命に執着心が出た?術後約一か月経過

今週末で手術後一か月が経過したことになる。明日は一か月後の検診でお医者に行く。まだ運転は出来ないので送迎は知り合いに頼んで迎えにきてもらうことになっている。

開胸手術という大手術だったので、回復に8週間はかかると言われていたが、もうだいぶ良くなり、近所の薬局まで歩いていけるほどになった。ただまだ重たいものを持つことはできないので、簡単な家事は出来るが、鉄製のフライパンなどは持ち上げられない。仕方なく料理らしきものはせず、夕飯なのに缶詰のトマトスープとツナサンドイッチだったりする。でも大して食欲があるわけではないから、そんなもんで十分だ。主人は何も言わずに食べてくれてるし。

今日は一日ずっと暇だなと言う気がした。でもそれで気付いたのだ。暇だと感じられるということは、身体が疲れて動けないとか、胸が痛いとか、咳き込むとか、そういうことがない証拠。なぜって身体の調子が悪い時はそれしか考えられないから、暇だなんて考えてる余裕はないからだ。

実はコロナ禍でロックダウンが始まった2020年の春ごろから、私は非常に精神的に落ち込んでいた。それというのも長年連れ添った主人が難病であると診断されたからだ。今日明日どうなるという病気ではないが、一生治ることはなく、徐々にではあるが悪化していずれは動けなくなる病気。それが10年後かもっと先なのか今は未だ分からない。

私は残りの人生を考えたら絶望的な気持ちになった。これから主人と色々な所へ旅行しようと思ってた。コロナ禍にならなければニュージーランドへ行くはずだった。でも2年後の今、主人はもう海外旅行など出来る身体ではなくなっていた。

そんな時に私の心臓が悪いと言われた。手術が必要だと。年寄りには進めないが、あなたはまだ若いから、この先20年も30年も生きる可能性があるから、やっぱり開胸手術をお薦めしますと医者に言われた。何もしなければどうなるんでしょう?それは何とも、もしかして数か月の命かもしれないし、数年かもしれない。だったら手術なんて要りません。数か月後にぽっくり死にたいです。そう言いたかった。主人と一緒に年を取れないなら、長生きなんかしたってつまらないもの。

でもそんなこと言って主人より私が先に死んでしまったら、病気なのに世話をする人も居ずに残された主人はどうなる?ここで私が倒れて死なずに寝たきりにでもなったらどうする?

そう思ったら、やっぱり生きなければいけないと思った。

術後すぐは身体が苦しくて痛くて辛くて何も考えられなかった。一日一日、ともかくこの痛みから解放されたいという思いで一杯だった。退院後も徐々によくなっているとはいえ、ここが痛い、あそこが苦しいと身体のことばかり考えていた。でもそのうちに気付いたのだ。私は生きたい。死にたくないと。

身体が悪いと生きたいという命への執念が湧くようだ。まだまだ生きてやるぞ、こんな苦しい思いをしたんだから、後20年や30年楽に生きてやる!そんな執着心が生まれたのだ。

確かに主人は病気だが、まだまだ寝たきりというわけではないし、二人で近所の散歩くらいは出来る。私が運転できるようになったら、湖のある公園に行って、主人の好きな写生でもしよう。時々はおいしいものを食べに行こう。あと何年こんな生活を続けられるかなんて嘆いているより、一日一日を大事にしよう。

そんなことを考えている術後一か月であった。


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開胸手術体験談その3,隔離病棟

テレメトリー

「まったく昨夜はどうなることかと思ったわよ。脅かさないでよね」とロシア人看護婦のアナが言った。いや別に脅かすつもりはなかったけど、それにしても、どうして私の動悸の乱れにすぐ気づいたの?するとアナは私の身体にテレメトリーという装置が付けられており、病院内であればどこに居ても私の心臓状況が把握できるようになっているのだと説明してくれた。そっか、それでみんなが血相を変えて部屋に駆け込んで来たわけだ。

隔離病棟の看護師たちは集中治療室の看護婦たちよりリラックスしていた。それもそのはず、ここまで来れたら後は回復の一途を辿るだけなので、時々後退はあっても命に別状を来すようなことには先ずならない。

病院

私がお世話になった病院は、自宅から数キロのところにあるキリスト教系病院である。このあたりの病院は大抵がキリスト教かユダヤ教系である。うちの近所にある病院地区はどこでもそうなのだが、一定の広い区域のなかに大きな建物の病棟がいくつも、あちこちに散らばっており、この地区には大掛かりな手術をしたり、入院患者を受け入れたり、種々の検査が行われる施設が集まっている。大きな大学病院や大学のキャンパスを思い浮かべてもらうと理解しやすいかもしれない。

この地区内には個人開業医のオフィスも一か所に集められて店子のようにして入っている。そういう医師は病院勤務も義務付けられており、毎日何時間か病院で過ごし、残りの時間で外来患者を診、緊急事態は順繰りに担当が回ってくる。

患者は最初に開業医に診てもらい、その医師の指図で色々な検査を受けたりするわけだが、それらの検査施設が同じ病院地区内にあるとしても、検査施設は経営が別であり手続きも別なのですべてを同じ日にうまくコントロールしてやってしまうというのは非常に難しいというのは前回お話したとおり。

たとえば健康診断をやるにしても、あらかじめ診断に必要な血液検査を別のラボ(研究室)でやってもらって、その検査結果が出るころに医者の所へ行くというのが今は普通になっている。

食事

食事もこれまでのように単なる出汁スープではなく、きちんとした料理が出てくるようになった。とはいうものの、私は胃が痛くて吐き気も酷く食べ物など喉を通らない。そこへクリップボードを持った中年の女性が現れた。「この先三回の食事のメニューをお伺いに参りました」へ?こんな気持ち悪い時にメニューから料理選べとかおかしんじゃないの?と思ったが、その女性はまるで高級ホテルのレストランのウエイトレスがルームサービスの注文でも受けるかのように慇懃な趣で注文をきいた。

胃の調子が収まって食事が普通に出来るようになると、この病院の食事は悪くないと思った。この病棟のひとたちは皆心臓を病んでいるので、塩気のあるものや揚げ物などは無論出てこないが、それでも色々工夫されていて良かったと思う。スパゲティ―とマリネらソースとか、マカロニ&チーズなんか結構よかったし、レンティルスープはとても美味しかった。自宅に帰ってからも、これを参考にして色々作らせてもらおうなどとメンタルノートを取っていた。

フィジカルセラピー

さて隔離病棟も二日目になると、付き添い付きとはいうものの、自分の脚で立って歩行器を使いながらトイレに行かせてもらえるようになる。初めておまるではない普通のトイレの便座に座った時には感動した。(笑)

そして始まるのがフィジカルセラピー。ベッドから降りて腰にベルトを付けられる。そのベルトをセラピストさんがもって後ろから歩く。なんか犬の散歩みたいだが、最初は自分の部屋から廊下を数メートルも歩けなかったのに、やっていくうちに長い廊下を結構行ったり来たりすることができるようになった。

この病院では、動ける人はどんどん動かすというモットーのようで、動けるはずなのにいつまでもベッドから出ない患者は医者から叱られた。私は最初の一晩二晩ほとんど一睡もできなかった。それというのも眠りに入ると咳が出たからで朝はぐったりしていた。そこへ朝7時くらいにセラピストさんの若い男性二人が登場。「は~い、カカシさん、頑張って歩きましょう!」と満面の笑みを浮かべて私を叩き起こした。よたよたよちよちしながら数メートルあるくと酷い眩暈、もうだめ、勘弁して。

やっと部屋に戻り、食事をとった後、うとうとしてきたので、眠れるかなと思ってベッドに入ったその時、「カカシさん、まだベッドに居るんですか?歩き回らなきゃ元気になりませんよ!」とG先生の激しい口調。もう、G先生にはベッドサイドマナーってものがない!

翌日私はふてくされてずっとベッドから出なかった。PTのお兄さんたちが来ても気分が悪いと言って寝床から出ずにいると看護婦さんが「気持ち悪いなら余計に立ち上がったり歩き回ったりしないとダメなのよ」というが、眩暈がひどすぎて起き上がるのさえ無理なのに、あるくなんてとんでもないと思った。そこへまたG先生。「カカシさん!さっさと元気になって出て行ってもらわないと、こっちは後が使えてるんですから」と厳しい口調。この野郎め、お腹いたいんだよ!胸が苦しんだよ!

G先生が部屋を去った後、私はオーダリ―を呼んでベッドから近くにある椅子まで移させてもらった。そこで脚を上げたり下げたり運動をしていると看護師さんが入って来て「お?やっとやる気になったのね」と言った。やる気なんか出ませんよ、でもG先生にこれ以上皮肉言われたくないですから、、「でもベッドから出られたじゃない?」それは、、そうだけど、、

お見舞い及び付き添い

病室には色々な人が出入りする。朝必ず血糖値や血液内の酸素レベルなどバイタルサインを取りに来る看護婦や看護師補佐は当然のことながら、掃除のお姉さんたちや、セラピーさんや、血液だけ取りに来る人、レントゲン技師、などなど、ひっきりなしに誰かが部屋に入ってくる。 入院時に貴重品は持ってこないように、お財布もいりませんと言われたのは多分これが理由だろう。

日本の妹は90近い高齢の両親の片方でも入院すると、必ず毎日のように病院に行っていた。これは病院側から来てくれと言われたからなのか、妹が善意でしたものか解らないが、少なくともこちらの病院では家族が付きそうことは求められない。

昨今のコロナのことがあるため、見舞客は一日二人まで。しかもワクチン二回済もしくは二日以内の陰性証明書が必要とされる。主人が最初に見舞に来ようとしたときに、枠パスは持っていたが、陰性証明が必要だと言われて追い返されてしまった。しかしそれは受付の間違いでワクパスか陰性証明のどちらかを持っていれば問題ないと後で解り、無駄に陰性証明を取りに行く時間を浪費したと主人はカンカンであった。

退院

最初は終わりが見えないトンネルをゆっくり走っているように思えたが、徐々に日を追うごとに体力は回復し、なんとか一人でトイレにも行けるようになった。それでも歩行器がなければ、まだまだふらふらした状態であるが。傷口も安定しており、血圧や血糖値にも問題がないということなので退院することになった。入院してから8日目の夕方であった。

当初入院は3日から5日と言われていたが、開胸手術をして3日で退院なんてあり得ない、5日だって怪しいものだと私は最初から思っていた。結局私の場合は8日かかったわけだから、これは早くて5日、長くて10日くらいに言っておくべきじゃないかと感じた。

その話をセラピーのお兄さんにしたら、「いや、これ、本当に人に寄るんだよ。本当に三日で帰っちゃう人もいるからね」と言われた。嘘だろ~、そういう人は付きっ切りの看護婦でも雇って家で十分療養出来る環境にある人に違いない。私のように家に病人が居て、帰宅したら通常通りの家事をこなさなきゃならない人間は、なるべく長く入院させてもらった方が楽である。せめて歩行器のお世話にならなくて済むくらいまでの回復を待ってからにしてほしい。

義母が胃がんの手術で入院した時も、身体に管がついたままの状態で退院させられたそうだ。そして付き添いの看護婦が傷口のばんそうこうを取り替えたり、管からの血液や体液の除去したりという作業を一週間くらいしてくれたそうだ。日本だったらこの状態での退院は先ず不可能なのではと思うが、どうだろう?

以前からアメリカの病院はあまり長く患者を入院させないと聞いていたが、本当に冷たいもんだ。もっとも長居をしたらしたで入院費も馬鹿にならないので。

完全回復まで8週間の自宅療養

退院はしたものの、今すぐこれまで通りの生活に戻れるというわけではない。これから長い回復への道が始まる。ユーチューバーで同様の手術をし、術後4週間目くらいから無理をして仕事を初めて、肺炎を起こして死に損なった人がいる。休暇は十分とってあるので、まあ無理せず気長に治そう。なにせこの新しい弁は、少なくとも後25年はもつとのことなので。


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開胸手術体験談その2,集中治療室

手術前の手続きやらなにやらを済ませるために5時半に来いと言われたので、5時半に来院。特に付き添いは必要ないが、手術が終わった時点で連絡できる番号だけ教えてほしいと言われた。手術は3時間程度で終る予定。朝7時に手術は始まった。

目覚め

これまでにも何回か私は全身麻酔を体験しているが、この目覚めはそんな生易しいものと違って非常に暴力的なものだった。私は生まれてこのかたあんな恐ろしい思いをしたことがない。

「起きなさい!起きなさい!」というG先生の声。いきなり喉の中に恐ろしい物体が挿入されたような気がした。私が目が覚める前からその装置は喉にはいっていたのか、眼が覚めたので入れられたのかはわからない。これがコロナ禍初期で噂になった例のベントレーターである。私にはこのベントレーターが私の息を阻止しているような気がして思わず自由の効く手で口から外そうとした。「ダメダメ」と医師の声。私は赤子のようにヤダヤダと首を左右に振ってまたベントレーターを外そうとした。「抑えて」と医師が看護婦に支持する声。「目を開けて!」とG医師。だが私は断固として譲らない。そしてそのまま私は再び眠りについた。ベントレーターとの出会いはこの時だけで、次に目が覚めた時にはすでにそれは口から外されていた。ほ~っと文字通り息をついた。

集中治療室(ICU)

目覚めたのはすでに手術室ではなく集中治療室だった。私の身体からはあらゆる装置と繋がる大小色々な管があちこちから突き出ていた。鼻には酸素吸入器がつけられ、右腕にはIVと繋がる管。どこか痛い?と看護婦さんに聞かれた気がする。このあと24時間は私の記憶はところどころしかない。ただ長時間続けて寝ているということはなかったようで、もうずいぶん長く寝たのではと思って目を開けると、まだ数分しか経っていなかったりして、外の時間の流れと自分の時間とかまるで合っていないという感じがした。

ICUの看護婦さん達はほぼ全員フィリピン人女性だった。彼女たちは非常にてきぱきと動いており、私が何か言おうとするとすぐに解ってくれた。「痛みを我慢しちゃだめよ。我慢すると治りが遅くなるから」とその一人が言った。痛みは回復の兆候を表す。だからどこがどう痛いのかが解らないと、看護婦も医師も適切な判断ができなくなるのである。

この時期にどんな痛みを感じていたのか私はまるで覚えていない。感じていた時は確かに痛いと思ったし看護婦にもうそう伝えたが今はまるで思い出せない。ただ私が嫌だったのは痛みよりも鎮痛剤による副作用だ。私は昔からnarcoticsと呼ばれる強い鎮痛剤は苦手で、これを摂取するとすぐさま血圧が下がって奈落の底に落ちていくような気分になるのだ。ものすごい激痛と戦っている間はこのような劇薬も必要となるが、あのどこまでも限りのない深い穴の中を落ちていく気分はどうしても好きになれない。ああいう鎮痛剤に中毒になって痛みが消えた後でも使い続ける人がいるというのが私にはとても信じられない。

ところで看護婦たちはほとんどフィリピン女性で非常にプロフェッショナルな感じがしたが、orderly(オーダーリー)と呼ばれる看護師補佐達はその質も人種も様々だった。看護師補佐の役割は患者のベッドシーツを取り替えたり、患者の下の世話などをすることだ。手術前には二日目くらいからは隔離病棟に移され、トイレも看護師にささえられながら歩いていけるようになると言われていた。しかし私は最初の二日間まるで動けなかった。それで腸の動きがあった時はすぐにボタンを押して看護師補佐に来てもらう必要があった。

患者にとって下の世話を他人にしてもらうほど屈辱的なことはない。特に女性患者に男性のオーダーリーがついた場合には、この男性の挙動ひとつで患者は不安にもなり安心もする。入れ替わり立ち代わ来たオーダーリーの殆どの人は男性も含めて、とても優しく、私は安心して任せることが出来た。しかし一度だけ来たアフリカ人(アフリカ系アメリカ人ではなくアフリカ出身の移民)の男性にだけは、嫌な気持ちがした。このアフリカ人には私が人間扱いされていないのではないかという気がしたのだ。尻を拭く動作ひとつとっても、気を使ってしてくれているのと、無造作に機械的に人形でも扱うように済ませてしまうのとでは患者の気持ちは大きく変わる。

本来ならば手術した日の翌日には隔離病棟の方へ移されるのが普通だが、私の場合は血圧と脈が安定せず非常に危険な状況が続いたため二日経っても出してもらえなかった。

私は最初からこの手術で三日から五日で退院できるなんて信じていなかったが、この状況でその疑惑は確信に変わった。こんな状況では4日でも5日にでもICUに釘付けにされるに違いない。そうおもうほど絶望的に酷い状態だった。

しかしその数時間後、手の甲にするどい痛みを感じて目を覚ませた。すると私の周りで数人の看護婦たちが古い管を外して新しい管を取り付けるなど忙しそうに働いていた。「ICUから出て隔離病棟に移るのよ」とそのうちの一人が言った。え?本当に?嘘?!

私が横たわっていたベッドを看護婦たちが小走りに押し始めた。良く映画などで病院のシーンで患者視線で天井の模様がすばやく動いているのを見ることがあるが、まさにそんな感じだった。

別の部屋に移されると、別の看護婦が待ち構えていた。この中年看護婦はその名前や訛りからロシア人だと思われた。

ハプニング

新しい部屋で寝ていると、激しい胸騒ぎに襲われて目が覚めた。するとさっきのロシア人看護婦と他数名、見たことのない看護婦たちが慌てた顔をして部屋の中に駆け込んできた。「どうしたの!」と叱るような口調でロシア人看護婦が言う。どうしたも何も私は自分の激しい動機に起こされただけだ、’私に何が起きたのかなんて解るわけないでしょう。などと無駄なことを考えている間も看護チームはてきぱきと忙しく働いた。

肝心の私は胸がどきどきして、その晩一睡もできなかった。


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開胸手術後7日間の入院から退院へ、やっと帰宅しました (開胸手術体験談その1)

先日お話した開胸手術ですが、おかげ様で手術を無事終え数時間の入院を経て先日やっと帰宅しました。色々ご心配をおかけしました。

さて、アメリカ生活40余年、至って健康で手術だの入院だのという経験がなかった私だが、今回の手術は大手術であったこともあり、読者の皆様にアメリカで手術をし入院するということはどのようなことなのか自分の体験談をお話したいと思う。

手術決定までの検査経緯:

結論からお話すると、私が主治医のおなご先生のところで心臓専門医を紹介されてから、すべて検査を終了させ、いざ手術という段取りになるまで六か月近くかかった。そしてその間に行った検査はCTスキャン、MRI、エコー、カーディオなど8つ近くあり、それぞれにかかった費用は保険負担を引いた後でも一回150ドルから400ドルくらいだった。

アメリカには検査専門の医療機関が多くあり、検査の内容によって全く別の施設に行かなければならないことが多い。だから検査が8つあれば8つの予約をそれぞれの施設で取って、その度に出向かなければならない。それにコロナ禍で検査二日前の陰性証明が必要とあって、これも一回$35ドルでの度手間であった。

手術二日前の手続きの際に手術代と入院費の推定額合計$5000ドルを払った。これは保険が下りた後の自腹負担分である。まだそれぞれの医者からの請求書が来ていないので、この金額はさらに高まるものと思われる。

この先はどのようにして開胸手術をするに至ったかという詳細なので、興味のないかたは飛ばし読みしていただいて結構。

以前もお話したように、私の心臓には心雑音の奇形があることが若い頃から解っていた。特に問題を起こすようなことがなければ定期的な健康診断を通じて監視していればいいとずっと言われていた。

しかし、今年初期の健康診断の時に主治医のおなご先生が、コレステロールの値が上がりすぎてる、しかも急激に。これは危険かもしれないから一度心臓専門医で診てもらったほうがいいという。おなご先生と私とは20年来の付き合いである。彼女の言うことはもっともだし、私も最近なんとなく息切れがひどかったり、胸の痛みを感じるなどしていたこともあり、ちゃんと見てもらった方がいいだろうと専門医へ向かった。

専門医の先生は、実はアニメのキャラの名前そのままなのだが、それを言うと個人が特定されてしまうのでここでは控えておこう。アニメ先生の元で、CTスキャン、MRI、エコーなど色々な検査を行ったが、その結果が出る度にアニメ先生の顔が曇った。それでもっとはっきりした結論を出すためにはカメラを飲みこんで内部から様子を見る必要があると言われた。

これは全身麻酔を使った検査なので自分で運転していきてはいけない。きちんと信用できる人に送り迎えを頼めと言われた。こういう時にいつも思うのだが、付き添ってくれる家族や知人が傍にいない人はいったいどうするのだろう?

さて、この最後の検査の結果、アニメ先生は「弁を取り替える必要がありますな」とおっしゃった。動脈の血の流れを制限する弁が老化してほとんど機能を果たしていない状態にあるということだった。このままにしておくと数年以内に発作でぽっくりなんてことになりかねない。しかし現在でこの弁の取り換えは大がかりな手術をしなくても出来るので、そちらの専門医に診てもらいなさいとのことだった。幸いこの新技術手術専門医はアニメ先生の医療院と同じ。そこでアニメ先生の推薦する「砂丘」と同じ発音に聞こえるインド系の砂丘先生と新しく予約を取って。

砂丘先生「いやあ、あなたの場合、私の専門技術では治せません。私はどちらかというと開胸手術など耐えることの出来ない、後先短いご年配の方々を相手にしていますが、あなたは年もまだ若い。この新しい弁であと20年以上生きようというなら、思い切って開胸手術をすることをお薦めします。専門医をご紹介するのでそちらでお話を聞いてみてください」と言われた。

ロサンゼルスダウンタウンにあるG先生のオフィスでの診断は5分となかった。「患者さんには選ぶ権利があります。何歳だからこちらの手術で何歳以上だからこちらという決定的なラインはありません。ただあなたの場合まだ若い。どちらかというと開胸手術の方が適切でしょう。でもどうしても嫌だというなら別のやり方もあります。砂丘先生とは今日会うので相談してみましょう」と言われた。

どちらの手術を受けるにしろ、術前にはさらに4つから5つの検査が必要だそうで、全部終わるまでにはまる一か月はかかるだろうとのことだった。

最初の女子先生との健康診断があってから6か月が経とうとしていた。

さて、これらの検査は無論無料ではない。しかも検査に言って来いと情報をもらう時は実際いくらくらいかかるのか解らない。私は職場を通じて健康保険に入っているが、健康保険との差額は自前である。検査にもよるが、安くて150ドル高いのは400ドルくらいした。それを検査の当日に「はい、○○検査ですね、保険会社の負担が〇〇ドルですから、残高350ドル頂きます」と毎回払わされるのである。

どうして数々の検査を行うのに、こんなに時間がかかるのかと言うと、病院側から保険会社と交渉し、保険会社が払ってやると了承した時のみ検査が可能となるからで、この許可が下りるのに一週間は裕にかかる。

幸いそのうちの三つの検査はひとつの病院で出来るとのことだったので、最初から一遍に保険会社に要請をし、すべての許可が下り次第一日で終わらせるという強行スケジュールを決行した。

一番最後の検査は、これもまた麻酔の必要な検査であったため、一日がかりで病院へ。麻酔から覚めかけて砂丘先生とG先生の声が聞こえた。「いや、これはダメだな。開胸以外ありえないだろう」私は落胆して目を閉じた。

続く


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10歳の強姦被害者がオハイオで中絶を拒まれインディアナに越境したという事件の実情はいかに?

数日前にバイデン大統領が「10歳の少女が強姦されたのに、中絶を拒まれた。10歳だぞ!」と演技たっぷりに演説をした。多くの保守派は「10歳児が妊娠なんかするのか?」と半信半疑。実際これは真実なのだろうか、単なる捏造ではないのかと話題になった。特にこの話を最初に告発した医師(Dr. Caitlin Bernard)が有名な中絶推進派だったこともあり、医師によるでっちあげではないかとその真偽が疑われたのだ。

私は大昔に日本で9歳の少女が妊娠したという例をきいたことがあったので、10歳でも生理があれば妊娠の可能性はあるだろうと考えていた。事実、保守派議員たちがこの事件の真実性に疑念を持っている間にも、インディアナで中絶手術を受けた少女の身元がわかり、この少女を強姦したとされる27歳の違法移民が逮捕された。

それで中絶推進派は、ほれみろ、実際にこんな悲劇が起きているではないかと鬼の首でもとったようにはしゃいでいるが、どうもこの話はおかしい。

先ず10歳の少女がオハイオで中絶手術を受けられなかったというのは本当なのだろうか?

当初、この少女は妊娠6週間と数日だったため中絶を拒まれたと言われていた。が、オハイオの新しい中絶規制によると胎児独自の心拍音が聞こえた後の中絶は違法ということにはなっているが、それがだいたい妊娠6週間目くらいから起きるというだけであって確たる時間制限があるわけではない。また、心拍音が確認された場合でも例外があり、母体の命にかかわる場合、母体の健康に著しく危害を与える可能性のある場合、子宮外妊娠の場合、はその例外となる。

オハイオの法律家たちの間では、10歳という幼年児の妊娠出産は母体に著しい負担をかけるため、この例外に当てはまる、よって、オハイオでの手術が拒絶されることはなかったはずだと語る。では少女は何故インディアナまで越境したのか。実はこの少女の家族は最初からオハイオの病院へ行かずにインディアナの専門家を頼った。つまり、少女はオハイオで拒絶されたのではなく、自らインディアナへ行ったという話だった。

オハイオ州の司法長官は10歳児が強姦されたという記録はないと主張していたが、被害者の母親は6月22日の段階で児童保護局に通報しており、局のほうから警察にも通報があった。

思うにオハイオの児童保護局の職員はオハイオの法律で10歳児が中絶を受けられるかどうかわからなかったため、大事をとってインディアナの医者を紹介したのではないかと思う。なにせ法律家の間でも実際10歳児の出産が母体に著しい危害を加えるという例外に当てはまるのかどうかという議論がされている状態なので、そんな決断を待っている間にどんどん妊娠は進んでしまう。中絶するなら早い方がいいと判断したとしても責めることは出来ない。

しかしそれとは別に、この事件がおきたのはバイデンにも多大なる責任があると言える。

実際に10歳児がオハイオで中絶出来たかどうかということよりも、もっと重大な問題だ。それは犯人が違法移民だったということだ!

Gershon Fuentes, 27, has been charged with one count of rape. He was given a $2 million bond.
Gerson Fuentes, 27, has been charged with one count of rape. He was given a $2 million bond.

バイデン政権になってからというもの、アメリカの国境警備はまるでざる。トランプ政権の時の何十倍の違法移民がアメリカに乱入している。もしバイデンが10歳の少女が強姦されて妊娠したということを本気で憂いているなら、そんな悪い奴をこの国に招き入れた自分の政策を反省すべきだ。中絶規制法云々なんて話をしている場合ではない!

共和党議員たちも、これを中絶規制の問題にせずに、違法移民の問題だとして議論を薦めるべきだ。


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乳房除去手術大失敗の悲惨な体験談

最近TikTokでトップサージェリーと俗に呼ばれる乳房除去手術後の胸を自慢げにさらす若い女性たちの姿がアップされるようになった。しかし彼女たちの胸の痛々しい傷跡をみるにつけ、これらの手術は随分と雑にされているなと思わざる負えない。MtFのボトムサージェリー(局部手術)の完成度に比べてとても比較にならないほどお粗末なのだ。

以前にミスター苺は皮膚がんになり、鼻から癌細胞を大量に切除する手術を行った。なにせ顔面であるから傷が残ったら大変醜いことになると心配したのだが、傷口はすぐに癒え、今ではどこを手術したのかさえ分からないくらいになっている。

そういう手術を見てきているので、彼女たちの胸の傷は信じられないほど酷いと思うのだ。

さて、先日Twitterで、乳房除去を去年おこなった女性の悲惨な体験談が載っていたので、ここで写真付きで紹介する。そういうことが苦手な人はこのエントリーは今すぐ閉めてもらいたい。

彼女の名前はソレン。社会的に性移行をしたのが11才。ホルモン治療を始めたのが17才。去年19歳の時乳房除去を行った。今はGNC Womanという性別に拘らない女性として生きている。

2021年の6月11日手術を行う。14日、包帯の下にかなりの青あざが生じていることに気付き、下記の写真をとって病院のスタッフに送る。

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翌15日、術後の診断に行くが、看護婦は「そんな青あざは見たことがない」と言いながら医者を呼ばず、大丈夫だと言われて家に帰される。

22日、青あざや腫れがひどくなったため、時間外だったがクリニックに連絡し、下記の写真を送る。

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23日、救急病院を訪問。8時間待たされる。乳房除去を行った医者には見てもらえず、別の医者が診察。その間に縫った部分が開けられ、可能して貯まった水分の除去装置が供えられる。大規模な両側血種が起きていると診断される。

その後数週間にわたって血液と膿とを毎日数回にわたって流し出す治療が行われた。そしてやっと回復へ。

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彼女の体に起きた体験もさることながら、この間に彼女の手術を実際に行った医者やそのスタッフの対応はひどいものであった。

ソレンは手術前にこうした問題が生じる可能性については説明されていたが、そういう場合は医療スタッフがきちんと対処してくれるものと思っていた。ところが再三にわたる彼女に懇願にも拘わらず、手術チームは診察をしようともせず、彼女は単独で救急病院に行く羽目になったのだ。それについてソレンはこの体験を詳細にわたって記述し手術を行ったクリニックに電子メールを送った。

しかし彼女の再三にわたる問い合わせにもクリニックからの返答はなく、一か月以上が経った。そしてやっと受け取ったメールの内容がこちら。

親愛なるソレンへ、

あなたの術後の状況を聞いて非常に失望している。あなたからの反響はこれまで私が患者さんたちから受けて来た反響とは全く違うものだ。あなたが満足できるように、これからも出来る限りのことはしたいと思う。

私のスタッフに申し付けてなるべく早い時期に診察したい、、(後略)

ただ自分は忙しいので早くても次の月曜日になるだろうと締めくくられている。一か月以上も無視しておいてこの返答はないだろう。ソレンはすでに元のクリニックの対応には失望しており信頼もしていないこと、救急病院で世話になった医師とそのスタッフにおいて回復に向かっていたこともあり、これ以上元の医者とそのスタッフの世話になる気はないという旨の返事を送り、いまとなっては救急病院でかかった非常を弁償してもらえればいいと伝えた。

2021年8月、

その後クリニックからは弁償するにあたって領収書を送ってほしいとの連絡はあったが、謝罪の言葉は一言も記されていなかった。ソレンが領収書を送ると、やっとクリニックの経営者から連絡が来た。

2021年10月、

やっとクリニックから返事が来ると、弁償するにあたり必要書類に署名して返してほしいと書類が同封されていた。しかしそれにはクリニックに関する苦情を公開しないことという文節が記されていた。ソレンは無論そんな書類にサインする気はさらさらなかった。先ずクリニックがこのような状況が起きた時に今後どんな処置を取るつもりがあるのか解らないうちは、サインなどしないと突き返した。

後にクリニックからは少額の小切手が送られてきた。

ソレンは2022年の1月から性転換を停止し、今は女性として生きており「彼女」という代名詞を使っている。彼女は自分は間違った体に生まれたのではない。間違っていたのは特定な女性像に自分をあてはめなければいけないという社会観念だったと語る。それで今では彼女は自分が女性ではないと感じたのは、この特定な女性像に自分が当てはまっていなかったからで、女性であるということは、特定の外見や言動で決まるのではないと気づいた。女性であることとは個々の女性が感じ体験することなのだと自分のツイッターに書いている。

こんな恐ろしい体験をする前にそれに気づいていればよかったのだが。それでも遅くても気づかないよりはずっとましだ。残酷な言い方ではあるが、彼女はまだ幸運な方なのだ。


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中絶推進過激派のテロ行為を黙認するバイデン政権、すでに50以上の施設が襲われている

先日もお話したように最高裁が全国的に妊娠人工中絶を合法としたロウ対ウエイド判決を覆すかもしれないという意見書の漏洩以後、保守派の最高裁判事たちや中絶反対の妊婦救済施設が次々に「ジェーンの復讐」という左翼過激派グループによって襲われている。すでに50以上の妊婦救済施設が放火や器物破損や落書きといった被害にあっているが、バイデン政権の司法局は、この過激派テロ組織を取り締まろうとしない。これに対して共和党上院のトム・コットン議員はメリック・ガーランド司法局長の辞任を強く求めた。

犯罪と対テロ及び軍隊委員会のメンバーであるコットン議員は、ガーランド局長にあてた手紙のなかで司法局はジェーンの復讐を「国内テロリスト組織」として捜査すべきだと要求した。

信仰の場やプロライフの妊婦センターが攻撃されている。ファミリーリサーチチャーチは、この数週間の間にすでに50件以上の教会や妊婦救済センターや他のプロライフ組織がの攻撃を記録している。(略)「ジェーンの復讐(Jane’s Revenge)」という左翼過激派グループが火炎瓶攻撃など非常に悪質な攻撃を含め、これらの犯行について犯行声明を出している。

アメリカ市民をこのような暴力から守るために司法局は何をやっているのか?すくなくとも犯人たちを連邦犯罪者として、ジェーンの復讐を国内テロリスト組織としての適切な捜査を行うべきだ。

もし局長がアメリカ人をこれらの攻撃から守る意思がないのであれば、局長は辞任すべきである。局長はともかく辞任すべきだが。

2009年の6月にスコット・リーダー(Scott Roeder)というプロライフ(中絶反対)の男が中絶施設の医師を殺害するという事件がおきた。しかしその時、プロライフ組織のリーダーたちは一斉にこの男を行為を糾弾し、口々にリーダーは気違いであり、我々を代表しないと主張した。私が知る限り、プロライフによるプロチョイス(中絶推進派)への攻撃はこの一件だけであり、プロライフの中にこの男の行動を支持する人は一人も居なかった。

リーダーは一匹狼の気違いだったが、ジェーンの復讐は規模の大きい組織である。そしてプロライフの人たちがリーダーを一斉に糾弾したのと違い、プロチョイス側からジェーンの復讐を批判する声は聴かれない。それどころかバイデン政権はこの明らかなテロ組織を捜査しようともしない。カバノー判事の自宅の前で悪質な抗議デモが行われた時ですらバイデン政権はその抗議を批判しようとせず、民主党議会は判事たちの身の回りの警護を強化すべきという法案を通すことすら及び腰だった。

明らかに殺人に至ったリーダーが糾弾されるべきなのは当然だが、中絶が人殺しだと信じた男が人殺しをしている医者を成敗してくれると考えたとしても理解はできる。だが何故プロチョイスは妊婦と胎児の命を救おうとする人々を憎むのであろうか?

昔はプロチョイスの人たちも、妊娠中絶は望ましくなく、なるべくなら避けるべきだと主張していた。中絶は安全で稀であるべきだと言っていた。中絶は望まない妊娠をしてしまった女性の最後の手段として残されるべきだという主張だったはずだ。そうだとするならば、中絶以外の方法で妊婦と胎児の命を救うことが出来れば、それに越したことはないではないか?何故そのような運動をする人たちを憎む必要があるのだろうか?

彼等はプロチョイスなどといって、女性が選ぶ権利を主張するが、彼らの望まない妊娠の解決策は中絶以外にあり得ない。つまり選択肢などないのだ。彼らは何故そんなに胎児を殺したいのだろうか?

中絶という選択肢もあるべきだと考えるプロチョイスの人たちも、ほぼ出産直前というような後期の中絶は支持していない。大抵の人たちは妊娠初期12週間目くらいまでの中絶を想定しているはずだ。なぜならそれ以降になると、胎児はすでに人間の形をしており、母親とは別の個人となることを多くの人々が理解しているからだ。

いつでも、どんな理由でも中絶が合法であるべきと考えるのは、ごく一部の過激派だけだろう。しかし常に左翼のどんな思想もそうであるように、過激派の暴力行為がその活動を乗っ取ってしまう。

バイデン政権は自分らの思想を押し通すためにANTIFAやBLM同様、ジェーンの復讐も自分らの手先として使うつもりなのか?そうであるなら、民主党は独裁政権を目指しているとしか考えられない。

参考:Cotton: Garland must resign over DOJ inaction on Jane’s Revenge, more than 50 attacks on pro-life groups | Fox News


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トルドー首相が緊急事態法を撤回した本当の理由

昨日カナダ人ニュースさんがトルドーが緊急事態法を撤回したという話をしていて、その理由として下院の決定を上院が承認しない可能性があるからだと説明していた。それというのもカナダの議会は下院は選挙で選ばれた議員たちだが、上院はトルドー首相の任命よって議員が構成されているが、普段ならトルドーの意志通りに動くはずの上院で緊急事態法に反対する動きが目立ち始めていたからだ。トルドーのいうことを聞くはずの上院が法律を棄却した場合、トルドーは大恥をかくことになる。

しかし、実はもうひとつ非常に申告な問題が持ち上がった。こちらがそれ。

信頼できる情報源によると、カナダの銀行から莫大な額の資金が流出したため、トルドー首相は緊急事態法を断念せざるを得なくなったという。カナダ人は、トルドー首相が裁判所の命令なしに銀行口座を凍結したことで、何万人もの人々が米国に口座を移し、クレジットカードも含まれるようになった。カナダ人は銀行口座から全財産を引き出し始め、ほとんどの人は現金に、他の人は金に、そして一部の人はビットコインに切り替えた。米ドルの需要は、この1週間で3倍以上になった。

カナダの銀行では、大量の資金が引き出された。この24時間で500%もの増加があったようである。これが政治家の問題点である。彼らにはこのような決定を下す資格がない。口座の凍結が銀行システムへの信頼を損なうことを知らないのである。 Trudeau氏は非常に深刻な危機を生み出しており、緊急事態法を取り消すだけではすべてが解決するわけではない。トルドーはカナダ経済の中枢に杭を打ち込んだのだから、国際資本はトルドーが政権を握っている限り、カナダを信用することに懐疑的になるだろう。

これは当然と言えば当然の結果だ。実は私も、もし自分がフリーダムコンボイを支持していて一銭でも寄付していたら、口座が凍結されないうちにスイス銀行にでも全財産を送金しておくべきだろうと思っていたのだが、そう思ったのは私だけではなかったようだ。

アームストロング氏も書いているが、トルドーが緊急事態法を撤回したからといって、カナダドルの流出に歯止めがつくとは思えない。なぜなら、ほんのちょっとトルドー政権の政策を批判したというだけで、何の罪も犯していないのに突然トルドーの一存で全財産が凍結されるというなら、今後もそのようなことが起きる可能性は多いにある。そんなところに全財産を置いておくのは危険だと市民の誰もが思ったことだろう。

トルドーは本当に馬鹿だ。カナダで前代未聞の大規模抗議デモが何週間にもわたって起きたのに、その指導者と対話して妥協案を練るどころか、指導者たちをバンバン逮捕して、生活の糧を奪い銀行口座まで凍結などという過激な方針に出た。普段から少数派の人権がとか労働者の味方とか言いながら、彼らがちょっとでもトルドーに歯向かったと思ったら、ナチスドイツさながらの独裁政策。今回フリーダムコンボイを支持した国民は、もう2度とトルドーを信用しないだろう。

緊急事態が撤回されたとなると、その間に凍結された口座はどうなるのか、逮捕された人々の身柄はどうなるのか、今後も油断は許されない。

フリーダムコンボイは終わりをつげ、抗議者たちは家に帰った。しかし戦いは終わったわけではない。第一ラウンドはトルドーが獲った。だが第二ラウンドはトルドーの負け。次はワクチン強制をどうするかにかかってくる。


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独裁政策へ猛突進のカナダのトルドー首相

いまViva Freiというカナダ人ユーチューバーのオタワ市からの生中継を観てる。ワクチン強制制作および種々の反自由政策に抗議して続いていたトラック運転手たちによる抗議デモフリーダムコンボイが終焉を迎えつつある。トラッカーたちが警察にエスコートされて撤退をしている。今回はトルドーの勝利かもしれない。しかし戦いは今始まったばかりだ。

カナダ人は政府から言われることを素直に受け入れる国民だ。アメリカ人のように何かと政府の政策に抗議してデモをやる国民性ではない。だからよっぽどのことがない限り、カナダ人は政府の命令におとなしく従って来た。

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二年半にわたるロックダウン、マスク規制、自発的なワクチン接種。そのカナダ人がこんなに大量にデモを始めるということは、本当に今回のトルドー政策はよっぽどのことなのである。

トラッカーたちが何故撤退する羽目になったのかと言えば、それは先日トルドーがごり押ししてしまった緊急事態令発動が原因だ。以下バンクーバー新報より

ジャスティン・トルドー首相が2月14日、緊急事態法(Emergencies Act)を発動した。アメリカとの国境を越えて移動するトラック運転手への連邦政府によるワクチン接種義務化に対する、大規模な抗議運動「Freedom Convoy(フリーダム・コンボイ)」が長期化、拡大しているため。

 緊急事態法は戦時措置法(War Measures Act)に代わって1988年に制定された法律で、国家の緊急時に安全とセキュリティを確保するための一時的な措置を行い、そのほかの法律に優先される。88年の制定以来、これまでに発動されたことはなかった。

 同法律にしたがいDeclaration(宣言)を出す前に、連邦政府は州・準州政府と相談するほか、カナダ議会が7日以内に承認する必要がある。

 クリスティア・フリーランド副首相兼財務大臣も14日、「(Freedom Convoyの)違法な道路封鎖により、カナダ経済は大きな打撃を受けている」と会見で語った。 オンタリオ州とアメリカ・ミシガン州を結ぶアンバサダーブリッジの遮断では1日あたり3億9000万ドルの影響が出ているという。

 緊急事態法発動を受けて、金融機関は違法な道路封鎖や道路占拠との関係が疑われる団体や個人への金融サービスを一時停止することが求められる。また、道路封鎖に参加している大型トラックの保険も停止される。

 カナダでは現在、クラウドファンディング募金サイトと決済サービスは、「Financial Transactions and Reports Analysis Centre of Canada (FINTRAC)」への登録が必要となっている。「GoFundMe」のウェブサイトではFreedom Convoyに1000万カナダドルを調達したが、その後、資金を凍結した。

二年半も強行なコロナ政策でカナダ経済を完全に破壊し、人々の自由を弾圧し続けて来たトルドー政権が、トラック運転手たちの行動がカナダ経済に打撃を与えているとか、どの口が言うのだと言いたい。

政府がすべての武器を持ち軍隊や警察をコントロールしている限り、国民は政府に従うしかない。しかも銀行口座を凍結する権限まで行使しているのだからひどい。

トルドーはトラックドライバーたちの言い分を聞いて、ほんの少しコロナ政策を緩和するだけで事を無事に収めることが出来たのに、この強硬手段をとったことにより、今後の政治生命に多大なる損傷を与えたと思われる。これによってカナダの与党がトルドーに強く挑戦してくれればいいのだが、それに危機を感じたトルドーがさらに強硬手段に出る可能性は高い。

いったいカナダはどうなってしまうのか。

このまま中国や北朝鮮のような独裁社会へと進むのか?それとも今回を機にカナダ人が立ち上がるのか?

私はカナダ人の自由精神に賭けたい。


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簡単に診断書がおりる性同一性障害、実験した女性の体験記

本日発見したこのエッセーは、日本のジェンダークリニックに実験訪問し、性同一性障害と診断されるまでにどのような経過が踏まれるのかを体験した人の話しをしよう。ネタバレ!ものすごく簡単。

こちらがNoteに書かれたエッセー、性同一性障害当事者になりました

著者のみーさんは、自身はレズビアンで、結婚歴もあり数人のお子さんの母親でもある。トランスジェンダーを自認のみで異性として受け入れるべきではないという考えで、特にトランス「女性」の女子空間侵入には大反対している。

愛知トリエンナーレの件で「言論の自由」についての運動に参加したというくらいなので、かなりの左翼らしいのだが、それでも性自認の話をした途端に手のひらを反すように仲間だと思っていた左翼運動家から叩かれ、個人情報をさらされ脅迫を受けるなどの嫌がらせにあったそうだ。左翼ってのは99.9%賛同してても最後の0.1%で意見が合わないと背徳者としてこき下ろすから恐ろしい。

さて肝心のジェンダークリニックでの体験だが、みーさんの話によれば、初回は受付で相談の内容を記入した後、院長と20分くらいの会話で終ったという。しかも問診中院長から、、

いきなり『○○歳?けっこういってるねぇ~!!どこまでやりたいの?胸なら今日でもすぐできるよ!』と言われた。

階段状の絵を描き、胸の上に診断、その上にホルモン治療、RLEと続き、一番上がSRS…といった説明をされる。

これまでの生活史を簡単に聞かれ、まずは問診票を書いてきて、と言われる。
「当院で手術を希望する方のみ診療します」という文書と戸籍変更マニュアルを渡され、20分ほどで終了。

女性にとって乳房除去は重大な手術。いやそれでなくても手術をするとなれば身体も心も十分な準備が必要なはず。それを「今日でもすぐできる」ってどういうことだ?

二回目の診察は一か月後で、もらった問診票をもって来院。別の精神科医との診察とはいえ、問診票に書かれた内容の確認のみで、これといった問診はなく、治療の話を盛んにされたという。乳房除去はホルモン治療より先でも後でも良いとのことで、ともかく家族と職場からの承諾をもらってきてくれと言われて、これも20分ほどで終了。

そして三回目の問診。

さらに1か月後。今日は問診票は、名前や生年月日、出生時の戸籍上の性別、婚姻歴やパートナー・子供の有無、学歴・職業、カミングアウトした人・理解者はいるか、普段の服装(男性・女性・両方)、家族構成、どんな家庭だったか、幼少期・思春期・成年後・現在の服装・恋愛対象など、身体の変化への気持ち、性生活、今後ホルモン治療・手術・戸籍変更どこまで希望するか…といった内容。どの質問も選択式か小さな欄。

待合で待っている時に、受付の方に「前回お胸の話があったと思いますが、そちらはどうされますか?」と聞かれ、「もう少し様子を見てからにしたいので、今日は大丈夫です。」と答える。

1時間ほど待ち、前回と同じ医師の診察。家族と職場の理解は大丈夫です、と言うと、すぐ治療の話に。治療もすべてがいいものなわけじゃなく、デメリットもあるので、説明も受けて下さいね、と言われる。

職場に説明するため診断書が欲しいです、というと、「診断書はすぐに出せるので、帰りに受付でもらって下さい」と言われる。10分ほどで終了。
帰りに受付で診断書を受け取る。発行手数料数千円…。少しお高め?

こうして私は2か月、3回の受診で性同一性障害者の証明をいただくことができました。

私たち反TRAは大昔から、性自認などというものを認めたら、女と自認していると偽ってトランスになりすました男たちによる性犯罪が増えると懸念してきた。だがそういうことを言うたびに、「トランス女性を性犯罪予備軍みたいに言うな」「トランスは性犯罪なんて犯さない」「男性器をもったまま女性施設に入ろうとする奴などいない」などと言われて散々叩かれてきた。

しかし、性同一性障害の診断書がたった三回のそれぞれ20分程度の問診で取得かのうであるなら、性違和を演じるなど朝飯前ではないか。だから性違和の診断書なんか何の価値もないと私たちはずっと言って来たのだ。

それとこの体験談で非常に危惧すべき点は、このクリニックに行った時点ですでに性転換をすることが決まっているかのような対応だ。みーさんの話によると、待合室には保護者と一緒の未成年らしき人達も居たと言う。まさかイギリスやカナダですでに起きているように、未成年へのホルモン治療や思春期ブロッカーなども処方しているのではないだろうな。

だいたいジェンダークリニックのなかに整形手術やホルモン治療が含まれるということ自体利権相反ではないか?クリニックにとっては性転換治療を売るのが目的であり、実際に本人に性違和があるかないかを確かめるなど興味がないようだ。

これは妊娠した女性の相談所という建前のプランドペアレントフッドが、実は中絶手術以外の選択肢など全くない施設であるのと酷似している。最近PPも性転換治療に手を出し始めて来たというが、ビジネスモデルは全く同じなので、さもあらんである。

学習すべきなのは、自分が本当に性違和を持っていると考えている人は、絶対にジェンダークリニックには行ってはいけないということだ。本気で自分の悩みの根本を知りたいと思っているなら、ジェンダーではなく普通の精神科医に診てもらうべきである。

すくなくとも日本ではまだ、性違和を訴える人をトランスジェンダーだと肯定以外してはいけないという法律は通っていない。イギリスやカナダでは精神科医が本人の訴えに疑いをもつことすら許されない段階まで行ってしまった。

どうか日本はそんな狂気じみた政策を追いかけないでほしい。どうかこの悪夢から早く目覚めてほしい。


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