欧州にて反イスラム意識強まる、、当たり前だ!

本日喜多さんのところで『イスラモフォビアがヨーロッパを支配する』というイギリスのインディペンデント紙の記事を読んだ。イスラモフォビアとはイスラム教恐怖症という意味。だが、恐怖症というのは実際には危険でないものを病的に恐れる症状のことをいうのであって、ヨーロッパでおきているイスラム教徒らによる暴虐を考えると、ヨーロッパ人がイスラム教徒を恐れるのは当たり前だという気がする。

イスラモフォビアがヨーロッパ全土を支配する中、ムスリム達は肉体的攻撃、言葉による暴力、そして広がる差別に苦しんでいる。

新しい報告書は、ドイツとスペインでの放火から人種差別が原因とみられる殺人事件、そしてイタリアにあるモスクが豚の脂で汚された事件まで、犯罪や脅迫といった多数の事例をリストしている。…
また、ムスリム・コミュニティの人々に対する、言葉による脅しや暴力的な振る舞いは100件以上あった。

まず、この記事を読んでいて気が付くことは、ヨーロッパにおいてイスラム教徒がどれほど欧州人の差別や虐待の犠牲になっているかということが羅列されているにもかかわらず、イギリスも含めヨーロッパ各地で起きているイスラム教徒による暴挙の例がひとつものっていないことである。
これはパレスチナ・イスラエル問題でもよくある報道のしかただが、片方が暴力行為をしたことが原因で反対側が応戦したにもかかわらず、応戦した側の暴力だけに焦点をあてて最初に手をだしたほうの行動を完全に無視っしている。これでは現実の状況を正しく判断することなどできない。
この記事を読む限りでは、まるで人種差別意識でヨーロッパ人が異人種を迫害しており、イスラム教徒らはそのかわいそうな犠牲者であるという印象を受ける。だが現実には当ブログでも度々紹介してきたように、犠牲者というならやたらなことを新聞に掲載したり公の場で発表したりするだけで命を狙われるような状況で、安心してイスラム教批判のできない国となってしまったヨーロッパこそがイスラム教過激派の犠牲者であるといえる。
インディペンデント紙がそれを知らないわけはなく、にもかかわらずその事実を完全無視したこの一方的な報道。そうやってイスラム過激派に迎合することで自分らだけはイスラム過激派の攻撃対象とならないとおもっているなら愚かなことだ。先日もノルウェーで強姦事件が急増しているという記事をles chroniques de l’eXtreme-centre
紹介で読んだのだが、ノルウェーの新聞Afterpoften紙のこの記事では、ノルウェーでおきている強姦犯人の2/3までが「西洋でない国からの移民」と書かれている。なんという遠回しな言い方だ! イスラム教移民だとはっきりいえ、はっきりと! 
ヨーロッパの政府やメディアがイスラム教過激派の暴挙を過小評価し無視または迎合することでこの問題を片付けることができるとおもっているなら大間違いだ。ヨーロッパ諸国の政府がイスラム教徒のご機嫌取りをすればするほどヨーロッパのイスラム教徒は図に乗って過激化する。イスラム教徒による暴力を国がきちんと取り締まり切れていないと市民が判断すれば、市民による反撃が起きるのは当たり前。しかし一般市民は法律に基づいた道徳的な仕返しをするとは限らず、いやそうでない場合のほうがおおいだろうから、このままにしておけば反イスラム派の攻撃はイスラム教徒らがやってきた暴動のような生易しいものではすまなくなるだろう。
ヨーロッパ諸国がその道を歩みたくないのであれば、いますぐイスラム教暴徒らによる犯罪を徹底的に取り締まり、イスラム教徒らによる理不尽な要求をつっぱねるべきである。いそがないと本当にひどいことになるだろう。


Comment

『穏健派』を装うアメリカの過激派イスラム市民団体

アメリカはテキサス州にあるダラスモーニングニュース新聞のコメンテーターであるロッド・ドレイヤー(Rod Dreher)氏が、地元のイスラム教徒市民団体の代表者と会談を行った。それというのもどうやらドレイヤー氏が以前に書いたイスラム教市民団体に関する記事への抗議だったようだ。抗議の内容はドレイヤー氏の書いていることは一部の過激派イスラム教徒の意見であり、自分達穏健派イスラム教徒の意見を反映していないというものだった。しかし対談が進めば進むほど、この団体墓穴を掘っていくような気がしてならない。

私は代表者たちに前回に彼等と面会した時に、私と同僚に向かって同性愛者は殺されるべきだ、姦通した女性は投石処刑されるべきだ、といった彼等のリーダーの言葉を説明してもらうようにお願いした。代表者はこの立場について、ユダヤ教もキリスト教も同性愛を禁じていると盛んに言い訳をした。確かにその通りだが、彼等はゲイを殺すことを要求していない。彼等は殺されるべきだと考えるのか? イマームはどうし回教が泥棒の腕の切断を求めることが正当なのかと説明しだした。後に代表者はもし私がイスラムがこのような要求をすることを謝罪すべきだといっているならそんなつもりはないとも言った。

ドレイヤー氏のアメリカでシャリア法を取り入れるべきだと思うかという質問にたいしてイマームは、アメリカではシャリアをとりいれるほどイスラム教徒の人口は増えないだろうといって質問から逃げたようだ。 また地元のイスラム教図書館に反ユダヤ、反キリスト教の書籍があることに関しても、イマームはこの書籍の著者はイスラム社会からも認められていない過激派でとるに足らない作家だと答えた。ところがこの作家はオサマ・ビンラデンやイスラム教のテロ軍団、モスラムブラザーフッドなども崇拝している人間で、ダラス最大の聖廟において若者がテロリストの崇拝する書物を読むことを推薦されているというのは問題ではないだろうか?

代表団はこの考えを拒絶した。誰かが(イスラム教徒の)過激化は西洋にあるとまで言った。

とまあこんな具合である。この会談の結論としてこのイスラム集団のリーダーたちはどのような批判も受け入れない、それがどれほど正当なものであろうとも、ただの偏見だと解釈する。彼等は彼等の社会で起きている過激化の事実を認めなず、起きているそばから過小評価する。彼等は我々が「イスラムの偉大なる先見者アヤトラ・ホメーニ追悼式」に参加したイマームを批判したことは間違っているという。 まったく気違い沙汰だ。

ドレイヤー氏はアメリカ国内のイスラム教団体が若者に過激な教えを広めていることを多くのメディアが無視しているという。そしてダラスのイスラム教団体は地元の新聞に圧力をかけることで自分らが若者の過激化を促進している事実を隠そうとしているのである。
幸いなことにダラスモーニングニュースは、こうした口うるさい地元のイスラム教徒らの脅迫に負けずに過激派イスラムの批判を書き続けているようだ。しかしアメリカにしても、ヨーロッパ諸国にしても、自称イスラム教徒代表とう偽穏健派の手にのってはいけない。こういう連中は穏健派どころか欧米をイスラム教徒で乗っ取ろうという過激派に他ならないのだ。
彼等が地元の言葉を流暢にはなすとか教養があるとか応対が穏健だというだけで欧米社会はだまされてはならない。ただ、この代表者がいうイスラム教徒の過激化は西洋に責任があるというのは少なからず当たっていると思う。それは西洋社会がイスラム教の横暴な要求に最初に出会った時、「ばかいうな!」と一喝して拒絶せず、彼らのわがままを「寛容」に受け入れたことに生じている。
しかし、今からでも遅くはない。文明社会はイスラム過激派の理不尽な要求を突き付けられる度に断固として拒絶すべきだ。そして彼等の悪い点は遠慮なくびしびし批判すべきだ。イスラム過激派とは交渉も妥協もあり得ない。戦いあるのみである。


Comment

なんでいつもイスラエルなの?

ディケンズの著書、デイビッド・コッパーフィールドのなかでミスター・ディックという登場人物が出てくるが、この男性はチャールズ王の斬首刑に病的な執着をもっていて、何の話をしていてもなぜかいつの間にかチャールズ王の首の話になってしまう。
これと同じようなイスラエルへの病的な執着が国際社会にも存在するような気がする。この風潮にはカカシは前々から気が付いていたが、カナダのナショナルポストに載ったデイビッド・フラム氏のエッセーに私がいいたかったことがかなり書かれているのでカカシの感想も含めて紹介しよう。
この間、イラク勉強会(ISG、別名the Baker-Hamilton commission)という民主党と共和党のエリート元外交官らによる委員会がブッシュ政権にたいしてイラク対策をどうすべきかという推薦調査書を提出した。この調査書の内容はアメリカでは大騒ぎになったので、ここでも取り上げようかどうしようか迷ったのだが、だらだら長い割には中身のない調査書だったのであえて取り上げないでいた。
しかしこのISG調査書のなかにちょっと気になる部分がある。それはイラク戦争の話をしているはずなのに、なぜかイスラエル問題が出てくることだ。この調査書には

「合衆国が中東における目的を果たすためにはアラブ対イスラエル問題に直接関与する必要がある。」

とある。なんでイラクの話をしているのにイスラエルの話がでてくるのか? しかもイラクの未来をアメリカがシリアと交渉する際、イスラエルがゴーラン高原をシリアに返還することやパレスチナ人のイスラエル国内への帰還の権利を話あうべきだとかいうとんちんかんな変な話も出てくる。どうしてアメリカのイラク対策でシリアと交渉するのに、他国イスラエルの領土問題を持ち出す必要があるのだろう。だいたいイスラエルがアメリカのために自分らの領土を犠牲にするなんの義理があるというのか全く不思議である。ベーカーさんは昔からイスラエルを毛嫌いしているとはいえ、アメリカの外交問題でイスラエルを犠牲にすべきだと簡単に考えが出てくるところが恐ろしい。
しかし大抵の場合は尊敬できるイギリスのブレア首相でさえも、中東の平和はイスラエルが鍵だと思っているらしい。フロム氏によると、先月ロンドンで開かれた毎年恒例の市長宅での晩餐会において、ブレア首相は「イラクに関する答えの主な部分はイラク自身ではなく、イラクの外にあります…イスラエル/パレスチナからはじめるべきです。それが根源なのです。」と発言したそうだ。

(このような意見は)ブレアひとりだけではない。似たような意見は先進国のどの国の外務省、シンクタンク、新聞の社説からもきくことができる。
単純に繰り返すことによってこの説が真実になるというなら、パレスチナ問題とイラク紛争のつながりは、ニュートンの法則と同じくらい高いレベルで「確かな」ことと言えるだろう。
しかし我々の脳みそが黙従に打ちのめされる前にパレスチナとイラクの関係がどう作動しているのか説明をもとめても良いだろうか?

とフロム氏は問いかける。まさしくカカシもこの説を理解したい。アルカエダのテロリストが自動車爆弾を学校の子供たちが集まる場所で爆破させる、その仕返しにシーアの民兵どもがスンニ市民を誘拐する。こうした行為と600マイルも離れたところで起きているイスラエルとパレスチナ紛争とどういう関係があるのだ? イラクの市街でおきている宗派間暴力がイスラエルとパレスチナ間の和平交渉でどう解決するというのだ?
反米の民兵たちに武器を供給し、アメリカ軍をイラクから追い出し、中東で石油国家の有力勢力となろうとしているイランが、パレスチナが国連に席を置けばその野心を捨てるなどという保証は全くない。
トニー・ブレアがいう通り、パレスチナ問題が解決しないことが中東アラブ人をより過激にしているというのは本当かもしれない。だが、そうだとしても歴史上世界中で起きた紛争のなかで、どうしてパレスチナ・イスラエルだけがこうも執拗に解決できないままになっているのだろうか。

ドイツ人はポーランドがDanzigを支配していることに抵抗してGdanskの通りで自分らをふっ飛ばしたりはしない。ギリシャ人はSmyrnaの返還を要求してトルコの小学生の乗ったバスを乗っ取ったりしていない。ボリビアはチリにたいして太平洋戦争の結果を覆そうと終わりのない戦争など挑んでいない。

アラブ人たちは1949年以来イスラエルと有利な条件で和平を結ぶことはいつでもできた。だが彼等は頑固にそれを拒絶してきた。パレスチナはウエストバンクとガザに1967以来いつでも独立国を持つことが できた。彼等はその提案もつっぱねてきた。
だとしたらアラブ人の過激化はイスラエル・パレスチナ問題の結果というより原因だという方が正しいのではないだろうか? 平和がないのは多くのイスラム教諸国であるイスラエルの近隣国が、アラブ人でもなくイスラム教徒でもない少数民族が服従者としてでなく中東に存在することを容認できないせいではないのか。それこそがこの問題の本当の「根源」なのであって、交渉で解決できるようなものではない。

フロム氏はそれこそ西洋社会が性懲りもなくイスラエルとパレスチナの和平交渉をいつまでも続けることこそが問題を悪化させていると語る。そのいい例が2000年に行われたキャンプデイビッドでの交渉だろう。あの時パレスチナは前代未聞な有利な条件をイスラエルから提案された。にも関わらずそれを拒絶して第2インティファーダというテロ戦争をはじめた。2003年まで連続しておきた自爆テロ攻撃も結局パレスチナには何ももたらすことはなく、パレスチナは惨敗したのにあきらめきれずロケット弾をうち続け、いまだにイスラエルからのミサイル攻撃を受けている。
本来ならもうこの辺りでイスラエル・パレスチナ間の交渉は無駄だと人々は悟るべきである。私はもう長いことイスラエル・パレスチナの話が出る度に「イスラエルは放っておけ」といい続けてきた。繰り返しになるがイスラエルがどんなやり方でイスラエルの国を創立したにしろ、幾度にも渡るアラブ諸国からの挑戦に自国を守り続けてきた。それだけで普通の世の中ならイスラエルは勝者なのであり負けた側のパレスチナをどうしようが部外者の我々がどうこういう問題ではないはずだ。
それなのに、どうして欧米諸国は自分らが中東で困難に陥るとすぐさまよってたかってイスラエルを生け贄の羊にしようと企むのか。いやそれでももし、イスラエルを生け贄にすることによって自分らの問題が本当に解決するいうならそれも分かる。だが現実にはイスラエルが原因でない以上解決にもつながらない。
それなのに彼等はいつもいつもイスラエル、イスラエルと繰り返す。あたかも「イスラエル」がどんな問題も解決してしまう魔法の呪文ででもあるかのように。


View comments (6)

腰抜けイギリス政府よ、どこまでイスラムに迎合するのだ?

弱者であるイスラム教徒になにかと迎合して、「テロリストさん、僕をいじめないで」と根性のないことをいってる典型がブレア引退直前のイギリスだ。サッチャー首相が現役だったらこんなことは絶対に起きないのに全く残念だ。天下のイギリス帝国の栄光はどこへいったのだろう?

11月の終わりにダニエル・ジョンソンのCommentary Magazine.comに掲載されたエッセイーに、現在イギリスがどれだけイスラム教徒に迎合しているかが書かれている。

マイルエンドといわれる地域は東ロンドンの真ん中にあり、イギリスで一番古いユダヤ教徒の墓地のあるところだ。しかし最近はこのあたりにイスラム教徒が多く住み着き巨大な聖廟(モスク)まで建ててしまった。この聖廟のムハメッド・アブドゥール・バリ(Muhammad Abdul Bari)会長は英国モスレム議会(the Muslim Council of Britain)の委員長でもある。この自称イギリスイスラム教徒の代表者であるバリ氏のイギリスにおける権力はいまや相当のものになっているらしい。

イギリスの警察庁、スコットランドヤードなどは国内のテロリスト組織に手入れをする前に、いちいちこのバリ氏にお伺いをたてているというのだからあきれる。もしバリ氏がテロリストと関係があったら、イギリスのテロ対策はテロリストたちに筒抜けではないか。

2005年7月7日のイギリス国籍のイスラム教徒によるテロ事件があった後も、バリ氏はイスラム教徒の不所行を謝るどころか、イギリスがイスラエルと仲良くするからこのようなテロが起きるのだと、脅迫まがいの発言をしている。

これに対してイギリス政府やイギリス社会がイスラム教への非難の声をあげるかとおもいきや、悪いのはイスラエルだ、ユダヤ人だと声を揃えて叫び出す始末。この間のレバノン戦争のときでもイスラエルの反撃は過剰だったと2/3のイギリス人が世論調査で答えている。

なんでイスラム教テロリズムがイスラエルのせいだってことになるんだ、いい加減にしろ!

ま、ヨーロッパのアンティセメティズム(反ユダヤ主義)はなにもいまにはじまったことではないから驚きはしないが、どうしてヨーロッパの連中はヨーロッパの敵はイスラエルが長年に渡って戦ってきているイスラム教ジハーディストなのだということがわからないのだろう。いったいあと何人のイギリス人が殺されれば本当の敵に気がつくのだろうか?

などと考えている真っ最中に喜多龍之介さんとこで、こんな記事を発見。日本語風にいえば腑が煮えくり返る思い、英語風にいうならば血が煮えたぎる思いである! 腰抜けイギリス外務省! いい加減にしろ!

以下、ワシントンタイムスの記事引用: (喜多竜之介さん訳)

イギリス『テロとの戦争』看板を外す@ワシントン・タイムズ

イギリス外務省は、アメリカ用語の『テロとの戦争』という言葉を「やめれ!」と政府に訴えている。というのも、なにやらこれがムスリム系イギリス人を怒らせて、政府の目的を妨げる、んだそうな…。とまあ、週間新聞が昨日報道した。

政府は「前後の脈絡も無しにさあ、あんな事言うとテロリスト共のくだらねー話に味方しちゃうしさ、逆に助け舟出してるようなもんでさー、逆効果じゃね?」と外務省報道官がオブザーバー紙に…。

外務省は同じメッセージを閣僚にも送った。ついでに外交官とか、他の政府代表者とか…世界中の連中におくったそうな。

「僕らってまあ、同じような価値観を掲げてるって事をさ、テロリストに立ち向かっちゃうツールにする事がままあんのよ」と報道官。

週間新聞によれば、イギリスの役人やらアナリストやらの大勢は、こういっていたそうな。
「イスラム過激派はさあ、西側の政府がテロとの戦争を連呼すればするほど『あれってさー、実はイスラム教を目の敵にしてんだぜ』ってな事を言って、テロリスト志願者をゲットしやすくしてるんじゃないかな〜、とか俺達も疑ってたわけ」。

ロイヤル・ユナイテッド・サービス・インスティチュートのテロ専門家、ギャリー・ヒンドル。
彼はこの言葉をやめましょう、という決断にマンセー。
ま、ちゃんと皆そうするかどうかなんてのは当てにならんが…。
「そういう時期なのよ」
とヒンドル氏。
「軍人が使う言葉ってさあ、まるっきし逆効果なのよ。ただ単にさ、コミュニティをアイソレートするのにコントリビュートしちゃってるわけ。これってとってもイー感じ』…..

これまでにイスラム教過激派に迎合してテロから見逃してもらった国など存在しない。あれだけイラク戦争を阻止しようと躍起になって働いたフランスやロシアでイスラム過激派が国内の治安を脅かしている事実は同じヨーロッパのイギリスならわかるはず。それをいまさら穏健派を装うイスラム教団体などの顔色を伺うことで、彼等がイギリス政府をよく思ってくれるなどと考えているならイギリス外務省は愚かとしかいいようがない。

イスラムの過激派はイギリスの腰抜けぶりをさぞかしあざ笑っていることだろう。


View comments (3)

イスラムは惜しみなく奪う

昔の世界はよかったね。どっか強力な国が弱小国を侵略して占領したら支配者は負けた国の国民の人権や宗教などまったく無頓着に、なんでもかんでも奪い取った。勝った方も負けた方もそれが当たり前だとおもっていたから、占領国を敵だという理由で恨むことはあっても占領国のやっていることが不当だという意識はなかった。立場が逆なら自分達だって同じことをやっているのだから。

ところが、近代社会では勝った国が負けた国の国民の人権を重んじるようになった。いくら戦争に勝ったからといって負けた国の国民を虐殺強姦略奪してもいいという意識は我々にはない。それどころかそのような行為は文明人として恥だと思うようになった。

問題なのはこのような文明社会が我々の価値観を全く共有しない野蛮な文化と接した場合の意識の格差である。文明人同士なら相手から親切にしてもらったらこちらも親切で返そうというお互いに暗黙の了解がある。しかし野蛮人は慈悲を当たり前のものと思ったり文明人の弱点だと思ってあざ笑ったりする。そういう野蛮人はこちらが親切にすればするほどつけあがって我々への戦意を増すばかりである。
無論、この場合わたしがはなしているのはイスラム教徒のことだ。先日LATimesににレイモンド・イブラヒム著のこんなコラムが載った。(Islam gets concessions; infidels get conquered.What they capture, they keep. When they lose, they complain to the U.N.、By Raymond Ibrahim)「イスラム教徒は同意を得る、インファデル(非イスラム教徒)は征服される。イスラム教徒は奪ったものは返さない、失った時は国連に苦情をいう。」とでも訳すのだろうか。この題名だけでもかなりはっきりするが、イブラヒムはイスラム聖廟とキリスト協会とを例に出して比べている。

この間ローマ法王がトルコへいった時、法王はハギア・ソフィア美術館を訪れた。この美術館は六世紀に建てられたものだが、もともとはキリスト教徒にとっては非常に大事な聖堂だった。しかし15世紀にトルコ王国の手に堕ちてしまい、その後アラブのイスラム教徒たちの手にわたり、即座に聖廟(モスク)にとってかわってしまった。 1935年にトルコは世俗化し聖廟は美術館として生まれ変わった。
にも関わらず、イスラム教が大半を占めるトルコでは、法王のハギア・ソフィア訪問を阻止しようという動きがあった。法王が美術館で十字を切ってキリスト教の儀式を披露するのではないかと心配したからである。

このようなイスラム教徒の不寛容な態度に比べてイスラエルによるアルアクサ聖廟の扱いかたは対象的だ。アルアクサはユダヤ教徒がエルサレムを奪い返した時にユダヤ教徒の手におちた。イスラム教徒がハギア・ソフィアを冒涜したのとは反対にユダヤ人たちはアルアクサ聖廟を破壊してユダヤ教寺院に改築するなどということはしなかった。アルアクサ聖廟はイスラム教徒が故意にユダヤ教とキリスト教の聖なる土地であるテンプルマウントの上に建てたものだったにもかかわらずイスラエルはアルアクサの支配権をイスラム教徒に返還した。

イスラム教徒はこのような特別扱いは当たり前だと考えている。イスラム教諸国が他国を侵略し占領した後は謝罪があるわけでもなければ、占領した国の子孫に土地を返還するなど脳裏にひらめくことすらない。もし強者が弱者を征服し、好き勝手にすることが許されるというのであれば、なぜイスラエルがパレスチナを奪い取ったといってアラブ人は何年も文句を言って国連に訴え続けるのか、とイブラヒム氏は問いかける。

実を言えばカカシもイスラエル・パレスチナ紛争に関してずっとこの疑問を持ち続けてきた。たとえイスラエルが武力でパレスチナを侵略して征服したにせよ、征服された方が武力でイスラエルを追い払うことができない限り、被征服者として潔くあきらめるべきだ。アラブ諸国はイスラエル建国いらい何度も武力でイスラエルに挑戦し、その度に大敗してきた。イスラエルに真っ向から戦争を挑んでイスラエルの土地を奪い取れないならつべこべ言わな、と言いたい。

しかしイスラム教徒いつまでたってもつべこべうるさい。

だがイスラム教徒が特別扱いを期待し聖戦が正当であり神の命令だと考えることばかりを責めることはできないのかもしれない。西洋社会は常にわざわざそれを確認するような行為にでているからだ。イスラムがこれまでに一度だってしたことがないのに、西洋社会は自らを批判し、謝罪し、譲歩することによってイスラムが特別な立場にあると再確認させているようなものである。

イブラヒム氏の言う典型的な例がイギリスにあるので、それについてお話しよう。でも長くなるので次回に続く。


View comments (2)

フランスを蝕むイスラム系移民二世たち

今朝、陳さんとことで、こんな記事を読んだ。

仏スーパー:18歳未満入店禁止 暴行・万引き絶えず(毎日新聞)
【パリ福井聡】移民系若者たちの暴力事件が絶えないパリ北東部郊外にある大手スーパー「カルフール」の2店が、「18歳未満の未成年者は大人同伴でなければ入店お断り」の独自規制に踏み切った。未成年者による客や店員への暴行や万引きが絶えないためという。周辺の店にも同調する動きがある。
ただカルフール本社(パリ)は「支店レベルで実施に踏み切ったことであり、撤回を望む」と説明。人権団体の反発などに配慮しているとみられる。
パリ周辺などフランス都市部の郊外では昨秋、移民系若者が日常の不満などを爆発させる形で大規模暴動を起こした。今年は大規模には発展していないが、日常的な衝突や暴力は頻発している。
毎日新聞 2006年12月9日 12時40分

ここでいう「移民系若者」というのは暗号で「イスラム教徒」という意味なのはこのブログの読者のみなさんにならもうお分かりだろう。フランスではイスラム系の移住の歴史は長くなるので、移民系といってもすでに2世3世の代になっている。一世の時代にはフランスではイスラム系移民による問題というのはあまり取りざたされていなかったが、最近はこの2世代3世代目の過激化が目立つ。
私のすきなフランスのブログ、les chroniques de l’eXtreme-centreによれば、そんなフランスの2世代目連中がジハーディストとなって中東でテロ行為をする事件が相次いでいるという。しかも逮捕されたイスラム系フランス人は家庭も豊かで教養もあり、とてもテロリストになるような人たちには見えないというのだ。

先週もイラクへいってアメリカ兵を殺すつもりだった三人のフランス人ジハーディストがシリアで逮捕され、フランスに送り返されたという話をきいたばかり。この三人の若者は19、20、31歳のTours出身でSalafiという静かな郊外の町にある同じ聖廟に通っていた。 フランス政府が一番心配しているのはこれらの若者は過激派とはみられておらず、どの名簿にも載っていなかったということだ。一番困惑Mustafa El Sanharawi で、彼は(フランスに)非常に溶け込んだ家族があり、父親は外科医、母親は大学教授、三人の兄弟はそれぞれ医学を勉強しているという。また Mustafa は優秀な生徒でありパリ最高の工学大学への入学が決まったばかりだった。この例は貧困と社会からの隔離が若者をテロに追い込む理由だとする多くのコメンテーターや専門家の説が成り立たないことを意味する。

フランス人ジハーディストといえば12月4日にもエジプトにて九人の北アフリカ系二世のフランス人を含むテログループが摘発されている。犯人グループにはこのほかに、ベルギー人二人、アメリカ人一人、などが含まれていたが、グループはイラクで「殉教者」となるべく勧誘されたという。このグループは先にサウジアラビアで逮捕された137人のテロリストに含まれていたベルギー人による証言がもとで発見された。
エジプトは最近ジハーディストたちがヨーロッパや諸外国からイラクへ渡る中継地としてよく利用されているらしい。一年半まえにもフランス国籍を持つ15人の若者がイラクへ渡る際にエジプトを通過しようとして追放されている。しかしエジプト政府はフランス政府による対テロ政策には全く協力していないようだ。
フランス人はイラクにおいて、アメリカ軍との戦いで9人が戦死、2人が自爆テロ、30人が投獄、12人が取調中だ。
どうしてフランスで自由に暮らしているイスラム系2世たちがわざわざイラクなんぞへ出かけていって死にたいのだろうか? これはイギリスやアメリカのエリートたちがスペインの内乱に志願したのと似たような心境なのかもしれない。自分らが恵まれた環境にいるのに「同胞」が帝国の横暴に苦しめられている、なんとか力になりたい、などという若者特有の理想主義からくるものなのかもしれない。
何にしても外国で訓練を受けたイスラム系二世のテロリストたちが、フランスに帰国してフランス国内でテロをおこなう可能性はひじょうに大きい。フランス政府はイスラエル・パレスチナ間での戦いや、イランへの外交、およびイラク戦争などに関しても、イスラム教に迎合することで自国内での攻撃を防げると考えているのだとしたら大間違いである。フランス人テロリストの台頭についてもっと今すぐ真剣に取り組まなければフランスこそがテロ組織の温床となってしまうだろう。


View comments (3)

残念! 豪州ビキニマーチは来年一月に延期

せっかく楽しみにしていたオーストラリアのビキニマーチが、来年の一月まで延期されることになった。状況からいって来年になっても実際に実行できるのかかなり見通しは危ない。この「偉大なるオーストラリアビキニマーチ」(the Great Australian Bikini March)のホームページによると、メディアの歪曲報道及び主催者や家族への深刻な脅迫があったようだ。

ここ一か月に渡るキャンペーンにおいて、ほとんどのメディアは礼節で、事実を報道し、問題点に注目し主催者の個人情報を公開することを控えることに同意してくれていました。

ところが、ここ数日の間に我々の信用度を落とすような衝撃的な中傷が増えました。誤った情報をもったジャーナリストや”独立した”メディアに対し、我々はホームページを通じて事実を訴える必死の努力をしましたが、彼等はそれを承知の上で我々の意志や行進の詳細をわい曲して報道しました。中には我々の行進を阻止したい宣言したメディアもありました。
明らかにメディアのいくつかはビキニマーチの施行は許されるべきではないと考えているようです。
これらの人々は非常な権力を持っています。どうやら言論の自由は「寛容な」社会では許容されないようです。
我々への脅迫のレベルはただの口先での侮辱から我々の個人情報を公開するというものまで含まれます。ひとつのメディアがこのようなことをすれば最終的には家族の身に危険がおよびます。
マーチの主催者は一般の皆様から圧倒的な支持をいただいたことを改めて申し上げておきます。諸外国出身の移民の方々を含む色々な背景を持つオージーが我々のホームページに支持のコメントを述べてくれました。ある移民の方々は自分らが国を捨てたのは過激派から逃れるためだった、オーストラリアでそのような過激派に根を植えてほしくないと書いていました。ひとりでそのような意思表示をするのは恐れていたので、その意思表示を団結してできる機会を歓迎するともいってくれました。

迷惑なことに白人崇拝主義の団体が応援にしゃしゃり出てきたことで問題は複雑になってしまった。この行進には批判的なオーストラリアのブロガーSlack Bastard によると、11月の半ば頃から、犯罪者として前科もあるニオナチのメンバーがビキニマーチを応援しようと自分達のホームページで宣伝しだしたのがきっかけでビキニマーチのことを知ったという。
ビキニマーチの主催者であるクリスティーン・ホーキンズさんは、自分らとこのグループとは無関係であり、共催しているという書き方はやめてもらうよう要請したとホームぺージで発表している。しかし、オーストラリアの左翼団体やイスラム教団体はこの事実を悪用してあたかもビキニマーチは白人至上主義グループの人種偏見に満ちた行進であるという報道をしてビキニマーチの阻止を狙ったようだ。
このビキニマーチの背景にはイスラム教徒移民というもっと深刻な問題がある。オーストラリアでもレバノン系イスラム教徒が大量に移住してきてからというもの、それまで静かで平穏だった郊外の町々が犯罪に満ちたスラム街と化してしまっているという話は以前にも当ブログで紹介した。オーストラリアではヨーロッパほどではないとはいえ、イスラム教徒移民による暴力犯罪がオーストラリアの文化と治安をかなり広範囲に及んで脅かしているようだ。
このビキニマーチの執行日はもともと12月9日に予定されていたが、これはシドニーのCronulla海岸でおきた暴動からちょうど一年目にあたる週末だったのである。一般にCronulla riot と呼ばれる暴動のきっかけとなったのは去年12月に浜辺を歩いていたカップルがイスラム系の十数人に襲われたことから始まる。その数日後、同じ砂浜でサッカーをしていたイスラム系青年数人に注意をした救命隊員がやはり十数人のイスラム系若者に襲われるという事件があった。それまでにも何度かイスラム系の若者によって海岸を訪れる人々が嫌がらせを受けていたようだが、この二つの事件で地元白人の堪忍袋の緒が切れたのかもしれない。
トークラジオのDJやブロガーなどが浜辺を取り戻そうと呼びかけたことから、12月11日、Cronulla海岸には5000人の白人の若者が集まった。 最初のうちは単にお祭り騒ぎをしていただけだった若者たちは、一人のアラブ系男性が数人の白人男性に追いかけられて近くのホテルに逃げこんだのを皮切りに浜辺にいたアラブ系と見られる人々を次々に襲った。若者たちは駆け付けた警察官や救急隊員などにもビールの空き缶を投げ付けるなどの暴行を行い、数人が逮捕された。
その晩から数日後の15日にいたるまで、今度はイスラム系の若者が復讐のため町にくり出し、商店を破損させたり行き交う人々に襲いかかったりした。キリスト教の小学校に銃弾が打ち込まれ、最後にはキリスト協会が4つも焼かれてしまった。
偶然かどうかは分からないが、このような暴動のあったちょうど一年後にビキニマーチが計画されたため、人種紛争と関係があるといわれても仕方ないことなのかもしれない。だが、ビキニマーチの主催者たちは行進中問題がおきないように参加者に平和的に降るまい酒類はいっさい禁止すると表明していた。メルボルンの警察が群衆統制をしっかりやりさえすれば例え白人至上主義者たちが集まったとしても暴力沙汰になる必要はない。
問題なのはイスラム過激派の暴力を恐れて一般市民が安心して海水浴に出かけられないとか、自由にデモ行進ができない状況がオーストラリアに存在しているということにある。好きな場所に出かけることができる、または政治的なスピーチを保証するということこそが自由社会の基本ではないか。それが仮に白人至上主義者たちのデモ行進であろうと共産主義のものであろう保証されるべきだ。誰もがどんな偏見に満ちた意見であろうと身の危険を感じずに表現する自由こそが自由主義社会に生きるという意味なのだ。それが主催者や家族が暴力による脅迫を恐れて自由な自己表現ができないとしたら、そうした過激派の暴力から社会が市民を守れないのだとしたら、それこそオーストラリアはビキニマーチでの混乱などより深刻な問題を抱えていることになる。
私がイスラム教過激派を憎む理由は、彼等が自由社会に住む我々文明人が一番大切にしている価値観を根底から暴力によって覆そうとしていることだ。もし我々が文明社会をこの野蛮人たちに乗っ取られたくないのであれば、彼等が要求するどのようなささいなことも受け入れてはならない。彼等の行うどのような脅迫にも怯んではならない。
オーストラリアにしろ、ヨーロッパにしろ、政府が市民の自由や安全を守ることができなければ、去年シドニーで起きたような暴動はまた起きるだろう。そしてその時は前回のようなやわなことではすまされない。イスラム過激派による社会への冒涜が黙認される度に地元民による不満は高まり、地元民による暴動は増すだろう。
イスラム過激派は今回ビキニマーチをやめさせることができたかもしれない。だが自由を求めるオージーたちが、それをいうなら欧州人たちにしても、彼等を脅迫で永久に黙らせることができると思うならイスラム過激派はおおきな勘違いをしていると思う。


View comments (2)

豪州女性たちイスラム教ベールにビキニで抗議デモ行進!

オーストラリアではベールをしていない女性は布巾の被っていない肉と同じだと発言したオーストラリアのムラー(イスラム教聖職者)に抗議の意味で、キリスト教徒の女性たちを中心にビキニ姿でデモ行進を行うことが予定されている。

Miss Bikini

ビキニマーチにはミス・ビキニのオーストラリア嬢も来るかな?


ビキニマーチの主催者はメルボルン在住のおばあちゃんクリスティーナ・ホーキンズさん。どうしてビキニマーチを思い付いたのかという質問に対してクリスティーナさんは、オーストラリアといえば夏休みに海にいって楽しむというイメージがあるからだと言う。

「世界の人々がオーストラリアといえば海辺の文化だと思ってるのよ。だから海辺の文化という象徴を通じて私たちが今の生き方を守っていくというメッセージを伝えたいの。

だからビキニなのよ。あの「(布巾の)被っていない肉」という発言があったからよ。私たちが言いたいのは、私たちは変わらないわよ、私たちはオージーよってことなの。レイプされたくないからって布をかぶったりしないわよ。」

さっすがオーストラリア、欧州と違って度胸あるな。行進の出発点は公園だが終着点はイスラム教聖廟に前にする予定だそうだ。クリスティーナさんの提案は一見軽いようで実は非常に重要な運動も含まれている。

「実は私たちは政府に対して、過激派が入ってこないように、もしすでにここにいるなら追い出せるような新しい市民権の法律を提案しています。

私たちには(過激派)なんて要りません。ここは美しい国です。世界中から人々がオーストラリアに移住してくるのは自由が欲しいからです。」

これに対してオーストラリアのイスラム教徒らはビキニマーチ対抗バーベキューを予定している。う〜む、ビキニマーチに対応して頭からつま先まで隠れるバーカマーチ。どちらの行進に、より人が集まるか見物だね。(笑)

Burka

ビキニに対抗、バーカマーチ!


オーストラリアからもうひとつイスラム教の話題
メルボーンにあるイスラム教学校において、聖書に放尿しページをやぶって火をつけるなどの冒涜をした三人のイスラム教生徒が学校を退学になるという事件があった。この事件があったのはメルボルンにあるイスラム系小学校でのことで、教師たちは校長に対して聖書冒涜は他宗教の生徒や教師への憎しみと過激な思想のあらわれであることを心配して訴えたという。
欧米もオーストラリアを見習ってほしいものだ。


View comment

アメリカのイスラム化を狙うCAIR

この間からイスラム教市民団体を装った実はイスラム過激派テロリスト集団CAIR(ケア)について何度も書いてきたが、CAIRの支援する下院議員が当選してからというもの最近彼等の活躍はとみに活発になってきた。
先日カカシは米初のモスレム議員聖書宣誓を拒否で、新しくミネソタ州の下院議員に選ばれたイスラム教議員キース・エリソン氏が就任式の際、伝統となっている新約聖書の上に手をあてての宣誓をコーランを使って行いたいと主張していることに関して、新約聖書での宣誓はアメリカの伝統であり聖書をつかった宣誓を拒絶するならアメリカの議員などやるべきではないと発言した人気ラジオDJデニス・プレーガーの話をした。彼の発言は神経質なCAIRの怒りを買ったようである。

ワシントン:イスラム系アメリカ人市民団体はラジオトークショーのDJデニス・プレーガー氏が、先日当選議員が来月の就任式での宣誓を聖書ではなくコーランをつかう計画であることを厳しく批判したことで、氏を連邦政府が提供するアメリカホロコースト博物館の委員会からはずすべきだと訴えた。

「彼のような偏見に満ちた不寛容で差別的な意見をもった人が税金で経営されている施設において、アメリカ人に嫌悪が及ぼす破壊的な影響を与えた、そして今の世の中でも与え続けている憎しみついて教える政策を作る地位につくべきではない。」と CAIRは博物館理事長フレッド・ザイドマン氏あての手紙に書いた。
「大統領任命の立場としてプレーガーの存在はアメリカの宗教への寛容性について好ましくない印象を世界のイスラム教徒に与えるであろう。」とCIARは書いた。

プレーガー氏は人気ラジオDJであるばかりでなく、ユダヤ教の学者でもあり、数々の書籍の著者でもある。ホロコーストの歴史を祀る博物館の理事としてこれ以上の適任者はいないだろう。CAIRの手紙はアメリカの公共施設の役員の任命に口出しする脅迫以外の何者でもない。アメリカの議員ならアメリカのしきたりに従えといったプレーガー氏が「アメリカの宗教への寛容性について好ましくない印象をあたえる」って? 異教徒によるイスラム教批判に怒りくるって世界中で暴動をおこす「寛容な」イスラム教徒を批判もせず、ホロコーストが起きたことさえ否定しているイランと仲良しこよしの宗教団体が、イスラエルを攻撃し続けるテロリストのために募金運動までやってる市民運動とは名ばかりのテロ組織が、宗教の寛容性についてアメリカ人に説教するなど片腹痛いわ!
だが、この間の空飛ぶイマームの件や、イスラム教タクシー運転手による乗車拒否などでも分かるように、アメリカの人口の1%にも満たないイスラム教徒たちは、アメリカでもヨーロッパ風のイスラム化をすすめようと最近とみにその活躍が目立つようになってきた。
先日もアメリカのデトロイト地方で運動ジムでお祈りをしていたイスラム教女性がほかのメンバーにお祈りを邪魔されたことに腹をたててジムのマネージャーに訴えたところ、「ほかの客があなたの神に敬意を示す必要はない」いわれたことで腹を立ててジムの本社に苦情を申し立てるという事件があった。
これらのイスラム教徒のわがままに対していまのところアメリカ人の反応はまちまちである。イマーム事件と乗車拒否があったセントポール空港では先のタクシー運転手らの特別扱い要求は拒絶したが、今回は空港に特別な祈祷室を設けることで問題を解決しようとしている。この祈祷室がイスラム教徒だけでなくキリスト教徒や仏教徒、およびユダヤ教徒のお祈りの場として使えるというのであれば私は特に文句はない。ロサンゼルス空港にはすでにキリスト教の聖堂もあることだし、飛行機に乗る前に静かにお祈りしたい人々への配慮はよいことだといえる。
だが、このような祈祷室でイスラム教徒は他宗教の祈祷者に敬意など示すだろうか? 彼等だけで大声を張り上げてお祈りしているところへ仏教徒が木魚をたたいてお経を読みはじめたり、キリスト教徒が賛美歌を歌いはじめたら彼等は絶対に自分らのお祈りが邪魔されたと苦情をいうだろう。そしてまたぞろCAIRがしゃしゃり出てきて「イスラム教徒専用の祈祷室をつくれ」と言い出すに違いない。
イスラム教諸国は自分らの国々で他宗教に対しては全く不寛容であり、暴力を使って異教徒を迫害する。イスラム教への批判はくだらない冗談ひとつでもいきり立って暴動を起こす。そういう人間が欧州の社会で自分らへの扱いが寛容でないと文句ばかりいうこのダブスタ! これだけでも私は腹がたつが、もっと腹がたつのは欧米社会がヘーコラと彼等の理不尽な要求にいちいち迎合する態度である。
欧米社会がイスラム教徒の暴挙から社会を守る方法はいくらでもある。だがそれには勇気がいる。イスラム教徒が日常の何気ない習慣にたいして下らない要求をしてくる度に欧米は個人レベルで抵抗しなければならない。すでにイスラム教徒による暴力が多大な被害をもたらしているヨーロッパではこれは難かしいが、まだそこまでいっていないアメリカでは今のうちならそれができる。今のうちにそれをしなければならない。
例えば運動ジムにおいてイスラム教徒が静かにお祈りできる場所がないと苦情をいったなら、お祈りの時間にはジムにこないようにと勧めればいい。イスラム教男性がジムにおける女性の運動着が肌を出し過ぎて気が散るといったら、女性メンバーをみないようにと冷たくあしらえばいい。イスラム教をちゃかした冗談をいったコメディアンをテレビやラジオ番組からおろせと苦情がきたら、番組側はキリスト教徒やユダヤ教徒にいつもいっているように言論の自由だといって拒絶すればいい。
イスラム教徒が理不尽な要求をしてもそれがことごとく無視されれば彼等もいずれあきらめるだろう。だが彼等が何か要求する度にアメリカ社会が一喜一憂しているうちは彼等はそれを悪用し続ける。これはデニス・プレーガー氏が先日新聞に書いた通りである。

誰がそういうことを決めるにしても、アメリカの新聞のほとんどの社説がイスラム教徒を怒らせまいとしている。それどころか多くの人々はこれはよいことだという、なぜならアメリカがオープンな社会で、どれほどアメリカがイスラムやコーランに敬意を評しているかを世界のイスラム教徒に示すことになるからだという。

この理屈はアメリカの最大のゴールは世界中から愛されることだと信じている人々を惹き付ける。特にイスラム教徒に愛されることで、アメリカを嫌うイスラム教徒が減れば減るほど(アメリカを爆破しないだろうから)よいことだと信じている。
しかし、このような甘い考えをする人々はエリソンがコーランを聖書のかわりにすることによって反米イスラム教徒の態度は変わらないということを理解していない。いやむしろ反対にエリソンのそのような行為はイスラム過激派を図に乗らせるだけであり、新しい過激派を生み出すのがおちである。それが正しいかどうかは別として彼等はこれが彼等の最大の目的であるアメリカのイスラム化の第一歩と解釈するからだ。
すべての当選した議員が同じ本に手をあてて就任の宣誓をする時、彼等はアメリカの文明の下敷きとなった価値観の元に団結するという確認をする。もしキース・エリソンがそれを変えることを許されるなら、彼がアメリカの団結に与える損害は911のテロリストがもたらしたよりもひどいことになる。私にはこれがイスラム系アメリカ人がアメリカに残したいものであるとは信じがたい。だがもしそうだとしたら、ひどい状況になっているのはヨーロッパだけではないということになる。


View comment

米初のモスレム議員聖書宣誓を拒否

来年の一月から議会が入れ替わるが、その前に新しい議員たちの就任式が行われる。アメリカでは公式な就任式ではかならず新約聖書の上に手を置き就任への宣誓をすることになっているが、今回イスラム教徒として初めてアメリカの下院議員に選ばれたキース・エリソン氏(ミネソタ州民主党)は自分はキリスト教徒ではないので聖書ではなく、コーランで宣誓式にいどみたいと言い出した。
キース・エリソン議員は単にイスラム教徒であるというだけではなく、アメリカの黒人の間で人気のある非常に悪評の高いネイション・オブ・イスラムという反ユダヤ教の暴力団まがいの団体のメンバーで、しかも市民団体を装ったイスラム教テロリスト集団CAIRとも密接な関わりのある男である。こんな人間が議員に選ばれること自体不思議だが、ミネソタの地元新聞はエリソンがイスラム系暴力団やテロ軍団と深い関わりがあることをライバル共和党議員のでっちあげだとして全く報道しなかった。だから彼に投票した地元の人々は多分ほとんど彼の正体にきがついていないのだろう。
だが、エリソン議員は就任する前から、彼がアメリカの政治家になった本当の目的をちらつかせはじめた。彼の目的は今回の聖書を拒否しコーランを使った宣誓を主張することによって顕著にあらわれはじめている。
アメリカには宗教の自由もあり、通常は政教分離の習慣がある。だからキリスト教徒でない人間が聖書での宣誓を拒んだとして何が悪い、好きな本で宣誓させればいいではないかと言う人もいる。しかしこれは宗教の自由とか個人の趣向の問題ではないのだ。問題なのはエリソン議員は彼の勝手な信念で長年にわたるアメリカの基盤と伝統となったキリスト教の価値観を崩そうとしていることにあるのだ。
何をそんな大げさなと日本の方々は思うかもしれない。だが他国の人々には理解できない伝統と価値観というものがそれぞれの国には存在する。どうして日本の伝統を重んじる人々が総理大臣の靖国神社参詣や男性による天皇承継を主張するのか、外国人から考えてみれば「どうでもいいこと」ではないだろうか? しかし日本人にとっては大切なことだ。それはなぜか? 日本の基盤は神道であり、日本の創立は神道なくしては考えられないからだ。いくら日本が世俗主義の国であろうと政教分離の法律があろうと人々の心のなかで日本形成の基盤となった神道への愛着が消えたわけではないのである。
日本では我々が普段あまり注意をはらわないあらゆる場所で神道の影響があらわれている。ハイテックの旅客機を製造するような工場でも仕事初めは神主さんにお払いをしてもらうのはごく普通のしきたりだし、古い井戸を埋める時には厄払いをしてもらってからではなくては作業員が仕事を拒否するなどということは今でも起きる。それを作業員の多くがイスラム教徒だから、今後のお払いは神主さんではなくイマームにやってもらうなどということになったら日本人の作業員は納得するだろうか? 問題は日本人の作業員の大半が神道をしんじているかとかいうことではなく、これが日本の伝統だということにある。それを後から来た外国の宗教やしきたりを日本社会に押し付けるということは日本そのものを侮辱することになるのだ。
それと同じで、アメリカの基盤はキリスト教だ。アメリカの創造の父と呼ばれる人々も皆キリスト教徒だった。聖書によって宣誓を行うということはアメリカ人としてアメリカ人の代表として選ばれた議員としてアメリカ社会をまもりアメリカに支えるということを意味する。これは決して自分が新約聖書を信じるという意味ではない。これまでにもユダヤ教徒やモルモン教徒、および無宗教者も議員となってきたが、誰も聖書による宣誓を拒否したことはないし、拒否などしたらそれこそ議会が許さなかっただろう。
それでは何故、今回に限って民主党が多数議席を占める議会はエリソン議員の身勝手な要求を受け入れようとしているのだろうか? それはひとえに彼がイスラム教徒だからだとユダヤ教学者で人気ラジオ番組のDJでもある保守派のデニス・プレーガー氏は語る。

誰がそういうことを決めるにしても、アメリカの新聞のほとんどの社説がイスラム教徒を怒らせまいとしている。それどころか多くの人々はこれはよいことだという、なぜならアメリカがオープンな社会で、どれほどアメリカがイスラムやコーランに敬意を評しているかを世界のイスラム教徒に示すことになるからだとう。

この理屈はアメリカの最大のゴールは世界中から愛されることだと信じている人々を惹き付ける。特にイスラム教徒に愛されることで、アメリカを嫌うイスラム教徒が減れば減るほど(アメリカを爆破しないだろうから)よいことだと信じている。
しかし、このような甘い考えをする人々はエリソンがコーランを聖書のかわりにすることによって反米イスラム教徒の態度は変わらないということを理解していない。いやむしろ反対にエリソンのそのような行為はイスラム過激派を図に乗らせるだけであり、新しい過激派を生み出すのがおちである。それが正しいかどうかは別として彼等はこれが彼等の最大の目的であるアメリカのイスラム化の第一歩と解釈するからだ。
すべての当選した議員が同じ本に手をあてて就任の宣誓をする時、彼等はアメリカの文明の下敷きとなった価値観の元に団結するという確認をする。もしキース・エリソンがそれを変えることを許されるなら、彼がアメリカの団結に与える損害は911のテロリストがもたらしたよりもひどいことになる。私にはこれがイスラム系アメリカ人がアメリカに残したいものであるとは信じがたい。だがもしそうだとしたら、ひどい状況になっているのはヨーロッパだけではないということになる。

以前に話したイスラム教運転手によるタクシー乗車拒否、空飛ぶイマームの件などでも話たが、過激派イスラム教徒らは欧米及び世界のイスラム化をはかっている。彼等の我々の文明への攻撃は戦闘行為だけではない。こうして文明社会に潜入し我々の文明を根底から覆していこうという魂胆なのだ。
我々はこれが戦争だということを常に忘れてはならない。かれらが我々の伝統をひとかけらづつ角から砕いていくのを指をくわえてみていてはいけないのである。アメリカがヨーロッパのようにならないためには、彼等の要求をひとつひとつ断固として拒絶していかなければならない。
だが、多文化主義の甘い考えをもった民主党議会にそれができるだろうか? 私には全く自信がない。だとしたら民主党が多数議席をとった先の中間選挙で負けたのは共和党ではなくアメリカだったのかもしれない。


View comments (2)