眉唾な『イラク帰還兵が語るイラク米兵の悪行』

昨日もアメリカ軍によるイラク市民虐殺というハディーサ事件がかなり怪しくなってきたという話をしたばかりだが、反戦派は事の真相もたしかめず執拗にアメリカ軍の悪行を羅列するのに余念がない。普段は現場の軍人たちが「状況は向上している」と証言しても絶対に信じない反戦派だが、もし軍人が「イラクでアメリカ兵はひどいことをしている」などといいさえすれば、ことの真相も確かめず担ぎ出してはアメリカ軍全体に汚名を着せる反戦派のやり方はベトナム時代からかわらない。
ベトナム戦争当時戦場から帰還したばかりのジョン・ケリーなる若者がベトナム帰還兵を数十人集めて反戦グループを組織し、アメリカ兵が一般市民を拷問したり虐殺したりしているとし、アメリカ軍は「ジンギスカンの軍隊さながらである」とアメリカ議会で証言し脚光を浴びた。(冬の兵士という題でドキュメンタリーにもなった。)この反戦運動で華々しく政治社会にデビューしたケリー青年こそ後に民主党の大統領候補としてブッシュと一騎討ちをして負けたジョン・F・ケリー上院議員である。
ところが後になって冬の兵士に参加していたメンバーのほとんどが、ベトナム帰還兵どころか軍隊にもいたことがない人たちがほとんどで、彼等の体験談はすべてでっちあげであったことが本当の帰還兵たちの証言で明らかになった。ジョン・ケリーの大統領選挙運動中に当時ケリーと一緒の隊にいた軍人たちがケリーはベトナム戦争時代の手柄話で嘘をついていると訴えて、ケリーの選挙運動に多大なる打撃を与えたことは記憶にあたらしい。
さてイラク版冬の兵士たちがベトナム戦争時代の台本のほこりをはらって、またまたでっちあげ「アメリカ軍の悪行」シリーズ続編を展開させている。アメリカでも社会主義傾向の左翼雑誌ザ・ネイション(The Nation)は50人の「イラク帰還兵」にインタビューし、イラク内で行われているアメリカ軍の悪行を特集している。

ハディーサの大虐殺や14歳のマフムディヤの強姦殺人事件など裁判になった事件や、ワシントンポスト、タイム、ロンドンインディペンデントその他で取り上げられたイラク人の証言によるニュースによってどれだけ一般市民への攻撃が大規模なものであったのか分かるようになってきました。ヒューマンライツウォッチやハーツアンドマインズといった人権保護組織が発表した詳細でつまっているこれらの報告によって、占領軍によってイラク人が殺されることは軍当局が認めているのとは裏腹にごく普通に行われていることを意味します。

ネイションのこの捜査は、これまでで初めてアメリカ軍内部から多くの証人が名前を公開したうえでこうした事件を裏付けた証言を集めたものです。

白状すると私はこのネイションの特集を最初から最後までちゃんと読んだわけではない。それというのも特集の一番最初に出てくる「証人」ジェフ・エンゲルハート(Jeff Englehart)という名前を呼んだ時どっかで聞いたことのある名前だなとピンときたからである。

スペシャリスト、ジェフ・エンゲルハート、26歳、コロラド州グランドジャンクション出身。エンゲルハート兵は第一歩兵隊第三旅団のメンバーで2004年二月バグダッドの北東35マイルほどのあるバクバで任務していた。

私はちょっとグーグル検索をしてみたら、なんと2年前に私がミスター苺と一緒に経営している英語のブログでこの男について書いた記事が出てきた。
実はこのエンゲルハートなる男、2005年にイタリアのテレビインタビューで、アメリカ軍はファルージャで白リン弾という化学兵器を市民に使ってイラク市民を大量に虐殺したと証言していた。このインタビューでエンゲルハートはアメリカ軍が化学兵器を使ったことは間違いない。自分はラジオでウィスキーピート(WP、白リン弾のあだ名だとエンゲルハートは説明)を落とせという命令をはっきりと聞いたし、WPによって殺されたイラク人を目の当たりで目撃し、焼けただれた死体をいくつも目撃したと断言した。
私はこの男がブラッドリーを「戦車」と呼んだり、ハンビーを「トラック」と呼んだりしているのをきいて、普通陸軍兵ならこういういい方はしないのではないかと不思議に思った。また、白リン弾は英語でWhite Phosphorusといい、その略名のWPはウィスキーピートではなく、ウィリーピートのはずである。しかもWPは国際規約では化学兵器という指定はなく、ごく通常の兵器であり違法でもなんでもない武器なのだ。元陸軍兵がこんな基礎的な知識も持っていないというのはどうも変ではないか? しかしもっと決定的にこの男の嘘を証明する事実を私は発見した。それは彼自身が書いていたブログのなかにあったのである。
エンゲルハートは2004年の2月から2005年の2月までFight to Surviveという反戦ブログを仲間の兵士たちと共同で”hEkle”というハンドルネームを使って書いていた。ブッシュ大統領に対する敵意やイラク戦争反対の激しい感情はこのブログでもそのときからあらわにされているが、それよりも気になる点があった。
2004年の11月にエンゲルハートはファルージャの戦いについて書いているのだが、その時のブログエントリーでは上官をファルージャ近郊まで車で運転していったとは書かれているが戦闘に参加したとは書かれていない。また、WPを落とせという命令をラジオで聴いたという話も出てこない。

そしていつものように砲弾の音や、爆発音、そして照明弾の音が聞こえる。そのいくつかは白リン弾だと言われている。…突然ラジオの通信で「バンカーバスター」の攻撃承認を求める声が聞こえてきた。

2004年当時には「白リン弾だといわれている」と伝え聞きしていたものが、どうして一年後には「白リン弾に間違いない」ということになるのだ?しかもラジオ通信でバンカーバスター使用の要求は聞いているのに、WP使用承認を聞いたと書かれていないのはなぜだ?
エンゲルハートは車を運転して上官をファルージャの外側まで連れていったが、彼自身はファルージャ戦闘に参加していたわけではなく、遠隔から戦闘状態を見ていただけである。実際に当時書かれたブログエントリーではビルが破壊された話は書かれているが直接市民が目の前で殺されたという描写は全くされていない。戦闘が終わってから翌日ファルージャへ入って死体の山を目撃したのであればそういう話をするはずだが、数日後のエントリーにもファルージャの話は全く出てこない。次にエンゲルハートがファルージャの話をするのは一年後のことである。
2005年に行われたテレビインタビューでこうも赤裸々に死体の状態を表現できる人間が、戦闘当時にその体験を全くブログに書いていないというのはどうかんがえてもおかしい。彼が当時書いていた反米かつ反アメリカ軍の内容から考えて、エンゲルハートが本当にアメリカ軍による虐殺を目撃したのであればその当時にブログに詳細に渡って書いていたはずである。
というようにエンゲルハートの証言は何から何までつじつまのあわないことだらけなのである。このような人間が帰還兵の代表者のように一番最初の証言者として載っているような記事は最後まで読む価値があるとは到底思えない。私が彼の証言だけを読んでやめてしまった理由はここにある。
またこの特集に載っている「帰還兵」のうちどれだけの人が本当にイラク帰還兵なのか疑わしいし、実際にイラク帰還兵だったとしても必ずしも本当のことを言っているとも限らない。下記のような例もあるのでね。
Fake Soldier exposed
陸軍の基礎訓練キャンプも落ちこぼれたマクベス君が自分が陸軍特別部隊にいたとか陸軍レンジャーだったとか言ってアメリカ軍の悪行を目撃したとでっち上げていた話。基礎訓練キャンプから追い出された書類が出てきて嘘が発覚。(英語)
ケリーの弟子? 反戦イラク帰還兵のおかしな戦話
イラクで戦闘に巻き込まれたこともなければ負傷したこともないのに、陸軍病院で戦闘で負傷した傷の治療に二か月も待たされたと嘘をついていたジョシュア・ランスデールの話。陸軍病院での診断者を提出できず嘘がばれた。
訂正:本文で2月と書いたエンゲルハートが書いているファルージャの戦いは11月でした。訂正します。


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ハディーサ事件次々に崩れる検察側の主張

2005年11月、イラクのハディーサ地区で路肩爆弾の攻撃にあった海兵隊員が怒りくるって付近の民家を襲い二十数人の民間人を虐殺したとして、当時警備にあたっていたキロ隊の隊員数名が殺人などの嫌疑をかけられている事件において、審査官は12日、裁判にかけるだけの証拠が存在しないとして被告のひとりであるジャスティン・シャーラット兵長(Lance Cpl. Justin Sharratt)の起訴取り下げを推薦した。これで被告三人のうち二人までが起訴取り下げの推薦を受けたことになる。(もうひとりは裁判にかけられるべきとの推薦がされている。)
先月にも、事件後に適切な捜査を行わなかったとして罪を問われていた四人の将校のうちのひとり、ランディ・ストーン大尉の件も裁判前の審問の結果、審査官から起訴取り下げの推薦がされたばかりで、この事件はどんどんと縫い目からほころびはじめている。これらの被告を軍法会議にかけるかかけないかの最終決断はキャンプペンダルトンの第一海兵隊遠征軍の司令官ジェームス・マティス(Lt. Gen. James Mattis)中将の肩にかかっている。
実はこの事件、最初からかなりおかしなことばかりだった。詳細は去年の6月に私は下記で色々紹介しているの参照されたし。
ハディーサ事件:それぞれの思惑
疑わしきは罰するメディア その2
ハディーサ疑惑: 怪しげな証言続く
その後捜査が進むについて検察側の提出した海兵隊員に対する証拠がかなりいい加減であることがどんどん明らかにされてきたが、今回審査に当たったポール・ウェア中佐の報告書を読んでみると被告らの容疑がどれだけいい加減なものかがはっきりしてくる。

ウェア中佐は報告書のなかで、シャーラット兵長にかけられた容疑は「根拠がなく」何度も(起訴されたことが)「信じられない」と語っている。

中佐はさらに死んだイラク人の幾人かは被告が言うように抵抗戦士だったと示唆している。
先月シャーラット被告の審査の指揮をとったウェア中佐はイラク人目撃者の話は存在する物的証拠と矛盾して一致しないと語る。
物的証拠によれば「(殺された人は)誰もみな遠方から正面を向いて9ミリ口径のピストルで撃たれている。これは近距離から処刑された反応とは一致しない。」とウェアは書いた。
中佐は死んだイラク人の親戚は米軍に解剖のために遺体を掘り起こすことを許可しなかったとし、イラク人はアメリカ軍に殺された市民の家族に時々支払われる2500ドルの慰謝料欲しさに嘘をつく強い動機があったことも付け加えた。
このようなイラク人目撃者を信用することは「私の意見では米海兵隊の任務に対する市民の協力を減らすために、米軍にたいして無実の罪を着せるという危険な前例をつくることになると思う」とし、「もっと危険なのは海兵隊が敵に面した重要な時にためらう可能性があることである。」と書いている。

審査官がここまで言うのでは先ず軍法会議にかけられることはないだろう。また会議にかけるべきと推薦されたもうひとりの被告も、裁判になったとしても無罪になる可能性が強くなってきた。
この話についてパワーラインの掲示板でスノーマン(Snowman)というHNで書いている人は、このキロ隊はファルージャの戦いで大手柄をたてた有名な隊であり、罪のない民間人の避難にも当たったことがある。彼等は民家から攻撃された場合にどのように対応すればいいか十分に心得ているベテラン隊員たちだったと述べている。

私の息子も同じ時期にハディーサに居ました。(息子の)リマ隊は川の向こう側で行動していました。2005年11月のことです。この事件の状況はごく普通の状態でした。抵抗軍は事件を起こしては民間人を盾にしていたのです。子供たちは使用済みの弾を集めてお金をもらっていました。市民は抵抗軍のいう通りのシナリオで演技をしないと威嚇されたり脅迫されたりしていたのです。彼等は民家に隠れ海兵隊員からの攻撃が止むまで家人を盾にしていました。息子は事件のあった車を後で見ましたが新しい銃弾のあとでぼこぼこになっていたといっていました。

テロリストが逃げ込んだ民家の家人はしょっちゅう巻き添えを食って殺された。そういうことがあまりにも多く起きたため、地元市民はついに我慢できなくなり海兵隊の味方をするようになったとスノーマンは言う。そしてテロリストの隠れ家や武器庫の場所を海兵隊につたえテロリスト逮捕に協力するようになった。地元市民の裏切りを悟ったテロリストたちは命からがらハディーサから退散したため、いまやハディーサは2005年に比べてずっと平穏な場所になっており、海兵隊の後を子供たちがくっついて走り回るほどになっているそうだ。
もしこの事件で容疑をかけられたすべての被告が起訴取り消しや無罪になったとしたら、当時海兵隊員の有罪は間違いない、海兵隊上層部は隠蔽行為をしたという確かな証拠がある、とがんばっていた自分も元は海兵隊だった(信じられない!)民主党のジョン・マーサ下院議員はどういう言い訳をするつもりなのだろうか?全く海兵隊の風上にもおけないおっさんである。
私の希望としては全ての被告の起訴が取り消され、最初から犯罪は起きていなかったということがはっきりすることである。そしてそうなった時マーサ下院議員をはじめ事情がわからないうちから米軍兵を殺人犯扱いした全ての人々に土下座をついて謝ってもらいたいものだ!


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米モンタナの主婦:ネットを使ってテロ陰謀を暴露!

2004年9月3日、ライアン・G・アンダーソン被告は戦争中に敵を擁護したなどの五つのススパイ行為で有罪となり数回に渡る継続的終身刑を言い渡された。これはシャノン・ロスミラーさんというモンタナに住むの三児の母が自宅のコンピューターを使って開発した画期的な対サイバーテロリズム諜報による最初の大手柄であった。
911事件を発端に欧米で計画され未然に防がれているテロ陰謀のすべてが、犯人グループによるネット上での情報交換が鍵になっていることが最近明らかになってきた。顔もあわせたことがない地球の裏側にすむ者同士がイスラム聖戦の信念のもとに外国でテロ行為を実現させてしまうとは本当に恐ろしい。しかし意外なことに、つい最近までアメリカでもヨーロッパでも各国の諜報機関はインターネットにおけるテロリスト監視に関して組織的な対策を全く持っていなかったのである。しかもアメリカにおいてインターネットテロ監視システムを開発したのが諜報専門家ではない一般の主婦だったというのだから驚く。今日はインターネットを使ってアメリカ国内を標的にしていたテロ陰謀を暴露し、その効果的なやり方は今やサイバーテロリズム対策のモデルとしてFBIにも起用されている諜報技術を開拓したシャノン・ロスミラー(Shannen Rossmiller)さんの話を紹介しよう。
シャノン・ロスミラーさんはモンタナ州にある小さな町の裁判官だった。自分は三人の子持ちの普通の主婦で911事件があるまで中東のこともアラビア語も全くむとんちゃくだったという。しかし911事件はロスミラーさんに衝撃を与えた。どうしてあのような恐ろしいことをする人たちがこの世にいるのだろうか、どうしてあのような陰謀が成功したのだろうかとテログループやイスラム過激派についてむさぼるように研究した。
テロリストチャットルームの発見
2001年の11月、ロスミラーさんはニュースでテロリストやそのシンパたちはインターネットの掲示板やインスタントメッセージなどを使って交流していることを知った。それと同時に政府によるインターネットの監視は非常に限られたものであることも知った。
このニュースで紹介されたテロリストのネットアドレスは “www.alneda.com”。さっそくロスミラーさんはのぞいてみたがアラビア語ができないため適当にクリックして映像だけをみてみると、自爆テロの後のバラバラ死体の写真など残虐な映像が次から次に出てきたという。
2002年の1月からロスミラーさんはネットのアラビア語口座や大学の講習を受けてアラビア語を必死に勉強した。アラビア語ができるようになってくると、だんだんとイスラム教聖戦主義者たちのホームページが読めるようになり、要注意人物や団体がじょじょに浮き彫りになってきた。
アラビア語の上達と共にテロリスト掲示板に投稿してみたが、不自然な言葉使いだったのか反応は今一つだった。そこで彼女はネット上で知り合ったアラビア語の通訳の協力を得てどういう書き方をすれば聖戦主義者らしく聞こえるかわかるようになり、そのうち仲間として受け入れられるようになったという。
彼女が最初にテロリストキャラを作ったのは2002年3月13日のこと。ネット上で要注意人物と話をするためだった。ロスミラーさんは話相手のパキスタン人に自分が過激派の武器密輸業者であると納得させ。パキスタン人が彼女に盗品のスティンガーミサイルを、アメリカ国内で戦っているテロリストに売りたい意志を示した時、ロスミラーさんはペルシャ湾地域方言を使って相手の武器が本物であることを確認できる情報を求めた。二週間もすると彼女のメールボックスにはミサイルの認証番号が送られてきた。
さて、この情報を持ってロスミラーさんはどうしようかと悩んだ。平凡な主婦で三児の母が突然FBIのドアをたたいてテロリストがミサイルをアメリカ国内に売ろうとしているなどと言ってみても相手にしてもらえないだろう。そこで彼女はFBIのホームページにある市民からの情報サイトに提出することにした。
数日後、FBIから電話がかかってきたが、その内容といったらまるで尋問だったとロスミラーさんは言う。しかしその後再びFBIから電話がかかってきた時は、今度はお礼の電話だった。彼女が提供した認証番号は盗まれたミサイルと一致していたからである。
この成功に気をよくしたロスミラーさんはテロリストたちとオンラインで交信を続け、諜報に力を入れた。多々のイスラム人物を装い彼女はテロリストたちのチャットルームや掲示板を監視しはじめた。よる遅く家族が寝静まった後、ロスミラーさんはもくもくとコンピュータの前でテロリストの言動を監視し続けたのである。


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サドル、イランへ逃げ帰る

今年の一月にアメリカ軍の増派を含む新作戦が行われるという発表と共に同胞や部下を見捨ててひとりだけイランに逃げ帰っていたサドルだが、イランに5か月も隠れている間にイラク内ではサドルの人気は落ちるばかり。このままでは留守中に自分のシーア民兵代表としての権威が危ないと慌ててかえってきたサドルだが、時既に遅し。全く人気を挽回できず尻尾を巻いて再びイランへ逃げ帰るはめになった。どっかの歌のもんくじゃないけれど、「あんた、泣いてんのね、だからいったじゃないの〜!」(古すぎてカカシの母でも首を傾げる懐メロ)
アメリカの新作戦ではスンニ抵抗分子やアルカエダのみならず、バグダッド南部のサドルシティなどで市民の平和を脅かしているシーア民兵らも厳しく取り締まることが明らかにされた。しかしこの時サドルはサドル派が多いに後押ししたマリキ首相はアメリカの圧力から形だけシーア派民兵の取り締まりには協力しても実際に本格的な取り締まりなどしないものと踏んでいた。だから当初サドルは手下たちに武器を捨ててほとぼりが冷めるまで大人しくしていろ、たとえ逮捕されても抵抗するなと呼びかけ、自分はさっさととんずらしてしまった。その計算違いはサドルの大誤算、ナジャフデモ行進の意味するものでも指摘したが、もう一度おさらしてみよう。

ここで私が一月の時点でサドルの計算違いでサドルの計画は産經新聞がいうような具合には運ばないだろうと予測していたことを思い出していただきたい。

* 意図的にしろ無理矢理にしろ一旦敵に占拠された領土を取り戻すとなると、もともとの領土を守るようなわけにはいかない。
* 民兵たちは正規軍ではない、ただのギャングである。何か月もサドルのいうことをきいて大人しくしているとは思えない。自分勝手に暴れた民兵たちが大量にアメリカ軍やイラク軍に殺されるのは目に見えている。
* アルカエダの勢力は昔に比べたら大幅に衰えているため、シーア派民兵が抵抗しなければバグダッドの治安は安定しサドルの思惑はどうあれ傍目にはブッシュの新作戦が大成功をしたように見える。そうなればアメリカ軍の新作戦は長続きしないどころかずっと継続する可能性がある。

その後、マリキ首相はサドルの期待に反して嫌々ながらも米軍とイラク軍のシーア派征伐に協力した。その結果バグダッド市内における宗派間争いによる大量殺人は40%以上も減り、マフディ軍はイランの援助を受けているにも関わらず、どんどん勢力を失いつつある。
あせったサドルは作戦を変えて米軍に対抗しろとイランから命令をだしたり、デモ行進を催したり、サドル派の政治家を政府から撤退させイラク政府に大打撃を与えようとしてたが、すべてが裏目にでた。
こうなったら自分から出ていってなんとか急激に衰える自分の人気を取り戻さねばとサドルはこの5月久しぶりにイラクに帰国した。帰国してからサドルは穏健派の国粋主義の指導者としての立場を確保しようとしたがこれもうまくいかず、切羽詰まったサドルはアンバー地区のスンニ派政党とまで手を結ぼうとしたがこれもだめ。マリキ政権からはすでに撤退してしまったことでもあり、サドルのイラクにおける勢力はほぼゼロとなった。
三度目の正直で7月5日にシーアの聖地アスカリア聖廟までデモ行進を行おうと支持者に呼びかけたが、参加者不足で立ち上がりすらできない。サドルはマリキ政府が十分な警備を保証してくれないという口実を使って行進を中止した。
とまあ2004年にナジャフで挙兵した時の飛ぶ鳥を落とす勢いはどこへやら、サドルは華々しく戦闘で散るデモなし、仲間に裏切られて暗殺されるでもなし、すごすごとイランへ負け犬のごとく逃げ帰るはめになろうとは、このままサドルはイランで年老いて一人寂しく余生を過ごすのだろうか?


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臭いものには蓋、中国元薬品管理当局者が死刑に!

アップデート:日本でも中国製品の規制が行われるようだ。下記参照。
中国って国は本当に民度の低い国だなあ。ただ役人をひとり生け贄の羊にして殺せばことが解決すると思ってるんだから考えが甘い。中国で度重なる危険な食品薬品の輸入で国際社会からかなりたたかれている中国は批判を緩和しようというでもいうのか、元薬品管理当局者を贈賄罪で死刑にしてしまった。(下記はCNNジャパンの記事より

収賄罪の元薬品管理当局者、死刑執行 中国

北京──収賄と職務怠慢の罪に問われ、死刑が確定していた中国国家食品薬品監督管理局の鄭筱萸・元所長(62)の死刑が、10日午前に執行された。新華社が伝えた。
鄭元所長は1998─2005年の在任期間中、8社から650万人民元(約円)の賄賂を受け取ったとして、今年5月29日に北京市第一中級人民法院から死刑判決を言い渡された。…
…異例の厳しい判決は、中国製食品や薬品をめぐって基準違反や死者が相次ぎ、国内外から中国政府への圧力が高まっている現状を反映したものとみられる。
捜査当局によると、鄭元所長は部下とともに、製薬免許更新に関する新規則を悪用して、企業からわいろを受け取り、偽薬のはんらんに拍車をかけたとされる。

賄賂を受け取って偽の薬品を承認したことが原因で中国人のみならず輸出先の外国人が何百人も死んでいるのだから、この局長が死刑になるのは当然だが、そういう体制が中国にあるということに問題があるのだ。どうして薬品管理の局長が賄賂をもらって危険な偽薬品を承認するなどということが可能なのかということを中国は徹底的に調査しなければ、局長一人殺して「はい、めでたし、めでたし」では済まされない。
だいたい問題があるのは薬品だけではないではないか。食品にしろ、おもちゃにしろ、中国製の製品は最近品質管理のなっていないものばかりで、アメリカでは中国からの輸入を大幅に削減し厳しい規制が課せられることとなった。
ところが肝心の中国にはほとんど反省の色が見えない。APのこの記事によれば、パナマで偽グリセリンの歯磨きによって数百人の死者が出ている事件ですらも中国はパナマの輸入業者が悪いと責任逃れをしている。

中国は先月咳止めシロップやその他の薬品に致命的な薬品が含まれていたことは認めたものの、薬品には工業用の表示がされていたと主張。北京当局はパナマの輸入業者が入荷の際に医薬用のグリセリンと虚偽の表示を張ったのだとしている。

パナマの件が特別な例だというのであれば、この言い訳も通じたかもしれないが、中国製品の問題はこの件だけではないし、今回が初めてでもない。危険な中国製品についてはこのブログでも何回か紹介してきた。下記はその一部。
関連記事:危険物を含む中国製のおもちゃアメリカ全土で次々にリコールされる!
10年前にも起きていた中国製医薬品による事故死
中国の食品薬品管理局のヤン報道官の言い訳は聞いてられない。ヤン氏は製造過程がもっと透明になるよう当局は規制を厳しくしているとしながらも、中国は発展途上国なので食品薬品管理局による管理の歴史そのものが浅く、まだまだきちんとした管理ができない状態にあると認めている。
中国当局はそれでなくて国内では紛争がたえないのに、食品や薬品の質が向上しなければ中国の信用度は落ち輸出に悪影響を与えると心配しているという。当たり前だ!そんなことに今頃言ってる場合か!

中国国内でここ一年で危険と恐れられている製品には薬付けの魚、違法の食品添加色による卵の黄身、clenbuterolに汚染された豚肉、違法の飼料添加物などが含まれる….

Xinhuaニュースが火曜日に報道した最近の件ではアメリカ輸出用のシュガーフリーのドリンクミックスのなかに規定以上の赤染色が含まれていたため輸入を拒絶される事件が起きている。
先週、中国の食品安全監視グループは2007年の上半期に中国内で食用された製品の20%が基準以下だったと発表している。特に缶詰、ドライフルーツ、干物などは問題で、主に際限以上の細菌が含まれていることが多いのが原因だと監視グループは語った。

私はてっきり、中国の河川や土壌が汚染されているため生野菜や魚などに問題があると考えていたのだが、缶詰や干物といった加工製品のほうが細菌が多いという話は意外だ。私はよく中国系マーケットで買い物をし、中国産の缶詰や干物を買うことが多い。アメリカに輸入されているものは検査を受けているとはいえ、検査をすり抜けて入ってくる可能性はある。今後中国系マーケットでの買い物は控えた方がいいのかもしれない。
とにかくこういう問題は役人の首を一つ切ったくらいでは解決にもなにもなっていない。中国は全面的に食品の品質管理に取り組むべきだ。しかし資本主義でない国にこれをやらすのはなかなか難かしいことだろう。
アップデート(7/11/07, 18:29:00PDT):
食品11社、対日輸出を禁止=うなぎに大腸菌、検査強化アピール−中国

7月11日19時1分配信 時事通信

 

【北京11日時事】中国国家品質監督検査検疫総局は11日までに、日米など海外に加工食品を輸出する予定だった国内企業41社について安全性に問題があったとして輸出禁止などの措置を講じた。これら企業には、日本にうなぎのかば焼きの加工食品などを輸出する予定だった企業11社も含まれる。大腸菌などが検出されたケースもあり、中国産食品の安全性をめぐって不安の声がさらに高まりそうだ。

 同総局は10日、ウェブサイト上で29社の社名を公表し、11日にはさらに12社を追加。安全検査体制の強化をアピールする狙いもありそうだ。 


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久間防衛相辞任を巡る波紋:世界の覚書への返答

アップデートあり、下記参照
先日の私が書いた久間防衛相辞任が国際社会に及ぼす波紋について私も尊敬している世界の覚書さんが、私のエントリーを読んで「読んでがっくりきた。何やらだいぶ誤解があるようだ。アメリカから見るとそんなんだろうか。」とかなり落胆なさっている。しかも私の認識は「極左も同然」とまでおっしゃる。私が先のエントリーを書いた時に私はきっと日本の左翼からも右翼からもかなりの批判を浴びるであろうと予想していたので、覚書さんの感想はある意味で予想どおりの反応である。
しかしこのまま何も答えないでいると覚書きさんも、彼の読者の方々もカカシが無知で馬鹿なことを言っていると思われかねないので氏のご指摘にお答えしようと思う。

カカシ; このままではアメリカ軍は日本人との本土決戦に加えてソ連とまで戦争をしなければならなくなる。ソ連を牽制しながら日本が無条件降伏を飲まざる終えないほどの圧倒的打撃を加えなければならないと判断した。

覚書氏:ソ連と戦争(冷戦)が始まるのは、後のこと。そもそもソ連の対日参戦は、首脳会談でずっと前から話しあっていた、というかアメリカの要請であった。ソ連は、律儀にドイツ降伏の3ヵ月後に対日参戦した。日本が降伏した直接の理由は、和平仲介を期待していたソ連が裏切ったからだ(これは日本が甘すぎただけだが)。

先ずソ連が日本侵略に至るまでの経過を振り返ってみよう。ソ連の対日参戦はアメリカからの要請であったが、その取り決めが行われたのは1945年2月に行われたヤルタ会談でのことである。この時のアメリカ大統領は死まじかの親ソ連のルーズベルト大統領であった。この時西側とソ連はソ連がドイツ降伏の90日後に参戦することを取り決めた。当時のアメリカではソ連とは第二次世界大戦で同盟関係にあったとはいえ共産主義社会のソ連に脅威を覚える政治家(主に共和党)や軍人は少なくなかった。ヨーロッパ戦線を率いたパットン将軍などはこのままドイツからロシアへ攻め込みソ連を滅ぼすべきだなどと言っていたほどだ。
ヤルタ会談の2か月後にルーズベルト大統領は死去、跡を継いだのは反共産主義のトゥルーマン大統領だった。ヤルタ会談での取り決めではアメリカ軍が日本を占領する前にソ連は北海道の侵略まで許可されており、反ソ連のトゥルーマンはソ連の日本侵略を善しとしなかったのである。ここで覚えておかなければならないのは、アメリカでは大統領が変わると政権もがらっと変わり前の政権の方針とは正反対になることはよくあることなので、「元はいえばアメリカが、、」という議論をする場合はどの政権の方針だったのかということを考慮に入れておく必要がある。ルーズベルトとソ連が友好関係にあったからといってトゥルーマンもそうだったと考えると事を見誤る。
アメリカの原爆投下がソ連を牽制することが目的だったことを示唆するのは、広島と長崎の原爆投下がロシアの満州上陸とほぼ時を同じくしていることにある。特に長崎は満州上陸の一日後だったことは興味深い。トゥルーマン大統領はソ連が何時対日戦に参戦するかを知っていたわけだから、原爆を落とすことによってソ連に対して、対日参戦はそこまでにしておけと警告している意志が見えるのだ。ソ連と西側の冷戦はヨーロッパ終戦と同時に始まったとも言える。

カカシ:原爆投下の数日前にポツダム宣言を日本は黙殺(拒絶)している。降伏の意志があったのならこの時に表明すべきだった。

覚書氏:日本が呑みにくいように、わざわざ文言を調整し、他にも策を弄していた。尋常に日本に納得させるつもりは、無かった。
#日本の真意は、「黙ったままで反応しない」という程度の意味だった。もっと文言を選べばよかったが、アメリカの発表の仕方も妙だったから、反応に窮したのだ。「拒絶」は誤訳と言ってよい(意訳であるw)。

アメリカはわざと日本を特定の方向に追い込んだという理屈は真珠湾攻撃の話をする際にも日本の右翼の方々がよくおっしゃることなのだが、私に言わせればそんなアメリカの思惑に乗せられたとしたらそれこそ日本に責任がある。西側同盟軍は日本に無条件降伏を求めており、それ以外の交渉をする気など毛頭なかった。日本は条件を呑めるとか呑めないとかいっている立場にはなかったはずである。
黙殺の意味が「黙ったままで反応しない」というのは日本語の意味だが、西側連合軍の解釈は「無視」であり、無条件降伏を一定期間に受け入れなければそれは「拒絶」を意味する。私が括弧内に「拒絶」と書いたのは私の意訳ではなく西側の解釈の意味である。日本は降伏を迫られている厳しい立場におかれていたのだ。その条件次第では降伏の意志があったのであれば、黙殺などという消極的な態度をとらず積極的にその意志を示すべきだったのである。何もせずに黙ったまま反応をしないでおいて、攻撃されてから数日後には降伏するつもりだったのだなどと言っても遅い。アメリカの意図がどうであれ日本政府がアメリカに原爆投下の口実を与えてしまったことの日本政府の責任は重い。
3番目の硫黄島の戦いについてはこれが1945年の2月から3月の出来事であったので、8月の降伏云々の理由にするのは少し乱暴だったのかもしれない。ここは覚書さんのいうように本土への爆撃を防ぐという意味で硫黄島は大事な場所であったことは確かだろう。ただこの時点で日本軍が本土決戦の用意をしていたことは否定できない。

カカシ:単に日本を降伏させることが目的であったのなら、広島は分かるとしても長崎にまで原爆を落とす必要はなかったのではないかという疑問は誰にでも生まれる。これは日本にとっては非常に不幸なことだが、二発目の原爆は日本へというよりソ連への牽制だったのである。

覚書氏:原爆使用は、マンハッタン計画を始めた必然であり、使用はずっと前から決まっていた。ドイツが降伏したから、(うまく間に合った)日本に落としただけである。…一発目も同様だと思う。2発というのは、ウラン型とプルトニウム型の両方を作ったから、テストしておくことになっただけだ。

原爆は第二次世界大戦中にドイツか日本のどちらかに使うつもりだったことは当たり前だ。そうでなければそう慌てて作る必要はない。むろんドイツも日本も核兵器開発は同時に行っており、戦争中に完成にしたのがアメリカだったというだけの話である。だが、もし覚書さんがアメリカが日本に原爆を落としたのが生身の人間を使った実験だったのだと主張しているなら、これはあまりにもひどい言い掛かりである。原爆はすでに実験済みでありわざわざ日本へ落として実験をする必要などない。いくら敵国とはいえアメリカはそこまで悪徳な国ではない。アメリカ人の友人から日本の学校ではアメリカによる原爆投下は日本人を実験台にするのが目的だと教えられているそうだが本当かとこの間聞かれたばかりだったのだが、私はその時「まさか、いくらなんでもそんなことを信じる日本人はいないでしょう。」と笑ってすましたばかりだった。覚書さんのような良識ある方がこのような反米デマを信じてしまうとはとても残念である。

カカシ: 二発投下したら、二発あるもの百発あるかもしれないということになり、ソ連としてはアメリカの軍事力を正確に把握できないことになる。それでソ連は日本への侵略を途中であきらめたのである。

覚書氏:日本への侵略を途中であきらめたというが、米ソは、当時は一種の同盟関係だったのであり、アメリカの意向を慎重に見極めていた。アメリカの許容するぎりぎりの線まで進出しただけである。(後略)

ヤルタ会見でルーズベルトがソ連の対日参戦を要請した時北海道を侵略することも容認していた。だから米露の友好的な関係が続いていたのであればソ連は日本進出をあきらめる理由は特になかったはずである。にもかかわらず原爆投下後にソ連は日本侵略をあきらめてしまった。アメリカがソ連を牽制する目的で原爆投下をしたのであればその効果はあったと判断できる。日露の友好関係が続いていたならソ連がアメリカとの地上戦を懸念して進出をやめる必要などなかったはずである。

覚書氏:当時のアメリカでは、軍事目標をターゲットにしていたという言い訳をしていたのだ。東京の下町には、家内制手工業のような零細企業が軍需工場のネットワークを形成していたから、そこの住民は軍事目標であるという理論があったのだ。広島も軍都という説明ができた。結論から言えば、第二次大戦は人種差別の露わな、仁義無き戦いでもあったのだ。日本人は「サブヒューマン」だから、殺しても構わないという考え方が実在した。

第二次世界大戦は敵も味方も戦闘員と民間人の区別はつけていなかった。ドイツによるロンドン空襲にしろ、その復讐としてされた英米連合軍によるドレスデン空襲でも、多くの民間人が犠牲になった。アメリカ軍が日本人にたいして人種偏見をもっていたことも民間人の犠牲に無関心であったことも事実だが、アメリカ軍の空襲が主要都市にある軍事施設を標的にしていたというのは言い訳ではない。現に日本の主要都市には軍需工場などが民家の中に入り組んで建っており、アメリカの執拗な空襲によってその生産率は大幅に低下したのである。
だが、覚書さん自身も指摘しているようにドイツが降伏する以前に原爆開発が成功していれば、アメリカはドイツの主要都市に原爆を落とした可能性は大きい。日本人が黄色人種で「サブヒューマン」だったからという理由で空襲が行われたというなら、白人のドイツ人がすむドレスデンでの空襲は意味をなさない。
私はルーズベルト大統領の人種偏見を否定しない。それどころか日系人というだけで米国市民から資産を没収し市民を強制収容所にいれたルーズベルト大統領の日本人嫌いは悪名高い。しかしだからといって必要以上にアメリカの当時の行為を悪意で判断するのは今後の日米関係を考えても決して益あることとは思えない。
戦後、日本は民主主義国家となり凄まじい経済発展をし東洋一の経済大国となることができた。一度は敵として戦ったアメリカとも長い友好関係を保つことができている。今後もこの友好関係は日本にとってもアメリカにとっても有益である。
私はアメリカ下院議会による日本バッシングの慰安婦決議案には大反対だし、日本によるアメリカへの原爆の責任追及にも賛成できない。戦争は60年以上も前に終わったのである。たった数年間の戦争の傷で60年以上もの友好関係に亀裂を入れるのはお互いに止めようではないか。
アップデート (17:32:00PDT July 9): コメンターのアラメイン伯が紹介してくれた大石英司さんのエントリーに面白いところがあったので抜粋して引用する。

われわれは韓国人でも中国人でも無い。半世紀以上も昔のことをいつまでもぐだぐだ言っても何の利益も無い。われわれ日本人は、中韓の人々と違って多少忘れっぽい所はあるけれども、「許すべきでない」という感情と「あれは仕方なかったんだ」という割り切りが両立できる美徳を持っている。それは文明人として素晴らしいことです。この件で久間発言を非難している連中のメンタリティは、中韓で慰安婦がどうの南京大虐殺がどうのと喚いている連中と、全くの同レベルです。とても文明人と呼ぶに値しない。


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アフガニスタン: どうなったのタリバン春の大攻撃?

昔読んだパール・バック著の「大地」という小説のなかに王虎という将軍が出てくる。彼は若い頃は大軍を引きつれ次々に領土を奪い勝ち戦に明け暮れたが、年とともに怠慢になり士気が衰える。そして毎年「春になったら兵を挙げる」というのが口癖になっていた。ところがある年ライバルの軍が「春を待つまでもない」と攻めて来て滅ぼされてしまう。
もう何年も冬になると「春の大攻撃」を宣言しているアフガニスタンのタリバンをみていると、どうもこの王虎を思い出してしまうのである。
今年のはじめ頃タリバンはまたぞろ「春の大攻撃」を宣言した。読者のみなさんはその攻撃がどうなったかご存じだろうか? タリバンの「春になったら、、、」という呑気な宣言に北大西洋条約機構(NATO)軍は「春を待つまでもない」と言って今年の初めアキレス作戦なる攻撃をはじめた。

今回の連合軍に参加しているのはアメリカ、イギリス、オランダ、カナダあわせて4000の兵、それに1000のアフガン兵が加わる。

今回の作戦は北側のヘルムランド地区に集中される。タリバンが占拠したと発表しているムサカラ(Musa Qala) とワシア(Washir)そしてナズワドの位置する地域である。

どうやらこの作戦大成功だったようで、おかげでタリバンは再編成の暇もなく、ただただ逃げまどうばかりで春の攻撃どころではなくなってしまった。APの記事によれば、NATO軍はすでに今年にはいって2000人以上のタリバン戦闘員を殺しており、これは去年一年間の3000人を大きく上回る率である。
アフガニスタンでの戦闘が激化しているとはいえ、味方の犠牲者せいぜい100人に比べタリバンの受けている打撃は大きい。しかも追いつめられるとすぐにパキスタンに逃げ込んでいたタリバンだが、先日パキスタンのムシャラフ大統領はNATO軍のパキスタン内追跡を許可したため、今後はパキスタンに逃げても安全ではなくなってしまった。これは非常に歓迎すべき発展である。
ムシャラフ大統領は国民からの人気はあまりない。この間も7回目からの暗殺未遂があったばかり。テロリストもタリバンもムシャラフには目の上のたんこぶであり放っておけば自らの滅亡におよぶ。ここはNATOに媚びを売っておく必要があると読んだのだろう。
それにしてもタリバンはいったい何時までこの不毛な戦いを続けるつもりなのだろうか?このままではいつか、彼等が春を見ない年が訪れるだろう。
関連エントリー:タリバン勢力がますパキスタン北西部何がタリバン春の大攻撃だ!


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空想歴史:もし原爆が落ちなかったら、、、

昨晩友達のリー・ポーターが彼が1998年に書いたエッセーをもってきてくれた。このエッセーは空想科学小説のなかでもアルタネートヒストリーというジャンルに属する架空の歴史を背景にしたフィクションだ。アルタネートヒストリーの例としては、カカシの友人ブラッド・ライナウィーバー著の「もしナチスドイツが第二次世界大戦に勝っていたら、世界はどうなっていたか」というテーマのムーンオブアイスなどがある。
リーのエッセーはアメリカが広島・長崎に原爆を落とさなかったならどんな世界になっていたかという話を、すでに原爆が落ちなかった世界に生きた歴史家が何年か後に歴史を振り返るという形で書かれている。
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第二次世界大戦の数々のシナリオを模擬するコンピューターモデルの結果はちょっとした話題を呼んでいる。盛んに議論されている模擬シナリオのひとつに、ハリー・S・トゥルーマンが日本にたいして原爆を使う決断を下すというものがある。このシナリオでは戦争に疲れきっていた世界はこれによって日本の降伏が早まったことに胸をなで下ろした。しかし安堵の気持ちはすぐにそのような恐ろしい武器を使ったことが正しかったのだろうか、アメリカの核兵器独占の時代が終わった時、アメリカは自ら作り出した道具に滅ぼされるのではないかというような疑心と恐れに変ぼうした。しかしシュミレーションは驚くべき結果を描いている。多々の都市が破壊される暗いイメージと共に核兵器の備蓄が戦争阻止の戦略となり、核兵器を持つ国々の指導者たちは未来の世界危機の際に最後の線は絶対に超えないことを保証した。
まず1945年を覚えておられるだろう。ルーズベルト大統領は重病だったがまだ死んでいなかった。ヤルタ会見で衰弱したルーズベルトはとてもスターリンの比ではなく病状は悪化の一途をたどった。トゥルーマン大統領は種々の難かしい決断に迫られたが、原爆を使うかどうかという選択は含まれていなかった。ルーズベルトの病状は大統領のスタッフによって隠されていたため、軍隊はトゥルーマンに原爆開発成功のニュースを伝えていなかったからだ。その結果、日本への原爆投下は承認されなかった。
日本侵略によって失われた250万人以上のアメリカ、ロシア、そして日本人の命が、失われなくても済んだのだという議論が最近歴史家たちの間で交わされている。歴史専門家たちの架空歴史シナリオでは没落作戦(日本侵略計画)は単なる備考にすぎない。
歴史的事実と架空シナリオの溝は深まる。(実際の歴史では)日本は連合軍の勝利によって分割された。ソビエトは千島列島、樺太、北海道、そして本州の北部三分の一を占領し、残りはアメリカが占領することを要求した。ルーズベルトの死直前の1946年、重病の大統領はロシアと中国の圧力に負けヒロヒトを戦犯として裁判にかけることに同意した。天皇の絞首刑が言い渡されると、マッカーサーは戦争裁判の決断を公に批判したため、新任のトゥルーマン大統領はマッカーサーを任務から外した。
ここにどの歴史家の脳裏にも焼き付いている一つの写真がある。裁判が行われていた建物の前に怒り狂った群衆が集まった。そのなかに政治パンフレットをふりかざしていた一人の若者がいた。多くの人々がそのパンフレットに手をのばしていた。若者の顔は間違いなく三島由紀夫のそれであった。
しかし架空シナリオでは三島は20世紀の文学の世界では顕著な存在だが国粋主義ではない経済の発展した戦後の日本では政治的にはたいした存在ではない。実際の歴史では三島の天皇崇拝、過激なロシア憎悪、そして失われた領土への核攻撃もいとわないという思想は南日本の政治を独占した。永久に悪魔化された三島のイメージは全てが変わってしまった30年前のあの日と深くつながっている。あの日北海道で起きた危機は日本、ロシア、中国、アメリカ、イギリスそしてフランスを巻き込む核兵器戦争へと発展し、20億人の死者を出すにいたった。専門家の論説者たちが唱えるシナリオでは二つの都市が破壊されることで全世界は救われたはずだというものである。
人々が架空歴史に執着するのはそれが現実の歴史の恐ろしさには到底およばないからである。


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久間防衛相辞任が国際社会に及ぼす波紋

防衛省の久間さんの原爆投下に関する失言で氏が辞職にまで追い込まれたという事件はアメリカでも大々的に報道された。この問題は日本の内政のみならず外交上の問題に発展する可能性が大きいからである。ミスター苺がこちらの新聞に載った久間氏の発言内容を読んで、「辞任するほどの発言とは思えない。日本語ではもっと過激なことを言ったのか?」と聞くので日本語で読んでみた。みなさんはもうご存じのことと思うが、一応掲載しておこう。下記は朝日新聞に載った演説内容。

久間氏の発言要旨
 日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。
 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。
 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。

この文章を読む限り、カカシにも何が問題なのかよく分からない。日本語はニュアンスが色々あるのでやたらなことを言うと弊害があるかもしれないが、久間氏はアメリカの原爆投下には疑問も投げかけたうえで、原爆投下が戦争を終わらせるということになったのだから、ま、しょうがないか、、という意味でいったと思うのだがそれがそんなに無神経な発言だったのだろうか?


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ネズミのシェフ『レミーのおいしいレストラン』ラタトゥーイ

さて、今日の映画はディズニー・ピクサー共同製作のアニメーション、ラタトゥーイ。邦題はレミーのおいしいレストラン。日本とアメリカはほぼ同時公開だったようだ。(写真集はこちら
一言でいって、今年最高の映画といっていい!いや近年中稀なる素晴らしいアニメーション映画というべきかもしれない。ピクサーのザ・インクレティブルスも良かったけど、この映画の方が数段上だと思う。インクレティブルズと同じブラッド・バードの監督、脚本。
左巻きで商業色どっぷりだったアイズナー会長の時代はかなり質が落ちていたディズニー映画の評判だが、会長辞任後のこの映画でその評判は一気に取り戻すことができそうだ。ウォルト小父さんもこれなら太鼓判を押してくれるだろう。
映画の主役はフランスの田舎町で残飯を大量に食べあさることで十分に満足しているネズミ一族のなかで、極端に鼻が効き味にうるさいグルメし好のレミー。食べ物の匂いを嗅いだだけで材料がわかってしまうという天才のレミーは忍び込んだ民家の台所で偶然テレビに映っていた今は亡き天才シェフ、ガストーの「誰でもシェフになれる!」という言葉に刺激される。どぶねずみの生き方は常に変わらないと語る父親に反して、レミーはどこかに自分の才能を発揮できる場所があるはずだと夢見る。
ひょんなことから一族とはぐれパリの町中に放り出されたレミーは自分の描いたガストーの幻に導かれ、今や世代が代わってすっかり評判の落ちているガストーレストランの前に立つ。そこへ下働きに雇われたうだつの上がらない青年リングイーニがストーブにかかっているスープに手を出し台無しにしかけているところへ、レミーが助っ人にはいる。これがきっかけでどぶねずみのレミーと人間リングイーニの共同料理作戦が生まれる。
話はレストランで下働きをする若者リングイーニがねずみのレミーに料理を教えてもらって料理がうまくなるというような安易な筋ではない。リングイーニは救い用のない料理下手なので、レミーを帽子の中に隠して料理を手伝ってもらう。猫の手もかりたくなる忙しさとはいうがネズミの手を借りるというのは聞いたことがない。しかしこのあたりは靴屋のおじいさんが眠っている間に小人たちが現れて靴をつくってしまったなんていうおとぎ話を思い出させる。
だがこの映画で一番大切な点は、ガストーの「誰でもシェフになれる」というモットーである。これはどんな才能のない人間でも努力次第でシェフになれるという意味ではない。「どんな運命の星の下に生まれようと、自分の夢を追い求めよ」という意味だ。どぶねずみとして生まれたからは、これまでもこれからも残飯漁りに明け暮れる運命だという人生をレミーは拒絶する。これまでずっとそうだったからこれからもそうでなければならないはずはない、生まれた時から運命が決められているはずはない、という頑固なレミーの根性が数々の試練を乗り越える糧となる。自分の運命は自分で切り開くものという非常に大切なメッセージが説教ぶらずに伝わってくるのがディズニーらしい。
ところで話のほとんどがガストーレストランのキッチンで展開されるが、料理中の描写がすばらしい。アニメをみているだけでコックたちがどういう材料でどんな調味料を使っているのかがわかるし、リングイーニの教育係になったキッチンでも紅一点のコレットが材料の下ごしらえをする場面では彼女の包丁さばきにはみとれてしまう。
映画ではプロのシェフが数名参加しており、多分本物シェフらの動きがそのままアニメ化されたのだろう。それに実際の高級レストランの忙しい調理場の雰囲気が伝わってくるのもこれらのシェフ達の協力を得ていること間違いない。私が思うに映画の制作者は実際にシェフのチームが調理をする状況をフィルムに撮ってそのままアニメ化したのではないだろうか。各担当のシェフたちがお互いに「ソース2分」とか怒鳴りあっているシーンは非常に現実的だし、ラミーが出来上がった皿のふちを布巾で拭くシーンなど本物のシェフがしているのをテレビの料理番組などでみたことがある。
さてラタトゥーイというのは南フランスの家庭料理の名前なのだが、映画の中でこの皿が出された時、その盛り付けの芸術的なこともさることながら、アニメーションなのにその材料がほぼ解るほど詳細に描かれている。私はこの料理がどんなものか全然しらなかったのだが、自分なりにズキーニ、スクワッシ、トマト、茄子などをトマトソースのようなもので煮た野菜料理ではないかと想像した。帰宅してからネットで調べてみると本当にその通りでふ〜むと思わず唸ってしまった。
背後に流れる音楽もフランス風ジャズの味な音だ。サウンドトラックを購入の価値あり。シェフがどぶねずみというのが弊害になって映画を遠慮する人もあるかもしれないが、どぶねずみだから成り立つこの映画、是非ともご家族をつれて御覧あれ!
アカデミー賞にノミネートされるべき!
関連レビュー:
ちょっと考え過ぎじゃないかなと思うんだけど、、、『レミーのおいしいレストラン』の場合/「ゲイな映画」と「クィアな映画」のあいだ。自分が自分の生きてる社会に所属しないなあという気持ちって別にゲイでなくてもクィアでなくても感じることなのよね。自己中心すぎる感想だと思うのだが、ま、こういう見方もあるかなってとこかな。


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