クレタ島旅行記第二話: ヴィラ マノス

アテネ空港から約三十分の飛行で、カカシとミスター苺、そしてカカシの同僚の事務の女性ジェシーの三人は午後2時ごろハニア空港に到着。知らない土地で、しかも外国で、旅行会社からもらったおぼろげな道順だけを頼りに運転するのは心細かったので、私は色々工夫して昼間の到着を選んだのだが、これは正解だった。
ギリシャの道には標識というものがない。高速の出口やメジャーな町への標識はあるが、道そのもに名前というものがついていないようだ。(街中では道に名前があるところもある。)この点は日本の道路と似ている。似ているといえば、道がものすごく狭く込み入っているということも似ている。これは街中でも田舎道で同じだ。もともと羊やヤギくらいしか通らないような道がそのまま車の走る道路になったらしい。
しかし、北海岸にいる以上北向きが海なので、わからなくなったらナショナルロードといわれる湾岸を走る高速を見つければ、いずれ自分の行きたいところへたどり着ける。そういう点では迷子になってもさほど迷わないうちに行き先にたどり着ける。
空港は山の上にあり、まずこの山道をくねくねとふもとまで降りなければならない。その後高速にのって数キロいったところを降りる。そこから再びくねくねの道を登っていく。中腹のところまでくるとホテル会社からもらった道順通りミニマートがあった。しかし、そのわき道を曲がれとあった道は急な坂道で非常にせまく、とても車が入っていくような道にはみえなかった。これは私の日本の実家のまえにあるあぜ道かと思われるような狭い道路と似たり寄ったりの道だった。
そのあたりを色々走り回って、結局このわき道以外にないと上っていくと、これがまた急な坂道で、あちこちくねくねと曲がっていた。丘を登りきったところで右に曲がれとあったので、曲がるとさらに急な坂道の左側に我々の宿「ヴィラ マノス」と看板のかかった石造りの可愛い家が建っていた。つくづくオートマを借りてよかったと思った。
ヴィラマノスは二階がない平坦な箱みたいな家なのだが、ギリシャにはこういう四角い家が多い。日本のような三角屋根は先ずみかけない。小さな家でもそれぞれに低い石の塀によって囲まれている。マノスの塀の上にはブーゲンビリアの花がたくさん満開に咲いていた。塀の内側にはピンクや黄色のバラの花がギリシャの強い日差しを浴びていた。
ベランダに出ると、そこからスーダ湾を見下ろすことが出来る。そして、今上ってきた山道がくねくねとヴィラに続いているのが見え、かなり高いところまで来たんだなと実感した。それにしてもクリートの海はなんと青いのだろう。これこそ藍という色だ。これはカリフォルニアの薄い水色の海や、東海岸の灰色の海や、ハワイのエメラルドの海とも全然違う。エーゲ海の海は深い深い藍色だ。
裏庭には結構良いサイズのプールがあった。つま先をつけてみるとちょっと冷たすぎる毛があったが、もう少し暑くなれば十分だろう。プール脇でミスター苺としゃべっていると、汚いズボンをはいた庭師のような中年の男がどこからともなくにょきっと現れた。
「うえるかむ、うえるかむ。」と下手な英語で言う男の下の前歯が抜けていた。男は「ようこそ」以外の英語は知らないらしく、何かしゃべっていたが、そのしぐさから、この男の名はタジースといい、このヴィラの管理人らしいということがわかった。ジェシーと私は他のヴィラはどこにあるのかとたずねたが、彼には我々が何をいっているのかさっぱりわからないらしかった。まあ、いい。道順は聞いてるので、後で散歩がてらに探せばいい。
まだ時間はある。


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クレタ島旅行記第一話:ギリシャ出張決まる?

2009年5月某日
ギリシャはクレタ島に来て二週間が経った。仕事で来ているので思うように観光にはいけないが、言葉の通じない外国で四週間過ごすというのは結構おもしろいものがある。今年の7、8、9月はカカシにとって非常に忙しい月となるので、今のうちに旅行記を書き溜めておき、アクセス不能な時に合わせてアップすることにする。それで読者諸君がこの旅行記を読む頃にはカカシはまったく別の場所に行ってるかもしれないが、ま、そのへんは「苺畑より」の愛読者の皆様なら、もう十分にご承知のことと思う。
三月の里帰りを済ませてカリフォルニアに帰ってきたカカシに出張日程を決めるMが「カカシ、君の好きそうな出張があるよ。行ってくれる?」と近づいてきた。なんと行く場所はギリシャのクレタ島。ヨーロッパはイギリスくらいしか行ったことがなかったカカシなので、二つ返事で承諾。最初の一週間は結構暇だと上司が言うのでミスター苺も最初だけ一緒に行くことになった。
しかし、一口にギリシャと言っても、いったいどんな国なのか、職場とホテルの地理関係や交通機関やネットアクセスの状況など我々には皆目見当が付かない。ガイドブックでは結構タクシーは安く気軽に乗れると書いてあったのだが、実際にハニヤ空港近くにあるオフィスに行ったことのある同僚に色々話を聞いてみたところ、バスやタクシーはあるにはあるが、それは観光地の街中だけで、我々のオフィスのある田舎の方になると交通機関はないにひとしい、運転できないとどこへもいけないと警告された。また、レンタルカーはたいていがマニュアルでオートマティックトランスミッションではないので、予約するときにオートマと指定しておかないと必ずマニュアルになるとも言われた。
クリート支店にいるコネの紹介で宿を取ることになったのだが、一緒に行く20数人のほかの連中もみな同じホテル会社を使って予約するというので、私は紹介のまま予約を取った。送られてきたヴィラと呼ばれる宿のウェッブサイトでは、ヴィラとはホテルではなくワンベッドからスリーベッドルームの一軒屋だとあった。ミスター苺はウェッブサイトをじっくり読んでいたが、私は特にきにしなかった。それというのもこれらのヴィラは同じ敷地内にいくつも建売住宅みたいに建ち並んでいて、ほかのチームメンバーのヴィラへは歩いていける距離なのだろうと思ったからだ。チームとは一緒に行動するというのが出張中の原則なので、気に入ろうと入るまいと知らない土地でメンバーと離れるのは嫌なので、そのまま予約した。
宿の予約も私とミスター苺の飛行機の予約もすべてすませて、完全に観光気分のミスター苺が何冊もガイドブックを買いあさって読みふけっていると、突然上司から「カカシ君、もしかすると場所が変わるかもしれん。」といわれた。得意先の都合でクリート島ではなくシシリー島にいくかもしれないというのである。「シシリーってイタリアの?」上司は苦虫を噛み潰した顔でうなずいた。
上司も奥さんを連れて行く予定で、すでにキャンセル不可能の航空券を予約してしまっていた。また、我々の予約したヴィラは一ヶ月以内にキャンセルすると前払いした全額の40%が返ってことないことになっている。予定が変更されればそれぞれのメンバーが何千ドルという損失を食うことになるのである。20数人いるチームのメンバーたちはみな同じ状況であったので、この変更には内乱が起きそうになった。
一週間ほど得意先との交渉が続き、みな爪を噛みながら結果を待っていたが、上司が私の机まできて、「カカシ君、やっと予定が決定した。行き先はサイプレス島だ。」という。サイプレスっていえばギリシャとトルコが所有権めぐって戦争してるところじゃないの?ご冗談でしょう、、というと上司は「ははは、冗談だ。クレタ島におちついたよ。」と笑った。笑うな!
というわけで、すったもんだの末カカシとミスター苺はギリシャへ旅たつこととなった。


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ネットアクセスほとんど不能なクリート島

読者の皆様こんばんは。
ギリシャはクリート島から書いているカカシです。
このあたりはWiFiは結構ありますが、ケーブルコネクションはゼロに等しい。しかも、私が滞在している民宿には電話もない!おいてあるテレビはギリシャ語だし、英語の番組はあほみたいなドラマばっかりで、ニュースが観られない。
職場で他人のコンピューターを借りてネットサーフをするのがせいぜいなのでブロギングは週末にネットカフェに行ってやろう。
書きたいことはたまっているが、そういう状態なので今しばらくお待ち願いたい。留守番は一足先に帰ったミスター苺にしてもらう。
では、また!


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ギリシャに着いたカカシ

昨日ニューヨークから9時間の飛行でテネ空港に到着。三時間の待ち時間を経て、アテネから約三十分の飛行でクリート島に到着した。
ミスター苺と同僚のジェシー(女性)とカカシの三人の旅だったのだが、ハニア空港でレンタルカーを借りて、我々の泊まるビラス・マノスを探し当てるのに一苦労。詳しい話はまた後で時間のあるときにゆっくりしたいと思うが、曲がりくねった狭い道や通りに表示がないのは日本の道とよく似ている。
今日は仕事がないので、ハニアの海岸にあるオールドタウンというところに来ている。自分のコンピューターをつなげるネットカフェにいるのだが、ミスター苺が二時間もネット時間を使ってしまったので、カカシに残されているのは数分。
ここで食べる食事はすべてとてもおいしい。特にラキという焼酎のようなお酒が気に入った。
写真もたくさん撮っているので、後でアップロードしたいと思う。
では短いが今日はこれまで。
カカシアウト


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ネット復帰、佐世保感想記

読者の皆様、二週間のご無沙汰でございます。実は九州は佐世保に出張しており、私のノートパソコンとホテルのネット接続の馬があわず、ネットにはつながるものの日本語での書き込みは不可能な状態でした。その間に大統領選挙のこととかいろいろあって、皆様にもお話したいことが山ほどあるのがたまったままです。週末に向けて時間の許す限りこれまでの経過などお話していきたいと思います。
ひさしぶりに日本で何週間も過ごし、しかも九州という私の実家とはまったくかけは離れた場所での生活は非常に興味深いものだった。
私の泊まったホテルは米軍基地から歩いて10分という繁華街のなか。泊り客の半数近くが米軍関係の民間人技師。国籍はアメリカ人だが、そこはアメリカ。人種はヨーロッパ系だけでなく東南アジア系やアフリカ系もいろいろだ。今回の企画のためにあつまったうちらのチームだけでも20人は楽にいる。年頃も20代後半から40代半ばの野郎どもばかりで、仕事が終われば毎日宴会。このへんはやることといったら飲んで食べるくらいしかないから仕方ないといえば仕方ないのだが、こんなやつらに付き合って二週間すごしたこっちはもうへとへと。
こいつらはこれまでにも何回も佐世保の基地には来たことがある連中で、このへんの飲み屋にはやけに詳しい。日本語などほとんどしゃべれないくせに、なぜか「飲み放題」とか「食べ放題」なんて言葉だけは知ってる。
一緒に食事に出かけて気がついたことは、このへんでは人種差別が横行しているということだ。あからさまに「日本人客のみ」という看板が出ているところもあるが、そうでないところでも差別の仕方はかなり微妙だ。白人の同僚数人と一緒に居酒屋へ行ったときのこと、アメリカ人はカウンターを好むので入り口近くのカウンターに座りたいというと、店員はカウンターは場所がないといった。場所がないもなにもカウンターには誰一人座っていない。空っぽなのである。カウンター近くに個別のテーブルがいくつかあり、そこには日本人客がいたが、真ん中の広々としたカウンターには誰も座っていなかったのだ。
店員は二階なら誰もいないので、かえってわれわれには適しているのではないかと促した。二階へ上がると、大きな畳の個室があてがわれたのだが、誰も座れない。というより私はスカートをはいていたので男たちの前でまさか胡坐もかけない、というのが本当の理由)。結局掘りごたつ風になったテーブルのある個室にかえてもらい、二階で他の客に遠慮せずアメリカ人並みのドンちゃん騒ぎができたので、良かったといえばよかったのだが、どうも変な気持ちがしたものだ。
別の夜にまた二人の白人を含めた5人くらいで旨いと評判のすし屋へ行った。アメリカ人だが東洋人の同僚が一人で行った時はカウンターに座って好きなものを頼んで楽しかったので、今回もみんなでカウンターに座ろうと、アメリカの寿司バーのつもりでカウンターを希望したが、ここも席が空いているのにだめだといわれた。店員は私の目を気にして「5人は並べないので、、」と見え透いた嘘をついた。白人がカウンターに座っていると他の客が居心地が悪いからだと正直にいえばいいじゃないか、とは思ったが、一緒に居た白人女性の同僚が「どうしてカウンターは駄目なの?」と私に聞くので、私は「予約がはいっているらしい」と答えた。こんなところで議論をしても意味はない。
やはり白人の同僚と5人で焼き鳥屋へ行ったときも同じように断られた。そのときはカウンターにすわっていた日本人のサラリーマン二人が気を利かせて、「いいよ、いいよ、俺たちが席変わるから」といって少しずれてくれた。店員は断りきれずに我々をカウンターに座らせてはくれたが、サービスは最低だった。そこまで差別しなきゃならい理由があるのかと私はかなり腹が立った。私が英語で「この娘にはチップはやらないよ」というと、一緒にいた同僚がどっと笑った。日本語がわからなくても同僚たちは空気を察して、「この店には二度と来ない」と口々に言った。
もっとも佐世保は米軍基地でもってるところもあるので、アメリカ人には友好的で居心地のいい場所はいくらでもある。いや、そういう場所のほうが多いといったほうがいいだろう。たいていの人は親切だ。
面白いと思ったのは、表通りにある飲み屋などは、ほとんどの経営が日本人によるもので、ママさんやホステスの英語はまあまあだが、品はいい。このへんに来る客はアメリカ人でも水兵ではなく金ぶりのいい民間人が多い。ところがひとつ裏にまわった「セイラータウン」と呼ばれる路地に固まってある飲み屋は見かけもみすぼらしいが、中に働く女たちのほとんどはフィリピン人。フィリピン人は英語が話せるのでアメリカ兵らに人気がある。このあたりは私のような人間が行くような場所ではないが、知り合いにフィリピンバーが好きな男がいたので、一度だけ行ってみた。身体にぴったりした胸や足を出しすぎのけばけばしい格好の女たちが、あきらかに水兵とわかるアメリカ兵の太い腕にへばりついていた。まるで安い映画の一こまのよう。時代や場所が変わっても繰り広げられる画像に変わりはない。
日本人バーの経営者らとフィリピンバーのオーナーたちは仲が悪い。ま、商売仇だからしょうがないのかもしれない。
実家に戻ってきて両親に撮った写真をみせていたら、宴会の写真ばかり。「あんた佐世保でなにやってたの?」と母にきかれてしまった。まったく仕事はどうなったのよカカシさん?
私も船にのってアメリカへ帰ればよかったかな?


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ハワイ島、溶岩大地のなかで迷子になった苺畑夫婦

もう先月のことになるが、チリのチャイテンで一万年も休火山だった火山が爆発したという記事を読んで、9年前に苺畑夫婦が新婚旅行の際ハワイのビッグアイランド(ハワイ島)へ溶岩を見に行った時の話を思い出した。それで本日は苺畑夫婦の溶岩訪問の思い出話をしたいと思う。
ミスター苺は火山活動に関する小説を書きたいと考えていたので、苺畑夫婦はハワイ島にある国立火山研究所を訪れた。所長さんの名前は忘れてしまったが、日系人の気さくな人で、空手キッドのパット森田そっくりだった。
研究所の中を色々見学させてもらい、研究生対象の授業まで受けさせてもらった後、我々夫婦はキラウエア火山国立公園で溶岩の上をあるくハイキングに挑戦した。こちらの観光サイトによると、

ハワイ火山国立公園内には、「キラウエア・カルデラ」と「キラウエア・イキ火口」を取り巻くようにクレーター・リム・ロードがぐるりと1周しています。個人差はありますが、ざっと見て回って 1時間から3時間かかります。

そのクレーター・リム・ロードから海に向かって片道32キロのチェーン・オブ・クレーターズ・ロードが走っています。展望台もある景色のいい道です。この道は流れ込んだ溶岩によって行き止まりとなります。
行き止まりとなったところからは、真っ黒でゴツゴツした溶岩が広がる大地の上を歩くハイキングができます。溶岩大地のハイキングは、運動がしやすく履き慣れた靴(できれば紐のついた靴)と長ズボン、そして忘れずにお水を持参しましょう。
また、 雨が降ると溶岩の上はとても滑りやすくなるので十分注意してください。
万一、夕方にかかり暗くなることが予想される場合には、必ず “1人 1本”の懐中電灯を持参してください。

ここで書かれていないことに、溶岩が流れているところまで歩いていくには一時間以上のかなりキツいハイクが必要だということがある。しかも溶岩はすでに固まって冷たくなっているものも、まだ熱くドロドロしているものも、どちらも銀色に光っており全く区別が付かないということである。
ガイドなしでむやみやたらに歩いていると、固いと思って踏みつけた地盤が崩れて、下は灼熱の溶岩だったなんてことになりかねない。それに日が暮れたら周りはどこもかしこも同じ様な景色なので懐中電灯など持っていてもほとんど役にたたない。どんどん帰り道から遠ざかってしまう可能性がある。
上記のサイトでもあるように我々はチェーン・オブ・クレーターズ・ロードが溶岩で塞がっているところから歩き始めた。一応お水はたくさん持って行ったのだが、溶岩の上を歩くというのは思ったよりも大変だった。
岩がごつごつしているというが、そんな生易しいものではない。まるでガラスの破片の上を歩いているような感覚で、しっかりしていると思った足場がガシャッと崩れて、その度にバランスを失う。
我々はだいたいこっちの方角だろうと一時間ぐらい当てずっぽうに歩いていたら、周り中同じような銀色の地肌が続くため、何がなんだかわからなくなってしまった。
これではいつまでさまよっていても赤く流れる溶岩など見られないだろう、いやそれだけではなく、どうやって帰ればいいのかさえ怪しくなってきた。
そこへ背の高い金髪の若者につれられたやはり背の高い数人の若い男女が通りかかった。先頭を歩いていた青年は地元のガイドで、シャツを脱いで腰にまいてる青年の裸の肌は赤ちゃっぽく日に焼けていた。後ろの男女はドイツ人の観光客だった。そこでミスター苺はガイドのおにいちゃんに「お金を払うから一緒に連れて行ってほしい。」と頼むと、「お金は要らない。付いてきたければ付いてきてもいいが、日暮れが近いので急ぐからそのつもりで」と言われた。
ガイドの青年も観光客の若者たちも皆背が高く年齢も我々より10歳は若い。中年で背も低く小太りの我々に比べたら人種どころか種別が違うのではないかと思われるような体系だ。彼らがエルフなら我々夫婦はさしずめホビットである。
我々のこんな短い脚ではどうせ付いて来れないだろうとガイドは踏んでお金を断ったのだろう。
しかしここで置いて行かれたら、溶岩が見られないどころの騒ぎではなく帰れないかもしれないと思った我々は彼らの長い脚についていくべく必死に歩いた、、、というより彼らにとっては早歩きでも、我々ホビット夫婦にとってはほとんどジョギング状態で一時間以上走るはめになったのだ。
突然ガイドが立ち止まり、指を指した方向をみると、銀色の地肌の下を赤く流れる溶岩が見えた。溶岩が目の前にあるのにほとんど熱さを感じないと思っていたら、突然風向きが変わり、まるでオーブンを開けたようなむっとする熱風が我々を襲った。

KilaueaVolcano

キラウエアの溶岩


我々の立っているところからちょっと離れたところに、銀色の宇宙服のような耐熱防着を着た人数人が火山の中を見下ろすように立っているのが見えた。多分研究所の科学者たちだろう。
10分くらいそうやって流れる溶岩に見入っていたが、ガイドが「日が暮れる」とかなり焦り始めた。慣れているガイドでも日暮れの溶岩は怖いらしい。ガイドは再び早歩きを始めたが、今度は彼自身も小走りで、行きはふざけながら歩いていた観光客らも帰りは沈黙してまじめに走っていた。そのう後ろを走ってくっついていくホビット夫婦はもう必死である。
日がほとんど西の空に隠れる頃、我々はようやく元の駐車場近くまで戻ってきた。不思議なことに我々夫婦は確かに疲れてはいたが、息がつけないほど荒れていたわけでもなく、看板あたりに集まっていたほかの観光客とだべったりする余裕があったが、あれだけ元気だったガイドやドイツ人観光客は皆座り込んで靴を脱いでいた。特にガイドのお兄ちゃんの足は水ぶくれが出来ていてかなり痛々しかった。
さっすが苺畑夫婦はホビットだけあって足に毛が生えてるのかな?


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カネオヘ湾でカヤックと格闘した苺畑夫婦

ミスター苺はいつもカカシに冒険的なことをやらせたがる。私としてはワイキキビーチでマイタイをすすりながら寝そべっているだけで充分なのだが、ミスター苺は何か危ないことをやってないと気に入らないひとだ。しょうがないので今日はカネオヘ(Kaneohe Bay)湾にてカヤック乗りに挑戦することとなった。こちらにゴージャスな写真が載っているので参照のこと)
我々は「ゴーバナナ(Go Banana)」というカパフル通り(Kapahulu Avenue)にあるカヤックのレンタル店でカヤックを借りた。店の店員が車の上にカヤックを結びつけるやり方を簡単に教えてくれた。借り物だ、失くしてしまったら元も子もない。海水と日差しですっかりこんがらがっている長い金髪の日焼けしすぎの若い店員は、我々に救命チョッキと、ドライバッグという防水の袋を渡した。それが済むと我々はずらずらと注意事項が並んでいる書類に何枚も署名させられた。しかも万が一の時にお店には全く責任がないという内容のものばかり。 待てよ、救命チョッキは常備着用とか、なにがあってもお店を訴えるナとか、もしかしてカヤキングてそんなに危険な活動なの?「もし転覆したどうなるの?」とミスター苺が店員に聞くと、お兄ちゃんは今日の海はとっても静かだから全く問題ないよと答えた。「第一、ずっと浅瀬だもの、歩いたって大丈夫なくらいだよ。」救命チョッキも着ていることだし、もし転覆してもちょっと濡れるだけの話、どうってことないさ。
なんだか心もとない保証だなあ。私は100%安心したわけではないのだが、すでにカヤックは車の屋根にくっついてしまっているし、今更行きたくないなどというわけにもいかない。ま、しょうがないか。
カノエヘ湾を見つけるのは全く問題なかった。しかしカヤックを駐車場から桟橋まで運ぶのは一苦労だった。店員はカヤックはたったの70ポンドだとミスター苺に言ったという。カカシは自慢ではないが、長年にわたってかなりの筋トレをしていきたのでミスター苺と半分づつの35ポンドくらいの重量を運ぶのはなんということはない。だが、二人がかりでこれだけ苦労して運んだこのボートがたかが70ポンドだなんてことは絶対にありえないと断言できる!
えっちらおっちらとふたりでふらふらと長~い道のりを苦労しながらカヤックを運んだのに、何と着いたところはボートの出発点でカヤックを始めるところではなかった!カヤックの出発点はカヌービーチというところ。そんなこと誰も教えてくれなかったじゃないかあ~、などと言ってみても遅い。「せっかくここまで来たんだから、ボートランチでもええやん、ここから始めよう」とカカシ。なにせカヌーランチまでは今来た道を引き返したうえに、別の桟橋まで運ばなければならなかったからだ。しかしモーターボートや中型の船が出港するボートランチからのカヤック出航はたいへん。なにせこれらの大型船に轢かれない様に必至で漕がなければならなかったからだ。
我々の目的地はカパパ島、浜辺から2.25マイル沖合いの島だった。
言い忘れたが我々は二人乗りのカヌーに乗っていたので、最初はお互いのパドルがぶつかりあったりして進み方はかなりゆっくりだった。しかし、だんだんとリズムがわかってきて結構スムーズに進むようになった。ミスター苺によると、途中に沈没した島があるという。私にはそれがどういう意味なのか解らなかったのだが、とつぜん海の色が深い青から薄い緑色に変化した。しかも海底がすぐそばに見えてきたのである。カヌーのすぐ下にさんご礁が見えた。まるで丘の上を浮かんでいるようだった。
ここでミスター苺は、この沈没した島の上を歩いてみようと言う気になった。それはそれでいいのだが、彼は私にそれを言わずに突然カヤックから飛び降りた。私が何事かとおもって振り向いたのがいけなかった。バランスを崩してカヤックは半回転して、あっという間にカヤックの中にはいっていたお弁当もペットボトルもカカシともども海の中。
エメラルドの海面から見たときは、海はかなり浅く見えたが、実際には4フィートくらいの深さだった。私の背が5.2フィート(158センチ)だから4フィートなんてどうってことないと思うかもしれないが、救命チョッキを着ているうえに、波が結構あったので、我々は自分達の体を思うようにコントロールできない。まるでコルクのように海に浮かんで波が来るたびに上がったり下がったりしてしまうからである。我々のパーカやペットボトルやTシャツやお弁当が、どんどん波に乗って遠ざかっていくのを泳いで追いかけるのは一苦労だった。
なんとかパーカとシャツとお弁当は取り戻したが、水の入ったペットボトルの一本は逃してしまった。今日一日二人で一本のペットボトルで過ごさなければならない。しかも我々はまだカヤックの上ではなく海の中である。
カヤックに乗るのはおもったより容易なことではなかった。まず最初に私はカヤックの片方につかまって足をかけて乗りあがろうとしたのだが、足をカヤックにかける度にカヤックが回ってしまう。それでミスター苺がカヤックの一方を押さえている間に私が乗りあがる方法を試みた。
何回かこれを繰り返すうちに、私はなんとかカヤックに乗ることができた。今度はミスター苺の番である。ミスター苺は右側から乗るので私に左側に重心を置けと言った。しかし彼が左に傾けと言ったとき、私は傾きすぎてしまい、あっという間に再び海のなか。 なんてこった、また元の木阿弥だ。
そこで今度は、ミスター苺が最初に乗って、私を引っ張り上げるのがいいのではないかと考えた。しかしこれもミスター苺が乗ったと思ったとたん、カヤックは転覆。三たび我々は海の中である。
ここまで来ると私は多少不安になってきた。我々は浜辺からは1マイル以上離れた場所に居る。もしこのままカヤックに乗れなかったらどうなるのだろうか? 三度めの正直でまた私が先にカヤックに乗った。ミスター苺が乗るときも私はあまり重心を変えないように努力した。なんとか彼が乗り上げて、「やったー!」と万歳をした途端にバランスが崩れてまたもやカヤックは転覆。もう、ちょっといい加減にしてよ!
ミスター苺がぜーぜー言いながら私に怒りを押さえつけながらゆっくり言った。「よし、カカシ、お前が最初に乗れ。俺が乗るときは何があっても身動きするな!じっとしてろ、いいな!」カカシはこの時点で半分パニックに陥っていた。しかし今度はなんとか二人とも無事にカヤックに乗りあがることが出来た。ここではじめて気が付いたのだが、なぜかこの間私のサングラスはずっと顔についたままはずれなかった!結局失くしたのは飲料水のペットボトル一本だけ。
もうこの時点でカカシは島へいくことになど完全に興味を失っていた。第一浜辺からこれ以上遠ざかってまた転覆したどうするのだ?私はすぐにでも引き返したい気分だった。 しかしミスター苺は断然やる気。引き返すなんてとんでもない。「せっかくあんなに苦労したのに、引き返すだって?冗談じゃないよ。第一、、」すでに我々は半分以上島に近づいている。このまま島へいったほうが引き返すよりも近い。「ここまで来て引き返したら絶対後悔するぜ。」まあ、そういわれてみればそうだが、、結局ミスター苺の説得に負けて我々は島へ向かった。
信じ固いことだが、浜辺から島へむかう途中の海はほんの3フィートから4フィート程度の浅瀬だった。しかしながら目的のカパパ島に近づいてくると波のクロスファイアーに出会った。これは沖からの波が島にあたって島の両側から波が島を囲むようにして向かってくることを言う。わたしたちのカヤックはちょうど両側の波がぶつかり合うところに入っていったのである。
ガイドブックではこのことを警告していたが、本で読むのと実際にその場にいるのとでは大違い。両側からの波が押し寄せるため舵がとれない。しかしこの当たりで海は非常な浅瀬になり、船が転覆するのも不可能なほどになっていた。パドルが海底にあたるほど浅くなったので、私たちはカヤックから降りて島までカヤックをひっぱることにした。
ところが遠くからは柔らかな砂浜に見えた浜辺は、実は砕かれた珊瑚礁につつまれていた。カヤックを引き上げるには最低の場所だったが、今更しょうがない。浜辺にあがってカヤックをヒッパタ時、勢いがつきすぎて珊瑚礁のなかに尻餅をつき、腕や足が珊瑚礁でひっかかれて切り傷だらけになった。でもとにかく丘の上だ!
カヤックを上げるのに苦労しているのを見かねたのか、島にいた若い男性が手を貸してくれた。男性にはイギリスなまりがあるように思えたが、ミスター苺は南アフリカ訛りじゃないかと言っていた。この男性と友達の過ヤッキングクラブの仲間はこの島にキャンプしているのだという。私たちは少しゆっくり島で休んでから帰るつもりだと言うと、今は静かだが天候は急に変わるので、今日中に帰るつもりならあまり島に長居をしないほうがいいと忠告してくれた。そこで私たちは急いでお弁当のサンドイッチを食べ、数枚写真を撮り(カメラは何度もの転覆を無事生き延びていた)イギリス人の男性に二人の写真を撮ってもらい小島を後にした。
帰りは行きよりもずっと楽だっった。それというのも波は岸に向かってなびいていたからで、何もしなくても風が私たちを押し流してくれたからだ。時々波が後ろから忍び寄ってきて思いも寄らぬサーフィンをするはめになったが、転覆するほどのひどさではなく助かった。
ただ困ったのは、ところどころ海底が非常に浅くなったため、カヤックが底についてまったく身動きしなくなってしまったことだ。所によってはその浅さほんの1フィート(30センチくらい)!観光客がボートから降りて我々のカヤックの周りを歩き回っていた。海のまんなかで歩けるほど浅いところがあるなんて、不思議なところだ、まったく。
行きはこんなことには気がつかなかったところをみると、どうやら潮が引いたとみえる。
途中ちょっとカパパ島で休憩したとはいえ、あとは4時間ほとんど漕ぎっぱなしだったが、やっと私たちは桟橋まで帰ってきた。しかしここからまたカヤックを車まで運ぶのは一苦労だった。私があまりにも手こづっていたので、通りがかりの男性達が手伝ってくれ、やっとの思いでカヤックを再び車の屋根にしっかりと動かないように結びつけた。レンタル店のお兄さんから教わった結び方はちゃんと覚えていなかったのだが、大丈夫だろう。しかし、いったん高速H1に乗って走り出すと、ミスター苺がカヤックが左に動いているような気がすると言った。「おい、ちょっと止まって見た方がいいぞ。」と彼が言った途端、私たちはカヤックが滑り落ちる大きな音を聞いた。私たちはカヤックの片方を縛るのを忘れていたのである!あれだけ苦労したのに高速でカヤックを失くしたら、少なくとも500ドルは賠償金を払わなければならなくなる!
急いで車を路肩にとめ、カヤックをもう一度締め直し、再び車に乗り込んだ。ミスター苺も私もこのことはレンタル店のお兄ちゃんには黙ってよね〜と合意した。「でもブログになら書いてもいいよ。」とミスター苺。言われなくても書いちゃうもんね。
ゴーバナナに戻ったのは午後5時半。カヤックをかりてから7時間半後だった。カヤックに破損箇所がないかどうか確かめた店の店員は、ラダーが壊れている難癖をつけ、250ドルの損害賠償がどうのこうのと言い出した。ミスター苺が「そんなにひどく壊れてるようには見えないけどね、ちょっと曲がってるだけじゃん。すぐ治せるよ。」と店員とちょっと言い合いをすると、店員は店長を呼んできた。ラダーをよくよく検査した店長は、一旦奥に入ってレンチを持って戻ってきた。レンチでとんちんかんとラダーを叩いた後、「よっしゃ、無料だ」と大きな笑みを浮かべた。ほ〜!
さて、最後に我々は興味があったので、店長さんに一旦カヤックから落っこちた場合、どうやってまたよじ上ればいいのかを聞いてみた。どうやら我々のやり方は完全に間違っていたようだ。店長さんは「そんなやり方でよく乗り上がれたね。」と驚いていた。
ホテルに戻ってみると私たちの体は切り傷と青あざで覆われていた。乗ってる最中は興奮していて全く気がつかなかった。私は筋肉痛で夕飯に外へ出るのも苦痛だったほどだ。
でもまさしくこれは冒険だった!やってる時はもう嫌だと思ったが、終わってみるとこれもいい経験だったと思う。


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雨の密林、オアフ島マノアの滝

本日のハワイ体験はハワイのレインフォーレスト(熱帯多雨密林)「マノアの滝」のお話をしよう。
ワイキキビーチからほんの4マイルほどマノアロード(Manoa Road)と呼ばれる山道を登りきったところに、レインフォーレストがある。その名の通り、山道を運転していくと突然土砂降りの雨に襲われた。ほんの数分前、山の麓のアラワイ運河(the Ala Wai canal)を出発した時は晴れていたのに。 苺畑夫婦は今日のハイキングは辞めたほうがいいのではないかと一瞬とまどった。しかし我々がホノルルに来てから数日間、毎日雨は降ったりやんだりしていたので、今日ハイクしなければもう時間がない。
二マイルほど曲がりくねったマノアロードを運転していくと、道の終わりに駐車場が見えた。そこに大きな傘の下に座っている痩せた日本人のおじさんがいた。おじさんは、今週はこんなふうにずっと雨だと言い、「なにしろレインフォーレストだからね。」とくすっと笑って肩をすくめた。おじさんが蚊よけになるよと言って、洗濯機のドライヤーにいれるソフトナーをくれた。これを肌に擦り込むと蚊に刺されないという。本当かしらとは思ったが、私は蚊に刺されるとひどく腫れる体質なのでだまされたと思ってソフトナーで腕や足をこすって、いざ出発。(驚いたことにこれ効果抜群。カカシはひとつも蚊にさされなかった!)
ハイキングといってもトレイルは出発点から往復たったの2マイル。もっと長い道のりのAihualama Trailというコースもあったが、土砂崩れの恐れがあるとかで閉鎖されていた。始めた時間がかなり遅かったことでもあり、短い方で我々には充分。
密林の植物はこれまで私が見たことのないようなものばかりだった。 まるでターザンのジャングルにでも紛れ込んだようだ。今にもターザンが雄叫びをあげながら、木から木へスイングして行きそうな感じだ。ガイドブックによれば、大きな木はククイ、アフリカチューリップ、グアバそしてマウンテンアップルの木だそうだ。ミスター苺はマングローブの木もあったと言っていたが、私にはどれがどれだか解らなかった。しかし私でもパムツリーやシダと木の区別くらいはつく。ここは本当にジャングルだ。私たちが普段見慣れている砂漠の植物とはなんと違うこと!

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密林の植物は砂漠とは大違い


泥道のコースと平行して流れる小川からは水の流れる音がする。この小川には魚はいるのだろうか、だが川は泥で濁りすぎていてたとえ魚がいたとしても何も見えない。気温は25度くらいでちょうどいい加減だが、雨は降り続いていた。パムツリーの大きな葉っぱを見つけたので、私はミスター苺にこの葉っぱを傘の代わりに使わないかと提案した。「ほら、『隣のトトロ』みたいにさ」そのうち私の目にしたたる水は汗なのか雨なのか解らなくなった。
道は多少坂道ではあったが、特に難しいほどの急斜面ではない。ただ、雨で道は泥道となって滑りやすかったため、歩くのはちょっと困難だった。苦労してたどりついた甲斐あって、目的地のマノアの滝は美しかった。その高く細い滝は華厳の滝を思わせる。高さは約150フィート。下のプールに完璧な水しぶきをあげていた。プール脇に座り、私たちはお弁当を食べることにした。ミスター苺がお弁当のサンドイッチを広げるやいなや、それまでしとしとと降っていた雨が突然土砂降りの雨に変化した。ミスター苺は自分の手でサラミサンドイッチがぬれないように覆ったが、私は濡れないようにサンドイッチをすべて口の中に頬ばった。おかげで息がつまりそうになった。

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華厳の滝を思わせるマノアの滝


大急ぎでサンドイッチを食べ終えると、私たちは引き返すことにした。帰り道はすべて下りだった。しかし道が滑りやすいためかえって下り坂は大変だ。登りの時は上に向かって多少飛び上がる形で進むことが出来た道も、下りはそうはいかない。靴はすぐに泥まみれになり、靴底の摩擦まるでなし。まるで冬のオリンピックのダウンヒルスキーのように歩くというより滑り降りるという感じになってしまった。
「川に飛び込んで泳いで帰ろうか?そっちの方がぬれないで済むかもよ。」と冗談まみれにカカシ。
雨はどんどん激しくなり、すでに森の景色も小川も目にはいってくる水でまったく見えない。完全にびしょぬれになって滑りながらなんとか一度も転ばずに坂を折り切った。 やっと駐車場にたどりつくと、さっきの日本人のおじさんは若いきれいなハワイアンのお姉さんに変身していた。お姉さんは傘の下で震えていて挨拶もしなかった。ま、そのほうがいいかな。あのやたらに馴れ馴れしい「あろ〜は!」で挨拶されるのはかなり飽きたからな。
車のドアをあけると、ミスター苺が空を見上げて言った。「ちょうどいいタイミングだよ。雨が止んだ」へ?あ、ほんとだ。髪の毛から水がまだ滴り落ちていたので私は気がつかなかったのだが、さっきまでの雨が嘘のようにピタっと止んでいる。まるで天が我々が歩き終わったのを見計らったかのように。
私たちの着ていたものは何もかもびっしょりぬれていて、ふたりとも雑巾のよう。手足をペットボトルの水で洗ってびしょぬれのまま車に乗り込み青空の広がるワイキキビーチへの帰途についた苺畑夫婦。
すっごく面白かったのだ!
この次はカネオヘベイ(Kaneohe Bay)でカヤックに挑戦するぞ!


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セレブになりきれないカカシの旅

本日は前回実家へ帰った際に流行り言葉大好きの母が使っていた「セレブ」というステータスについてお話したい。
母に言わせるとセレブとはお金持ちという意味だというが、英語ではセレブリティの略だとすれば、有名でかつお金持ちということになる。ま、日本語の流行り言葉はいい加減だから単に金持ちでもいいのかもしれないが。
カカシが出張が多いという話はいつもしているので、読者の皆様も「またか」と思われるかもしれないが、私は意外と航空会社のマイレージは多くない。それというのも、カカシの出張は一度行くと三ヶ月とかの長期にわたるため、航空会社を利用する頻度はそれほどでもないからである。
この間日本へ出張で行ったとき、一緒に行った同僚の二人は私より頻繁に出張する人たちだったため、航空会社のメンバーシップでもエグゼクティブとかいう最高の位を持っていた。こういうレベルになってくると、空港でのチェックインとかも長い列に並ばないで済むし、国際線ではラウンジを使うこともできるようになる。同僚の二人は私がそういう位にはなっていないことなど全く考慮に入れず、さっさとエグゼクティブクラスの方に並ぶし、ラウンジで待ち合わせをしようなどと平気でいうのでちょっと閉口した。しかしメンバーと一緒に居ればラウンジには入ることが出来るので、若い方の同僚に頼んで一緒に入らせてもらった。
ラウンジではコーヒーとかワインとかケーキとかすべて無料。すっかりご機嫌でデザートトレイからお菓子をほうばっていたら、周りから白い目で見られた。昔、私が外でおよばれをする度に出されたおやつをここぞとばかりに頬ばるので、「普段何も食べさせてないみたいで恥かしい。」と母が愚痴っていたのを思い出した。
そんなカカシだが、この間の成田→ロサンゼルス間の往復のおかげか、今回ロサンゼルスからホノルルの旅は頼んでも居ないのにファーストクラスにアップグレードされていた。5時間の飛行でファーストクラスへのアップグレードは大きい。
エコノミーでは食事も出ないしアルコールは有料。それを見越してカカシはお稲荷さん弁当を持参で乗り込んだのだが、ファーストクラスでは先ず座ったと同時にシャンペンが無料で出てくる!(お酒が飲めないひとはオレンジジュースとか色々出てくる)しかもオムレツやソーセージの入った朝ごはんもただで出てくる。(感涙) 調子にのってシャンペンをガバ飲みする貧乏性。
普段からファーストクラスに乗ってる振りをしたかったのだが、トレイの出し方が解らず、隣のひとに助けてもらっていっぺんにおのぼりさんがばれてしまった。ファーストクラス専門のトイレがあるとも知らず、エコノミーの方へ歩いていって周りから怪訝な目でみられたことを不思議に思ったりもした。
今日から移動してまたワイキキへ戻ってきたが、今回は何故かいつもの安ホテルではなく一応一流ホテルに泊まれることになった。関連ホテルに何度か泊まってポイントがたまっていたせいなのか、部屋はタワーの上階で見晴らしがいい。しかもルームサービスにワインとパイナップルがついていた。しかし普段とまる安ホテルのように電子レンジもついていないし、インターネット使用も馬鹿高い。私としてはこんな一流ホテルより便利な安ホテルの方が性に合っている。
どうも根が合理的というか貧乏性というか、セレブになりきれないカカシであった。


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出張ブロギング、マウイ島にて

カカシは今、ハワイ諸島のひとつ、マウイ島のホテルにてブロギングをしている。もちろん出張。バカンスではない。
仕事でオアフ島のホノルルはよく行くが、出張でマウイ島へ来たのは初めてだ。私が居るのはラハイナ(Lahaina)というところで、海岸線に沿ってホテルやコンドミニアムが立ち並んでいるとはいうものの、ホノルルのような都会的な雰囲気は全くない。
砂浜が目の前にあるこのホテルに泊まってもう三日になるが、ワイキキビーチのようにタオルを敷く場所もないほど混雑しているビーチとちがって、夕方でもそれほど人出はなく、家族ずれやカップルと時々すれ違う程度だ。何マイルも続く海岸線だが、浜辺はきれいでゴミひとつ落ちていない。今朝も一時間ほど砂浜を散歩したが、静かでとても落ち着くビーチだ。無論海の色はエメラルドだし、沖のほうでパラセーリングをしている人の姿が見え、海外にそってカヤックをしているカップルに出会った。ちょっと沖のほうに低い山のような島が見える。空は晴れているが山の上のほうにはかすみがかかっていた。まさしくパラダイスだな。
10年近く前に新婚旅行でミスター苺とハワイ諸島を一応一巡りしたが、その時に得た印象はといえば、景色が一番美しかったのはカワイ島で、一流ホテルに泊まって贅沢な休暇を楽しみたい人にはカワイ島はぴったりだが、アウトドアの活動がすきな人にはマウイ島が一番適している。
マウイ島ではスノーコリング、スクーバダイビング、サーフィン、パラセイリング、カヤッキングなどが手軽に出来る。クジラ見物のボートも毎朝波止場から出ている。私は休暇で来ているわけではないので料金は調べていないが、毎朝波止場では観光客がさまざまないでたちで現れる。
こういう人たちを傍目に自分は出勤用のモーターボートに乗り込む。観光地での仕事はこういう時みじめだ。考えてみればカカシが出張するところは、今居るラハエナもうそうだが、ポートランド(メイン州)、ジャクソンビル(フロリダ)、サンディエゴ(カリフォルニア)、と観光地ばっかりだ。
ところで我々の出勤用のモーターボートだが、桟橋からボートへの乗り降りはどうということはないが、このボートから大型船への乗り降りはちょっと怖い。特に二日前は波が高く、上下の差が10メートルくらいあった。船には階段がつけてあり、海面のレベルにプラットフォームが設置してあるが、波のタイミングをつかんでちょうどプラットフォームちかくにボートが上がった時点で踏み出さないと、次はストーンと10メートルも落ちてしまうという危険さだ。しかし私が降りるときに都合よく高い波が来て、ちょうどボートとプラットフォームが同じレベルに並んだので、私は楽に降りることができた。
しかし昨日は打って変わって静かな海だった。これは船に乗って仕事をしている時は楽だが、帰りにプラットフォームからボートに乗り込むときに波がないとかえって難しいことを学んだ。それというのもボートがプラットフォームからの高さが一メートル半くらい離れていたからで、波がないからそれ以上ボートは上がらないというのである。ボートの乗組員がボートの屋根をつかめと言ったが、私は腕が短いから手が届かない。しょうがないからプラットフォームから飛び降りた。ボートはゴム製なので足を折ったりはしないが、私は数週間前につま先を骨折していたので、ほぼ完治した状態で助かった。これが二週間前だったらかなりきつかっただろう。
船からの乗り降りは、以前にもやはりハワイで縄梯子からボートへ降りた経験がある。あの時はさすがに落ちた場合を考えて救命具を着せられた。船の上にはダイバーのお兄ちゃんが、万が一の場合の救助のために我々を見守っていた。あの時は朝6時でまだ日も出ておらず、真っ暗な中、縄梯子を降りるのはかなり怖かった。もっとも降りるのはまだしも、ボートから縄梯子で登るのはもっとたいへん。幸いにして私はまだそれはやったことがないのだが、この仕事を長年やっていると、いつかはそういう体験をすることになるだろう。はっきり言ってタフじゃないと勤まらないな、この仕事。
なんて考えていたら、太った同僚のおじさんがドスンとボートに飛び降りてきた。あの体でよく飛び降りられたなと感心してしまった。
おっとそろそろ行かなければ。エントリーの間隔が開きすぎてることをお詫びします。今夜はがんばって書きますので、よろしく。


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