苺畑夫婦カナダ旅行記 その1:寝坊で始まったカナダの旅

9月はほぼ毎週のように海に出る。船の上ではブログを書くような暇は全くないので、今月はちょぼちょぼと旅行記でもご紹介しよう。
苺畑夫婦は2008年の7月、カナダはカルガリーのスタンビードと呼ばれるロデオ大会見物から始まって、ロッキー山脈で五日間の乗馬キャンプ旅行をした。その話はいずれブログで詳しく書くつもりだったのだが、忙しさにかまけて放ったらかしになってなっていた。幸いにして、当時友達に書いた手紙が残っていたので、それを参考にして思い出しながら書いていこう。
まずは当時の手紙より:

お久しぶり、お元気ですか?

そろそろ夏休みに入り、お子さんたちもおうちでお過ごしの時期でしょうか? 
私たちは昨晩遅くカナダから帰って参りました。とても良かったですよ。
カルガリーではロデオトーナメントの最終戦を観戦。その後アルバータ州のノーデッグというところで、カナダのロッキー山脈のなかを五泊六日乗馬とキャンプ。一旦シアトルへ戻ってそこからフェリーでビクトリアへ行き三日間の観光をしました。シアトルからビクトリアへ行く時ものすごく海が荒れ、いつもは全く船酔いしない私が床にへばりつくほど酔ってしまいました。もっとも乗客のほとんどが同じ状態で、全く問題なかったのは数人の乗組員とうちの主人くらいでした。

第一話:寝坊で始まったカナダの旅
最初の日に夫婦そろって大寝坊!7時半の便に乗らなければならないのに、なんと起きたのが6時50分!慌てて家を出たので主人は帽子をうちに忘れて出てしまった。それを笑っていた私はレンタルカーの中に帽子と上着を忘れてくるという大ドジ。うちからタクシーではなくレンタルカーを借りたのは、タクシーより片道だけレンタルカーを借りた方が安かったからである。
空港へのシャトルバスの中で帽子と上着を忘れたことに気がついたが、もう戻っている暇等ない。仕方なくレンタルカー会社に電話してもどってくる二週間後まで保管してもらうことになった。
飛行機は次の便にも間に合わずその次の便のキャンセル待ちでなんとかワシントン州のシアトルまでは行けそうだったのだが、その後シアトルからカナダのカルガリーまでの乗り換え便に間に合うかどうかがきわどいところだった。私は出張で飛行機に乗り遅れるとか便がキャンセルされるとかいうことは、たまにあるので、特にどうとも思っていなかっただが、旅慣れしていない主人はシアトル行きの飛行機のなかでも次の乗り継ぎ便に乗れるまでは安心できないと、ずっと心配し続けていた。
しかし当初の予定では、乗り継ぎまでの待ち時間が5時間もあったで、二便も遅れた割にはにちゃんと間に合った。


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ここはディズニーランドじゃないんだからね、ナイアガラの滝で転落した女学生の死に思う

今日、浜村さんのラジオを聴いていたら、ナイアガラの滝で記念撮影をしていた日本人の若い女性がバランスを崩して滝底へ転落、死亡したと見られているというニュースを聞いた。いくら「柵を乗り越えないでください」と看板が立っていても、こうやって柵を乗り越える観光客は絶えないという。ここ数週間のうちにも柵を乗り越えて転落したのは三人とか、そのうちの二人は死亡。一人は重傷を負ったが助かったとか。この話を聞いて、私はもうずっと以前になるが、私とミスター苺がグランドキャニオンに行ったときのことを思い出した。
最初の数日は二人で大峡谷をハイキングしたのだが、その後でラバに乗って峡谷の中腹まで下りていくツアーに参加した。その時にガイドのおじさんから言われたのが、「ここはディズニーランドじゃないんだからね、すっごく危険なんだ。注意事項には必ず従ってくださいよ」だ。
峡谷にあるギフトショップで買った「グランドキャニオンでの死」という本には、峡谷における死亡事故や事件がつづられていたが、そのなかに、写真をとろうとして柵を乗り越えた日本人の若い女性が谷底に転落して死亡したという事故があったのを覚えている。この事故はもう30年くらい前の話だと思うが、いつの世にもそういう不注意な人がいるのは残念なことだ。
我々苺畑夫婦はハイキングの最終日にコロラド川のある底辺から、ブライトエンジェルトレイルという全長15km、標高1335mのハイキングコースを歩いて、峡谷から登り出た。
その時、コースの終わり付近3kmくらいのところになると沢山の観光客が散歩気取りで歩いているのに出会った。その時点ですでに6時間登り続ける真剣なハイキングをしていた我々には非常に邪魔だった。特に我々が出会った若い日本人の団体は行儀が悪かった。

団体ツアーの観光客はマナーがなってない。登りハイカーに道の優先権があるのは常識なのに、団体観光客は群れになって道のまん中をどんどんおりてきてハイカーの邪魔になっていることなど全くおかまい無し。あんまりその態度がひどいので私は頭に来て、「登りハイカーが先です! どいてどいて!」と持っていたハイク用の杖を振り回すと観光客はこぞって崖の外側によけるのです。それで私は「壁側、壁側!」と怒鳴るはめになりました。 

そのなかの一人の若い女の子が、ひとり遅れをとったとおもったのか、あせって私を追いこした。 追いこすときは後ろから声をかけるのが礼儀なのだが、彼女は何も言わずに追い越し、しかも追い越しざまに私の杖を蹴ったので、私はバランスを崩してもう少しで転ぶところだった。もしもあの時そのままよろよろと崖からおちてしまったらと思うと空恐ろしい。
人の杖を蹴飛ばしておいて、この子は謝りもせずに通り過ぎたので、私は「ちょっとあんた!」と日本語で呼びかけた。その声にその子は振り向いたが、その子が手で口を隠しクスっと笑ったのを見て私はものすごく腹が立った。もし6時間のハイクで疲れていなかったら杖をかざして追いかけてって殴ってやるところだった。そのくらい頭にきた。

その後も日本人の団体がハイカーが休むのに最適な岩をぶんどっていたり、写真を取るからといってハイカーに待つように合図したりしてるのをみて私はカッとなり「あんたらを待ってる余裕なんかない」とどんどんカメラのまえを通り過ぎました。私の後ろから続いていた 何人かのハイカー達もそうだそうだといいたげに通り過ぎました。全く無神経にもほどがあります!

最近は日本人も旅行慣れしているので昔のように恥かしい観光客は少なくなったとはいえ、まだまだ観光地における危険を実感していない人が多いのは困る。もっともこれは日本人に限ったことではないのだが、ハワイのワイキキなどでは、観光客が信号など完全無視で道を渡るので、特に日本人が多いヒルトンハワイアンビレッジの中では車の運転はほぼ不可能である。
グランドキャニオンにしろ、ナイアガラの滝にしろ、危険はつき物。ディズニーランドじゃないんだからね、十分気をつけてもらいたいものだ。


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ヨセミテ、騾馬での旅は楽だなあ、、

カーン川での濁流下りを終えた我々苺畑夫婦は、ハイウェイ99を北へ走ってヨセミテに向った。写真家アンセル・アダムスの名をとった自然公園の山中で三日間の乗馬旅行をするためである。我々が乗馬旅行をするのは2002年の夏にグランドキャニオンの南淵からラバで中腹まで下った一日のツアーを含めると、これで5回目。ヨセミテは2003年の時から8年ぶりの二回目だ。
ミスター苺が、ミナレッツパックステーションという家族でやっている小さいな業者に我々二人だけのガイド付きツアーを申し込んでくれた。二人だとガイドと我々二人用の馬三頭と、荷物運び専門のラバが三頭の行列となる。
ヨセミテにはハイキングコースがいくらもあるが、アンセル・アダムス自然公園あたりは道が非常に険しいので徒歩でこなすのはかなり大変である。8年前にヨセミテに行った時は、最初の一週間ツオルムメドウ(私にはトゥワォロミーと聞こえるのだが、カタカナ表記はツオルムらしい)という草原のあたりを一週間ほどハイクしたが、標高一万フィート以上でのハイキングは空気が薄くて非常に大変だった。グランドキャニオンのハイクで荷物を持って行きすぎて懲りたので、超軽量キャンプに挑戦した我々夫婦は色々なものが足りなくて閉口した。特に食べ物が干し肉とお米だけだったというのは完全に間違っていた。
それに比べて馬の旅は楽だ。先ず空気が薄くがれきだらけの険しい山道を歩かなくて済む。荷物はラバが運んでくれるから折りたたみの椅子だのテントだのマットだのを持って行ける。食料でも重たい缶詰や瓶類をいくらでも詰めるからおいしい物が食べられる。人に寄ってはクーラーに入ったビール2ダースとか持ってくる人もいるというが、我々はキャンプ中の飲酒は危険なのでしない。
もっとも乗馬は馬だけが運動していて乗り手はただ乗っかっていればいいのだ、と思って挑んだら大変な事になる。乗り手に袋に入ったジャガイモみたいに乗っかっていられるほど馬にとって不愉快なことはないし、そういう乗り方は乗り手にとっても乗り心地が悪いだけでなく落馬する危険がある。
我々の選んだ道は標高5000から9000フィートまで登る険しい山道の行程で、場所によっては馬のたてがみに顔がつくような上り坂があったり、馬の尻に頭が付くような下り坂がある。川をいくつも横切るので、時々馬がジャンプしたりするから、馬の両脇を脚で掴むようにしていないと振り落とされる可能性が大きい。
つまり、乗馬は全くの土素人というような人にはお薦め出来ないコースである。
にも関わらず、乗馬旅行もこれで五度目ということで、今回の乗馬は二年前のカナダのローキー山脈で参加した五日間コースの時よりずっと楽に感じた。
先ず我々が乗ったのは馬ではなく乗り専門のラバだったのがよかった。ラバは馬より気質がおとなしいので、ちょっとしたことでパニックになって後ろ足で立ち上がるとか、突然意味もなく走り出すといかいうことをしない。(カナダではよく馬が疾走して止めるに苦労した。)また、木々の間を通り抜けるにしても、こちらが特に手綱で誘導しなくても乗り手に気を使って木を大きく回ってくれる。これが馬だと自分の身体さえ通れれば大きな枝が上から垂れてる木の下だろうと狭い道だろうとどんどん歩いて行こうとするので乗り手は手綱をひくのにかなり技術を要する。(しつけの悪い馬になるとわざと木に寄りかかって乗り手の脚を身体と木の間にはさんだりするけしからん奴までいるから、乗り手はかなり気を使う。)
ただ、ラバは頑固なので、道草を食って動きたくないと思ったら乗り手が蹴ろうがどうしようが動かないという場合はある。また、馬のように感情的ではないので乗り手になつかない。馬なら気に入った乗り手には頬ずりしてきたりするが、ラバは乗り手などちょっと煩い荷物くらいにしか思っていないのか、降りてしまえば一瞥もくれない。馬なら三日も乗っていれば愛着が湧く物だが,ラバには全くそういう感情移入は出来なかった。


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苺畑夫婦、カーンリバー濁流下りに挑戦

苺畑夫婦は月曜日から土曜日までカリフォルニア中部のセコイアとヨセミテでアウトドアアドベンチャー旅行を楽しんで来た。本日は最初のカーン川濁流下りの話をしよう。
カーン川はカリフォルニア州中部にあり全長270km。水源はウィットニー山の雪解け水で、下流はシアラネバダ山脈の北東にあるベイカースフィールド。 セコイア峡谷を通り抜けるため数々の濁流があり、筏やカヤックでの濁流下りにはもってこいの川。
我々が参加したのはカーンリバーアウトフィッター(Kern River Outfitters)という会社の、途中にキャンプが入る一泊二日のローアーカーンリバーラフティングというカーン川下流を下るツアー。
濁流には段階が1から6まであって、5までは筏(いかだ)で抜けられるが6になると筏は通れない。我々はずぶの素人なので、クラス4が最高という流れを選んだ。それでもクラス3が確か7〜8カ所、クラス4が12カ所くらいある激しいコース。
月曜日の9時半アウトフィッターの事務所で集合。いつもは遅刻ばかりするミスター苺はこの日に限ってはり切って一時間も前に行って待たされる始末。この日のツアーに参加したのは23人という大人数で、子供を含めた家族ずれが3チームと会社の同僚3人のチーム、そして我々夫婦2人のチームだった。ひとつのボートに5人から6人乗って4つのボートに別れ、我々は3人の若い会社員男性らと一緒になった。
最初にヘルメットと救命チョッキの着方を教わり、その後で30分くらい安全事項の説明があったのだが、これを聞いているうちにカカシは非常に不安になった。
1。ボートが一方に偏いだ場合にはガイドの「ハイサイド(高い方)」という指図に従い即座に高い方に移動する。
2。もしもボートから落ちた場合、静かな流れの場所なら仰向けになって脚を延ばし、ラウンジチェアに座った感じで川の流れに従う。
3。万が一濁流に飲まれた場合には身体を丸めて玉のようになり、濁流から放リ出されるまでじっとしている。
4。泳げる状態になった時には、ガイドの指図に従って岸もしくは近隣のボートまで泳ぐ。
5。ボートがひっくり返り、身体がボートの下になった場合には、どちらか一方を選び手づたいでボートの外に出る。
他にも色々あったが、これだけ聞いていても何だか怖くなって来た。ボートから落ちるとかボート自体がひっくり返るなんてことはどのくらいの頻度で起きるのだろう。そのなかでも私がその犠牲になる可能性はどのくらいあるのだろう、などと考えを巡らせている間に我々は指定されたボートに乗り込んでいた。我々のボートで舵取りと指図をするガイドさんはブリジッドという24〜5歳の若い女性。もと体操の選手だったとかでパドルの使いかたの模範が優雅である。
会社員の一人ジェイソンがブリジッドに、ボートをひっくり返した経験はあるかと質問すると「二年間やっていて一度もひっくり返したことがなかったんだけど、この間始めてひっくりかえしたわ。今年は水かさが例年より多いから流れが激しいのよね。」となんだか余計に不安になる答えがかえってきた。
ボートには子供や女性が多い場合には8人くらい乗る事もあるようだが、大人の男性ならガイドを抜かして4〜5人で充分。我々は男4人と女1人の5人チーム。ブリジッドは女性だがプロなので私たち5人を合わせたより力強く漕いでいた。
第一日目は、午前中はメンバーが慣れるまでクラス2から3までのコースで留め、お昼前にクラス4を一カ所こなして昼休みとのことだった。一番前は力強い漕ぎ手が必要なので、30代前半で濁流下りの体験がある体格のいいジェイソンとトリストンがそれぞれ左と右に選ばれ、ジェイソンの後ろがミスター苺、トリストンの後ろが若く未経験のシェーン。ミスター苺の後ろがカカシ。後部の舵取りはブリジットとなった。
漕ぎ方の指図は簡単で、「フォーワード」が全員前進、「バック」は全員後退、「ライトバック」は右後退左前進、そして「レフトバック」左後退右前進。その後に「フォーワード、ワン」と言われたら一回漕ぎ、ツーなら二回。回数が指定されない場合は「ストップ」(止め)と言われるまで必死に漕ぐ。
最初の一時間半くらいは、こんな調子で結構うまくいっていた。それでも初めてクラス3に出くわした時はちょっと緊張した。水しぶきで前が見えずに冷たい水でずぶぬれになった時は、これはディズニーランドのスプラッシマウンテンみたいな柔なもんじゃないと実感した。
お昼休みも近づいた頃、ブリジットが「この次の濁流はクラス4よ。私は色々言うから指図には速やかに従ってね。」と気合いを入れた。「イエーイ!」我々はまだ見えない濁流に備えて奮起の声を上げた。
ところが、クラス4に息つく前に予期せぬ事故が起きた。
今年の川ではビーバーが非常に活発に木を倒してダムを作っていたため、あちこちで倒れた木が我々の航路を塞いでいた。前日にはなかったようところで倒木に出くわすことが多く、この時も前方を見ると川の真ん真ん中に大きな木が倒れていた。
我々より先に通ったボートは皆右寄りに木をよけて通り過ぎて行ったのだが、ブリジットが倒木に気がついた時には我々のボートはすでに左の方に位置していたため、ブリジットは「レフトバック」と言って我々を左へ誘導した。しかし左側の水かさはブリジットが思ったよりも多く、我々では抜けきれないことが解った彼女は、とっさに「あ、だめだわ、止め、右後退!」と指図したが時既に遅し。ボートの右側が倒木に激突。右が高くなり左が極端に下がって傾いた。ブリジットの金切り声が「ハイサイド!ハイサイド!(高い方)」と指図したが、私が右側に登ろうとした時はすでにボートが傾きすぎて無理。私の身体はあっという間に水の中。
水中特有の「ぶくぶく」っという音が耳元でした時、私は思わず水をがぶ飲みしてしまった。それでも救命チョッキのおかげで、ほんの一瞬にして身体は水上に浮かび上がった。ほっと息をしたのはいいが目を開けても回りは真っ暗。なんだこりゃ? と一瞬戸惑ったが、ああ、これが最初に注意を受けたボートの下ってやつだなと悟った私は両手を上にあげて手伝いでボートの外に出た途端、濁流に飲み込まれた。「あれ、こういう時はラウンジチェアだっけボールだっけ」なんて考えている暇もなく流れから放り出された私は再び見ずの上に顔を出した。
ブリジットの「岸に泳げ!」と叫ぶ声が聞こえたが、右側は木ばかりで左側は岩ばかり。どちらも掴まれる場所などなさそうな感じで、どっちに行けばいいのか解らない。一応左側に向って泳ごうとしたが川の流れが激しくて岸にたどり着けない。そうこうしているうちに我々より先に木を避けたボートが川の真ん中まで漕ぎだしているのを見つけた。そのボートのガイドが「こっちこっち」と指図するので、そちらへ必死にクロールで泳いだ。
救命チョッキを着ていると、かなり泳ぎが巧い人でも非常に泳ぎにくいのだが、私のように泳ぎが下手な人間にはなおさら大変だった。それでもなんとかボートまでたどり着いた私はボートによじ上ろうとしたが、これもチョッキが邪魔でうまくいかない。「大丈夫よ、任せて!」と痩せた中年の女性が私のチョッキをつかんで後ろに倒れかかるように身体全体を使って持ち上げてくれた。私はその女性の上に覆いかぶさるようにボートに乗り込んだ。
私がぜいぜい言っていると、同じボートに救われたミスター苺が「カカシ!カカシ!」とヒステリックに呼んでる声がした。乗り手は皆ヘルメットを被ってチョッキを着ているので、ちょっと目には誰が誰だかわからない。それですぐ傍にいた私に彼は気がつかなかったのだろう。
他の4人はそれぞれ別々のボートに救われたが、パドルは二本流されてしまった。そして流れに合わせて見覚えのあるオレンジの容器が流れて行くのが見えた。それは北欧系特有の色白ミスター苺専用spf100の強度日焼け止めクリームだった。
木にひっかかって転覆したボートをガイド二人が取りに行っている間、岸に一時停泊した我々は被害を点検してみた。流されたのはパドル2本とミスター苺の日焼け止めクリーム。パドルは予備のものがあるし、日焼け止めはカカシのspf50を使えばいいということで、まあこの程度ならいいか、とほっとしたのもの束の間。今何時だろうと腕を見たミスター苺が「あ、俺の腕時計!」と叫んだ。
なんとミスター苺の腕時計が濁流に飲み込まれ流されてしまったのである。
実はこの時計、スクーバダイビングが好きなミスター苺がダイビング耐久ということで何年か前に購入したもので、だいぶ古くなってきたので買い替えようという話をしていたばかりだった。今回の旅行の前に買おうかどうしようかと迷っていたのだが、新しいものを買わなくて本当に良かった。流されたのが新品の時計だったら本当にがっかりするところだった。
20分くらいしてガイドたちは我々のボートに乗って戻って来た。
ボートから放り出されたメンバー5人とブリジットは再びボートに乗り込んだ。この状態が写真に撮られていたら記念になるのにね、と誰かが言ったが、特に危険な場所ではなかったためカメラマンは待機していなかった。残念。


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ネットで出会った不思議な日本人たち

以前に、カカシはネットサーフをしていて、とある日本人主婦のブログを見つけた。彼女はごく普通の中流家庭の女性で、関西地方の中都市郊外の中型の家に住み、子育ても終わって特に仕事らしいものもしていない専業主婦。その日のエントリーは。町内会の主催する日帰り旅行についてだった。バスの中で近所の中高年の主婦達と楽しい会話を交わし、行った先の景色や食べたものの写真などを掲載し、小さな孫達にお土産等を買った話をしていた。
私はこのエントリーを読んでいて微笑ましく思うのと同時に、なんと自分の人生とはかけ離れた生活なのだろうとつくづく思ってしまった。
カカシとこの主婦とは年代的にそれほど離れていないと思われる。日本人に生まれ日本人として育ったカカシが、もしごく普通の平凡な主婦としての生活を選んでいたら、カカシも日本で結婚して二児の母となり、今頃は子供たちの受験に追われてるところかもしれない。いや、もう二人の子供が大学生になっていて、ほっと一息入れているときかもしれない。
それがどうしてカリフォルニア南部に落ち着いて、年間何ヶ月も船上で過ごす船乗り紛いの生活をするに至ったのかというのは、それはそれで面白い話かもしれない。だが、世の中には、カカシなどとは比べ物にならないほど、奇想天外な生活をしている日本人がいる。
だいたいアメリカ、特にカリフォルニアやハワイあたりに落ち着くのは、日本人としてはそれほど珍しいことではないし、特に取り立てて冒険心も必要としない。だが、これが東ヨーロッパや中近東、東南アジア、などになってくると話は全然違ってくる。
カカシは数年前からネットを通じて、世界各地で活躍する日本人の方々に出会った。知り合いになって掲示板などを通じお話するようになった人もいれば、私が勝手にブログを読んでファンになった人たちもいる。
たとえば、某掲示板で知り合ったマレーシアで地域振興外国人スタッフとして活躍するアセアンさんとか、以前はイスラエルに住んでいて今はクロエチア住まいの写真家の千花さんなど、私など考えたこともないような場所での生活をしてらっしゃる。
そして本日、アフガニスタン関連の記事を探していて、ばったり行き当たったこのブログ。世界の笑顔に出会いたいのMESTさんという女性。
MESTさんも千花さんと同じように写真家で、アフガニスタンを含め中近東でボランティア活動などもしているようだ。ブログのトップページの紹介文では、

とても尊敬する写真家である”ボス”に出会い、彼の立ち上げたアフガニスタンのとある地域の学校を支援する活動にスタッフとして加わり、今年(2007年)初めて現地へ行ってきました。

この訪問で、あまりに多くの笑顔に出会い、この笑顔あふれる国アフガニスタンのことを少しでも多くの人に知ってもらいたい一心で始めました。
それと同時に以前から通い続けているエジプトの笑顔や現実もご紹介しています。

あんな危険な場所に頼まれてもいないのに出かけて行って働くなんて凄い人だなあ。
こうした感心する方々とは正反対だが、冒険心という意味では変わらない過激派のブログにも行き当たったことがある。例えばこのブログでも何度か紹介したテロ団体ISMに参加して、パレスチナまで行ってテロ援助をしたこともあるという女装趣味の自称変態運動家のひびの、なんていうけしからん奴もいる。ま、本人は慈善事業でボランティア活動でもしてるつもりらしいが、同性愛者は極刑に処すべき主義の過激派ジハーディストに同調して対イスラエルの暴力行為に加担するなど愚の骨頂だ。しかし、ISMのメンバーは逮捕されたり殺される可能性は多いにあるわけだから、情熱の矛先を間違えているとはいうものの、その度胸は認めざる負えない。
というわけで、今日は意図していたこととは全然違うエントリーになってしまった。(笑)


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クレタ島旅行記最終回:帰路ミュンヘン空港でハプニング

クレタ島の旅行記が途中で放ったらかしになっていたが、実は最終回はリアルタイムで書いていたので、順を追って読んでいる読者のためにもういちどそのエントリーをそのまま転載する。
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イサーイ!(ギリシャ語で、『こんにちは』という意味らしい。でも『さようなら』という時にも使えるみたい。)
ギリシャから、数時間前に自宅のカリフォルニアに帰国したカカシです。四週間の長い滞在で、宿からのネットアクセスはゼロ、出張先付近のタバコの煙がむせるWiFiネットカフェで、仕事の合間に毎日一時間程度のアクセスしかなかったため、ブログ更新もままならず、読者の皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。
ギリシャでの旅行記はいずれまた日を改めてしたいと思うが、20数時間に渡る帰りの旅路はちょっとした冒険だった。
アテネからミュンヘンへの飛行機が遅れて、パスポートチェックをしてチェックインもしなければならないのに、接続時間たったの15分! しかもチェックインカウンターのアホ受付が「チケットナンバーがないので手続きできない。どうしても乗りたいなら新しく旅券を買え」などというので、カカシはぶっとんでしまった!同じe-ticketで、他の航空会社の飛行機を何機も乗り継いで飛んで来ているのに、今更何をぬかすんじゃ「予約コードがあるじゃろうが、それで調べられんのか、」というとドイツ人の金髪娘は「出来ません。」の一点張り。「あんたじゃ話にならん、上司を呼んで来い!」と怒鳴ると中年の男性が現れてピコピコっとキーボードになにやら入力して、手続き完了。「ほれみろ、できるでないの。」と思ったが、上司の男も部下の不能を謝る気配まるでなし。チケットナンバーのない書類を持っていたこっちが悪いと言わんばかり。田舎のローカル線、エーゲ海航空のおばちゃんでも問題なく手続き出来たのに、天下のルフトハンザがこの程度のことも出来ない馬鹿娘を受付に使ってるというのも、情けないね。
しかし、怒鳴ったのは大人げないと思ったので、「怒鳴ってごめんね。なにせ焦ってたから。」と一応金髪女に謝ったのに相手は、にこりともせず、「ふ〜んだ!」という顔でこっちの顔もみない。なんて失礼な奴!やっともらった搭乗券をもってゲートまで突っ走った。(ものすごく遠かったのだ。)
ところで、関係ないがミュンヘンから乗ったルフトハンザのスチュワーデスは皆背が高くて美人ぞろいで、往年のパンナムのスチュワーデスを思い出させた。昔、カカシが若い頃は、スチュワーデスになるのは若くてきれいな娘というのが定番だったが、今や「容姿端麗にて聡明な若い独身女性求む」なんて募集記事出したら訴訟沙汰になるだろう。当時のエアロフランセの募集記事には文字通り「容姿端麗」という言葉が使われていた。確か身長170センチ以上、英語、仏語、日本語のどれか二カ国語は堪能でなければならないという条件だった。今や、そんな有能な女性はスチュワーデス、おっとフライトアテンダント(日本語では何と言うんだ?機内添乗員?)を目指さなくても他にいくらも仕事が選べるだろう。
飛行機内に液体を持ち込めないという規則も本当にやっかいだ。アテネの免税店でバーバリーの香水を買ってユーロを使いきってしまおうと思ったのに、ミュンヘンの乗り換えの際にセキュリティーを通るからという理由で売ってもらえなかった。でも実際にミュンヘンではゲート変更だけで、セキュリティーチェックはなし!な〜んだ、それなら香水買えたのにとがっかり。
ゲート付近で係員から「どこから来たんですか?」と聞かれて、私は一瞬自分が何処にいるのか何処から来たのか思い浮かばず、「ミュンヘンです。」と答えて変な顔をされた。もう一度聞かれたが、また「ミュンヘンです。」と答えたので、相手は私が英語が解らないのだろうと思ったらしく、それ以上は聞かなかった。後々考えたら、「あ、今居るのがミュンヘンだった!来たのはアテネからだった!」と思い出したが、時既に遅し。どうりで係員は変な顔をしていたわけだ。
あっちこっち移動していたので、いったい自分がどこの飛行場から飛んで来たかなんて、いちいち覚えてられない。自分の席を探して座ると、なんと同じ列に会社の同僚が座っていた。「お前、なにやっとんじゃ、ここで?」と聞くと「ノルウェーに行ってたんだよ。コペンハーゲンから乗り継いだんだ。悪いか!お前こそ何処言ってたんだよ。」と同僚。
変な話だが、私は同僚と本社で顔を合わすことより、こうやって旅先の空港とか飛行機の中でばったり出会うことのほうが多い。つくづく出張の多い仕事だなあと実感してしまった。


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クレタ島旅行記第六話:真夜中のビッグファットウェディングパーティ

アップデート:パーティでの写真はこちらをご覧ください。
翌日、ミスター苺と近所の海岸で一日を過ごし、我々がヴィラに返って来たのは午後8時半過ぎ。軽い夕飯をすますと、まだ10時にもならないのに二人ともぐったりと疲れきっていた。何故か日光浴は疲れるものだ。10時半までは起きていると頑張っていたのに、いつもは夜型のミスター苺は私より早く寝てしまった。
いびきをかいてるミスター苺の横で、わたしもうとうとしだした11時近く、私は外でがやがやとする人の声に起こされた。夜遅くだというのに我々のヴィラ付近に車が何台も来ては駐車する音がした。ついに我々のヴィラの門をガラガラと開ける音がしたかと思うと、表の庭に車が入って来て駐まる音までした時は、これはちょっと様子を観に行く必要ありと思い、私はパジャマに上着をひっかけて外へ出た。
外に出てみると、騒音は裏の管理人のタジースの家から聞こえて来た。タジースの家はヴィラマノスの裏庭から続いているので、そこを通って家の前までいくと、玄関の前にあるテラスで中年の女達が忙しそうにテーブルを設置し、数人の年配の男達が座ってタバコを吸いながら話をしていた。
男達の一人が、私に気づき、「何か用か?」と英語で聞いた。非常に失礼な言い方にむっとしたが、英語が片言しか話せないとしたら、ぶっきらぼうな言い方でも失礼で言ってるとは限らない。そこで気を取り直して、「音がしたので何かと思って来たのですが、、」というと、英語で話かけた男は奥になにかどなった。するとタジースが奥から出て来て笑顔で私に何か言い手招きを始めた。ワインを指差して私に飲めと言ってるようだった。私が解らずに首をひねっていると、最初に英語で話しかけた男が「明日タジースの息子のマノスが結婚するので、今夜は前祝いをやっている。私はタジースの兄だ。アテネからかけつけた。まあ座ってワインでも飲んでけや。」てなことを言った。そこで私は主人も呼んでくると言ってヴィラに走って戻った。
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妻は興奮して戻ってくると、俺(ミスター苺)に服を着替えろと言う。「タジースの息子が結婚するんですって、今その前祝いやってるのよ!私たちも招待されたから早く行きましょう!」
寝ているのを起こされた俺はぶつぶついいながら起きて着替えると、まるで興奮した秋田犬が綱を引くように私の腕をひっぱる妻の後に従がった。(自分を犬に例えられたと知ったら妻はなんというだろう?)しかし、この宴会はこの旅行のなかでもハイライトのひとつとなった。
これはまさに本場ギリシャのビッグファットウェディングだった。タジースの家に集まった女たちは食べ物を持ち寄り、数々の皿を忙しそうにテーブルに並べていた。その内容はというと、ヤギのシチュー、雄鶏のロースト(残念ながら俺たちを毎朝4時に起こすとなりの雄鶏ではなかった)、ヤギと雄鶏の脂をたっぷり使ったおかゆ、ほうれん草入りのパイ、豆ともやしを蒸したもの、自家製のギリシャパン(イタリアのパンと似ている)、シロップのかかったイチジク(これは常食のようだ)、見た事のないお菓子もろもろ。そして大量な自家製ワイン。
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結婚式の前祝いなのに肝腎のマノスとその許嫁の姿はなかった。彼らは別の場所にいるらしく、翌日の結婚式や披露宴は別の場所で行われるらしかった。ミスター苺は多少英語の出来る親戚の男達と話の花を咲かせていたが、私は彼らから完全に無視された。そういえば、男達はミスター苺の名前はきいたのに、私の名前は聞かなかった。それにテープルの席についているのは男だけで、女性はひとり高価な服を来た偉そうな中年女性だけだった。どうやら席は男とVIPに限られているらしい。
そこで私は席をたち、家の中にはいっていくと、子供達が居間のテレビの前に集まってアメリカンアイドルならぬヨーロッパアイドルのような歌番組に見入っていた。今夜は決勝戦だそうで、ギリシャ代表がもうじき歌うらしかった。大人の女たちはというと、台所に集まってだべっていた。
なるほど、そういうことか。ギリシャの田舎も日本の田舎と同じだ。女たちは料理をし給仕をするが、男達と一緒に食卓についたりはしない。自分らだけ台所に集まっておしゃべりをする。子供達は子供達だけで別の食卓につく。私は特別なゲストだったので男達と一緒の食卓に座るのを許されたというわけだ。
私が台所に入って行くと彼女達は不安そうにじっと私を見つめたが、私が笑って食べ物を指差したりして話かけると、一斉にギリシャ語で話かけてきた。言葉が解らなくても女同士、なんとなく話が通じた。
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ここでふと気がついたことがある。明日結婚するという息子のマノスは当年38歳だ。子だくさんで大きな家族が自慢だったギリシャの家庭状況は大きく変化している。いや、それをいうならヨーロッパ全体が昔からは想像もつかにくらい極端に変わってしまった。この宴会に集まった親戚は20歳以下の若者と60歳以上の老人という二つのタイプに別れ、我々のような30代から40代の中年は一人も居なかった。唯一の30代、息子のマノスは許嫁とどこへやら行っていて居なかった。
俺はこれがヨーロッパの悲劇を表していると信じる。ヨーロッパは死につつあるのだ。いや、厳密ないいかたをすれば、人口減少による自殺をしつつあるといったほうがいい。人口は単に同数を保つだけでも一人の女性あたり2.1人の子供を生む必要がある。だが、ギリシャの出生率はなんと1.36人。ということは一世代ごとに人口は半減するという計算になる。これこそ文明の滅亡といえるのではないか。ギリシャがこの傾向を逆転させない限り、西洋文化発祥の土地ギリシャは20年から30年後にはイスラム教の国となってしまうだろう。
俺はマーク・スタインの「アメリカアローン」という本のイメージは嫌いだが、この事実を見せつけられると反論できない。ヨーロッパが滅びる前に西側諸国が目覚めてくれることを信じるしかない。
翌日は妻は仕事で朝が早いこともあり、まだまだ続いている宴を後に部屋にもどった。我々がまたうとうととし始めた午前2時頃だっただろうか、ホストとその客達が空に向けって銃を放ち始めた。どうやら本格的な祝いはこれから始まるらしかった。


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クレタ島旅行記第五話: クレタ島の食事は美味!

クレタ島滞在中はネットアクセスが非常に乏しかったため苺畑よりの更新はあまり出来なかったのだが、カカシがルナというハンドルで書いてるダイエットブログの更新は話題が沿っていたこともあり続けていたので、今回はそちらから転載することにする。
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さて、ギリシャ料理なんですが、私にとってギリシャ料理といえばギロとかシシカバブーぐらいしか思い浮かばなかったのですが、こちらに来てみて、そのメニューの豊富さに驚いています。ま、アメリカの日本食レストランにいくと寿司以外は、天ぷらとチキン照り焼きくらいしか食べるものがないのと同じようなもんで、あれだけ見てたら、日本人はあんなもんしか食べてないんだと思われるのと同じですよね。
こちらに来てとても感激したのは、ベジタリアンのメニューがとっても豊富だということです。名前をちゃんと覚えてないので、あとで検索しておしらせしますが、(ネットの接続がとっても遅いので、リンクをつけるのがほぼ不可能なのです。ご了承ください。)チーズとジャガイモとなすを天火で焼いたキーシュのようなものや、ズキーニとほうれん草のような野菜をゆでてオリーブオイルとレモン汁で食べる山菜料理(英語でマウンテンベジタブルと書いてありました。)とか、とにかくお肉を食べない人、もしくは避けたい人には天国みたいなところです。
もちろんお肉料理や魚料理も豊富です。なにしろ島ですから海鮮料理はとっても新鮮!ゲソを揚げたカラマリも、衣がとっても軽くさっくりしていてとってもおいしい。イギリスのフィッシュアンドチップスとはかなり感じが違って、全然脂っこくないのです。チップスというのはイギリス語でフライドポテトのことですが、こちらのフライドポテトはマクドナルドのみたいに細長くなくて、太くて軽くておいしいです。もちろん出されたものを全部たべたりはしてませんが。
オリーブオイルを豊富に使っている割には、バターのなかにパスタが泳いでいるようなアメリカのイタリア料理なんかと比べて、全然しつこくない。考えた見ればギリシャ料理はバターを使わないみたいです。アメリカだと必ずパンについてくるバターも、特別に注文しないと出てきません。
ムサカとよばれるハンバーグみたいな料理はどこのレストランでも置いてますが、牛のひき肉の上にジャガイモをのせ一番上にチーズを乗せて焼いたものです。時々底に茄子がやズキーニがはいってたりします。
バクラバと呼ばれるお菓子は、普通アメリカなんかだとくるみが入っているので私は食べたことがありませんでした。それが、私が借りてる民家の管理人のおばさんが作ってくれたバクラバにはナッツが入っておらず、初めてたべたのですが、おいしかった!土曜日にハニヤという町のマーケットに行ったときも、あちこちのパン屋さんでくるみのはいっていないバクラバが色々売っていてとってもうれしかったです。
クリート島のパン屋さんて、日本のパン屋さんと似ています。おいてあるパンの種類も似たようなものが結構ありますよ。でも味はまったく違います。私は日本のおかずパンや菓子パンも好きだけど、ギリシャのパンも大好きです。ひとつが結構大きいので、これを一個買ってジュース一本あれば十分お昼ご飯になります。
ハニヤで買い物してスーダ湾を目の前にしたテラスのレストランでの食事は、茄子のディップとヨーグルトときゅうりのディップにブレッドスティック。これで女友達と二人で十分でした。
ちょっとお勧めできないのは、ワイン。なぜか酢と焼酎の間みたいな変な後味のあるワインが多く、特に白ワインは飲めたもんじゃない、というのが多いですね。ただ、食事の後にどこのレストランでも必ず出てくるラキと呼ばれる透明の飲み物は、熊焼酎のようにアルコール度が高く臭いですが、結構いけます。でも飲みすぎると二日酔いがひどくなるので要注意。
というわけで、ギリシャ料理を満喫している私でした!


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クレタ島旅行記第四話: ハニヤそのβ

今回の旅行記はリアルタイムでミスター苺が書いて我々夫婦の英語版ブログBig Lizardsに掲載したものから転載する。
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クレタ島の音は犬のほえ声と雄鶏のコケコッコーと野良猫の鳴き声とさかな売りの声と大声で日々の冒険を友人たちと煙草のけむりをもくもくさせてがなりたてるギリシャ男たちの大声との大合唱。この時期(五月半ば)の気温は明け方は涼しく日中は蒸し暑く夜は騒がしく涼しい。
クレタ島に朝はない。少なくとも朝の生活を観察することはできない。一日の始まりは昼からで、レストランや商店が看板を「準備中」から「営業中」にひっくりかえすのは昼過ぎだ。 クレタ島の色は原色ばかり。ブラインドすら鮮やかな色に染められた壁の反射でまぶしく見える。ギリシャは典型的なヨーロッパ南部の国で、錆びの入った男たちがまだ子供もつくらず、短期な男たちや女たちがまだ争いもしていない国。何をするにも熱すぎるのか、でなければ蒸しすぎなのか、でなきゃ寒すぎるかもしれない。
ハニヤのインターネットカフェを出た後、俺と妻のカカシはインナーハーバーに向かった。イスラム経のジャニサーリース聖廟を通り過ぎ(その醜いコンクリートのドームは祈りの場所というより旅行会社のキヨスクみたいだ)東向きに復元した武器のある方向へ向かう。俺は復元されたミノア時代(紀元前1500年)のガレー船を見るのを楽しみにしていた。しかし行ってみると博物館はしまっていた。博物館が開いてるのは午前10時からだが、何故か午後3時に一旦閉めて再び午後6時から9時まであいているのだという。今の時間は午後5時。博物館があくまで時間があるので先に夕飯をすませることにした。
ガイドブックのアドバイスに従って、俺たちはアポストリス2というレストランで食事をした。これは元のアポストリス1からほんの三軒目くらいのところにあった。ここで俺とカカシは二人で魚のフライコンビネーションとグリークサラダ(トマトとキューリの上にフェタチーズが乗っていた。このチーズは俺が食べ慣れてるのよりぽろぽろしていた。)を分け合った。すべてすばらしくおいしかった。昼食を取ったレストランでもそうだったが、このレストランでもサービスでデザートが出て来た。今回はとろりとした蜜に付けてあるイチジクとヨーグルト。これはイチジクをヨーグルトに絡ませるのが必須。ヨーグルトにはバラの花びらの入ったシロップがかけられていた。ここでもラキというぶどうの皮と茎を発酵させたワインのような酒が無料で出て来た。(クレタ島ではレストランやカフェなどどこへ行ってもこの安酒がふんだんに出てくる。)
俺たちがクレタ島で食べたどの食事にも必ずついてきたのが、アメリカではステーキフライと呼ばれるこのフライドポテト。カカシにフラインドポテトは欲しいかと聞くアポストリスのウエイターに、カカシは他にどんな選択があるのかときくと、「フライかフライ抜き」とウエイターは当然という顔で簡潔に答えた。
食べきれなかった魚は翌朝の朝食にまわすことにした。さてここでこの魚フライのコンビネーションの内容をもっと細かく説明しよう。(俺が食べる話にずいぶん拘ってるようにみえたとしたら、その通り。何故って俺にとって旅行の楽しみは食べることにあるんだから。)籠のなかには海老、イカ、鯛、サディーン、そしてちょっと大きめのオレンジがかった名前不明の魚。それからタコも入っていた。これは他のと違って揚げずに焼かれていた。鯛は骨がやたらとあって取り除くのにはテコヅッタ。しかし他の魚は骨も一緒に口に放り込んで、えらも吸盤もすべて奥歯で噛み砕く事が出来た。
クレタ島での運転は冒険だった。特に市街地はひどい。先ず、ギリシャでは時速制限が地元市民と観光客を分けてしまう。センターラインは単なるガイドライン。普通は車線の右よりを運転し、後ろから車が迫って来たらエマージェンシーレーンに車輪がはみ出すくらい右に寄らないと、後ろから抜かす車に追突されかねない。なにしろ相手は前の車がよけてくれると思い込んでるからスピードを緩めたりしないのだ。また、対抗車が自分の車線に入って前の車を抜かそうとすることもよくあるので、そういう時もさっさと右によけないと危ない。
ま、一般的にクレタ島民は運転はうまい(少なくとも技術はある)のでこんな運転でも大丈夫なのだが、俺たちは隣の小さな町に行く途中でパトカーがすごい勢いで走って行くを見かけた。しばらくすると道路脇の溝に嵌ってひっくりかえってる車を見た。警官達は車のなかから運転手を救出しようとしているところだった。それを見てからは妻は一日中びくびくしながら運転していた。
クレタの道路地図を手に入れるのは不可能に近かった。道の名前は数ブロックごとに変わるし、それですらほとんど表示がない。主流な都市名や道名はギリシャ文字とローマ字の両方で表記されているが、大事な表記はほとんどがギリシャ文字。時間をかけてゆっくり読めば、発音することも出来なくはないが、せせこましい混み合った道を他の車にぶつからないように走ってる間に一瞬にして読めるようなものではない。
「ここ」から「あそこ」へ行く唯一の方法は、大きな地図をみてだいたいどの方角に行けばいいかとで決めるしかない。例えばハニヤはナショナルロードのスーダベイ/ハニア出口から北西に行ったところ、というように。そして道路標識など無視してコンパスをたよりにひたすらに走り続ければ、いつかは見慣れた町にたどりつくというわけ。
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カカシ追記:ミスター苺とハニヤに行った時は、ミスター苺のコンパスをたよりにして完全に迷ったが、後で同僚のジェシーと二人で行っ時は、ちゃんと道路標識に頼ってまるで迷わずにすんなり町の中にはいることが出来た。ミスター苺は考え過ぎなんだよなあ、、、


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クレタ島旅行記第三話: ハニヤ(Χανιά)そのα

アップデート:ハニヤの写真はこちらでご参照ください。
クレタ島についた翌日は仕事は休み。30時間近い時間をかけての移動の後で翌日から仕事などとんでもないと思ったので、私はわざと他のメンバーたちより早めの到着にした。同僚のジェシーは一応オフィスに顔だけ出しておくといっていたが、私とミスター苺はこの日はハニヤのオールドタウンを訪れることにした。
我々のヴィラがある村はアプタラと呼ばれる小さな村だが、ここから車で30分くらいのところにハニヤという比較的に大きい町がある。サインにしたがって平坦な自動車販売店が建ち並ぶ道を走っていくと、突然ごみごみした街中に入ってしまった。どうやらミスター苺が駐車は不可能だと言っていたオールドタウンに入ったらしい。ミスター苺は大昔に米海軍で戦闘機のナビゲーターをしていたことがあるせいで、いまだにその癖が抜けない。彼は常に私に運転させ「あっちだ、こっちだ」と指し図するのが得意だなのだが、コンパスをみながら北西に向かえばいいと言うミスター苺のナビゲーションにしたがって運転していたら、我々は完全に迷子になってしまった。
わけのわからない、石畳の車一台がやっと通れるような坂道をくねくねと走り回っているうちに海岸線の道についた。ハーバーからは遠くないはずだと考え最初にみつけた駐車場に車を停めた。ギリシャ語のサインがあったが、なんと書いてあるのかわからない。駐車場の目の前にあるカフェにはいり英語で道を尋ねると、店員には英語がまったく通じない。カフェのテラスでコーヒーを飲んでいた中年の男性が、「何処へいくだね?」と片言英語で尋ねてきた。
ハーバーへ行きたいんですが、というと我々は西過ぎるという。もっと東に向かえばハーバーがある。「歩いても1キロもないよ」と教えてくれた。駐車場はこのカフェの客のためのものだったらしいのだが、無料で駐めておいてもかまわないとのことだったので、車はそこにとめたまま歩くことにした。
ハニヤの町は西端と東端に古い壁がある。多分昔は四方八方壁に囲まれていたのだろうが今は西と東の壁だけが残っている。西側から町に近づいた我々は西壁に突き当たった。壁は崩れかけており、日本の城の堀を思い浮かばせるがそれよりもずっと古いのか、誰も修理をしないせいなのか、古墳のような感じだった。
クリート島にいて気が付くことは、何気なく歩いていると、何百年もしくはニ千年以上も前の建物に出会うことだ。ハニヤは地球上でもっとも長く継続している都市なんだそうで、最初のミノア文化、ギリシャ、ローマを通じてずっと四千年も現役の都市として存在してきたというのだから、さもあらんというものである。
ちょっと歩いてニュータウンと呼ばれるハーバー付近の町中に入った。大して大きくないハーバー付近は何軒ものレストランがずらっと並んでいる。日本の市場のように呼子がいて、観光客を引き込もうとかなり積極的な呼び込みがされている。ミスター苺はガイドブックを読みながら、グリークオーソドックス協会が近くにあるからそこへ行こうと歩き始めた。すると角に大きなスターバックスの店があった。
変な話だが、クリート島でただひとつアメリカらしいものを見たのはスターバックスだけ。世界中の何処にでもあると思っていたマクドナルドにはまったく出会わない。ハンバーガーやホットドックやピッツァの店はあったが、ガイドブックでも警告されている通りメニューにやたらアメリカ風の品がある店は値段も高く味も落ちるので避けたほうがいい。これは日本でも、やたら英語のサインの多い店は外国人相手に法外な値段を吹っかけるのと同じだ。
スターバックスを後ろにして南に向かって狭い道を登っていくと、このあたりは小さいがおしゃれな店が建ち並んでいる。道幅は人が並んで三人通れるか通れないかというくらいの狭い道なのだが、ニュータウンにはこういうウサギの穴みたいな狭く曲がりくねった道があちこちにあり、迷うおうがどうしようが信じられないほど素敵な店が並んでいるのだ。そして意外なところで自分の気に入った服だのかばんだの財布だのを見つけることが出来る。私は日本で探しまくってついに見つけられなかった小銭入れのガマグチを、ハニヤのニュータウンで見つけてしまった!
スターバックスを基点に東へちょっと行ったところにグリークオーソドックス協会がある。カトリック教徒のジェシーに言わせるとグリークオーソドックスはカトリックと酷似しているが多少違うところがあるそうだ。中に入ってみて気が付いたのは、カトリック教会なら必ず真正面にあるイエス・キリストの像がないこと。また祈りのためにひざまずくピューと言う台がないことなどに気が付く。たいていの場合カトリック教会は教会内での写真撮影は現金だが、ここではいくらフラッシュをつかった撮影をしてもおかまいなし。神父の衣装も変わっていて、長く白いひげをはやして黒いローブを着ていた坊さんをみて、ミスター苺はユダヤ教のラーバイみたいだと言っていた。
ところで、我々のヴィラからはネットアクセスは全くなかった。旅行会社の話では歩いていける距離にネットカフェがあるということだったのだが、そんな場所は見当たらない。ハニアまで行けばネットカフェがあるとのことだったので、ひとまずミスター苺はそこへいってブログ更新をしたいと言う。まあいい。私はカフェでコーヒーでも飲んでればいいのだから。


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