レバノン戦争、まだ停戦をしてはいけない!

国際社会からレバノンで起きている戦争を停戦させようという動きがあるが私はこの動きには断固反対である。目的達成の前にやたらにやめることは最初からなにもしなかったより情勢を悪化させる。戦争ははじめた以上最後までやり通さねばならぬ。犠牲者を見るに忍びないからといって中途で放り出せば将来に問題を先送りすることになり決してよい結果を生まない。
アメリカの新聞も日本の新聞も、この戦争をイスラエル側の一方的なレバノン侵略でもあるかのように報道するのは苛立つ。最初にイスラエルに宣戦布告をしイスラエルの度重なる要請にもかかわらず人質返還をかたくなに拒んでいるのはヒズボラだってことを主流メディアはもうすっかり忘れてしまったかのようだ。何世紀も前におきた歴史を書き換えるならまだしも、ほんの数日前の歴史までこう簡単に書き換えてしまうとはいくら反イスラエルメディアでもやりすぎだ。
こういう報道が相次ぐのでこのような意見が出てくるのも当然というものだろう。

イスラエルのレバノン攻撃。イスラエル側は武装組織のヒズボラを攻撃しているだけみたいなこと言ってるけど、レバノン自体を攻撃しているように見えます。街のど真ん中に爆弾落として民間人を300人以上殺して子供まで殺しといて「武装組織が拉致した兵士を返してくれないから」じゃないっっしょって感じです。やりすぎだと思います。度を越えています。
 実際、死んでいるのはほとんどが巻き添えを食った民間人だし。武装組織ヒズボラの幹部はほとんど無傷だということだし。。。
なんでユダヤ教の国イスラエルがこんなひどいことをするのかよくわかりません。報復ならなんでも許されるってわけじゃないと思いますし。   ぶろぶろぶろぐより

ぶろぶろさんがイスラエルの戦争行為の理由が理解できないのは、メディアがこの戦争の意味をはっきりと説明しないからだ。イスラエルがレバノンに攻め入ったのは8人の兵士が殺害され2人の兵士が拉致されたことが直接のきっかけではあるが、攻撃の目的は二人を救出することだけではない。いや、それよりもレバノンに巣食うシリアの犬たち(シリアを通じてイランから指揮を受けているわけだが)ヒズボラの武装解除が最終的な目的なのである。
考えてみればこの戦争はすでに2000年の段階で予測できたことであった。もともとイスラエルがレバノン南部に駐留していたのは、ヒズボラがレバノン南部を本拠地としてイスラエル攻撃をしてくるのを防ぐためのバッファーゾーンとして必要だったからだ。レバノン占領をやめろという国際社会からの圧力にイスラエルが長年抵抗していたのも、撤退すればまたイスラエルへの攻撃が再会されると考えていたからだ。(その考えが正しかったことが今回の紛争で証明されたが)
にも関わらず、イスラエルは2000年に突然レバノンから撤退した。撤退そのものにも問題はあったのだがそのやり方にはもっと問題があった。私はいまでも理解できないのだが、当時のイスラエルの首相はなにを思ったのか、別にヒズボラの攻撃に悩まされ大敗していたというわけでもないのにある日突然撤退を命令し、そのあわてぶりはみていてぶざまであった。あまりにもあわてて撤退したため多くの戦車だの武器庫だのの移動が間に合わず、後になって自分の武器弾薬をヒズボラなどに利用されないように空爆して破壊するというていたらく。
この撤退ぶりはどうみても遁走である。これをみたレバノンのヒズボラが喜んだのは言うまでもない。もともと理屈でものを考える輩ではないから、自分達がなんにもしていないのに敵が出ていったことを不思議に思うかわりにアッラーがなせる技とばかりにヒズボラは一斉にレバノンの南部イスラエルとの国境に集まりあのあたりの集落を占領してしまった。以来レバノン南部はヒズボラの勢力下にあったのである。
これがパレスチナのテロリストどもを元気づけたのはいうまでもない。ヒズボラがイスラエルを追い出せたなら自分らも同じことをやればイスラエルを追い出せると考えたわけだ。これがいわゆる第2インティファーダの始まりだ。
さて早送りして2006年。思った通りヒズボラはレバノン南部を拠点としてイスラエル攻撃をはじめた。この6年間でヒズボラはレバノン全体に12000個のミサイルを民家に配備してしまったという。シリアからの武器弾薬の輸入でヒズボラの武装は着々と進んでいたのである。
イスラエルとテロリストとの間の戦いで停戦条約がイスラエルの役にたったことは一度もない。イスラエルが圧倒的武力によってテロリストを叩き、テロリストが崩壊寸前になると常におせっかいな国際社会が口をだし、「もういい加減にしろ、十分犠牲者がでただろう、停戦しろ」と大騒ぎする。イスラエル国民のなかにも長年に渡る戦争に疲れて「もういいとにかくやめよう」という気持ちも出てくるので停戦となる。ところが国連はイスラエルには停戦条件の厳守をうるさくいうのにたいして、テロリストが条約を無視しても黙認状態。レバノンとイスラエルの国境には国連軍がずっと駐留しているが今回の拉致事件の時でも指一本動かしていない。

(2000年)6月18日、国連の安全保障理事会は、イスラエルの南レバノン撤退を確認する議長声明を採択している。続く19日にアナン国連事務総長は、現在約4,400人の国連レバノン暫定軍(UNIFIL)に第一段階として、約1,000人の増員を7月までに行うとする見通しを示した。その後も約2,500人の増員が実施され、同暫定軍は最終的に約8,000人の規模となる予定である。

国連はヒズボラ武装解除の決議も出しているが、UNIFILはいままでヒズボラがレバノン南部で着々と武装しているのを見てなにをしていたのだ? こんな奴らにイスラエルの平和を任せておいてはイスラエルはお陀仏である。
このことで十分わかるように結局停戦はテロリストの次の攻撃に備えた体制立て直しの時間稼ぎになるだけであって、何の解決にもならないばかりか、かえって戦争を長引かせ激化させ、結果的に双方の犠牲者をもっと増やすことになるのである。今回の戦争がそのいい証明だ。
この戦争はヒズボラの武装解除が終わるまで続けられなければならない。レバノンの民家に隠されたミサイルや武器弾薬の破壊、そしてヒズボラ戦闘員の駆除、それがすむまでは停戦などという言葉は忘れるべきである。
関連ブログ記事:
ヒズボラの罠


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戦争の犠牲者はレバノンにばかりいない

イスラエルの空爆によるレバノンでの被害は大きく取り上げられるが、この紛争が始まって以来千何百というカチューシャロケット弾がイスラエル圏内に打ち込まれており、標的がいい加減なこのロケット弾はおもにイスラエルのアラブ人集落に落ちている。昨日もこのロケット弾で犠牲になったアラブ人の子供の話がハーレツ新聞にのっていた。せっかくだから全文掲載しよう。(訳:adventureoftheultraworld)

3歳半のRabia Taluziと、兄で7歳半のMahmoudは昨日の午後、ナザレのSafafa地区の叔父さんの家から帰宅しているところだった。

通いなれた細い道を歩いているとき、空からカチューシャロケットが降ってきて、道に大きな穴を開けた。ロケット破片がまわりじゅうに飛び散り、二人の子供は殺された。
近所に住むHosni Sallahは現場に駆けつけた。「ものすごい爆発音が聞こえた。いつも子供たちが遊んでいるあたりで。駆けつけたら子供たちが倒れていた。ひとりはまだ息をしていたけど、やがて呼吸が止まった。街路が細すぎて救急車は現場まで入れなかった」
地域のラジオAl-Shams局では住民に救急車が通れるように街路を明けるよう呼びかけた。ショックで50名ほどが病院に運ばれた。
昨日までHome Front Command (イスラエル軍の一機関、テロやミサイルなど一般民衆を対象にした攻撃へ対処する部門)は、ナザレが攻撃されることはないだろうと思っていた。Home Front Command、国防省が使用する初期警戒システムが、警戒サイレンにつながっていなかったのもそのためであると地元自治体は言う。昨日の攻撃のあと、サイレンを早急につなぐことが決まった。ナザレ市のセキュリティ担当Mamoun Satiti氏はこう明かす「Home Front Commandはこれまで内々に『ナザレが攻撃されることはない』と話していた」。Home Front Commandはナザレ市の警戒装置をテストすると語る。
ロケット攻撃はナザレ市の住民に衝撃を与えた。昨日まで、ナザレの人は誰もヒズボラ(ナスララ)が自分たちを傷つけようとするとは信じなかった。
殺された子供たちの家の近くでは、街角で住民はヒズボラのミサイルの正確性について論議している。
「あいつらはただミサイルをぶっ放してるだけ。誰もそれがどこに着弾するなんかわからない。この街ではアラブとユダヤの間に違いはない。アラブの血とユダヤの血に違いなんかないだろ」
「ナスララは、アラブ人を殺害すると知っていたら、絶対こんなことはしない。でもときどきヒズボラのミサイルは的を外れてしまうんだ」
住民たちはどこに怒りをぶつけていいのかわからない。昨日のカチューシャで父親が怪我をしたFadel Sawalha氏は、リビングから割れた窓ガラスを見る。彼は怒っているが、慎重に言葉を選ぶ。
「俺が責めるのはオルマートとペレツ(イスラエル国防相)、ナスララの3名だ。オルマートとペレツを責める理由は、あいつらは、我々にとって初めての『将軍でない首相・国防大臣』なのに戦争を始めたから。ナスララを責める理由は、あいつは自分が弱くなったと感じているから、無差別にミサイルを撃ちまくっているからだ。そもそも兵士誘拐なんてするんじゃなかったのだ」
Taluzis一家はイスラエル国家への忠誠とナスララ擁護の間で引き裂かれている。従兄弟は言う「ユダヤ人の血とアラブ人の血に違いはない。双方砲撃を止めないといけない。君は僕にナスララを責めてほしいんだろうが、僕はそうしない。俺たちはあいつらと変わらない。あいつらが殺されるのなら俺たちも殺される、ということだ。僕はナスララに怒っていない」
Safafa 地区の住民の多くは1948年の戦争(第一次中東戦争)の結果、周辺の村から追われたブルーカラー労働者である。もう少しで彼らは難民キャンプに行くところだった。昨日この街を訪れたら、アラブのテレビとイスラエルのテレビを交互に見ては状況を調べようとしている人たちの姿が見れたはずだ。
「僕たちは問題を抱えている」近所の人が言う。僕らはここの市民であって、国のためによいことを考える。でも同時に、僕らは国のほかの人たちとは違う感情を持っている。僕らは国境の向こうの、違う民族に属しているんだ。そして国境の向こう側の光景には衝撃を覚える。僕らは双方が静かに暮らせる方法を見つけるのを待っている。」

どこで読んだか忘れたのだが、ナスララはこの子供たちを英雄の死を遂げたとたたえたそうだ。子供たちにその選択の余地はなかったのに。
テロリストは常に女子供や無関係な非戦闘員の影にかくれて攻撃をしてくる。そうしておいて無実の庶民が巻き添えを食うと攻撃をしてきた相手が悪いという。自分らが殺した非戦闘員への同情などかけらもない。罪悪感もなにもない。
この戦争が終わるためにはこういう奴らを殺す以外に道はないのだろう。


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救助費用は誰が払うのか?

20年ぶりにアメリカ軍海兵隊がベイルートに到着した。戦場にとり残されたアメリカ市民の避難を援助するためである。救援された市民たちはあたりまえだが不安と恐怖に疲れきっていた。そして救援が遅れたことへの怒りも隠しきれない。なかには救助用の船の船賃は個人負担だときいて激怒するひともいた。
戦争に巻き込まれたレバノンの人々には心から同情する。本当に戦争とは地獄である。しかし外国人が政情の不安定な国に住んだり訪れたりするのであれば、自分の身の安全を守る責任はまず自分にあるのではないだろうか。特に自国の政府がいかないようにと警告をしているレバノンのような国に行くのであればそれなりの覚悟が必要なはずだ。
アメリカ大使館で二日も三日もまたされたあるアメリカ人夫婦は大使館の職員の態度がぶっきらぼうで、避難計画がどうなっているのか全く教えてくれなかったことについて苦情をいっていた。私はビサの件などで日本のアメリカ大使館やアメリカの日本領事館で何度か書類の手続きをしたことがあるので、職員が不親切だったというのは信じられる。お役所の職員は平常でもそうなのだから、緊急事態ともなれば自分らもあわてているだろうし、やってくる市民に愛想をよくしている余裕などなかったのであろう。
しかし思うに、アメリカ人はあまりにも連邦政府になにもかも頼り過ぎるのではないだろうか。去年のハリケーンカトリーナの時も、危険が迫ってきた当初に自ら避難すればいいものを、上から強制避難命令が出るまで踏んばっていた人々が1000人も逃げ遅れて亡くなった。この時も本来ならば地元の市長や州知事にこそ救助の第一責任があるはずなのに多くの地元市民は自分らの代表の責任を問わず、ワシントンの連邦政府にこそ責任があるとし、市民を避難させる権限をもっていない大統領を責めた。
どうも私にはアメリカには個人責任という意識が薄れているように思えてならない。国の警告を無視してテロリストが支配する危険な地域を訪問しておきながら政府からの助けが遅いなどと文句をいうべきではない。その前にそんな危険な場所にのこのこ出かけていった自分の責任を考えるべきだ。よその国に自国からの助けが敏速にくると思ってるほうがおかしい。
無論政府は自国の市民をできる限り助けるべきではある。だが余所の主権国家でおきることをアメリカはコントロールできない。いくらアメリカ人だからといっていつもいつも敏速に援助できるという保証はない。最終的にはどこの国へ訪れるにしろ、自分の救出は自分の力に頼るしかない。
数年前に私はテレビのドキュメンタリーで、外国に住んでいて災害やクーデターなどの危険から命からがら逃げおおせた人々の話をみたことがある。これらの人々は宗教団体やNGOのボランティアのひとたちがほとんどだったが彼等に共通していえることは、いざとなったときにどのように脱出するかという計画を一人一人がもっていたことである。
彼等はいったん問題が起きた時、誰かが助けにくるのをまっていたり、当局からの指導をただじっとまていたりせず、自ら脱出作戦をたててそれに従って危機から脱出した。それというのも、彼等は地元の人々のためにつくす目的できたが、最悪の場合のこともきちんと頭にいれていて、普段から緊急の場合にどうすればいいかという脱出計画をもって、いざというときにそれに従ったのである。
危険な場所にいくのであれば常に周りの状況を正確に把握しておく必要がある。それでもふいをつかれて逃げ遅れたとしても、政府に文句をいうのはやめてもらいたい。
それから助けてもらったら、船賃くらいは払いなさいよ。


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あてにならない国連軍

国連の平和維持軍がレバノンに出動するかもしれないというがでているが、やはり思った通りイスラエルの首相はかなり断固としてこの提案を拒否している。下記は18日付けのCNNから。

イスラエル首相、国際部隊展開に反対 戦闘継続を明言

エルサレム、ベイルート、サンクトペテルブルク──アナン国連事務総長とブレア英首相が17日、イスラエル軍とイスラム教シーア派組織ヒズボラの交戦が激化しているレバノンに国際部隊を展開することを提案したことについて、イスラエルのオルメルト首相は反対姿勢を表明した。首相はレバノン軍がイスラエルとの国境地帯に展開することを提案し、ヒズボラの武装解除を求めている。
首相はイスラエル国会で演説を行い、ヒズボラに拉致されたイスラエル兵2人が無事解放されるまでレバノン攻撃を継続すると明言。イスラエル国民がロケット弾やミサイル攻撃にさらされながら生きることを拒否するとしたうえで、「人生には現実を見て『これでもう限界だ』と言わねばならない時がある。わたしは全ての人々に対してそう言いたい」と述べた。

先ほどフォックステレビのニュースで、イスラエルにいる特派員がイスラエルとレバノンの国境にある国連の基地を見せてた。特派員は国連の兵士はイスラエル兵たちが攻撃され殺され、二人の兵士が拉致されたのを目撃しながら指一本動かさなかったと語っていた。
イスラエルが国連の連合軍を拒否する理由は、いままでに国連の軍隊が戦って外敵からのイスラエルを守ってくれたことなどないからである。それどころか国連は間にはいってイスラエルのヒズボラ退治の邪魔になるのがおちである。
ほかの国の首相と違ってブッシュ大統領はイスラエルに停戦を促していない。それはブッシュ大統領はどのような停戦条約を通してみてもヒズボラがそれに従うわけがないと分かっているからだろう。イスラムテロリストのいう停戦とはこちらが撃つのをやめるかわりに向こうはもっと撃ってくるというパターンが普通だ。
ところでレバノンの国境はテレビの画面で見る限りかなり人口の多い民家が並んでいる。特派員の話ではヒズボラはその民家からカチューシャを飛ばしてくるのだという。民間人の間に隠れて攻撃してくるのもテロリストの常套手段だ。しかしそれを考えるといま報道されている200人の犠牲者のうちいったい無実で無関係のレバノン人はどのくらいなのだろうという疑問が生まれる。
もしイスラエル軍が陸軍をレバノンに出動させるとなると、私服を着て民間人の間に混じってしまうヒズボラをどうやってみわけるのだろう。アメリカ軍がイラクで抵抗軍やテロリストと戦うのと非常に酷似した難かしい戦いになりそうだ。


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ゲーム感覚でする戦争

どうもここ数日のアメリカや日本のメディア報道をみていると、同じパターンに気が付く。それはイスラエルの勢力がヒズボラに比べて不均衡に優勢だから不公平だというのである。人によってはイスラエルの犠牲者よりもレバノンの犠牲者のほうが多いからイスラエルが一方的に悪いのだという訳の分からないことをいったりする。
これがサッカーの試合ならイスラエルチームの選手は11人だがパレスチナチームは6人というのであれば確かに不公平だ。しかしこれは戦争だサッカーの試合ではない。(サッカーの試合でも圧倒的に強いブラジルチームと日本が試合をする時はブラジルチームは9人でやるなんてルールも存在しないから、全く均衡な試合などスポーツでもありえない。)
戦争の目的は味方の被害を最小限におさえて相手の損害を最大限にして勝利をおさめることにある。いったいどこの世界に敵と互角の戦力で戦わなければならないなどという規則があるというのだろう。そんな規則はジニーバ協定にも書かれていない。
自国に圧倒的優勢な戦力があるのに、敵にあわせて互角の戦闘をして味方の被害を増やすような司令官がいたら今すぐ切腹してもらいたい。戦争をゲーム感覚でするひとたちの思想にはどうもついていけないな。


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応戦が不均衡だって?あったりめえだ! 悪いかよ!

イスラエルのレバノン攻撃について世界各国でデモ行進が起きている。ドイツのベルリンではイスラム教徒が集まって「イスラエルに死を!」「シオニストに死を」と唱えている。
レバノンにおけるイスラエルの攻撃は世界中に波紋をひろげている。
世界を半周してニューヨークではイスラエル支持のデモ行進が行われ、参加者は叫んだ。「レバノンに死を!」「イスラムに死を!」
国連のイスラエル大使ダン·ギラーマン氏はイスラエルが自分らが求めない攻撃に対する自己防衛を他国が認める以外に道はないとはっきり語る。(訳:カカシ)
「わが国が不均衡な軍事力を使っていると唱える国々に告ぐ。あったりめええよ! (おれっち江戸っ子でえ!)もしあなた方の都市が空爆され、あなた方の市民がわが国の市民が経験しているような恐怖におとしいれられたならあなた方はもっとひどい強大な力で応戦しているだろう。」
いよ! 待ってました! ギラーマン屋、日本一、、じゃない、中東一! 威勢がいいねえ。大向こうからかけ声が飛ぶよ!
カカシ注:
上記の翻訳にかなり私の自分勝手な装飾があったことをお詫びします。大使ともあろう人が「あったりめええよ」などと言うわけはない。正しくは「まさしくその通りですとも。」 という感じだと思う。また括弧内の江戸っ子云々は私の創作。 ただ彼の悪びれない開き直った態度を表現する言葉使いにちょっと迷った。


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有り難迷惑レバノンの国連軍派遣

今日、イギリスのブレア首相と国連のアナン会長が激化するレバノンの状況を緩和するため、国連軍を送るべきだという話をしたときいて私はとんでもないと思った。(浮世絵さん紹介

ブレア首相は記者団に対し、「われわれが停戦を図る唯一の方法は、国際部隊を派遣し、(ヒズボラの)対イスラエル攻撃とイスラエルの対ヒズボラ攻撃を中止させることだ」と述べた。

まず私はイスラエルとヒズボラが今の段階で停戦しなければならない理由があるとは思えない。停戦をして得をするのは圧倒的に負けているヒズボラほうでイスラエルは拉致された兵士を取り戻すこともできず、レバノンにむやみやたらに攻撃したという汚名だけを負わされてしまう。ここまでやったからには兵士を取り戻すか、それができなければズボラの撲滅を達成するべきだ。そうでなければ世界の反感を買ってまで行った武力行使の意味が全くなくなってしまう。浮世絵さんはもう誰かが終息させるべきだとおっしゃているが、私はまだまだ終息には時期早尚だと考える。
それに国連軍なんていってもロシアだのフランスだのが混ざっていれば、ヒズボラのイスラエル攻撃は黙認、イスラエルのヒズボラ攻撃は阻止されるというイスラエルにとっては迷惑しごくな結果になりかねない。「停戦」など単にヒズボラの体制回復の時間稼ぎに利用されるだけである。
それにレバノンに国連による平和維持団を派遣などということをきくと、これは完全に1980年代前半のデイジャブーである。(デイジャブーとは同じことが前におきたような気がする幻想のこと)
1982年にイスラエルはレバノンに攻め入ってシリア軍やPLOと戦った。そこへレバノンとイスラエルの停戦を平和的に維持させるいう目的で国連軍が派遣された。ここで派遣されたのはアメリカ合衆国、イギリス、フランス、イタリアなどである。しかしこの多国籍国連連合軍はヒズボラなどの自爆テロによってさんざんな目にあっている。
特にアメリカはベイルートにある大使館が1983年4月に自動車爆弾で爆破され60人が死亡120人が負傷したのに続き、同年10月には海兵隊とフランス空挺隊が共有していた宿舎へ爆弾をつんだ軽自動車がつっこみ、米海兵隊員241人、フランス空挺隊員297人が殺されるという悲劇を経験している。
結局国連軍はテロリストの攻撃に耐えかねて1984年にぶざまに退散してしまったのである。どうせ今回も1983年の二の舞いを踏むのが落ちである。平和も保たれていないのに敵の攻撃に圧倒されて退散するくらいなら、出動などしないほうがよっぽどもまし。
イスラエルにとっては国連のこうした動きは大迷惑といわざる終えない。


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ハマスとヒズボラ中東市民の冷たい反応: その3

シリアの場合
シリアのアサド大統領は父親の代と違ってそれほどその勢力は強くない。特にハリリ氏暗殺の大失態でレバノンを追い出されるはめとなったことで、アサド大統領政権はかなり軍部から信用を失っている。
ここで拡大する中東の戦争についてシリア人で今はアメリカに住むアマー·アブドゥルハミッド(Ammar Abdulhamid)さんの意見を紹介したいと思う。(氏の名前は長いので、氏の書いているブログ名アマージを呼び名に使わせてもらう。)
アマージさんはシリア政府は常に国家の解放と独立のためにシリア国民が努力しなければならないと呼びかけているが、それは実は国民の目を外敵に向かせることで国内での腐敗や敗退から目をそらさせるのが目的なのだと語る。だから氏はイスラエルが何もかも悪いのだというレトリックを信じたことはないという。(カカシ注:アマージさんの文学的な英語を訳する力は私にはないので、だいたいの意訳をさせてもらった。)

我々の目の前にある問題はシリアやイランの道具としてハマスやヒズボラが国の解放のためにと紛争を起こし、我々の多くが歓声をあげながら従うのであれば、それは地獄への行進となることだ。アサド大統領による紛争の新しいラウンドは我々の滅亡を意味する。私はこれまでシリアがイラクのような運命をたどることを避けられる希望をもっていた。だがもうそれは不可能であることははっきりした。

1980年代にシリアがイスラエル攻撃から生き延びたのは奇跡ともいえる偶然の出来事が重なったからで、決してシリアが勝ったとはいいがたいというのに、アサドはまた20年前の歴史を繰り返そうとしている、シリアはあの時の経験から全くなにも学んでいないとアマージ氏。

希望的観測は別として、今回のラウンドでイスラエルが負けるとは思えない。レバノンでおきていることは今となってはもう避けられないシリアでの紛争への序章である。この紛争は数多くの悲劇と惨事を我々市民にもたらすことになるだろう。
人によっては違った見解をもつだろう。彼等はアサドやムラーたちが真剣な競争相手として立ち上がり、アメリカやイスラエルに恥を書かせたと思うかもしれない。だが私は敬意をもって反対する。だが誰が勝利者となろうとも、結局我々市民が一番ひどい目にあわされることになるのだ。

中東市民の冷たい反応: まとめ
これまで中東の支配階級はなにかあるごとに、イスラエルを持ち出すことで国内の問題から国民の目をそらすことに成功してきた。だが、私が紹介した一連の人々の意見からもわかるように、中東の市民たちは自分らの生活が苦しいことが何もかもユダヤ人のせいだという政府の言い訳をそのまま信じないようになってきている。
ことあるごとにイスラエルを指差して「ジュー!」と騒げばなにもかもおさまる時代は終わったのである。もしこの紛争がもっと拡大し、イランが戦争に加わり、アメリカがイスラエルの応援にかけつければ、中東の宗教国家はすべて崩壊するであろう。結果的にはそれは世界にとっていいことになのかもしれない。だがその経過にどれだけ多くの無実の市民や戦闘員が犠牲になるのか、それを考えると恐ろしい。
関連ブログ記事:
「ぼくら党」の言論ブログ
時事チップス


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ハマスとヒズボラ中東市民の冷たい反応: その2

さてではレバノンのヒズボラだが、なぜここ数年全くいざこざを起こしていなかったイスラエルに突然攻撃をしかけたのか、これにはレバノンにおけるシリア勢力衰退の背景がある。

みなさんもご存じと思うが、2005年2月にシリアのアサド首相がヒズボラに命じてレバノンの元首相ハリリ氏を自動車爆弾で暗殺するという事件があった。シリアはイスラエルがレバノンを撤退して以来ずっとレバノンを占領しており、レバノンにはヒズボラをはじめシリア占領軍が大手をふって歩いていた。

しかし、この事件がきっかけでそれまでたまっていたレバノン市民の反シリア軍への反感が爆発し、あちこちでシリア撤退を要求するデモがおき、シリアは一部の諜報機関を残してほとんど軍を撤退させるというところまで追い込まれていた。レバノンではハリリ氏の息子が立候補するなどして新しい選挙が行われたが、シリアの手先であるヒズボラの民兵たちはレバノンに居残りその武力を利用して新政府にも多くの議員を当選させている。レバノンにおいてシリア勢力が衰えたといえどもヒズボラの政治力はまだかなり強い。

ヒズボラがなんとかレバノンで人気を取り戻そうとしていることに関して、イスラエルに留学しているというadventureoftheultraworldさんが某掲示板で面白いことを書いている。

シリアはレバノンのハリリ首相暗殺でそれぞれ国連でかなり追い詰められている。一方、ヒズボラもレバノン国内に「いい加減ヒズボラを武装解除せよ」という世論があって、困っていた…

ヒズボラに一発やらせて、シリアとイランから目をそらせようという魂胆でしょう。今までの中東各国のひとつの行動パターンと一緒ですよ。「困ったときはイスラエル相手に事を構え、『敵はイスラエルである。われわれは分裂している場合じゃない!』って煽ることで、自分たちの危機を回避する」っていう。

しかしレバノン市民にしてみれば、いままでイスラエルとは何の争いもおきずに平和だったのに、ヒズボラのばかどものおかげでとんだはた迷惑を被ってしまったというのが本音だろう。レバノン市民が今度の攻撃で一方的にイスラエル人が悪いとは思っていないことは昨日も紹介した通り。

我々は皆有罪だ。我々全員がだ。緊急ハイワーワタニ議会だって???? 私は笑うべきか食卓の上に内臓を吐き出すべきかわからない。皆に告げておく。我々はおびえている。我々の命がかかっているのだ。我々の国はもう終わりだ。でもこれは皆我々が悪いのだ。我々ひとりひとりの責任だ。この輩を選挙で選び彼等に憎悪と殺伐な理想で自分勝手にふるまう温床を与えてしまった。そしておびえて硬直し誰かにせいにする以外になにもできないのが我々だ。(中略)我々には誰にも文句をいえた義理じゃない。

彼はレバノン市民がヒズボラの愚連隊を政治家に選んでしまったのだからイスラエル攻撃には自分らにも責任があるといっているのである。しかしレバノンの人々には気の毒なことだ。今日も今日とて彼等はイスラエルから猛攻撃をうけている。

ここで肝心のシリアなのだが、イスラエルはレバノン政府にも今回の攻撃の責任はあるといっているが、その背後にシリアがいることは間違いないわけで、イスラエルの攻撃がシリアまで及ぶ可能性は十分にある。それではこれについてシリア人はどうおもっているのであろうか?
それについては次に続く。


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ハマスとヒズボラ、中東市民の冷たい反応: その1

ことイスラエル関係の記事になると、どうしても反イスラエルの世論ばかりが取りざたされる世界の主流メディアだが、当事者であるアラブ諸国ではなにもかもイスラエルのせいだという考えはそれほど普通ではない。これは決してイスラム教徒らの間でユダヤ人に対する偏見が減っているとか、イスラム教徒の大半がユダヤ人の主権国家であるイスラエルが存在することを快く思っているという意味ではない。

ただ教養ある人々の目には、自分らの政治家たちが自分らの不能で国内政治をきちんと営めず国内からの批判がたかまると、イスラエルを持ち出してごまかそうとする行為が丸見えなのである。

パレスチナではガザからイスラエル入植者が撤去することでパレスチナは初めて自治をする機会を持った。ここでパレスチナ市民たちはイスラエルに妨害されずに平和にすむことができたはずなのに、彼等のしたことといったら不能なハマスを政権にえらび、せっかく出ていってくれたイスラエルに何千ものロケット弾をうち続け、あげくのはてにイスラエル兵を拉致してイスラエル軍を呼び戻してしまうというばかさ加減。いい加減近隣諸国のイスラム教徒らもこのハマスの愚行にはあきれている。(kokunan_jerusalem678さん紹介)

サウジのコラムニスト アル・スウェィダン(Yusuf Nasir Al-Suweidan)はクウェート紙Al-Siyassaに「ケレム・シャロム分岐点の犯罪」と題する論評を寄稿した。これは、2006年6月25日ハマスがこの分岐点(検問所付近)を攻撃し、イスラエル兵ギラッド・シャリット伍長を拉致した事件である。筆者は、この犯罪行為でパレスチナ独立の夢はまた遠のいた、パレスチナ人は銃をおき、エネルギーをパレスチナ社会の建設に注ぐべきである、と論じた。

アル・スウェィダン氏はハマスによるイスラエル兵殺しと拉致は国際法に違反する犯罪であるとし、この行為はかえってパレスチナ庶民の身に危機を及ぼし、せっかく解決しかけていたイスラエル/パレスチナ問題が振り出しにもどってしまったという。ハマスはこの事件で自分らが大勝利を得たなどと騒いでいるが圧倒的に優勢なイスラエルの勢力がこの冒涜行為をみすみす羊のように黙って受け入れるはずがない、イスラエルの反撃はパレスチナ崩壊にすらつながるだろうと予測している。

イスラエルは今回のケレム・シャロム分岐点攻撃に対して、おとなしい羊の如くに振舞い、人畜無害の反応しかしないのだろうか。もしそう考えるなら、突拍子もない幻想である。この攻撃の直後、分岐点は閉鎖され、イスラエルの部隊が戦闘隊形を以てガザに入ってきた。これは昨年9月のガザ撤収以来最大の軍事行動である。イスラエルの決意は固い。三つの条件がクリアーされなければ、数時間内にガザ回廊へ侵攻するとみてよい。その条件とは、第一に拉致されたイスラエル人の釈放、第二はカッサムロケットの発射中止、そして第三が、テロ組織のインフラ潰滅である。

そしてこのガザ侵攻が実現してしまえば、すべてが振出しに戻るどころの話ではなくなってしまう。新しい現実がつくられてしまうからである。状況は振り出し地点をはるかに越えて後戻りしてしまう。追放、人口構成の変更等が話し合われ、その計画がすぐに実行に移されるかも知れぬのである。そうなれば、パレスチナ人の国家独立の夢は過去のものになってしまうだろう…。

スウェイダン氏がこのコラムを書いた時点ではイスラエルの反応はまだ激化していなかったが、氏が語るようにイスラエルの反応は常識のある人間ならだれでも予測できたはずである。氏はさらにハマスがガザでしなければならないことはテロ行為ではなくパレスチナの統治のはずだと語る。

パレスチナ諸機関がイスラエルのガザ撤収に正しく対応しなかったことに、そもそも間違いがある。剣をうち直してパレスチナ社会の建設に必要な鋤、鍬、ペンに変える必要があるのに、彼等は全く読み違えてしまった。経済開発、文化、社会の発展等が一番大切なのにである。テロ組織は、テヘランの聖職者やシリアのバース(党)政権の資金援助をうけ、それに踊らされながら、撤収をくいものにした。そして(人民は)、川から海までの全面解放といった空虚なスローガンや妄想に踊らされている。飢えて絶望的な貧しい人民が、腹のたしに全然ならぬ文句を唱えているのだ。今(人民に)必要なのは食料、医薬品、衣服その他生活の必需品なのである。自爆用の爆薬ベルトや、自動車爆弾、そして「おめでとう、おお殉教者よ、黒い瞳の処女達が君を待っているぞ」といったスローガンはいらないのだ。

むろんそんなことをハマスにできれば苦労はない。彼等には最初からそんな能力もないし意志もない。生まれた時からイスラエル憎し、ユダヤ憎しの教育しか受けていないのだ。イスラエルを攻撃しユダヤ人を殺す以外なにをして生きていけばいいのか分からないのである。そんなバカ庶民に経済開発だの文明開化だの期待するほうが酷というものだろう。

さてハマスの連中には何も期待できないとしても、いったいヒズボラはどうなっているのか? ハマスはまだこれまでの勢いというものがあるからイスラエルを攻撃し続けるというのも愚かだが理解できる。だがヒズボラとイスラエルはもうずっと戦闘状態になどない。イスラエルがレバノンから撤退して20年はたっているのではないか?いったい何が苦しくて今さらイスラエル攻撃などにおよんだのだろう。これについては次に続く。


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