トランスジェンダーは現実社会を破壊する

最近欧米の大学を中心に「社会正義戦士」(Social Justice Worrier – SJW ソーシャルジャスティスウォリアー)と名乗る若者たちが、我々一般人が普通に信じている常識になにかといちゃもんをつけるようになった。そろそろ近づいているハロウィーンなどでも、これまでは普通に着ていたインディアンやベリーダンサーの衣装などが文化盗用だとか人種差別だとか言われて攻撃されるようになった。ごく普通に男性を彼と呼ぶことや女性のみが女子トイレを使うべきだという考えすらトランスジェンダーを名乗る人々から差別だと攻撃される。こうしたちょっとしたことで傷つくトランスジェンダーに代表されるSJWたちのことを、取るに足らないとか可憐は雪片などといって馬鹿にしていてはいけないと警告する人がいる。トランスジェンダーたちは実は我々文明社会の常識を破壊しようとする戦士たちなのだと。
本日紹介したいのはPronouns, Ordinary People, and the War over Reality by Anthony Esolen(代名詞、普通の人々、そして対現実戦争)というエッセー。著者のアンソニーエソレン教授はアメリカはロードアイランド州プロビデンス大学の英語学教授。
トランスジェンダーらに代表されるSJWたちは今や我々人間の根本にある性別を破壊しようとしている。だが、人間にとって性別の認識は現実を把握するために非常に大切なものなのだとエソレン教授は言う。

さて、他人の性別は我々が最初に気が付き最後まで印象に残るものである。何故そうなのかは容易に理解できる。いかなる生物においてメスとオスを混乱することが有益であるはずはない。性別は犬や猫や馬や多くの鳥の種別の身体よりも人間の身体により強く標されている。男の顔は女の顔とは違う。女の声は男の声のようではない、たとえ女がグリアー・ガーソンであろうと男がフランキー・バリだろうとである。男の肩は女の肩のようではないし、女の腰は男のそれとは違う。男と女は髪の毛の先まで違うのだ。誰もが女のすべすべした顎や男のはげ頭に気が付くように。

だから時々男か女かわからない人に出会うと一般の人々は非常に不安になる。性別のはっきりしない人は完全に人間とは思えないのだ。よって我々誰もが即座に把握する現実をあたかも誤りであるかのように振舞うのは人間の本能や言葉や共通体験や現実を把握する能力に対する暴力であると教授は言う。

もし「道を歩いている男がいる」と言えないのであれば、人間の存在に関するほかのどんなことに関して信頼できる判断ができるのか。

性別ほどはっきりしているものはない。アイゼンハワー大統領が良い指導者だったかどうか、良い夫で父親だったっかどうか、といったことには人それぞれ違う意見があるだろう。だが、アイゼンハワーが男だったという事実に誰もが同意できなかったとしたら、言葉そのものが意味を失う。
最近SJWたちはしきりに彼とか彼女とかいう従来の代名詞ではなく彼女達がでっちあげ架空の代名詞の使用を要求している。これは色々な性癖の人間に安心感を与えるためだと主張するが、本当の目的は他人を不安にさせ居心地を悪くさせることにあるのだと教授は言う。SJWたちは普通の見解を破壊し普通の人々が言葉の地雷に当たらないようびくびくして歩くのをほくそ笑んで楽しんでいるのだ。いや、実を言えば一般人が失敗して地雷にあたって爆発することを望んでいる。そうなればさらなる「教育の機会」が訪れ、さらに厳しい現実弾圧を目指すことが出来るからである。
エソレン教授は彼・彼女以外にSJWが作り上げた数知れない代名詞には非常に醜く恐ろしい謀略が隠されていると語る。これらの代名詞は言葉を豊かにするどころか、かえって我々の誰もが所持している男女識別能力という現実を破壊しようとするものだという。
だが、何故SJWたちはこのようなことをするのだろう?何故一般人が何世紀にも渡って培ってきた男と女という現実を破壊しようとするのだろうか?
教授は「誰が得をするのか?」と問いかける。
第一に得をする人たちは、自分自身が混乱している人たちである。自分の妄想に他人を巻き込むことによって自分は正常だと思い込みたいのだ。女の振りをしている男を女と認めろということは、エルウッド・P・ダウドが身長180センチのハービーウサギを空想の友達として持っているだけでなく他人にハービーと握手をすることを要求するようなものだ。そしてもしキリスト教のケーキ屋さんが「ハービーなんて居ない。居る振りをする気もない」などと言おうものなら自分の妄想を否定したケーキ屋に凄まじい報復を加えるのだ。
第二に得をするのは思想上の仲買人。大学教授や人事課の課長や人権弁護士や役人や一様性を目指す「多様化」運動家たち。やつらは自分たちで地雷を埋め込んでおいて地雷地図を売りつける。井戸に毒を落としておいて自分らの井戸の水を高い金で売りつける。一般人が勝手に汚染されていない水を発見して飲んだりすれば高い罰金を課す。彼らは混乱と衝突を求める。なぜならそれらが彼らに富と力をもたらすからである。
第三に得をするのは家族という文明社会の基盤を心から嫌う人々だ。性革命は常に普通の家族や一般の男女及び子供たちの日常生活を脅かす。 性に関する道徳は家族を内外からの脅威から守るものだ。一緒に暮らしている男女でも単に性欲だけで結ばれていたり、浮気や衝動的な性行為を許容すれば、夫婦という絆は弱り家族という構成が成り立たなくなる。男が一国城の主となり得るのも家族としての伝統や法律がその城を守っているからである。それがなくなって得をするのはいったい誰なのか?それは自身が家族を構成できない、家族としての生活を楽しむことが出来ない人々だ。自分らが幸せな家庭を築くことが出来ないので他人の幸せな家庭を破壊することに喜びを見出すのである。
一番怖いのはもちろん第三の人々だ。我々一般人は自分が獲得できない美しいものを破壊しようなどとは思わない。だが、SJWたちは、まさに自分が得られない現実の完全破壊を望んでいる。SJWの人間はその名の通り戦士である。彼らはベン・シャーピーロが言うような可憐な雪片などではないのである。彼らの目的は我々が常識としてはぐくんできた現実を破壊することにあるのだ。
SJWが好き好んで使う「ミクロアグレッション」という言葉がある。それはミクロ単位の小さな攻撃だが繰り返されるうちに巨大な攻撃へとつながるという意味。だが実際にこのマイクロアグレッション戦略を施行しているのはSJWそのものだ。最初は差別につながるとか平等を目指してなどときれいごとを言って小さなことから要求してくる。彼・彼女をやめて本人が求める代名詞を使えとか、MTFに女子トイレや施設を使わせろとか。だが、こうしたひとつひとつの行為を認めてしまうと、それは我々が大事にしている現実を少しづつ少しづつ削っていくことになり、いずれ全てが破壊されてしまう。
SJWたちがイスラム教徒と同調しているのはこういう共通点があるからなのだろう。
だから私は誓う。SJWの要求にはひとつたりとも応えない。鬘をかぶってスカートを履いてる男を「彼女」などとは死んでも言わない。勢力に屈服して自分が見ている現実を否定せざる負えないようなファシズム社会に生きる気は毛頭ない。


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アメリカメディア完全無視、米駆逐艦に四日間で二度目のミサイル攻撃 イエメン沖

こういうことが起きているのに、アメリカのメディアはトランプの11年前の下品な言葉使いに執着して全く大事な報道を行なっていない。カカシが事件を知ったのは海軍のフェイスブックサイトが最初。オバマ王はどうすんだよ、まったく。ゴルフしてるばやいじゃないだろうに!

米駆逐艦にまたミサイル攻撃 イエメン沖、海上着弾で被害なし
2016年10月13日 5時35分
【AFP=時事】イエメン沖を航行していた米軍のミサイル駆逐艦メイソン(USS Mason)が12日、同国の反政府勢力が掌握する地域からのミサイル攻撃の標的となったことが、米国防当局者の話により明らかになった。同艦船に対するイエメンからのミサイル攻撃は、ここ4日間で2度目。
 匿名で取材に応じた同当局者によると、攻撃があったのは同日午後6時(日本時間13日午前0時)ごろで、メイソン側は「対抗措置」を講じた。ミサイルは海上に着弾したが、これが対抗措置の結果によるものだったのかは不明という。乗員にけが人はなく、船体にも被害は出なかった。
 メイソンに向けては9日にも、紅海(Red Sea)上を巡航中にイエメンの反政府勢力が掌握する地域からミサイル2発が発射されていた。2発はともに海上に着弾し、けが人は出なかったとされる。
【翻訳編集】AFPBB News

最初の攻撃はこちら時間の日曜日

米軍艦、イエメン沖でミサイル攻撃受ける 被害はなし
米海軍が公開した、補給作業に向けて準備を進めるミサイル駆逐艦メイソンの写真(2016年8月3日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】米海軍は10日、紅海(Red Sea)のイエメン沖を巡航していた米軍艦に向けて、イエメンの反体制派が掌握する地域からミサイル2発が発射されたと発表した。ミサイルは同艦に命中しなかったという。
 米海軍中央司令部の報道官は声明で、ミサイル駆逐艦メイソン(USS Mason)が9日に「飛来するミサイル2発を検知した」と発表。2発の発射間隔は、1時間未満だったという。
 同艦は当時、「公海上で通常任務を遂行中」だった。「いずれのミサイルも同艦に届く前に海面に着弾した」としており、「兵士にも船体にも被害はなかった」という。
 また報道官は、国際社会が承認する政府と戦う、イランからの支援を受けたイスラム教シーア派(Shiite)系の反政府武装勢力「フーシ派(Huthi)」を名を挙げ、「これらのミサイルは、イエメンの中でもフーシ派が掌握している地域から発射されたとみている」という見解を示した。【翻訳編集】 AFPBB News


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スエーデン地元市民、車椅子女性輪姦に激怒、容疑者の正体を隠す警察

スエーデンで起きた最近のニュース。日本語でも検索している人が結構居るようなので、パメラ・ゲラーのサイトから紹介しておこう。今回は車椅子の女性がモスレム野蛮人に輪姦された事件ドイツ語の元記事はこちら。腹が立つのは、容疑者が数人一応逮捕されたにも関わらず証拠不十分なんだか全員釈放されてしまったということ。そして警察は容疑者が難民センターに居住するモスレム野蛮人であることを知っていながらその事実を公表していないことにある。
スエーデンのゴットランド島のビスビーという小さな町で去る10月2日、レストランからの帰り車椅子の30代の女性が一人の男性とタクシーを相乗りした。女性が途中でトイレに行きたくなると、相乗りしていた男性が自分の住むセンターのトイレを使えばいいと言うので、女性はその男性について行った。
この時女性は特に危険を感じなかったという。ところがセンターに着いた途端、男は女性をトイレで暴行。どこからともなく現れた数人の男性がこの攻撃に加わったという。輪姦は二時間に渡って行なわれ、女性は一人で放ったらかしにされたので、隙を見計らって車椅子で逃走したという。女性は脚が弱く長距離歩くことが出来ず、暴行に対しても抵抗できなかった。
警察や容疑者を数人一時的に拘束したがすぐ釈放。容疑者が難民センターの住人である事実も年齢や国籍なども発表していない。怒った地元市民およそ100人が水曜日、警察の前で抗議デモを行なった。また同日地元民が難民センターの前に集まり石を投げるなどの抗議をした。また金曜日にも同じような抗議デモが起こり、60人の警官が動員された。
地元民から難民を守るためには60人も警察を動員するくせに、地元女性たちの身の安全を守ろうという意志がないのはどういうことなのか?
こういう事件が起きたときに警察やメディアが加害者が圧倒的に難民であることをきちんと発表しないから、田舎町でいい人しか居ないと信じている地元女性たちがこのような被害にあうのだ。私なら絶対にモスレム野蛮人とタクシーの相乗りなんかしないし、ましてや野蛮人の家にトイレを借りにのこのこ付いていったりしない。
それにしてもスエーデンの女性たちはそんなに自国の状況について無知なのだろうか?そんなにもスエーデン国内での情報は乏しいのだろうか?


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今更トランプの古い女性蔑視発言にびびってる場合じゃない!

先日共和党大統領候補のドナルド・トランプが10年前にテレビ番組の収録中にホットマイクで吐いた女性蔑視の発言が出回り、嫌々トランプを支持していた共和党体制派の下院議会ポール・ライアン議長が激怒。トランプと一緒にするはずだった選挙運動会合からトランプを締め出すこととなった。
トランプの女性蔑視傾向は何も今更はじまったことじゃない。我々ネバートランプ派が予選の時点からずっと指摘してたことだ。トランプの今の奥さんは三人目だが、三人とも元トップモデル。前妻たちとの離婚も既婚中にトランプが若いモデルと浮気して小さい子供たちがいるのに文字通り新しいモデルと取り替えてきたのだ。また妻でない他の女性たちと浮気した話や既婚女性に無理やり迫って不倫させたことなど、トランプは過去のインタビューで自慢げに語っていた。だから10年前のえげつない発言が今更表ざたになったからといって何なんだと私はいいたい。そんなことが問題になるなら、何故最初から予選で勝ったりするのだ?彼に投票した人々はしらなかったでは済まされないだろう。
選挙運動も大詰めに迫ってきた今日、今後もトランプのセクハラ疑惑や訴訟などの話がどんどん表ざたになるに違いない。ここに民主党の偽善がある。ヒラリーの夫のビル・クリントン元大統領がセクハラ及び強姦常習者だったことは周知の事実。ホワイトハウスでインターンと性交したことが原因で弾劾までされたクリントンを被害者の女性たちを攻撃することで守り続けてきたヒラリー・クリントン。
セクハラだの強姦だのを持ち出して一番困るのはヒラリーの方ではないのか?民主党政治家ならどれだけ女性を虐待してもいいが、共和党政治家がちょっとでもえげつない発言をしたら絶対に許さないというのは偽善もはなはだしい。
私はトランプは大嫌いだ。最初からこんな奴に共和党の代表などやって欲しくなかった。しかしトランプはきちんとした予選を通じて人々が選んだ共和党候補である。私腹を肥やし自分の権力固持のために平気で自国民を犠牲にするようなヒラリーよりはずっとましである。
ヒラリーに国を任せてイランや中国やロシアに大きい顔をされたら、トランプの女性蔑視などとは比べ物にならないほど女性が虐待されるのだ。トランプの昔の女性蔑視発言などにびびっている場合ではない!


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日本人は英語が下手?ユーチューブで英会話口座を色々みてしまった結果、、、

連休だったのでユーチューブのまとめ観をしてしまった。英語で言うところのビンジウォッチングである。つまり長時間にわたってテレビとか動画を観続ける行為。そのなかで何故か色々な人がアップしている英会話口座が目についた。

それにしても、こんなに日本人は英会話に力を入れているのに、未だに日本人は英語が出来る人が少ないとか、英語が下手だとか思い込んでいるのは何故だろう?ユーチューブの動画でも「なぜ日本人は英語が下手なのか」とか「日本人は英語の発音が悪い」とかいう題のものが多い。しかしアメリカで信じられないような英語を平気でしゃべってる外国人をたくさん見ているカカシから言わせてもらうと、日本人の英語はそんなに卑下するほど下手ではない。

ある動画でアメリカ人の英語講師が「日本人は英語が出来るということが何かすごく偉大なことであるかのように扱う」ので英語を習得するのが何かとても大変なものだと思ってしまうのではないかと言っていた。確かにテレビのバラエティ番組などで外国育ちの帰国子女らしき若い芸能人たちが英語で何気ない話をしているのを、周りの出演者たちが「すごいなあ」といった顔で見ている図をよく見かける。何年も外国に住んでいたらその国の言葉を覚えるのは当たり前だ。別にえらくもなんともない。言葉は使っていれば自然に覚えるもの。かえって力まないほうがいいのだ。

さて、そんななかで若い女性芸人の「ゆりやんレトリーバー」という人の動画を見て大笑いしてしまった。彼女の「英語」はBack to the futureなどのアメリカ映画を見て学習したとかで発音や抑揚がすごく自然。彼女のギャグは英語をしゃべっているようで実は日本語という女優とか、アメリカにかぶれてしまって日本語が変になってる通訳といったキャラクター(ビデオ)なのだが、よく観察しているなあと感心した。特に日本語が変な通訳のキャラが「あ~ん、あ~ん、フレンドリー、フレンドリー、フレンドリーって日本語でなんだっけ?」とやるあたりがすごいなと思った。私がまさしく自分でやってしまう仕草そのもの。

自然な英語を学びたいのであれば、学校で勉強するだけでなく、ゆりやんさんみたいに映画とかで自然な英語に常に触れることが大切だと思う。文法や語彙は確かに基礎として大切ではあるが、言葉というのは自然に覚えたほうが身になりやすい。

好奇心に駆られて英検のヒアリングのテストの例題をいくつか聞いてみた。1級は別として2級までの会話は非常にゆっくりで、もし日本人の英語聞き取り能力に問題があるとしたらこれかなと思う。
私が英語を学び始めた頃、私はネイティブの人に常に「もう少しゆっくり話してください」とお願いしていた。だが、今思うとそれは間違いだったと思う。私がネイティブの人の言ってることがわからなかったのは、彼らが早口で話しているからではなくて、彼らの言葉のなかの単語をひとつひとつ区切って聞き取ることができず、すべての言葉がつながっていてひとつの長い音のように聞こえたからなのである。だからそれをどれだけゆっくり言ってもらっても理解にはつながらない。それよりも何度も同じことを繰り返してもらって英語(特に米語)の言葉の流れに耳を慣らすことが必要なのだ。

また知っている言葉は浮くので、なるべく語彙を増やすことが必要。語彙さえあれば、並び方が多少理解できなくてもだんだんと文章がどのように区切れているのかが理解できるようになってくる。わかる部分とわからない部分の区別がつくようになり、そこだけ繰り返してもらうということも出来るようになる。

日本人は英語が下手なのではなくて、自分が下手だと思い込んでいることに問題があると思う。私が日本人の英語を聞いていて一番気になるのが声が小さいこと。言ってることに自信がないせいで声が小さくなるのかもしれないが、声が小さくて聞き取れずに相手が聞き返すと、あ、やっぱり下手だから通じないんだと、余計小さい声になってしまうか、「もういいです」といって諦めてしまうかするため、会話がつながらないのだ。特に他人の前で恥をかきたくないと思っている男性にこの傾向が強い。うちの父なんかその典型。

ある動画では「英語声」というのがあるといっていた。確かに英語は複式で話すというのを聞いたことがある。日本人、特に若い女性は口先だけで発音する傾向がある。英語は複式にして大きい声を使うと通じやすいというのである。だから、文章は完璧でなくてもいいから大きい声でゆっくり話せばいいのである。よっぽどとんちんかんなことを言っていない限り相手には何とか通じるはず。

日本人の発音が悪いというのも単なる思い込み。日本人は単語の子音を母音にして強調しすぎる嫌いがあるが発音しないよりはずっといい。この正反対なのがベトナム人。語尾の子音をはしょるので何を言っているのか解らない。たとえばI don’t understand youをベトナム訛りにすると「アイド アンダスタ ウ」みたいになる。英語の発音が最悪なのはベトナム人といっても過言ではない。英語は語尾がはっきりしないと絶対に伝わらない。

ユーチューブの動画でも日本人がきちんと英語で話しているものが結構ある。今や日本人は英語が下手だなどという偏見は捨てて自信を持って話してもらいたいな。


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左翼リベラルが弾圧する「35項目」言論に反論

前回紹介したマウラ・J・コリンズ女史のよかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目について反論したいと思う。35項目全部に対しての反論は時間の無駄なので、この本の根底に流れるコリンズ教授自身の偏見について語りたい。

先ずコリンズ教授の本の原題名は”Dumb Things Well-Intentioned People Say”というもので、英語風でなく日本語風に意訳すると「悪気はないのに言ってしまう失礼な表現」となる。この題名からも解るように、これら35項目の表現をした人々は、決して相手を傷つけようとしてこういう表現を使ったのではない。コリンズ教授自身が認めているように、彼女の本が対象としているのは相手を傷つけたくないと思っている礼儀正しい人々なのである。彼女曰く、人は知らず知らずのうちに他人の気分を害するようなことを言ってしまう。気をつけないと友達や職を失ったり訴えられたりするので気をつけようというものだ。

しかし彼女の表向きの意図はどうあれ、彼女の真意は多数派の人々を常に不安定な状態にして、左翼リベラルが彼らを完全コントロールしようというものである。

35項目の中で一貫している主旨は『少数派には多数派には絶対に理解できない独特な体験がある』というもの。この根底には多数派は誰もが少数派に対して偏見を持っており、少数派は常に差別的な多数派によって弾圧されている犠牲者であるという前提がある。であるからして多数派が少数派の体験に理解を示したり、少数派が少数派特有の体験だと信じていることを多数派にも起きると指摘したり、多数派が自分は人種差別意識など持っていないと主張したり、多数派が多数派や少数派の違いなど意識したことがない、などという供述は少数派を騙すための偽りだと主張するのだ。

前回も述べたように、これはコリンズ教授自身の偏見に他ならない。自分が人種や男女差別やLGBTQへの偏見傾向があるからこそ他人もそうに違いないと思い込んでいるのである。コリンズ教授がレズビアンだから偏見がないというのはナンセンス。よく、白人以外は人種差別者になりえないと言い切る人がいるが、そんな馬鹿げたことがあるはずがない。差別意識は誰もが持ち得る意識である。

はっきり言って、この程度の発言が「~々差別だ」といえること事態、アメリカがどれほど差別意識の無い国なのかという証拠である。本当の意味での差別が存在する文化、たとえばインドのカースト制にしろイスラム圏に異教徒に対する差別にしろ、差別が当たり前に日常茶飯事にされて多数派も少数派もそれを受け入れている国々では少数派は文句も言えない。女性の権利など最初から認められていないイスラム文化では、名誉殺人などといって男性の言いなりにならない女性が簡単に殺されてしまう。そんな社会ではハニーとかスイートハートなんて言葉使いにいちいち腹を立てる女性はいないだろう。
左翼リベラルが本気で人権というものに興味があるなら、自由な国アメリカでまるで悪気のない人間の発言をもって重箱の隅をつっつくようなことをやってないで、本当に人権迫害をしている諸外国に挑戦してはどうなのか。本当の意味で差別や弾圧に抗議してはどうなのか?

こういうくだらない本を書き諸大学を講演して歩く人間が居るというのも、そしてそれを多用性だとかいって新入生の必読本にする大学があるというのも、アメリカの大学がいかに左翼リベラルに支配されているかを示すものである。


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左翼リベラルが禁止する言葉使い35項目発表!

この間、JBプレスでアメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けずエスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦という記事を読んでその話をしようと思っていた矢先にアメリカのマディソン大学が新入生ように用意した多様性を求める学生が避けるべき言葉使いという記事目にしたのでその話をしたいと思う。だが先ずJBプレスの記事から一部引用すると、、

カリフォルニア大学は、「バークレー校」や「ロサンゼルス校」など10大学の連合体として、学生23万8000人、教員19万人を抱える大所帯だ。2015年、その頂点に君臨するナポリターノ学長がすべての教員に向けて発した通達が、関係者を驚かせた。

それは、教員は次のような表現を口にしないよう求めるものだった。

「アメリカは機会の土地だ」(America is the land of opportunity.)
これは勤勉に働けば報われるという意味の、アメリカ人が誇りにしてきた言葉だ。だが学長によれば、この言葉は「有色人種は怠け者で能力が低いから、より努力する必要があることを暗示」するものであり、人種差別につながるリスクがあるという。

一方で、さまざまな人種・民族の共存を意味する「アメリカは人種のるつぼ」(America is a melting pot)、「人類はひとつ」(There is only one race on this planet, the human race)も禁句とされた。これらの言葉は個々の人種・民族が培ってきた文化の軽視につながりかねないため、授業はもとより学生たちとの雑談においても使われるべきではないという。

驚くばかりの気の遣いようだが、今のアメリカはそこまでする必要があるのか。こういう社会で一般市民はどのようにして暮らしているのか。

これでも解るように、これまでなら普通にされてきた会話が一つ間違えると人種差別とかホモフォビアとか女性蔑視とか言われかねないので、左翼リベラルは毎日びくびくして口が利けない状態にある。
さてそれでジェイムス・マディソン大学が新入生向けに発表した「よかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目」について紹介しよう。実はこれはマウラ・J・コリンズという女性白人教授が何年か前に書いた本が基本となっている。

何故私が彼女のことをわざわざ白人女性と書いたかといえば、彼女の本(というよりエッセー)には自分が白人であることに対して極端な罪悪感を持った左翼リベラルという姿勢がありありと描写されているからである。普通の人間が使う何気ない言葉使いが場合によっては人種差別だのホモフォビアと取られかねないので使わないようにという忠告は、彼女自身がいかに常に差別意識を持ったまま暮らしているかという証拠である。

ずっと以前になるが、私はヤフーの掲示板でアメリカに数ヶ月暮らしたことがあるという左翼リベラルの日本人に出会った。彼はアメリカ人はどんなに正義感面していようと一皮向けばすべて人種差別者だったと言い、常にアメリカ人への憎悪をあからさまに見せていた。また、2~3年前にもツイッターでアメリカの白人はどれだけ行儀よくしていようと実は差別主義者ばっかりだと言い放つ日本人に出会った。

二人に対しての私が言ったことは、あんたらは左翼リベラル白人としか付き合ったことが無いからそういう印象を持ったのだ。確かに左翼リベラル白人はあんたらが言うとおり偽善者が多い。彼らは少数民族を嫌い同性愛者も嫌っている。だがその気持ちに対して非常な罪悪感を持っているから、勤めてそれを隠そうとしてかえってわざとらしくなってしまうのであると。

この二人が実際に差別意識など持っていない保守派白人と多少でも付き合えば、こんな偏見は持たずに帰国できただろうに残念なことである。皮肉なのはこうした日本人に限って左翼リベラル白人の垂れ流すプロパガンダに完全に踊らされていることが多い。

前述のツイッターの男からは「あんた英語が出来なそうだけど、アメリカ人とつきあったことあんの?」と言われて苦笑した。浅知恵というのは恐ろしいもんだ。

さてそういう罪悪感に満ちきっているコリンズ教授が「よかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目」を紹介しよう。何故言ってはいけないのかという説明のいくつかをコリンズ教授のビデオで観たので付け加えておく。はっきり言ってコリンズ教授の理由づけは言いがかりが多いのだが、それについてはまた回を改めて私の感想を述べるとしよう。今回はともかく紹介のみ。


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ヨーロッパ諸国で頻発する地元民と野蛮人の衝突

アソシエイテッドプレス(AP)が10月1日(2016年)24時間中にヨーロッパ諸国で起きた地元民や政府と野蛮人侵略者たちとの衝突を記録しているの読んでいて気がついたことがある。それはAPの記事では地元民と野蛮人との衝突があった場合、どういう状況で衝突が起きたのかをはっきり記載していないという点だ。この間ドイツのバルツェンで起きた事件でも100人からなるドイツ人男女が20人程度の野蛮人を攻撃したという話。きっかけを作ったのは野蛮人のほうだったという報道はあったが、何故100人にも及ぶ男女がその場に集まっていたのかという説明が全くなかった。

下記で紹介しているドイツの難民センター付近で起きた地元民と野蛮人たちの衝突でも、衝突のきっかけはなんだったのか、はっきりしたことが記載されていない。

ヨーロッパの左翼メディアは親移民で反移民市民をやたらにナチス呼ばわりしてきた。だとしたらもし衝突の原因が地元市民のほうにあるのであれば、その事実をすすんで報道したがるのではないかという気がする。ここで紹介されている以外にもヨーロッパ各地で地元民対野蛮人の衝突は起きているはずなのに、何故左翼メディアはその事実を報道しないのであろうか?移民が地元民に虐げられてかわいそうだというメッセージを世界に訴えたくないのだろうか?

そう考えているうちに思いついた。左翼メディアは地元民が野蛮人に立ち向かっているという事実を報道したくないのである。なぜならそうすることによって他のヨーロッパ人たちが勇気付けられて野蛮人及び親移民主義政府に対抗することを恐れるからだ。

だが何時までも野蛮人らの侵略に地元民が甘んじているはずがない。ヨーロッパ中の市民がシャリア法によって弾圧されるのを望まないのであれば抵抗は避けられない現実だ。いまや暴力なくしてヨーロッパが自由を取り返せる時点は過ぎてしまったのである。

7:15 p.m.
アルバニア警察は15人のシリア人を近隣国のコソボへ密入国させようと幇助していた4人のアルバニア人を逮捕した。シリア人たちはコソボを通って西ヨーロッパへ向かう計画だった。

このシリア人たちはギリシャのThessalonikiにある難民キャンプから山間を塗ってアルバニアに違法に入国した大量の野蛮人たちの一部。アルバニア政府は野蛮人たちを一時的に保護、その後出身国へ送り返す予定だったが、一部の野蛮人たちは臨時キャンプを勝手に出てコソボへ向かった。アルバニア警察は同時にキャンプを出た6人のシリア人たちの行方を追っている。アルバニアは通常の移民ルートではないが、最近は西ヨーロッパへ向かう野蛮人たちが通過するようになったという。

6:10 p.m.
ドイツ警察によると、東ドイツの三つの町で地元民と野蛮人が衝突し、数人が怪我をした。
最初の事件は金曜日の夜、べるるいんから南西200キロメートルの場所にあるSangershausenという町の難民センターにおいて、ドイツ人の若者グループがクラブやペパースプレーなどを使って彼らに石などを投げつけていた野蛮人たちに応戦した。

この記事ではどちらが攻撃を始めたのか定かではない。ドイツ人のグループは難民センターに野蛮人たちを攻撃すべく出かけていったのだろうか?それとも難民センターの野蛮人たちが通りがかりのドイツ人に石を投げるなどの暴行を働いていたため、たまりかねた地元民が武器を持って応戦したのだろうか。そのへんの事情がはっきりしない。

この間も地元民と野蛮人が衝突したポーランドとの国境沿いにあるバウツェンでは、17歳のシリア人が39歳のドイツ男性を脅迫。シリア人が軽症を負い、警察に保護された。どうして脅迫した男が怪我をするのかよくわからない。少年は脅した男性に殴られるか何かしたのだろうか?
三つ目は北ドイツにあるSchwerinという町。金曜日の夜遅く、30人の地元民が10人の野蛮人と喧嘩になり、警察が呼び出された。攻撃をしかけたのはドイツ人のほうらしいが、その原因がなんだったのかは不明。

4:40 p.m.
セルビアの防衛省長官によると、今年の7月からすでに9300人の野蛮人がセルビアとブルガリアを通過して西ヨーロッパへ移動しようしたと発表している。同時に53人の密輸業者を逮捕したという。
セルビアは隣国のブルガリアと協力して移民の移動を阻止しているが、すでに欧州連盟加盟国のクロエチアやハンガリーを目指してやってきた何千という野蛮人がセルビアで足止めを食っている。野蛮人たちは去る三月に多々の国々が既存の移動リートを封鎖したため、セルビアやブルガリアを通って西ヨーロッパへ向かおうとしているという。

セルビア司法局は違法移民を幇助する人間への罰をさらに厳しくする計画だという。

2:45 p.m.
ルーマニアの国境警備警察は17人のシリア人が密入国しようとするのを逮捕した。国境警察は11人の大人と6人の子供を逮捕。彼らはブルガリアを出てローマニアの南東にあるOstrovへ向かう途中だった。野蛮人たちは西ヨーロッパへ行くつもりだったと語っている。
また別の事件で、国境警察はルーマニア南西において20歳から53歳の5人の男が違法にルーマニアへ越境しようとしているのを発見した。四人はレバノン人、もう一人はアルジェリア人。

1:25 p.m.
ハンガリーでは政府は先週末反移民国民投票を行なった。ハンガリー政府は移民とテロには直接つながりがあると主張。この投票は欧州連盟が強制している難民の人数枠を拒絶するかどうかを決めるもの。


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アメリカの多くの寿司屋が中国人経営なのは何故か

ここ十数年、アメリカのすし屋や日本料理店で日本人板前やシェフを見かけることが少なくなった。経営者は大抵の場合中国人か韓国人。日本人経営の店は二割にも満たないのではないかと思われる。これは中国人や韓国人は日本人より商売がうまいせいなのだと思っていたのだが、昨日なぜこんなにも多くの寿司屋が中国人経営なのかという記事を読んで、これは中国人の商売上手というより、その膨大な移民人口にあることを知った。
カカシがアメリカに移住するちょっと前、日本のバブルが始まろうとしていた1970代後半、アメリカでは健康食ブームが始まり、自然を生かしたしつこくない日本食が注目された。特に生魚を食べるという習慣がなかったアメリカ人にとって寿司やさしみは珍味として好まれた。寿司は人気俳優やセレブの間で人気が広まったため、日本食は高級食というイメージが根付いた。また、「紅花」が始めた日本にはなかったアメリカ風鉄板料理はシェフのパフォーマンスが話題を呼んであっという間に大人気。日本食といえば「テッパン」と思い込んでる人が多くなった。
さて、1980年代になるとバブル景気で多くの日本人がアメリカにやってきた。日本食ブームで急に板前やシェフが必要になったアメリカでは日本人板前ならすぐにビサが取れるという状況になり、あちこちに日本食レストランが開店した。カカシが住んでいた南カリフォルニアでもロサンゼルスやサウスベイ付近、日本人コミュニティーではまるで日本の町を歩いてるみたいで、日本食といっても寿司屋だけでなく居酒屋やそばうどん屋とかラーメン屋とか専門店がどんどん立った。顧客に日本人が多かったということもあるし、競争が激しくなったということもあって、当時の日本料理店の質は非常に高かった。
この状況が一変したのがバブル崩壊である。1990年初期、日本企業が一斉に日本に引き上げ、ビジネスマンもその家族も皆帰国してしまった。それで日本人相手の商売はばたばたと店を閉じた。高級レストランで高給を取っていた腕の立つ板前やシェフたちも失業してしまった。
しかし、日本人は減ったかもしれないが、アメリカにおける日本食ブームが廃れたわけではない。アメリカ人は今でも寿司や天麩羅が大好きだし、テッパンなど誕生日や忘年会(?)では当たり前の光景となっていた。だから日本人はアメリカ人相手に商売を続ければよかったのであり、日本人客の数が減ったからと言って日本人板前やシェフが失業する理由はなかったはずである。問題なのはこの頃から中国人経営の日本料理店が増え始めたことにある。
日本食ブームにあやかって、すでに1980年代から日本人以外の東洋人が経営する日本料理店があったことはあったのだが、1990年代になると圧倒的に中国人経営者が増えた。
中国からの移民が急激に増え始めたのは中国が移民法を緩めた1970年代。当時の384,000人から2013年には二百万人という数に増えた。中国からの新移民の数はここ25年で三倍に膨れ上がった。アメリカには4万軒に及ぶ中華料理店が存在するが、その多くが福建省(フージャン・Fújiàn)出身者による経営。日本食レストラン市場に幅を利かせているのもこの福健人がほとんど。
新移民の好む商売と言えば言葉など解らなくても簡単に始められる飲食店の経営。元々中国人による飲食店経営の土台がしっかりしているアメリカでは、新移民は中華料理屋に年季奉公で就職して数年後には自分の店を開けるというのが当たり前になっていた。
しかしこうも中国人が増えると、中華料理屋ばかりが立ち並んで、その競争に勝てない店はどんどんつぶれてしまう。数が多いから値段も低くしなければならないし、収益も低くなる。そこでこうした中国人が目をつけたのが日本食。
もともと日本食は高級料理という印象が強いので、同じネタで経費は中華と同じでも、日本食なら値段は1.5倍から2倍にしても客は文句を言わない。同じ商売をするなら中華料理店を開けるより日本食レストランのほうがずっと効率がいい。たとえば春巻きが一本3ドルなのに対し鉄火巻き一本5ドルとなれば、中国人がすし屋を好むのも理解できる。
1985年、ニューヨークやシカゴで中華料理一人前の平均は$24.20ドルで、日本食は$31.88でその差は7ドル68セントだったのが、今や中華の値段はそれほど変らない$32.78なのに比べ、日本食の平均はなんと$62.73ドルと二倍に膨れ上がり、中華と和食の差はなんと$30ドル近くになった。日本食とは反対にアメリカでは中華料理は安いものという先入観があるからやたらに値段は上げられないのだろう。
アメリカにある2万5千軒の日本食レストランのうちどれだけが中国人経営なのかはっきりしたことはいえないが、日本政府農業省の見積もりによると日本人経営の店は全体の一割程度だそうだ。ワシントンDC付近の33軒の日本食レストランを対象に調査した結果、中国人経営が12、韓国人が12、日本人経営は6、他3軒という結果が出た。
さて、中国人が経営者になったからといって日本食の質が落ちる必要はないが、日本人の板前やシェフは腕も立つが高給取り。そんな人間を雇わなくても週末講習を受けたくらいの中国人を雇えば人件費も節約できる。どうせアメリカ人相手、味が多少中国風でも誰も気がつかないと思って節約する経営者も多くなった。
中国人経営の店では、照り焼きのタレがやたら甘かったり、天麩羅に大根おろしがついてなかったり、刺身のつまという概念がなかったりするが、高級店を目指して日本人板前を雇っているところは結構質がいい。中国人の板さんやシェフでもネタに気を使ってまあまあな店は結構ある。それに日本人には中華の味は馴染みがあるので、そうそう違和感はないのかもしれない。
しかし、これが韓国系の「日式料理」となる先ず食べられたもんじゃない。あんなものをよく日本料理とか言って恥かしくないものだと思う。私は同僚や知り合いに日本料理店を名乗っている店でカルビだのキムチだのがメニューにあったら、さっさと店を出るようにと警告している。
うちの近所にアジアンフュージョンとかいって日本食のようなものを出す韓国人経営のチェーン店があるが、天麩羅も鳥やゲソのから揚げも焼き鳥もタレはすべて照り焼きソース。鳥のから揚げは細かく切りすぎていて衣以外の味がしない。天麩羅も卵入りのねっとりした衣をガチガチに揚げてあり、何を食べているのか解らない。スシといえばわけのわからないものを酢飯と一緒に巻いた太巻きロールばっかり。スシというと太巻きロールしか頭に浮かばない人が増えたのも中国人と韓国人のおかげである。
ま、数で言えば中国系移民のほうが日系よりずっと多いから仕方ないのかもしれないが、悲しい現実である。


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