自分をレズビアンだと言う男は強姦魔だ!

LGBTの間でも昨今色々な亀裂が生じているという話は過去にも拙ブログで書いてきた。特にレズビアンコミュニティーがMTF(女装男子)から非常に悪質なセクハラを受けているという話は「ノープラットフォームやヘイトスピーチは言論弾圧の合言葉」でもした通り。実はその話を書こうと思っている間にイギリスで自称トランス女の男子受刑者が女子収容所に移された結果そこで数人の女性受刑者を襲うという事件が起きた。

イギリスのヨークシャー市にあるニューホール刑務所で自称トランス女の男子受刑者は、去勢手術を受けていないにも拘わらず自分は過去二年間女として生きて来たと主張し、イギリスのアホ裁判官を言いくるめて女子収容所に移された。ところがこの男、女子収容所に入って三日後に女子受刑者に言い寄った。被害者によると男のアソコはあきらかに勃起していたという。添付先のザ・サン紙は男のことを「彼女」と書いているが、どこの世界に女性に勃起した一物を押し付けてくる「彼女」が居るのだ?

記事によると強姦とまではいかなかったものの、男は合計四人の女子囚人に性的に迫り、その度に勃起していたとそれぞれの被害者が語っている。どうして四人も被害者が出るまで当局が何もしなかったのかは不明。

イギリスの刑務所でトランス女だと主張した男が女子収容所に移された後に女子受刑者を襲うという事件はこれが初めてではない。去年も二人の女性を強姦した罪で受刑中の男がトランス女だと主張して女子収容所に移動を許された途端に女子受刑者の脚を触るなどのセクハラを行ったとして問題になった。この男も去勢手術を受けていなかった。

現在2017年三月の段階でイギリスとウエールズでは125人のトランスジェンダー受刑者が居り、前年の70人から45人も増えている。

イギリスでは医学的に性同一障害だと診断され二年間女性として暮らしていれば、戸籍上の性別を正式に変えることができる。この規則が男子受刑者を女子施設に移す際の基準となる。トランス女と認められると受刑者には色々な特権が与えられる。例えばトランス女囚人は看守からの捜査や言葉使いなどで特別扱いされる。また洋服やシャワーの時間やプライバシーなどもかなりの自由が与えられる。こんな特別扱いが受けられるなら、トランスジェンダーを装う受刑者が増えるのは当然だろう。急激に増える自称トランス女の対応に刑務所は色々な対策を取らざる負えない状態にあるという。

また、イギリスでは1999年に初めてトランス受刑者の性適合手術権利が与えられた。誘拐罪で終身刑を受けていたジョン・ピラー(当時64歳)他5人の受刑者が国民保険で性適合手術を受ける権利をめぐって訴訟を起こしたのである。

スコットランドでは、女子収容所に入れられたトランス女が自分の部屋で他の女子受刑者とセックスしているところを見つけられたにもかかわらず、国民の血税2万ドルを使って性適合手術を受ける予定は変わっていない。この男は2013年から殺人の罪で受刑中である。

さて、こうした背景があるなか、今月初めに行われたロンドンのゲイプライド大会で数人のレズビアンがトランスジェンダーに抗議をし一時的に行進を阻止するという事件が起きた。

ゲイプライド行進を邪魔したのは8人のレズビアン活動家で、彼女たちはゲイプライド行進にトランスジェンダーを含むことに抗議していた。彼女たちは「トランス活動はレズビアンを抹消する」「レズビアン=女性同性愛」などの旗を持って行進の行き先をふさいで10分間ほど邪魔したが、警備員によって取り除かれた。

彼女たちは口々に「自分をレズビアンだという男は強姦魔だ!」と叫んでいたという。

この他にも、ゲットザLアウト、オブジェクト、メイデイ4ウイメン、クリティカルシスターズ、レズビアンライツアライアンス(Get The L Out, Object, Mayday 4 Women, Critical Sisters and Lesbian Rights Alliance)と名乗るレズビアンたちが参加者に、プライド行進の参加者を拡大したことにより、レズビアンたちが虐げられ、彼女たちがあたかも変態であるかのように扱われていると抗議した。あるビラには「トランス活動はレズビアンに男とセックスすることを強要しようとするものだ。我々は革新という名に扮したこのような悪どい行為を断固許さない」と書かれていた。

また他の活動家は「トランスジェンダーリズムはコンバージョンセラピー(同性愛を治す治療)だ。コンバージョンセラピーは間違っている。」と述べ、「女性のみがレズビアンになれるのだ。手術をした男は決してレズビアンにはなれない!」と語った。

昔はLGBと言われていた同性愛及び両性愛者たちの活動が、最近になってトランスジェンダーだのノンバイナリーだのと訳の解らない人々まで含むようになり、いまでは LGBTQIA+という嘘みたいな名前の活動になっている。それで拡大一方のLGBTQIA+と従来のLGB、特にレズビアンたちとの間で少なからぬ衝突が生じているのだ。

レズビアン活動家たちから言わせると、レズビアンは生物学的な女性とのセックスを好むのであり、ドレスを着て居ようとどうしようと手術も受けていない男を女として認めるわけにはいかないと主張したところ、プライド行進の主催者から疎外されたという。

トランス女たちが女子施設使用を強要しようとする度に、常識人は普通のトランス女と変態の区別がつかなくなると言って反対してきた。しかし私は最近トランス女こそが変態なのだと思うようになった。自分がトランス女だと言い張る大半が上記の囚人たちのように単に女子施設に入り込んでわいせつ行為を行いたいだけの犯罪者なのだと思うようになった。確かに中には本気で自分を女だと思って男性と付き合ってる人もいるのだろう。だが、自分はトランス女でレズビアンだと主張する男はこのレズビアン活動家たちが言うように強姦魔だと思って間違いない。

過激派レズビアンがまともに見えるこの現状は、まさしく悲しい。

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フェミニスト「トランスジェンダーのために女性の人権を犠牲にするな!」

私は以前から生粋のフェミニストたちの間で、トランスジェンダー優先の動きに懸念を示す人々が増えているという話をしてきたが、今回もトランスの人権を優先するあまりに、女性が長年かけてかろうじて得たもろい人権が脅かされつつあると主張する記事を見つけた。

ザ・エコノミストに載ったTrans rights should not come at the cost of women’s fragile gainsというのがそれ。著者はサラ・ディタム(

最近イギリスの癌センターで子宮癌についてのパンフレットに「子宮頸部(しきゅうけいぶ)のある人のために」という言葉使いを見つけディタムはその不自然さを感じた。なぜ単に「女性のために」と言わずに「子宮頚部のある人のために」というおかしな言葉使いがされているのかと言えば、MtFのように生物学的には男性なのに女性だと思ってる人間には子宮がないから、すべての「女性」に子宮があるとは限らないというのがその理由。同じ理屈で難民センターにいる女性たちのために生理用のナプキンやタンポンの支給をするにあたっても、女性用とせずに「生理のある人」用といって支給されたのだそうだ。イギリスのグリーン党では有権者の女性を対象にする際も女性と言わずに「男ではない人」と表現している。あたかもトランスジェンダーの台頭によって「女性」が消えてしまったかのようだ。

ディタム自身も左翼であることから、トランスジェンダーに対する虐待や医学界における無理解さには十分同情を示している。しかしながら、なぜかトランスの矛先は圧倒的にフェミニストに向けられ女性の空間や女性のためのサービスがその攻撃対象となり女性という言葉の意味すら変えられつつあるとディタムは憂う。

例えば、同じ癌でも男性のみに起きる前立腺癌の場合は医学界でも「男性のため」と表現されており「前立腺のある人」という言葉使いはされていない。何故男は男のままなのに女を女と呼んではいけないのか。

職場における男女格差は深刻な問題であり、妊娠が女性の出世の妨げになるといった問題を言及するにあたり、妊娠及び育児を女性と結びつけずに男女格差をどのように語れるというのか?トイレや更衣室と言った場所に関しても、男子トイレはそのままで女子トイレだけが多目的になったり医学的な男子であるMtFが女子スポーツに参加して女子選手を圧倒するなど、なぜ犠牲になるのは常に女性なのか? なぜ中性主義というと必ず女性が犠牲になるのか、とディタムは問う。

カカシは左翼フェミニストではないがディタムの言い分はもっともだと思う。

偶然だが、先日ロンドンで行われたゲイプライド行進では、少数とはいえフェミニストによるトランスへの抗議デモが行われた

この「Lを除け」(Get the L Out)という運動を率先しているのは、医学的性と自意識が一致している普通の女性であるレズビアン団体でトランス主催のゲイプライド運動に抗議する女性たちである。ゲイプライド行進を主催したゲイたちからすれば、彼女たちの行動は「衝撃的で忌まわしい差別主義で無知蒙昧な許しがたき行為」ということだ。トランスの間ではトランスの存在に否定的なレズビアンのことを*TERFなどと言って侮っている。これについては拙ブログの過去エントリーで説明している。TERF/ターフtrans-exclusionary radical feminist. トランス阻害過激派フェミニストという意味のトランスによる造語。

添付先の記事は後退派左翼のサイトからの引用だが、彼らは一部のレズビアンが主張するような、トランス運動がレズビアン運動を脅かしているという考えは神話だと主張する。「自称レズビアン」による「女装男は強姦魔だ!」とする考えは医学的な女性以外はレズビアンにはなりえないというレズビアンによるトランス女への偏見であるというのである。
医学的な男が医学的な女性に性的魅力を感じるならば、彼がドレスを着ていようとどうしようと、彼はレズビアンではなく単に女装趣味の異性愛男性である。
ところでこのエントリーを書いている途中に、イギリスの女性歌手アリソン・モエットが 自分のツイッターに「私は誰もが自分が好む代名詞を使う権利を尊重し弁護もするが、私の代名詞は⋆シスではない…私のような人間が『女性』というタイトルを得るためには長い苦労があった。女性で十分だ。」と書き込んだところ、トランス連中からひどい誹謗中傷の攻撃があった。そのあまりのすさまじさに、彼女は一応謝罪表明をし一か月間ツイッターを自主謹慎すると発表した。(*カカシ注:シスというのはトランス連中が作り出した造語のひとつで、生物学的な性と自意識が一致している正常な人間のことを指す。)
まったくトランス過激派ってのはどれだけ女性を虐待すれば気が済むのだろう?奴らは自身が女性どころか女性の存在そのものを否定する男尊女卑者だと添付先の記事の著者ブランドン・オニールは言う。(Brendan O’Neill)
「(トランス及びその仲間たち)君らが女性が自分を女性と呼ぶことを侮辱するなら、君らの陰謀は失敗した。君らは自分たちを革新派だと言う権利を失った。」

 

 

 

 


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思春期前後の「性転換治療」は幼児虐待だ!

最近後退派左翼過激派の間では大人によるトランスジェンダーどころか年端も行かない未成年しかも思春期前の少年少女に異性ホルモンや思春期停止ホルモンの投与をして子供のトランスジェンダーを生み出すことが流行っている。先日も私は10歳の男児が自分はトランスキッズだと言ってけばけばし厚化粧をして自慢げにツイッターに投稿している気持ちの悪い映像を見せつけられた。子供がお遊びでやっているのならともかく、周りの大人がその異常行為をたしなめるどころか奨励及び促進しているところに問題がある。これにホルモン投与などが加われば、これはもう幼児虐待以外の何物でもない。

思春期前後の少年少女が初めて持った自意識に困惑するのは普通である。それまでは子供として自分の存在に何の疑問も持たずに暮らしてきたのに、ある日突然、自分というものに気が付く。そうするといったい自分は何者なんだろうという人生の岐路となる大切な疑問を持つようになるのだ。この時期を何事もなく何も悩まずに通り過ぎる人間は先ずいないだろう。人はこの関門にぶち当たり色々悩んだ末に大人になっていく。

しかしこういう多感な時期に、何故自分がこんなにも不幸だと感じるのか、何故自分であることに違和感を持つのか、と悩んでいる少年少女が、性転換をしたらすべての悩みが解決したなどというユーチューバーのビデオに遭遇したらどうなるだろうか?自分がこんなふうに感じるのは自分が間違った性に生まれたからなのではないか、性転換をしたらすべて悩みが解決するのではないか、と錯覚を起こす少年少女が居たとしてもおかしくはない。特に自分の性嗜好が回りの同年代の人々と違うように感じた場合には、もしかして、と思ってしまうのも理解できる。しかし問題はその悩みをどうするかにある。

本来ならば、こういう悩みを抱く少年少女を正しい道に導くのが回りに居る大人の責任だ。普通の子は放っておけば自然に通り過ぎる。だが多感な子はこの時期が一番危険でもある。だから普通以上に落ち込んでいる青少年には適切なカウンセリングが必要だ。

実をいうと私も思春期の頃、男の子にあこがれるあまりに、自分も男の子だったらよかったのにと思ったことがある。それで髪の毛も男の子のように短くしデニムの上下を着るなどして、周りから男の子と間違われたりすると、自分があたかも秘密のアイデンティティーを持っているようで興奮したものだ。しかしこれは、あくまでも私が普通の異性愛者だったゆえ、異性である男の子の格好良さを意識し始めていたからにすぎない。

もしあの頃の私が今のような悪い意味での情報過多社会に生き、人気トランスジェンダーユーチューバーのビデオに遭遇していたら、そして周りの大人たちにトランスは格好いいと常に洗脳されていたら、いったいどんな取り返しのつかないことをしてしまっていただろうかと思うと考えただけでも恐ろしい。

事実幼児や思春期に異性ではないかと悩む子供たちの80%以上が、思春期を超えると自然に神から授かった性を受け入れるようになるという。だから自分はトランスなのではないかと悩む子供たちの親は、即座にホルモン治療などを受けさせず、他の活動をさせるなり、きちんとした精神科のお医者さんに悩みの根底は何なのか、しっかりカウンセリングしてもらうなりせねばならない。

だが、このカウンセラーは即座に性転換を進めるいわゆる「トランス専門家」ではなく、小児科や小児専門の医学的カウンセラーでなくてはならない。

即座にホルモン治療などをせずに親が親身になって色々な活動に参加させて女性としての自覚を取り戻した例がザ・アトランティックで紹介されている。題して「子供が自分はトランスだと宣言したとき」。

この記事では14歳のローリーという少女が自分の思春期の悩みを自分がトランスだと錯覚し、それを両親に告白したところ、両親はトランス治療を受けさせる前にローリーをインターネットから離してアウトドア活動に連れ出し、極力彼女の気が紛れるように努めたところ、ある日突然ローリーは自分は女の子だと自覚したという話。この記事の著者ジェス・シンガルはその記事の書き方から決して右翼保守ではない。きわめてトランスジェンダーに対して同情的な姿勢を取っている。だが、こと思春期のこどもに関しては、少し経つと自然に自分の性を受け入れる率が非常に高いことでもあり、子供が自分はトランスだと宣言したからといって即座に医療的な措置を取ることの危険性について書いたにすぎない。

だが普段どれだけポリコレに服従していようとも、多少なりとも左翼絶対主義から外れたこの記者に対し、過激派からの批判は迅速かつ壮絶であった。ザ・デイリー・ドットに載った「なぜトランスに関して間違った報道をしたジャーナリストが更なるトランスフォビアを拡散することが許されるのか?」と題したこの記事などが典型。

著者のアレックス・ダルビーはシンガルの記事の題名そのものにひっかかっている。ダルビーは「子供がトランスジェンダーだった時」とせずに「子供がトランスジェンダーだと宣言した時」とすることで子供が自分がトランスであることを自覚できないという先入観を抱かせると書く。

ダルビーはローリーの両親がネット情報からローリーを隔離しトランス治療を拒絶した結果ローリーが女性だと自覚したことは「よく耳にする恐ろしい話」だと言う。ちょっと待った!女の子として生まれた子供が自分は女の子だと自覚するに至ったことの何が恐ろしいのだろうか?もしトランス活動家がいうようなトランスに対する差別や虐待が真実だとすれば、自分の子供がそんな状況に至らないように極力努力することの何が恐ろしいことなのか?

ダルビーによれば、自分はトランスではないかと思う子供は即座にトランス専門家の世話になるべきだとのことだが、これらの専門家にはなるべく多くの性転換者を増やしたいという下心があることも忘れてはならない。カウンセラーと言われる人々が性転換医療で金儲けをしている業者と密接な関係がある場合は多いのだから。

ダルビーが言うように、自分がトランスなのではないかと悩む子供たちを即座にトランスだと診断して性転換治療を始めてしまったら、八割強居ると言われる思春期後に自然に自分の性を受け入れるはずだった子供たちの将来はどうなるのか?思春期の気の迷いで乳房や睾丸を取り除いたり成長阻止ホルモンを摂取してしまって生殖機能を失ったり発癌の可能性を高めてしまったうえに、自分はやっぱり生まれたままの性でよかったのだと気づいた子供たちの人生を誰が弁償するのだ?

トランスの人々はありのままの自分を受け入れてほしいとよく言うが、ありのままの自分を最初に拒絶したのは他ならぬ自分なのだということを忘れている。トランスジェンダーほど男女のステレオタイプや男女の差を意識している人々もいない。もし男女が平等であり男女に全く差がないという従来のリベラル派の考えが正しいのであれば、男っぽい女や女っぽい男がいてもいいはず。なにも無理して危険な医療処置を受けて異性に似た格好や振る舞いをする必要はないはず。

女でも筋力逞しく男顔負けの運動神経を持っていて何がわるい?男でも繊細な感性を持ってデザインやファッションの仕事をして何がわるい?自分が持って生まれた外見にそれほどこだわらなければならない理由は何?そしてそれを年端も行かない自己意識が確立していない思春期間際の子供たちに押し付ける動機は何なんだ?

ダルビーは性別には色々あり二者択一ではないという過激派思想を持っている。自分は異性であるべきなのではないかと疑問を持つ子供に対して、それは違う、お前は生まれたままの性を受け入れるべきだとする教育が彼女には許せないのだ。だからダルビーのような過激派は子供が自意識に疑問を持ったその時点で、子供の気がかわらないうちに、なるべく早くトランスへの道を歩ませようとする。

ダルビーの記事からは、最初からトランスジェンダーに関して自分と違った考え方は弾圧されるべきだという姿勢が見え見えだ。題名からしてシンガルが記事を書くことがなぜ「許されるのか」としていることからして明白である。

彼女に言わせると、思春期のトランスに関する思い違いは子供が成長するにつれ消えていくという思想そのものが許せない。そんなことを言う人間の言論は弾圧されるべきとの考えなのだ。

さらに危険なのは、シンガルのようなシスジェンダー(生物学的性侮蔑と意識が一致している)でトランスについて間違った記事を書いてきた過去のある人間にこの件について書くために雇われたということだ。

ダルビーは、他にいくらもトランス専門家がいるにも拘わらず、わざわざトランスは異常だという考えの記者に調査をさせたということ自体に腹を立てているようだ。しかしこういう「専門家」のアジェンダは、子供の悩みを解決することではなく、より多くのトランスジェンダーを勧誘することでしかない。ローリーの両親がこういう自称専門家から娘を遠ざけたのは非常に賢明な行動だった。

18歳以上の大人が自分の意志で野蛮な「性転換」処置を受けるというのは本人の勝手だ。しかし未成年が自分の人生を変えてしまう不必要な医療措置を両親が許可することや、ましては奨励することは幼児虐待以外のなにものでもない。

 

 

 


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伊藤詩織が逃した本当の意味での強姦被害者救済

前回述べた伊藤詩織さんに関して私が非常に残念だなと思うのはこの件が反保守政権という政治がらみになってしまったことで、本当の意味での強姦犠牲者救済の妨げになってしまったのではないかという点だ。

もし彼女が本当に強姦の被害者だったと仮定した場合、彼女が警察や強姦被害者相談所から受けた扱いはあまりにも酷過ぎる。もし彼女が日本における強姦被害者対策を改善しようとして、あえて恥をしのんで名乗り出たというのであれば、山口氏を名指しで責めたことや、安部首相との関係を匂わせたことはかえって逆効果だったのではないだろうか。

私も日本で生まれ育ち21歳まで日本に住み日本で働いていたこともある。中学高校は電車通学で痴漢には毎日のようにあった。たった一年務めた会社でも上司から胸を触られるといったセクハラを受けたこともある。だから日本において女性が多少なりとも性犯罪やセクハラに悩まされているという詩織さんの発言はまんざら嘘だとは思わない。ただカカシが日本を後にしてアメリカに移住したのは1980年代のことなので、その後30何年たった今でも多々の面で変わった日本が性犯罪に関してだけは全く変化がないと考えるにはちょっと無理がある。

詩織さんが加害者とする山口氏に関しても不起訴処分になったから彼が無罪だとは言い切れないが、はっきり言って詩織さんの場合は警察がかなり時間と労力をついやして捜査をしてくれたと思う。日本の検察は一年余りにも及ぶ捜査の末不起訴と決断を下した。私から言わせれば、警察がそこまでやってくれたという点で彼女はまだ幸運な方だった。

アメリカの警察は犯罪率が日本よりも高いということもあって、確実な証拠が取れないと判断した件に関してはほとんど捜査などしてくれない。私の家は一度泥棒に入られて多額の宝石を盗まれたが、被害届は出したものの警察は全く捜査などせず、それっきりになった。結婚詐欺にあって何万ドルも騙しとられた知り合いは、警察が男の居る場所解らないといって捜査を放り投げたと言っていた。彼女がちゃんと男の住所を警察に届けてあり、男はまだそこに住んでいたにも関わらずである。おしうりをアパートから追い出そうとして殴られた友達は被害届を出しに行ったら、押し売りが先に友達から殴られたと被害届を出していたため、どっちもどっちでわからないと警察から相手にされなかった。

ということがあるので、欧米で強姦被害の告発率が日本より高いからといって、では起訴される可能性も高いのかと言えばそれはそうとも言えない。BBCが国営放送局であるイギリスでも強姦告発率が高いと言っても、それがどのくらいの率で起訴にまで及ぶのか、イギリスでの被害者への対応はどうなっているのかが解らないと、一概に日本より環境が良いとは言えないと思う。(加害者がパキスタン人だと警察は相手にもしてくれないという事実もあるし。)

もっとも外国がどうのこうのということよりも、現在の日本の状況が強姦被害者への対策不十分であるという点は否めない。日本社会は被害者対策を改善する必要がある。BBC番組で取り上げた日本社会の問題点というのは、

  1. 日本の警察には婦人警官の数が一割にも満たず、強姦被害者の事情聴取をする警官が男性である。
  2. 事情聴取の際に等身大のマネキンを使って被害者に犯罪を再現させ、男性警官数人が写真を撮る。
  3. 強姦被害相談所が全国各地に8箇所しかなく、人手不足なため直接出向かないと相談にも乗ってくれない。
  4. 全国各地の病院で強姦の診察に必要なレイプキットを常備している病院が十数か所しかない。
  5. 警察に届けなければ強姦に関する診察を受けられない。
  6. 強姦罪の最低禁固刑は3年(以後5年に伸びた)で、窃盗犯よりも軽い。
  7. 合法な性交渉合意年齢がたった13歳と言う若さ。(アメリカでは18歳)

これらのことは詩織さんが言うようにかなり改善が必要である。これは政府が保守かリベラルかということとは関係がない。詩織さんは強姦被害を名乗り出たことによって保守派からひどい扱いを受けたというが、もし彼女の訴えが日本の体制における犠牲者への不十分な対策に関しての告発であれば、リベラルからも保守派からも同じように支持を得ることが出来たのではないだろうか?

山口氏が犯罪者であるなら彼を罰するのは司法であるべきでメディアや世論であってはならない。彼女が民事で山口氏を訴えるのは正当な行為である。しかしわざわざ安倍首相との関係を持ち出したり、不起訴になっている人間を記者会見して名指しで責めることで、彼女は何を得ようとしたのだろうか?

彼女のやり方は保守派を敵に回してしまった。外国のメディアで日本の悪口を触れ回ったことによって、日本人の多くが日本の制度を見直すよりも現状維持を固持する姿勢をかえって強めてしまった。

彼女は今、日本の大学巡りをして、性犯罪に関する講演を行っている。それはそれで良いことだとは思うが、その内容によっては、アメリカの大学で起きているような冤罪の急増という弊害も起こりえる。彼女の行動が本当の意味で女性救済になっているのかどうか、今のところ私には何とも言えない。


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BBCドキュメンタリー「日本の秘められた恥」の疑問点

伊藤詩織さんが元TBSワシントン支局長である山口敬之氏に強姦されたとして訴えた事件について、日本の秘められた恥と題して、イギリスの国営局BBCが一時間に渡るドキュメンタリーを放映した。全編は添付先で観ることが出来るが、ほぼ全面的に英語なのであしからず。後で字幕のあるものがあったら紹介する。

正直な話、このドキュメンタリーを観るにあたり、私にはかなりの偏見があった。そして番組をきちんと観た後もその偏見をぬぐうことはできない。もし詩織さんが彼女の言う通りに強姦の被害者であるのなら、私は彼女に全面的に同情するし、彼女の受けた仕打ちは本当にひどいと思う。だが、密室で起きた出来事ではどちらの言い分が正しいのか部外者の我々に判断することは出来ない。詩織さんが強姦対策が進んでいるとするアメリカにおいて、多くの大学では合意の上での性交渉が後に女生徒からの根拠のない訴えで学校を退学させられる男子生徒が多く出ている。こうして無実の罪で学校を追われた男子生徒が就職にも支障を来し、大変な被害をこおむったとして大学側を訴えるケースも後を絶たない。

私も一人の性犯罪サバイバーとして自然に詩織さんにはものすごく同情したくなる。だが、同時に保守派として、彼女が自分の被害を安部政権バッシングに利用している、もしくは政治的な下心のある人たちに利用されていることで、彼女の証言が100%真実であるのかどうか懸念せざる負えないのだ。そして特に腹が立つのは、BBCが自国の恥である何千人という被害者を出し、今も出している、イスラム移民白人少女強姦組織について何十年も長年沈黙を守って来たにも関わらず、日本だけが性犯罪を隠ぺいする社会かのように報道することに激しい憤りを感じるのだ。

この番組は完全に詩織さん側に立ってのドキュメンタリーになっており、反論を述べているのは国会議員の杉田水脈女史のみで、「酔っぱらって男の部屋についていくなど、すべては詩織さんに責任がある」と言っているかのような写し方になっていた。杉田女史によると、日本におけるセクハラ問題についてインタビューしたいというBBCの二時間にわたるインタビューには応じたが、それが詩織さんドキュメンタリーの中でほんの数分文脈を無視した切り貼りでつかわれるとは思っていなかったという。

この事件の真相はわからないのでなんとも言えないが、番組の中で言われていることでちょっと合点がいかない点を二つ挙げてみると、

  1. ホテルの監視カメラにひとりで立てない詩織さんを山口氏が壁に立てかけるようにしているビデオがあるというナレーションが入っているにも関わらず、そのビデオが番組中で使われていない。
  2. 番組では山口氏は事件直後に詩織さんからメールでビサに関する質問を受けたと証言していることに関して、詩織さんはそれが強姦のなかった証拠にはならないと言っているにも関わらず、そのやり取りがどういう内容だったかを紹介していない。(後に詩織さんが山口さんに送った、強姦を責めるメールのやりとりは番組の冒頭で詳細に紹介されているにも関わらずである。)

この二つの点は実際に性交渉に同意があったかないかを判断するうえで非常に大切なことだと思う。彼女がすすんで山口氏のホテルに行ったのであれば、性交渉は同意の上だったとする山口氏の言い分を裏付ける有力なてがかりとなるし、よしんばホテルには行ったが性交渉を同意したわけではないとしても、もし事件後に詩織さんが送ったメールが友好的なものであれば、やはり交渉は同意のうえだったと判断することも出来る。アメリカでも強姦で冤罪を受け有罪になった男性が、後日女性からもらったラブレターメールを提出することで冤罪が晴れた例もある。

それとこの番組の「日本は性犯罪を隠したがる」「日本のメディアは性犯罪について報道しない」ので詩織さんの件もメディアに無視されたという主張にもちょっと疑問を覚えるのだ。番組のなかで日本のテレビ映像がいくつか紹介されているが、詩織さんの記者会見の模様や、それに関するいくつかのニュースはすべて主流メディアのテレビニュースのものだった。この番組ではなかったが、この他にも私は普通のラジオ番組で詩織さんをゲストに招いた詩織さん側に同情的な番組を一部聴いたこともある。日本の主流メディアは詩織さんの件を無視したどころか圧倒的に詩織さんに同情的な立場で報道していたことが、この番組を観るだけでも明らかだ。これに対して、詩織さんに対して批判的な報道をしたとして紹介されたのは、ユーチューブで個人的な配信をしている聞いたこともない保守系ユーチューバーや、ネット放映の右翼保守番組のみ。山口氏は保守派のネット番組でしかインタビューに受けていないというが、それはいかに主流メディアが山口氏に非同情的であるかを示すものだ。同情的なインタビューなら彼も承諾していただろうから。

この番組は日本で性産業が盛んなことや、どこもかしこも萌えといわれる顔は子供で体は大人の嫌らしいアニメ風映像があふれかえっており、女性は常に性の対象になっているが、女性は性被害について声をあげることが出来ない社会でもあるというイメージを全面的に押し出している。番組後半で詩織さんが大学生相手に電車で痴漢にあっても女子高生は声も上げられないとか痴漢を目前で目撃した男子生徒も声をあげられなかったなどという話を聞いて、これが本当なら確かにひどいと思ったが、女性専用電車が設置されたり、痴漢冤罪で逮捕される男性が多いことなどから考えて、日本の女性たちがそこまでか弱いとはどうも信じられない。私の頃でも勇敢に声をあげる人は結構いたからねえ。(私も含めて)

町中に卑猥な映像があふれているという点では日本だけでなく欧州でも普通にある。昔フィンランドに留学していた友達から聞いたが、家族連れが歩くショッピングモールのビルの外壁いっぱいに全裸女性が描かれていたなど普通だったと言っていた。またフランスでも街中の売店で大股開きのエロ本が普通に売られているといって写真をアップした人もいた(ツイッターでは局部は隠してあった)。つまり、卑猥な映像が町にあふれかえっているのは何も日本だけではないということだ。それに卑猥な映像があふれていることと女性への性犯罪が多いこととは直接関係はない。そういう映像を厳しく規制しているイスラム圏では女性への強姦など日常茶飯事であることからもうかがわれる。

詩織さんが事件後に受けた警察での事情聴取の無神経さや、日本の性犯罪法が110年も全く改正されなかったことや、強姦被害相談施設が全国に数えるほどしかないことや、警察に届けなければレイプキットのある病院を紹介してもらえないとか、日本には性犯罪被害者への対策が不十分であるということは事実である。もし、詩織さんが日本のそうした体制を改善したいと思って勇気をもって自分の体験を語ろうというのであれば、それは賞賛されるべき行動である。だがもし、自分の体験を相手の男性に復讐するとか、左翼政治のために利用しよというのであれば、これはとても感心できる行為ではない。

そのことについてはもっと書きたいことがあるので回を改めて書こう。

 


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トミー・ロビンソン応援ラリーに集まったのは何万人?

昨日ロンドンの「トミーを釈放せよ!」デモに関する記事を色々探していたら、英語だと英国の新聞だけしか見つからなかったが、日本語で検索したらAFP翻訳版の英ロンドンで極右活動家の釈放求め数百人デモ、警官隊と衝突という記事を見つけた。昨日のエントリーで集まった人々の写真を張っておいたが、あれで数百人てこたあないだろう。(カカシ注:色は変わってないがイタリックの部分をクリックするとリンクにつながる。)

【6月10日 AFP】英ロンドンで9日、極右団体「英防衛同盟(English Defence League)」の元代表、トミー・ロビンソン(Tommy Robinson)氏(本名スティーブン・ヤクスリー・レノン、Stephen Yaxley-Lennon)が法廷侮辱罪などで禁錮刑判決を受けたことに抗議する数百人規模のデモ隊が警察と衝突し、5人が身柄を拘束された。

ロビンソン氏は禁じられているにも関わらず、裁判の動画をソーシャルメディアに投稿。法廷侮辱の罪で有罪となり、先月収監された。

デモ隊はロンドン中心部のトラファルガー広場(Trafalgar Square)近くの大通りを封鎖し、「トミー・ロビンソンを解放しろ」と叫びながら警官隊に向かって発煙弾を投げつけた。さらに観光バスを占拠し、プラカードや英国旗、ウェールズの旗を掲げた。

トミー・ロビンソンに関する記事では必ず「極右団体「英防衛同盟(English Defence League)」の元代表」という紹介文が冒頭に付けられている。ピアース・モーガンを紹介するのに「極左翼偏向自称ジャーナリスト」などとは絶対に書かないくせにね。トミーはEDLがどんどん暴力的な極右翼に乗っ取られていくのに抗議して五年も前に脱退している。だからいつまでもトミーをEDLと結びつけるのはイギリスメディアがいかにトミーを過激派右翼として意味のない存在であるかを強調したいかが解る。

このAFPの記事はこの件に関する英国ニュースの典型で、デモに集まったトミー支持の数人が警官に暴行して逮捕されたという話だけに焦点をあて、トミー解放を求めてどれだけ多くの人が集まったかという点を完全に無視している。なぜトミーごとき「極右翼」で「レイシスト」で「自称ジャーナリスト」のためにこれだけ多くの一般市民が集まったりするのだ?本来のジャーナリズムならそこに焦点を当てるべきではないのか。

トミー・ロビンソンなんてもともとは下町育ちのサッカーフーリガンだ。地元のパキスタン系移民による凶悪犯罪に腹を立ててEDLを創設して何度か集会を開いたりしてはいたが、イギリス政府が取り立てて警戒するような危険人物ではなかった。もし政府が彼を放っておけば、そのうちにEDLの内部争いに負けて脱退し、またもとのチンピラに戻っていただけの男だった。

そのトミーが今や言論の自由を守る救世主のようになって世界中で知られる有名人になったのは何故だ?トミー解放のために集会ごとに数が膨れ上がり、ついには昨日のように何千男万という(とても数百単位の群衆ではないよ)群衆が集まるに至ったのは一体何故なのだ?

以前にイギリス人作家のダグラス・マレーが、トミー・ロビンソンを極右翼と片づけてしまうのは簡単だが、彼が出てくる背後の状況を理解する必要があると語っていた。

一般のイギリス市民は自分らの国がどんどんと野蛮な移民によって乗っ取られている事情に多大なる脅威を抱いている。ロンドンは今やもっと規模の大きいニューヨークよりも治安の悪い都市となってしまった。毎日のように起きるナイフや酸攻撃。スクーターに乗った野蛮人によるひったくりの横行。それについて語ることすら許されない、野蛮人移民をパキスタン人とかバングラディッシュ人とか名指しすることも出来ず、いっしょくたにアジア人などと言って報道する。何千という年端もいかない少女たちが40年にもわたって性奴隷として売買されていたことすら報道できない!

トミー解放運動はイギリス市民のこうした不満の表れだ。この運動はどんどん広がり、そのうち数人の抗議者が逮捕などと言った程度のことでは収まらなくなる。いったいイギリスの警察は市民の味方なのか敵なのか、いまのうちに腹をくくっておいたほうがいい。


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トミーを釈放せよ!トミー解放を求めて支持者ロンドンに殺到

百聞は一見に如かずなので、下記参照。

 


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トランスジェンダーに関して保守派は譲歩してはいけない!

 今を去ること10年前、私は同性婚は文明社会を滅ぼすというブログエントリーを書いた。今思うと私の予測はあまりにも甘かった。実際に同性婚が合法化されたアメリカでは私が憂いていた以上の恐ろしい状態が起きている。

私は、同性婚が実施されたら一夫多妻制や近親婚や少女妻などといった因習が舞い戻ってくるのではないかと懸念していた。一夫一婦制という文明社会の基盤を崩せば、結婚制度そのものが崩壊すると考えていたからだ。

しかし現実は私が懸念する以上の異常な状況を生み出した。

人間と言うものは常に異常な文化に興味を持ち魅力を感じるものなのだ。多分それは我々の遺伝子の中に組み込まれているものなのだろう。

異常であるものを求めること自体は悪いことではない。もし保守的な遺伝子のみが優勢であれば我々はいまだに洞穴に住む原始人でしかなかったであろう。それが文明人として進化したのは異常と思われる生活を誰かが欲したからだ。現存している洞穴のむこうに何かがあると求めた人間が居たからこそ現在の我々があるのだ。

しかし、問題なのは一つ異常とされていた行動や現象を通常であると認識するともっと異常な状況を通常として認めろという動きが出てくる。この異常な行為が単に個人の嗜好で済んでいればいいが、それが他人の人権を損ない危害を与えるようなものになってくると話は別だ。トランスジェンダー容認はまさにこれにあたる。

先日こともあろうに王道派の保守雑誌のナショナルレビューにおいてJ. J. McCullough(J.J.マクラフ)という人物が保守派は社会の秩序を守るためにもトランスジェンダーに関しては多少の妥協をすべきだというコラムを書いた。

マクラフ曰く、同性愛行為そのものが不道徳かどうかなどという議論はとうの昔に決着がつき、人々は同性愛者との共存に慣れて来た。同性婚すら合法となった現在、トランスジェンダーを奇妙な目で見たり気持ち悪がったりするのは時代おくれなのではないか、彼らの存在を認めて彼らの求める彼/彼女といった代名詞をつかってあげればいいではないか。その代り、リベラルの方も性は男女の二つしかないことを認め保守派にそれ以上のことを求めないようにするべき。

トランスジェンダーの人権や尊厳を損なうような行動は保守派はとるべきではないというマクラフの意見には同意するがだから相手の好きな代名詞を使うべきというのは理論の飛躍も甚だしい。

ジェームスがジェーンと呼ばれたいというなら、彼をジェーンを呼ぶこと自体は問題ではない。だが、男であるジェームスを彼女と呼ぶということは、私がジェームスを女と認めたことになる。言葉にはそれなりに意味があるのであり、事実と異なる言葉使いをすれば、私は事実を否定することになるのだ。他人に虚偽の事実を認めさせることのどこが妥協なのだろうか?

第一、例え保守派がトランスジェンダーを個人の好きな性別で呼んだとしてもリベラルがそれで満足すると思うのは甘すぎる。後退派左翼の運動はあたかもそこが出発点であるかのようにさらに異常で非常識な現実を認めさせようと激化するに違いないのだ。

男を女と認めさせれば、男が女子施設に入ることも認めなければならない。男が女子スポーツに参加することも認めなければならない。トランスジェンダーが好むのだから彼を彼女と呼んであげればいいではないかでは済まされないのだ。

自称保守派のマクラフがそんなことも解らないというのは悲しいものである。しかし保守派にはこういうふうに左翼に迎合する人間が少なからずいる。保守派はどっちかいうと礼儀正しくしていたい、相手には親切でいてあげたい、と思う人が多い。しかし秩序を守るということは事実を捻じ曲げて相手の言うなりになるという意味ではない。あきらかに間違っていることは間違っていると真実を言い続けなければ本当の秩序など保てないのだ。

我々は今までずっとLGBTの言いなりになってきた。今度という今度こそ、この戦いを諦めてはいけない。

 

 


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やり過ぎなセクハラ取り締まりは女性のためにならない

またセクハラの話題で恐縮だが、最近の日本のセクハラ騒ぎを見ているとセクハラよりも怖いなと思うことが多々ある。私は昔から思っていたのだが、日本と言う国は伝統を大事にしているようで実はそうではなく、何かの拍子にそれが悪いことだとなると180度の転回をあっと言う間にやってしまうという凄さがある。

ちょっと前にユーチューブで観た日本のバラエティー番組のなかで「今ならコンプライアンスにひっかかって出来ない場面」というコントを見せていた人が居た。それは1970年代の刑事ドラマ「太陽にほえろ」の一場面という設定で、外出から帰って来たジーパン刑事がお茶くみの女の子のスカートをめくったり、胸に触ったりしていた。

確かに今ならこんなことはセクハラとして職場では許されまじき行為である。それを言うなら当時でも、そのような行為は許されるべきではなかった。私自身も若い頃は、その程度のことは経験して嫌だったので、日本がそういう行為を容認しなくなったというのは良いことだと思う。

しかし、悪質なセクハラを容認しないということと、なんでもかんでもセクハラだと責め立てることとは違う。男性が女性の容姿を褒める行為や、男女を問わず結婚や出産を促す言葉まで、セクハラだのパワハラだのと言われたのでは、人々は怖くて同僚と口もきけない。そしてこういう行きすぎた取り締まりは本当に女性の地位向上につながっているのだろうか。

この間財務省の福田事務次長がセクハラの疑いをかけられて辞任に追い込まれるという事件があった。

単に嫌疑をかけられただけで、被害者とされる人が公式に被害届を出したわけでも訴訟を起こしたわけでもないのに福田次長が弁護の場すら与えられずに辞任に追い込まれたというのは非常に理不尽だ。

しかしこういうことが起きると男性は迂闊に女性と二人きりで食事に行ったり飲みにいったり出来なくなる。

これは決して日本だけではないが、ビジネスというのは職場だけのつながりでなく、社交の場での付き合いが大切な要因となることが多い。同僚や上司と部下が一緒に食事に行ったり飲みに行ったりして個人的に親しくなって信頼関係が生まれるとコネも生まれる。同業者が一緒にゴルフに行くなどはこの典型だ。上司が部下を誘って昼ご飯に出れば、職場では話せなかったような非公式な話をすることも出来る。男同士ならこれはごく普通に行われることだが、上司が異性の部下を簡単に誘えなくなるとこれは問題だ。

仕事に関する大事な情報が非公式の場で交換されることはよくあることだ。もしセクハラを恐れた男性上司が女性部下を非公式な社交の場に招かなくなれば、女性職員は多々の面で情報を取り逃がす。それに上司も人間だから気の許せる部下には企画を頼みやすいということもあり、社交の場で全く付き合いのない部下にはなかなか任せられないという状況も出てくるだろう。

そうなって損をするのは女性だ。

昔の女性が多少のセクハラには甘んじてきたのも、ちょっとしたことで苦情を言って「だから女に任せられない」と重要な仕事から外されるのを恐れたからだ。それに女性たちはそれなりに嫌らしい同僚や上司への対策も取っていた。単に泣き寝入りしていたわけではない。そうやって少しづつでも確実に女性の立場を向上させてきたのに、今フェミニストたちが一気に階段を駆け上って男性たちを蹴落とそうとする行為を見ると、これまで我慢して頑張って来た女性たちに対し非常に失礼だし、非常に迷惑だ。

今中高年でキャリアウーマンとして若い頃から頑張って来た女性たちは、決して男性を蹴落とそうとか男性を弾圧しようとか思って生きて来たわけではない。女性だからと馬鹿にされないように、人一倍頑張って自分の実力を証明してきた人々だ。彼女たちには若い馬鹿フェミによるセクハラ騒ぎは害あって益なしの雑音に過ぎない。


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セクハラな話

読者の皆様、お久しぶりです。これまでテクニカルディッフィカルティーによりブログが書けない状態でしたが、やっと今回復活できそうなので色々書いていきたいと思います。長々とお休みしてしまい申し訳ありませんでした。

さて本題。最近日本ではセクハラ問題が結構騒がれている。なんとかいう財務省のお役人が女性記者にセクハラをしたとかで、麻生財務相が「セクハラ罪はない」と言ったことが問題になって謝罪しろとか撤回しろとか色々うるさいことになっている。

どうも日本ではセクハラの意味が誤解されているような気がするので、ここでちょっと一体セクハラとはなんぞやということについて考えてみたい。

だいたいからして日本人はやたらとカタカナ英語を使いたがりすぎだ。セクハラなどと言うからわからなくなるのであって、性的な嫌がらせとしておけばことは簡単なはず。

まず、麻生さんの「セクハラ罪」はないという発言は正しい。これはツイッターでよもぎねこさん(@yomounipaku)もおっしゃてたとおり、セクハラと言うのは被害者とされる人々の主観で色々変わるうえに、はっきりした法律的定義がない。

日本のバラエティー番組で誰かが、「政治家にしても芸能人にしてもこれはしたらいけないという定義をしっかり決めといてもらわないと混乱する」と言っていたがまったくその通りだろう。

ではセクハラと思われるものを程度の低い順に並べてみよう。

1)利害関係のないもの同士による言葉による嫌がらせや性的な写真などの掲示。

同級生とか同僚など言葉による嫌がらせに性的な要素が含まれる場合。おまは貧乳だなとか、まだ童貞なんだろう、とか言ったような学業や仕事とは無関係でちょっと意地の悪い言葉使い。昔はよく「まだ嫁に行かないのか」と25歳過ぎの女性に普通に言ってたが、あれも今ではセクハラと取られる可能性がある。

仕事と無関係な女性の裸の写真のカレンダーを共通の場所で飾るのは女子職員は嫌かもしれない。これも職場に性を持ち込むという意味でセクハラと判断されることがある。少なくとも私の同僚は自分の机の上に置いてあったビキニカレンダーがセクハラだと苦情を言われたことがあった。

今のところアメリカではこの程度の行為は犯罪とは見られない。しかし、被害にあったとする人が職場や同僚を訴える可能性はあるので雇用主はこの程度のことから気を遣う必要がある。

2)利害関係あるなしにかかわらず、やたらに触る行為。

触ると言っても色々あるが、性的と言えるかどうか微妙な感じで肩に手をかけてくるものから、お尻や胸に軽く触る行為。昔なら女性が「やっだ~、係長のエッチ!」と言ったくらいで済んでたことだろうが、今はまあアウトだな。

1990年代くらいまで日本のバラエティー番組では男性タレントが女子アナの乳房をわしづかみにするとか平気でやってた時代があったが、あれを許してた日本社会が時代遅れだったことは確か。

触るという行為は暴行とみなされることもあるので、その程度によっては犯罪と判断されることもある。そうでなくてもこれは明らかなセクハラ行為。苦情を訴え出れば社内で厳重な注意を受けること間違いなし。

3)上司が部下に性的行為を強制する行為。

これはかなり悪質で場合によっては刑事犯に問われる行為。要するに上司が自分の立場を利用して「魚心あれば水心じゃ、悪いようにはせん、近う寄れ、、」てな感じで迫るあれだな。実際に性行為に及んだ場合には、例え暴力的な強制がなくても強姦と判断されることもある。すくなくとも脅迫や恐喝と言っていい類の犯罪だ。

4)実際に強姦しておいて立場を利用して口封じする行為

ハリウッドのワインスタインというプロデューサーがこれ。彼は女優たちをホテルの部屋に呼び出して強姦し、しゃべったら干すぞと脅す悪どい手口で何人もの女性を食い物にした。彼は今イギリスで強姦罪の捜査対象になっている。

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さて、今回の山口達也の件はワインスタインの件と近い気がする。山口は自分の立場を利用して競争の激しい番組の出演者、しかも未成年、を呼び出して性行為を迫るというかなり悪質なことをやった。被害者の少女が警察に通報したので大事には至らなかったとはいうものの、ジャニーズ事務所の仲介で示談になり被害届を取り下げるといういきさつがあり、本人も警察から連絡があるまで犯罪おかしたという自覚はなかったと言っている。

天下のジャニーズ事務所所属の人気アイドルで番組司会など色々やってる山口なら、番組出演者の人事にもかなり影響力を持っていたと思われる。とすれば駆け出しの女優やタレントが彼に贔屓にしてもらいたいとか、少なくとも睨まれたくないという気持ちを持っていたとしても当然だ。

中年の男の部屋に若い娘が夜遅くのこのこ出かけていくのが悪いという人もいるが、立場の弱い人間が偉い人から呼び出されたら無碍には断れない事情もあったはず。そうと知ってて呼び出した山口ってのは質が悪い。酒に酔ったせいだとか言ってるが、これまでにもこういうことを何度もやっているのではないか、大抵の女たちは仕事を失うのが怖い、もしくは枕営業と割り切って、言いなりになって来たではないのか?だから少女たちが自分の部屋に来た時点で、もう何をしても構わないと勝手に思い違いをしたのではないか?

はっきり言ってMeToo運動家のフェミニストたちは、これまでにも起きたであろうジャニーズ事務所によるもみ消しとかについて、もっと言及すべきだと思うね。ジャニーさんて人は前々から色々噂もある人で、ああいう人間がいまだに何の捜査対象にもなっていないという方が私には不思議でしょうがない。


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