フェミニストの「男は女ではない」という言論を弾圧するトランスジェンダー活動家たちにツイッターも加担

カカシのブログをお読みの方は私がフェミニストのファンでないことはよくご存知のことと思う。しかしながら、フェミニストの中でもポリコレの圧力に負けずにトランスジェンダー女は本当の女ではないと勇気をもって言える女性には敬意を示す。彼女たちにとってトランスジェンダーに対して批判的なことを述べるのは我々一般の保守派がするより難しいことだからである。

この間もお話したように、ツイッターにおいてはトランスジェンダーを本人が好まない代名詞で呼んだり性転換前の名前で呼んだりすると口座を凍結される恐れがある。つまり、自称男/女を彼女/彼と呼んだり、デッドネイミングという規則が出来、今は女性名のケイトリンを名乗ってるジェナーを元の男性名ブルース・ジェナーと呼んだりするのは厳禁というわけ。

そういう理由でツイッターを永久的に追放されたのがメーガン・マーフィーというフェミニスト。彼女は来年の一月にカナダのバンクーバーで講演をする予定だが、トランスジェンダー活動家がなんとかその講演を阻止しようと開催会場となる図書館に圧力をかけている。フェミニスト自身もこれまで他人の言論を弾圧してきたグループなので、彼女たちに同情などする気はない。だが、私は言論弾圧は誰が誰に対してしても支持できない。トランスジェンダー女が自分は女だと主張するのはの権利だが、マーフィーがトランス女は女じゃないと言うのも彼女の権利であり、双方の言論の自由は守られるべきだ。

それにしても、ツイッターから永久追放されたり、トランス活動家からこれほど毛嫌いされるメーガン・マーフィー女史とはどういう女性なのだろうかと思い、彼女が過去に書いた記事を読もうと彼女が運営するフェミニストカレントというウエッブサイトに行ってみたら、今サーバーがダウンしていて開けられない。これはトランス運動家らによるサボタージュかな?

仕方ないので、彼女について書いている他の記事を読んでみた。マーフィーは今年の8月、ツイッターから警告を受け、数々のツイートを削除させられたり、口座を一時凍結されたりしていた。その内容というのは「男は女じゃない」とか「男は女になれない」「普通の男とトランス女の違いっていったい何?」といったもの。ツイッターをご使用の方々は、今やツイッターではこういう常識的発言がヘイトスピーチとして削除されるのだということをよ~く心得ておいていただきたい。

さて、そのマーフィーの口座が永久的に閉鎖される理由となったのは、ジョナサン・ヤニーブという男がとある美容院で睾丸の毛の脱毛を要求し、女性のスタッフから断れたことから美容師数人を相手に訴訟を起こしたことにある。男は自分はトランス女だと言い張り、女性専門の脱毛をしている美容院で女性スタッフ拒絶されたのは差別だと言いがかりを付けたのである。この件に関する感想をツイッターで述べた時、マーフィーはヤニーブのことを「彼」と呼んだことが原因で彼女はツイッターから追放され、彼女がツイッターでしていたウエッブサイトの宣伝なども出来なくなった。

ところでツイッターが施行している新しいデッドネイミイングがもしも法律にでもなったら非常に危険だとスペクテイターのジュリー・ビンデルは言う。どのような理由があるにせよ改名した人間の本名を公開してはいけないということになれば、犯罪者が名前を変えてデッドネイミイングの陰に隠れていくらも犯罪を繰り返すことが出来るようになるからだ。

さて、ツイッターのこうした言論弾圧はかえって言論の自由につながるという訳のわからんことを書いてる記事があった。

著者はパーカー・モリーというトランス女(女装男)。モリーは、トランスジェンダー女(女装男)として、自分がトランスで大多数の人々から永久に妄想癖変態だと思われていると、常に思い知らされるのは屈辱的だと言う。デッドネイミイングはトランスの正当性やその生活態度に異論を述べるものであり、それこそが会話を遮断するのものだと言うのだ。

ミスジェンダーを弾圧するのは言論の弾圧だという人がいるが、何もかも自由にすることは権力のある人が会話を独占することになるとモリーは言う。つまり、モリーは本当の女性ではなく単なる変態の女装男だという偏見から話が始まると、それ以上の会話が出来ないと主張するのだ。

私には男を男と呼ぶことで会話が遮断されるという理屈にはどうしてもついていけない。

だいたいヘイトスピーチなどというものは存在しない。嫌な言論に対抗するのは良い言論だ。相手を負かしたいならこちらが理論正しい説をもっと提供すればいいだけの話。相手を黙らせなければ自分の意見が通せないなら、それは相手が自分に同意したのではなく、単に脅迫で屈服させただけ話だ。そういうことをしていれば、いつか自分より力のある人間が現れて自分を弾圧するだろう。言論の自由が言論弾圧で促進されるなどということは絶対にありえないのだ。

ところで保守派からのボイコットを恐れて、ツイッターの株が暴落しているという。

ツイッターの株はこの木曜日6パーセントも落ちたのだそうだ。フォックスニュースがここ二週間ほど全然ツイートしていないことが原因なのではないかという。フォックスニュースは同局のコメンテーター、タッカー・カールソンの住所がツイッターで公表され、彼の自宅に暴徒が押し寄せたことに抗議し、静かな抗議運動をしているのではないかというのだ。

ツイッターは保守派のツイートを次々に追放していることでもあり、今後こう言ったボイコットも広まる可能性がある。格言う私も何時なんどきツイッターから追放されても仕方ないと覚悟は出来ている。

しかしそうやって誰も彼も追放していたら、いずれ誰もツイッターをつかえなくなるのではないかな。

ま、最近はツイッターよりインスタグラムとか他のSNSが人気があるらしいので、ツイッターなど消滅したからといってどうということはないが。


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自分の政治運動のために無実の男性を告発する悪質なミーツー運動、ゲーマーの場合

ちょっと前、米国オレゴン州のポートランド市において、女性から暴行されたと無実の罪を着せられた男性たちを守るという目的で「ヒム・ツー」という集会が行われたが、ポートランド市といえば左翼ファシスト暴力団のアンティファの拠点。案の定黒装束に覆面姿の共産主義ファシストどもが手に手に凶器を持って集会を妨害しようと集まってきた。集まった男性たちは殴る蹴るの暴行を受けたが逮捕されたのはたったの四人。ミーツー運動で女性を信じろとか言い張る割には、男性の人権には完全に無関心な左翼どもだ。

さて、同じミーツー運動関連の話で、ゲイマーに宣戦布告したフェミニストの話をしたい。このフェミニストの名前はブリアナ・ウー。彼女は何年か前にコンピュータゲーム産業は女性を性対象にしているとしてやたらいちゃもんを付けてきたバリバリ左翼フェミニスト。彼女自身もゲーム開発者なんだそうだが、とにかくゲイマーたちからは嫌われてる女だ。当時はゲイマーから脅迫を受けたとか何とか言ってるが、左翼のいう「脅迫された」なんてのほどあてにならないものはない。

ウー女史は前回の中間選挙でマサチューセッツのボストン地域代表の下院議員に民主党から(当たり前だが)立候補していたが、当選の暁にはゲーム業界における女性差別や人種差別に真っ向から闘いを挑むつもりだと宣言していた。その小手試しかなんだかしらないが、今年の1月30日、彼女にその機会が現れた。ゲーム開発者協会と訳すのか、The Game Developer’s Conference (GDC) という組織があり、彼らはゲーム業界に貢献した開発者を称えるパイオニア賞をアタリの創設者ノーラン・ブッシュネル氏に与えると発表した。

ブリアナ・ウー女史はすぐにツイッターで攻撃に出た。ウー女史はブッシュネルが1980年代にどれだけのセクハラを行っていたかをツイッターで何回にも分けて「暴露」。(ブッシュネル氏がアタリに居たのは70年代で80年代ではない)#NotNolan(ノーランは駄目)のハッシュタグで猛烈なツイッター攻撃が始まった。瞬く間に自称ゲーマーの女性たち25人がノーラン氏に批判的なツイートをし、その晩にはザ・バージという人気ウエッブサイトがこの件を取り上げた。抗議を受けたGDCは、ブッシュネル氏のそういう過去については全く知らなかったとし、結局今年のパイオニア賞は氏に与えず過去の声なき人々の貢献に与えることとすると発表した。ウーによるノーノーランキャンペーンが起きて立った数時間後のことだった。SNSの力は恐ろしい。

さて、ここまでくると、本当にブッシュネル氏はそんなにひどいセクハラ男だったのかを吟味する必要があるが、GDCがそんなことを調査する時間はなかったはずなので、結局彼らはウーやその仲間のフェミナチ共に圧倒されて、あっさりと降伏してしまったようだ。

私が読んだこの記事の記者ブラッド・グラスゴーは、ブッシュネル氏と一緒に働いたことがあり、当時のことを知ってる女性たちやアタリ創設に関する本の著者らにインタビューをし、当時の様子がどんなふうだったのかを取材した。

1970年代と言えば、まだまだ女性の企業進出が遅れていた時代。その時代において、ブッシュネル氏は多くの女性エンジニアたちを雇いキャリアの機会を与えた。そのなかでもロニー・リーダー女史はツイッターでもブッシュネル氏に対する告発は何の根拠もないものだ、氏はセクハラで訴えられたこともないと氏を弁護した。リーダー女史によると、当時アタリで勤めていた女性たちは、それこそ本当のセクハラを他所の企業で受けており、本当の意味でのミーツー体験をしている。しかしアタリ社では全くそんなことはなかったと証言。このミーツー運動は本当のセクハラの深刻さを軽減させるものだと強く批判した。

もうひとりのエンジニア、イレーン・シャーリー女史は、当時のアタリはパーティのような環境で、ブッシュネル氏が女性に言い寄ったのは事実だが、女性たちも彼に言い寄っていたと語る。もう一人の女性エンジニア、キャロル・カンター女史も1970年代のアタリ社でセクハラの事実は全くなかった、ブッシュネル氏は才能ある人々を回りにつけ、人々の才能を生かしてくれたと語る。

またアタリ創設時の模様を描いたAtari Inc, Business is Funの共著者であるカート・ベンデル氏はブッシュネル氏が如何に当時は珍しかった女性技師を多数起用したかを語る。ブッシュネル氏は女性だろうと男性だろうと性別にこだわらずに才能のある人材を多数雇った。ブッシュネル氏は女性のキャリアを促進したとして称えられこそすれ、セクハラで訴えられるべき人では断じてないということらしい。

ではこんな男性が何故セクハラをしたなどと言われるのか。ブリアナ・ウーがブッシュネル氏をセクハラ男とした根拠な何だったのだろう。実は、それはベンデル氏の著書のなかにあった、ある一節に起因するらしい。

当時アタリでエンジニアをしていたアル・アルコン、かの有名なポングのデザイナーは、当時の様子をこんな風に語る。

「重役会議でこんなことがありました。ノーランはロスガトス市の丘の上にある素晴らしい家に住んでたんですが、その家の裏庭に露天風呂がついてたんです。それでそのお風呂のなかで会議をしたんです。(略)ノーランは何かの書類が必要となってので、事務所に電話して女の子に書類を持ってこさせるように言いました。私たちはみんなお風呂に入っていたので、ノーランはやってきた女の子にもお風呂に入れと誘ったのです。」

どうやらこの一件が、ウーの眼には、女子社員を風呂に招いて乱交パーティを強制させた、と写ったようである。しかし当人のアルコン氏によると、結局この女子社員は誘いを断って終わったということだった。風呂の中には他に10人くらい社員がすでに入っており、このことは彼らが全員目撃している。ノーランがセクハラをしたことなど見たことがないとアルコン氏は付け加える。

キャロル・カンター女史も、ノーランは誰でも露天風呂に誘ったが、それは全く性的なものではなかったと言う。そういう時代だったのだとも。

グラスゴー記者が取材した他の当時の社員たちも、口を揃えてセクハラなど全くなかったと証言している。

グラスゴー記者の記事を読んでいて思ったことは、ウー女史は1970年代という時代背景を全く理解しておらず、当時は特に男女ともに何とも思っていなかったことを現代フェミニストの歪んだ眼で見て完全に曲解しているということだ。1970年代といえば1960年代のヒッピー時代をちょっと過ぎた時期。女性のセクシュアリティーも多いに歓迎されていた頃。当時のフェミニストたちは性的に開放されていることを謳歌していたものだ。今のミーツー運動のビクトリア時代後退派とは大違い。

アタリ社はコンピューターゲームの先駆けであり、ブッシュネル氏は男女差別をせずに才能ある人々を雇った画期的な人だ。ゲーム業界のパイオニア賞を受け取るにこれほど適した人もないだろう。そういう立派な人を自分らの歪んだフェミニズム思想で無実の罪をでっちあげ、その名誉を汚すことをなんとも思わないフェミニストたち。こんな奴らがいるから本当の性犯罪の犠牲者が名乗りでられなくなるのだ。

ところで、ブリアナ・リーは民主党の予選で3:7で惨敗した。


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「ドラッグクィーンストーリーアワー」のさほど隠れていないトランスジェンダー養育計略

以前にも紹介したが、アメリカやカナダのあちこちの図書館で、ケバケバしい女装をしたドラッグクイーン(女装男)が子供たちの前で同性愛やトランスジェンダーについて物語を読んで聞かす「ドラッグクイーンストーリーアワー(DQSH)」なる催しが開催されている。日本風に言えば「オネエが語るおカマ話」みたいなもんかな?当然のことながら、多くの父母たちは、やたら破廉恥な恰好をした女装男が、あきらかなトランスジェンダー推進の動機を持って感受性の高い小さな子供たちに話をするのは教育上良くないのではないかと心配していたが、先日とあるドラッグクイーンの発言で彼らの心配が正当であったことが証明された。

ルイジアナ州にあるラファエテ市の図書館で10月にDQSHが催されることになった。対象は若い子になると3歳という幼稚園児。主催者はディラン・ポンティフというドラッグクイーン。これについて住民のなかで反対の声があがり、市議会においてイベント開催の是非を問う審議がされた。

ポインティフは市議会において、自分が子供の頃に他の男の子と違うということでいじめの対象となったことなどを語り、次の世代に他の子と違うことは恥かしいことではないと教えるのは大事だと語った。また、この件において同市民から色々な批判を受けたが、それは誤解や不寛容よるものだと語った。ドラッグクイーンは必要以上に性的であるという批評に関しても、ドラッグクイーンは時と場合に合わせて性的描写を制御することが出来るのでその心配はないと語る。

イベント反対派のラファエテ住民、レスリー・アレキサンダーは、これはいじめとか不寛容の問題ではない、これは、確固たる指導を一番必要としている時期の子供たちに対して性的混乱を招くことを意図的に目的としたものである。後々になって子供たちが自分の性に疑問を抱くように種を蒔こうという策略だと語った。

ポンティフは自分にはこれといった計略があるわけではないとしながらも、次の世代を養育することが目的だと自慢げに認めた。次の世代とはどんな世代だ?明らかに次のトランスジェンダー世代を育てるという意味だろう。反対派が心配している通りではないか?

根性のない市議会議員たちはこのことについて審議することを拒否した。しかし10月4日のニュースによると、私立図書館でのイベントは一応延期。ルイジアナコミュニティー大学でのイベントも警備の問題から延期になった。市立図書館は完全なる中止ではなく、あくまでも適当な会場が見つかるまでの延期だと主張している。

こういうことがあるごとに、良識ある市民が立ち上がって抗議しないと、どんどん子供たちが洗脳されていく。どれだけ相手がこちらを差別主義だのホモフォブだの不寛容だの騒いでも、子供たちの将来がかかっているのだ、我々は常に戦わねばならない。


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トランスジェンダーという精神病に世界が付き合うべきじゃない

トランスジェンダー関連の記事を二つ紹介しよう。

一つは、なんで調査なんかしなきゃわからないんだ、というような記事。その内容はというと、男女共用の更衣室は女性が性犯罪の被害者になる可能性が高いというもの

当たり前だろうが!そんなこと試してみなくても最初から解ってたことだろうが!いったいどれだけの人がそういうって反対したと思ってるんだ。あまりのポリコレで、どれだけの婦女子が犠牲になったことか。

記事は全部読むまでもなく、90%以上のセクハラや覗きや女性への性暴行は市民プールなどの男女共同更衣室で起きていることが使用者たちの被害届で分かったというもの。

もうひとつの記事はナショナルレビューのベン・シャピーロ著のコラムで、トランスジェンダーへの同情が社会の現実を変えてはいけないという意見筆者はトランスをめぐるいくつかの例をあげて、行きすぎたトランスへの同情が社会秩序を乱していると語る。

女性専門の運動ジムに女装男が現れ更衣室で着替えを始めた。経営者は彼に個室を使うよう求めたが、本人は自分は女だと言い張り個室使用を拒否。他の普通の女性会員が苦情を述べたが、経営者側はトランス女に個室を使わなければ会員権をはく奪すると言えば訴えられる可能性があるとして女性会員たちの苦情を受け入れることが出来なかった。結果多くの女性会員がジムを辞めてしまった。ジムの経営者はたったひとりの女装男のためにジムがつぶれる危機に陥っている。

ツイッターでは、本人が好まない代名詞を使った場合はその口座を凍結するというもの。つまり、自称トランス女を「ミスター」とか「彼」とか読んだりしたらもうアウト。ジョーダン・B・ピーターソン教授がカナダで通ったこの法律について抗議していたのは、これは言論弾圧だからだ。トランスジェンダー運動は本当に他人の言論を徹底的に弾圧する思想だ。

このオプエドでも紹介されているが、私が最近読んだ記事で、テキサスで離婚後の親権を巡り母親が6歳の男の子を女子として育て名前までルナと変えてしまったことに関して父親が抗議したところ、かえって母親の方から幼児虐待だと責められ、父親の方が親権を取り上げられそうだという話。しかもこの母親は別れた夫に対して子供のホルモン治療やセラピーや性転換治療費を払えと要求している。

だが肝心の男の子ジェームスはどうかというと、彼は自分が女の子だなどとは思っておらず、男の子として扱ってほしいと思っているというのだ!にも拘わらず法廷は父親に子供とセクシュアリティに関しての話をすることを禁じ、女子と男子の両方の服装を提供することを義務付けたという。だが父親は男の子は自分といるときに女子の服を着るのは断固拒絶しているという。

ジェームス君は母親が連れて行った精神科の医者によって性同一障害と診断され、母親が付き添いで行くセラピーでは女の子の性を好む行動を取っているという。しかし父親といる時や他の友達といる時はジェームスと呼ばれることを好み男の子として振る舞っている。ジェームス君が通う教会の牧師さんも、ジェームス君はどう見ても普通の健全な6歳の男の子に見えると語る。

はっきりいって精神科の医者にかかるべきなのは母親の方だろう。これはいわゆる代理ミュンヒハウゼン症候群(munchausen by proxy)という病気だ。つまり、母親が自分が病気なのにそれを投影して子供が病気だと思いこむ精神病。病弱な子供を献身的に支える母親として注目されたいと思うのが症状。これは明らかに母親が男の子をトランスだとすることによって自分が注目されたいと思っている症状だ。これによって本当にジェームス君がホルモン治療などされてしまったら、彼の人生はどうなるのだろうか?

しかし今や常識が通用しない世の中。この父親は自分の子供が母親の妄想によって虐待されるのを手をこまねいてみているしかないのか、抗議したらそれこそ子供を失う恐れがあるのだ。こんなことってあっていいのか?

自然な生物学を書き換えることは現実社会に多大なる悪影響を及ぼすとシャピーロは言う。客観的な現実を無視し誰かの主観的な社会観を押し付けるということは、ビジネスや学校や病院や言論の自由に至るまで、ありとあらゆることを根底から崩さなければならなくなる。性同一性障害に病む人々への同情が客観的な社会現実を破壊することになってはならない。

一部の人々の精神病に何故世界中が付き合わなければならないのだ?そんなことをしてみても当事者は救われないだけでなく、部外者が多大なる被害を被る。婦女子が安心して更衣室やトイレに行かれない。言論は弾圧される。子供は無理やり異性ホルモンを飲まされる。抗議する片親が親権を失う。

そんな世界に誰が生きたいのだ?


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フェミニストはトランスに仕えろ!フェミニストに完全服従を要求する女装男たち

もう数年前からMTFと呼ばれるトランス女(女装男)たちが生物学的な女子以外を女とは認めないと主張するフェミニストやレズビアンに圧力をかけているという話はすでに拙ブログでも何回かしてきたが、先日もそれにかかわる話題を二つ見つけた。

先ず東ミシガン大学はイーブ・アンスラー著の1994年作の戯曲で女性のセクシュアリティーを全面的に押し出した「バジャイナモノローグ」(膣の独白)を、トランス女性に対する配慮がないとして、今後上演しないことにしたと発表。ここ2~3年、アメリカではこの戯曲の排斥が広がっている。一時は女性の性解放を示すものとして大称賛され、どこの女性グループもこぞって上演したものなのだが、左翼社会のポリコレの変化はめまぐるしい。常にその時代にあった「政治的に正しい」ことをしていないと弾圧される。

さて、それに関連してハフィントンポストがすべてのフェミニストはトランス解放のため戦わねばならない」というオプエドを発表した。トランス連中は、特に女装男たちは、やたらとフェミニストを目の仇に完全服従を要求する。このコラムはその典型。

著者はセンティ・ソジワルという写真からみて明らかな黒人女装男。ソジワルは先ず11月20日はトランスの日だと発表。これは暴力によって殺されたトランスを追悼する日なんだそうだ。ソジワルによると2017年暴力的に殺されたトランスの数は29人と記録的な高さであり、特に有色人種の被害の割合が高いという。この数が多いか少ないかという判断は、他の人口と比べてみないと意味がない。

左翼の黒人が「パーソンオブカラー、色のついてる人」という時は、まず黒人と限定しており、ラテン系や東洋系は年頭にない。残念ながらアメリカ国内で暴力的な死を遂げる黒人の割合は多人種よりも圧倒的に高い。それは、黒人が集中しているシカゴやボルティモアなどで暴力的犯罪が集中して起きているからである。であるから、黒人トランス女が殺される割合が他の黒人男性の殺される割合と同じであったなら、彼の死の原因は必ずしもトランス差別によるものとはいえない。

ソジワルによると、アメリカにおいてトランスにおける失業者やホームレスや健康保険のない割合は非常に高いという。そうして彼らは人種差別やホモフォビアやトランスフォビアの性差別や階級差別といったあらゆる差別の対象となって苦しんでいるという。今日こうした非常に厳しい環境に直面しているトランスコミュニティーが出来ることは、団結してトランスが平等に生きられる社会をつくるべく作戦を立てることだという。

彼に言わせるとトランスになると突然差別されて貧困に陥るかのようだが、もともと労働意欲のない人間がトランスライフに魅かれるという可能性も考えられる。トランスでも普通に仕事をしている人はいるので(明らかな女装男のパイロットを私は見たことがある)なぜトランスに失業者やホームレスが多いのかという問題は真剣に考える必要がある。

トランス人権獲得のための第一の作戦としてソジワルが克服しなければならないと考えるのは、伝統的なフェミニストたちによるトランス(特に女装男)の拒絶意識だ。フェミニストたちは自分たちの空間から女装男を排除してきた。女性弾圧や男性社会における平等といった会話にはトランスが含まれることは先ずない。当たり前だろう、女装男は女じゃないんだから。

フェミニストたちがトランス拒否をしてきた以上、今後はフェミニストたちこそがトランス解放のために最前線に立って戦う必要があるのだという。

トランプ大統領就任を抗議した「女性行進」と呼ばれる左翼女性たちの行進で、女性器を意味する「プシーハット」と呼ばれるピンクの帽子も、ソジワルにあってはトランス差別の象徴。この行進には多々の人種の女性が参加したが、トランス女は含まれなかった。プシーとは膣の俗語であり、それを女性の象徴として活動するということは、膣をもたないトランスやノンバイナリー(男女どちらでもないと主張する変態性の人々を指す)を差別するものだというのである。

ここまで笑わずに読めた人は偉い。今風に言うなら「まじかよ」といった感じの屁理屈だ。ま、彼に言わせるとトランプ大統領はトランスコミュニティーにとっては非常に危険な存在であり、反トランプ活動にトランスを含まないのは差別だというわけだ。

しかし彼はトランス差別はトランプ政権で始まったわけではないと認める。男女差別の問題でトランスは常に会話から排除されてきた、ミーツー運動にトランス女が含まれないのはおかしいとか。

ソジワルはトランス(男女ともに)が性的暴力を受ける割合は非常に高いというが、彼の出す例は要するに売春に携わる人々だ。売春というのは元々危険を伴う商売だ。アメリカのほとんどの州で売春は非合法なので、セックスワーカーなどときれいごとを言っても、顧客には変態が多く、売春婦/夫が暴力を振るわれる可能性は高い。これも、トランスだから受けた暴力なのか、それとも売春婦一般における暴力なのかをきちんと区別しないと意味がない。

しかし、ここでソジワルが無視している現実は、フェミニストが最初に戦った男女差別は個人の選択によって起きたものではないということだ。女性差別は女性という持って生まれた性質によって差別されることであり、本人にはどうしようもない。だが、トランスは自分で選んだ生き方だ。男性優先社会だと本気で信じるなら、なぜ差別されるような女装をわざわざするのだ? 差別が嫌なら普通の男性のように振る舞えばいいではないか。なぜ女装してわざわざ危険な売春という仕事を選ぶのだ?

しかしソジワルは、トランス弾圧を無視する人間にフェミニストを自称する資格はないとまで断言する。特にフェミニストたちのなかでもいまだに勇敢に女装男は女ではないと主張している一部の女性たちのことを彼は「TERFs、トランス排除的過激派フェミニスト」と呼んで侮蔑する。彼はこうした正常な女性たちは右翼保守の家族主義の人々よりもトランスにとって危険な存在だとしている。当然だ左翼同士での亀裂の方が右翼への敵対心より深刻なのは常にあること。

最近のフェミニストたちは全く不甲斐なくトランスの圧力に負けているが、それでもソジワルに言わせれば、まだまだ足りないというのだ。ソジワルにとってフェミニストたちの完全服従がない限り、トランスの人権が守られたことにはならないからだ。まったくなんという男性至上主義!これこそミソジニーだ。

私がトランスコミュニティーに全く同情できないのは、これは彼らが選んだ道だということ。自分らで人に嫌われる行為を選んでおいて、受け入れられないから差別だ、受け入れろと要求するのは理不尽だ。しかも自称トランス女という女装変態男による性犯罪は頻繁に起きている。明らかな男を女性施設に立ち入らせる危険はすでに顕著に表れている。そういうことを常に要求して、やれ平等だやれ人権だと騒ぐ奴らは本当にうっとうしい。

勇ましいことを言っていても、結局アメリカのフェミニストなんてだらしない女たちの集まり。女装男たちのこうした圧力に戦えるのはほんの一部の伝統的フェミニストおばさんたちだけ。まったく情けないもんだ。


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カバノー判事、最高裁判事指名承認される!正義は勝った!

先ずは読売新聞の記事から。

【ワシントン=海谷道隆】米上院は6日の本会議で、トランプ大統領が連邦最高裁判所判事に指名したブレット・カバノー氏(53)の人事を承認した。最高裁は、共和党に考えが近い保守派が過半数を占めることになる。

カバノー氏は6日、宣誓式を経て就任し、最高裁は保守派5人、リベラル派4人の構成となった。移民政策などを巡る訴訟に直面するトランプ政権にとり、最高裁の保守化は重要課題だった。11月6日の中間選挙に向け、大きな成果としてアピールする構えだ。

カバノー氏は7月、引退したアンソニー・ケネディ氏の後任として指名された。保守穏健派のケネディ氏は、人工妊娠中絶や同性婚の容認など、リベラル派寄りの判断が目立った。「保守強硬派」(民主党幹部)と目されるカバノー氏の就任で、最高裁判決は当面、保守派寄りとなる可能性が高い。

最終的には承認が50、否認が48。ほぼ共和/民主で別れたのだが、民主党から一人だけ承認が出た。共和党から一人否認投票を予定していたアラスカ代表のマコウスキー議員は、娘の結婚式で欠席したデイン議員の票に合わせて無投票とすることで結果には影響なしとなった。

カバノー判事、就任おめでとう!めでたし、めでたし!

今回の審議ほど民主党の下衆さを表したものもない。私は元々民主党は嫌いだが、それでもここまでやるとは。

トランプ大統領が指名した最高裁判事はカバノー氏が最初ではない。昨年亡くなったスカリア判事の後を継いでゴーシュイッツ判事が指名されている。その時は民主党は多少の抵抗はしたものの、特にこれと言った話題にもならず静かに承認された。それでは何故今回のカバノー氏に限って、民主党は全く何の証拠もない高校生時代の強姦の濡れ衣を着せるというひどいことまでやってカバノー氏の承認を阻止しようとしたのか。

それは上記の記事にもあるように、カバノー氏は比較的リベラルだったケネディ判事の後を継ぐことによって、最高裁の保守とリベラルのバランスが今までの中庸リベラルから保守へと傾くことになるからである。

民主党の狙いは承認審議を長引かせ、11月の中間選挙で民主党議席を増やして、保守派裁判官の就任をあくまで阻止しようというものだった。最初からニューヨーク代表我らが宿敵チャック・シューマー議員は、保守派判事の承認はどんな手を使っても食い止めなければならないと宣言していた。それにしてもいくら汚い民主党でもここまでやるとは思わなかった。

他人に対して無実の罪を擦り付けることは文明社会を冒涜するものだ。聖書でも他人を陥れる偽証は固く禁じられている。アメリカでは人は有罪が証明されるまで無罪とみなされるのに、今回の魔女狩りは告発されただけで、全くなんの証拠も証人もないまま後退派左翼はカバノーを強姦魔扱いした。

私が腹が立つのは後退派左翼たちの偽善だ。1990年代のビル・クリントン大統領は就任する前から浮気騒動やセクハラ訴訟などがあり、強姦されたという女性までいた(強姦されたとされる当時、この女性は警察に被害届を出している。)しかし民主党支持者たちはクリントンのそういう点を大目に見ただけでなく、訴えた女性たちをさんざんこき下ろした。それが今になって「女を信じろ」だあ?

それをいうなら、民主党議員による女性虐待はクリントンに始まったわけではない。最近映画にもなったチャパキディック事件では、1969年、酒によったケネディ議員が車の運転を誤って湖に突っ込んでしまった時、自分だけ車から這い出して同乗していた女性を置き去りにして、助けも呼ばずに何時間も放置して事故当時は生きていたと思われる女性は後に窒息死した。

ケネディはそのあと90年代にもウエイトレスの女性を襲い訴えられている。これは他の上院議員が同席していたことや、レストランの従業員たちが目撃していたことでもあり、事件が起きたことは間違いない。

それでもケネディは議員の座を追われるでもなく、裁判にかけられるでもなく、死ぬまで上院議員の座を保ったのである。

こんなことを共和党議員がやったら彼の政治生命は完全に終わる。こうした連中を温存してきた民主党が何をいまさら女性の味方面して「女を信じろ」なんぞと言えるのだ?恥しらずにもほどがある。

さて、民主党は11月の中間選挙で議席を増やせると踏んでいるが、本当にそうなるだろうか?歴史的にみて、中間選挙では大統領の反対の党が議席を増やすというのが通例だが、今回の民主党の汚い魔女狩り作戦は良識ある民主党有権者たちに少なからず悪印象を持たせたのではないだろうか?また、共和党有権者たちは、民主党に多数議席を持たせることの危険性を改めて確認したのではないだろうか?

次回の中間選挙、非常に楽しみである。


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女性を女性と呼べなくなる日、トランスによるフェミニスト弾圧

最近私が何気なしに書いたツイートがなんと2~3日のうちに1500を超えるリツイートされるという不思議な現象が起きた。その元ツイートというのがこちら。

イギリスではなんと辞書の「女性」の定義がヘイトスピーチとして除去されるという摩訶不思議なことが起きた。だから言ったんだよ、ヘイトスピーチなんてのは言論弾圧の言い訳でしかないってね。

実はこれは ケイティー・ホプキンズの英語のツイートをリツイートしたものだったのだが、ちょっとはしょって訳してしまったため誤解が生じてしまった。原文はこちら。

Katie Hopkins

In the U.K. – a poster featuring the dictionary definition of a woman has been removed as hate speech. I repeat. The dictionary definition of a woman. Is now hate speech.(イギリスでは、辞書の女性の定義を提示したポスターがヘイトスピーチとして撤去されました。繰り返します。辞書の女性の定義はいまやヘイトスピーチなのです。)

これはまずいと思って翌日補正したのだが、その時にはすでに1000回以上のリツイが起きており、このツイートはおかしいという意見も多少あった。下記がその補正。

撤去されたのは辞書による女性の定義が書かれた看板であり、辞書から女性の定義が除去されたわけではありません。誤解を招く書き方をして申し訳ありませんでした。

私の最初の書き方はちょっと誤解を招くものがあったとはいうものの、辞書にある女性の定義を示しただけの看板がヘイトだとか反トランスだとか言いがかりをつけられて除去されたというのは事実。

ではいったいどういう状況でこのようなことが起きたのかというと、去る9月27日、イギリスのリバープール市において労働党の会議が開かれた。その会議に先駆けて、フェミニスト団体が大きな看板のスペースを700ポンド払って借り、女性の定義を提示するポスターを看板に張り付けた。それに対してトランス活動家の間から「ヘイトスピーチだ」とクレームが付き、市はクレームを受け入れてポスターを撤去したというもの。ポスターには「ウーマン(女性)、ウイメン(女性の複数形)、名詞、大人の雌」と書かれているだけ。ところが、アドリアン・ハロップ教授なるGP(?)及びLGBT活動家が、ポスターを作ったのはヘイトグループだとクレームを付けたところ、市はその要望に応えてポスターを撤去してしまった。

 

ポスターの作者はキーンミンシュル夫人という女性でハロップ教授のクレームは「馬鹿げている」まるで「オーウエリアンだ」と抗議している。夫人は、最近女性という言葉が色々な意味で使われるようになったため、女性の人権についての会話を始めるために掲げたのだと言っている。

四人の子持ちである夫人は「我々は『女性』という言葉が『ヘイトスピーチ』とされる新しいミソジニーの側面に立たされている。」と語る。「女性たちはもうたくさんだと思ってます。トランス活動家たちはこういうことをするんです。こうやって女たちを沈黙させるのです。」「何が起きているのか、みなさんに目を覚ましてもらいたいです。」

このトランス活動家によるとこのポスターは「トランスの人々を不安な気持ちにさせるもの」なんだそうだ。
トランス活動家によるフェミニスト弾圧という関係記事で、やはりイギリスのリーズ市で9月29日、フェミニストが性自認に関する法律改正について会合を開こうと予定していたものが、土壇場になって「トランスフォビック」とクレームが付き、市議会によってキャンセルされるという事件が起きた。

 

この会合を主催したのは、ウーマンズプレースUK(女性の場の意味)というフェミニストグループ。彼女たちは提案されている性自認法の改正にあたり、その影響について女性の声を聴くという話をしたかったのだと語っている。特に自称トランス女による女性刑務所における女子受刑者への暴行といった事件も含め、女性のみの場所にトランスを入れることの問題点について語りあう予定だったという。

しかしながら、反対派は彼女たちのグループを「反トランスジェンダー」とし、主催者たちはフェミニストやLGBTQのふりをしている差別者たちだと主張する。

主催者側は自分らはLGBTQの味方であり、正式な理由もなしに会合をキャンセルするのは民主的なやり方ではないと抗議している。
トランス活動家がフェミニストたちを攻撃するのは理解できるが、他のフェミニストやLGBTQの人たちがトランスにばかり迎合して女性の安全を犠牲にしてしまうというところが恐ろしい。

 

最後に、これに関して海外クリスチャン事情のブログ主さんがとても良いことを書いているので引用する。

「女性と自認するが男性器を持つ生物学的男性」がフルに「女性としての扱いを受ける」ことを要求し、女性に限定されたスペースの使用を求めるとき、そこに必ず不安や恐怖を感じる女性たちがいる。こんな、ごくごく当たり前のことを、多くの人たちがトランス活動家たちに遠慮して言えず、最後になって同じセクマイであるレズビアンたちが言い出すというのも、なんとも皮肉です。
私がクリスチャンさんの言うことで非常に感動したのがこの考察。「トランス運動の本質は男性的な「征服」と「支配」」というこの部分。
それにしてもこれらの事象からよくわかることがあります。それは、トランス運動の本質は、きわめて男性的な「征服」と「支配」にあるということです。
例えば、生物学的に男性としてあらゆる特徴を備えていながら「女性として自認」することのみをもって、周囲の全ての人間に対し、「自分を女性と認識しそのように扱え」と強要し、反対する者は片端から「フォブ」と指弾する。
 
また、自らの男性的特徴はそのままで、更衣室などの「女性のための空間」を次々と「侵略」していき、さらには「女性のためのスポーツ競技」さえにも進出し、女性競技者たちを打ち負かす。
なんのことはない、これって昔の征服者である「男」たちがやってきたこととまるで同じではないですか!他人をねじ伏せ、支配し、その領域に進出し、打ち負かす。
上記レズビアン活動家たちが、トランス運動は…..保守的な運動である。」
といみじくも看破したのも、偶然とは思えません。

 


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非常識が自由だと思ってる勘違いフェミニスト

先日ツイッターで、kiyomi@国際例愛コラムニストという人のこんなつぶやきを見た。

次アメリカ行くまでバイトでもしようと思って派遣会社の面接に行ったら服装は自由だけど男性職員もいるから露出のあるキャミソールみたいな服装は駄目って言われた。なにそれ。男のせいで女性の服装が制限されるの?おかしくない?やっぱライティング続けようかな。

久しぶりに日本の男尊女卑な一面を目の当たりにして怒りが収まらないよ。男性職員がむらむらしちゃうから女性の服装を制限するって根本的に間違った考え方だし、そんな糞ルールに疑問を持たない企業が存在するんだね。いつまでこの国は男性基準なの?

最近ちょっとやっぱり日本も悪い所だけじゃないんじゃないかな、日本に住むオプションもありかなと思ってたけど、自分は間違ってた。怒りを通り越して悲しい。男性職員がいるから露出は駄目っていうのを女性スタッフから伝えられたんだけど、女性同士で首絞めあってどうするの?もちろん彼女も仕事の一環としてやってただけだけど、日本人女性はこの男尊女卑社会に慣れすぎてるよ。これ普通じゃないよ。この国の人たち、女性差別について認識なさすぎ。本当怒りっていうか悲しいわ。

こういうことを男尊女卑とか女性差別に結び付けるのはかなり無理があるだろう。派遣会社の面接にキヨミさんがどんな格好で行ったのかは知らないが、彼女が女性だったから女性の服装について注意事項を言われただけで、これが男性だったら多分、「服装は一応自由ですが、Tシャツや半ズボンは控えてください。」くらいのことは言われたと思う。確かに面接の人が「男性職員もいるので」という言い方をしたのは日本的かもしれないが、事務の職場でカミュソールとか、いくら何でもおかしいと気づくべきだ。

最初、私は彼女のプロフィールを読んでいなかったので、働いた経験のない大学留学を目指している10代の若い子なんだろうと思っていたら、彼女のプロフィールを見て驚いた。

アメリカ人夫とカナダで結婚。初めて出来た彼氏はオーストラリアワーホリで出会ったホームレスのドイツ人。ニュージーランドワーホリではトルコ人彼氏に殺されかけた。ブログで国際恋愛、ビザ申請、日本の変なところについて書いてる。国際結婚のリアルを晒すよ。

また、ブログでの自己紹介は、

国際恋愛コラム二スト。 中学生の時に初めてアメリカにホームステイに行き、海外でも生きていける事を知る。20歳の時に日本で働く事に希望を見出せずワーキングホリデーに行く。ホームレス生活やヒッピーコミューンでの生活を経験。2017年アメリカ人パートナーと結婚。アメリカ移住の為に配偶者ビザ申請中で国際遠距離別居婚真っ只中。

色々海外で経験している割にはずいぶん常識ないなあというのが私の感想。ただ、ワーホリビザは働くことも出来るというだけで、必ずしも仕事をしに外国へ行っているわけではないので、オーストラリアやニュージーランドやカナダに一年づつくらい住んだことがあるくらいでは、実際そういう国々で働くということがどういうことかきちんと理解しているかどうかは解らない。

彼女に言わせると日本社会にはおかしな常識がありすぎて窮屈だという。私はアメリカのことしかわからないが、確かにアメリカに比べたら日本の職場はかなり窮屈なのかもしれない。私も一度アメリカに住んでから一時帰国して一年ほど日本の小さな企業で働いたことがある。あの頃の日本はかなり男尊女卑だった。お茶くみや机拭きやトイレ掃除は女子社員が交代でやっているような職場だったし。もっともこれは30年以上も前の話なので、今のことは解らないが。

しかしアメリカの職場が日本に比べて窮屈でないとはいえ、それなりの規則はある。服装ひとつとってみても職場によって色々ある。いや、それをいうなら同じ職場ですら職種によって服装は変わってくる。

例えば私の勤める会社にはセールスとエンジニアと事務系で服装は全く違う。顧客と接することのないエンジニアなどは男でも女でもTシャツとジーンズで出社しても誰も何もいわない。これがセールスやマネージャーになると女性も男性もスーツ姿で、男性はネクタイ付きだ。事務の女性たちはドレスやスカート姿でかなりオシャレな恰好をしている。それでもエンジニアなどカジュアル着が許されている職種でもタンクトップや半ズボンや超ミニで来る人はいない。特別に規則があるわけではないが、これは暗黙の了解というやつである。つまり常識ってやつだ。

実は私も職場で半ズボンを履いていて怒られたことがある。出張の帰りに本社に物を取りにちょっと寄っただけだったので、旅行の恰好をしていたのだ。事情を知らない違う部署の人から怒られたので、ちょっとむかついた。しかし同時にやはり半ズボンは規則違反なんだなと実感した。(笑)

数年前に新入社員の女性から服装に関する問い合わせがあった。彼女は翌日から出社予定だが、どんな格好で出勤すればいいでしょうかという質問をしてきた。自分からこういう質問が出来るひとは、常識を弁えている人だから、別に「露出度の高い服装はしないように」などと言わなくてもきちんとした格好でくる。そうかと思うと、やはり新入社員ですごいのが居た。若い女性でタンクトップに超ミニ、そしてなんとつっかけサンダルといういで立ち。これには男性の上司もびっくりして、「私から言うとセクハラだとか言われかねないので、カカシ君(女性)から注意してくれないか」と頼まれたことがある。

そう、アメリカのフェミニストも怖いから、最近は女性の服装を注意しただけで男尊女卑だ女性差別だと怒り狂うキヨミさんみたいな人に逆切れされる可能性はある。裸でも仕事が出来ればいいじゃないか、とキヨミさんは言うが、確かに自分ひとりだけでどっかの研究室に閉じこもってやってるならそれはそれでいいだろう。だが、周りの人の気持ちも考えるのが社会の礼節を保つ常識というものだ。これは女性にも男性にも求められるものだ。

つけたし:外国人の男性とばかり付き合っているということを自慢気に言うのはどうなんでしょうねえ。ま、国際恋愛のエキスパートということだから、経験豊富という売りにはなるんだろうが。


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人気料理番組司会者の自殺と被害者を気取ってたミートゥー運動率先者の不思議な関係

先日、ハリウッドのミートゥー運動を率先していた女優/監督のアジア・アージェントが実は数年前に当時17歳だった未成年の俳優に無理やり性交を強制したという記事がこともあろうにニューヨークタイムスに掲載された。私は最初から彼女が悪名高いハリウッドプロデューサーに「強姦」されたという話は胡散臭いと思っていた。何故かと言うと彼女はその後、自分を「強姦」したとするワインスタインと数年にも渡り関係を続けており、アメリカにおける彼女の映画監督としてのキャリアにワインスタインは少なからず貢献していたからである。これはセクハラではなく単なる枕営業なのではないか、と私は思ったわけ。そんな彼女が犠牲者ぶってミートゥー運動の率先者的活動をしていたことを胡散臭く思っていたのは私だけではない。

今回の事件が公になる二か月ほど前に、実は全く別の事件によってアージェントの人柄を批判する記事をリア・マックスィーニーという人が書いていた。題して“Can We Talk About Toxic Femininity?”(毒ある女について話してもいい?)というもの。

皆さんはアンソニー・ボーデインという料理評論家をご存知だろうか?彼は二か月前まで人気テレビ旅番組の司会をしていた。この番組はボーデインが世界各国を旅してまわり、その土地の地元料理を色々紹介するというもので非常に人気があった。その彼が二か月前、番組制作中のロケ地のホテルで自殺しているのが発見された。彼の突然の死にアメリカのファンたちは非常なショックを受けた。元々彼は薬物依存症だった過去もあり鬱(うつ)病に悩んでいたという話もあるので、ストレスがたまっていたのかもしれないという憶測は色々されたが、直接の原因が何だったのかは想像の域を出ない。しかし、彼の死はその当時彼が付き合っていた女性とその友達と深くかかわりがあるとマックスィーニーは言う。

実はこの時ボーデインが付き合っていた女性というのが誰あろうアジア・アージェントで、その親友というのがローズ・マックガワン。二人とも去年10月にニューヨーカーで掲載されたハリウッド大物プロデューサー、ハービー・ワインスタインのセクハラや強姦の犠牲者になった13人の中に名前が連なって記されていた。その後二人はミートゥー運動の筆頭者として活発に活動していた。ボーデインの死後、メディアは何故彼が自殺したのかという話よりも、彼の恋人とその友達のアージェントとマクガワンがいかにしてフェミニストの代表者になったのかという話に焦点を当てるようになっていった。それはボーデインをさんざん利用した挙句に裏切り、今も彼の死を利用し続けている二人の毒女たちにはふさわしくない扱いだとスィーニーは言う。

アージェントはイタリアはローマで生まれ、イタリアでも指折りの芸術家族の中で育った。父は有名な映画監督で脚本家のダリオ・アージェント。母は有名な女優ダリア・ニコローディ。そのほかにも有名な歌手や作曲家が親戚にいくらも居る。

ニューヨーカーに載った彼女のワインスタインとの体験談にしても、アージェントは自分が制作する映画についてワインスタインに相談に行った時に、ワインスタインからオーラルセックスを受けたというもの。しかも彼女は早く終わってほしいと思ってオルガズムを演じたという。彼女自身も認めているように、彼女は別に脅迫されたわけでも暴力で強制されたわけでもない。しかもその後数年間何度もワインスタインとデートを重ねている。いくらなんでもこれを「強姦」と言うのはおかしいだろう。彼女が20年間沈黙を守った理由は、その話をすれば自分はワインスタインに潰されると思ったからだと語っているが、もともと彼女はイタリアで活躍しており、有名監督の娘でもあり、コネはいくらでもあっただろう。いくらワインスタインが力のあるプロデューサーでもそう簡単につぶせるような立場の女性ではない。彼女が20年間沈黙していたのは、ワインスタインにはまだまだ利用価値があると思ったからだろう。

それが20年後の今日、自分を犠牲者とすることで、サバイバー(生存者)として颯爽と脚光を浴びるに至ったのだ。

ボーデインとアージェントが出会ったのは2年前、ボーデインの番組にアージェントがゲスト出演した時だ。長年連れ添って娘も居た妻と別居中だったボーデインは即座にアージェントに恋をした。自分のSNSには何枚も彼女の写真が愛のこもったコメントと共に掲載されていたそうで、ボーデインがアージェントにぞっこんだったことは誰の目にもあきらかだった。

ボーデインは人気司会者というだけでなく芸能界ではかなり影響力のある人だったようで、アージェントのキャリアにも積極的に応援し、彼女がテレビ歌謡コンテストの審査員の座を得るのを援助したり、自分の番組のエピソードを監督させたりしていた。また彼女とマックガワンのミートゥー運動も大いに力を貸していた。

しかし、ボーデインが自殺する数日前、40代のアージェントが28歳というずっと年下の若い男といちゃついている写真がゴシップ誌に掲載されてしまったのだ。アージェントは必至にこの写真を取り消させようとしたが無駄だった。その直後、アージェントはシッド・ビシャスの絵のついたTシャツを着て写真を撮り、”Fuck Everyone”(みんな死んじまえ、のような意味)「誰のことかわかるでしょ!」と添えて自分のインスタグラムにアップした。その数時間後ボーデインは首を吊った。アージェントはすぐに写真を削除した。

ボーデインの自殺がアージェントに裏切られたことによるものだとするのは言い過ぎだろう。失恋ごときで大の大人が自殺などすべきではない。だが、もともと鬱で悩んでいたボーデインがこの裏切りによって落ち込んだことは間違いないわけで、それが最後の一藁だった可能性は否めない。

ボーデインの死が確認された数時間後、アージェントは恋人を失った悲劇のヒロインよろしく自分のSNSにボーデインについて書き連ねた。これがアメリカメディアにも大々的に取り上げられた。何故、たった一年ちょっとしか付き合っていない彼女にばかり同情が集まり、別居していたとはいえ11歳の娘までいる未亡人は無視されるのか。アージェントはボーデインの死の話を恋人を失った自分の話へとすり替えようとしていた。自分の名声のために彼の死まで悪用していたのだ。

この記事を書いたマックスィーニーは「犠牲者を責めている!」「セカンドレイプだ!」などとかなりの批判を受けた。しかし実際にアージェントがどんな毒女だったかは、その二か月後の今日、被害者気取りのアージェントこそが加害者だったという事実の発覚によって明らかになったのだ。

アージェントは数年前に未成年の俳優に強制的に性行為を施し、口止め料を払っていたことが暴露された。これにたいするアージェントの行動というのがまたまた卑怯なのだ。アージェントは自分と青年との間に性関係はない、だがスキャンダルを恐れたボーデインが自分のために青年に支援金という形でお金を払っただけだと、死んで言い訳の出来ないボーデインにすべての罪を擦り付けようとしている。

こんな女が代表面していたミートゥー運動なんて、もう誰も注意を払わなくなるだろう。そろそろみんな疲れて来たしね。ハリウッドてのは本当に偽善者の集まりだ。

 

 

 


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理解しがたいトランスジェンダーの「同性愛」嗜好

ちょっと変な短編映画を二作見てしまった。ユーチューブでたまたま出くわしたので題名も何も覚えてないのだが、二つともテーマが女性から男性に移行した人たちが男性に恋をするというものだったのでちょっとお話したい。

最初の映画の主役はゲイの男性で、男性だと思って付き合いはじめた人物が実は元は女性のいわゆるFTMであることを知って戸惑う話。主人公がFTMの子の友達と会うシーンでは、みんなLGBTQ+の訳の解らない代名詞を使うことを主人公に要求。ゲイの主人公は「僕にはわかんないよ、僕は『正常』な人間だから!」と言うシーンは笑ってしまった。男の人を好きになるゲイの男性が普通というのがトランスの世界なのである。これはもしかしてトランスジェンダーやノンバイナリーとかいう訳の解らん連中をおちょくったパロディ映画だったのかもしれない。

もうひとつの方は、主人公の男性が男と思って付き合った人間が、ゲイバッシングでさんざん殴る蹴るの暴行を受け病院に運ばれる。そこで恋人が実は女だったことが解り主人公は吐いてしまうほどショックを受ける。しかし相手がFTMであることを受け入れた主人公は、再び恋人と付き合うようになるが、いざセックスをしようとしたら実は主人公もFTMであったことが解って今度は恋人の方が拒絶する。その恋人は「僕はずっと普通の人として溶け込みたいと思っていた。」と言って去っていく。

私はこの結末を予測していたので驚きはしなかったが「なんでだよ~!」という気持ちでいっぱいだった。生物学的な女性が男性に魅力を感じるならそれは普通ではないか?男性/女性であるということの基本は異性に対する性欲であるはず。だからこそ同性愛者は異質な存在なのであり少数派として扱われてきたのだ。それが異性に愛情を感じるのに自分は異性だと思い込むというのはどういうことだろう?しかも「普通の人間として溶け込みたい」人が、わざわざ社会が異質と思う性転換という行為に及ぶというのはどういうことなのか?異性が好きならそのままの状態で異性と付き合えばいいだけの話。そうすれば普通の人間として社会に溶け込むことが出来るではないか。それが普通なんだから。

ところで最初の映画で主人公と恋人がどのようにセックスすればいいのかを悩むシーンがあった。だが、二人は生物学的な男女カップルなので、普通にすれば全く問題ないと思うんだけどね。人間はそういうふうに出来てるんだから。

余談だが、私の美容師はゲイの男性だがもう孫が何人も居るおっさん。それというのも男と思ってナンパした子が実は女性で、一回きりの交渉で女性が妊娠してしまったからなんだそうだ。彼の場合、相手が異性とわかっても特に拒絶反応は起きなかったらしい。その後その女性とは結婚はしなかったが、母子とはずっと家族として付き合ってる。だから孫たちからも慕われている。

自称トランスの人々は、どうして生まれたままの性を受け入れることができないのだろう?同性に愛情を感じるというのは感情の問題なのでどうしようもないが、自分が女性/男性として生まれたことは単にそれを受け入れるだけで何の弊害も生まれない。好きな人が同性でも異性でも今の時代特に問題はない。異性のような恰好をしたいならすればいい。制服などで規制されている場合は臨機応変に対応し社会になるべく迷惑のかからないプライベートな時に男装なり女装なりを楽しめばいいではないか。

私が同性愛者に関しては全く嫌悪感を覚えないのにトランスジェンダーを受け入れられないのは、彼/彼女たちが自分らの異質な嗜好を他者に押し付け拒絶されると、ありのままの自分を受け入れてくれない、といって駄々をこねるからである。

ありのままの自分を最初に拒絶したのは誰あろう自分たちなのに。


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