矛盾だらけのトランスジェンダーデモコール

本日弁護士の滝本太郎氏が去年11月にしていたトランスジェンダリズムのデモ行進のコール内容の紹介を見つけたので、その内容についてお話したい。最近仲岡俊弁護士など、トランスジェンダー活動家たちが女性達の懸念を嘘だのデマだの言うのをよく目にするようになったので、実際TRAが何を主張しているか彼等の口からきいてみようじゃないか。写真だと醜いので箇条書きにしてみよう。

@takitaro2

昨日2022.11.12の新宿での、トランスジェンダリズムのデモ行進のコールは凄い。 堂々とここまで言う運動になったのだなあ。怖いです。警戒も更に強くしないといけない。

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あり得ないデモ、@東京トランスマーチ2022,私たちはもう待てないコール

  1. 私の名前は私が決める、私の性別私が決める、私のことは私が決める、私の体は私のもの、My body my choice
  2. ジェンダーをまちがえるな、ノンバイナリーはノンバイナリーだ、トランス女性は女性だ、トランス男性は男性だ、子供の性別勝手に決めるな
  3. 身体で性別勝手に決めるな、性別で役割勝手にきめるな、好きな服をきさせろ、自分は自分、他人は他。違って当然、性別は自分で決めるもの
  4. ヘイトスピーチをやめろ、いないことにしてほしくない、レベルだけじゃなく私をみろ、トランス差別を許さない、性暴力をゆるさない、性差別をゆるさない、
  5. セックスワーク差別をゆるさない、障碍者差別を許さない、部落差別をゆるさない、人種差別をゆるさない、あらゆる差別を許さない
  6. 特例法を修正しろ、年齢要件あり得ない、非婚要件あり得ない、子なし要件ありえない、竿なし要件ありえない、手術要件ありえない、外観要件ありえない、
  7. ゲートキーピングありえない、性別変更要件粉砕、ホルモンに保険を適用しろ、今すぐ差別を禁止しろ、結婚の自由を全てのひとへ、制度を人間にあわせろ
  8. 生きてるうちに法律変えろ、いきてるうちに医療を変えろ、いきてるうちに差別をやめろ、今、トランスに人権を!私たちに人権を!トランスの権利は人権だ、Trans rights are human rights!

とまあこんな具合なのだ。一つ一つにコメントしようと書き始めたのだが、全体的に共通している要求は、当人が主張する(自認する)方の性別を無条件で認めろというもの。1番、2番、6番、7番がそれにあたる。そして4番は、これらの要求に対しての他人が異論を述べることをヘイトとして規制するというもの。つまり、TRA弁護士の仲岡しゅんが存在していないと言っていた性自認至上主義である。ひとつだけ異質なのが5番の売春合法化の訴えである。これについては後で述べよう。ではこれらの要求とこれまでTRAが言って来たこととの矛盾点をいくつか指摘したい。

先ず一番だが、もし自分の性別を自分で選べるのであれば、なぜTRAが常に言っている生きずらい方の性別を選ぶ必要があるのだろうか?トランスへの差別がそんなにひどいなら、トランスにならなければいいのではないか?男に生まれたら普通に男で生きればいい。趣味で女装するのは違法ではない。他人の迷惑になりさえしなければ、どんな生き方をしようと誰も咎めはしない。自分で性別を選べるなら、一番社会との亀裂のない方の性別を選べばいいではないか?

また自分の性別を自分で選べるなら7番のホルモン治療への医療保険適用もおかしい。医学的に必要がないのに自分で選んで受ける治療に保険は適用外だ。美容整形に保険が効かないのと同じだ。また、3番の身体で性別を決めるなという要求にしても、身体で性別が決まらないなら、自分は異性だと思ったとしても体を異性に合わる必要はないはずだ。自分は男の体を持った女なのだと思って生きていけばいいだけの話。身体と心が不一致でもいいのであれば、性適合手術などというものも必要ない。必要でない手術に保険を適用させる必要もない。

それから2番の子供の性別を勝手に決めるな、だが、我々は子供の性別を勝手に決めているのではなく、生物学に沿った定義に従って決めている。子供の気まぐれを本気にして一生涯治療の必要な薬で子供を不能しにているTRAの方がよっぽども勝手に子供の性別を決めつけていないか?

それからこれはよもぎねこさんがおっしゃっていたのだが、もし性転換治療をしないことで性違和を持った子供たちが皆自殺するというのなら、大人のトランスジェンダーなど存在しないはずだ。60歳まで普通に男として生き妻子もあるのに、自分はトランスジョセーだと言い出す人間が存在するのは不可能である。

最後に5番のセックスワーク差別をやめろ、という項目。これはトランスジェンダーと売春が密接に関係があることを示すものだ。しかし売春は違法だ。その違法行為への差別をやめろとはどういう意味だ?警察に売春摘発をやめろというのか?だったら遠まわしな言い方はやめて「売春を合法化しろ」と言えばいいではないか?しかし売春合法化によってトランスジェンダーの人びとが救われるのか?

私は前々からトランスジェンダーが殺人の犠牲者になる状況として、売春時に客から暴力を受けることが多いと指摘してきた。売春は非常に危険な行為であり、そんなものを合法化してトランスジェンダーに売春を推進するなど、本当にトランスジェンダーの身を案じている人々が言うべきことではない。

こうして読んでみるとよくわかるが、トランスジェンダー活動は決して性同一性障害(GID)の当事者の立場に立ったものではなく、活動家に扇動されて不可逆的な治療を受けてしまった人々のためでもなく、単に活動家たちの特権を得たいがためだけにある活動だということがわかる。


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ミス・サイゴン、今も昔も変わらない現地妻の悲劇、蝶々夫人との共通点

ネットでブロードウェイお芝居を観られるフロードウエイHDの無料視聴期間が7日間あるので、その間にこれまで観たくても観られなかった有名何処のミュージカルを毎晩観ることにした。昨晩観たのはかの有名なミス・サイゴン25周年記念上演版。初演は1989年にイギリスのウエストエンドで公開された。当時、ベトナム人と白人との混血エンジニア役を白人のジョナサン・プライスが演じたといってちょっと批判されたりしていた。初演で主役のキムを演じたリー・サロンガはウエストエンドでもブロードウェイでも大スターになった。日本でも劇団四季が市村正親主演の初演以来、何度も上演されている。

私にはミュージカル大ファンの親友が居るが、彼女は押しの俳優さんを追って、このお芝居は何十回と観ていて、前々から薦められていたのでとても楽しみであった。しかし私が思っていたのとは違う筋でちょっと意外だった。

あらすじ ネタバレあり

舞台は1975年4月、ベトナム戦争末期、文字通りサイゴン崩落前夜から始まる。エンジニアが経営する売春宿に米軍GIのジョンとクリスが遊びに来る。ジョンは女遊びには気乗りのしないクリスのために店に入ったばかりの処女キムを買い与える。最初は乗り気ではなかったクリスもキムの清純な魅力に魅かれ、キムもまたクリスのやさしさに魅かれて二人は一夜にして恋に落ちる。

しかしベトナムはすでにアメリカ軍撤退は避けられない状態。南部のベトナム人たちはサイゴンが北郡に占領される前にアメリカに逃れようと必死にアメリカ大使館の周りに集まっている。当時の様子はアメリカ軍が残していく武器を北郡に取られないようにどんどん破壊していく映像がテレビでも流れていた。特にヘリコプターが海に落ちる動画は有名だ。

そんなどさくさの中で、クリスは一日だけ休暇をもらってキムと結婚しキムをアメリカに連れて行く手続きもするが、動乱のなかキムを迎えに行けず、大使館の前まで来ているキムと連絡も取れず、クリスはそのままキムを残して帰国せざる負えなくなる。

三年後、すでにアメリカで再婚していたクリスは友人のジョンからキムが生きており自分には息子がいることを告げられる。今まで隠していた事実を妻にすべて打ち明け、クリスは妻のエレンと一緒にキムと息子がいるバンコックへ向かう。

クリスの友人ジョンからクリスがバンコックへ来ていると知らされたキムは、クリスが自分を迎えにきてくれたと早合点。ジョンの説明も聞かずにクリスが泊っているホテルに行く。そこでキムに会いに行ったクリスと入れ違いになってしまい、キムはエレンの口からクリスが再婚していた事実を知る。

狂乱したキムはエレンに自分の子供をアメリカに連れて行って欲しいと嘆願。キムの息子愛に心打たれたエレンはそのことを帰ってきたクリスに告げ、ジョンとエレンはキムと息子に会いに行く。

キムはクリスとエレンに子供を頼むと言って息子を引き渡すが、自分は奥の部屋に戻ってクリスが護身用にと昔キムに渡した銃で自殺をしてしまう。

あらすじ終わり

ちょ、ちょっと待ってよ、これってまさにプッチーニのオペラ、マダマ・バタフライ(蝶々夫人)じゃない!最後に女が自殺するところまで筋がそっくりだ!それもそのはず、なんとこの話、原作は蝶々夫人だったことを検索して知った。

作品名ミス・サイゴン
作曲クロード=ミシェル・シェーンベルク
作詞アラン・ブーブリル、リチャード・モリトビーJr
原作プッチーニのオペラ『蝶々夫人』
Musical Classicaより引用

この作詞作曲のコンビは、かの大作レ・ミゼラブルも手掛けた名コンビ。しかしクラッシック風のレミゼとは対照的に、ミス・サイゴンは非常にジャズ的な要素が高い。

話の大筋はこんなところで、主役はキムとクリスだと思いがちだが実はそうではない。この話の主役はなんといってもサイゴンで売春宿を経営していたエンジニアである。エンジニアが本名ではないのは当たり前だが、この男の素性は怪しげでよく分からない。だが頭がよくて機転が利き、どんな状況でも生き延びる手段を持っている。

売春宿で平気で女を殴る嫌な奴だが、どうも憎めない。内戦状態が何円も続いていた貧しいベトナムで、売春以外に貧乏人の子供がどんな生き方があったのかと言われてしまえば何とも言えない。この芝居が上演された時、女性蔑視だとか人種差別だとか色々言われたそうだが、ベトナム戦争中の売春宿が舞台なのだ、批評家たちは一体何を期待していたのだろうか?

エンジニアはキムの混血児を使って自分はキムの兄と言うことにしてアメリカに渡ろうと企み、アメリカで一旗揚げようとアメリカンドリームを唄う。私はこのミュージカルで知っていた歌はこれだけ。以前に市村がこれを唄ってるのを聞いたことがあった。彼の場合は踊りもうまいので非常に面白い演技になっていたが、今回のジョン・ジョン・ブライオネスの演技と歌は素晴らしかった。この役柄が憎めないのは彼のコミカルな演技にあるのだろう。

ブライネスが何処系の人なのかはわからないが、私は実際にこういうグリースィ~なベトナム人男を何人か実社会でみたことがある。ポマードべとべとの黒髪を後ろにすいて、派手な上着を着て金の鎖をじゃらじゃら首にかけて高級な腕時計をしている場末カジノの支配人といったかんじ。エンジニアならきっと難民キャンプからなんとか逃れてアメリカへわたり、きっとカリフォルニアのポーカーパーラーかなにかを仕切っていることだろう。

もう一人主役以外に私が気に入ったのがキムの元許嫁で後に北軍の指揮官になるトウィ役のカン・ハ・ホング。この役はいつでも感情的で暴力的なのだが、ホングはその感情を良く表し。その美しい声で歌い上げる。悪役なのだが、かなりの男前で惚れてしまった。

さて、この外国から来た男が一時的に滞在した地で地元女性と関係を持ちながら女を置いて去って行ってしまうというテーマは万国共通で昔からよくある話だ。また、戦争中に戦地にいた兵士との間に子供が出来る女性というのも珍しい話ではない。第二次世界大戦後に米兵相手に売春をして混血児を産んだ女性はいくらもいた。そして混血児を育てられない親たちによって捨てられた子供はいくらもいたのだ。

この芝居の中でも、第二部はクリスの友人ジョンがベトナムに置き去りにされた米兵と現地妻との間に出来た子供をアメリカに呼び寄せようという活動をしている。アメリカは世界中に出兵しているから、こういう子供は諸外国に数えきれないほど居るんだろうな。

無論クリスは好きでキムを置き去りにしたわけではない。アメリカ軍撤退の動乱のなか、ベトナム人女性一人と何とか脱出するなどそう簡単に出来たわけではない。ベトナムとアメリカの間は険悪であったから、その後置いてきた人を探し出すなどということも困難だったのは当然のことだ。それでも罪悪感にさいなまれるクリスの力になったのが妻のエレンである。彼女もまたクリスが抱える苦悩に気付いて苦しんでいる。

アメリカにはベトナム人難民が沢山いるが、ここで私の実体験をお話しておこう。1980年代初期の話だが、職場付近にあったレストランで昼食を取っていた時、仕事関係で知り合いの男性が女性と食事をしているのを見かけた。その人は中小企業の社長さんでその時もピシッとした格好をしていたが、一緒にいた東洋人の女というのがおよそ彼のような人にはふさわしくない女だった。着ている服は体にぴったりしたミニドレス。胸の半分がさらけ出されるようなローカット。しかも化粧がゴテゴテの厚化粧。場末のキャバ嬢でもあんな恰好はしないというような下品な感じのする女だったのだ。その話を後で職場の同僚にしたら、「あ、あれはあの人の奥さんだよ。ベトナム駐在の時に出会ってこっちにつれて来たんだってさ」と言われてびっくり仰天。ベトナムの繁華街で勤めていた現地妻を本当にアメリカにつれてきちゃったのか、そんな男が本当に居るんだ!そう思って私は奥さんの恰好が下品だなどと蔑んだ自分が恥かしくなった。

配役:

Jon Jon BrionesThe Engineer
Eva NoblezadaKim
Alistair BrammerChris
Kwang-Ho HongThuy
Tamsin CarrollEllen
Hugh MaynardJohn
Rachelle Ann GoGigi
William DaoTam
Paul Benedict SarteTam

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アメリカ人の大半はトランスジェンダー概念を拒絶している

ワシントンポストの世論調査によると、アメリカ人の大半はトランスジェンダリズムを拒絶しているという結果がでた。以下デイリーコーラーの記事から。

この調査は2022年の11月10日から12月1日かけて行われたもの。

  • 性別は生まれ持ったものかという質問に対しては、57%が生まれ持ったものと答え、43%が生まれた時の性とは違うことがあると答えた。
  • 65%から71%は住宅や医療や保険や仕事などでトランスジェンダーが差別されるべきではないと答えた。
  • 68%が10歳から14歳への思春期ブロッカー投与に反対と答えた。
  • 58%が15歳から17歳へのホルモン投与に反対と答えた。
  • 学校教育ではジェンダーについて学校で教えるについては、小学校三年以下対象の場合は77%,4年から5年は70%、中学生では52%、高校生では36%が反対と答えた。

私個人の意見では、結構トランスジェンダリズムを受け入れている人が多いように思うが、確かに過半数よりずっと多くのアメリカ人がトランスジェンダリズム概念を受け入れていないことは確かだ。

これだけ毎日、トランス、トランスとメディアやバイデン政権が大騒ぎしているにもかかわらず、大半のアメリカ人が拒否しているというのは確かに興味深い。

記事内で紹介されていいる回答者のコメントも聞いてみよう。

「最初は私は受け入れる側でした。代名詞をつかったりとか。なぜって私はお互い優しくありたいと思ったからです。このことで人々が争ってほしくなかったから。」アリサ・ウェールスさん29歳のセラピスト。「私が心配なのは主に子供たちのことです「一定の歳に達しなければ選挙で投票もできません。煙草も据えません、お酒も飲めません。なのに身体は変えられるとというのは、いいことだとは思えません。」

「(ジェンダー教育について)そんなことを若い人たちに教えたからと言っていい仕事を得たり、いい結婚相手を見つけるのに役立ちますか?」バレリー・ジョンソンさん67歳。「まだ人生経験もない子供たちにそんなこと教えて何になるんですか?」

「(スポーツについて)トランスウーマンは有利です。砂に頭を突っ込んでそうじゃない振りをしてる場合じゃありません。」アメリ子ロペズ「トランスウーマンは絶対有利です」

というわけで結構常識的なコメントばかりだ。

これまで多くのアメリカ人はトランスジェンダーというのは性違和のある差別されている気の毒な人たちというイメージを持っていたかもしれないが、子供の性転換手術だのホルモン治療だの、義務教育における行き過ぎたLGBT授業や、女装男による女子競技参加などがどんどん取りざたされるにつれ、トランスジェンダリズムの化けの皮が剥がれて来たのかもしれない。

日本でもトランスジェンダー活動家たちが、差別禁止法が通ったからと言って女湯に男がはいってくるようになどならないと必死に嘘をついていることことから考えて、日本の人びともどこかおかしいと思い始めているのではないだろうか?特にジェンダーのためという言い訳で男女共同トイレがあちこちに設立され、女性トイレが消されていく現状を目の当たりにして、ジェンダー概念とは女性を犠牲にする概念なのではという疑問が人々の間に生まれているように思う。

トランスジェンダリズムは暗闇でのみ動き回る害虫のようなものだ。日の光に照らしてその醜さを暴露していこう。


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トランスジェンダー活動家が言う差別とは何か、LGBT差別禁止法が通る前に知っておきたいこと

LGBT理解増進法だの差別禁止法だのの推進者は「差別はいけないということには誰もが同意できるはずだ」という。しかしそれは彼等のいう差別とはいったいどういうものなのか、先ずそれが解らなければ「差別やいけない」という出発点にすら立てない。ましてや差別をなくすための法律なんて議論できるわけがない。この法律を通すことで、日本社会はどう変わるのか、具体的にどんなことが違法とされるようになるのか、先ずその点から考える必要があるのだ。

都合よくツイッターでトランスジェンダー活動家が何を「トランス差別」と見なすのか、その項目を翻訳してくれた人がいたので紹介したい。訳はハラキリムシさん(@harakirimushi)。そしてこちらが元記ツイートのリンク。

近年トランス活動家によって悪しきトランス差別だと認定された例を挙げます。(訳者注:ここでの「女性/男性」は自認の性ではなく生物学的性別を意味します)

  • 女性障害者が、身体のケアを女性のケアラーに依頼すること
  • DV被害や性的暴力の被害女性が、女性のみの心的外傷のグループセラピーを望むこと
  • 女性が「シス」「女性器のある身体」「出産可能な人」という呼称を拒否すること
  • 女性が女性のみの更衣室や病室、トイレを望むこと
  • 同性愛者が異性を排除すること
  • 女性受刑者と男性受刑者、特に性犯罪で有罪になった男性が、同じ監房で服役させられることに異議を唱えること
  • レズビアンのサークルに紛れ込んで肉体関係を持とうとする男性を拒絶すること
  • デトランジション(訳注:性別移行医療を受けた後に元の性別に戻ること)経験者が自らの経験を語ること
  • 「女性」という言葉には男性は含まれないと主張すること
  • 「女性用スペース」を男性が使ってはいけないと主張すること
  • 全般的な安全について、そして先進的な治療について、子供与える影響を懸念すること ・公平で公正な女性スポーツ ・男性は女性になれないと言うこと
  • 女性が性暴力について話すこと
  • 女性がオートガイネフィリア(訳注:ググって下さい)について話すこと
  • 女性が妊娠/授乳/生理について討論する場を男子禁制とすること
  • 例えその男性が性犯罪者や小児性愛者であっても、男性に対して女性の代名詞で呼ぶのを拒否すること
  • 上記の問題点について、女性が話し合うこと。

次はトランス活動家がより良い世界の実現のために推奨している事例を挙げます

  • あらゆる場面において「自認の性」を生物学的性別より優先すること
  • 女性だと宣言した男性は女性になれて、女性スペースも利用できること ・大勢の子供を医療行為の対象とすること ・意見の異なる女性に対し、性暴力、個人情報の暴露、殺害、職場への凸電で脅迫すること
  • 公共の場で意見を表明する女性に対し、殴る蹴る、液体をぶっかけ、大勢で襲い掛かること
  • 女性の集会が室内で開かれている時に、窓を叩いたり発煙筒を投げ込んだりして女性を怯えさせること
  • 女性自認の男性が性器などを露出させて女性や子供にに見せても、見せられた方に「見ちゃダメ」とたしなめること
  • 男性同性愛者を、女性を性愛の対象としないことを理由に “f*g” という侮蔑語で呼ぶこと
  • 女性同性愛者を、男性を性愛の対象としないことを理由に “TERF”と呼ぶこと
  • 自らの権利の為に立ち上がる女性をジェノサイド支持者と呼ぶこと
  • あらゆる局面で女性を非人間的なものとして扱うこと
  • 男性の方がより女性らしい女性になれると主張すること
  • 女性のために用意された賞、奨学金、就労枠などを男性が受け取ること
  • 絶え間なく女性を侮辱し、攻撃することで女性を黙らせること』

こうしてみると、女性がプライバシーや安全を求める行為はほぼ全面的に差別だということになる。つまり女性の尊厳を守ること自体が差別だというのである。そして彼等が求める世界とは性自認至上主義だ。

いみじくも女装弁護士の仲岡しゅん氏は本日ツイッターで、『かなり多くのトランス当事者から、色んな類いの相談を受けてきたつもりですが、 巷で言われている「性自認至上主義」なんて主義主張、まず誰も知りませんよ。 「性自認至上主義が~」と言い出す人を見かけたら、 ネットで”真実”に目覚めてしまったタイプの人だと思ってもらってまず間違いないです。』

聡明なる読者諸氏はもう嫌というほどこの性自認という言葉を聞かされてきたことだろう。我々は整形手術は愚かホルモン治療もしていない男たちが自分は女だと言い出しただけで女子空間に土足で上がり込んで来るのを、もう何年もみてきた。仲岡しゅんほどの活動家が諸外国で何が起きているか知らないはずはない。日本もあのようになるべきだというなら、言葉こそ使わなくても日本も性自認至上主義を歓迎すべきだと言っているのと同じことだ。活動家ではないトランス当事者がその言葉を知っているかどうかは全く意味のないことである。ましてやあたかも性自認概念を我々反対派が作り出したかのように語るとは本当に活動家のやり口は汚い。

よもぎねこさんもおっしゃっていたが、トランスジェンダー活動家は性同一性障害を病む人々とは全く無関係であり、彼等の目的はトランスジェンダリズムを武器として社会を独裁することにある。GID患者は体の良い道具であり、それによってGID当事者がどれだけ犠牲になろうとTRあには全くどうでもいい話なのだ。

こうして彼等の本音が解った以上、LGBT法案には断じて反対である。


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ヘンリー四世とマイ・プライベート・アイダホ、リバー・フェニックスとキアヌ・リーブスの熱演

ずっと観たいと思っていた1991年公開の映画、My Own Private Idaho(マイプライベートアイダホ)を昨晩観た。私は映画の概要についてリバー・フェニックスとキアヌ・リーブス演じる二人の同性愛カップルがフェニックスの演じるマイクの母親を探しながらアメリカ中を旅してまわる話だと聞いていた。私は昔萩尾望都や武宮恵子の少年愛漫画の延長で、若く美しい少年たちの純愛物語は好きだった。当時s素晴らしく美しかったリバーとキアヌのコンビなら、さぞかし美しい映画だろうからいつか観てみたいと思っていた。それともうひとつ興味をそそられたのは、ミスター苺から、この映画には終わりの方でシェークスピアのヘンリー四世のシーンが突然出てくると聞いていたことだ。二人の少年の冒険の旅とヘンリー四世がどう関係があるのだろう。これは非常に興味深い映画だと期待していた。

しかし実際に観てみると、この映画は二人の美しい少年たちの純愛物語などというものでは全くなかった。現実はもっと汚らしく厳しいものだった。この先は筋を負いながら感想を述べるので、まだ観てない人は観てからお読みになることをお薦めする。

以下ネタバレあり

映画の冒頭で、マイクはアイダホのまっ平な高原を一直線に進むハイウェイの道路上に立っている。もっているのはバックパックだけ。そしてマイクは何かの発作に襲われバックパックの上に倒れこむ。

そして場面はポートランドへ移る。主役のマイク(フェニックス)は街頭に立つ男娼である。ストレスが貯まるとその場で寝てしまうという持病の持主。アイダホの田舎で貧乏で複雑な家庭に育ち、15~6歳の頃に家出をして今ではオレゴン州ポートランド市とワシントン州のシアトルを行ったり来たりして、街頭に立って売春や盗みなどをしてほぼホームレスの生活をしている。彼の男娼仲間で親友のスコット(リーブス)は、実はシアトル市長の息子で金持ちのボンボン。にもかかわらず父親に反抗してか、丘の上の豪邸から下町の街頭へ降りて来てふしだらな生活を送っている。

この物語の主人公は無論マイクなのだが、この映画はマイクとスコットという二人の別々の物語が描かれている。この映画は全く異なる二人が一時的に接点を持った時が舞台となっているのだ。だからこの二人がどれだけ親しい間柄であろうとそれが長くは続かないであろうことは、感情に満ちたマイクのふるまいとは対照的にスコットのやたらに冷静な態度に現れている。スコットは突然眠気に襲われて意識を失うマイクのことを常に優しく面倒を診ているのだが、それは愛情というものではない気がする。

この二人には他にも何人か男娼仲間がおり、中年男のボブ(ウィリアム・リチャード)が少年たちのリーダー格となり、大きな空き屋敷にたむろしている。この状況はディケンズの小説オリバーに出てくるファニガンと盗み集団の少年たちを思い出させる。ボブは明らかに少年たちを食い物にしているのだが、少年たちは何故か彼を慕っている。特にスコットとボブの間に肉体関係があったことは確かで、ボブがスコットに男娼としての手ほどきをしたのかもしれない。

スコットの家が金持ちであることは皆知っており、特にボブはいずれスコットが21歳になり自分の金を自由に使えるようになったら、今まで世話をしてきた自分に恩義を覚えたスコットがなにかしら面倒みてくれるものと期待している。しかしスコットが同じ気持ちでないことはあきらかだった。

「俺は21歳になったらこの生活からは立ち去るよ。俺の母さんも父さんも俺の極端な変化に驚くだろう。二人はドラ息子だと思ってた俺が実はよい息子だったのだと知って感心するだろう。すべての悪行が死んだように捨て去られるのだ。俺は彼等がもっとも意外な時に変わるんだよ。」

スコットはそう言ってボブに警告する。しかしボブはこの時点ではスコットの言葉を信じない。きっと何か仕事を世話してくれると独り言を言うのだ。この場面の二人のやり取りは非常に舞台的でシェークスピア戯曲の一場面を思い起こさせる。実は私は昔からキアヌ・リーブスの演技は平坦で起伏がないと思っていたのだが、実は全くそうではなく、不自然に大袈裟なのだということに気付いた。しかしそれは彼が演技力に欠けるからではなく、この大袈裟な演技は明らかにそういう演出になっているのだ。この芝居がかった大袈裟な演技は後々の二人の関係を示唆する伏線となる。

さて肝心のマイクなのだが、何かしら将来の計画を持っているらしいスコットに比べ、マイクにはまるで目標というものがない。映画は男娼という底辺に生きる若者たちが、どんな荒んだ生活をしているのか、その毎日を淡々と描く。少年たちは若い男子特有の美しさを持っているのだが、その若さと美しさを売春という生き方で完全に浪費してしまっている。この子たちには希望が見いだせない。この少年たちの行きつく先がぶよぶよに太って子供たちを手下にして盗みを働いたり物乞いしているボブなのだと思うと、なんと空しい人生なのだろう。

しかしそんなマイクにも、幼い頃に生き別れた母親にもう一度会いたいという願いがあった。そこでマイクはスコットと一緒にアイダホの兄リチャード(ジェームス・ルソ)の元へ向かう。途中で乗っていたバイクが故障し、二人は野宿をするが、焚火の前でマイクはスコットに友達以上の関係になりたいと求愛する。スコットは男娼をしているにもかかわらず男同士の恋愛には興味がないことをマイクに告げる。スコットはマイクに同情して彼を抱擁するが、マイクの求愛を受け入れたわけではない。ここでもスコットの今の生活に対する冷たさが感じられる。

兄の元で話をするうちに、実は兄のリチャードが自分の父親でもあり、マイクはそのことを知っていると兄に告げる。兄は仕方なく母親がラスベガスかどこかの高級ホテルでメイドをしていた時に送ってきた絵葉書を見せる。それを手がかりに二人はホテルへ向かうが、すでに一年前にホテル辞めてイタリアに渡ったことを知る。

ここで二人は以前にシアトルで出会ったゲイのドイツ人男性ハンス(ウド・クラ―)と再会する。この男性の演技も非常に興味深いのだが、映画ではところどころに男娼を買う中年男たちの変態的なフェティッシュを混ぜて来る。例えば映画の最初の方でマイクを自分の家に連れて行ってメイドの恰好をさせて流しの掃除をさせた男とか、ホテルの置きランプを持ちながら踊るこのドイツ人男性とか。こういう描写があるので、男娼の生活を描いているにもかかわらず、さほど悲惨さを感じない。

ハンスにバイクを売り、そのお金で二人はイタリアへ行く。しかし母が居たというイタリアの田舎家に行ってみると、そこにいた若い女性カルミラ(キアラ・カゼッリ)は、彼女はもうだいぶ前にアメリカに帰ったと告げる。この家に数日間世話になっているうちにスコットはカルミラと恋仲になってしまい、マイクのことはあっさり捨てる。スコットはマイクに帰りの航空券といくらかの現金を渡し、自分はカルミラと🚖タクシーに乗って旅立ってしまう。

ローマにもどったマイクはそこでまたイタリア人相手に売春をするが、そのうにポートランドに戻って再びボブらと一緒に路上生活を始める。そんなある日、高級レストランに高級車で乗り付けた立派なスーツを着たスコットと見違えるほど洗練されたカルミラと取り巻きの姿をマイクたちは見かける。

ボブはこの時を待っていたとばかりに場違いな高級レストランへと入っていく。なかには唖然としてスコットを見つめるハンスの姿もあった。ボブはスコットに近づくと、「俺だよ、ボブだよ、スコット!」と親し気に声をかけるが、スコットは振り向きもせずに後ろを向いたままこんなことを言う。

「老人よ、私はあなたを知らない。放っておいてくれませんか。I don’t know you old man. Please leave me alone. 」

なるほどこれがミスター苺の言っていたヘンリー四世の。

「老人よ。余はそなたを知らぬ。I know thee not, old man.」

のセリフだなと察しがついた。

ここでのスコットのセリフはやはり非常に芝居がかっている。

「老人よ、私はあなたを知らない。放っておいてくれませんか。私が若く、あなたが私の路上の先生で私の悪い行動の先導者だった頃から、私は変わるつもりだった。私のサイケデリックな元先生、私にはあなたから学ぶ必要があった時があった。亡くなった父よりあなたを愛しているが、私はあなたに背を向けねばならない。背を向けた以上、元に戻ることがあるまで、私の傍に近づかないでくれ」

I don’t know you old man. Please leave me alone. When I was young and you were my street touter and instigator for my bad behavior, I was planning a change. There was a time when I had a need to learn from you, my former psychedelic teacher.Although I love you dearly more than my dead father, I have to turn away.Now that I have until I change back don’t come near me. “

さてここでヘンリー四世とこの映画との共通点を説明する必要があるだろう。これはシェークスピアの有名な戯曲の一つだ。イギリスの国王ヘンリー四世には悩みがあった。お世継ぎのハル王子は皇太子と思えないほどの放蕩息子でごろつきと評判の悪い中年太りのフォルスタッフとその仲間たちと飲んだくれの生活を送っていた。

中間は色々あるが、それは飛ばして、ハル王子はフォルスタッフとギャングたちと自堕落な暮らしをしていたとはいえ、いずれ父親の亡きあと自分が国王になるのだという自覚はあった。それでフォルスタッフが何と言おうと、自分が国王になった暁にはフォルスタッフを特別扱いするようなことはないと警告していた。

そしてついに父親が亡くなりハル王子はヘンリー五世となる。立派な王となったヘンリーの元に現れるのがフォルスタッフである。ここで「老人よ、余はそなたを知らぬ」というセリフでこのシーンが始まるのだ。

王となったヘンリーには責任もある。皇太子として好き勝手に暮らしていた頃の友人をそのまま傍においておくわけにはいかない。そんなことをしたら周りに示しがつかないからだ。

ハル王子とスコットの共通点は、二人とも自堕落な放蕩生活をしているときでさえも、実はその生活は自分の本来の姿ではないのだと知っていることだ。そしていつでも自分は好きな時にこの生活から立ち去ることが出来ることもしっている。そこで知り合ったひとたちと自分は住む世界が違う。だからいつか自分はこの生活ともこの愛すべき人びととも別れる時がくるのだと。

だからスコットは十分路上生活を楽しんでいるようであっても、路上の人びとと心底心を許す関係にはならなかったのだ。ストレートでありながら男性との性交渉をしても、それは本当の自分ではないと思っているからこそ平気な顔をしていられたわけだ。

だがマイクは違う。マイクは本気でスコットを愛していた。だから彼に捨てられたことはショックだった。だがだからと言ってマイクにはその後違った人生を歩む選択肢がない。一人旅をしていても、ハイウェイの真ん中で眠りこけてしまう。そんな彼にどんな未来があるのだろうか?

そして画面は冒頭のアイダホのハイウェイに戻る。意識を失っている五マイクの傍を一台の車が通りかかるが、車から出て来た男二人はマイクのバッグと靴を盗んでそのまま走り去ってしまう。そのまま置き去りにされるのかと思いきや、次にやってきた車の運転手は、意識のないマイクの体をひきずって車に乗せて走り去る。

意識のないマイクはどこへ連れていかれるのだろうか。


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黒人至上主義者のプロパガンダ、クレオパトラは黒人という嘘

ノ、ノ、ノ、クレオパトラは黒人じゃない。だれが何と言おうと絶世の美女とうたわれたクレオパトラ7世は断じて黒人ではなかった。何を突然いい出すのかって?実は最近公開されたネットフリックスの「ドキュメンタリー」と称するフィクションでクレオパトラをイギリスの黒人女優が演じており、番組の中でもクレオパトラがアフリカ系黒人だったという話をまことしやかにしているからだ。これが単なるドラマとかであれば、まあ、架空の話でるからそれはそれでもいい。それでも私は歴史上の人物はなるべくそれに見合った俳優を起用すべきだと思うが、まあ、それはいいとしよう。問題なのはこれがドキュメンタリーであるとうたわれている点。これでは多くの日が彼女に対して間違ったイメージを持ってしまう。

彼女の人種は割合はっきり知られている。彼女はエジプトの女王であり、当時のエジプトには文字があったので、彼女のことは代々の家系図ではっきりと記されているからである。それによれば、クレオパトラはエジプトの女王ではあったが、今エジプトに住むアラブ人の系統ではなく、マセドニア人(今でいうギリシャ人)で、いくらかペルシャ人(今のイラン人)の血が混じっていたことがわかっている。

また保存されているエジプト王たちのミイラからわかったDNA調査でも、昔のエジプト人は地中海のヨーロッパ人に近いことが確認されており、アフリカ系の血は混じっていないことがはっきりしている。

クレオパトラは女王であったから彼女の肖像は壁画や銅像やコインなども多く残っており、もし彼女がアフリカ系黒人であったならそのように描かれたものがあってもいいはずだ。だが、そのような肖像はひとつも残っていない。どれをみても、彼女は彫りの深い鼻の高い美女として描かれている。女王だから実際より美しく描かれていたとしても、彼女が黒人だったなら誰か一人くらいはそう描いていたはずだ。

確かにエジプトの壁画はヨーロッパの彫刻のように写実的ではない。しかしそれでも違う人種はそのように描写されている。例えば下記の壁画だが、肌が黒いのはさることながら、髪の毛の質や顔立ちなど明らかにアフリカ系黒人と解る描写がされている。アフリカ系黒人を描いた壁画。

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リンク先をクリックすれば大きい絵がみられる。クレオパトラはこのような描写にはなっていない。下記は複製だが、大抵こんな風に描かれている。どうみても上の黒人たちとは全く違う描写である。

  • Cleopatra

またクレオパトラは2年間ローマに住んでいたことがあり、その頃もっと写実的な彫像を作る傾向にあったローマで彼女の彫像が作られており、どれも白人女性の顔で描かれている。

ローマ人であるジュリアスシーザーやマーク・アントニーなど当時のマセドニアやローマの人びとが彼女を絶世の美女と考えたわけだから、彼女は当時の美女の標準に達している必要がある。こういっては何だが、当時の人たちがアフリカ系黒人女性を美女だと思ったとは考えにくい。

下記の動画では、彫像や肖像画を元にクレオパトラはどんな顔だったのかを再現したものだ。クレオパトラは赤毛で描かれていることが多いので、もしかすると赤毛だったのかもしれないとビデオの制作者は言っている。

何にしても彼女が白人だったことは間違いはない。にもかかわらず何故一部の黒人の間でクレオパトラは黒人だった説がまことしやかに語られるのだろうか?

私はこれは最近始まった黒人至上主義が原因だと思っている。

近年イギリスやアメリカでは黒人による歴史的貢献を古代評価する傾向がある。私は大学時代にアフリカの歴史を少し学んだことがあるが、お世辞にも文明開化の社会ではなかった。アフリカにはエジプトや中国のような古い文化はなく、巨大な部族はあったとはいうものの、立派な建築物も残していない..若干アフリカ大陸北部にはアラブの影響で古い建物は残っているが、それにしたってアフリカ人が建てたわけではない。

つまりアフリカには世界の文明に貢献したようなものは特にこれと言ってないのだ。

それが気に入らないのがアメリカやイギリスに居る黒人至上主義者たち。何とか自分らにも高貴な歴史があったと思いたいばかりに歴史を書き換えてしまうのである。例えばヨーロッパ人がアフリカに来てアフリカに合った帝国を滅ぼしたとか。

そして今回のようおにクレオパトラは黒人だったとか言い出したわけだ。そんなことをしても、エジプトを支配していたのがマセドニア人だったことに変わりはないのに。

最近何かというと元々白人のキャラクターをやたらと黒人が演じることが多くなったのも、この黒人至上主義のせいだ。イギリス宮廷の王女を実際とは正反対に色の真っ黒な女優が演じたり、ディズニーのリトルマーメイドやティンカーベルやピノキオの青の妖精など、白人としてのイメージが定着しているキャラクターをこれでもかというほどイメージの違う女優にやらせている。はっきり言ってこれには悪意しか感じない。

イメージが違いすぎると苦情を言っていた人たちをレイシストと言って罵倒していた人たちが、先日発表されたハワイ原住民を主役にしたリロとトゥイッチの配役が発表されると、俳優たちは皆太平洋諸島出身であるにもかかわらず、アニメキャラより色が白すぎるとものすごい批判を浴びせた。何故白人は全くイメージの違う黒人が演じてもいいのに、非白人だったら肌の色がちょっと白目程度でそんなに怒るのだ?ダブルスタンダードもいい加減にしてほしい。

リロとトゥイッチの配役とアニメキャラ。

Image

以前に日本人でハリウッド俳優として活躍している男性が、マイノリティーはマイノリティーが演じるべきだと言っていたので、じゃあ黒人が白人を演じるのはどう思いますかと質問したが完全無視されたのを思い出す。

クレオパトラが黒人だった可能性はゼロだが、現代に生きるハワイ諸島の人びとに白人の血が混じっているのはよくあること。だからこれらのキャラクターがアニメで描写されているより多少色白であることなど大した問題ではないはずなんだが。何故か人種スワップは一方通行らしい。


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お爺ちゃん日記③(2021年6月ー7月)

6/3/21

朝7時、台所で緊急事態発生。食パンが切れてたあ~!お爺ちゃん大パニック。「今から買いに行ってくる」と靴を履くお爺ちゃん。ひとりで行っちゃだめ~!仕方なく朝7時から買い物。でも朝の空気は冷たくて気持ちよかったよ。

6/12/21

お爺ちゃん、いつも残るから小さい食パン買ってきたよ。「それではダメじゃ」なんで?いつものは大きすぎるんでしょ?「そんな小さなパンでは半分に切れん!」意味わかんないんですけど~!

6/13/21

お爺ちゃん、このスキューバの道具とかロッククライミングのベルトとかフェンシングの胴着とか要らないから捨てるね。「ダメじゃ!まだ使える!」使えるって誰が?お爺ちゃんじゃ無理でしょ「売れるかもしれん!」こんな時代遅れな道具誰が使うのよ!「捨てるな!」すてる!掃除が全く進まない。

6/18/21

朝5時50分、お爺ちゃん何早起きしてんの?昨日昼寝しすぎて目が冷めちゃったのかな?「カフェにパンケーキ食べに行くんじゃ」こんな早くやってないよ。第一、まさか一人で歩いていくつもりじゃないでしょうね。また疲れちゃうよ!確かに私もパンケーキが食べたい。あとで行こう!

残念ながら、行きつけのカフェはまだ朝とお昼はあいてないことがわかりがっかり。コロナ禍でずっと閉まっていたので、再開店に必要な人員がまだ集まらないみたい。この間夜行った時は見慣れた顔のサーバーさんたちばかりだった。夕飯だと高くつくからちょっと悩む。

お爺ちゃんがどうしても行きたいというのでお夕飯に行ったのですが、やっぱり朝食の出来るシェフが見つからないんだそうです。せっかく開店してもまずい料理をだしたんじゃ意味ないし、と店長さんはかなり悩んでいるようです。

6/22/21

お爺ちゃん「カカシ~ビデオが映らん!」お爺ちゃん今だめだよお魚焼いてんだから、「ちゃんとうつせ!」だからあ、これはリモートのこのボタンをおして~、こうして~、、ああ!お魚が焦げちゃったよ!真っ黒な鮭を食べても文句言うなよ爺!

6/24/21

出がけ、あ、忘れ物した、お爺ちゃん車んなかで待っててね、すぐ戻ってくるから。「うむ」本当にここに居るんだよ、外出て歩き回らないでね、「うむ」お爺ちゃんもそもそ、、「お爺ちゃん、お座り!」なんか最近犬を飼っている妄想に駆られる。

6/25/21

お爺ちゃん、リハビリの先生に教わった体操やろうね。先ずはスクワットだよ。こういうふうに立った姿勢からしゃがむ感じ、「こうか?」あ、そうじゃなくて、こう、「解らん、もういいかいやってみろ」だから、こういうふうに、「わからん」こういうふうに、、ちょっと、誰のための体操なのよ!

でもやり始めたら意外とおじいちゃんは柔軟性も体力もある。つきあって一緒にやった私の方が先にばてた。考えてみれば私も運動不足だし、これからも一緒にやるのも悪くないな。

6/26/21

昨日の体操のおかげで腿が筋肉痛!お爺ちゃんはなんともない。なぜだ?

6/30/21

お爺ちゃん「なんじゃこれは、アイスはどうした?」チップスが欲しいって言ってたじゃない。「言ってない。チップスは嫌いじゃ」お爺ちゃん専用激辛サルサはなんのためにあるのよ?「知らん」数時間後「おい、サルサなしでどうやってチップスを食うのじゃ?早く出せ」この糞爺!

7/6/21

お爺ちゃんピーチもあるよ「これはリンゴじゃ」うん、だからピーチもあるから食べていいよ。「リンゴを食うのじゃ」うん。でもピーチもあるから「リンゴ食う」じゃ食べなくていいよ!「なにを?」ピーチだよ。「ピーチを食ってはいかんのか?」この糞爺、あんたわざとやってるでしょ!

うちの爺さんは自分独特の言葉をしゃべるので周りは理解できない。それでみんなが首をひねると「わしは明確にしゃべっとる!」と言って怒るんだよね。

7/7/21

お爺ちゃん「今日はリハビリに行くんじゃないのか」へえ覚えてたんだ、偉いじゃん。でもごめん私咳き込んでるしセンターの人に迷惑だからキャンセルした「じゃあ夕飯のメキシカンはどうするのじゃ」毎週リハビリ後に行ってたメキシコ料理夕飯を覚えていただけなのかあ、、

7/17/21

今朝はなんか仕事が進むなあとか思ってたら、お爺ちゃんが朝早く起きて散歩に行ったかと思うと、その後疲れて眠っちゃったからだった。いつもの10分おきの「カカシ~ビデオが映らん!」が聞こえてこなかったからかあ。しかし何時まで寝てんだ、爺さんは。

お昼過ぎに起きてきてご飯食べたら、またカウチで居眠り。早朝の散歩でがんばりすぎたようです。

先日買った冷房タワーの前でお爺ちゃんが陣取って居眠り状態。ま、いっか。暑いもんね。

真ん前に座っていると結構涼しいですが、もう少し涼しいといいなと思います。冷水を基準のところまで入れないと涼しくなりません。水タンクを閉めるときに水がびしゃって飛び散ります。後、付けた最初の数分は風とともに水が飛び散ってきます。私が買ったのはArctic Airです。

7/28/21

お爺ちゃん、どうして冷蔵庫に半分のサンドイッチがいくつもあるの?「一つは多いから半分だけ食べるのじゃ」それなら新しくつくらないで昨日の残りを今日たべればいいじゃない。「それは昨日のじゃ、今日は今日の分を作るのじゃ」2枚が多いなら1枚で作ればいいじゃないという案も却下された。

だからね、お爺ちゃん、サンドは毎日つくらないで、一日置きに作って毎朝半分づつ食べればいいのよ。「それじゃ朝飯は一日置きしか食えなくなる」いや、そうじゃなくてえ、、残りは私が食べます。

お爺ちゃんの作ったハムサンドが意外においしくて驚いた。マヨとホースラディッシュソースが非常に合っている。マヨとマスタードよりずっといけるわ。


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