ちょっと以前に批判的思想(Critical thinking)を学校で教えている教師と生徒によるJ.K.ローリング女史はトランスフォーブなのか、というビデを紹介した。J.K.ローリングは本当にトランスフォーブなのか?教授との会話で考えを変えた学生 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net)。このエントリーを書いた時は彼は大学教授だと思っていたのだが、彼はマサチューセッツ州の教師という話でどこの大学か高校の教師なのかはわからない。

この男性の名前はワレン・スミス先生。前述のビデオが何百万回も再生され、世界中で話題になったため、スミス先生はアメリカのいくつかのメディアで取り上げられるなどして結構忙しい1週間だったようだ。あまりにも評判になってしまったため、たかだか1.5万人くらいの登録者で細々とやっていたユーチューブチャンネルのことで勤め先の学校と揉めてしまったらしい。首になるようなことにはなっていないが、今後学校の教室でビデオ撮影をしてはいけないと言われたそうだ。

さて、そんなスミス先生が、色々な人から寄せられたContrapoints(コントラポイント、反対意見という意味)というMtFがやっているチャンネルでのローリング女史批判ビデオに関する感想動画を作ってほしいというリクエストに応えて新しいビデオを発表した。実は私はコントラポイントのチャンネルは以前から知っており、このJKRに関する彼のビデオも観たことがあった。全編2時間もある、のらりくらりとした長いだけで中身のない動画を飛ばし飛ばし観たのだが、結局彼はJKRはトランスフォーブであり、実際JKRが何を言ったかを吟味する行為自体が時間の無駄だと言ってるだけだった。

ま、私の感想はそのくらいにして、スミス先生の分析を観てみよう。まず驚いたのは先生のビデオはほんの14分余り。元のコントラの動画が2時間もあるのに、よくこんなに短くまとめたなあとは思うが、やはり私が思った通りコントラは意味のないことを長々と話していただけだったということだろう。

コントラ:もしあなたがJ.K.ローリングが誤解された魔女狩りの被害者だと思うならはっきりそう言いなさいよ。やりたい理論を繰り広げなさいよ。

とコントラは始める。これはスミス先生が前の動画でしたような、JKRの書いたことを読んで実際に彼女がトランス差別の発言をしているのかどうか吟味してみよう、という姿勢を批判したものだ。スミス先生は客観的な議論が出来ない人は、こうやって議論そのものを避けようとすると語る。

コントラは「単に質問しているだけだ」というのは実は自分のアジェンダを隠した卑怯な会話の仕方だと批判する。これは滑りやすい不誠実な議論の仕方だというのである。

スミス先生:最初から客観的な質問を牽制する作法が使われている。質問をすること自体が避けられるべきだと決めつけている。

これは良く使われる一番基礎的なテクニークで、自分の考えが論理的な審議に耐えられないとわかると、先ず会話そのものを中和してしまう。つまり自分の説を少しでも疑う姿勢を示すことこそが、過激な考えだと決めつけるわけである。コントラはこの手法を何度も使うとスミス先生は指摘する。

コントラはモット&ベイリーという手法を指摘。これは先ず極端な考えを先に述べ、それがどういう意味かと聞かれると、もっと穏健な言葉で説明するというもの。例えばJKRの「性は真実だ」という発言は、「トランスジョセーとは、自分を女性だと思っている男性のことだ」という問題な発言を隠しているというのだ。そしてこの「性は真実だ」というのはトランス差別の別な言い方に過ぎないと決めつける。そして彼は「トランスジョセーは男性だ」「トランスダンセーは女性だ」という発言がトランス差別でないなら、何がトランス差別だと思うのだろうか、と問いかける。

スミス先生は、この発言が非論理的なのは、他人を一般的に語られない表現の基準に勝手に当てはめていることだという。「トランスジョセーは男性だ」という言い方自体がトランスフォーブだと勝手に決めつけているのだ。

コントラは次にJKRのトランス差別について語る時、必ず誰かが「JKRがトランスフォーブな発言をした例をひとつでもいいからあげろ」というが、これは罠だと語る。「もちろんJKRは『私はトランスが嫌いだ』などと言ったことはない。彼女も完全なる馬鹿ではないから、、」

スミス先生:彼の言う世界では実際に誰かが言ったことで有罪にする社会ではない、『なぜなら彼等はそんなバカじゃないから、あなたが彼女が言ったということをみつけることはできないけど、でも彼女がそう思っていたことは分かる、ただ証明できないだけ、彼女の意図はそうだったのだ、だからその意図で罰していいのだ、実際に彼女がやったことではなくて、、、』

コントラはJKRはトランスは嫌いだとは言わないが、トランスジョセーによる強姦の話を何度も持ち出し、あたかもトランスジェンダー全体が性犯罪者であるかのように語ると言う。しかし彼女が出すJKRのツイートには「その属性の全ての人が驚異的ではないが、驚異的な人がある程度居る以上、弱い立場にある人達をそういう人たちから守るべきである」と言った内容が書かれているだけだ。

スミス先生は、JKRがその属性の一部の人たちについて書いていることを、あたかもそのグループ全体への批判のように歪曲するのがコントラが良く使う手法の一つだと指摘する。

コントラ:アタシはJKRがトランスフォーブかどうかなんて議論する気はないわ。なぜならトランスフォーブについて知ってるひとなら、彼女が明らかにトランスフォーブなのは明白だもの。

つまり、コントラはJKRがトランスフォーブだと証明することが面倒くさい、第一そんなの言わなくても明白じゃないか、と言ってるわけだ。感情移入をし過ぎていて、論理的に考えられない人は、自分は全く正しい、こんなことも解らないそっちがおかしいのだと決めつける。

さて、ではJKRをキャンセルすることは正当かという話だが、差別者を説得することなどできない、だから彼等を恥かしめキャンセルするのは正当な行為だとコントラは言う。しかしここでコントラが言う「差別者・bigot」の定義は彼が勝手に作り上げたもので、JKRはトランスジェンダーがどんな生き方をしようと勝手だが、性犯罪の被害者など男性器を見るのが怖いと言う人のことも考えて時と場合によって男女は身体の性で分けるべきだと言ってるだけだ。そういう人のことを差別者扱いしてしまうのは「かなりな飛躍だ」とスミス先生。

コントラのこのながったらしいビデオの結論は、

  1. JKRはトランスフォーブである。
  2. 1は余りにも明白であるためそれに疑問を唱えることこそトランスフォーブ
  3. JKRも馬鹿ではないのでトランスフォーブと解るような発言はしていない。だが彼女がトランスフォーブなのは明白。
  4. 差別者は討論という形を使って、あたかも自分らに理があるように持って行こうとするが、これは彼等の仕掛けた罠なので討論などしてはいけない。

スミス先生は、もし自分の言っていることが正しいのなら、客観的にどちらの立場にも優利でも不利でもない条件で討論をしても、自分の正しさは証明出来ると言う。だがそうした討論で相手の審議に耐えることができないのだとしたら、自分の持論に問題があるのだと気づくべきだと語る。

コントラは無知ではない。明らかに批判的思想を学校で勉強している。だから専門用語は色々知っている。にもかかわらず彼はその思想を全く理解していないのだ。意見の違う人と討論することも出来ないのなら、いくら本だけ読んで語彙を知っていても全く意味はない。

ここでもスミス先生に一本あり。


Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *