似非医学、ワクチン恐怖症が生んだ数知れない悲劇

この間、カカシは毎年一回の健康診断を受けに行った。そのとき主治医のおなごせんせから破傷風の予防注射を推薦された。破傷風なんて、まちがって釘を打ち抜いたとかナイフでさされたとかいう深い傷でも負わない限り特に心配するような病気ではない。不思議に思って首をかしげていると、おなごせんせは「最近百日咳が流行ってるのよ。破傷風のワクチンは百日咳にもよく効くのよ。」とおっしゃた。せんせはこの間赤ちゃんを産んだばかりなので早速予防摂取を受けたとのこと。百日咳なんて今日日(きょうび)かかる人なんているのか、乳児への予防注射が出来てからほぼ絶滅した病気ではないのだろうかと思ったのだが、ここでふと思い当たることがあった。
読者諸君は最近、麻疹やおたふく風邪や風疹の予防注射が自閉症の原因となるという話が嘘でたらめであるとブリティッシュ・メディカル・ジャーナルが発表したニュースを聴いているだろうか?

ワクチンで自閉症はでっちあげ 英医学誌に報告(2011.1.06)

 【ワシントン共同】麻疹、おたふくかぜ、風疹の新3種混合(MMR)ワクチンの接種と自閉症との関連性を指摘した1998年の論文は(アンドリュー・ウェイクフィールド)医師のでっちあげだったとの報告を、英国のジャーナリストが英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル電子版に5日発表した。
 ジャーナリストのブライアン・ディアー氏は今回、論文の対象となった患者の親への聞き取りや診療記録の調査を実施。接種後に自閉症の症状が出たとされる12人のうち、5人は以前から症状があり、3人は自閉症ではなかったと結論付けた。
 欧米では論文発表後にワクチン接種が減って、はしかが流行。今も副作用を疑う人が少なくないという。

このようなでっちあげ論によって被害を受けたのはインフルエンザのワクチンだけではない。子供から命を奪い、生存者は一生後遺症を患うポリオや、乳児や幼児には命取りになる百日咳なども、嘘でまかせワクチン恐怖症のために、現代社会では信じられないような巻き返しをおこしているのだ。
上記の1998年の調査結果がランセットで発表されて以来、小児予防接種の危険性を唱えるウェブサイトはあちこちに生まれ、メディアも医学的な証拠もきちんと提示しないまま、センセーショナリズムを取り上げて大々的にワクチンの危険性を唱え始めた。(別処珠樹著のこれなんかいい例)
この話は1990年代に起きた豊胸整形に使用されるシリコンが身体に害を及ぼすという似非理論が幅を利かせたヒステリーを思い出す。整形手術などは危険ならば受けなければいいだけの話だが、乳幼児の予防注射は受けなければ後々ひどいことになる。いや、10年以上にわたるでっちあげ医学のために、イギリスやアメリカでは予防接種を受ける乳幼児が激減し、それと共にほぼ絶滅状態にあった病気が激増した。たったひとりのでっちあげ論文のため、何十年に渡って勧めてきた予防接種運動は大幅に後もどりしてしまったのである。
科学ジャーナリストのマイケル・フメントによると、このワクチン自閉症論でっちあげ事件は氷山の一角だという
最初からランセット医学誌に発表されたウェイクフィールド医師の説はつじつまが合わなかった。近年確かに自閉症患者の数は増加しているが、それは患者数が増えているというより、医学の発達と共に正しく診断される患者が増えたというだけにすぎない。
自閉症は多種のワクチンに使われる防腐剤のチメロサールが原因だとされ、アメリカでは2001年からチメロサールの使用は禁止されたが、その後自閉症患者の数は全く減っていない。スエーデン、デンマーク、カナダなどでもチメロサールの使用は禁止されたが、これらの国々でも自閉症患者の数は増え続ける一方である。
しかも、自閉症を起こすといわれたMMRワクチンにはもともとチメロサールは使われていなかった。MMRに関してはその後も色々な事実が明らかになっている。

  • 2004年、合衆国メディスンリポートはMRRもしくはチメロサールの関連性は発見できなかったと発表。
  • 2005年の日本の調査では、MRRワクチン使用を差し止めた横浜市において、自閉症患者の増加比率は差し止め前と全くかわらなかった。
  • 同年、コチランライブラリーが139の調査結果を見直した結果、MMRと自閉症を結びつける証拠は全く発見されなかった。

ところで、元の調査書を発表したウェイクフィールド医師に関しても、数々のスキャンダルがうかびあがってきた。

  • ロンドンのサンデイタイムスのブライアン・ディアフィールド記者はウェイクフィールド医師に関する膨大な資料を集めた。なかでも、医師は調査結果発表の2年も前にワクチン製作の製薬会社に訴訟を計画していた弁護士グループから70万ドルの謝礼金を受け取っていた。また、医師の調査対象となった12人の患者はあらかじめ医師が選んだ患者であり、患者や家族らも医師が肝心な要点で事実を歪曲していると証言している。
  • 2004年にはウェイクフィールド調査の共著者の12人のうち10人までもが記事を取り下げている。
  • 2010年1月、英国医師会は、ウェイクフィールドは調査において不誠実で無責任は行動をとったと批判。翌月、ザ・ランセットは元記事を取り下げた。三ヵ月後、ウェイクフィールドは医師免許を失った。

ウェイクフィールドの処分云々もだが、このけしからん藪医者の調査を信じて子供に予防注射をうけさせなかった親たちはどうなるのだ?いや、それをいうなら嘘でまかせのために現代社会において簡単に予防できる病気にかかって死んだ子供や後遺症で苦しむこどもたちのことはどうしてくれるのだ?
冒頭で書いた百日咳だが、1980年にはほんの一握りの件数しかみられなかったのに、去年2010年のカリフォルニアでは1947年以来最高の8000件が記録されている。入院する患者の60%が乳児でそのうちの10人が命を失った。
百日咳のワクチンはランセット調査には含まれていなかったが、予防注射のワクチン恐怖症が、多くの親たちにワクチン全体に対する疑惑を生んでしまったのではないだろうかと、カリフォルニア、オハイオ市のアクロン小児病院、百日咳専門医Blaise Congeni医師は語る。カリフォルニアはアメリカでもワクチン拒絶症の「震源地」なのだそうだ。
フメントも指摘しているが、薬でも何でも大病の原因になるというニュースは大々的に報道されるが、その研究や調査には怪しい点が多いという話はめったに取り上げられない。何かが危ないというニュースは即座に広まっても、特に問題はないという医学的な証明には何年もかかる。その間に、この嘘でっちあげ論は信じられないような膨大な被害を生み出す。
先に述べた豊胸手術に使われたシリコンインプラントにしても、たかが整形手術だと思うかもしれないが、訴訟に告ぐ訴訟で倒産に追い込まれたインプラントを製作したダウコウニング社はシリコンインプラントだけでなく、心臓につけるペースメーカーや腰の人口関節なども製造していた。こうした医学用品製造では第一といわれたダウコウニングの倒産は医療社会に大打撃を与えた。(何も悪いことをしていないのに訴訟をおこされた整形外科医たちや、すでにインプラントを受けていた女性患者たちの苦悩も無視できない。)
そして近年のこのワクチン恐怖症ヒステリー。
はっきり言って、私は親たちにも非常な責任があると思う。予防注射の副作用がニュースで大々的にとりあげられているからといって、安易に子供の予防接種をやめてしまうのは考え物だ。いったい副作用とはどういうものなのか、その危険性はどのくらいのものなのか、予防接種を受けないことによる弊害と比べてどちらがもっとも危険なのか、親としてきちんと学ぶべきである。
子供の命と将来がかかっているのだ。メディアのハイプに惑わされてはいけない。


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元世界一の肥満男、英国政府の保険制度を訴える

英国で、元世界一の肥満男がすでに国民保険で百万英国ポンドスターリン(1億2千万円)も支払ってもらっているにも関わらず、自分がここまでの肥満になったのは国民保険が必要な治療を受けさせてくれなかったからだとして、国を相手どって訴訟を起こした。
このイギリス男性はポール・メイソンさん、50歳。胃バイパス手術をして210kg痩せるまでは、約450kgと世界一の肥満男だった。
手術を受ける前のメイソンは、一日に2万カロリーもの食事を取っていたというが、自分は過食症を患っていたのに、その道の専門家ではなく栄養士を紹介され、適切な治療を受けられなかったことが肥満が悪化する原因となったと主張している。しかし、すでに1億2千万もの治療費を払ってもらっておきながら、感謝するどころか訴訟を起こすなど言語道断とイギリス市民からの同情は薄い。
それもそのはずで、英国は日本と同じように国民皆保険制度があるが、その医療制度の粗悪さは悪名高い。なにしろ万年赤字で予算が全く足りないので、英国民は命に関わる大病の治療でも何ヶ月も待たされ、やっと治療を受けることが出来ても、その内容は先進国とは思えないほど低質だという。
アメリカの感覚でいうと、一日2万カロリーも食べるお金があるならば、何も国民保険が降りるのを待たなくても、自費で食事障害専門の医者に行けばいいではないかと思う。ところが、イギリスのシステムではそれが許されないのだ。
イギリスの保険システムNHSは国民をすべて保険に入れるが、その代わり国民がどのような治療を何時受けられるかもNHSが全て決める。HNSが許可しない治療はたとえ自費を出しても受けることができない。だから、お金のある人はインドやアメリカといった外国へ行って治療を受けるのがいまや普通になっている。
限られた予算で国民の医療決断をするとなれば、誰にどれだけの治療費を払うかという裁断が政府の役人によってされることになる。心臓のバルブバイパスや臓器移植や癌の主要摘出手術などといった大病治療を長年待たされている英国市民からしてみれば、なんで肥満男の胃バイパス手術を国が請け負う必要があるのかということになるのも当然だ。
問題なのはハンソンの受けた治療が適切だったかどうか、いや、それよりもハンソンに支給された治療費が適切であったかどうかということではなく、限られた資金を国民の間で振り分けるとなれば必ず生じる医療の配給制度そのものなのだ。
以前にサラ・ペイリンが医療の配給制度は死の審議会をもたらすという発言をして、その意味を理解しない人々の間から非常な批難を浴びた。しかし、ペイリンが言いたかったのは、医療を配給制度にすれば、誰から優先的に治療を受けさせるかを決めなければならなくり、必然的に老い先短い老人の治療は後回しになってしまうだろうということだ。
20歳の男性の骨折と80歳の骨折ではどちらを治療した方が社会にとって有益か、働きざかりの40歳の胃がん患者と80歳のアルツハイマー患者の治療では?
しかし、どうせもうすぐ死ぬんだから高いお金出して治療するのは無駄、と判断された当の本人にしてみれば、死を宣告されたも同じである。つまり患者が必要な治療を受けられるかどうかを審議する会は、まさしく『死の審議会』なのである。
生きるか死ぬかを決める手術ですら、なかなか受けられないイギリス市民からすれば、50歳の過食症肥満男の治療費など国が払うのは無駄遣いだと思うだろうし、ましてや適切な治療を受けられなかったと訴訟までおこしているハンソンのいい分に同情できないのも不思議はない。
ハンソンもどうせHNSを訴えるなら、受けた治療が適切でなかったということより、自分が選ぶ治療を受けられる自由な制度をイギリスが取り入れるべきだという訴訟でも起こしてほしかった。そうすれば一般市民からの支持も得られたことだろう。ま、ハンソン自身、そんなことには興味がないのかもしれないが。
今の状態では、自分で勝手に大食いして太っておいて税金で胃バイパス手術までしてもらって何を文句いってるんだ、と言われても文句はいえないだろう。


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ハッピーミールからおもちゃを取り上げたサンフランシスコ

人工妊娠中絶は女性の身体に関するプライバシーの問題だと言い張るリベラルだが、こと人々の食生活になるとやたらと口を出してくるのもリベラル。
塩分だトランスファットだと他人が体内に取り入れるものに異常な興味を示すリベラルだが、リベラルカリフォルニアでも特にひどいサンフランシスコ市では、マクドナルド製品のなかでも子供に大人気のハッピーミールにおもちゃを入れてはいけないという規則を通した。

【11月4日 AFP】米サンフランシスコ(San Francisco)市の管理委員会は2日、市内のレストランで無料の玩具をおまけにつけるメニューは塩分、糖分、脂肪分を控え目にし、果物と野菜が入っていなければならないという規制案の予備投票を行い、賛成多数で承認した。本投票は来週実施され、承認されれば2011年12月に発効する。地元紙サンフランシスコ・クロニクル(San Francisco Chronicle)が報じた。
 米ファストフード大手マクドナルド(McDonald’s)の「ハッピーミール(Happy Meal)」は、カラフルな箱の中にハンバーガー、ドリンク、ポテトフライが入っており、時間やお金を節約したい親子連れの人気を集めているが、この規制が発効すれば提供することができなくなる。(後略)(c)AFP

マクドナルドの広報部も、子供のダイエットはレストランではなく親の責任だとしているが、まさしくその通りだ。自分や家族が何を食べるか、それは消費者個人が決めることのはずだ。
うちの近所に数年前ホールフーズというオルガニック野菜を売る健康食品スーパーマーケットが開店し、他のスーパーより割高であるにも関わらず、苺畑家をはじめ、近所の人々から結構人気がある。健康に気を使う人はそういう店に行けばいいのだし、消費者からの要望が強くなれば、他のスーパーも対抗して健康食品を増やすようになるだろう。現に普通のスーパーでも最近はオルガニック野菜コーナーが設けられているのをよく見かけるようになった。
レストランも同じことだ。マクドナルドも商売だ、もし人々が健康食品を求めているのであれば、何も政府が強制しなくても、自然とそういうメニューが出てくるだろう。現にマクドでは昔はなかったチキン入りのグリーンサラダが結構人気を呼んでいる。ファーストフードには十年以上も遠ざかっていたカカシ自身、サラダと新しいグルメコーヒーに魅かれて最近はまたマクドナルドへ行くようになったくらいだから。
バーガーキングでも、アトキンズダイエットが流行っていた頃、炭水化物の少ないサンドイッチと銘打ってバン無しハンバーガーを売り出したことがある。中近東のラバッシュという薄い皮のパンをつかったラップなどが未だに人気があるのも、アトキンズ博士の低頭質ダイエットの名残だ。
放っておけば市場が解決することに、やたらと介入したがるのがリベラルの特徴。なにせ左翼リベラルは自由市場が大嫌いだからね。
確かに子供が毎日ハッピーミールを食べたらこれは問題だ。アメリカのレストランはヨーロッパや日本と比べて出てくる量もやたらに多い。ファーストフードではスーパーサイズとかいって、普通のものを頼んでも大盛りを薦められるから、やたらに「シュアー」なんて言って受け入れるとひどい目にあう。
この間、サンディエゴからの帰りに、マクドで薦められるままにスーパーサイズのソーダを安易に買ってしまって非常な不自由をした。なにせ両腕で抱えないと飲めないようなバケツサイズだったため、運転しながら片手で持って飲むことが不可能だったからである。大きければいいというものではないと改めて悟ったカカシであった。
だが、大きめサイズを客に薦めたり、子供を魅了するためおもちゃを加えたりしてより利益をあげようとするのがマクドの自由なら、そんなサイズや商品を受け入れるも拒絶するも消費者の自由。子供がマクドを毎日のダイエットにしてしまわないように管理するのは親の責任だ。国の責任ではない。
こういうことを一旦国民が受け入れれば、左翼リベラル政府が口出ししたいことは後を絶たない。最初は塩、そのうち砂糖、そして脂肪。そんなことを言ってるうちにおいしいものはすべて禁止になって、そのうち白いパンと牛乳だけ飲んでろなんて言い出しかねない。なんだか昔の日の丸弁当を思い出す。


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ドイツ、エ〜?肥満に税金かけろって?

ドイツでは、肥満に関連した医療費を国の医療組織が負担していくのは不公平であるとし、肥満になるような不健康な生活習慣には税金をかけるべきだと提案した政治家がいる
この政治家の名はマルコ・バンダービッツ(Marco Wanderwitz)というサクソニー州の議員。

「意図的に不健康な生活をする人には経済的に責任をとってもらうのが適切だと思います。」とバンダービッツ議員。

ドイツは日本と同じで国民皆保健の国。そして国経営の組織はどこの国でもそうであるようにかなりの経営難に悩んでいる。それでなんとかその救済をしようと、こういうふうに苦肉の策が出てくる訳だ。
ドイツはヨーロッパでも肥満率が非常に高いとされている。ま、ビールだチョコレートだソーセジだで高カロリーの食品で有名な国だからさもあらんだが、2007年の調査では21%の大人が肥満と出ており、肥満が原因の病気の治療費は年間170億ユーロにのぼるとか。
ハーバード大学の栄養学教授であるウォルター・ウィレット教授は、肥満に税金をかけるのは非人道的だと批判する。なぜなら肥満は生活習慣だけでなく、遺伝とか生活環境なども大きな影響を及ぼすからである。

「太っているというだけで税金をかけるのは公平ではありません」とウィレット教授。「太っている大半の人は、太っていたくはない訳ですから。」

健康経済学者のJurgen Wasem氏は、肥満対策には高カロリーのスナック菓子を規制する必要があるという。

「タバコと同じように、不健康な商品には効率の税金をかけることによって医療システムを守るべきです。」「アルコールとかチョコレートとか、またハンググライダーのような危険なスポーツ用品なども含まれます。」

冗談じゃない。いったいあんた何様? 私がどれだけお酒を飲もうとチョコレート食べようと、余暇にハンググライダーで遊ぼうと、私の勝手でしょうが。不健康な生活習慣っていったい誰が決めるのよ?いい加減にしてほしい!
また、子供の肥満が問題になっているドイツでは、教師達の間で、子供の体重を毎日はかり、肥満のこどもは特別医療クリニックにおくるべきだなどという提案もあるという。
国民皆保健が行き過ぎると必然的にこういうことになる。誰もが保健に入れるとなればどんな生活習慣を持った人でも同じように治療されなければならない。とすれば健康な人が不健康な人の治療費を負担することになり非常に不公平だといえばそうである。
だが、その解決法は政府が決める「不健康な生活習慣」への課税ではない。
例えば、BMIなどの数値で「肥満」と出た人でも、生まれてこのかた病気などしたことがないという人だっているかもしれない。そこの家系は皆太り気味だが、それでも健康そのもの。そんな人でも税金を上げるのか?
また、ジョギング大好きでガリガリに痩せているひとが、運動しすぎで関節を傷め、高額な医療費を必要とする膝のや腰の手術を色々したとしよう。怪我の原因は過激な運動にあったわけだから、ジョギングは不健康な生活習慣ということにして課税するのか? 
国民皆保健という社会主義的な考えの枠の中でしかものを考えられないから、明白な解決方法が考えつかず、このような馬鹿げた考えが生まれてくるのだ。
もともと保健というのは、何かあった場合のために入っておくもの。保健は使わないで済めばそれに超した事はない。だが、病気勝ちの人や危険な生活をしている人はそうでない人よりも保健を使う可能性は高いし医療費もかさむ。
ではバンダービッツ議員がいうように、「意図的に不健康な生活をする人には経済的に責任をとってもらう」にはどうしたらいいのか。簡単だ、保険料を上げる、もしくは保険加入を拒むことである。
普通の民間の保険会社なら、タバコを吸う人、スタントマンとか危険な仕事をするひと、持病のある人、などの保険料は健康な人よりもずっと高くとる。あまりにも危険な仕事をしている人は保健に入れない場合もある。
反対に若く健康な人なら何か不遇の事故にでもあわない限り、特に医療費は必要としない。そういう人には安い非常時のみの保険に入ってもらえばいい。もしくは保険に入らないという自由もあるべきだ。
病気なのに保険に入れないなんて困るじゃないかという意見もあるだろう。当然そうだ。だが保険制度が民間企業に任されていれば、危険率の高い人を専門に保険料は割高になるが、保険にいれてくれる保険会社が現れる。
問題なのは保険システムの窓口が政府ひとつしかないということだ。しかも保険料が個人の健康状態ではなく、単に収入の割合で決められる税金だったとしたら、健康でも不健康でも個人の負担が全く変わらないのだとしたら、国民には健康管理をするインセンティブがない。
いますぐドイツに国民保険制度を改正して民間保険を取り入れよといっても無理かもしれない。だがそれならそれで、食品やスポーツ器具などに税金をかけるのではなく、医療費を多く使うひとほど保険料を高くし、個人の負担を増やせばいいではないか? そして医療費を使わない国民の保険料は下げるべきである。
誰も意図的に病気したり怪我をしたりするわけではないが、保険を使えば使うほど自分の負担が多くなると思えば、必然的に健康管理をするようになるだろう。何も国が個人に強制する必要などない。
私はこのように、なんでもかんでも政府が国民の面倒をみなければならない、個人の判断力を信用しない社会主義的な考え方は本当に嫌いだ。


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サンフランシスコ人民共和国、砂糖入りソーダの発売規制を始める

どうして左翼連中ってのは他人の食生活に口を出したがるのかね。カカシが甘いものが好きだろうが辛いものが好きだろうが脂肪の多い物を大量にたべようが、そんなのカカシの勝手でしょうが、アメリカは自由の国よ!
いや、サンフランシスコ市議会の奴らに言わせるとそうではない。市民の食生活は市の管轄にあるらしい。
サンフランシスコのガビン・ニューソム市長はコカコーラ、ファンタオレンジ、ペプシなどの砂糖入りソーダは市の公営施設の自動販売機では売ってはならないという行政命令を発令した。
販売が規制されるのは、ダイエットソーダではないソーダ、スポーツドリンク、砂糖入りの水など。ジュースでも野菜や果汁100%のもの以外は駄目。ダイエットソーダは売られている製品の25%を上回ってはならないというもの。砂糖入りソーダでなくても、大豆ミルクや米ミルクなど飲むものはいくらでもある。と命令書には書かれているとか。また、この命令書にはスナックの自動販売機における脂肪量の規制についても厳しく記されている。
市長は、この規制は、ミッシェル大統領夫人が推進している国民の肥満対策のひとつとして実施するのだと説明している。市長はさらに、カリフォルニア大学(UCLA)が発表した一日少なくとも一本砂糖入りソーダを飲む人は飲まない人に比べて肥満になる確立が27%高いという研究結果を指摘している。同研究では子供の41%、ティーンエージャーの62%が一日少なくとも一本のソーダを飲んでいるとしていることもあって、市長はこのソーダ飲料が州の肥満から起きる病気の410億ドルという医療費の原因になっているのだと主張する。
トニー・ウイニッカー報道官は「市民が食べたり飲んだりするものと肥満や医療危機とは直接の関係がある」とし、であるから「市政府が砂糖入りソーダを市営施設で販売規制をするのは適切であり、(個人の自由選択における)介入でもなんでもない」と語っている。
ウイニッカー報道官は個人が砂糖入りソーダを飲みたければいくらでも何処でも飲む自由はあると語っているが、こんなのは詭弁だ。製品の販売が規制されれば、消費者はおのずと影響を受ける。需要を規制しなくても供給を規制すれば同じことではないか?
いまのところ、販売が規制されるのは市営施設のみということになっているが、それにしたって市で働く職員がお昼休みにカフェテリアで砂糖入りのソーダを飲みたいと思っても、販売機で売っているのは大豆ミルク、どうしても欲しければ、わざわざ敷地外に出て行くか、他から持参するかしなければならない。
このニューソム市長の独裁ぶりは昔から悪名高い。以前にもカリフォルニアの州法を無視して勝手に同性愛結婚を許可したり、エコのためだとかいって雨の多いサンフランシスコでスーパーやコンビニなどの小売店でビニールの買い物袋の使用を一切禁じるなどの暴君ぶりを発揮している。
こういう権力の乱用をしているニューソム市長なら、そのうち市内のどの自動販売機でも砂糖入りソーダの販売を禁じるなどと言い出しかねない。いや、禁じないまでも、砂糖入りソーダには特別な税金をかけるという話はもうすでに提案されているのだ。
第一、砂糖が入っているのはソーダだけではない。パンやお菓子やその他の食品にも砂糖はいくらでも使われている。それをいうならアルコールは体内で砂糖に変化するのであり、いってみれば砂糖水を飲んでいるようなものだ。砂糖入りソーダを規制できるとなれば、こうした食品の規制もいずれは起きるだろう。
確かに砂糖の摂取量が肥満に直接的な関係があるとしても、砂糖入りソーダや砂糖を加えたジュースを飲んでいても太らない人はいくらでもいる。糖尿病などで砂糖摂取量を医者から規制されている人でなく、特に肥満でもない健康な人はいくらでもいる。そういう人まで何故好きでもないダイエットソーダや大豆ミルクなどの飲料を強制されるのだ?私が何をどれだけ食べようと飲もうと私の勝手だ。政府から色々言われたくない。
この、市長の行政命令がSF市民の肥満対策だなどと思ったら大間違いだ。これは市民の健康などとは無関係。市長の本音は市民の完全コントロールにある。食生活ほど個人の生活に密接なものはない。個人がどのような食べ物を好むか、こんな基本的な個人の選択の自由を市長は彼の独断で奪おうというのである。食料の流通をコントロールすることが出来れば、市長は市民全体をコントロールできる。誰も食べなければ生きていけないのだから。
砂糖が規制できるなら、この次は塩だ。すでに塩の摂取量を規制しようという話は、SFに限らず連邦レベルでまじめに取りざたされている。食料摂取の選択権を政府に与えてしまったら自由国はおしまいだ。
こうして考えてみると、どうして左翼連中が他人の食生活に口を出したがるのかというカカシの冒頭での質問の答えはおのずとはっきりしてくる。


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オバマの思惑が裏目に出た保健改革法案討論会

先週オバマ王が、健康保険改革案について民主党と共和党の代表を集めて討論会(保険制度サミット)を開き、その模様をテレビ中継すると発表した時、多くの保守派は共和党は出席すべきではないと主張した。オバマがコントロールする討論会など、どうせオバマと民主党が自分らだけの主張をし、反論する共和党を悪者扱いするだけで終わってしまうに違いないというのが理由だった。オバマ王も民主党も口で何と言おうと党を超えた歩み寄りなどする気は毛頭ない、そんなサミットに共和党はみすみす罠に嵌りに出かける必要はない。共和党は断じて出席を拒否すべき、という意見が大半だった。
しかし私は、共和党がうまく立ち回れば、国民にオバマケア(オバマ王と民主党の健康保険改悪案)がどれほど悪い案であるか、そして共和党にはもっと良案があるということを知ってもらう良い機会だと考えた。やり方によってはオバマ王と民主党に恥をかかせることも可能だ。
昨日7時間にも及んで、行われた討論会の結果は、どうやら私が期待した通り、オバマ王と民主党がどれだけ国民を馬鹿にしているか、その傲慢な態度があからさまになり、オバマ王は共和党の攻撃姿勢に反論できず歩み寄りは不可能という形で終了したようだ。

25日の会合は「合意できなくても誰も驚かない」(米紙ウォールストリート・ジャーナル)という事前の予想通りとなった。選挙も意識して、攻撃を仕掛けたのは共和党だった。

 2700ページの民主党案のコピーを机の上に積んで、「法案はわが国を破産に追い込む」(ベイナー下院院内総務)と指摘。「根本的な相違」(キル上院議員)があり、超党派の合意を目指すなら民主党案を廃案にし出直すべきと訴えた。

この討論会で、オバマ王の狙いが共和党が考えもなしにただ反射的に民主党の法案を阻止している悪者だという印象を国民に与えることだったとしたら、それは完全に失敗したと、オンライン新聞のデイリービースト紙は書いている。

オバマが、大統領というより生活指導の先生みたいに見えたテレビマラソンの結果は、民主党にとっては多大なる失望に終わった。民主党はこれといった点数稼ぎもできず、議論でも明確な勝利を得ることができなかった。
最初に苛立ったオバマが「ラマー、最後まで言わせてくれ」と礼儀正しいラマー・アレキサンダー議員(共和)に対して怒鳴った時から、これが寛大な心を持って問題の解決を色々吟味しようというものではないことは明らかだった。
それどころか、これはオバマがお膳立てした会話の振りをした虚偽の討論であった。にもかかわらず、オバマの事実や詳細について熟知していながら、反射的に傲慢な態度をとり、違う意見に対して不寛容で、大統領にふさわしくない辛抱の足りない態度が暴露された。(しかもオバマはやたらと他人の持ち時間には厳重で、他人の発言を何度も遮っておきながら、自分は制限もなく長々と話した。)
何よりも驚きだったのは、共和党の準備周到さだった。彼らは皆きちんと予習をしてきていた。ラマー・アレキサンダーしかり、トム・コバーン、ジョン・カイル、ジョン・マケイン、デイヴ・キャンプ、ジョン・バラソ、そしてポール・ライアンしかりである

なかでもウィスコンシン州代表ポール・ライアン下院議員の発言はオバマケアの経済的な落ち度を詳細に渡って暴露した。ライアン議員は自ら増税無しの効果的な健康保険改革案を打ち出しており、彼の発言は重みがあった。議員は保険制度改革における共和と民主の姿勢の違いを次のように説明した。

….違いはこうです。私たちはすべての答えがワシントンが何もかも規制することにあるとは考えていません。あなた方が示す問題への取り組み方は、私たちのやり方と非常に異なると信じます。私たちはこういったすべてのことをワシントンによって強制されたくないのです。

ですから、あなた方が人々がどのような健康保険を持つことが出来るかを明確にすることによって、人々がどのような健康保険を買うかを強制しています。
私たちが言いたいことはこれです、全国レストラン協会や全国個人経営企業協会などが会員のために健康保険を設立したいのであれば、彼らは会員たにち見合った良い制度を作れるでしょう。保険制度の競争を規制するのではないく、これらの人々自身にどうするか決めてもらおうではありませんか。
保険の規制を連邦化しその機能の仕方を隅々まで規制すれば、経費はもっと高くつき保険会社同士の競争を減らすことになります。
私たちはシステムの中央化をなくし、中小企業や個人にもっと権限を与え、保険制度にもっと競争させたいのです。しかし連邦化し統一化し強制すれば、これが達成できなくなります。
これが私たちの多いな違いです。

ライアン議員は続けて、オバマケアがどれだけ国家の赤字を増やすか、オバマや民主党がいかにして色々な策略を使ってその経費を隠しているかを詳細に渡って説明した。その間オバマの表情はどんどん固くなり、顔の下半分を片手で覆いながらオバマが激怒しているのを必死に抑えているのが明白だった。
数字や統計や予算など、きちんと勉強して準備周到だった共和党に比べ、民主党の議論ときたら、くだらないお涙ちょうだいの単独例で、しかも、健康保険に加入できなかったお年寄りが死んだ妹の入れ歯をつかっていたとかいう、信じられない作り話をでっちあげて、国民の同情心を買おうというくだらない議論に終始した。
こんな子供騙しの作り話をいくつも連ねるだけの議論で、民主党は国民がアメリカ経済を破綻させるような保険制度改悪案になびくと思っているのだから、民主党の連中がどれだけ国民を馬鹿にしているか明らかというものだ。
討論自体は7時間もあったので、そんなものを普通の週日にきちんと見ていた物好きはそれほどいないが、それでもところどころハイライトはニュースやブログなどでも報道されているので、興味のある人は結構色々観ていることだろう。
オバマケアは、国民にその詳細が知られれば知られるほど支持が減って行く。今回の討論会で明らかになったことは、共和党が保険制度改革を考えもなしに邪魔しているのではなく、民主党が共和党並びに国民の意見を無視して、経済的にも無謀で国民に制度を強制する悪質な案を無理矢理通そうとしているということだ。そしてそのなかで民主党がいかにエリート意識が高く、一般市民を馬鹿にしているが暴露されたのである。
共和党を一方的に悪者扱いしようというオバマ王の思惑は見事に裏目に出たと言える。


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超肥満が単なる肥満を上回ったアメリカ

去年の暮れ、会社のクリスマスパーティに参加した時、くじ引きで当たった何人かが前に出て椅子とリゲームをやったのだが、その時司会の男性が「皆さん走ったり押したりしないように、、ちょっと大きめの人は特に気をつけて」と冗談まじりに言っていた。その時私はハタっと気がついたのだが、200人くらい集まった会場では中肉中背の人よりやや太めから超肥満の人のほうが圧倒的に多かった。痩せた人など片手の指で数えるほどしかいなかった。かろうじて司会のアシスタントをやったミニスカートの若い女性二人が痩せていたので救われたが。
新年になってジムに行ってみると、トレッドミルに乗ってるのは通常のフィットした男女ではなく、かなり重めの新メンバー達であふれていた。この時期、運動ジムへの新規入会は多いだろうな。
というわけなので、本日のObese Americans now outweigh the merely overweight”(超肥満が単なる肥満を上回る)というのロイターの記事の見出しをみて、さもあらんと思った。
記事によると連邦政府の調査National Center for Health Statistics (NCHS) で、今やアメリカでは超肥満が単なる肥満の数を上回ったということで、なんとアメリカ人の34%以上がいわゆる「超肥満」で、「肥満」の32.7%を上回り、6%が「病的肥満」であるという結果が出た。つまりアメリカの大人の人口の1/3以上の7千2百万以上が超肥満だということになる。これは2005年から2006年にかけて集められたアンケート調査の結果だ。
超肥満の計算は身長と体重の比を使ったBMIの体重(kg)割る身長の二乗。『BMI=体重kg/(身長m)2』の法的式を基本にしており、BMIが25から29の人は肥満、30から40は超肥満、40以上は病的肥満と定義づけられている。この計算でいくと、身長165cmの人なら体重68キロでやや肥満、82キロでは超肥満となる。もっとも筋肉質で筋トレとかやっていれば脂肪分は少なくても体重は重いので誤って肥満と判断されるひとがいることは否めない。
ただ1988年から1994年にかけて行われたアンケート調査では33%が肥満、22.9%が超肥満、2.9%が病的肥満という数だったというから、年を追うごとに超肥満が増えたことは確か。
アメリカでは32%の児童がやや肥満のカテゴリーに入っており、16%が超肥満でなんと11%が病的肥満だという。最近は子供でも以前なら大人の間でしか見られなかった高血圧だの糖尿だの心臓病だのが見られるようになったというのも、子供達の太り過ぎが原因であることは間違いない。
アメリカの小学校や中学校では校内の自動販売機でソーダやジャンクフードの販売を止めるところも見られるようになったがあまり効果はないようだ。
本日の午後にカカシは美容院に行ったのだが、そこで母親のヘアーカットを待っている8〜9歳くらいの女の子のお腹が妊婦のようにぷっくり膨らんでいるのを見た。この子は顔、腕、足なども太っており、いくらなんでもこの年で妊娠しているはずはないので、どう見ても肥満児としか言いようがない。あの年であそこまで太るというのは親の責任だろう。
カカシは1960年代から70年代の日本で育ったので、現在のアメリカと比べてもしょうがないかもしれないが、カカシの母は子供達の虫歯を恐れて家に甘いお菓子をほとんど置いていなかった。たまの来客用の菓子はカカシや他の子供達が解らないようなところに隠してあり、我々には手がでなかったし、和菓子などはその時に使いに出されて買う程度で、来客の残り物をよだれをたらして待っていたことを覚えている。カカシがお菓子を自由に食べることが出来たのは遠足などの特別行事の時に母が持たせてくれた板チョコとかキャラメルなどがせいぜいだった。夏休みに特別なお小遣いをもらってアイスクリームを食べられた日は幸せだったなああ。
当時はビデオゲームもなかったし、狭い団地の部屋にカカシ用のテレビがあったわけでもないので、学校から帰ればランドセルを放り出して外で近所の子供達と鬼ごっこしたり自転車に乗って空き地で危険なアクロバットに専念したりするしかやることがなかった。でも考えてみれば高価なビデオゲームに明け暮れる今の子供達より幸せだったかもしれない。少なくとも健康的であったことは確かだろう。
同年代にアメリカはロサンゼルス近郊で育ったミスター苺も、学校から帰ったらすぐに自転車に乗って近所の空き地へ行き、スケートボードなどで友達と暗くなるまで遊んでいたというから、当時の子供の生活は日本でもアメリカでも大した差はなかったのかもしれない。
子供が太りすぎるのはどう考えても親の責任だが、自分が超肥満では子供の食生活を管理できないのは当たり前。子供は親の生活態度をお手本にしているのだから、先ずは親から生活態度を改める必要があるだろう。


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今年こそ痩せるぞ! と誓ったのはいいけれど、、、

暮れにスーパーに行ったら、レジのスタンドに置いてある雑誌の新年号はどれもこれもダイエットの話題ばかり。どうしてこう新年というとダイエットの話題で埋め尽くされてしまうのだろう?
超肥満が多いアメリカでは、なんとか痩せたいと考えている人がどれほどいることか。日本でもダイエット産業は不況を知らないという感じがするが、日本人の太り方などアメリカ人のそれに比べたら足下にも及ばない。日本人の体系で体重100キロと言えばかなり大したものだが、アメリカ人は背が高いせいもあるが、100キロなんて太ってるうちに入らない。多少フックラ気味と言った程度だ。その分アメリカではダイエットに関する感心は日本よりも高いかもしれない。そういうわけだから、元旦の目標として体重大幅減量を誓う人が圧倒的に多いのは至極当たり前であろう。
CNNが紹介していたiReport.comというサイトがある。これは多くの人がビデオや写真をアップロードして自分の目標を語り、読者が感想を述べるという、言ってみれば掲示板のようなものなのだが、最も多いのは何と言ってもダイエットのトピック。そしてそのなかでもコメントが一番多く人気が高いのはトピ主が好きな物をすべて諦めて、この先体重が減るまで数ヶ月間、拷問されるような地獄の苦しみを味わうつもりだが一緒に頑張りたい人を探しています、というもの。これは日本の掲示板でもダイエットカテゴリーで一番人気のあるのは何と言っても禁欲ダイエットであるのと共通している。『楽して痩せよう』なんてトピックにはほとんど人は集まらない。
去年の8月にカカシは、とある掲示板の禁欲ダイエットトピで自分が成功した楽して痩せる方法を紹介して、レッドカードをもらってしまった話をしたが、どうも減量を目指す人々の間では、苦労なくして楽して痩せる方法など邪道であるという考えが通常なようで、これは洋の東西を問わない。
実を言うと、カカシは某掲示板で禁欲トピを追い出されてから自分でダイエットのトピを作ってみたのだが、まるで人気がなく今や私の独り言状態。それなら掲示板で時間を無駄にしているよりブログに新しいカテゴリーを作って話をしたほうがよっぽど良い。
というわけで今年の『苺畑より』は政治や映画だけでなく健康管理、特に肥満対策についても考えてみたいと思う。先ずはその第一弾として、ダイエットと自制心は関係あるのかないのかについて書いてみた。これは上記の掲示板に数ヶ月前に書いたのを多少書き直したものである。
ダイエットと自制心は無関係
よく太っている人を見ると、他人は太った人は自制心に欠けるから太ったのだという偏見でみがちである。いや、他人だけでなく本人ですら、自分が痩せないのは(ダイエットに成功しないのは)自制心が弱いからだと自責の念に狩られることが少なくない。
だが、太った人が必ずしも自制心がないなどとどうして決めつけられるのだろうか?太った人だってきちんと難しい大学を卒業してるし、太った人だってきちんと貯金して住宅ローン払ってるし、太った人だってわがままな子供のしつけに辛抱強くつきあってるではないか?ほかの面ではちゃんと自制心がきくのに、ダイエットの時だけきかないっていうのもおかしな話だ。
もしかしてダイエットと自制心とは関係ないのではないだろうか?
私のブログ仲間が書いていたのだが、ダイエットというのは息を止めて水のなかにもぐっているようなものだ。誰でも少しの間なら息を止めていられるけれど、いずれは息をつきに水面に上がらざる終えない。魚に変身でもしない限り誰でも息継ぎは必要だ。これは自制心の問題ではない。
痩せるためにはどうしても半永久的に水中にもぐっていなければならないのであれば、酸素ボンベなどのお世話になるしかない。
多くの人がダイエットに失敗するのは、酸素ボンベのお世話にならずに自力で水中にもぐっていようとするからだ。まずいことに我々は何もしなくても痩せているお魚さんにかこまれているし、時々お魚かと思うほど息を長く止めていられる超人から「あなたも頑張れば永久に息を止めていられる」と言われるため、失敗すると余計に自己嫌悪に陥いってしまう。
でもこんな超人は10人に1人もいない。そんな特別な人の真似をしようとしても時間と労力の無駄なだけでなく、心身の健康にも害あって益なしである。現に単なる禁欲ダイエットの成功率は10%以下だ。
この際、ダイエットは自制心とは無関係であると納得しよう。だから失敗したからと言って自分を責めるのは止めよう。それよりも過去の失敗から学び、自分に合った酸素ボンベを探し出し、半永久的に水中でくらせるよう工夫しよう。


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楽して痩せる方法を説いたら嫌われた!

実は、ミスター苺とカカシはこの一年近く、かなり大幅な体重減量作戦に取り組んでいる。すでにかなり効果を上げているのだが、減量の話を興味のない人の前で長々とすると顰蹙を買うし、相手にも退屈で嫌な思いをさせるので、「カカシさん、最近痩せたわね、なにやってるの?」とでも直接聞かれない限りはこちらからこの話題は極力避けて来た。
それでも自分がやっていることは誰かと話たいと思うのが人情。そこで同じように減量と痩せた後の体重維持に努力している人たちが集まる某掲示板に日頃の経過を記入して、同じ気持ちの人々と話をしたいと考えた。それをここ二ヶ月ほどしていたのだが、本日掲示板のトピ主から「レッドカード」をもらい、退場を命令された。
その原因は、カカシは不覚にも、楽して痩せる方法をポロっと漏らしてしまったことにある。
減量には我慢しかないという誤解
妙薬口に苦しというが、我々は苦労しないで楽に目的を達成することに猜疑心を持っている。何かを得るためには何かを犠牲にしなければならなと考えるのは世界共通。だが自分たちの払う犠牲が必ずしも目的達成には関係がないという場合も少なくない。息子の大学受験のために母親がお茶断ちするなんてのがその典型だ。母親がお茶を諦めることと、息子の成績とどういう関係があるのかと問うのは野暮というもの。なぜならこれは理屈ではなく信心だからだ。
しかし、ダイエットの世界でも一緒に苦労している仲間とサポートグループを作ったりしているひとたちの間では、実際に痩せてそれを維持する効果的なやり方を見つけるという当初の目的が、いつの間にか我慢に我慢を重ねた禁欲ダイエットだけが正統だという信仰になってしまっている人が多い。大好きなカレーも丼物もトンカツもがまんして必死で痩せようとしているのに、楽して痩せられるなん説く人間が現れたら、それは邪道だ!非信心者め!と脊髄反射で拒絶したくなるようである。
だが私はその拒絶心がここまで暴力的な感情をもたらすとは想像していなかった。
信仰となった禁欲ダイエット
このブログはダイエットブログではないので、ミスター苺とカカシがどうやって大幅減量に成功したかという話を長々と詳細にわたってするつもりは毛頭ない。だが我々はお腹が空いた時に好きなものをお腹が張るまで食べてもいいという方法で大幅減量に成功した。我慢に我慢を重ねる禁欲ダイエットなどしなくても痩せる方法はあるのである。いや、むしろ、私はあえて、いわゆる禁欲ダイエットは先ず成功しないと断言しておこう。
これは私自身が過去10年以上も何度もやっては失敗した体験と、周りでダイエットをやっては10キロ〜20キロと一時的に痩せても数ヶ月するとまたもとに戻って前以上に太ってしまったなんてひとをいくらでも観て出した結論である。事実禁欲ダイエットは90%以上失敗するという統計が出ている。
そんな成功率の少ないやり方をいつまでも同じように繰り返していても意味がない。本当に痩せてそれを維持したいなら、これまでとは違ったやり方を見いだす必要がある。減量やダイエットに関する考え方を根本的に見直す必要があるのだ。
だが、禁欲ダイエット信仰の信者達はそんな話に聞く耳は持たない。楽して痩せる方法があるなどと言っただけで、そんな邪道は説くな、不愉快だ!と言われてしまう。実際にこの人たちは本当に痩せたいのだろうか?本当に一旦痩せたらその体重を一生維持していきたいと考えているのだろうか?それとも単に「ダイエットしてるのよ〜」と言っている仲間達と自分がどれだけ食事制限しているかという自慢話を交わしたいだけなのだろうか?
前記の掲示板のトピ主は、私の「痩せてそれを維持していくという目的が達成できるなら、どんなやり方をしてもいいではないか」という質問に対して、それは断固違うと断言した。「痩せるだけが目的なのではない、生活習慣を変えることこそが目的なのだ」と。
だが、彼女のいう新しい生活習慣とはどんなものなのだろうか?明らかに今後太らないような健康的な生き方をするという意味ではない。何故ならそれが目的であるなら、一生続けられる楽な食事方法に興味を示すはずで、カカシの少量の食事で我慢できる方法を頭から拒絶する必要はないからである。
これはもうダイエットの問題からは離れてしまっている。私のしたことは彼女の教祖としての威厳に傷をつけることだったのだ。この掲示板トピでは彼女の教祖として権限が絶対であり、彼女の教えこそが正統なのだ。それ以外の方法を唱えることは不信心な行為であり、断固阻害されなければならないのである。
目的達成よりも過程が大事
ハインラインの小説に、理想の星を求めて巨大な宇宙船に乗って出かけた地球人たちが、何世代も宇宙を彷徨ううちに、目的の理想の星をみつけることよりも、宇宙船の中での勢力争いのほうが大事になってしまうという話があった。彼らにとっては目的の星にたどり付かないほうが都合がいいのである。そのうち人々は宇宙船以外の世界が存在することすら忘れてしまうという話だった。
こういう傾向はダイエットのみに限らない。環境保全にしろ、エイズ予防/治療法にしろ、生存危機の動物種を守る運動にしても、最終的な目的を達成することに意味があるのではなく、その目的のために作られた組織の権力を維持していくことのほうが大事になっていくという例はいくらでもある。
例えば環境保全だが、グリーンピースのような過激団体が本当に環境汚染を撲滅したいと考えるなら原子力発電を促進すべきである。だが、彼らは原発には真っ向から反対している。エイズにしてもそうだ。本気でエイズを予防したいなら、一番感染度の高いとされる特定の行為の危険性を説くのが先決。だがコンドーム使用以外の方法をとなえたりすれば、同性愛恐怖症と責め立てられかねない。動物保護法が行き過ぎて生存危機の動物が発見されると土地を奪われかねないので、地主達はそういう動物を発見し次第抹殺するという行為に追い込まれ、かえってその動物は絶滅の危機に瀕するなどという皮肉な実情もある。
自分たちが長年投資してきた時間と努力がすべて無駄な行為だったと指摘されて気分がいい人がいるはずはない。だが、無駄な行為をそのまま信じてこれからもずっと続けて行くほうがよっぽども不幸なことだと思う。
我々は或る行為が目的達成のために最適な行為なのか見直していく必要があるのではないだろうか。市民運動などでも、それが単に運動家の権力獲得のための手段になっていないか見極める必要があるのではないだろうか。
カカシの単なるダイエット論が思わぬ波紋を呼んでしまった最近である。


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