イスラエルは停戦してはいけないという話を書き終わってネットサーフをしていたら、デイビッド·ボグナー氏のブログを発見した。彼の話ぶりからいって彼は多分元アメリカ海軍兵で、後にイスラエルへ移民した人だと思う。現在はイスラエル在住のブロガーだ。
題してA difficult lesson(カカシ注:「難かしい教訓」という意味だが、私は勝手に『苦い薬』と訳させてもらった。)

苦い薬

デイビッド·ボグナー著
私が海軍にいた頃、一度フィリピンのオロンガポの下町にあるバーでいまだに夢に見るほどの恐ろしい喧嘩を目撃したことがある。喧嘩は図体のでっかい海兵隊員とおとなしい中肉中背の南米系の我が船の船員との間でおきた。
一晩中この海兵隊員は誰かに喧嘩を売ろうとしていたが、ついにおとなしそうな私の船友に目をつけた。弱い相手と踏んでのことだ。我が友が挑発に乗らず喧嘩を拒むと、突然この海兵隊員は友達の後ろから頭の後部めがけてサッカーパンチを食らわせた。すぐさま友のひしゃげた耳から血が噴き出した。
その場にいた者は全員愕然とし、この海兵隊員をいまにもぶっ殺してやろうと勇んだ。ところが我が船友は素早くきびすをかえすと、無数のジャブとアッパーカットを連続でぶちかまし、たったひとりでこの巨人をコーナーに追いつめてしまったのである。明らかにブロンクス(ニューヨーク)の小さなジムでボクシングの訓練を受けた賜物だ。
一つ一つのパンチが海兵隊員の呆然とした顔に傷を開け彼がコーナーに追い込まれた時には彼はもう誰かに止めてくれと嘆願するに至った。彼は自分の唇が切れ歯がかけたのを理由に喧嘩はとまるべきだ考えたのだ。巨人は我々に喧嘩をとめてくれと拝んだ。彼は開いた額の傷から流れてくる血で目が見えないと訴えた。
誰も動かなかった。誰一人として。
飲み屋の中でする音は水兵の軽い拳が海兵隊員の頭にあたる度にたてる胸が悪くなるようなスタッカートの音だけだった。これとにたような音を聞いたのは映画ロッキーでシルベスター·スタローンが牛のバラ肉をミートロッカーで殴っていた音だけだ。
ついに海兵隊員の嘆願は悲鳴へと変ぼうした、声高な女の引きちぎるような声に。しかしパンチは執拗に続いた。
何人かが遠慮がちに数歩前に出て中に入ろうとしたが、群衆のなかからのびてきた数本の腕が彼等をしっかり抱き押さえた。その腕のなかに私の二本の腕がはいっていたことを私は恥じるものではない。
私は水兵が一つパンチを浴びせる毎に小さな声で巨人に何かささやいていることに気が付いた。「参ったと(一発)言え(一発)悪かったと(一発)言え」という具合に。
実は水兵は最初から同じことをくりかえしていたのであるが、飲み屋の喧嘩でありがちなやじ馬からの歓声がうるさく、あまりの残酷な状況に人々の声がしずまり水兵の拳が海兵隊員の頭あたる音以外に何も聞こえなくなるまで誰も気が付かなかったのである。
海兵隊員はつったったまま悲鳴をあげ続けタイミング良く飛んでくるパンチを避けようと無駄な抵抗をしていたが、これらのパンチは彼の顔をずたずたに砕き頭がい骨が見えるまでに至った。しかし彼は降参するといわなかった。自分が悪いと認めようとしなかった。
殴られて朦朧としているこの期にいたってもまだ彼は誰かが自分が負けるまえに喧嘩をとめてくれると信じていたのである。過去にはいつも誰かが止めてくれていたに違いない。だから彼はずっと飲み屋の乱暴者としての人生をおくってこれたのである。
しかし遂に痛みに耐えかねた海兵隊員は叫んだ。「まいった!」我々はやさしく水兵を後退させた。(カカシ注:関係ないですが、明日のジョーのあるシーンを思い出したのは私だけ?)
私がなぜ今日この話をしたのかみなさんにはお分かりだろう。
私は別にこの血みどろの戦いを目撃したことを誇りに思っているわけではない。そしてあの海兵隊員の女のような悲鳴は私が墓にはいるまで忘れないだろう。だが私はあの晩大切なことを学んだ。それは今こそイスラエルが宿敵を倒すために学ばなければならない教訓なのである。
今度限りは文明社会のひとつひとつの国々が愕然と見守る中でアラブの攻撃者が完全にずたずたに敗北することが許されなければならない。誰もが間にはいって必死にこの大量殺人をとめたいと思う。だがこの戦いが本当に終わるためにはどちらかが完全に負けをみとめ降参しなければならないことを誰もが知っているのだ。
あの暴れん坊が負けを認めるまえに彼を救ってきた一人一人があの晩の臆病な乱暴者をつくりあげてしまったように、よかれと思って間にはいって停戦を交渉してきた国際勢力はアラブの暴れん坊が今日のような怪物と化すのを手助けしてしまったのである。

ボグナー氏が指摘するように、いままでアラブ諸国の攻撃者は自分らから戦争を始めておいて応戦されて完全に軍隊を破壊され敗北寸前になると国際社会に攻撃をやめさせてくれと訴える。自分らは負けもみとめず敵側の降参条件など絶対に飲まないで、残酷な戦争にうんざりした国際社会が敵側に圧力をかけ停戦が成立し敵側が兵をひいたら、勝利宣言をして再び攻撃の準備をはじめるというやり方を続けてきた。ハマスもヒズボラも、イラクのフセインも全く同じことをやってきた。
その度に彼等の勢力は増し、次の攻撃はもっとひどい状況を生んできた。これの繰り返しをいくらやっても終わりはない。
だから今我々平和を愛する文明社会の国々は人々が殺されている残酷な戦争をどれほど今すぐ止めたいとおもったとしても、その心に負けてはならない。あの晩ボグナー氏が目撃したように暴れん坊が完全に敗北し負けを認めるまでは、涙を飲んで黙って見守らなければならないのである。


1 response to 飲み屋の喧嘩から得た教訓

In the Strawberry Field18 years ago

停戦は誰がするのか?

今すぐ停戦という声があがっているが、停戦停戦といってもいったい誰が停戦をするのか、という問題があまりきちんとは話されていないように思う。ヒズボラは国ではない。イスラエル…

ReplyEdit

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *