イスラエル戦闘拡大

セオドン王『開戦の危険を冒すのは好まない。』

アラゴルン『開戦はすでに貴殿のうえにもたらされたのだ。貴殿が好むと好まざるとにかかわらず。』

この会話はJRRトールキン原作の指輪物語を原作にしたピーター·ジャクソン監督の映画、ロード·オブ·ザ·リングスの一場面である。ローハン国の王セオドンは国境ぞいの村がすでに敵に攻撃され、自分の息子が指揮する偵察軍が敵に待ち伏せされ息子を失うまでの打撃を受けていながら、まだ開戦への決心がつかないでいた。なんとか全面戦争になることを避けたいと考えていたのである。だが敵はついそこまで迫っていた。セオドン王には全面戦争以外の道は開かれていなかったのである。
イスラエルのオルメルト首相がおかれている立場はまったくこのセオドン王と同じだ。イスラエル兵が拉致されたのをきっかけにイスラエルはレバノンに迅速な攻撃を仕掛けはしたものの、オルメルト首相はレバノン南部のヒズボラ基地を破壊し、イスラエル軍が占拠することで、さっさと戦闘を終わらせるつもりだったのだろう。初めの一週間ぐらい空爆でたたき、陸上部隊を一個隊くらい出動させる程度で十分だと考えていたようだ。
しかし、ヒズボラはおもったよりも強靭で手強い相手だった。武器をシリアを通じてイランから手に入れるなど、ちょっとやそっとの攻撃ではその能力を極端に弱体化させることは困難だ。また自分らの勢力さえ弱まらなければ、レバノン人や同族のシーア民間人がどれだけ死のうが無頓着なヒズボラは、米仏の提案した停戦条件を飲みそうもない。だから私は昨日イスラエルによる戦争拡大は避けられないのではないかと書いた。
案の定今朝になって、北海道新聞のこのニュースがはいった。

イスラエルが地上戦拡大へ 閣議承認、3万人規模に  2006/08/10 03:01

 【エルサレム9日共同】イスラエル政府は9日、治安閣議を開催、レバノン侵攻で地上戦を拡大する作戦を承認した。レバノン南部に展開中の約1万人の部隊を増員し、国境から最大で約30キロ北方のリタニ川周辺まで北進させ、イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラのロケット弾発射基地をすべて破壊する計画。イスラエル放送などが伝えた。地元紙によると、総兵力は3万人規模となる。
 閣僚の1人は、国連安全保障理事会に戦闘停止決議案の協議時間を与えるため、新たな作戦の開始を2、3日留保すると述べた。安保理が決議案の調整に手間取れば、戦闘がさらに激化、犠牲者も増える恐れがある。

戦闘が激化すれば民間人の犠牲が双方に増えるのは必然的だが、レバノン内部では必要以上の民間犠牲者がでている。私は何度かそれはヒズボラが同胞の民間人を人間の盾として利用しているからだと指摘してきた。8月5日付けのナショナルポストにそのヒズボラの人間の盾作戦が詳しく書かれている。(訳:カカシ)

レバノン、タイヤー地区、ファウードファタ医師は涙ぐみながら崩壊された病院のなかから出てきた。果てしなく続くと思われたイスラエル空爆がはじめて一旦休止したからである。
レバノン南部で最後に残った、たった5部屋の医院で彼自身最後の生き残りとなった。生き延びた患者たちはすでに避難してしまっていた。
ファタ医師は記者団の数人をひしゃげたがれき、引き裂かれた壁、イスラエルの砲弾で穴のあいた屋根など、その残骸の中を案内した。
「みてください、やつらのやったことを」ファタ医師は首をふりながら言う。「なんだってイスラエルは病院を標的にしたりするんです?」
その答えは数時間後にその付近で発見された。背の高い雑草のなかに焼けただれたロケット発射台が隠されていた。
この証拠をみせつけられたファタ医師は、病院がロケット発砲に使われていたことを認めた。
「しょうがないでしょうが、どこからか反撃しなきゃならないんですから。」彼は足で地面をならしながらいう。「ここはヘズボラの本拠地なんですから。」

病院をロケット弾発射に使っているヒズボラを批判するどころか、「しょうがない」といって弁護するのであれば、イスラエルの攻撃にあっても文句はいえないだろう。第一ここまでヒズボラに同調する人間が無関係な非戦闘員といえるのだろうか? ただの無実な民間人といえるのだろうか?
相反してヒズボラの作戦で家を追われ、ヒズボラのやり方は迷惑このうえないというレバノン住民も多くいる。レバノンで歯科医を営んでいたキリスト教の住民ナサー·カリーム(48)さんはビントジベイル村にある自宅の庭にヒズボラがロケット発射台を引きずり込んだのを目撃した。

数分後、彼は4連発の発射音を聞いた。カリームさんはかろうじて4歳の息子の耳をロケット発射音からまもるため塞ぐ余裕があったのみ。自分の耳はいまだに鳴っているという。
「ロケット弾が発射された5分後にイスラエルが空爆をはじめました。」ベイルートの避難所で安全となった彼は思い出して語る。「やつらは私たちをイスラエルの磁石にしてるんです。」とカリームさん。

この間29人の犠牲者をだしたカナでの「誤爆」にしても、最初は戦闘員など全くいないと主張していた地元市民だが、翌日赤十字ががれきに埋まった人々の救助に当たっていた時、破壊されたロケット発射台の一部を発見している。そして近所の村からも大量にロケット発射台の破片が発見されているのである。ひとつなどは二つの家の真んなかにある植木の間深くにうまっていたという。
イスラエルはあきらかにロケット弾が発射された場所を狙って攻撃してきているのであり、およそ非戦闘員の犠牲を顧みない無差別攻撃などではないことがこれではっきりする。
無論、こんな事実にはアメリカを初め世界のメディアには興味がないのだろうが。


View comment

ヒズボラの情報操作作戦! ロイターのやらせ写真を斬る

アップデートアンドバンプ 下記参照:
百聞は一見にしかりとはいうものの、写真というものは得てして信用ならないものである。特に合成技術が発達している今日この頃、写真に手を加えるなどということは朝飯前だ。今回の戦争において、イスラエルの空爆による被害の写真が毎日毎日発表されるが、そのなかでアメリカのワイヤーサービスでも指折りのロイター社が、レバノン市民提供のやらせ写真やねつ造写真を発表しており、920枚の写真を取り下げたことがあきらかになった。
パワーラインのA Bridge Too Weirdにおいてやらせ写真の分析が詳細に行われているのでそこからちょっと紹介したい。
下記の4枚に渡る一連の写真はフリーの記者アドナン·ハッジ氏がロイターに提供したものである。これは7月12日の朝7時付けの記事から始まるのだが、最初の写真の説明は「南レバノン、イスラエルの戦闘機によって空爆直後のタイヤー地域にあるカサミヤ橋付近にて、走っているレバノン市民」この写真が空爆のどのくらい後に撮れれたものなのか、またなぜ市民が走っているのかは不明だ。 ハッジの役者以外には人気(ひとけ)はない。

July 12, 7:00AM

7月12日午前7時付け


次の写真は同日午前11時10分付けだが、背後にある木や右側にある建物、そして停まっている車に注目されたし。最初の写真で市民と呼ばれた男性はここで突然「民間警備役員」と変ぼうする。この男性はなぜか今度は反対側に向かって走っている。説明は「イスラエル戦闘機による空爆直後、走るレバノンの民間警備役員、南レバノンのタイヤー地域カサミヤ橋付近にて」とある。この写真の左側に写っている逆さまにひっくりかえっている車に注目されたし。

July 12, 11:10AM

7月12日午前11時10分付け


12日午前8時43分付けの記事ではなんと前出の同じ車が全く別の場所で登場する。この写真の説明は「南レバノン、タイヤー地域にて、イスラエル戦闘機によって爆破され崩壊したカサミヤ橋付近にて、レバノン市民」とある。しかしこの写真の場所は先のカサミヤ橋付近とはまったく景色が違っている。共通しているのは逆さに転がってる乗用車だけだ。

July 12, 8:43AM

7月12日午前8時43分付け


そして最後のこの写真。ここでもやはり崩壊されたの橋が写されているが、その説明が前の写真と同じ「南レバノン、タイヤー地域にて、イスラエル戦闘機によって爆破され崩壊したカサミヤ橋付近にて、レバノン市民」なのである。いったいどっちが本当のカサミヤ橋なのだ????

July 13, 12:44AM

7月13日午前零時4分付け


ロイターが先日リコールした合成写真に加え、同じ現地記者によるこのあきらかなやらせ写真。これでは現地から送られてくるヒズボラの被害だのレバノンの損害だのどこまでが本当なのか全く疑問だ。ロイターといえば泣く子も黙る由緒あるワイヤーサービス。多くのメディアがロイターの記事を本当のニュースとして再掲載し、世界中にそのイメージや記事が広まるのである。そのようなメディアがヒズボラのプロパガンダを平気で流しているとしたら、これは由々しき問題なのではないだろうか?
ま、なんでもかんでもヒズボラの肩をもつ主流メディアに今さらカカシは驚かないけどね。ところがアメリカのメディアはイスラエルが情報操作をしてると主張するんだからおかしい。
アップデート:
コメンターのマイク·ロスさんが、ヒズボラによるやらせ写真がほかにもたくさんあると紹介してくれたので、ここにそのひとつミッシェル·モルキンのサイトのリンクを貼っておく。ここではなんと連続の写真でピンピンしている救助員のひとりが、別の写真でがれきの下敷きになった死体として登場。ひどいもんだわ。


View comments (4)

イランが攻める時、8月22日の意味するもの

冷戦の頃、東側の共産圏と西側の自由主義圏が互いに核兵器を保持していながら核戦争をしなかった理由は、互いの核兵器が互いの抑止力として働いていたからだ。どちらかが核兵器を使用すれば相手からの報復は免れない。そうなればお互いの国家が滅びることを双方が承知していたのである。パキスタンとインドの核兵器が互いの抑止力として働いているのも同じ理屈だ。文明社会は戦争をやってもその結果として生き残りたいという欲望がある。その存続への願望が核戦争による自滅をこれまで防いできたのである。
ところがイランにはそのような抑止力は全く効果がない。なぜならばイラン政府が代表するイスラマジハーディストにとって死ぬことは単なる昇進であり、殉教者として天国での地位を保証される名誉なのである。だからイスラム過激派が同胞の犠牲を顧みずに我々文明人からすれば野蛮で卑劣な非戦闘員を巻き添えにする攻撃を奨励するのは、イスラム教徒がインファデル(非信仰者)を殺す過程で殉職することはイスラム教徒にとって誇り高い運命であると本気で考えるからなのである。
イランのリーダーたちは、その最高地位にあたるアヤトラ·アリ·コメーニから統治者のムラーたち、そしてアクマデイネジャド大統領にいたるまで、善対悪の天地を分ける最終戦争が必ず来ると信じている。ここでいう善とは無論イスラムジハーディストであり、悪とはアメリカやイスラエルが代表するインファデル=非信仰者のことである。この戦争によってジハーディストたちはインファデルに追いつめられるが、その存続が危うくなったその時こそアラーの神が世界から隠してきた、12番目のイマムがこの世についにその姿をあらわし、このモハメッド·アル·マフディが自ら軍を率いて非信仰者を滅ぼす。そしてこの世はイスラム教徒だけのパラダイスとなると信じているのだ。
このような黙示禄論は別に他の宗教のそれと比べて特にばかばかしいものでもない。だがひとつだけ違うのはこの黙示禄信者たちには陸軍があり、空軍がり、ミサイルがあり、核兵器すらも持とうとしている点である。そして我々にとって心配なのはイランの統治者たちがこの最終戦争が差しせまっていると考えていることなのである。
イスラム教の研究学者として世界で一番知識のあるとされるバーナード·ルイス教授がウォールストリートジャーナルにおいて、その運命の日は来る8月22日であると書いている。(カカシ注:WSJの記事や有料なので、ここでは一部を抜粋して訳すことにする。)

8月22日にどのような特別な意味があるのだろうか? 今年の8月22日はイスラムカレンダーにおいて1427年、ラジャブの月は27日にあたる。この日は予言者モハメッドが羽のついた馬バラクに乗って「いちばい遠くのモスク」というイスラエルにあるとする聖廟へ飛び、そこから天国へいってかえってきたとされる日で、多くにイスラム教徒が伝統的に記念日として祝う。
この日がイスラエルの終わり、必要ならば世界の終わりを告げる最終戦争の期日として適切であると判断されるかもしれない。アクマヂネジャド氏がそのような大変動を起こす事件を8月22日ぴったりに計画しているのかは不明だが、この可能性を考慮にいれておくことは懸命である…
この文脈において冷戦時代に機能した相互破壊の論は意味がない。どっちにしても最終的には全面的破壊は避けられない。大事なのは死後におけるインファデルには地獄、信者には天国という最終到着地だけなのだ。このような信仰を持つ人々にとって相互破壊は抑止力になるどころか促進力となるのだ。

ではいったい8月22日に、イランはなにをするつもりなのだろうか? イランが核兵器開発に力をいれていることは確かだが、まだイランに核兵器があると考えるひとはいない。だがイランには性能の高い長距離ミサイルは存在するわけで、弾頭につめこめる武器は核兵器だけとは限らない。だとしたら、イランは8月22日にイスラエルへの攻撃をはじめるつもりであろうか? もしイランがイスラエルを攻めたら、アメリカはどうするのだろう? 世界はどうするのだろう?
黙示禄は本当になるのだろうか? そうならないことを神に祈ろう、信者の死を奨励する神ではなく生を重んじる神に。


Comment

ヒズボラの勝利条件

私は以前に停戦は誰がするのかにおいてイスラエルの勝利条件を下記のように提示した。

1)ヒズボラがレバノン各地の民家に隠した一万二千のミサイル、および他の武器弾薬を摘発破壊もしくは中和する。
2)何万からいるヒズボラ戦闘員を殺すか、シリアへ追い出すかして、レバノンからヒズボラを完全駆除する。
3)南レバノンを再び占拠する。

だから、この間アメリカとフランスが国連安保理に提案した停戦条件が通り、実際に履行されるならイスラエルはこのラウンドでは一応勝ったといえるだろう。

一、安保理はレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの攻撃と、イスラエル軍の攻撃的軍事作戦の即時中止に基づく「戦闘の全面中止」を要求(イスラエルの自衛的作戦による反撃は容認)。国連レバノン暫定軍に戦闘中止の履行監視を要求。
 一、イスラエルとレバノンに対し、以下の原則や事項に基づく恒久停戦や長期的解決に同意するよう要求。
   ▽国連が設定した両国の境界線「ブルーライン」の尊重
   ▽係争地「シェバ農場」一帯を含む国境画定
   ▽ブルーラインとリタニ川の間のレバノン南部にレバノン軍と国際部隊だけが活動する緩衝地帯を設置
   ▽ヒズボラの武装解除などを求めた2004年の安保理決議1559の完全履行—など。
 一、イスラエルとレバノンがこれらに原則合意した後、別の決議案で国連憲章7章に基づく国際部隊の展開を承認。
 一、採択から1週間以内に決議の履行状況を安保理に報告するようアナン事務総長に要求。

ヒズボラもそしてレバノンもこの停戦条件を飲むとは思えない。といえばおのずと出てくる疑問はヒズボラにとっての勝利条件とはなんなのだろうかということだ。
ヒズボラだけではないが、アラブ諸国においては西洋社会へ立ち向かうという行為そのものがすでに勝利という観念がある。例え国のインフラが破壊され経済的に圧迫され軍隊の大半が破壊され同胞が大量に殺されても、自分と自分の政権/勢力が生き残りさえすれば、それは彼等にとって十分に勝利なのである。
だから湾岸戦争において、先代のブッシュ大統領が軍事的には勝利をおさめながら、バグダッドまで乗り込まずフセインを殺しもせず、フセイン政権をたおさなかったことは非常な失態であったといえる。アメリカを相手取ってたった一国で立ち向かい生き延びたフセイン政権はアラブ諸国では英雄としてたたえられた。情報操作など簡単にできる軍事独裁政権下では、湾岸戦争の終戦記念日は勝利の日として祭日とまでなったという話だ。フセインが国民に課された国連による経済制裁など屁とも思っていなかったのは言うまでもない。食料のための石油交換を悪用していくらでも裏取り引きで二枚舌のフランスやロシアを通じてフセインの私利私欲を肥やすことができたからである。
そういう背景があるので、パレスチナのハマスが兵法としては全く意味がない自爆テロや民家へのロケット弾発砲をいつまでも続けても、イスラエルに対して抵抗しているという行為そのものがすでに勝っているとして讃えられるわけだ。戦闘としては特に領土を増やすわけでもなく、戦況が有利になるというわけでもないのに、イラクでアルカイダが訳の分からない血みどろの攻撃を執拗に続けているのも、まさに同じ理屈なのである。
明らかにテロリストたちが考える勝利とは伝統的な国と国との戦争で勝ち得るものとは全く別ものなのだ。
今回の戦争においてもヒズボラの勝利条件とは非常に簡単だ。単に7月12日の状態に戻りさえすればいいのである。イスラエルがレバノンから完全に撤退し、再びヒズボラが南レバノンを占拠する。この場合、国連の連合軍やレバノン軍がこのあたりの警備にあたるという形でもかまわない。イスラエル軍さえ撤退してしまえば、ヒズボラは国連軍やレバノン軍を簡単に味方につけることができる。そうすればこれまで通り、イスラエルにロケット弾を打ち込んだりイスラエル市民を拉致したりすることが続けられる。
国連が無条件の停戦をイスラエルに飲ませ、イスラエルが撤退したら、ヒズボラは大勝利宣言をする。アラブのメディアは反イスラエルだから必然的にヒズボラには同情的な報道がされる。事実はどうあれヒズボラはイスラエルの暴虐からレバノンをすくった英雄として讃えらえるというわけだ。実際にレバノンが受けた被害や損害などどうでもいいのである。
ヒズボラのようなテロ軍団は停戦を単なる再編成としか考えていない。だから、自分らの組織の再編成が整ったところで再びイスラエルへの攻撃をはじめ、怒ったイスラエルが反撃したら、イスラエルが停戦をやぶったと国際社会に訴え、反イスラエル意識のつよい国連にイスラエルの自制を求めさせるという、いつものパターンがくりかえされる。めでたし、めでたし、なのである。
だからアメリカのライス官房長官がこの前の中東訪問の時にいったように現状維持の状態での停戦をイスラエルはうけいれることは絶対にできないわけだ。今度限りはいつもどおりのイスラエルだけが攻撃を停止しテロリストが再編成するという停戦はおき得ない。
となるとこの戦争の拡大はもはや避けられないのかもしれない。


Comment

真夜中まで20分、、、18分30秒のギャップ

イラク戦争前夜、反戦派はイラクの大量破壊兵器開発がどれほど進んでいるのか疑問であるから、確かなことが分かるまでは戦争を控えるべきだと主張していた。もっと査察に時間をかけ、イラクの武力を正しく把握してからでも遅くはないというのである。つまり反戦派は真夜中2分前まで待つべきだと主張したのだ。
実際に戦争をしてみてわかったことは、イラクに大量破壊兵器開発計画があったことは事実だが、我々が当初想像していたところまでは進んでいなかったということだ。*イラクでは大量破壊兵器が発見されなかった*という当初のCIA視察団の発表を振り回し、反戦派は「それみたことか、イラクはそれほど危険な国ではなかったのだ。戦争などする必要はなかったのだ。」と鼻高々であった。
たしかにイラクは我々が思っていたより危険な国にはまだなっていなかった。我々はイラクを真夜中の危機2分前に攻撃するかわりに20分前、いや20分30秒前に攻撃してしまったのである。
それで良かったのだ、と私はいいたい!
我々、文明社会の撲滅を願う敵が我々が相手にできないほど強敵になるまで待っている必要がどこにあったのだ? ウィンストン·チャーチルではないが、敵が弱い時に戦う勇気がないのなら、敵が強くなってからどうやって戦うというのか?
この18分30秒のギャップは、イスラエルによるレバノン攻撃にもあてはまる。
私を含めほとんどの人々が、いったんイスラエルがヒズボラに全面攻撃を仕掛ければ、ヒズボラなどひとたまりもない、この戦いは迅速に圧倒的な決着を生むであろうと考えていた。ところがヒズボラはおもったよりも手強い。イスラエルはかなり苦戦をしている模様である。イスラエルが2000年にレバノンから完全撤退してからヒズボラは組織的にも腕を磨き、性能の高い武器をイランからシリアを通じてずいぶん取り入れ、かなりの武装強化をしていたようだ。
この状態をみて、アメリカ民主党はまたまた勝ち誇った顔でいう。「だからいわないことではないのだ。やたらにヒズボラなどに手をだすからこういうことになる。放っておけば良かったものを」だが、ここで疑問が生まれる。もしイスラエルがヒズボラによる戦闘行為を無視し、ヒズボラをこのまま放っておいたら、長い目でみてイスラエルにとって良い結果を生んだのであろうか?
その答えは否である。この戦争は必要だった。イスラエルはヒズボラを今の時点で攻めておいてよかったのである。
ヒズボラを放っておくべきだったと語ることの裏には、この戦争が交渉によって避けることができるものだという前提がなければならない。イスラエルがテロリストによる市民の拉致やミサイル攻撃を我慢し続けていれば、いずれはテロリストもイスラエルの自制心に感服して攻撃をやめるという前提が必要なのだ。だが、これまでのヒズボラやハマスのやり方をみていると、イスラエルが自制し国際社会の圧力に負けて折れれば折れるほど、テロリストたちの攻撃はごう慢になっている。
ヒズボラ、そしてその背後にいるイランの最終目的はイスラエルの撲滅である。彼等はイスラエルが完全に滅びるまでイスラエルとの戦いをあきらめる意志は全くない。それが証拠にイランの大統領はことあるごとにイスラエル滅亡を唱えているではないか。 国際社会がイランを説得してイランの打倒イスラエルの野心を崩せるなどとは誰も考えないだろう。国連はイランの核兵器開発すら遅らせることができないではないか。イランが核兵器開発に成功した暁にはイランがイスラエルを攻めるのは必定である。これは避けられない運命だ。
では、イランの手先であるヒズボラをイスラエルが今たたくことになんの問題があるというのか? 今たたかなければ何時たたくのだ? 何時なら国際社会はイスラエルの攻撃が正当であると認めるのか? 戦いは必ずくるのである。真夜中は避けられない時刻なのだ。それならば何故イスラエルは勝利がより難かしくなる真夜中2分前まで待っていなければならないのか。なぜ20分30秒前ではいけないのか。
ヒズボラによるイスラエル攻撃は2000年のイスラエル軍レバノン撤退よりちゃくちゃくと増えてきていた。このまま放っておいてヒズボラの攻撃がいずれ止むと考える根拠は全くない。それどころか時を経るに従って攻撃はその規模を増すと考えるべきである。
この戦争は避けることのできない戦争なのだ。もしイスラエルが今攻めなかったなら、いずれ強化したヒズボラが彼等の都合のよい時と場所とやり方で攻めてきたことだろう。イスラエルが反戦派のいうとおり真夜中2分前まで待っていたなら、今の苦戦など比べ物ならないほどひどいことになっていただろう。
18分30秒のギャップ。これがイスラエルの生死を左右することになるのだ。


Comment

シアトル、イスラム教暴徒ユダヤ教センターで乱射

以下CNN/APより

ユダヤ関連施設に乱入し無差別乱射、死者 シアトル

2006.07.29
シアトル——米連邦捜査局(FBI)などによると、西海岸のワシントン州シアトルにあるユダヤ人連盟の関連施設内で28日、無差別の乱射事件があり、1人が死亡、少なくとも5人が負傷した。男の犯人は逮捕された。
犯人は乱射前、「イスラエルに腹が立っている、米国のイスラム教徒だ」と発言したとの目撃者情報がある。警察はこの事実を確認していない。FBI当局者は、同施設に敵意を持つ単独犯の行動と理解している、と述べた…
米治安当局は、レバノン情勢の悪化を受け、米国内のユダヤ人団体などに警備に留意するよう勧告していたという。
調べによると、犯人は、同施設の従業員が暗号のコードを打って施設内へ入る後に続いて、乱入、乱射した。シアトル市警幹部によると、犯人は自ら警察に電話した後、連盟施設内から出てきたという…

記事を読む限り組織的なテロというより、個人的な行為のようだが、世界各地でユダヤ人はかなり注意を払う必要があるだろう。こういう攻撃はイスラエルとヒズボラの戦争が続く限りあちこちで起きるはずだ。
よくイスラエルとイスラムテロリストをどっちもどっちだという人がある。だが私はイスラム教の自爆テロの話はきいたことがあるが、ユダヤ人が爆弾しょってレストランで自爆したなんて話はきいたことがない。ユダヤ人が全くテロ行為をおかしたことがないとはいわないが、それは個人的な過激派の行動で、ユダヤ社会は糾弾する。イスラム社会はこういう行為を奨励する。この差は大きいと思う。
たとえばアメリカでは911の直後、アメリカ在住のイスラム教徒たちが街に繰り出してお祭り騒ぎをした時ですら、モスクが焼かれたとか、イスラム教徒がリンチにあったなんて話をきかなかった。アメリカのイスラム教市民団体でCAIRというイスラムテロリストの看板団体が、ヘイトクライム(憎しみの犯罪)だと言ってアメリカ各地でイスラム教徒が襲われたという話を発表したが、どれもこれも彼等のでっちあげだったことが後になって暴露されている。
文明社会は戦闘員と非戦闘員を区別するが、イスラム過激派の野蛮人にそのような区別はない。彼等にしてみれば同族のすることはすべて連帯責任。だから自分らの女子供を平気で巻き込むし、相手の非戦闘員は戦闘員より容易な標的として利用する。
なぜか文明人は非戦闘員の犠牲を嫌うので、テロリストたちは自分らがわざと巻きこんだ非戦闘員の犠牲者の写真をメディアに売り込み自分らも犠牲者を決め込む。テロリストたちは文明社会のこのような気持ちを弱さと勘違いしている。我々が非戦闘員を殺すまいと自制することが臆病な心なのだと考えるのだ。
だが文明国のこのような騎士道、日本でいうならば武士道は、我々の弱さではない。英米が率先したイラク戦争や、イスラエルのレバノン戦争がそれを物語っている。
私は世界各地、特にヨーロッパなどでイスラム教徒が暴走してユダヤ人を襲うようなことがないことを祈る。これはユダヤ人への身を案じるのもそうなのだが、行き過ぎると本当に傷付くのはイスラム教徒のほうだからだ。イスラム系移民が諸外国で勝手なまねができるのは、その国の人々の寛大な自制心が働いているからである。その自制心をやたらに試すのは非常に危険なことだ。


View comment

ハムスを求めハマスを得たイスラエル鳩派の告白

ドイツの新聞スピーグルに載った、元イスラエル兵士で兵役を終え退役後に平和運動家となり、彼の所属していた予備隊に再び出動命令が出た時、出動拒否をして禁固刑にまで処された経験のあるイスラエル人、 ズィーブ·アブラハミさん(Zeev Avrahami) のエッセイーを紹介したい。アブラハミさんはイスラエルのハーレツ新聞社ニューヨーク支部でジャーナリストとして働いている。

日米のメディアは何かと反イスラエルで、常にイスラエルが一方的に近隣諸国に攻撃を仕掛けているかのような報道をするが、実はイスラエルでも非常に高い支持を受けた反戦運動があったのである。1960年後半に生まれた世代の多くは自分達が徴兵される年齢になってくると、建国以来のイスラエルの戦争に満ちた歴史に疑問を抱くようになっていた。それ以前の年代の人々は独立戦争や6日戦争に戦士としての誇りをもっていたが、次の世代の平和維持的な役目をおわされた若者たちはどうしてイスラエルは常に戦闘状態にあるのか、何年たっても終わらない戦争の意味がわからなくなっていたのである。

アブラハミ氏は1980年代のレバノン戦争はイスラエルのベトナムだったという。(訳:カカシ)

24年前のレバノン戦争はイスラエルを天地をひっくりかえす騒ぎだった。高位の将校がベイルート侵攻を拒んだり、まだ戦場で兵士が戦って死んでいるというのに、何千というイスラエル市民が反戦デモをしたりしていた。何年かにわたって好意的になってきていた世界の世論があっというまに我々に反するようになった。そしてサブラとシャティラの恐怖が起きた。あの戦争のあと輝かしい写真アルバムは存在しない、英雄もいない。この戦争はイスラエルのベトナムだったのだ。

そんな戦争に参加し夢も希望も失ったイスラエルの元兵士たちは、当時のアメリカ大統領クリントン氏がはじめたパレスチナとイスラエルの和平交渉を支持した。イスラエルが積極的に和平交渉に応じたのはこうした運動の影響があったのである。

だから2000年の南レバノン撤退があったのであり、シャロン首相の強行なまでのガザ撤退政策があったのだ。そして、この間あったばかりの選挙ではイスラエル始まって以来はじめて職業軍人ではない政治家が首相や外相となった。オルメルト首相の前歴はエルサレムの市長だし、外相のリビニ氏は弁護士、防衛庁長官は労働組合に組合長という民間人の顔ぶれだ。

ナイーブといえばそれまでなのだが、イスラエルの平和運動家たちはイスラエルが折れて、占領地区を撤退すれば平和が来ると本気で信じていたのだ。

当然のことながら、イスラエルの平和への期待はカッサム弾と自爆テロによって裏切られた。イスラエルがレバノンを撤退すると同時に嵐のような自爆テロ攻撃がパレスチナから仕掛けられた。これがいわゆる第二インティファーダと呼ばれるものだ。もしあの時アブラハミ氏がカカシに意見をきいてくれていたら私は言ってあげただろうに。テロリストを信用しちゃいけないよと、、

だがイスラエルの市民がこうなることを予期できなかったはずはない。本当は心のどこかで分かっていたはずなのだ。しかし彼等は平和に飢えていた。本当に戦争を終わらせたくて藁をもすがる思いだったのだ。なん十年にも渡って戦争ばかりを経験してきた世代がそう思ったとしても責められない。戦争体験者がもう二度と戦争はしたくないと思うのは当然である。

私たちはガザから撤退し、引き戻される気は全くなかった。私たちは仕事に行き、勉強し、子供を育て、浜辺で楽しみ、ハムス(ガバンゾ豆を潰して味噌状にしたもの)食べて、同時にお隣でパレスチナ人たちが世界からの援助金でインフラを立て直し、仕事を作り出し、浜辺で楽しみ、子供を育て、ハムスを食べる姿を想像した。私たちはハムスを求め換わりにハマスを得た。

アブラハミ氏はレバノンにおける非戦闘員の犠牲に心をいためていないわけではない。イスラエルのほとんどの人々がレバノン市民の犠牲を気の毒だと思っている。だが忘れてならないのは、この戦争はヒズボラがはじめたということだ。イスラエル兵二人と交換に何百というヒズボラ戦闘員を返せという無理は要求をしてきたのはヒズボラだ。イスラエルはレバノン侵攻に際して時計を24年前に巻き戻すと宣言した。

私も時計を巻き戻す。兵役を終えて18年経ったいま、二度と軍服は着ないと誓ったあの日から20年以上もたった今、私はニューヨークのイスラエル領事館に電話をした。もし陸軍が必要とするならば、私は最初の飛行機でイスラエルに戻る、と伝えた。シャロンはまだコーマから目覚めない。だが私は彼を惜しむ。

イスラエルの社会は鷹派と鳩派で割れていた。シャロンが脳卒中で倒れて鳩派の政治家たちが政権を握ったときは、イスラエルは壁の建設を続行できるのだろうか、パレスチナに対して強行手段がとれるのだろうかと、鷹派の人々はずいぶん心配したものだ。しかしハマスとヒズボラのあさはかな行為によって、過去二十数年誰もまとめることができなかったイスラエル市民の心がひとつにまとまったのである。

時計は巻き戻されたかもしれない、だがイスラエルはもう後には引かないだろう。ようやくイスラエルの鳩派も気が付いたのである。この戦争は最後の最後まで戦わない限りと中で終わらすことはできないのだ。そしてそれができるのはイスラエルだけなのである。


Comment

国連軍の派遣は賛成、でも志願国なし、、、

きょう笑ってしまった新聞の見出しが二つあった。ひとつはこれ、ヒズボラ、イスラエルの反応に驚いたと発表(訳:カカシ)

ベイルート(AP)ヒズボラ幹部のひとりが火曜日、イスラエルが二人のイスラエル兵士拉致に対してあれほど激しい反応を示すとは予測していなかったと語った。

モハメッド·コマティ、ヒズボラ軍の副代表はまた、ヒズボラは武器を捨てないとAPに語った。
氏の声明はシーア民兵のリーダーとして初めて7月12日の二人のイスラエル兵を拉致し三名を殺した越境作戦にヒズボラ側に計算違いがあったことを公式にみとめたことになる。
「実を言えば、何の反応も期待していなかった、、まさかイスラエルが我々の作戦を逆手にとって大戦争を仕掛けてくるとは、、」とコマティ氏。

戦闘はあきらめないと拳をふって豪語してみても、あきらかにイスラエルの強行な反応にうろたえている様子がわかる。おのれよくもおれたちの戦闘行為におれたちが立ち向かえない戦闘行為で反撃したなあ! なんで黙ってころされてないのだ、ひきょうもの! ってな理屈である。
ま、もっとも2000年にもヒズボラは3人のイスラエル兵を拉致しイスラエルで収容されているヒズボラの囚人解放を命令した。国際社会が仲介にはいり3年後、イスラエル兵三人の遺体とヒズボラとハマスの囚人430人が交換された過去があるので、今回もドイツあたりを仲介にして捕虜交換が可能だと思っていたらしい。しかし、イスラエルはこの時の人質交換で懲りたのであろう。今度こそ堪忍袋の緒が切れたということだ。
さて、もうひとつこっちはもっとおかしい見出し。これはニューヨークタイムス紙。国連軍支持高まる、志願国なし (NYT原文無料登録必要)
さっきリンク先へいったら見出しが変わっていたが内容は同じだ。要するに国際社会は国連の連合軍をレバノンに派遣するという考えには圧倒的に賛成なのだが、いざ誰がいくのかという段になると立候補する国がないというのである。アメリカは最初から絶対にいかないと表明しているし、NATOはすでに派遣しすぎで人手不足。ドイツはドイツでヒズボラが承諾するなら参加するといってる。ありえないことだ。口ではなんだかんだいっていみても、どの国もイスラエルに味方している外国勢力としてヒズボラの攻撃対象にはなりたくないというのが本音だろう。
1980年代に国連の平和維持隊が出動した際、ヒズボラがアメリカ海兵隊とフランス海兵隊をそれぞれ240余名、60余名殺している自動車爆弾で虐殺した例もあるし、そのほかにも西洋人がずいぶん拉致され拷問のうえ殺されるという事件が相次いだ事件など、まだまだ記憶にあたらしい。
結局停戦交渉が始まる前から破たんするのが、国連の腰抜けどもが誰も軍隊派遣をいいださないからといのが理由だとしたら、これは傑作だ。
ま、2004年に国連決議の1559条で、レバノンの武装解除を言い渡しておきながら、その無能さと無行動さのため、決議の行使をどうやってするかを2年間も話あってる国連だから今さら驚くこともないのだが。
しかし今回に限ってはこの国連の無能さと無行動さがかえって役に立つ。国連が誰をレバノンに派遣するかで同意できずに何か月ももめてる間にイスラエルはやるべきことをやれるからだ。
国連のみなさん、どうぞ心置きなく話合いをお続け下さい。こちらのことはご心配なく、ヒズボラ退治はイスラエルが買って出ます。


Comment

停戦は誰がするのか?

今すぐ停戦という声があがっているが、停戦停戦といってもいったい誰が停戦をするのか、という問題があまりきちんとは話されていないように思う。ヒズボラは国ではない。イスラエルと停戦条約を結ぶにしても外相だの首相だのがいるわけではない。たとえリーダーのナスララが納得しても手下が納得しなければテロは続行されるだろうし、いったい誰がその停戦を行使するのかという問題が残る。
そんなことを考えていうちに、このブログにもよくコメントしてくれるアセアンさんがこんなことを書いているのをみつけた。その内容の一部は明らかに私の飲み屋の喧嘩から得た教訓に関するご意見とうけとれるので、この紙面を借りて反論してみたいと思う。
まずは、亜瀬庵・内見聞・徒然草より。

どうも保守系と言われる(ブログを含めた)”徹底的な攻撃”論調は、ちょっと頂けない(よりは、ハッキリ言ってかなり不快に感じる)

事実、その生存を賭けて戦っているのはイスラエルであることは間違いがない訳ですが、その当のイスラエルでさえも一体誰を降伏させる(又は殲滅する)戦略で戦っているのか? を明確には出来ていないはずなのです。
(拉致された兵士を奪回すること”だけ”が目的だと言うなら、それこそ交渉事で済む話)
つまり、ヒズボラ、ハマス・・の誰が”参った!”っと言って降参(降伏)したら今回の戦闘は終結したとするのか?です。なぜなら、ヒズボラもハマスも国際社会からは”テロ組織だ”とは認められていても国家や国民を代表する正当な政権集団だ・・っとは共に認められていない。
つまり、例え”誰かが”降伏する!と宣言したとしても現状では国際社会の誰もがその”誰か”が正当な当事者である、っと認める方法が存在していないのです。停戦協定でも、降伏文書でも何でも構いませんが、イスラエルは”誰”と結ぶ気なのでしょうか?
(こうしたモノを締結すると言う事はイスラエルがヒズボラやハマスを正当な存在として認めたことになってしまいますが・・・)
彼ら(ヒズボラやハマス)の価値観からすると”降伏”等は考えることさえイスラムに対する犯罪であり攻撃に他ならない(つまり、無辜の民と処される一般的なイスラム教徒が、もう戦いはコリゴリだ!っと言うことで何らかの停戦を受け入れよう、等と口にしただけでそれは背教的な思想であり、正しい宗教であるイスラムに対する攻撃だ!っとされる、場合によっては背教者に対する正しい制裁として殺害される:背教者へのイスラム教徒の正しい義務:)故に停戦にも応じなければ降伏等全く念頭にない。
しかし欧米やイスラエルの価値観が通じないのだから、そんな相手は殲滅すべきだ又は二度とイスラエル(欧米)に歯向かう気を無くす程に徹底して叩け・・・という話になること自体がイスラム原理主義のテロ組織が掲げる原則と何ら変わらないことになってしまうのを欧米やイスラエルが本当に受け入れ気なのか?を今一度問い質すべきなのではないかっと思うからです。
欧米が掲げる自由・民主主義とは、そういとも簡単にどちらかに振れてしまう底の浅い概念だったのか?っと少々疑問に感じるのは僕だけなんでしょうか? …
当事者同士が「妥協の余地など無い状態で武力の応酬を繰り返している」場合・・・誰かが仲裁に入る役割を担わなくてはならないのです。
決して”酒場の喧嘩”等が参考になろうはずはないのです。

最後の「酒場の喧嘩等」ってとこが私へのジャブだと思うのだが、私は文字どおりヒズボラが「参った」といって降参宣言をし、山高帽をかぶって杖をついたお役人がミズーリ艦の上で調印して降伏するなんて図は最初から想像していない。アセアンさんがおっしゃるとおり、ヒズボラはテロリスト組織なのであり、そんなやつらとどんなに書類を交わしてみてもそんなもの書かれた紙の値打ちもない。
だから私はイスラエルがヒズボラからの降参宣言や停戦提案など最初から期待しているとは思わないし、例えヒズボラから停戦を提案してきても今の状態では受け付けないだろう。イスラエルがヒズボラからの攻撃を今後受けないためには、ヒズボラは完全に武装解除されなければならないからだ。どんなことがあっても戦争以前と同じ状況にもどることだけは避けなければならない。
ではいったいイスラエルはどこまでやる気なのか。つまりイスラエルにとっての勝利条件とは何なのか、それをハッキリさせる必要がある。
1)ヒズボラがレバノン各地の民家に隠した一万二千のミサイル、および他の武器弾薬を摘発破壊もしくは中和する。
2)何万からいるヒズボラ戦闘員を殺すか、シリアへ追い出すかして、レバノンからヒズボラを完全駆除する。
3)南レバノンを再び占拠する。
まず当面の目的はこの三つだと思う。この段階まできてしまえば、国際社会に出来ることはいくつもある。
まずヒズボラがシリアに逃げ込んだ際、シリアに圧力をかけてイスラエルに攻撃をしかけないように命令する。シリアをかこっているのはレバノン、イスラエル、ヨルダン、イラク、トルコ、そして地中海。 どこもシリアの友達とはいいがたい。シリアの武力が単なる張り子の虎であることは周知の事実。もしイスラエルに手を出したらアメリカの戦闘機がバグダッド空港から飛んでくると脅すのがいいだろう。そして今後もレバノンにヒズボラを侵入させないことをシリアに誓わせる。
国連はレバノン政府と国のインフラの再建を援助する。そしてレいずれは南レバノンの非武装地帯をヒズボラ抜きのレバノン軍がイスラエル軍にかわって警護できるようにレバノン軍を訓練する。
しかしこうしたことが可能になるには、イスラエルがヒズボラをシリア国境まで追いつめる必要があるのであり、そのためには空爆だけではだめだろう。やはり陸上部隊を侵攻させ目的達成までは引くことはできない。
レバノンの人々には気の毒なのだが、もう少し我慢してもらうしかない。できることならヒズボラがいきそうもない安全なところへ疎開していてもらえればいいのだが、、


View comments (4)

飲み屋の喧嘩から得た教訓

イスラエルは停戦してはいけないという話を書き終わってネットサーフをしていたら、デイビッド·ボグナー氏のブログを発見した。彼の話ぶりからいって彼は多分元アメリカ海軍兵で、後にイスラエルへ移民した人だと思う。現在はイスラエル在住のブロガーだ。
題してA difficult lesson(カカシ注:「難かしい教訓」という意味だが、私は勝手に『苦い薬』と訳させてもらった。)

苦い薬

デイビッド·ボグナー著
私が海軍にいた頃、一度フィリピンのオロンガポの下町にあるバーでいまだに夢に見るほどの恐ろしい喧嘩を目撃したことがある。喧嘩は図体のでっかい海兵隊員とおとなしい中肉中背の南米系の我が船の船員との間でおきた。
一晩中この海兵隊員は誰かに喧嘩を売ろうとしていたが、ついにおとなしそうな私の船友に目をつけた。弱い相手と踏んでのことだ。我が友が挑発に乗らず喧嘩を拒むと、突然この海兵隊員は友達の後ろから頭の後部めがけてサッカーパンチを食らわせた。すぐさま友のひしゃげた耳から血が噴き出した。
その場にいた者は全員愕然とし、この海兵隊員をいまにもぶっ殺してやろうと勇んだ。ところが我が船友は素早くきびすをかえすと、無数のジャブとアッパーカットを連続でぶちかまし、たったひとりでこの巨人をコーナーに追いつめてしまったのである。明らかにブロンクス(ニューヨーク)の小さなジムでボクシングの訓練を受けた賜物だ。
一つ一つのパンチが海兵隊員の呆然とした顔に傷を開け彼がコーナーに追い込まれた時には彼はもう誰かに止めてくれと嘆願するに至った。彼は自分の唇が切れ歯がかけたのを理由に喧嘩はとまるべきだ考えたのだ。巨人は我々に喧嘩をとめてくれと拝んだ。彼は開いた額の傷から流れてくる血で目が見えないと訴えた。
誰も動かなかった。誰一人として。
飲み屋の中でする音は水兵の軽い拳が海兵隊員の頭にあたる度にたてる胸が悪くなるようなスタッカートの音だけだった。これとにたような音を聞いたのは映画ロッキーでシルベスター·スタローンが牛のバラ肉をミートロッカーで殴っていた音だけだ。
ついに海兵隊員の嘆願は悲鳴へと変ぼうした、声高な女の引きちぎるような声に。しかしパンチは執拗に続いた。
何人かが遠慮がちに数歩前に出て中に入ろうとしたが、群衆のなかからのびてきた数本の腕が彼等をしっかり抱き押さえた。その腕のなかに私の二本の腕がはいっていたことを私は恥じるものではない。
私は水兵が一つパンチを浴びせる毎に小さな声で巨人に何かささやいていることに気が付いた。「参ったと(一発)言え(一発)悪かったと(一発)言え」という具合に。
実は水兵は最初から同じことをくりかえしていたのであるが、飲み屋の喧嘩でありがちなやじ馬からの歓声がうるさく、あまりの残酷な状況に人々の声がしずまり水兵の拳が海兵隊員の頭あたる音以外に何も聞こえなくなるまで誰も気が付かなかったのである。
海兵隊員はつったったまま悲鳴をあげ続けタイミング良く飛んでくるパンチを避けようと無駄な抵抗をしていたが、これらのパンチは彼の顔をずたずたに砕き頭がい骨が見えるまでに至った。しかし彼は降参するといわなかった。自分が悪いと認めようとしなかった。
殴られて朦朧としているこの期にいたってもまだ彼は誰かが自分が負けるまえに喧嘩をとめてくれると信じていたのである。過去にはいつも誰かが止めてくれていたに違いない。だから彼はずっと飲み屋の乱暴者としての人生をおくってこれたのである。
しかし遂に痛みに耐えかねた海兵隊員は叫んだ。「まいった!」我々はやさしく水兵を後退させた。(カカシ注:関係ないですが、明日のジョーのあるシーンを思い出したのは私だけ?)
私がなぜ今日この話をしたのかみなさんにはお分かりだろう。
私は別にこの血みどろの戦いを目撃したことを誇りに思っているわけではない。そしてあの海兵隊員の女のような悲鳴は私が墓にはいるまで忘れないだろう。だが私はあの晩大切なことを学んだ。それは今こそイスラエルが宿敵を倒すために学ばなければならない教訓なのである。
今度限りは文明社会のひとつひとつの国々が愕然と見守る中でアラブの攻撃者が完全にずたずたに敗北することが許されなければならない。誰もが間にはいって必死にこの大量殺人をとめたいと思う。だがこの戦いが本当に終わるためにはどちらかが完全に負けをみとめ降参しなければならないことを誰もが知っているのだ。
あの暴れん坊が負けを認めるまえに彼を救ってきた一人一人があの晩の臆病な乱暴者をつくりあげてしまったように、よかれと思って間にはいって停戦を交渉してきた国際勢力はアラブの暴れん坊が今日のような怪物と化すのを手助けしてしまったのである。

ボグナー氏が指摘するように、いままでアラブ諸国の攻撃者は自分らから戦争を始めておいて応戦されて完全に軍隊を破壊され敗北寸前になると国際社会に攻撃をやめさせてくれと訴える。自分らは負けもみとめず敵側の降参条件など絶対に飲まないで、残酷な戦争にうんざりした国際社会が敵側に圧力をかけ停戦が成立し敵側が兵をひいたら、勝利宣言をして再び攻撃の準備をはじめるというやり方を続けてきた。ハマスもヒズボラも、イラクのフセインも全く同じことをやってきた。
その度に彼等の勢力は増し、次の攻撃はもっとひどい状況を生んできた。これの繰り返しをいくらやっても終わりはない。
だから今我々平和を愛する文明社会の国々は人々が殺されている残酷な戦争をどれほど今すぐ止めたいとおもったとしても、その心に負けてはならない。あの晩ボグナー氏が目撃したように暴れん坊が完全に敗北し負けを認めるまでは、涙を飲んで黙って見守らなければならないのである。


View comment