AP:イラク死傷者の数は倍増という不誠実報道

今日APのイラク死者数倍増Iraq Body Count Running at Double Pace)という記事をみて、どうも変だなと思った。主流メディアの記事は見出しが非常に不誠実な場合が多いので記事は注意深く読む必要がある。

APの記録はイラク市民、政府高官、警察、警備隊のうち戦闘やスンニによる自爆テロなどの攻撃で死亡した人数を含む。またシーア派の死の団体による処刑スタイルの殺人も含まれる。

調査の結果には下記が含まれる:

  • イラクは去年にくらべて国全体で2006年の一日あたり33人から今年は62人と戦争関係での死者数は倍になっている。
  • 今年の最初の8か月で2006年全体で暴力的に殺されたイラク人の数を1000人近く上回っている。今年はすでに14,800人が戦争関係の攻撃や宗派間争いで殺されている。…
  • 民間や警察の死者の76%がバグダッドで出ていた今年の一月から、7月には52%となりほぼ去年の割合と同じになった。
  • イラク赤三日月によると避難したイラク人は今年一月447,337人から7がつ31日の100万から114万人と倍増した。

しかしペンタゴンのリチャード・シャーロック准将は2006年から比べてイラクでの攻撃数は減っていると語っているとAPにはある。これはいったいどういうことなのだろうか?
先ずイラクでの死亡者数を記録しているicasualties.orgの民間人死者の数をみてみると確かにAPの記事にある通り今年の方が去年よりは多い。だが、イラクで何が起きているのかという事変を考慮に入れずに単に暦で年度末に線をひっぱってみても、それが何を意味するのか全くわからない。ましてや現在の新作戦がうまくいっているかどうかという判断には全くつながらないのである。下記の表をみていただきたい。

イラク民間人死者数 2006〜2007年8月
2006年 死者数
1月 590
2月 688
3月 901
4月 808
5月 969
6月 738
7月 1063
8月 2733
9月 3389
10月 1315
11月 1741
12月 1629
2007年 死者数
1月 1711
2月 2864
3月 2762
4月 1521
5月 1782
6月 1148
7月 1458
8月 1313


去年の民間人の死亡者数は1月から7月にかけて1月の600人程度から1000人を超える7月までじょじょに増えていった。去年の2月にシーア派のアルアレキサー聖廟の爆破事件以来宗派間争いが激しくなっていたから、死者が増え続けたのは当然だろう。8月になると突然2733人と増えるが、8月はシーア派の巡礼の月で、9月はラマダンの月である。イスラムテロリストが祭日を狙って攻撃を増加させるのは周知のことであるからこの数字もおかしくない。ラマダンが終わった10月から今年の1月まではその数は千数百人とあまり変化はない。だが、アメリカ軍の増派があると発表のあった2月と3月にはそれぞれ2864人と2762人と急増している。これはアメリカ軍の増派に備えてアルカエダが攻撃を増加させたのが原因だ。
しかし新作戦が本格的に始まり出した4月になるとその数は1521人に減り、その後もその低レベルが続いており、今月はシリア国境の250人という犠牲者を出すテロを含めても7月の数よりも減りそうである。
またAPは、今年7月のテロ攻撃の35%が北部で起きており、去年の22%よりも増加しており、8月ではこの割合はもっと増えるだろうと指摘している。これは明らかにアメリカ・イラク軍がバグダッドで激しい掃蕩を行っていることから、テロリストが手薄な北部を狙っているのが理由だ。
イラク市民の犠牲者数から現在行われている新作戦の効果を測ろうというのであれば、新作戦が本格的に始まった今年の4月から一年間さかのぼった数字とその後の数字を比べるべきである。背景の状況を無視して去年と今年という暦上のでの比較などしてみても何の意味もなさない。


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ブッシュ大統領が戦前日本とアルカエダを同一視したという誤解

この間のブッシュ大統領のミズーリ州における退役軍人相手の演説について、私はちょうど日本の戦後の発展についてブッシュ大統領が語っている部分を帰宅途中のラジオで聴いていたという話は先日した通り。今日になって坂さんのところでブッシュ大統領は戦前日本をアルカエダと同一視していると朝日新聞が報道したというエントリーを読んでたまげてしまった。生放送で聞いていた私はブッシュ大統領がそんなことをいったようには全く聞こえなかったからだ。
今回の演説の主題は歴史的に過去の戦争や戦後の復興をふりかえって、どれだけ専門家といわれた人々の意見が間違っていたかというものだ。それを太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争を振り返ってブッシュ大統領は証明しようとしているのだ。そして私はそれは成功したと思う。
しかし朝日新聞の批判には反論の余地はあると思うので、ブッシュ大統領が実際なんといったのか原文を読みながら考えてみたいと思う。
先ずは朝日新聞の記事から。

ブッシュ米大統領が22日に中西部ミズーリ州カンザスシティーで行った演説は、自らのイラク政策を正当化するため、日本の戦後民主主義の成功体験を絶賛、フル活用する内容だったが、半面で戦前の日本を国際テロ組織アルカイダになぞらえ、粗雑な歴史観を露呈した。米軍撤退論が勢いを増す中でブッシュ氏の苦境を示すものでもある。

冒頭は9.11テロかと思わせて、実は日本の真珠湾攻撃の話をする、という仕掛けだ。戦前の日本をアルカイダと同列に置き、米国の勝利があって初めて日本が民主化した、という構成をとっている。大正デモクラシーを経て普通選挙が実施されていた史実は完全に無視され、戦前の日本は民主主義ではなかった、という前提。「日本人自身も民主化するとは思っていなかった」とまで語った。…
テロとの戦いにかけるブッシュ氏だが、今回の演説は日本を含めた諸外国の歴史や文化への無理解をさらした。都合の悪い事実を捨象し、米国の「理想」と「善意」を内向きにアピールするものとなっている。

確かにブッシュ大統領は戦前の日本の行為とアルカエダの行為との共通点を指摘してはいるが、戦前日本がアルカエダのようなテロリスト団体であったなどとは一言もいっていない。朝日新聞がそのようにこの演説を受け取ったのであれば、これは完全なる誤解であり、ジャーナリストとしてその英語力と理解力の不足が批判されるべきである。また大正デモクラシーにしろ、日本の議会制度にしろ、当時の日本がどう考えていたにせよ、アメリカ人が考えるような民主主義ではなかったことは確かなのであり、その見解の相違をもってして『粗雑な歴史観を露呈した』などというのは馬鹿げた解釈である。この記事について坂さんはこのように感想を述べておられる。

戦前の日本を批判することが多い朝日だが、さすがにアルカイダと同列視されることには我慢がならなかったということだろう。が、逆に言えば、ブッシュ氏のわが国の歴史に対する認識が、それだけ粗雑で無知であるということだ。

坂さんは朝日新聞の記事をもとに感想を述べておられるのでこのような解釈になっても仕方ないのだが、朝日新聞が『さすがにアルカイダと同列師されることには我慢ならなかった』というのは朝日新聞を買いかぶりすぎだと思う。朝日新聞はブッシュ大統領が歴史について無知であるということを強調したいがために、いつもは批判している日本の軍事主義を擁護するという不思議な立場に立たされただけだ。そして朝日新聞はブッシュ批判が先行してこの演説における肝心な点を見逃しているのだ。
それではここで、原文から問題の部分を抜粋してみよう。問題点を指摘する理由で段落が前後することをご了承いただきたい。

我々を攻撃した敵は自由を忌み嫌っていた。そしてアメリカや西洋諸国が自国民に害を与えていたと信じ恨みを抱いていた。敵は自らの基準を地域全体に設立するために戦った。そして時間と共に自殺攻撃に及び多大なる殺りくによって、アメリカ人が疲れて戦いをあきらめるのをねらった。

もしこの話が聞き覚えのあるものだとしたら、確かにそうです。ただひとつ。私が今説明した敵はアルカエダでもなければ911攻撃でもなく、過激派回教朝を夢見るオサマビンラデンの帝国でもありません。私が説明したのは1940年代の日本帝国の戦争マシンであり、真珠湾での奇襲攻撃であり、その帝国主義を東アジアに広めようとした行為です。
(中略)
我々が戦った極東との戦いと今日我々が戦っているテロとの戦いには多くの違いがあります。しかしひとつ重要な類似点があります。それは核心にあるイデオロジーの葛藤です。日本の軍国主義や朝鮮やベトナムの共産主義は人類のあり方への無慈悲な考えに動かされていました。彼等はそのイデオロジーを他者に強要しようとし、それを防ごうとしたアメリカ人を殺しました。今日名前や場所は変わっても、根本的な葛藤の性質は変わりません。過去の敵がそうであったように、イラクやアフガニスタンや他の場所で戦争を仕掛けているテロリストたちは、自由と寛容と反対意見を破壊する厳しい目的をもって自分らの思想を広めようとしているのです。
…この敵は危険です、この敵は決然としています、しかしこの敵もまた打ち負かされるのです。(拍手)

ブッシュ大統領が比較しているのは日本帝国とアルカエダという組織の比較ではなく、アルカエダの行為と日本軍隊の行為の類似点である。そしてまた戦前に日本が手強い敵であったのと同じようにアルカエダも手強い敵なのだと強調しているのだ。
戦闘体験のある軍人に対して輝かしい勝利を得た戦争を例にとって、アメリカは当時も手強い敵と戦って勝利をえることが出来たのだから今回の戦争にも勝てるのだとするやり方にはそれなりに効果がある。ブッシュ大統領は目の前にいる退役軍人に敬意を示しすことで、アメリカ軍全体に対する尊敬の心を表現しているのである。日本人としては負け戦だった太平洋戦争を引き合いに出されるのは気に入らないかもしれないが、ブッシュ大統領が現在の戦争への比喩として過去の勝ち戦を持ち出したからといってブッシュ大統領が戦前日本とアルカエダを同一視しているという見方は乱暴すぎる。現にブッシュ大統領は極東の戦争と今の対テロ戦争には多くの違いがあることを指摘している。
ブッシュ大統領が強調したいことは戦前の日本がどれほどひどい国だったかということではない。それよりも戦前日本がアメリカにとってどれだけ手強い相手だったか、そしてそれだけ手強い敵を相手にしながらアメリカがどのように勝利を得ることができたのかということにある。つまり、『この敵は危険である。この敵は決然としている。しかしこの敵もまた打ち負かされるのである』という点が大切なのである。

最終的にアメリカ合衆国は第二次世界大戦に勝ちました。そしてアジアではもう二つの戦争で戦いました。この会場においでの多くの退役軍人のみなさんがそれらの作戦の帰還兵です。しかしみなさんのなかで最も楽観的な人たちですら、日本がアメリカにとって最も強く最も誠実な同盟国として生まれ変わるとは思いも寄らなかったことでしょう。また韓国が敵の侵略から立ち上がって世界でも指折りの経済国となることやアジアが貧困と失望から抜け出し自由市場を抱擁するようになるとは予測していなかったでしょう。

アジア発展の教訓は自由への願望は否定できないということです。いちど人々が少しでも自由を味わったなら、(人々は完全に)自由になるまであきらめないということです。 今日のダイナミックで希望に満ちたアジアは…アメリカの存在と辛抱強さなくしては不可能でした。本日この会場にお集りの帰還兵のみなさんなくしてはあり得なかったのです。みなさんのご奉仕に感謝もうしあげます。(拍手)

ブッシュの演説で大事なのはこの先だ。ブッシュ大統領は戦後日本の民主化と復興について、日本の天皇制や、神道や、女性に対する考え方の違いなどを理由にどれだけ多くの人々が日本人をばかにして、その才能や実行力を過小評価していたかを羅列した後、それぞれの考えがどれほど間違っていたかを指摘している。

日本の降伏後、多くの人が日本事態を民主主義に生まれ変わらせようなどという考えは甘いと考えました。今と同じように自由とは相容れない民族がいるのだと批評家は主張しました。

日本は文化的に民主主義とは共存できないと言いました。ハリー・トルーマンの下で勤めた前アメリカ日本大使のジョセフ・グルーは大統領に「日本で民主主義は絶対にうまくいかない」と断言しました。…
また、あるひとたちはアメリカは自分たちの考えを日本に押し付けていると批判しました。例えば日本女性に選挙権を与えることは「日本の政治的発展を遅らせるものだ」と言い切りました。

ここでブッシュ大統領は女性の選挙権を薦めるマッカーサー元帥が、日本女性は伝統的で男性に従順すぎるため夫と独立した政治的な考えなど持つことはないと、多くの専門家から批判された事実をその回顧録から紹介した。

今日、日本の防衛省大臣は女性です。しかも先月行われた参議院選挙では史上最高の女性議員が当支援しました。(拍手)
信じられないことですが、日本の国教のせいで民主主義は成功しないと主張した人がいました。 神道は熱狂すぎて、帝国の深く根付いているというのです。リチャード・ラッセル上慇懃は日本人の宗教を非難し、天皇を裁判にかけなければ「民主主義へのどのような努力も失敗する運命にある」と言いました。…
神道と民主主義が共存できないと主張した人々は間違っていました。幸運なことにアメリカにも日本にもそれが間違っていると分かっていた指導者がいたのです。神道を弾圧するのではなくアメリカ政府は日本人と一緒に日本における宗教の自由を設立したのです。天皇制を廃止するかわりに、アメリカ人と日本人は天皇が民主主義社会で占める適切な立場を考え出したのです。
その結果、すべての日本人が宗教の自由を獲得し、天皇は日本の民主主義の象徴として強く育ち日本文化の貴重な一部として受け入れられています。今日、日本は批評家や猜疑心や懐疑心んをもっていた人々に立ち向かい、宗教と伝統文化を保ちながら世界でも偉大なる自由社会となったのです。(拍手)

こうして読んでみるとブッシュ大統領は戦前の日本を理解していないどころか、専門家といわれた歴史家や政治家たちなどよりも、よっぽども日本を理解していることがわかる。
ブッシュ大統領はこの後、朝鮮戦争やベトナムを引き合いに出し、歴史上からみて世界に民主主義を広める考えは正しいこと、専門家の悲観的な考えは得てして間違っていること、イラク戦争を最後までやりとげ、イラクに民主主義をもたらすことの大切さを強調した。
朝日新聞がいうように、民主党や反戦派の間からはブッシュの歴史観は間違っているとする批評は出ている。しかし、ブッシュ大統領の言ったことを誤解してか故意にわい曲してかしらないが、ブッシュ大統領が戦前日本とアルカエダを同一視したなどというデマを流すのはやめてもらいたいものだ。それにしてもアメリカの主流メディアも記事を装って自分の偏向意見を述べるのことはよくあるが、朝日新聞に比べたらずいぶんと大人しいものだ。
関連エントリー:ブッシュ大統領の演説、イラク撤退はベトナムの二の舞いになると主張


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イラク新作戦はうまくいっている! イラク帰還兵が7人の駐留兵に反論

前回に紹介した空挺隊82部隊7人のイラク状況に関するコラムに対して、以前にも紹介したVets for Freedomの7人が反論しているので、今日はそれを紹介しよう。
お互いイラク戦地で危険な任務を体験した兵士同士、VFFの7人は空挺隊の7人に対して非常な敬意を示しながらも、彼等の考えは間違っているという。82部隊はまだ二か月しかたっていないCOIN作戦の効果を目の当たりにしていない。82部隊の7人が新作戦がうまくいっているように感じない理由は、彼等の駐留している場所では、まだ新作戦が起用される以前のバグダッドの状態が続いているからなのだとVFFの7人は語る。
82部隊が勤務している場所はイラク国内でもAdihamiyah と Sadr Cityという非常に危険といわれている場所である。この二つの地域はアルカエダとマフディの最悪の人間が集まっている場所であり、まだ始まって二か月しかたっていないCOIN作戦の効果が現れていないというのが現実だ。現在アメリカ軍とイラク軍はバグダッド南部の掃蕩に当たっており、それが済み次第82部隊のいる北側に目を向ける予定である。

これらの兵士らが体験した宗派間争いや無法状態や無差別殺人といったことはむろん正確で正直な状況表現ですが、これはどちらかと言えば増派前のバグダッドの状態といえます。

しかしイラクの他の地域やバグダッドの大半ですらも、もうこのような危険な状況ではなくなってきているとVFFの7人は言う。アメリカの増派は首都の周りから始まり自爆テロや自動車爆弾の犯人たちの温床を潰した。その結果、市民へのアルカエダによる攻撃は5割も減り、この六か月で最低の数となった。

アンバー地区の例をとって見てみましょう。2006年にはアルカエダがラマディの首都を占拠し海兵隊の諜報員は地区は事実上負けたと宣言しました。漏えいした海兵隊の報告書によれば、「西アンバー地区を安定させる希望は非常に暗く、米軍は政治的にも社会的にも状況を好転させられる希望は全くもてない。」とありました。

しかし今日、ラマディは平和となり、アンバーはもはやアルカエダの温床地ではありません。ラマディーとアンバーの部族はアメリカ軍によって治安安定が向上したことから、政治的な和解と安定によって目をさましつつあります。アメリカはラマディを掃蕩しただけでなく、65か所を占拠し保持しているのです。

ここで以前にも紹介した対反乱分子作戦、COINの原則を思い出してみよう。

  1. 兵を一地区に集中させること。テロリストは自動車爆弾などを使って少人数で大規模なダメージを起こすことができるが、政府軍は大人数の軍隊を使っても広範囲に散らばっていてはとてもとても市民ひとりひとりを監視することなどできない。そこでガルーラは守る地域を、白、ピンク、赤という地区に分けた。白とは政府の統括下にある地域、ピンクはゲリラと政府が競争している地域、赤は完全にゲリラが制覇している地域。対反乱作戦を成功させる鍵は、ピンクを白に、赤をピンクへと、一区画づつ地道に変えていくことにかかっている。
  2. 継続的で目立つ軍事的防御体制。地元市民が常に安心してたよりにできる民間および軍事的な施設の存在は反乱軍を牽制し地元民の信用を得るための必要不可欠な要素である。正規軍が常に監視に目をひからせパトロールを継続させゲリラの潜入を絶対に容認しない。テロリストは厳しく処罰し、市民の協力を報酬などを使って奨励する。これによって地域は安定を保つことができるようになる。
  3. 勝利は確実と市民に確信させること。地元の人々は政府と政府軍が結果的には勝つと確信しなければならない。そのためには地元軍の存在は必要不可欠である。なぜなら駐留軍がいなくなった後でもこの平和は継続される、生活の基盤は崩れないという信頼感がなければ市民は安心して政府に協力などできないからだ。

このなかでも2)と3)は地元の市民たちからアメリカ軍への協力を得るのに必要不可欠な条件だ。VFFの7人はスンニ部族たちがアルカエダにようやく立ち向かう決心んをしたのも、この状況が起きているからだと主張する。そしてこの状況はアンバー地区をこえてディヤラやバビル地方にも広がっているという。

第82空挺隊のメンバーはイラク人が「我々に必要なのはただ飯ではなく安全だ」と語ったと書いています。まさしくその通りです。そしてアメリカ軍やイラク軍が今していることはまさにそれなのです。この戦争において初めてイラクの地元レベルで反乱分子を追い出し継続的な治安維持を提供しているのです。

VFFの7人も空挺隊の7人と同じようにイラク政府の進展には不満を抱いている。そしてイラクでの政治が進展するのもイラク国内の武力紛争の解決があってのことだと言う点では空挺隊と全く同意見だ。

私たちは同胞兵士らの不満は非常によく理解できます。我々は皆、治安維持を基盤とした分かりやすい対反乱分子作戦が取られる「増派」前のイラクを経験しています。…
しかし私たちはほんの僅かでも対反乱分子作戦が起用されただけで何が可能となるかも知っています。敵は暴露され指導者たちが立ち上がり安定が訪れるのです。デイビッド・ペトラエウス将軍とライアン・クローカー大使は対反乱分子作戦の基本をよく理解し起用しています。…第82空挺隊がまだこの新作戦の恩恵を授かっていないのは残念です。しかし彼等の任務がこれを実現させ戦闘に散った同胞の死は決して無駄にはなりません。
第82空挺隊の戦火における勇気に拍手をおくり、彼等の国家への忠誠心に感謝の念をあらわしたいと思います。同時に負傷した著者の一人の早期回復をお祈り申し上げます。

先の欄を書いた空挺隊のメンバーに将校はいない。そして今回の記事を書いたVFFのメンバーは皆将校の位だ。現場で一番危険な目にあわされるグランツと呼ばれる下士官以下の位にいる兵士らと将校とでは同じ戦争をやっていても見方が違う。これは兵はいわれた通りのことをするだけだが、将校は全体的な作戦を考える立場にあるからだ。兵にはどうして自分らが特定の任務についているのかはっきりわからないことが多い。特に自分らの身に危険が及ぶ場合には実際に自分らのやっていることに価値があるのかどうか疑わしくなっても当然だろう。
危険なのは自分らのいる場所だけを見て、戦地全体がそうであると解釈してしまう点だ。これは私がイラク人のブロガーの書いていることを読んでいても感じることなのだが、イラク全体の状況を知るにはかえって一歩下がった場所にいた方がわかるといった場合も多々あるのである。
ところでVFFの反論は最初、空挺隊の意見を掲載したニューヨークタイムスに投書されたが、ニューヨークタイムスは掲載を拒否したためウィークリースタンダードが掲載した。反戦派に都合のいい兵士の意見は聞くが、戦争を支持する帰還兵の意見は無視というのはアメリカ主流メディアにはありがちなダブルスタンダードである。


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イラク新作戦はうまくいってない! イラク駐留兵が語るイラク状況

イラク状況について語るには、はやり現地で実際に戦争をやっている軍人たちの意見を聞く必要がある。そこでカカシは二回に分けてペトラエウス将軍の対反乱分子作戦(Counter Insuregency, COIN)が現地でどのような効果をあげているのか、現地からの意見を紹介したいと思う。
今日は8月20日のニューヨークタイムスに掲載された、イラクから15か月の任務を終えて帰還を間近に控えた陸軍第82空挺隊の下士官7人が共同で書いたコラムを紹介しよう。

帰還をまじかに控えた空挺隊の一部隊として、我々は最近メディアが表現しているようなイラク紛争が序々にまとまりがつきそうだという考え方には猜疑心をもっており、我々が毎日のように見てきた内乱や政治的な不安定さを無視したものだと感じます。

7人は戦場がアメリカのコントロール下にあるという考え方は、単に戦場が別の場所に移ったというだけの状況を無視した間違った考え方だと語る。著者はイラクにはアルカエダ、スンニ過激派、民兵、犯罪者といった色々な役者がおり、彼等の忠誠心にはそれぞれまちまちだとし、イラク警察やイラク軍といった我々アメリカ軍が訓練している人員ですら我々は安易に信用できない事実を指摘している。

例えば数日前の夜、イラク軍の関門と警察署の間で爆発した爆弾によってアメリカ兵一人が死亡、二人の兵が重傷を負うという事件を目撃しました。地元イラク市民はアメリカ人の捜査官にイラク軍人と警察官が犯人を案内して爆弾を仕掛けるのを手伝ったと証言しました。これらの地元市民の証言は爆弾が爆発する前にアメリカ軍に通告していたなら、イラク兵や警察や地元シーア民兵に家族を皆殺しにされる運命にあったことを暴露しました。

シーア地区だけでなく、スンニ地区でも同じようなことが起きていると著者は言う。スンニ派はシーア民兵やシーアが多数を握る政権から自分らを守るためには自分達が結束してスンニ民兵を組織することにあると考えはじめた。アメリカ軍はアルカエダと戦うためにこれらのスンニを武装しはじめた。COIN作戦には地元民を駐留軍の代理として使うことが大事だが、この代理の忠誠心は必ずしもアメリカ軍にあるとは限らない。確かにスンニ民兵らは対テロ戦争には効果をあげてはいるものの、一旦武装したスンニ民兵がアメリカ軍撤退後の将来、イラク政府と衝突しないとは誰も言い切れない。
つまるところ、敵が誰なのか、味方が誰なのかさえも分からないような状況で、前線は混乱状態にあるという。彼等のいる場所がいかに危険かを象徴するかのように、この記事の著者の一人が途中でパトロールに出て頭を撃たれて避難するという事件が起きた。このような状況にあってイラクの治安情勢をアメリカ中心の見解で判断するのは危険だと著者らは語る。

アメリカからの視察団が以前に危険だった町で安心して歩き回ることができるというようなことではイラクの治安向上の確たる証拠とはいえないのです。問題なのは地元市民の体験と我々の対反乱分子作戦の未来です。この見方をすると大多数のイラク人が不安を感じており、四年間もかかってまったく平常な状況をもたらすことのできなかった占領軍と見るようになり、今後もそのようなことはできそうにないと考えているのです。

またアメリカ側がイラク政府がもっと責任をとるようにと圧力をかけるのも逆効果になっていると7人の著者は言う。イラク政府はこれまでフセイン時代に弾圧されていたシーア派が大多数を占めているので、彼等は自分達が得た権力をどうやって守り通すかに必死であり、イラク統治など興味がないと著者らは考えるらしい。イラク政府のまとまりのなさの原因として、著者らはアメリカ政府のおかした1)バース党員の排除、2)イラク軍の解散、3)緩やかな連邦制の起用、といった三つの間違いが、シーア派の自分勝手な意図とアメリカとの間ですれ違いが起きているというのである。
ただ著者らが言うイラク政府の政策はアメリカ政府が期待するような基準や時間表で起きるのではなく、イラク人がイラクにとって適していると考える方法で起きるという考え方にも、イラク政権のまとまりがつくのは、軍事的な紛争が解決した後だとする考え方にもカカシは同意できる。

四年間に渡る占領で、我々はすべての約束に失敗しました。…私はあるイラク人から「我々に必要なのはただ飯ではなく安全だ」といわれました。…我々の存在がイラク人を独裁者から解放したかもしれませんが、それと同時に我々はイラク人の自尊心を奪ったことにも気が付かねばなりません。我々は彼等の尊厳を取り戻すためには自分達を占領軍であると認め、撤退をせざる終えなくなるでしょう。…

我が軍の士気について語る必要はありません。敬虔なる兵士として我々は任務を必ず遂行させます。

実際に現地で同胞を失いながら命がけで戦っている兵士らの言うことであるから、これは現地の状況を全く知らない反戦派の意見のように意味のないものとして無視することはできない。確かに現地では難かしい状況が存在している。以前にサドルシティから報道していたマイケル・トットンもシーア派民兵がイラク軍に大分入り込んでいる事実を書いていた。またこれまで敵としてみていたスンニ反乱分子をアルカエダと戦ってくれているからといって安易に信用するのも危険だというのはよく分かる。
これについて、別のグループのイラク帰還兵が反論しているので、それは次回に紹介しよう。


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消えたスイング、リンディホップの再来

読者のみなさんはリンディホップという踊りをご存じだろうか。これは1920年代にアメリカはニューヨーク、黒人街のハーレムで発明されたジャズダンスだ。一応スイングの一種ということになっていて、ジャイブやジルバと似てはいるが、イーストコーストスイングとリンディホップでは月とスッポン。能と阿波踊りくらいの差がある。さすがに黒人の間で人気を呼んだ踊りだけあって、動きは激しく凄まじく早く、ラフで危険な動きが多数取り入れられている。

もともとは男女のペアは双方とも足を床につけたまま踊っていたが、1930年代になると相手の頭の上を飛び越えたり、男性が女性を持ち上げて放り投げたりするような動きがフランキー・マッスルヘッド・マニングというダンサーによって発明された。
リンディホップという名前の踊りの創設者であるショーティ・ジョージとビッグベンがリポーターからこの踊りはなんというものかと聞かれた時、丁度リンドバーグが大西洋横断に成功したニュースの見出しに「リンドバーグ(リンディ)大西洋を飛び越える(ホップス)!」と書かれていたのをみたショーティが「リンディホップさ!」と答えたが最初だと言われている。

口で説明するより見てもらったほうが早いので、1941年のHellzapoppin’という映画の一部に出てきたこのシーンをまず見ていただこう。振り付けはフランキー・マニングで、踊りはフランキーが結成したハーレム・コンガルーンズで、フランキー自身も踊っている。



これだけすばらしい踊りなのに、なぜか1950年代にはロックにおされてリンディホップはダンスフロアから消えてしまった。ロックの踊りはツイストとかマッシュポテトとかでパートナーを要しない一人でリズムにあわせて適当に踊るスタイル。誰でも踊れるせいなのか技術を要するリンディよりも人気が出てしまった。
もちろん1970年代になるとディスコの時代。ジョン・トラボルタがサタデーナイトフィーバーで一躍有名になった時代。ディスコはペアを組んでリフト(男性が女性を持ち上げる)のある面白い振り付けもあったにはあったが、リンディホップのようにパートナーを振り回したり放り投げたりするエネルギッシュな踊りとはかなりかけ離れたスタイルだった。

とろこが1980年代に不思議なことが起きた。ビデオ録画技術VCRの到来である。VCRによって古い映画を若い人たちが観ることが出来るようになると、誰かが埋もれていた昔の映画を掘り起こしてきてこの幻の踊りに出くわしたのである。そしてその古いビデオの映像だけをたよりに今まで見たこともない踊りを再現させようとしたわけだ。
幸運なことに、20年代から30年代にリンディの振りを多く振り付けしたエキスパート、フランキーはまだ生きていた!そこでリンディファンたちはフランキーの教えを受けリンディホップの再現に成功したのである!実はフランキーは今現在も93歳の若さで健在。やっぱり一生踊ってきたせいかな?

先週の木曜日、ミスター苺とカカシは近くのお寺で開かれた全国リンディホップ選手権の地区予選を見てきた。コンテストが開かれる前や審査中は一般人がダンスフロアに出て自分達で踊りを楽しめたので、我々苺畑夫婦もリンディに挑戦。しかしどう見ても周りで踊っているひとたちと同じスタイルの踊りには見えない。ダンス会場は満員で、私たち夫婦がえっちらこっちら習ったばかりのステップを踏んでいると、周りで回転しまくってる若い男女に蹴られるはふっ飛ばされるはで大変だった。さて、それではここで全国選手権の決勝戦の模様をお届けしよう。振り付けがほぼ昔のままであることに注目。

最初はハーレムの黒人街で生まれたリンディホップだが、新世代のファンはなぜか白人や東洋人ばっかり。ここ数年ヨーロッパでもリンディは人気があるという話だ。しかしよく見てみると黒人の間で始まったブレークダンシングのなかにもリンディの動きがかなり取り入れられていることが分かる。

最近はアメリカの人気テレビ番組でリンディホップが紹介されるなど、リンディは若いひとたちの間でもわずかながら知られはじめている。この間地区予選が行われたうちの近所のお寺では、毎週木曜日にリンディホップのパーティがある。入場料たった7ドルで8時から午前二時過ぎまで踊り放題。早くいけば無料レッスンも受けられる。
売ってるものはペットボトルの飲料水のみ。アルコールも食事も出ないのに会場はいつも満員。もっともこんな踊りを酔っぱらってやっていては危なくてしょうがない。
踊りが激しいので若い人たちばかりかと思うとそうでもなく、中年の苺畑夫婦より年上のカップルをいくらも見かける。先週の木曜日には60歳過ぎの男性が20代の女性を振り回していたのを見たが、あまりの激しい踊りに若い女性のほうがついていけないほどだった。

当然のことながら苺畑夫婦はここで紹介したような動きは何一つできないが、基礎ステップだけでも覚えて、自分なりに楽しめるようになりたいと思っている。それにしても若い人たちの間で失われた芸能が生まれ変われるというのは喜ばしいことだ。これからもリンディホップの人気があがることを願う。
追記:日本でもリンディホップファンはいるはずだと思って検索してみたら、東京スイングダンスソサエティーとかスイフルなんていうスタジオがあるみたいなので、興味のある人は覗いてみてはいかがかな?


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ブッシュ大統領の演説、イラク撤退はベトナムの二の舞いになると主張

先日ブッシュ大統領はミズーリ州のカンザスシティで退役軍人を相手にイラク駐留の大事さについて熱弁を振るった。私は帰宅途中のカーラジオで生放送を聞いていたのだが、ちょうどブッシュ大統領が日本の民主化の歴史について語っているところだった。CNN日本語版では大分演説の内容が割愛されているが一応背景として添付しておこう。

ブッシュ大統領は、ベトナム戦争で米軍が撤退したことにより、何百万人もの無実の市民が代償を払わされたと指摘。また、オサマ・ビンラディン容疑者が、米国人はベトナム戦争と同様にイラク政策にも反対して決起するべきだと発言したことを踏まえ、米軍撤退は米国の信頼性を傷つけ、テロリストを勢いづかせると主張した。

ブッシュ大統領はまた、…(マリキ)首相が続投するかは、ワシントンの政治家らが決めることではない」と、首相支持を強調した。
大統領はさらに、戦時中の日本や韓国やベトナムの共産主義者が、無慈悲な考えで米国人を殺害していたと述べ、アジアでの戦争とテロ対策が「イデオロギーをめぐる戦い」である点で似ているとコメントした。大統領は、戦後の米軍占領を経て自由社会に変貌した日本の前例を指摘し、イラク撤退論も誤りであることが歴史で証明されるだろうと語った。
米政権は、来週予定されている在郷軍事会での大統領演説を前に、イラク政策の進ちょく報告に関する議論に「より広範な文脈を与える」ことを狙ったとみられる。

この「より広範な文脈を与える」というのは、歴史的な面からイラク戦争を理解することが大切だという意味である。特に大統領がベトナム戦争を持ち出したのはアメリカがベトナムの呪いから解き放たれるためにも非常に大事なことだと思う。
私は以前にもベトナム戦争については何度か書いているが、ベトナム戦争は決して当時の左翼メディアが報道していたようなアメリカの軍事的大敗などではなかった。事実はその正反対だった。確かに当初は慣れないゲリラ戦に戸惑った米軍だが、すぐに米軍は適応し能率的な戦闘を繰り返していたのである。
ただ、以前にも書いたように対ゲリラ戦というのは正規軍同士の「とつげき〜!」という戦争とは違って時間がかかる。全体的に見れば第二次世界大戦の方がベトナムよりもよっぽども苦戦した戦争だったのだが、華々しい勝ち戦だったWWIIと違ってベトナムは地味でだらだらと長ったらしく続いた。しかもナチスや日本帝国といった目に見える敵が相手ではなく共産主義という漠然とした思想との戦いだったため、それと東南アジアのベトナムがどう関係があるのか多くの国民が理解出来なかった。アメリカは東南アジアを共産主義から守るどころか、かえって自分達がいることによって問題を大きくしているのではないか、という疑念が生まれたのも当然といえるだろう。ブッシュ大統領はそれをこう語る。

アメリカのインドシナにおける存在は危険だという考え方はかなり長い歴史があります。1955年、アメリカが戦争に参加するずっと以前に、グラハム・クリーンは「静かなアメリカ人」(The Quiet American, Graham Greene)という小説を書きました。主役はサイゴンに住むアルデン・パイルというアメリカ人スパイです。パイルはアメリカの愛国者の象徴です。危険で考えが甘い。別の登場人物がアルデンのことを「あの男ほど正しい動機であれほどの問題を起こす人間に会ったことがない」と説明しています。

ベトナム戦争にアメリカが参加した後、グラハム・グリーンの議論は勢いを増しました。実際多くに人々が我々がベトナムから撤退しても何の悪影響も及ぼさないと主張しました。
1972年、反戦派の上院議員は「遊牧民族や無教養なベトナムやカンボジアの農民にとって、統率者が軍事独裁者であろうが、皇族であろうが、見たこともない遥か彼方の土地にいる社会主義者であろうが、どんな違いがあるというのだろう。」といいました。ニューヨークタイムスのコラムニストもまた同じように、カンボジアやベトナムが共産主義の手に落ちようとしている時、「アメリカ人がいなくなれば、彼等の生活が良くなる以外の状況など想像できない。」と書きました。記事の見出しは「アメリカ人の居ないインドシナ、ほぼより良い生活」 でした。

無論、この考え方がどれだけ間違っていたかは後の歴史が証明している。カンボジアではカメアルージュが教養の高い人間を対象に理不尽な法律を通して大虐殺を行い、何十万という人々が殺された。当時の様子を描いた「キリングフィールド」という映画で助演してアカデミー賞まで得たカンボジア人の俳優は、当時自分は医者だったが病気の妻を救うにも自分が医者であることがばれれば家族もろとも虐殺されるため、妻を見殺しにせざる終えなかったと体験談を語っていた。
またベトナムでもアメリカ軍に協力した南ベトナムの市民は北ベトナム政府によって強制収容所に送られ虐殺拷問とひどい扱いを受けた。私の同僚にもボートピープルといってベトナムから逃げてきた難民が何人もいるが、皆口を揃えていうことは「なぜアメリカは我々を見捨てたのか?」ということだ。
ブッシュ大統領はアメリカ軍によるベトナム撤退が招いた直接の悲劇と並んで、もう一つの問題を指摘している。

ベトナムからの撤退のもう一つの代償は今日我々が直面する、2001年9月11日に、わが国にやってきて何千という我が国民を殺害した敵の口から聞くことができます。911攻撃についてパキスタンの新聞でのインタビューに応じたオサマ・ビンラデンは、「アメリカ人はベトナム戦争に反対して政府に対して立ち上がった。今日もまた同じことをしなければならない。」と宣言しました。

彼の右腕であるザワヒリもベトナム戦争を取り上げています。イラク作戦の幹部に当てた手紙のなかでザワヒリは「ベトナムにおけるアメリカ勢力の崩壊後にどんな風に彼等が手先を見捨てて逃げ去ったか」を指摘しています。
ザワヒリは後にもこの主題に戻り、アメリカは「勝利の希望はない。ベトナムの亡霊があらゆる道を塞いでいるからだ。」と宣言しています。アメリカ国内においては、我々のベトナム撤退は我々の信用度を落とす原因にはなっていないと主張する人がいますが、テロリストはそうは見ていません。

イラクが対テロ戦争の集結地であることは我々の敵がそう宣言していることなのだ。だからブッシュ大統領は敵が我々をどう見ているか、この戦争をどう考えているかに耳を傾けなければならないと主張する。敵が正念場だと考えているイラクから我々が撤退すれば、世界中に散らばる敵が我々がその正念場で大敗して退散したと考え、その後の我々への攻撃はさらにますこと間違いなしである。そう考えればイラク撤退が我々に及ぼす危険は悲劇的なものとなる、とブッシュは言っているのだ。
さらに我々がイラクを見捨てれば、テロリストどもは勝利を利用してもっと多くの志願者を集め、イラクを拠点として世界中にその魔の手を広げることになるだろう。
ブッシュ大統領のこの演説は、9月のペトラエウス将軍の報告を前に地盤を固めておくというものだが、こういう演説をもっと早期に頻繁にすべきであったという感は拭えない。ところで、今日ラジオで昨日も紹介した戦争支持広告を聴いた。911で叔父を失い、イラク戦争で夫を失った未亡人がイラク駐留の大切さを唱えていた。こうした戦争支持の運動はもっと以前から積極的にされるべきだったのだが、遅蒔きながら始まったということはいいことだろう。


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イラク新作戦の成功にうろたえる民主党反戦派

昨日も左翼オンライン雑誌のサローンがファルージャからのいいニュースを報道したばかりだが、今日はこちらもサローンほどではないにしろ多少左よりの主流新聞ワシントンポストが、イラク状況が良い方向へ向かっていることに対する民主党のうろたえぶりを報道している。
今、アメリカの議会は8月の夏休み中なのだが、この休みが始まる直前まで民主党はイラク即撤退を目指して拘束力のない反戦議案をいくつも通してみたり、時間制限付きの予算案を提案してはブッシュに否決されたりしていた。だが、民主党は8月一杯でイラク情勢がこれまで通り特に変化がなければ、9月に戻ってきた時には国中の反戦感情が高まった勢いで一気にイラク戦争の予算割り当て打ち切りの法案に取り組むつもりだった。
ところが実際はそうは問屋が卸さなかった。それというのもイラクからは新作戦が成功しているという都合の悪い良いニュースが立て続けに報道されはじめただけでなく、共和党は民主党が期待していたような守りの姿勢ではなく20もの州においてイラク帰還兵や戦死者の家族などを起用して「今は諦める時ではない!(国内で)政治争いをやってる場合ではない!」というスローガンを使った広告作戦を取るという積極的な攻めの姿勢にはいったからである。
民主党としてはイラクでのペトラエウス将軍の新作戦がうまくいきすぎて反戦派でも否定できないほどの成果をあげてきた今となっては、いくら民主党にとっては都合が悪くても、いつまでもイラク戦争は大失敗だったなどと繰り返していては国民からの信用を失う。なんとか国民の信用を保持して勝っているイラク戦争に負ける方法を考えなければならない。
そこで下院幹部会長のラーム・エマヌエル議員は昨日、イラク視察から帰ったばかりで、イラクからのいいニュースを報告した民主党の新人議員を対象に電話をかけまくり、民主党の新しいメッセージを指導した。この新しいメッセージとは、「イラクでの新しい軍事作戦は今のところ多少成果をあげている、、しかしイラクの中央政府はまだまだまとまりがない、中央政府のまとまりなくしてイラクでの成功はあり得ない」というものだ。
なにしろ民主党はイラク戦争を批判しながらもアメリカ庶民から人気のあるアメリカ軍を批判することは出来ない。その上に今度はイラク新作戦の成功まで考慮にいれて、それでも戦争反対を正当化する演説をしなければならないのだから、これは大統領に立候補している候補者たちとってはかなり難かしい綱渡りになっている。
無論そのことを十分にお見通しの共和党議員たちが、文章の最初の部分だけを抜粋して、「ほれみろ!民主党でさえ新作戦の成功を認めている!」と逆手に取っていることは言うまでもない。
「イラクにおいて我々は作戦を変更しはじめました。そして地域によっては、特にアンバー地区などでは(この作戦は)うまくいっています。」とヒラリー・クリントン上院議員は月曜日に退役軍人たちの前で演説した。またヒラリーのライバルであるバラク・オバマも「私の見解ではバグダッドに三万兵加えれば短期的な暴力は制御できると考える」などと言い出す始末。これでは民主党が大統領になっても議会を握っても必ずしもイラク撤退がおきるかどうか怪しくなってきた。
民主党の問題点は「イラク戦争反対」だけを唱えて議会の多数議席を取ったことにある。ほかにはこれといった公約がない。彼等はイラクが絶対に泥沼で大失敗に終わることに全てをかけてきたから、成功した場合の第二作戦が全くないのである。イラク戦争に勝ちはじめたからといって戦争を支持するようなことを言っては反戦派の過激派から見放されるし、かといって勝っている戦争を負けていると言い張っては中庸の支持を得ることができない。2008年の選挙まではまだ一年もあるのである。このままイラク戦争がうまくいったら民主党は本当に苦しい立場に立たされることになる。


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反戦左メディアまでもがイラクからのいいニュースを報告

今年の2月に俗に言うイラク米軍増派がはじまり、5月に入って本格的なペトラエウス将軍の対反乱分子新作戦(COIN)が始まって以来、イラクからは次々にいいニュースが入ってきている。ペトラエウス作戦はよっぽどうまくいっていると見えて、反戦色まるだしだったアメリカの主流メディアですらそのいいニュースを隠しきれなくなっている
本日8月21日(2007)付けのサローンというオンラインマガジンで、2004年に二回も大戦闘のあったファルージャの状況が非常に良くなっていると報道している。サローンといえばアメリカのオンラインでもかなり左翼で、ブッシュ政権には非常に批判的な思想を持つ雑誌である。
ファルージャ、ホッと一息(Fallujah catches its breath)と題するこの記事ではデイビッド・モリス記者がファルージャでの体験は「衝撃的」だと語っている。

私は西イラクを一か月近く旅しているが、私がこれまでに見てきたことは衝撃的だ。しかしそれは皆さんが思うような意味ではない。理屈や期待そして、これまでに私が学んだ全ての対反乱分子戦闘の軍事歴史に反して、イラクの一部は実際良くなっているように思える。

モリスは海兵隊に従軍してファルージャで五日ほど過ごしたが、そのうちの半分は防弾チョッキを着ないで過ごしたという。聞こえた銃声といえば、たまに勇み走ったイラク警察官が犬を撃ったりしている音だけだったという。

ファルージャといえば一時期はやることなすことうまくいかず、イラク米軍の失敗の象徴のような町だったが、それがいまやホッと一息ついているような気がする。商店の半分は開業している。いくつかの子供たちの群れが通り過ぎるアメリカ軍の車の列に熱烈に手を振っている。海兵隊員たちは毎晩地元の串焼きやファラフル(豆を潰して衣をつけて焼いたもの。コロッケに似ている)を買いに使いを出している。もう三か月以上も隊員は一人も殺されていない。ウィリアム・ムレン中佐によれば、2/6隊の管轄では「敵はあきらめてはいないが、瀕死の状態だ」と語る。

今日び、イラクからいいニュースを報道するのは不思議な気持ちだ。 ジョージ・ベンソン副隊長という口の悪いバージニア出身の将校が最初に、地元の人々が長蛇の列を作って海兵隊の設立した地元警備隊に志願したというような成功話を話はじめた時、私が猜疑心を持ったのは彼のせいではない。これまでブッシュ政権と陸軍幹部はイラクの状況をあまりにも長い間、多くのことについて、うやむやにして隠してきたので、多くの人々が(多分彼等自身ですら)希望的な結果を信じることが困難になっているのだ。

モリスは一か所だけを見てイラク全体を判断するのは軽卒だとし、ファルージャの場合はかなり運もあると語る。ファルージャでは2004年の戦闘以来、テロリストによる大規模な攻撃は少なくなっていたとはいえ、テロリストによる地元民への影響は残っていた。アルカエダが、アメリカ軍に協力していたとして地元警察官の葬式に爆弾ドラックを投入させて20人からの市民がを殺したのは、まだ最近のことだ。しかしアルカエダのこのような行為はかえって地元民からアルカエダへの敵意を生んだ。アメリカ軍はこの敵意をうまく利用して地元民からアルカエダ退治の協力を得たのである。

ファルージャにおける意外な成功は降って湧いた出来事ではない。ここでは比較的新しい作戦が起用されているのだ。それはイラク社会をもっと大きな目で見ることだ。地元市民を単に戦いに巻き込まれた罪のない市民として見る日は過ぎ去った。新しい作戦では、地域を物理的に区分けして隔離し、その地域の安全を計るという「新都市化」説を起用、そして地元戦力を手先として使うといった、反乱分子に対してより柔らかい非攻撃的な手段に焦点がおかれている。(後者はアフガニスタンで対タリバンに地元勢力を使用して成功した例を取り入れている)

モリス記者が自分で書いている通り本当に対反乱分子作戦(COIN)の歴史書をたくさん読んでいれば、ファルージャで起用されている作戦はまさに教科書どおりのものだということが分かるはずで、うまくいっていることが「意外だ」とか「驚くべきことだ」とか「衝撃的だ」などという感想を持つはずはない。ま、左翼ジャーナリストだから自分が学識あると思わせたいのは仕方ないだろう。
ファルージャの司令官のムレン中佐は、ファルージャへ出動する前に以前にハディーサでのパトロールなどで持っていた認識は捨て、新しい心構えで取り組むようにと隊員に言い聞かせたそうだ。モリス記者はここでハディーサ殺人事件の話を対照的な例として持ち出すが、そこはさすがに左翼ジャーナリスト、容疑者が証拠不十分で不起訴になり事件そのものの真実性が疑われていることは完全に無視している。
しかし、この記事に価値があるのは、モリスのような反米軍、反戦、反ブッシュ政権の左翼ジャーナリストですら、イラクでの新作戦が成果をあげていると認めざる終えないことにある。アメリカの一般市民がイラク戦争はやるべきではなかったとか、早急に撤退すべきだとかいう気持ちになっているのは、イラク戦争そのものに価値があるとかないとかではなく、イラク戦争に負けていることが気に入らないと言う気持ちからきているのである。
だから主流メディアがイラクからのいいニュースを無視できないほど、新作戦が成功を遂げ、イラクでの勝利は可能だとアメリカ市民が納得すれば、市民のイラク戦争観も自然に好意的なものにかわってくるはずだ。その場においても民主党が今年の前半にやってきたような勝てる戦争をなんとか負けるような行為をとり続ければ、アメリカ市民の民主党への考え方もかわってくるというものだ。
なんにしても9月15日に予定されているペトラエウス将軍による議会報告が楽しみになってきた。


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米イスラム評議会、テロ共謀者と名指しされ会員激減

アメリカ国内からテロリストに資金援助をしたとして裁判にかけられているthe Holy Land Foundationという市民団体の裁判において、米イスラム評議会(CAIR)が不起訴共謀者として名指しされたことに関して、CAIRは正式に裁判所に抗議の弁護要旨を提出した。現役の弁護士であるパワーラインのスコット・ジョンソンが、この要旨について説明しているので、それを参照してみたい。
スコットはCAIRの要旨はひどい文章で理屈もなにもなっていない長ったらしいものだとしながらも、興味深い点として、政府からテロリストの共謀者であると正式に名指しされて以来、CAIRは会員が減り、結果会員費や募金の大型減少が起きていると何度も苦情を述べていることをあげている。
CAIRのようにアメリカに住むイスラム系市民の人権擁護団体は人々からの寄付金に頼っているが、政府がCAIRを不起訴共謀者であると名指しして以来、テロリストに寄付など出来ないという市民やCAIRに協力して自分がテロリストと疑われるのを恐れた人々が増えて、寄付金や会員費が大幅に激減したとCAIRは泣き言をいっているのだが、その証拠として今年の6月11日にワシントンタイムスに掲載された記事を証拠文献として提示している。

CAIRの名前が不起訴共謀者であると名指しされて以来、すでにこの団体の行動には非常に凄まじい悪影響が起きている。不起訴共謀者と名指しされて以来、会員数は大幅に縮小された。さらにそれまで受け取っていた寄付金n金額は激減し評議会の行動に必要な月々の予算に全く足りなくなってしまった。

ところがスコットによると、ワシントンタイムスの記事が掲載された翌日の2007年6月12日にCAIRの声明文では、ワシントンタイムスの記事は嘘八百だという抗議の内容が発表されていたというのである。

CAIRは本日、ワシントンDC右翼新聞による政治目的の動機の報道で草の根運動の支持が減っているというあるがこれは虚偽であると批判した。CAIRによると本日のワシントンタイムス紙に載った記事は納税の金額を会員の数が減っているとわい曲して解釈したものであるという。

6月に会員数が減っているとワシントンタイムスが報道した時は、記事は嘘八百だと抗議しておきながら、今になって不起訴共謀者と名指しされてから会員数が減った証拠としてその記事を提示するとは、ご都合主義もここまでくると立派なものだ。
さすがイスラム教テロリストの二枚舌、恐れ入りました!


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英会話教師兼デートのお相手、西洋人男性エスコートは三時間で6万円!

Occidentalismこのサイトの話を読んだ時、冗談じゃないかと思ったのだがどうなのだろう?

従順で素敵な外国人男性 “My Yes Man” と楽しいひと時を過ごしませんか?

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Occidentalismのマット曰く、ただでいくらも日本人女性とデートしたい外国人男性がいるというのに金を取るとは現金な!
それにしてもこの商売、うまくいってるのかな?


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