前々から紹介しようと思っていた本がある。これは自他共に認める過激派フェミニストのシーラ・ジェフェリー著「ジェンダーハーツ」。あえて訳せば『性別は傷つける』かな?この内容は、トランスジェンダーの政治権力をフェミニストの立場から批判するもの。
私はどんな過激な思想を持っているひとでも、信念を持っている人には一応の敬意を持つ。なので左よりリベラルよりも、徹底的な左翼の人とか、フェミニストでも過激派で完全な女性優位主義者のほうが口だけ寛容とか多様性とか言って自分らの信念をご都合主義で歪曲する人たちよりずっと尊敬できる。
で、私は前々から本当のフェミニストならトランスという概念を受け入れられないはずだと思っていた。これは女性から男性へ、男性から女性へと、転換しようとしているどちらの人々に関しても同じだ。もっともその理由は異なるが。
女から男へ(FTM)は、女性を拒絶している。はっきり言ってフェミニストからしてみればこれほどの裏切りはない。要するに女であることを誇りに思い女性の立場を推進するどころか、女を拒絶して男になろうなんていうのは男子優位社会を自ら促進するようなものだ。
男から女へ(MTF)はフェミニストの敵だ。彼らは女じゃない。彼らに女みたいな面をされたくない。そう思うのは当然。歴史上弾圧されてきた女性の葛藤を元々男のMTFに理解できるわけないだろう。男としての有利な立場をずっと保ってきた人間が整形してホルモン剤摂取したくらいで女面するな、ってなもんである。
というのは私の見解だが、ジェフェリー女史の立場はちょっと違う。彼女にしてみれば、やたらに「ジェンダー」と言って性別を区別すること自体に問題がある。女性はハイヒールを履いてスカートを着て無償の家事を喜んで行ない、男性は着心地の良い服を着て仕事に専念できるべき、といったようなステレオタイプを強調することを拒絶してきた彼女達にとって、トランスジェンダーはそのステレオタイプを推進する最たるものである。トランスの横暴は「性別」という観念がフェミニズムに損害を与えるまたひとつの例である。
MTFが率先するトランス活動は、元々男なので筋力も本当の女性たちより強いし、性格も積極的で攻撃的な人が多い。男性同性愛者のゲイたちの支援を受け、MTFの政治的権力がフェミニストのそれより強まっているのも、権力を求めそれに対して活動する行動力は男性のほうが女性よりも勝るからである。そういう偽女を女性の運動に導入すれば、彼らが活動を乗っ取るのは時間の問題だ。いや、もうすでにトランスの権力は極フェミニストたちを無力な少数派へと追い込みつつある。
ジェフェリー女史はそのトランス(特にMTF)により、トランス否定派の極フェミニストたちが、どれほど言論を弾圧されているかを訴えている。トランス活動に批判的な会合や活動はトランス活動家によって妨害され、会場からイベントをキャンセルされることが多くなってきたことや、彼女自身がフェミニスト会合で演説することすら許されない状態が起きているという。(現代フェミニズムを批判して立ち入り禁止になった元フェミニストのクリスティーナ・ホフ・サマーズを思い出す。)
女として生まれるということに選択の余地はない。生物学的に女であることで受けた差別や迫害は個人の選択によるものではない。このような女としての体験を単に「女でありたい」人間が理解できるはずはない。ジェンダーという概念は選べても性は選べないのだ。トランス女に本当の女性の体験は理解できない。
ジェフリー女史は、女とはどうあるべきかという形付けは男性優位社会が女性に押し付けてきたものだと主張する。そしてMTFトランスの意味づける女性像は、まさに男による女性像の押し付けであるとする。
元々フェミニズムは権力者である男性が女性を下級階級の従僕として都合よくつくりあげた女性像からの逸脱を目指すものであった。女性は強姦、強制的な妊娠や出産によって男性から虐げられてきた。フェミニズムはどの男性による女性弾圧への革命から始まったのだ。にもかかわらずMTFトランスを女性として受け入れるということは、男性による女性像を受け入れることに他ならない。
ジェフェリー女史は最近はフェミニスト会合などで、MTFが主賓として招かれ「女性の体験談」などを語ることが増えてきていることをひどく嘆いている。女史はまた、MTFの多くが伝統的に男性が持っていたラフな職業(パイロット、軍隊の特別部隊出身など)を持ち、妻子持ちの人も多くいることを指摘。こういう男たちに女としての何がわかるというのか?
女史は同著のなかで、あえてMTFやFTMといった言葉使いはせず、トランスジェンダー男、女という呼び方をしている。どんな手術を受けようとホルモン剤を摂取しようと生物学的な性を変えることは出来ないからである。
同著ではトランスとして性同一適合手術(SRS)まで受けておきながら、後になってその決断を後悔し、現在は元の生物学的性に戻っている人たちの勇気ある活動にも触れている。この「勇気」というのは本当で、今やSRSが性不適合障害の唯一つの治療として受け入れられている現在、それを批判することはトランスの政治権力に相反することになり、そのバックラッシュは生半かなものではないのだ。
トランス政治が我々一般人の生活にも危害を与えつつある現在、ジェフェリー女史の著書は非常にタイムリーだと思う。一読の価値ありとみた。


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