この間、JBプレスでアメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けずエスカレートする「ポリティカルコレクトネス」に四苦八苦という記事を読んでその話をしようと思っていた矢先にアメリカのマディソン大学が新入生ように用意した多様性を求める学生が避けるべき言葉使いという記事目にしたのでその話をしたいと思う。だが先ずJBプレスの記事から一部引用すると、、

カリフォルニア大学は、「バークレー校」や「ロサンゼルス校」など10大学の連合体として、学生23万8000人、教員19万人を抱える大所帯だ。2015年、その頂点に君臨するナポリターノ学長がすべての教員に向けて発した通達が、関係者を驚かせた。

それは、教員は次のような表現を口にしないよう求めるものだった。

「アメリカは機会の土地だ」(America is the land of opportunity.)
これは勤勉に働けば報われるという意味の、アメリカ人が誇りにしてきた言葉だ。だが学長によれば、この言葉は「有色人種は怠け者で能力が低いから、より努力する必要があることを暗示」するものであり、人種差別につながるリスクがあるという。

一方で、さまざまな人種・民族の共存を意味する「アメリカは人種のるつぼ」(America is a melting pot)、「人類はひとつ」(There is only one race on this planet, the human race)も禁句とされた。これらの言葉は個々の人種・民族が培ってきた文化の軽視につながりかねないため、授業はもとより学生たちとの雑談においても使われるべきではないという。

驚くばかりの気の遣いようだが、今のアメリカはそこまでする必要があるのか。こういう社会で一般市民はどのようにして暮らしているのか。

これでも解るように、これまでなら普通にされてきた会話が一つ間違えると人種差別とかホモフォビアとか女性蔑視とか言われかねないので、左翼リベラルは毎日びくびくして口が利けない状態にある。
さてそれでジェイムス・マディソン大学が新入生向けに発表した「よかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目」について紹介しよう。実はこれはマウラ・J・コリンズという女性白人教授が何年か前に書いた本が基本となっている。

何故私が彼女のことをわざわざ白人女性と書いたかといえば、彼女の本(というよりエッセー)には自分が白人であることに対して極端な罪悪感を持った左翼リベラルという姿勢がありありと描写されているからである。普通の人間が使う何気ない言葉使いが場合によっては人種差別だのホモフォビアと取られかねないので使わないようにという忠告は、彼女自身がいかに常に差別意識を持ったまま暮らしているかという証拠である。

ずっと以前になるが、私はヤフーの掲示板でアメリカに数ヶ月暮らしたことがあるという左翼リベラルの日本人に出会った。彼はアメリカ人はどんなに正義感面していようと一皮向けばすべて人種差別者だったと言い、常にアメリカ人への憎悪をあからさまに見せていた。また、2~3年前にもツイッターでアメリカの白人はどれだけ行儀よくしていようと実は差別主義者ばっかりだと言い放つ日本人に出会った。

二人に対しての私が言ったことは、あんたらは左翼リベラル白人としか付き合ったことが無いからそういう印象を持ったのだ。確かに左翼リベラル白人はあんたらが言うとおり偽善者が多い。彼らは少数民族を嫌い同性愛者も嫌っている。だがその気持ちに対して非常な罪悪感を持っているから、勤めてそれを隠そうとしてかえってわざとらしくなってしまうのであると。

この二人が実際に差別意識など持っていない保守派白人と多少でも付き合えば、こんな偏見は持たずに帰国できただろうに残念なことである。皮肉なのはこうした日本人に限って左翼リベラル白人の垂れ流すプロパガンダに完全に踊らされていることが多い。

前述のツイッターの男からは「あんた英語が出来なそうだけど、アメリカ人とつきあったことあんの?」と言われて苦笑した。浅知恵というのは恐ろしいもんだ。

さてそういう罪悪感に満ちきっているコリンズ教授が「よかれと思って使われる馬鹿な言葉使い35項目」を紹介しよう。何故言ってはいけないのかという説明のいくつかをコリンズ教授のビデオで観たので付け加えておく。はっきり言ってコリンズ教授の理由づけは言いがかりが多いのだが、それについてはまた回を改めて私の感想を述べるとしよう。今回はともかく紹介のみ。