20年ぶりにアメリカ軍海兵隊がベイルートに到着した。戦場にとり残されたアメリカ市民の避難を援助するためである。救援された市民たちはあたりまえだが不安と恐怖に疲れきっていた。そして救援が遅れたことへの怒りも隠しきれない。なかには救助用の船の船賃は個人負担だときいて激怒するひともいた。
戦争に巻き込まれたレバノンの人々には心から同情する。本当に戦争とは地獄である。しかし外国人が政情の不安定な国に住んだり訪れたりするのであれば、自分の身の安全を守る責任はまず自分にあるのではないだろうか。特に自国の政府がいかないようにと警告をしているレバノンのような国に行くのであればそれなりの覚悟が必要なはずだ。
アメリカ大使館で二日も三日もまたされたあるアメリカ人夫婦は大使館の職員の態度がぶっきらぼうで、避難計画がどうなっているのか全く教えてくれなかったことについて苦情をいっていた。私はビサの件などで日本のアメリカ大使館やアメリカの日本領事館で何度か書類の手続きをしたことがあるので、職員が不親切だったというのは信じられる。お役所の職員は平常でもそうなのだから、緊急事態ともなれば自分らもあわてているだろうし、やってくる市民に愛想をよくしている余裕などなかったのであろう。
しかし思うに、アメリカ人はあまりにも連邦政府になにもかも頼り過ぎるのではないだろうか。去年のハリケーンカトリーナの時も、危険が迫ってきた当初に自ら避難すればいいものを、上から強制避難命令が出るまで踏んばっていた人々が1000人も逃げ遅れて亡くなった。この時も本来ならば地元の市長や州知事にこそ救助の第一責任があるはずなのに多くの地元市民は自分らの代表の責任を問わず、ワシントンの連邦政府にこそ責任があるとし、市民を避難させる権限をもっていない大統領を責めた。
どうも私にはアメリカには個人責任という意識が薄れているように思えてならない。国の警告を無視してテロリストが支配する危険な地域を訪問しておきながら政府からの助けが遅いなどと文句をいうべきではない。その前にそんな危険な場所にのこのこ出かけていった自分の責任を考えるべきだ。よその国に自国からの助けが敏速にくると思ってるほうがおかしい。
無論政府は自国の市民をできる限り助けるべきではある。だが余所の主権国家でおきることをアメリカはコントロールできない。いくらアメリカ人だからといっていつもいつも敏速に援助できるという保証はない。最終的にはどこの国へ訪れるにしろ、自分の救出は自分の力に頼るしかない。
数年前に私はテレビのドキュメンタリーで、外国に住んでいて災害やクーデターなどの危険から命からがら逃げおおせた人々の話をみたことがある。これらの人々は宗教団体やNGOのボランティアのひとたちがほとんどだったが彼等に共通していえることは、いざとなったときにどのように脱出するかという計画を一人一人がもっていたことである。
彼等はいったん問題が起きた時、誰かが助けにくるのをまっていたり、当局からの指導をただじっとまていたりせず、自ら脱出作戦をたててそれに従って危機から脱出した。それというのも、彼等は地元の人々のためにつくす目的できたが、最悪の場合のこともきちんと頭にいれていて、普段から緊急の場合にどうすればいいかという脱出計画をもって、いざというときにそれに従ったのである。
危険な場所にいくのであれば常に周りの状況を正確に把握しておく必要がある。それでもふいをつかれて逃げ遅れたとしても、政府に文句をいうのはやめてもらいたい。
それから助けてもらったら、船賃くらいは払いなさいよ。


Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *