宇多丸 DJ OASISと2人きりで話したことを語る (miyearnzzlabo.com) これは以前にも紹介したラッパーのDJ OASISさんがツイッターでしたトランスジェンダリズムに関する呟きに対して、同じラッパー仲間の宇多丸さんが自分のラジオ番組でオアシスさんを批判したことについて、今回お二人が直接会って話た内容の宇多丸さんによる報告記事。(以下敬称は省く)
宇多丸は以前のラジオ番組の内容からも解るようにかなりのリベラル。特にトランスジェンダリズムに関しては全面的に擁護しており、オアシスの発言は「 ちょっと、なんというか、一線を越えたというか。ちょっとはっきり、侮蔑してたり、差別をしていたり。なんというか、言説として暴力的なことになっちゃってるよ」と感じたという。前の宇多丸の番組についてオアシスは、やはりラッパー仲間のKダブシャインとの対話で「直接話をして欲しかった」と語っていたが、それについても、宇多丸はプライベートで話しているだけでは、オアシスの発言を容認したように取られる可能性があるので、番組内で取り上げるべきだと思ったと語っている。
だとしても、番組で取り上げる前にオアシスの意見を聴いたり、でなきゃ、オアシスを番組にゲストで呼んで対談するということを最初からすべきだったのではないかとは思うが、それでも少なくとも二人がプライベートでも話合うことが出来たのはよかった。だが、もし日本の業界でこういう対談が可能であるなら、ラジオなりユーチューブなりで対談番組を作ってやって公に欲しい。
まず宇多丸が問題があるとしたオアシスのツイートというのは、トランスジェンダリズムは女性空間の安全性について無頓着なのではないか、という意味の発言だった。
で、翌日、宇垣美里さんの火曜日の日もそのフォローをするというか。要するに問題になっているというような性自認というね。要するに自分で性のあり方を決められるというね。で、そうなるとでも、たとえば女性用のパブリックスペース。「女性用の空間みたいなところにいろんな人が入っててしまっては危ないんじゃないか?」という意見があるんだけど。でも、それはトランスジェンダーの人たちが起こす何かではないじゃないですか。その性犯罪の抑止、防止、罰していくという件とトランスジェンダーの人の権利拡大っていうのは全く別の話であって。だから、そこが対立構造になるのはおかしいと思うというような話も追加でさせていただきました。
宇多丸の話は、話し合いの内容というより、それに関する自分の感想を述べているだけで、どういう話題を取り上げ、どういうところは同意できてどういうところが平行線になったのかというような説明は全くない。なのでこれだけ読んでもあんまり意味がないと思った。それに比べてツイッターで同じ話し合いについて報告したオアシスのツイートは的を射ていて対照的だ。強調はカカシ。
宇多丸と話をした。自分の配慮が足りなかったであろう言葉でのツイートで傷付けてしまった人達への訂正とお詫びする旨を伝えた。改めてこの場を借りてその点に関し謝りたい。自分が差別者では無い事も理解してもらい、またラジオで一方的に話をしてしまった事も申し訳なかった、と伝えてくれた。
性自認に関しては「全ての性自認を認め、その権利を守るべき。生きるために性自認が必要な人が多く居る。性自認の主張が犯罪の直接的原因ではない。それに伴い起こる犯罪をトランスジェンダーと結び付けるのは間違えであり犯罪自体が悪いのであって監視体制が確立されていない社会の問題」という視点と「性自認を法で認める事でジェンダー関係なくそれを利用した犯罪が増える可能性、犯罪の監視体制が確立されても犯されるのが犯罪」という「危険視」する視点、それが双方の基本的違いであった。
宇多丸の言う「生きる為に性自認が必要」という立場の人が居る事は当然理解をしているが更に理解を深める様これからも努めて行きたい。宇多丸にも「性自認で起きる犯罪、監視体制を掻い潜って起こされるのが犯罪」という危険性に少しでも理解を持ってもらえたら嬉しい。子ども達の性自認に対する教育の形も各々意見は完全に別れたが「子どもを守る」という点は同じ考えだ。
言論、思想の自由は尊重されるべきで2人が直接話をする場を設けてくれた事に対して感謝している。そして考え方への理解も今後更に深められたらと思う。トランスジェンダーに対する偏見と捉えられる様な誤解をまねく発言ではなく、法、制度、教育、権利、等に対し意見を述べて行けたらと思う。
最後に関係者及び多くの人達に感謝と共にこの問題提起を意識し続け考えて行ってもらえたら幸いだ。この件に限らずネット社会になり顔を合わせての会話が減る世の中になり、コロナ禍がそれに拍車をかけているが直接目を見て対話をする大切さと、そうあるべき事が本来の姿という事を再確認した。
オアシスが自分の「ツイートで傷つけてしまった人たちへの訂正とお詫びはする」と言っているが、私はオアシスは誰かに謝罪するようなことは書いてないと思う。ただ本人が謝りたいというならそれは本人の勝手だからいいのだが、こういうことで「傷ついた!謝れ!」と言う人にはむやみやたらに謝らないほうがいい。なぜなら、奴らは単に自分に同意しない意見を聞いたことで気分を害したと言っているだけなので、それなら私たちなど、毎日のようにメディアでもSNSでもしょっちゅう「トランス女性は女性です」なんて女性に対して非常に失礼極まりない発言を聴かされているが、我々がどれだけその発言に気分を害そうが「傷つ」こうが、誰かが謝ってくれたことなど一度もない。
結局のとろこ、宇多丸とオアシスの根本的な意見の違いはオアシスも言っているように、自認のみ女性を女子専用空間に受け入れることと女性空間で起きる犯罪に関連性があるのかどうかという問題だ。
宇多丸はあくまで、トランスジェンダー許容と女子空間での犯罪は無関係であるという考え。なぜなら犯罪を犯すのはトランスジェンダーではなく犯罪者なのであって、それをトランスジェンダーのせいにするのはおかしいからという理屈。性犯罪の増加については監視体制の確立などで是正できるという主張。
オアシスはトランスジェンダー云々ではなく、自認のみ女性という男性を女性施設に受け入れることによる犯罪の増加を懸念しており、監視体制の確立だけでは解決できないという主張だ。
オアシスとはツイッターで私も何度かやり取りをしたので知っているのだが、彼は自称トランスジェンダーによる性犯罪についても結構知識がある。だが宇多丸はそのことを良く知らないのではないかと思う。知っていたら犯罪を犯すのはトランスジェンダーではなく、トランスに便乗した犯罪者だけだという偏見は持たないはずだからだ。
しかし10歩譲って真のトランスは犯罪を全く犯さない善良市民の集まりだったとしても、トランスに便乗する犯罪者が女性空間に入りやすくなる政策を取ることは問題だという考えはないのだろうか?そういうなりすましトランスから女性や女児を守る方法を具体的に示せる人はいない。
そもそも男女の空間が区別されている理由を考えてみてほしい。誰も男性は100%痴漢だから男女は区別しなければならないなどとは思っていない。ただ性犯罪を犯す90%以上が男性であり、その犠牲者も90%以上が女性や子供だという現実がある以上、すべての男性を女性から遠ざける以外にこれらの犯罪から女性達を守るのに最適な方法はない。
もちろん男女別施設が100%犯罪を防げるわけではない。だから監視体制を強化するということに依存はない。しかしハイテックな監視体制を設けなくても空間を男女別にするのは犯罪防止に非常な役に立つ。
まず男女別施設は痴漢男性をいぶりだすのに役立つ。なぜなら男女別になっていれば良識ある男性は女子施設にわざわざはいってきたりしないからだ。どんな管理システムよりも効果的なのは中にいる女性達の警戒心である。女子施設に入るべきではない人が入ってきたことに一番最初に気付くのは監視カメラでも警備員でもなく中にいる女性達だ。彼女達が挙動不審な人を見たらすぐに警報を鳴らせる状況こそが女性達を守る最善の方法なのである。自認のみ女性の女装男を女性空間に受け入れることは防犯に最適な二つのバリアを取り除くことになる。それが女性にとって安全であるはずがない。
オアシスの一番の危惧は、トランスジェンダー方針が先走りして女性や子供の安全に関する配慮が欠けているのではないかということだったわけだが、宇多丸はそれをトランス差別という問題にすり替えている。宇多丸はトランス活動家のプロではないが、活動家からトーキングポイントを教わっていることは確かだ。
女性や子供たちの安全を守るために女性専用空間は守らなければならないという話が、何故トランス差別やトランス排除という話につながるのか、先ずそれを考えるべきではないか?
ツイッターで女性空間の話をしていると、必ずトランス活動家(TRA)やその一味(アライ)たちが差別だトランス排除だといちゃもんをつけてくる。しかし考えてもみてほしい。もしも女性体の人のみの空間を守ることがトランス排除とみなされるというのであれば、女性や子供たちを守りたい全ての人が二つに一つの選択をしなければならなくなる。つまりトランスジェンダー活動家たちは女性の安全とトランスジェンダーの共存は不可能だと言っているのだ!
女性の安全とトランスジェンダーの気持ちのどちらかを選べと言われたら、私の答えはすでに決まっている。日本社会はどんな選択をするのだろうか?
追記:
本題とは外れるが、英米などでは芸能人がこの問題について正直な対話など出来ない状況になっている。アメリカでOJOASISさんくらいの著名人が自分のツイッターでトランスジェンダー批判をしたりしたら、業界から追い出されるなどの非常な危険な目にあう。日本ではまだそういうことになっていないのは非常に喜ばしいことだ。