ミュージカル「ミーンガールズ(意地悪な少女たち)」を観て来た。この映画は2004年の同名の映画のミュージカル版である。ミュージカルとしてはブロードウエイなど舞台ですでに公開されており、日本でも元アイドル歌手の生田絵梨花主演で2023年初期に舞台になっている。

あらすじ:動物学者の母親とケニアで暮らしていたケイディは16歳でアメリカに帰国し、高校に通う事になる。これまで自宅学習をし、学校に通ったことがないケイディは初めての学校生活に緊張気味。なかなかみんなに馴染めず、浮いているケイディに話しかけたのは顔にピアスをしているちょっと変わった感じのジャニスという女の子とゲイ男子デミアンの二人。二人からは、学校には派閥があり、特にヤバいのはプラスチックスという学校のアイドル的存在の女子三人組であると教えられる。

プラスチックスのボスのレジーナはこの学校では女王様のような存在。何故かそのレジーナから一週間だけ一緒にお昼ご飯を一緒に食べてもいいと言われるケイディ。ケイディは戸惑いながらも仲間に加わる。しかしすぐにケイディは自分が数学の時間に一目ぼれしたアーロンがレジーナの元彼氏だったことを知る。レジーナはケイディの片思いに気付くとアーロンをケイディの目の前で誘惑し奪ってしまう。

傷ついたケイディはジャニスとデミアンに相談。二人はケイディはプラスチックの仲間になったふりをして秘密を探ってレジーナに仕返しをしようと提案。ケイディはうまくレジーナに取り入ってプラスチックスを内部から破壊を試みるのだが、、あらすじ終わり

私はアメリカで高校に行ったことがないので、アメリカの高校がこんなにも風紀が乱れているとは信じがたいのだが、先ずプラスチックスの少女三人組の服装の露出度が凄い。この三人はスタイルも抜群で特にリーダーのレジーナの体型は素晴らしく肉感的。その彼女たちが胸もあらわなぴちぴちのドレスで歩き回るのだからすごい。ジャニスとデミアンが学校内での派閥を色々説明するが、一つのグループはいちゃいちゃグループで、学校の食堂でどうどうとディープキッスをしていたりする。まあ映画だから誇張されてはいるのだろうが、今やアメリカの高校では生徒同士の性行為など普通らしい。「今や」って元の話は2004年だから、もうそんなのは普通なんだろう。

オリジナルの2004年の映画はミュージカルではなかったので、この映画はリメイクとはいえ別の媒体になっていることでもあり、色々比べるよりミュージカルとして楽しい作品になっているかを評価すべきだと思うのだが、やはり批評家たちはオリジナルと比べて遥かに劣るという意見で一致している。

私はオリジナル映画を2004年に観たが、20年も前のことだし、そんなに印象に残っていなかったので詳しいことは覚えていない。なのでこのリメイクはまあまあの出来だったのではないかと思っていた。しかし当時10代でこの映画の大ファンだった人たちからすると、このリメイクは許せないほどポリコレ改造されているのだそうだ。

実はこの映画オリジナル公開当時、ティーン女子の間でものすごい人気となり、所謂カルト映画になっていた。それで映画内のセリフなどが学校で流行り言葉になったりしていたのだそうだ。当時の10代女子のファン達は台詞全てを暗記するくらい何度も映画を見ており、この映画の隅々まで知り尽くしているというわけ。そういうファンが沢山いるなかで、ミュージカルとはいえリメイクとなると作品の出来は魚の目鷹の目で見られてしまう。

脚本はオリジナル同様ティナ・フェイというコメディアン・女優・脚本家であり、彼女は元映画と同じ主役のケイディの担任教師役である。同じ人が脚本を書いているとはいえ20年も経つと政治的状況はかなり変わっている。なにせいまや多様性の時代だから。

それで無論登場人物の人種も多種多様となる。先ず元映画では白人男性だったデミアンが黒人に、プラスチックスの一人カレンはインド系。まあ2024年だからこの辺の人種変更はしょうがないとして、問題とされるのはジャニスがレズビアンとして描かれていること。

元映画ではジャニスはレバノン出身でレバニーズ(レバノン人)だと名乗っていたのに、プラスチックスの無知な女子たちはそれをレズビアンだと間違えて彼女を何かとレズだと言ってからかうというシーンがある。ジャニスは異性愛者なのでこれが気に入らない。しかし、リメイクでは彼女がレズビアンという設定になっており、それをからかうというのは悪趣味ということなのか、意地悪な少女たちの誰もそれを口にしないのだ。

人種を扱ったジョークも削られている。ケイディ―はアフリカからの転校生なので、レジーナが「どうしてアフリカから来たのに色が白いの?」などと聞くシーンがあったそうなのだが、今回はそれはない。というよりケイディがアフリカ出身ということでからかわれるというシーンはほぼ見られなかった。出身国を理由にからかうのは人種差別になるからだろうか?

しかしこうなってくると、意地悪な少女たちが他の子たちを虐める材料があまりない。他人をブス扱いするとかオタク扱いするとか、というシーンもそんなになかったし。となると一体彼女たちの何がそんなに意地悪なのかという話になってしまう。

またハローウィンでの衣装についても批評家たちは手厳しかった。2004年ではハローウィンは少女たちが大っぴらにセクシーな恰好が出来る日だという暗黙の了解がある。それを理解せずに実際に怖い仮装で現れたケイディ―は浮いてしまう。しかしここでも女子たちの露出度の高い行き過ぎた衣装はフェミニストの規制がかかったのか、かなり大人しいものになってしまっているというのである。保守的な私の目には十分セクシーに見えたのだが。

さて、ここまでは私の感想ではなく、他の元映画ファンたちによる批評だが、ここからは私が気になった点について述べよう。先ず主役のケイディにもレジーナにも父親の姿が観られない。元映画ではケイディは父親の仕事の関係でアフリカで育った設定になっていたが、今回は母親が動物学者という設定で父親は出てこない。レジーナにも父親が居たはずだが、今回は姿が見られなかった。二人とも母子家庭にする意味は何だったんだろう?

私は昔からミュージカルには非常に甘い。もし歌と踊りのレベルが高ければ、筋など申し訳程度のものでも許してしまうたち。それに元映画をそんなに覚えていなかったので、元との違いは全く気にならなかった。出演者たちは皆歌がうまい。特にレジーナ役のレネー・ラップの歌唱力は素晴らしい。彼女はブロードウエイで同じ役を演じたのだそうだ。道理でうまいはずである。

映画が最初からジャニスとダミアンの歌で始まるが、この二人もいい。主役はケイディだが、ジャニスAuli’i Cravalhoが一番いい歌を歌っている。彼女の歌唱力は力強く素晴らしい。かなりの役得。

踊りも結構前面に出ており良かったと思う。

ただ、後で言われてい気付いたのだが、観ている間は歌も踊りもまあまあ楽しめたにもかかわらず、映画が終っても一つもメロディーを思い出せない。良く出来たミュージカルの場合は、帰り際に鼻歌を歌いたくなうくらい一つくらいメロディーが頭に残るはずである。例えばこの間観たウォンカならピュアイマジネーションやウンパルンパの歌、キャッツならメモリー、レミゼラブルなら民衆の歌といったように。残念ながらこの映画ではそういう歌は一つもなかった。

ところでこれは最近のハリウッド映画の広告のやり方らしいのだが、どうもミュージカル映画をミュージカル映画だと解るように予告で宣伝しないのが普通になっているらしい。実をいうと私はこの間観たウォンカとチョコレート工場の始まりがミュージカルであるとは知らずに観に行き、冒頭から主役が歌い始めてびっくりした。この間公開されたカラーパープルも予告編ではミュージカルかどうかわからない。今回のミーンガールズも姪っ子がブロードウェイのミュージカルファンでなければ知らずにただのリメイクだと思って観に行ったかもしれない。

どうもハリウッドはミュージカル映画は人気がないと思っているらしい。しかし、普通の映画だと思って観に行ったのにミュージカルだったら、ミュージカルファンはいいが、そうでない人は失望するのではないか?どうもこのマーケティングは理解に苦しむ。


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