めることをヘイトとして糾弾することによって女たちを怒らせた。あんたたちは性に適応しない子供たちをトランスだと説得して医学的に思春期を遅らせ不能にしてしまうことで親たちを怒らせた。孫よさようなら、未来のセックスライフだって危ういもんだ。

あんたらはちょっとした質問をするだけで攻撃的になることによって、自分らで味方になるはずだった人たちを敵にまわしてしまったんだよ。あんたらは有色女性たち、白人女性たち、男たち、保守派、リベラル、中庸、レズビアン、ゲイ、トランスから元の性に戻った人々、すべてを団結させ敵に回したんだよ。

よく出来ました!

追伸:裏切られた女の怒りほど怖いものはないのよ!


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差別をする自由は尊重されるべきか?

先日ネットでとある女性と同性婚について話をしていた。彼女のツイッターを読む限り、彼女は離婚専門の弁護士であり共同親権に反対する立場の人であると推測される。ま、それはいいのだが、私の主張は同性婚が合法になったら、宗教上の理由から同性婚にサービス提供を拒否する人が訴えられる可能性があるという話をしたら、彼女は「誰にも差別をする自由などない」と断言した。

これは非常に興味深い宣言だ。人権屋の皆さまは、やたらにこの「差別」という言葉を使いたがる。なんでもかんでも「差別だあ~」と言えば相手を黙らさせることが出来る魔法の呪文ででもあるかのように。だが私は差別も自由人の大事な権利だと考えている。

差別という言葉を使うから語弊があるが、これが区別であれば、特に問題はないはず。我々は日常生活において色々なものを区別している。私は甘いものは好きだが塩辛いものは好きではない、ズボンは好きだがスカートは嫌い、
Aさんは好きだがBさんは嫌い、といったように。そして私たちは皆、その好き嫌いを基本にして自分らの行動を決めている。これはれっきとした差別だ。だが、何を好み、誰と付き合うか、それは個人の自由であるはず。

無論これが個人単位ではなく企業など商売になったらどうなるかという問題はある。例えば私がキリスト教の神父だとして、自分の協会に同性婚の結婚式を挙げてくれという依頼が来たら、私は宗教上の理由からお断りするしかない。だが私には法律上この依頼を断る権利があるのだろうか? いや、宗教の自由が保証されている日本では、断る権利を守る必要があるのでは?

私は「~は差別されなければならない」という差別的な法律さえ取り除けば、個人や民営の企業が誰をどのように差別しようと認められるべきだと考えている。昔アメリカで黒人と白人が一緒の施設で行動することを違法としたジム・クロー法などは、例えレストランの経営者が黒人客にも入ってほしいと思ったとしても、経営者にはその自由はなかったのである。つまり、法律が差別を強制していたのだ。だからこのような悪法は撤廃されて正しかった。

しかし、差別法を撤去することと、差別をしてはいけない、という法律を通すことは違う。私は差別を撤廃するのは法律ではなく市場だと考えている。例えば黒人の多い地域でレストランを営む経営者が黒人客を拒否したとする。こういう行為は店の客数を減らすことになり不経済だ。それに黒人の友達や家族の居る客や、差別者の店を好まない客など、客数は極端に減るだろう。だから経営者もこんな不経済な差別はやらなくなる。

反対に○○人は行儀が悪く、大して物も頼まないのに長居をするため不経済だと思えば、経営者が「○○人はお断り」と言っても構わないと私は思う。そうなれば、今度はまた別の経営者が「○○人大歓迎」という店を始めればいい。そうすれば、それなりに儲かるだろう。

だから私は本当に差別をなくしたいなら、法律を通すのではなく市場に任せておけば自然と是正されると考えている。資本主義がきちんと機能していればそういうことになる。(残念ながら現状のアメリカではそのような差別は許されていないが。)

ただし、誰もが必要な公共施設の場合はこういう差別は許容できない。水道局とか市役所とか銀行とか、一般人にとってなくてはならない組織での差別は人権迫害であるから、そういう企業に限っては、個人の好き嫌いによる差別はあってはならない。

しかし、「~を差別してはいけない」という法律はいったい何をして「差別した」ということになるのか、それをはっきりさせる必要がある。これがはっきりしないと左翼活動家によってなんでもかんでも差別だと騒がれて訴えられたり、政府によって罰せられたりする可能性は出てくるからだ。

しかし、同性婚推進者にしろLGBT活動家にしろ、この差別の定義をはっきりっせようとする人はない。

たとえば、LGBT差別解消法なるものが通過した場合、男性性器のある女性自認の人物を女湯に入れないのはトランス差別とみなされるのか、といったことは、事前にはっきりさせる必要があるが、活動家の方々は、そんな心配はいらない、そんな問題は起きない、というだけで、我々が聞いている差別の定義をはっきり示すことは絶対にしない。それだけ強く変化を要求するのであれば、何故変化が必要なのかしっかり説明する義務が彼らにはあるのではないか?

彼らは知っているのだ。同性婚もLGBT法も、当事者たちの人権を向上させるためなどというのは表向きで、本当の理由は一般人の自由を迫害することにあると。左翼は特に宗教家が嫌いなので、宗教の自由が迫害されることは弊害ではなく計画的だ。

だから我々は騙されてはいけない。彼らの目的は差別撤廃などというものではない。彼らの目的は自由社会を破壊することだ。よって、差別する自由は守られなければならないのだ。


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カトリック生徒たちが老インディアン男性を囲んで嫌がらせをしたというフェイクニュースに完全に騙された左翼たち

先日命のための行進が行われたワシントンDCで、行進に参加していたカトリック高校の生徒たちが、そばに居合わせたインディアンの老人を取り囲み大声を張り上げるなど嫌がらせをしたというニュースがアメリカ中(いや世界中)で報道された。アメリカの左翼芸能人や政治家たちはこぞって少年たちの悪口をツイートし、なかには少年たちの住所やメルアドなどを公表して脅迫電話や脅迫状を送り付ける者たちまで現れた。日本でも鈴木一人とかいう経済学者がここぞとばかりにアメリカの悪口をツイート。

ところが前後の様子を写した別の角度からのビデオが浮上し、実は最初の記事にはかなり意図的な誤りがあることが判明した。こちらその様子を説明しているリーズンの記事

新しく浮上した二時間にわたるビデオを観てみると、少年たちとインディアンおっさんとの遭遇がどのようなものだったのか、その文脈が明らかになる。

ビデオによると、マガハット(メイクアメリカグレートアゲイン=アメリカを再び偉大にしよう、のMAGAという頭文字をかたどった赤い帽子)姿の少年たちは老人に人種差別に満ちた嫌がらせなど全くしていないだけでなく、差別的でホモフォブな罵倒を繰り返すおかしな黒人カルトの前で冷静を保っている。この黒人たちはヒーブルーイスラエライツという訳の解らないカルトのメンバーで、反白人で反キリスト教で反同性愛者という国粋主義カルト。インディアンのおっさんが現れる前に、この黒人グループはマガハットカトリックグループの少年たちに差別用語を使って罵倒していた。

フィリップというインディアンのじいさんは、この二つのティーンエージャーたちのグループの間に入り込み、ドラムを叩きながら白人少年たちの方に近寄って来た。最初白人少年たちはおっさんの意図が解らず、じいさんと一緒になって歌っていた。これがじいさんに同意してなのか、じいさんをからかうつもりだったのかは、はっきりしない。

フィリップじいさんの行進に道を譲らなかった少年がいた。少年は笑顔をみせながらおっさんをじっと見つめている。最初に報道されたビデオはここから始まる。少年がなぜ笑顔でじいさんの顔を見つめているのかはわからないが、少年の顔の前でうるさくドラムを叩くじいさに対して、少年の態度は非常に冷静だ。少年は何も言わず、じいさんを罵るでもなく、ただ笑顔で見つめていただけだ。それを嘲笑と取るかどうかは視聴者の勝手だが、これをもってして少年が人種差別的な態度を取ったというのは言い過ぎにもほどがある。

笑顔で黙って見つめる少年にフィリップじいさんはドラムを叩きながら何度も何度も詰め寄った。そのうちじいさんは飽きたのか、少年の前から立ち去った。ビデオはこのリンクから見ることが出来る。

フィリップ爺さんが立ち去った後も、黒人カルトメンバーたちは白人少年たちのことを「おカマ野郎」とか「ヨーロッパへ帰れ」とか訳の解らない罵声を飛ばしていたが、白人少年たちはその挑発に乗らずに学校の応援チアーで声を張り上げ、黒人たちの声をかき消そうとした。

さて、この時、なぜかフィリップ爺さんは再びこの二つのグループの間に割って入って来た。爺さんはのちにザ・デトロイトフリープレス紙のインタビューでこう答えている。

「(白人少年たちは)四人の黒人たちに襲い掛かろうとしていました」それで(フィリップ氏)は事が大ごとにならないうちに仲裁に入ろとした。

He seems profoundly mistaken: The video footage taken by the black nationalists shows no evidence the white teenagers had any intention of attacking. Nevertheless, Phillips characterized the kids as “beasts” and the hate-group members as “their prey”:

しかしフィリップ爺さんは状況を完全に誤解していた。黒人国粋主義者たちが撮ったビデオには白人少年たちが攻撃してくる様子は全く写っていない。にも拘わらずフィリップ爺さんは少年たちを「獣ども」と言い黒人たちは「獲物」だとまで表現した。

「その時私は気づいたのです。私は自分を獣と獲物の間に置いてしまったのだと。」とフィリップ氏。「この若者たちは獣のようで、黒人たちは獲物のようでした。そして私はその真ん中に居たのです。それで彼ら(白人達)は一ポンドの肉を欲しており、その矛先が私に向けられたのです。」

またしてもこれはフィリップ爺さんの誤解だった。爺さんは白人少年たちが「壁を建てろ」と叫んだというが、記者が聞く限りそんな言葉は全く聞こえないという。無論子供たちは色々なことを叫んでいたので、そんなことを言った少年もいたかもしれないが、記者にはそれは聞こえなかったという。

地元新聞に語った少年たちの証言によると、彼らは母校のスポーツ応援音頭を幾つか繰り返しただけだという。記者によるとこの少年の証言は正しいという。

「僕たちの学校は男子校なので、テンションあがっちゃうんです。」と学生の一人。「これまでにも何回もやったように、暇つぶしに応援音頭をとろうってことになったんです。そしたらそのなかにネーサン・フィリップ率いる大人たちがドラムを叩きながら入って来たんです。最初僕たちはなにか文化的な表現で僕たちの応援に合わせて叩いてくれてるのかなと思ったんです。」この生徒によると、生徒たちが笑っていたのは音楽を楽しんでいたからだという。しかしそのうちに混乱してきた。事実何人かが「何が起きてるの?」と言っている声が聞こえる。

子供たちが何か変なことを言ってフィリップを威嚇しようとした可能性はあるとはいうものの、ビデオにはそのような映像は全く写っていない。少なくともフィリップ爺さんが言うようなことが起きた証拠は全くない。

さてここで、人種差別者扱いされたコビンぐトン高校の生徒、ニック・サンドマン君の言い分を聞いてみよう。

僕は金曜日の午後リンカーンメモリアルにおいて起きたことを、僕や僕の家族に向けられた間違いやあからさまな嘘をただすために、事実のみをお話します。

僕がビデオのなかでアメリカ原住民抗議者に詰め寄られた生徒です。僕はリンカーンメモリアルに午後4時30分に着きました。僕は、バスがケンタッキーに向けてワシントンを出発する5時半までに来るように言われていました。僕たちは命のための行進に参加しており、その後少人数のグループに分かれて観光をしていました。

僕たちが着いた時、四人のアフリカ系アメリカ人の抗議者がリンカーンメモリアルの階段のところに居ることに気が付きました。僕は彼らが何に対して抗議をしていたのかわかりませんでした。でも彼らが僕たちの学校の生徒たちに侮辱的な言葉を放っているのを聞きました。

抗議者たちは口々に憎しみに満ちたことを言ってました。彼らは僕たちを「レイシスト」「偏狭者」「馬鹿白人」「おカマ野郎」「近親婚子供」などと呼びました。また、僕たちの学校のアフリカ系アメリカ人の生徒に対して僕たちが彼の臓器を増殖しているなどとひどいことを言いました。僕にはその侮辱の意味が解りません。でも聞いてびっくりしました。

僕たちは公共の場で大声で罵られたので、生徒の一人が僕らに向けて叫ばれているひどい侮辱に対抗するため学校のお祈り音頭を取ってもいいかと付き添いの先生に聞きました。 この音頭は普通スポーツ競技の時に取られるものです。これらはすべてポジティブなもので普通の高校でよく聞かれるものと似ています。付き添いの先生が歌ってもいいと許可をくれました。僕たちは許可なくして音頭を取るなどということは絶対にしません。

この間ずっと学校のお祈り音頭以外の声は聴かれませんでした。僕は生徒の誰ひとりとして「壁を建てろ」とか何か侮辱的なことや人種差別主義的なことを言うのを聞いていません。 そうでないという確定は全くの間違いです。僕たちは大きな声で音頭を取っていました。なぜなら抗議者たちの憎しみのこもった罵倒をかきけしたかったからです。

数分後、それまで僕が気づかなかったアメリカ原住民の抗議者たちが僕たちのグループに近づいてきました。原住民の抗議者たちはドラムを持っていて少なくとも一人の人がカメラを持っていました。

ビデオに写っているみんながみた抗議者が、ドラムを叩きながら群衆のなかをうねり歩き、人々は彼に道を開けていました。誰も彼の行く手を遮ろうとはしませんでした。彼は僕に焦点を合わし、僕の顔から数センチのところまで近づいてきました。彼は僕を睨みつけながらずっと太鼓をたたき続けました。

僕はこの人と全く交渉していません。言葉も交わしていません。身振りで何かを示したり威圧するような動きもしていません。正直な話、僕はどうしてこの人が僕に近づいてきたのか驚き困惑しました。僕たちはすでに他の抗議グループから怒鳴られていたし、二つ目のグループが近づいてきて僕は、大人たちがティーンエージャーたちを挑発して何か手のつけられないことになるのではないかと心配になりました。

それで僕は動かずに冷静にしていることで、状況を鎮めることが出来ると信じました。僕はみんながカメラを持っていることに気が付きました。それで大人たちが僕らを挑発して何か大きな衝突を起こそうとしているのではないかと考えました。それで僕は黙ったままこれ以上ことが荒立たないことを祈りました。

ドラムが鳴っている間、抗議者のメンバーが僕たちに「お前らは俺たちの土地を奪った」とか「ヨーロッパへ帰れ」などと怒鳴りました。僕たちの同級生が何か答えようとしているのを聞きました。僕はクラスメートたちに抗議者と話をするのを止めるように手ぶりで示しました。僕たちは落ち着いてこの緊張を鎮めなければならなかったからです。

僕は決して原住民の道を塞いだとは思っていません。彼は僕を避けて行こうとはしませんでした。彼は僕に詰め寄るためにわざと僕を選んだのは明らかです。僕にはそれが何故なのかはわかりませんが。

この衝突は先生の一人がバスが来たので帰る時間だと言ったことで終わりました。僕は先生の指図に従ってバスの方へ向かいました。この時僕は、落ち着いていたことで問題は解決したと思いました。僕は暴力に至らなくてよかったと感謝しました。

僕には何故この二つのグループが僕たちに絡んできたのか全く理解できませんし、いったいリンカーンメモリアルで何にに対して抗議をしてたのかもわかりません。僕たちはただ単にバスに乗るためにあつまっていただけで、決してメディアの大騒ぎの中心になるようなことはしていません。公共でのデモに遭遇したのは僕にとって生まれて初めてです。ましてやデモに巻き込まれるなんていうのも初めてです。

僕はわざと抗議者たちに変な顔をしたりもしてません。僕は微笑みましたが、それは僕が怒ったり威圧されたり挑発されて問題を拡大する気はないことを彼にわかってもらうためです。僕は敬虔なクリスチャンでカトリック教徒です。僕は常に僕の宗教の教えに従うよう努力しています。他人に敬意を表し暴力に至る行為を避けることに勤めています。

僕はこの人に何の敵意も持っていません。僕は彼が抗議をする言論の自由を尊重しますし、いつでもリンカーンメモリアルで祈りの声を上げることも支持します。ただ僕は彼は他人の空間に侵略してくる作戦については考えなおすべきだと思いますが、それも彼の選択です。

僕は人種差別者を含め存在するあらゆるひどい名前で呼ばれました。でも僕は暴徒のように僕の家族の名誉を汚すことは許せません。僕の両親はあの旅行には参加していませんでした。そして僕は公共の場で家族の代表として恥かしくない行動をするよう努めています。

僕は暴力や命を脅かす脅迫をソーシャルメディアで受け取りました。ある人は僕を学校で襲うと脅迫し、ある人は僕の近所に住んでいると言っています。僕の両親は暗殺の脅迫状を受け、ビジネスに対してもネット攻撃を受けています。

僕は自分の学校を先生たちをクラスメートたちを愛しています。僕は良い成績をとるために一生懸命勉強してきましたし、課外授業にも色々参加してきました。僕は 僕たちの学校の生徒たちがアフリカ系市民や原住民に対して差別的なひどいことを言ったなどということを、多くの人々が起きていないことを起きたかのように信じていることに非常な悲しみを感じます。

僕は他の人たちのことは言えませんが、僕のみに関してだけ言うならば、コビントンカトリック高校の生徒たちはすべての人種や文化に尊敬の念を持っています。僕たちはすべてに人々の言論の自由を支持します。僕はフィリップさんの言ったことについて何もいうことはありません。僕は彼をしらないし彼の心の中のことが解るとも思えません。また他の抗議者に関してもこれ以上言うつもりはありません。彼らの心のうちは解りませんから。

フィリップさんが元海兵隊の米国退役軍人だということを読みました。彼の貢献に感謝するとともに制服を着て国を守ってくれている方々に感謝いたします。もしだれか一人自由に発言する権利があるとしたら、それは海兵隊退役軍人です。

僕は自分が観察し感じたことしか話せません。しかし僕はたった数秒のビデオを観ただけで判断を下すのではなく、すでにインターネットで観られる長い方のビデオをみてくださるようにお願いします。長編のほうは目的ある人々が表現したのとは全く違う映像であることがわかるはずです。

僕は何が起きたのかをはっきりさせるために、コビントン高校の主教様たちににこの事実を告げました。 そして僕はどのような捜査にも自主的に協力する旨を明らかにしました。

なんという立派な高校生なんだ。白人高校生だから人種差別者に違いないと思って挑発したフィリップ爺さんや、前後の状況も知らないでカトリック生徒たちを人種差別扱いした左翼の大人たちとは大違いである。

事実が分かった今、彼らをさんざんこき下ろした大人たちは謝罪する覚悟はあるのだろうか? かなり疑問だがね。


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