子供のトランス、思春期を越せば80%が普通に育つというのは神話なのか?

本日見つけたこのエッセー。子供のトランスジェンダーは放っておいても思春期を超えれば普通に正常な大人に育つという調査結果は神話だという話。著者はエリン・リード。見た目からして多分女性自認の男性だ。面白そうなので読んでみよう。

カカシ注:さっきこのエントリーを全部書いてから、少し付け足したいことがあるのでここに書いておく。子供のトランスジェンダーは思春期を越せば80%が普通に育つという話が神話だったとしても、だからといって子供の性違和を肯定し思春期ブロッカーや異性ホルモンを投与し挙句の果てには不可逆的な性器摘出手術をすることが性同一性失陥症の一番効果的な治療法であるという証明をしたことにはならない。何故何もせずに子供の性違和が失くなるのを待とうではなく、なんとしてでも子供の性転換をしなければならないのか、何故性違和以外の精神疾患の可能性を検査しないで性転換まっしぐらなのか、そうすることによって何もしないでいるよりも子供が幸せになれるという根拠は何なのか?性転換推進派はその説明を全くしていない。

では本題に戻ろう。

エリン・リード

この80%以上の子供のトランスジェンダーが放っておけば正常に育つという話は1995年に発行されたケン・ザッカ―(Ken J. Zacker)とスーザン・ブラドリー(Susan J. Bradley)共著のGender Identity Disorder and Psychosexual Problems in Children and Adolescentsと、2011年と2013年に行われたトーマス・スティーンズマ(Thomas Steensma)による調査結果が元になっている。

リードはこれらの調査に関する問題点をいくつか挙げている。

  • 当時は性違和のことを性同一性障害(disorder)と呼んでおり(今はでdysphoria、失陥症)、その診察に必要な条件が今よりも緩かったため、性同一性障害であると誤診された子供が多かった。
  • 対象となった数が少なすぎる。
  • 多くの対象者が途中で抜けている。
  • 子供のトランスが不可能だった頃の古いデータ
  • トランスを「直す」ためのコンバージョンセラピーが行われていた

それでは1994-2013年までのDSM-IVと呼ばれる性同一性障害の必要条件と2013年以降のDSM-5性同一性失陥症を比べてみよう。

DSM-IV 1994-2013は、次の5つの内4つの症状があることが条件になっていた。太字は必須。

  1. 異性である、もしくはありたいと主張すること
  2. 異性装を好む
  3. 異性の振りをして遊ぶ
  4. 異性の友達を好む
  5. 生まれた時に割り当てられた性別に違和感がある。

DSM-5 2013 – 現在は1番が必要条件に変わり、さらに次の三つの項目が加わわり、そのうちの5つの症状が必要とされる。

  • 割り当てられた性別特有の遊びや行動の拒否
  • 自身の性器への嫌悪感
  • 自分が体験した性別と合った方の性でありたいと願う

ケン・ザッカ―医師はトランスジェンダーの子供を「シス」ジェンダーに直そうという治療を試みていたが、2015年カナダの法律でコンバージョンセラピーが違法となり、ザッカ―医師のクリニックは閉鎖されてしまった。

ザッカ―医師の話は拙ブログでも2016年2月に取り上げている。幼児の性同一性障害治療を巡って首になった小児精神科医にみる政治と科学 – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net).。リードの偏見に満ちた説明を読む前に先ずそちらの方をおさらいしておこう。

幼児の性同一性障害を専門に治療してきた精神科医ドクター・ケニス・ザッカー医師はこの道では有名な研究家である。現在65歳(2016年当時)のザッカー医師はカナダのトロント市の病院で何十年も幼児期の性同一性障害の治療と研究にあたっており、何冊も研究書を発表している。そのザッカー医師が突然にして彼が勤める(幼児及び少年と家族の性同一性クリニック) the Child Youth and Family Gender Identity Clinic (GIC), を解雇された。その理由というのも、医師の幼児の性同一性障害は子供の成長に任せてなるべく異性変更への道を強制しないという姿勢がトランス運動家らの怒りを買ったからである。

ザッカー医師は決して性同一性障害が存在しないと主張しているわけでも、思春期を越した青少年が性転換に進むことを拒絶しているわけでもない。同医師の治療法は、思春期前の幼児の性同一性に関する混乱は幼児期だけに起きる一時的なものであったり、周りの環境に左右されたりするもので、本当の意味での性同一性障害とは判断できない場合が多いため、あえて早急に異性への変更に取り組むべきではないという常識的な考えに基づいている。

それをトランス運動家たちは、ザッカー医師がトランスの子供たちを無理やり普通の子供に戻そうと野蛮な治療を行なっているかのように訴え、その政治力で医師をの解雇を実現させてしまった。これは本当に性同一性障害やその他の精神病に悩む幼児に対して非常な悪影響を及ぼすものだ。

ザッカ―医師のクリニック閉鎖にあたり、カナダのGICが行った調査結果報告書には閉鎖の理由を次のように記載されている。

  1. 保護者は、青少年に出生時に割り当てられた性別以外の服を着せることを「譲らないように」勧められたと述べた。
  2. 間違った性別の玩具を避けるように言われた。
  3. 保護者は、自分の子供が生まれたときに割り当てられた性別の子供と遊ぶようにと言われたと述べている。
  4. 患者は、9歳という早い時期に、自分の性的指向について押しつけがましい質問をされたと述べた。
  5. トランスジェンダーの若者は病的に扱われ、相関する精神衛生上の問題が原因であると解釈された。
  6. 一部の患者は、携帯電話を使って同意なしに自分の写真を撮られたと報告している。
  7. 親がトランスジェンダーを受け入れず、シスジェンダーであることを望むことが治療の指針になった。

カナダ政府は昔から狂っているとは思っていたが、こんな常識的な精神治療をコンバージョンセラピーなどといって違法にするとは本当に狂っている。先ず1番から3番までは子供が異性だと言い張っている場合でも、大人がその子の性別にあった行動を躾るという意味で別に悪いことであるとは思えない。子供がどうしても嫌がった場合は別だが、特に子供が抵抗していないならそれでいいではないか?それでも子供が断固嫌がった場合には、その子は本当に性違和があると判断できるわけだから。

4番については、何かと子供にLGBTQ思想を押し付けようとしている現在の活動家の行動を考えると、ザッカ―医師を批判できるとは思えないが、彼は単に子供が同性愛の傾向があるかどうかを知りたかったのだろう。5番に関しては現在でもトランスジェンダーを自認する患者の多くが自閉症など別の精神疾患を持っていることが発見されており、ザッカ―医師が他の病気と性違和とを混乱しないように、より厳しい検査をしたというなら誤診を防ぐ意味でよいことだったのではないか?

6番に関してはもし本当であればあってはならないことだろう。

7番は、性同一性障害が病気であるとされていた時代だから(いまでもそうであるべきだが)、病気なら直すべきという考えで治療を行うのは当然の話だ。

リードはスティーズマの二回にわたる調査は、ある意味ザッカ―医師の調査よりも杜撰であったという。それというのも元々それぞれ53人と127人という少数のサンプルであったこと、クリニックへの通院を途中で止めてしまった人まで性違和が失った、もしくは脱トランスしたとして数えられていたことを指摘している。

確かに同クリニックに来なくなったからトランスジェンダーではなくなったと決めつけるのはおかしい。特に当時子供のトランスなど考えられない時代だったので、大人になってからトランスした可能性はある。

リードはもっと最近の正確な調査があるとして二つの調査結果を紹介しているが最初のは子供を対象にしたものではないので、ここでは省く。

二つ目の調査は子供のトランスを対象としたものなので意味はあるように思えるが、問題なのは、これは8歳から5年間にわたる調査だということだ。8歳から13歳ではまだきちんと思春期を終えていない。これでは子供たちが思春期を超えたら正常な大人になるかどうか未だ分からないではないか?特に13歳なんて思春期真っただ中。一番精神が揺れ動く時である。

悪いがこの二つの調査はザッカ―医師の調査を覆す根拠にはならない。

今現在、トランスジェンダーと言われる子供たちの年齢は年々若くなっていて、言葉も碌に話せない2歳児くらいから自分の子供はトランスだと言い張る母親が多くいる。ザッカ―医師のコンバージョンセラピーが悪い治療だと言っているトランス活動家は、これらの親たちによるトランス洗脳教育については何も言うことはないのか?

2歳児の子供がトランスだと言い張る親は、もうすでに自分の偏見で子供の洗脳を始めている。そしてジェンダークリニックのカウンセラーたちも性別肯定治療とやらで、患者が別の精神疾患を病んでいるかどうかという検査すらしない。子供がそう言ったからと即異性の恰好をさせ異性の名前で呼び異性のように扱う。

2歳児の時から毎日のように「あなたは女(男)の子なのよ」と洗脳された子供が10歳になって大人が強く薦める思春期ブロッカーを拒否することなどできるはずがない。この子たちには普通の大人になる選択肢が与えられていないのである。

考えても見てほしい。思春期ブロッカーや異性ホルモン投与が子供たちの身体に与える悪影響は計り知れない。これは不可逆的なものであり一生不能になるかもしれない危険な治療なのだ。もしザッカ―医師やスティーズマ医師の調査結果が間違っていたとしても、彼等の措置で子供たちが傷つけられることはないのだ。なぜなら両医師たちの治療法は、単に何もせずに子供が成長するのを待つというもので、危険な薬品を投与することではないからである。

だが、もしリードのような活動家たちが間違っていたらどうなるのか?本来なら健康に育つはずだった子供たちを一生薬漬けにする難病患者にしてしまうのだ。これが子供たちにとって良いことだなどと誰が考えることが出来るのか?

そしてこれが非常に大事なことなのだが、性違和のある子どもたちの治療が何故コンバージョンセラピーではいけないのだろうか?私がここでいうセラピーは昔同性愛者を異性愛者にしようとして電気ショックだの氷漬けだのといった拷問の話をしているのではない。子供たちに持って生まれた性を受け入れるように説得すること、性違和を失くすように治療することの何がいけないのだろうか?何故性違和を持つ人間の治療は患者を薬漬けにしたり身体を切り刻む整形手術でなくてはいけないのだ?

先ずそこから考え直すべきだろう。

アップデート:ツイッターで拾ったニュース。詳細はコメント欄参照のこと。

『脱トランス者のコミュニティ、10ヶ月たって45300人になっていた。そしていよいよ本場米国で訴訟が始まるというニュース。未成年トランス医療の医学的根拠をLGBTQ 活動家の介入を阻んで、客観的に検証した国はすべて中止しているのでそれが答え。』


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“The lady doth protest too much, methinks”女性自認男が女湯に入ってくるなんて話はデマだと躍起になる活動家達

“The lady doth protest too much, methinks”とはシェークスピア戯曲ハムレットの中で、ハムレットの母ガートルード王妃がハムレットが仕掛けたお芝居を観た時に放つセリフである。これは誰かが何かを不自然に強調しすぎてかえって信用できない時に比喩としてよく使われる。最近の日本のトランスジェンダー活動家達が、理解増進法や差別禁止法が通ったからといって、女性を自認する男性が女湯にはいってくるなどというのは反対派が広めたデマだ!と叫ぶのを聴いていると、どうしてもこのセリフがあたまに浮かんでしまうのだ。

先ずはツイッターで上がってきた朝日新聞の記事から引用。強調はカカシ。

SNSを中心にトランスジェンダー女性を排斥する発言が広がっているとして、全国の当事者団体でつくる「LGBT法連合会」が16日、東京都内で記者会見を開き、「デマや中傷が当事者の生活を脅かしている。差別を禁止する法制度が必要だ」などと訴えた。

 元首相秘書官による差別発言をきっかけに、一昨年棚上げとなった「LGBT理解増進法」の検討が再び進んでいる。そうした中で、「男性が『心は女だ』と言えば女湯に入れるようになり、これを拒むと差別になるらしい」などという言説が広がり、当事者らが苦しんでいる

「もめ事は非常に少ない」

 会見では立石結夏弁護士が「公衆浴場は(厚生労働省による)管理要領で『男女を区別し』と定められている。この場合の『男女』は身体の特徴に基づく性別。全裸の時の外見から判断される性別と自認する性別が一見して異なる場合、施設管理者との調整が必要となる。男性的な身体に見える人が『心が女性』と言って女湯に入れるというのは誤り」と解説。現状で「公衆浴場やトイレについてもめ事になるケースは非常に少ない」と強調した

最近は市井の女性達もこの問題について色々考えるようになり、諸外国で起きている多々の問題もソーシャルメディアなどを通じて学ぶことが出来るようになった。当然日本でも同じことが起きるのではないかという懸念が生まれた。しかし新法推進者やTRA活動家たちは、こうした一般の人びとの不安を拭うような誠意のある説明を全くしない。それどころか私たちの掲げる不安や懸念に対しては、ヘイトだ!差別だ!デマだ!とがなりたてるだけだ。ツイッターで見かけたいくつかの例を上げてみよう。強調はカカシ。

トランスジェンダーやジェンダー自認に関する議論が、日本ではひたすらトイレや風呂場の話に終始してるの、意味分からないし、むしろ滑稽に感じる。全く論点がズレている。ー @yukoasanuma

「トランスジェンダー女性が女性用スペース(トイレや更衣室や風呂)を脅かす」といった話題で人々の怒りや共感を狙う話が拡散していますが、みんな悪質なデマです。 善意や共感でデマ拡散に加担しないようご注意を。-星 暁雄 (ITと人権)@AkioHoshi (自称ジャーナリスト)

「LGBT法案ができたら、男性が『心は女だ』と言えば女湯に入れるようになり、これを拒むと差別になる」というデマで、トランス女性が苦しめられている現状に対する記者会見。時枝さん「社会の中で自分はどんな性別に見られるのだろうかと人目を気にしながら暮らしている」ー松岡宗嗣(LGBT活動家弁護士)

「トランスジェンダーの権利を認めると女性を装った男性がトイレに入りやすくなり性犯罪が増える」などといった偏見や誹謗ひぼう中傷が交流サイト(SNS)を中心に拡散し苦しむ当事者も少なくない ー @mayan48181

実際にデマに苦しんでいる方々がいます。 LGBT理解増進法を作り、社会の理解を進め、当事者もそうでない人たちも納得できる、適切なルールを作るべきです。ー 稲田朋美 (衆議院議員)

これらのツイートに共通している点は、我々の懸念はデマであること、そのデマによってトランス当事者が苦しんでいるということだが、何がどうデマで、我々の懸念のどこが単なる取り越し苦労であるかという説明は一切ないことだ。

私はアメリカのLGBTQ+α活動をずっと観察してきているので、彼等の言ってることは英語でいうところの牛の糞(bull shit)であることがすぐわかる。拙ブログの2015年くらいの過去ログをお読みいただければ明白だが、アメリカでも『トランス許容トイレや施設が出来ても痴漢が増えるなどといった問題は起きない心配するな』と活動家は言っていた。しかしそれがどうなったかは読者諸氏はよくご存じの通りである。

TRAは常に行き当たりばったりの嘘ばかりつくので、話の辻褄が合わなくなり矛盾だらけになっているのだが、彼等はそんなことは全くお構いなしである。松岡などはこの間まで人々は自分が自認する方の施設を使えるべきだと言っていたし、2018年には別府の温泉でこんなLGBT混浴イベントが開かれていたのをNHKが報道していたほどだ。

では何故今になって、「女性自認男たちが女湯に入ってくるなんてデマだ」と言い始めたのだろうか?

何度も指摘しているように、LGBT活動家界隈の強みは人々の無知にある。特に日本ではまだ諸外国のように界隈の活動がよく知られていない。活動家たちが大した議論もせずに性自認法を早急に通してしまおうとしているのは、その内容を人々が知ったら絶対に反対されることを知っているからなのだ。スコットランドでもアイルランドでもオーストラリアでもカナダでも、そして無論アメリカ各地の州でも、性自認法が通った時一般の人びとはそんなものが通ったということさえ知らなかった。アメリカは別だが、UKや豪州では同性婚という誰もがほぼ同意できる法律の中に、トランスジェンダーの性自認法がこっそりと含まれていたことを人々は知らされていなかった。カリフォルニアの性自認法も州民の投票で決まったのではなく、民主党が多数議席を占める州議会が勝手に決めて通してしまったのだ。反対派による署名運動も署名数が集まったにもかかわらず、署名に不正があったとかいういちゃもんを付けられて認められなかった。この問題については関心のあった私ですら、女性自認の囚人が女子刑務所に移転される法律が通ったことを知らなかったくらいなのだ。

日本ではまだ、この法律に関して人々が関心を示しているだけ希望が持てる。

だが活動家にとって人々が関心を示すことこそが不都合なのだ。彼等は口では勉強しろだの理解を仰ぐだの言っているが、実際にTRAの本当の目的など理解してもらいたくないのだ。彼等の本音を知れば一般市民の理解など絶対に受けられないということを知っているからだ。

彼等の目的は少数派のLGBTQ+α(特にトランスジェンダー)による独裁である。女子供がその犠牲になるのは単なる副作用ではなくその目的の一つなのである。

良い見方をすれば、活動家たちが我々の懸念をデマだと騒ぐようになったということは、彼等も必死なのだと解釈出来る。つまり彼らはこれまでほど自分らの活動に自信がない。だからなんとか反対派の声をデマだヘイトだで沈黙させようとしているのだ。別の言い方をすれば、我々市井の人びとの声は彼等を困惑に陥らせる効果があるということだ。だから彼らは何もかも自分らの言い分を通せという高飛車な攻撃的姿勢から守りの姿勢に入ったのである。

我々正常な意識を持つ市民にとって今が肝心なのだ!今が正念場なのだ!

法律というものは一旦通ってしまうと覆すのは難しい。何年もお金と時間と労力をかけて闘わなければならなくなる。だからこのような悪法が通る前に、我々良識ある市民は声を大にして叫ばなければならない。

絶対に性自認法(別名が何であれ)を通してはならないのだ!


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BLMなんと830億ドル近くの寄付金を集める!人権運動って儲かるよなあ

アップデートあり(5/24/23)下記参照

3/17/2023 現在:以前からBLMが巨額の寄付金を集めているという話はしているが、昨日読んだこの記事には本当に驚いた。以下ブレイトバートの記事から引用、翻訳はDeepL。

ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動とその関連団体が、企業から829億ドルという驚くべき資金を受け取っていたことが、クレアモント研究所の新しい資金提供データベースで明らかになった。

クレアモント研究所のアメリカン・ウェイ・オブ・ライフ・センターは、ニューズウィーク誌に掲載された記事の中で、この報告の必要性を説明し、同センターは2020年のBLM運動は単なる「暴動と破壊」以上のものであると主張している。

同センターは、”BLMの圧力キャンペーン、嫌がらせ、道徳的な恐喝は、おそらくアメリカ企業の歴史上最も有利な揺さぶりにも相当する “と説明している。

「参考までに、829億ドルは、アフリカ46カ国のGDPを上回る額です。2022年、フォード・モーター・カンパニーの利益は230億ドルでした」とも指摘されている。829億ドルという金額には、「BLMの親組織に直接1億2300万ドル以上」、さらにBLMのアジェンダを支援する他の組織にも多くの金額が含まれている。

いやあ、BLMが儲けているのは知っていたが、ここまでやっているとは驚きだ。BLMへの寄付金は個人からのものもあるが、圧倒的に大企業からの多額な寄付金が多い。そのリストを箇条書きにしてみよう。

  • ウォールマート 1億ドル。WMはBLM暴動で度々略奪され酷い目にあったというのに、これは多分金を出さなければBLM暴徒を煽ってもっと略奪させるぞとでも恐喝された結果だろう。先日もWMはあまりにも万引きが多いためサンフランシスコから完全撤退したばかりだ。
  • アマゾン 1億7千万ドル。
  • 製薬会社のアッヴィ(Abbvie)6200万ドル
  • 保険会社のオールステート 770万ドル。
  • アメリカンエキスプレス 5000万ドル
  • アップル 一億ドル
  • 電話会社のAT&T 2150万ドル
  • NIKE 9000万ドル
  • ユナイテッド航空、サウスウエスト航空、デルタ航空 (金額不明)
  • バンクオブアメリカ 1825万ドル
  • ウェルズ・ファーゴ銀行 2億1千万ドル
  • デロイト銀行 9000万ドル
  • 資金運用の巨人ブラックロック 8億1千万ドル
  • キャピタルワンファイナンシャル 1千万ドル
  • モーガンスタンレー 3千万ドル
  • USバンク 1億6万ドル
  • ゴールドマンサックス 1千百万ドル
  • プルデンシャル・ファイナンシャル社は、4億5千万ドル
  • マスターカード 5億ドル
  • ボーイング社 1千560万ドル
  • ノースロップグラマン 200万ドル
  • レイセオン2500万ドル
  • ディズニー 880万ドル
  • ポケモン 20万ドル

この記事には書かれていないが、カナダ人ニュースさんによると、先日倒産したシリコンバレー銀行もBLMに多額(7300万ドル)の寄付をしていたそうだ。

ではこれらの資金をBLMはどんなことに使っていたのかというと、クレアモント研究所のアメリカン・ウェイ・オブ・ライフ・センターはこう説明する。

「グローバルネットワーク」は、将来の運営を支えるために数千万ドルを投資し、高級不動産を購入し、縁故主義を行い、数十のBLM支部や革命組織に助成金を払い、「黒人解放のために戦う進歩的なコミュニティリーダー、活動家、労働階級の候補者を選ぶ 」というPACを運用しています。

一方、「地元のBLM支部は、活動や警察署を廃止する取り組みに数百万ドルを費やしている」「BLM At Schoolは、全国の子どもたちに批判的人種論やクィア理論を教え込み、自分自身や仲間、そして国を憎むように教えている」とも述べています。

「左翼のNPOは、通常の立法手段では不可能なほど急進的な社会変革を実現し、シャドウガバナンスを構成している」と彼らは続けている。

その一方で、「企業は、暴力的な暴徒や犯罪者を街に放つ左翼的な保釈基金に資金を提供し、人種差別や反実力主義の雇用制度を共同で作り上げている」と指摘するのです。

このゆすりは、「アメリカ国家と生活様式の敵を自認する人々への賠償の一形態と見ることもできる」と彼らは付け加えた。

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。

これらの企業はBLMに十分な寄付をしないと黒人差別者の汚名を着せられ評判が下がることを恐れたのだろうが、それにしてもあまりにもひどくないか?これだけのお金があるなら、人種差別で訴えられてもどんどん法廷で戦った方が長い目でみて得なのではないだろうか?それともこうした大企業のなかにもWOKEな従業員が多くいるのだろうか?

こうしてみるとBLMは市民運動などではない。完全にファシスト軍団である。BLMの暴動が非常に組織的であり、コーディネートがうまいことから考えて、背後で金を出しているのは誰なんだろうと思っていたが、こういうからくりだったわけである。道理で何かあるとすぐに人が集まり、非常に能率的な暴動が起きていたわけである。

ところでBLMの創設者がレズビアンで、彼女の愛人が女性から男性へのトランスジェンダーであることは以前にも紹介した。この愛人が運営するトランスジェンダー関係の団体にも巨額な金が動いていることは言うまでもない。批判的人種理論と共にクィア理論などという出鱈目な概念が学校などで教えられているのも、こうしたことが背景にあるのだ。

アップデート:5・24・23 BLMはなんと850万ドルの赤字。創設者の弟は去年150万ドルの給料をもらっていたけどね。Black Lives Matter is headed for INSOLVENCY after plunging $8.5M into the red | Daily Mail Online 翻訳DeepL。

Black Lives Matterの全国組織は、昨年、財務が850万ドルの赤字に転落し、同時に複数のスタッフに7桁の給料を渡していたため、破綻の危機に瀕している。

The Washington Free Beaconが入手した財務開示資料は、公民権運動をより正式に構成する方法として、2020年11月に正式に登場したBLMのグローバルネットワーク財団の危うい状態を示しています。

しかし、財務上の論争と監視にもかかわらず、BLM GNFは創設者であるパトリッセ・カローズの親族と複数の理事を雇い続けていた。



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老後は日本で過ごすべきかな

先日Twitter仲間のBlahさんのスペースに参加させてもらった時、私が自分のことを「わたくし」と言うことを2~3人の方からご指摘を受けた。実はワタクシは自分でそういう言葉使いをしているという自覚がなかった。

「カカシさんて、いつも自分のこと『ワタクシ』って言うんですか?」

と自分に聞いてみた。ん?え?そうだったかしらん?と考えてみて、はっとした。私は普段日本語を話していない!

そうなのだ、ここはアメリカだし、家族は日本語が話せないし、職場にも日本人は一人もいない。日本語でおしゃべりできる日本人の女友達も近所にいない。せいぜい実家の母と一か月に一度電話で話す程度。つまり、私は家でも職場でも日常的に日本語を話す機会がほとんどないのだ。だから自分が日本語を話す時にどんな癖があるかなんて自分でも全然知らなかったというわけ。

ところで、普通アメリカ在住の日本人には日本人の友達が結構いるものだ。人に寄ってはアメリカ住まいなのに日本人以外とは付き合いが無いという人さえいる。それがどうして私には日本人の友達がいないのかというと、私の友達はみんな日本に帰ってしまったからなのだ。

実はつい2~3日前も、ハワイに住んでいた友人がアメリカ人の旦那さんと一緒に日本へ移住した。そのまま老後は日本で過ごすことにしたそうだ。これでアメリカ在住の私の友人は全員日本に帰ってしまったことになる。もっとも彼女は住んでた州が違うので、そんなに頻繁に会っていたわけではないが。彼女曰く、ハワイの物価は高すぎて引退者にはキツイ。物価が安くて治安もよく暮らしやすい日本に帰ることにしたのだそうだ。アメリカ人の旦那さんも自分の出身地の気候と似ている日本の地方が気に入っているとのこと。

確かに最近のアメリカの物価高にはうんざりする。私も引退間近だし、このままカリフォルニアで暮らしていけるのかどうか心配である。そういえばニューヨークに住む60代の女性ユーチューバーも引退したら日本に帰ると言っていた。(アメリカに定年はないが、大抵の人は65歳で引退する。)その人の旦那さんは日本人だが旦那さんはNYが好きなので熟年別居になるらしい。ちょっと前までは、そこまでして日本に帰りたいかなあと他人事のように思っていたけれど、今となっては身につまされる思いである。

私がアメリカに移住した1980年代は日本の景気がすこぶるよく、日系企業がアメリカにどんどん進出している時代だった。だから南カリフォルニアのガーディナやトーレンスなど日系企業で働く駐在員やその家族、地元雇用の従業員、学生などなど日本人がわんさか居たのだ。ガーディナあたりに住んでいれば、英語なんて話せなくてもなんでも事足りた。なにせレストランやスーパーだけでなく、銀行でも不動産屋でも日本語が通じるし、医者でも弁護士も会計士も全員日本人。殿方用のバーやキャバレーも普通にあった。レストランもただの日本食ではなく、寿司屋はもちろん、うどん屋、居酒屋、カレー専門店などなど、まるで日本みたいにバラエティーに富んでいた。あそこはまるで日本だった!

格いう私も当時は日系企業に勤め、友達も日本人がほとんどで、職場でも日常生活でも日本語で話す方が多かった。その事情が変わったのが1990年代初期、日本のバブル崩壊である。当時私はとある証券会社に勤めていたが、そこへは毎日のようにロサンゼルスを撤退することになったという日本企業のお得意さんたちからの手紙が来ており、じきじきにさよならの挨拶に来る人もいた。就労ビサだけで永住権の無かった友達がこの時ごっそり帰国した。仲良くしていた友達の日本人夫婦もカリフォルニアを見限って他所の州に越してしまい、その後音信不通である。

この頃私も個人的に色々とごたごたしており、実家の母からも「帰っておいで」と何度もいわれていた。今考えると、あの時帰っていたら人生が随分変わっていただろうなと思う。でも当時は日本へ帰るなんて考えもしなかった。大変でもアメリカでずっと暮らしていたいと思っていたから。

でも最近だいぶ気持ちが変わってきた。それというのもバイデン政権になって本当にアメリカは暮らしにくくなったのだ。特に民主党が牛耳るカリフォルニアのような州は物価も高いしかなり大変。年金だけでひいこらいいながら頑張るより、実家の家を引き継いで静かに老後を過ごすのも悪くないかも(家賃もいらないし)な~んて現金なことを考えている今日この頃である。


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国際女性の日って何の日?次々に消される女性を表わす言葉

3月8日は国際女性デーとかいう日だったそうで、それにちなんで先ずはちょっと良いニュースから。

トランス選手の女子競技参加禁止法案、米下院委が可決 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

米国下院が生得的男性による女性スポーツの参加を禁止する法案を可決した。下院は共和党が多数議席を握っているが、上院は民主党が多数なため、まずこの法案は通過しないだろう。よしんば通過したとしてもバイデン大統領が署名するとは思えないので、これが法律になるということは今は未だあり得ない。

しかしそれでもこの法案を下院が可決したことには意義がある。なぜなら女性スポーツを守ろうとしているのは共和党であり、それに反対しているのは民主党とバイデン政権であるということが如実になるからである。有権者は次回の選挙で女子競技や女子空間を奪おうとしている民主党に投票するのか、女性の安全とプライバシーを守ろうという共和党に投票するのか、考える必要があることを知らしめることとなるからである。

何故アメリカ民主党は偽女たちの人権とやらを守るという名目で、女性競技や女性空間を女性から剥奪しようというのか、アメリカ市民は考える必要がある。若い未婚女性は民主党を支持する傾向があるが、本当にそれでいいのか、とくと考えてもらいたい。

さて、では本日ツイッターであがってきたこの国際女性デーの新聞広告を見ていただきたい。

こちらは「まず言葉から変えていく。 #国際女性デー 今朝の新聞広告」というコメント付きの広告だ。

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言葉と言うのは時と共に変わっていくというのは本当だ。しかし自然に人びとが使わなくなっていくのと、無理やり消してしまうのとでは意味が違ってくる。言葉は単に意味を伝えるというだけでなく、その時代や社会の背景があるからであり、気に入らないからとむやみやたらに変えるべきではないのだ。

ここで上げられたいくつかの例を考えてみよう。

看護婦が看護師になるというのは、看護する人は必ずしも女性ではないからそれはそれでいいが、だからといって女性である看護婦を無理に看護師と呼ぶ必要はあるのか?これは女優と俳優も同じで、俳優に女優が含まれるという理屈は分かるが、別に女優が男優に劣るというわけではないのだから、何故女優と呼んではいけないのか理解できない。特に役者の場合、男性と女性とでは全く役柄が違う。配役を決める時にわざわざ「女性の俳優」と言うよりも、最初から女優と言った方が端的に意味が伝わる。またスチュワーデスやスチュワードではなく客室乗務員(CA)、ウエイトレス・ウエイターの代わりにサーバー、などと男女を説明する言葉使いをどんどん中性化していくやりかたにも私は昔から抵抗があった。

これはもともとフェミニストたちが男女は平等であり、男女差別を失くすために、男女差が無関係な職業において男女を明確にしない呼び名を使うべきだと考えたというのは分かる。特に女医などという呼び方は、あたかも女性の医者は男性に劣るかのような印象を持つという考えだったのだろう。

だが私は思うのだが、女性と男性が平等であるということと、男女が同じであるということとは違う。同じ職種でも男性には男性の利点があり、女性には女性の利点がある。それに元来女性が中心になって築き上げた職業というものもあるわけで、その言葉を失くしてしまうと、その女性の貢献した歴史すらも抹消してしまうことにはならないだろうか?

今、トランスジェンダーなどといって、どんどん女性の存在が消されつつある世の中において、女性を表現する伝統的な言葉をどんどん消していくことが女性の地位向上につながるとはとても思えないのである。

ところで、嫁や婿の代わりに子の妻や子の夫を使うべきというのもおかしな話だ。嫁や婿にはきちんとした意味があるし使い方も違う。嫁には最初から息子の妻という意味がある。それをわざわざ「子の妻(息子と言わないところも要注意)」と言い直すことに何の意味があるのだ?では舅や姑も「配偶者の男性/女性のほうの親」とか言わなければいけないのか?いやそれだけではない。

嫁や婿という言い方には家族単位の意味がある。つまり嫁は単に息子が結婚した女なのではなく、自分の家族の一員であるという意味がある。つまりこれらの言葉は結婚という制度によって赤の他人が自分の家族になったという意味があるのである。

そのうち母親だの父親だのと言った言葉も消されて保護者1,保護者2とかになるのか?(おっと、すでにそんなことを推進している活動家達がいたっけ)。

こうなってくると、これは男女平等のための言葉使いというより、伝統的な家族という概念を破壊するための作戦に思えてくる。

ジョージ・オーウェルの1984という本のなかにニュースピークという制度が描かれているが、これは政府に都合の悪い概念を抹消するために、その概念を表現する言葉をどんどん抹消していくという制度である。よもぎねこさんの言葉をお借りするなら、上記のような「言葉狩り」によって、女性の地位は向上するどころか、かえって女性という概念がどんどん消されていくように思う。

私の反応が大袈裟だと思う方は、国際女性デーの宣伝に女装男を起用したハーシーズや、バイデン政権が「勇気ある女性賞」を授与したのがアルゼンチンの性自認制度を推進した女性自認の男性であったことをよくよくお考えいただきたいと思う。 

おまけ。

「自分らしく生きようとしてるだけ」

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「白人で悪いか!」人気漫画ディルバートの作家、人種差別の汚名を着て即刻キャンセルされる、アメリカの白人差別を指摘しただけなのに

先日(3/4/23)のBlahさんのスペースで黒人と白人の間にある人種差別による亀裂についての話題がとりあげられ、人気漫画ディルバートの作家スコット・アダムスが黒人差別的な発言をしたとしてほんの数日の間に徹底的なキャンセル(文字通り)されてしまったという話がでた。これについては私もちょっと書こうかなと思っていたところなので、掘り下げて考えてみたい。(参考:Cancelling Dilbert: BLM-style reverse racism to fuel White identity politics (msn.com)

先日ラスマスンという世論調査の会社が”It’s OK to be white”という概念に同意するかしないかという世論調査を行った。この文章は、最近やたらと白人至上主義だなんだと言われて白人であることが恥であるかのように言う世の中の傾向があるため、一部の白人たちの間で「別に白人だっていいじゃないか、白人で悪いか」といった意味で使われるようになった。

ラスマスンがシークレットと共同でおこなった最新の調査で、回答者の72%が “It’s OK to be white “という文に同意し、黒人の間だけでは過半数の53%が同意すると答えた。裏を返せば黒人の半数近くが白人であることは良いことではないと思っていることになる。それについてアダムスは自分のポッドキャストでこんな感想を述べた。

「もし本当に黒人の半数近くが白人であることが良いことではないと思っているのだとしたら、これは私ではなくこの世論調査によるものだが、それはヘイトグループだ」と、アダムスは最近、自身のYouTube番組「Real Coffee with Scott Adams」で述べた。「彼らとは何も関わりたくない。そして、現在の状況を踏まえて、私が白人にする最高のアドバイスは、黒人に近づかないこと、とにかく離れることだ。これを解決することはできないのだから。」

ディルバートは会社員のディルバートを主人公にした四コマ漫画で大手新聞のあちこちで40年近く掲載されていた人気漫画である。ところがアダムスのこの発言の数日後にディルバートは彼が掲載していたすべての新聞から降ろされ、長年契約していた出版社からも手をきられてしまった。まさしく迅速かつ猛烈なキャンセルである。

しかしアダムスが言ったことはそんなに人種差別的な発言だったのだろうか?

当のアダムスは、自身の主張を強調するためにわざと大袈裟な言い方をしたのであり、そのすぐ後にどういう意味かをきちんと説明していたにもかかわらず、前の部分だけが切り取られて報道されたと語っている。また、もう少し別な言い方をすべきだったかもしれないとも語っている。

それにしても、アメリカの昨今の白人バッシングは異常だ。アダムスは自分のことを民主党支持で共産主義者のバーニー・サンダースよりも左翼だと語る。ちょっと考えれば、そんな人があからさまに人種差別的なことを公言するわけがないことはすぐわかるはずだ。大急ぎで彼を完全にキャンセルする前に、もうすこし人々は彼が実際に何を言ったのか、何を言わんとしていたのか本人に問いただすくらいのことをしてもよかったのではないか?

Blahさんもご自分のスペースで言っていたが、もしこれが黒人が「白人とは関わらないほうがいい、白人はなるべく避けるべきだ」と言ったとしても、その黒人が批判されるなどということは先ず考えられない。多分その場にいた人々が笑っておしまいだっただろう。どうして黒人なら言えることを白人が言ってはいけないのだ?

メディアはやたらにアメリカは白人至上主義の国だとか、アメリカの歴史は黒人奴隷の背中にたよって作られたなどというが、それは全く真実ではない。人種間暴力にしても、黒人が白人に襲われる率は8%、それに比べて白人が黒人に殺される率は17%だ。黒人の人口がせいぜい全体の13%程度であることを考えると黒人による白人への暴力率は凄まじく高い。

これは強盗などの犯罪に加えて、BLM運動の激化とともに黒人による白人へのヘイトクライムも急増している。

例えば、2022年6月9日、3人の黒人少女たちが57歳の白人女性をニューヨークはクィーンズ市のバスの中で殴るけるの恐ろしい暴行を加えた。少女の一人は「白人は嫌いだ!白人のしゃべり方が嫌いだ!」とわめきながら女性を殴っていたという。いったい黒人によるここまでの白人憎悪はどこからくるのであろうか?

私はアメリカ在住40年余年になるが、ほんの10年くらい前まではアメリカで人種差別に遭ったことなど片手の指で数えられるほどしかなかったし、国内において人種間の亀裂があるという印象も全く持っていなかった。よく左翼リベラルがやたらに人種問題を持ち出す度に私はバカバカしいと思っていたほどだ。

また一般の人びとも、人種関係は良くなっていると考えていた白人たちが70%以上もいたという世論調査もある。それが変わったのがBLMが創立された2013年だ。下記はBlahさんが紹介してくれた世論調査のグラフ。https://twitter.com/yousayblah/status/1632201348035821569/photo/1

白人と黒人の人種関係は良くなっていると答えた人たちの傾向。緑が白人で青が黒人。2013年ころまでは白人の72%、黒人も66%が良くなっていると答えていた。

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上記のグラフは各新聞が「人種差別者」「人種差別」という言葉を使う頻度を示したもの。2013年あたりから大幅に増えていることがわかる。

もしBLMが人種間の関係をよくするために生まれた運動だったとしたら、これは大失敗だったと言わざる負えない。だがもし反対にBLMが人種間の関係を悪化させ社会を分断することが目的の運動だったとしたら、これは大成功だった。

2013年頃から、アメリカではアイデンティティーポリティクスと言う名前の人種差別が横行するようになっていった。1970年代くらいまであった白人による黒人への差別が、黒人による白人への差別へと逆転したのだ。そしてそれは非常に暴力的なものとなった。ソーシャルメディアでは黒人が意味もなく通りすがりの白人を殴ったり、罪の意識なく強盗を働いたり、大型スーパーで悪びれもせず万引き(というより強奪)するビデオが頻繁にあがるようになってきた。

そして2020年夏、全国各地で起きた黒人による大暴動。

加えて教育の場でもやたらと白人蔑視の歴史が教えられ、白人は生まれつき人種差別者であり、黒人への負債を抱えて生まれて来たかのように教えられるようになった。批判的人種理論がそれだ。

特にここ数年で、芸能界における黒人起用率はものすごいものがある。テレビコマーシャルの主役はほぼ全員黒人。ところどころに東洋系やラテン系が現れるが、白人の姿は先ずみられない。また、男女カップルの場合で男女双方が白人というのを見るのも珍しくなった。

拙ブログでも何度か書いているが、最近は時代劇など、黒人の登場人物は不自然な場合でも黒人俳優が起用される。私は東洋人ではあるが、アメリカの映画やテレビドラマで特に東洋人を観たいとは思わない。現代ドラマなど無理のない設定で東洋人が出てくるのは別に構わないが、意味もなく人種が色とりどりというのは観ていて興ざめである。白雪姫や人魚姫を有色人種にするのは本当に辞めてもらいたい。

しかし、白人は悪者だという運動はいったい何時まで続けられるのだろうか?

圧倒的多数であり政治権力を握っていた白人による黒人差別でさえ抵抗が大きくなり永久に続けることは出来なかった。それが、ことあるごとに白人だからと暴力沙汰の犠牲になり、学校教育で虐げられ、黒人の悪口をちょっとでも言おうものならすぐキャンセルされるなどという状況に、いったいいつまで白人たちは耐えられるだろうか?

今の状態が可能なのは多数の自虐的白人や、それを政治利用できると思っている白人権力者がその動きに迎合しているからであり、彼らがBLM運動が自分らの立場を脅かすと気が付き手のひらを翻したら、人口のたった13%程度の少数派である黒人などひとたまりもないのである。

最近は白人のなかでも白人であることに政治的な意味を見出す人々が増えているという。デューク大学の政治学者アシュレイ・ジョーダン教授によれば、30から40%の白人が今や白人であることを政治的なアイデンティティーであると考えているという。白人が白人であるというだけで団結するということは、少数派の非白人達にとって決して良いことではない。

先日私は保守系とリベラル系の東洋人若者を集めた座談会を観た。その時の話題で最近目立つ東洋人への暴力沙汰が取り上げられた。左翼系の若者たちは口を揃えてそれは白人至上主義による東洋人差別が原因だと言った。特にドナルド・トランプが武漢ウイルスを「チャイナウイルス」といったことがきっかけだと。しかし、一人背広姿の18歳の青年が「僕は白人による東洋人差別などみたことがない」と言った。「街中ですれ違う東洋人を殴っているのは誰だ?明らかに白人ではないよ。」すると明らかな左翼フェミニストタイプの女性が「誰のせいだっていうの?誤魔化さないで言いなさいよ!」背広の青年は「言うまでもないだろ。みんな知ってることじゃないか」と返した。

黒人と東洋人の対立は今始まったことではない。もう20年以上前から東洋人を襲う一番の人種は黒人である。これはドナルド・トランプが大統領になった、ましてや武漢ウイルスよりも、ずっとずっと前からの傾向だ。ここで東洋人が白人至上主義と戦うなどと言って、東洋人を蔑んでいるBLMの連中と連帯などして白人を敵に回すなど愚の骨頂である。そんなことをしたらモデルマイノリティーとしてアメリカ社会で築いてきた東洋人の立場を一気に崩すことになってしまう。何故そんなことをする必要があるのだ?

左翼連中が他人に向かって好んで使う「ヘイト(憎悪)」という言葉だが、憎悪が生み出すものは憎悪でしかない。多人種の平和共存を求めるなら、白人を敵に回して何の利益があるのだ。人種差別は逆差別では解決できない。

いまのアメリカで問題なのは白人が「白人であることは良いことなのだ」ということではなく、彼らをしてそれを言わしめる風潮にこそあるのだ。


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LGBT理解増進法や差別禁止法が通ったからと言って、自称だけ女の男が女子施設に入ってくるなんてことにはならない、という活動家の嘘を暴こう

松岡宗嗣というLGBT活動家が『「男性が心は女性だと言えば女湯に入れるようになり、それを拒むのが禁止される」という言説がいかに誤りか』を説明しているといって過去の記事を紹介していたので、彼の説明とやらを読んでみようと思う。私は未だ読んでないので、ここで紹介と私の意見を加えながら読者諸氏と一緒に読んでいこう。

我々条令反対派は推進派のいう「差別」の定義が曖昧であり、どんなことでも差別とされてしまう危険性を唱えているが、松岡氏は次のように説明する。(強調はカカシ)

差別禁止への反対言説のなかに「差別の定義が曖昧だ」というものがある。前述のように、「差別的取扱い」とは、採用拒否や入居拒否などの「合理的な理由のない区別の取扱い」を指す。「当事者が差別だと感じたら、なんでも差別になってしまう」という言説も見受けられるが、当然そんなことにはならない。(略)

しかし、そもそもの「差別的取扱いはダメだ」という前提のルールすらない現状では、明らかな差別の被害を受けても、当事者は泣き寝入りしなければいけない。そもそも法律で「差別はNO」と明記されていないため、声をあげることすらできない現状がある。

法律を作るにあたって、こうした法的な議論を無視して、「なんでも差別になる」とか、「差別の定義が曖昧だ」というのは、反対するための説明になっていない。一概に差別とはみなされないケースを持ち出して、他の深刻かつ明確な差別的取扱いも含めて、「だから差別を禁止すべきではない」というのは理由にならない。

いや、だから何が差別かわからないのに、それを禁止などできないという話をしているのに、「禁止法すらない」では何の説明にもなっていないではないか。我々の言ってることが反対の理由になっていないというのは本末転倒。差別を禁止しろと言っている方が差別の定義をすべきである。ちゃんとした定義がない以上、「当事者が差別だと感じたらなんでも差別になってしまう」と思われるのは当然なのであり、そんなにことにはならないなどという松岡の保証には何の価値もない。

次に松岡氏は「内心や差別発言が罰せられる」のかという質問について色々書いているが、はっきりいってこれは藁人形論。増進法にも禁止法に法的な罰則がないというのが前提なので、違反したから法律によって罰せられるとは誰も思っていない。問題はどんな行為が違反したとされて訴えられる根拠になるのかということだ。

それで三つ目の項目「訴訟が乱発される」のかという点。はっきり言ってこの法律では刑事責任を問われるようなことはないので、法律に意味があるとしたら訴訟を前提としたものしかない。これに関して松岡氏も同意している。強調はカカシ。

前述のように、差別禁止法があれば、具体的な差別的取扱いの被害を受けた際に大きな後ろ盾となる。これまで被害を相談することすら難しかった状況を変えるきっかけとなるだろう。

その一つとして「訴訟」という形で問題提起され、被害を受けた人が救済されたり、調停やあっせんを受けられることは重要だ。「乱発」という言葉の印象操作によって悪いイメージが付けられようとしているが、悪質な被害について訴訟が提起されることはむしろ必要なことだろう。

ここで、「なんでもかんでも『差別だ』と主張し、訴訟が起きるかもしれないだろう」という反論が予想されるが、訴えた側が「差別」であると立証することには高いハードルがある。なんでもかんでも差別的取扱いに該当する、などという簡単な実務ではないことは強調しておきたい。(略)

声を上げにくい状況を変えるためにこそ、差別禁止という基盤が必要ではないだろうか。

「乱発」の定義がはっきりしないので、それが起きるとも起きないともいえない。ただ、松岡氏はこれまでよりも訴訟が容易になると言っているので、訴訟は明らかに増えることが予想される。松岡氏は自分で自分の質問に答えている。

松岡氏はもう一つ条令が社会の分断に繋がるのかという点について書いているが、この条例に関してそんな抽象的なことで反対している人はいないので、これも藁人形論だ。

さて、では肝心の「「男性が『心は女性だ』と言えば女湯に入れるようになり、それを拒むのが禁止される」のかという話について、松岡氏はこれは「トランスジェンダーをやり玉に挙げたバッシングとして代表されるのがこの言説だが、これも誤りだと言える」として説明しているが、ぐだぐだと長ったらしくてわかりにくいので箇条書きにする。

  • 「LGBT差別禁止条例」が施行されている約60の自治体でも、こうしたケースが起きて利用拒否が禁止された、という事例はない。
  • 埼玉県で同様の条例ができた際、提案者の自民党県議は、公衆浴場に営業の自由があること、管理者が入浴施設への立ち入りを禁止することが、一律に差別的取扱いで条例違反になるわけではない点を説明している。
  • 差別禁止の規定が、「迷惑行為防止条例」や「建築物侵入罪」などの適用を否定するわけではない点も説明している。

聡明な読者諸氏にはもうお分かりと思うが、こんなことは何の説明にもなっていない。これは条令が通った自治区で「まだ」問題がおきていないというだけの話であり、今後も起きないという保証はどこにもない。

拙ブログをご愛読の読者諸氏はよくご存じだが、トランスジェンダー許容の法律がアメリカ各地の州で通りはじめたのは2015年くらいからである。法律が通った当時から女子トイレや更衣室で性犯罪が起きはしたが、女性達が女子施設に男がいると言って声を上げ始めたのはつい最近のことだ。

2015年当初に起きた問題は単に女子施設に男性が入り込んだというだけでなく、実際に女子施設で女児が襲われたり隠し撮りをされたりといったあからさまな犯罪行為が起きたことで、これがトランス許容が原因だと考える人は少なかった。

しかし2021年のWiSpa事件を皮切りに、あちこちの女子更衣室やお手洗いなどでどう見ても男性に見える人たちが男性の裸体をさらけ出しているという苦情があちこちで聞かれるようになった。そして女性達の訴えも空しく、法律なので施設側はどうすることもできないとし、訴えた女性達がかえって警察に通報されるなどという理不尽なことが起き始めたのである。

拙ブログでもトランス許容法が通った当時、全く問題は生じていないというバズフィードの記事を紹介したことがある。法律の悪影響は通ってすぐにわかるとは限らないので、日本各地の自治体で法律があるのに問題はおきてないじゃないかというのは全く意味がないのだ。

それに、アメリカでの例でもわかる通り、一人の被害者が表立って苦情を述べると、他にも「実は私もそういう目にあった」と言い出す人が出てくる。WiSpaの事件も表ざたになったのは一件だけだが、施設側の対応が慣れていたことから考えて、同じような問題は以前にも何回か起きていたと想像できる。

つまり、こうした法律の悪影響が多く問題視されるようになるまでには、多くの被害者が我慢して泣き寝入りしている可能性は非常に大きいのだ。だから今問題が表ざたになっていないから問題がおきていないなどとは断言できないのである。

というわけで思った通り、松岡氏は「自称だけ女の男が女子施設に入ってくるなんてことにはならない」ということを全く証明できていない。


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子供のトランスジェンダーは性転換治療で幸せになれるのか?アメリカ初の子供トランススターの悲劇

アメリカでは8年くらい前(2015年)からジャズという女子を自認する少年のトランスジェンダーとしての生活を記録するリアリティーTV「I am Jazz(私はジャズ)」が放映されている。この番組は結構人気があり、エピソードを一度も見たことのない私でも彼の名前と顔は知っているほどだ。

私はこの番組を数年前にちょっとだけ観たことがある。まだ彼は12歳くらいだっただろうか。その時彼は母親に向かってスケジュールがきつすぎると文句を言っていた。彼はアメリカ初の子供トランス活動家として、あちこちで講演したりインタビューに答えたりしていたので、それが忙しすぎるという話だった。だいぶ昔のことなのでうる覚えだが、母親は「自分でやりたいと言ったんでしょ」と嫌がる息子に無理矢理講演をやらせようと説得していた。「言ってないよ、やりたいなんて」そして彼は母親に「ハッピーピルを頂戴」と言った。ハッピーピルとは精神安定剤のことだった。こんな子供が精神安定剤を常飲しているというのは普通ではない。

彼はその後思春期ブロッカーを摂取し女性ホルモンを経て、2年くらい前に去勢手術をした。思春期ブロッカーのせいで、彼のペニスは大人のそれのようには育たず、ペニスを裏返しにする手術には皮膚がたりず、最初の手術は失敗した。後にその失敗を直す手術をし、今はなんとか普通に暮らしているようだ。

しかし彼の精神状態はお世辞にも安定しているとは言えない。ここ1年ぐらいで鬱のためか食べ過ぎで体重が倍に増えてしまった。それまではまあまあ可愛かったのだが、今は完全に肥満体。時々ネットに上がってくる彼の最近のビデオを見ても、とても彼の大学生活は幸せそうには見えなかった。

そして今日またツイッターに上がってきた動画では、彼は母親に泣きながら、自分が自分だという気がしない、自分が自分だという気がしたことは一度もないと訴えていた。

なんという悲劇だろう。

トランス活動家たちは、性違和のある子どもにとって一番の治療は性転換だと言い張ってきた。子供の思いを肯定せずに治療を拒否すれば子供が自殺する恐れがあるなどと親たちを脅かして来た。だが子供のうちからトランスジェンダーとなった子供たちは、果たして大人になって幸せになれるのか?

それについてマット・ウォルシがこんなことを言っている。子供のトランスなどという概念そのものが新しすぎる。私が子供のトランスなんて話を聞き始めたのも2015年くらいが最初だった。だから子供時代にトランスした若者が大人になって幸せになっているか後悔しているかなんて今は未だ分からない。言ってみればトランス専門医たちは子供を実験台に使っているようなものだ。

2015年くらいから徐々に子供たちの間でトランスジェンダーになることがすべての悩みを解決できるという考えが広まり始めた。特にソーシャルメディアの発達で思春期の少女たちがトランスになることで人気者になれるとか、周りのみんなもやってる、などという浅はかな理由で不可逆的で危険な治療に及び始めたのだ。

また若い母親たちが、(特にちゃんとした男性パートナーが居ない女性)2歳児や3歳児をトランスだと言い張り、子供に危険な道を歩ませようとし始めたのもこの頃からだ。

最近になって、14~5歳から自分はトランスだと思い込み乳房を除去したり子宮まで摘出してしまった少女たちが20歳にも満たないのに、不可逆的な措置を取ってしまったことを深く後悔して涙で訴える動画を多く観るようになった。

この子たちが失くしたものを取り返すことは出来ないが、せめてこれ以上の犠牲者を出さないように、我々大人がしっかりしなくてはいけない。ただ、去年今年と共和党知事や州議会があちこちの州で子供の性転換治療を禁止する法律を通している。言ってみればこれは競争だ。トランスジェンダリズムの毒牙に子供たちがかかる前に全国でこの野蛮なプラクティスをやめさせる必要がある。これ以上の犠牲者を出してはならない。


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邪悪な思想は行動に移さなければ悪ではないのか?進むLGBTQ+αによる小児性愛正常化の動き

世の中には少なからず小児性愛傾向のある人がいるらしい。そして困ったことにこういう人たちは、それが邪悪な欲望であるという意識がないのである。彼等は、『小児性愛という性嗜好を持っていたとしても実際に存在する人間に危害を加えさえしなければ、そういう欲望があるということ自体は悪いことではない』と主張する。

だが果たしてそうだろうか?

ここではっきりさせておくが、邪悪な思想を持つこと自体は罪ではあるが違法ではない。頭の中で何を考えようが人の自由だ。性的にどんな猟奇的な欲望を持とうが、それを実行に移すことがなければ、その人間が他の人間から裁かれることはないし、また裁かれるべきでもない。だが、たとえそうだとしても自分が持っている欲望は邪悪であるという自覚は持つべきである。なぜなら、それが悪いことだという自覚がないといずれ困ったことになるからだ。

人が自分がこうしたいと思う気持ちを実行に移さない理由には二つの可能性がある。ひとつは自分の欲望は邪悪なものであるから実行に移すべきではないという自制心。もうひとつは実行に移すことによって自分に不都合が生じる可能性が高い場合である。ここでいう不都合とは違法行為として罰せられる、もしくは社会的に制裁されるなどである。

普通の人は、自分で悪いことだとおもっていることは、誰に見られていなくても実行には移さない。それは犯罪を冒したら警察に捕まって罰を受けるからではなく、その行為自体が悪いことだという自覚があるからだ。

しかし道徳的観念と法律は必ずしも一致しない。不道徳な行為は必ずしも違法ではないし、違法とされる行為が必ずしも悪い行為ではない。時の政権によって設立された理不尽な法律などどこの国にも存在する。しかし理不尽な法律は反対する市民の声が大きくなれば、いずれ覆される可能性は高い。

例えば姦通罪。日本では昔結婚していない男女の性行為は違法行為だった。お互い独身だったとしても駄目だったのである。イスラム圏では今も違法な国があり、極端なところでは強姦された女性までもが姦通罪で禁固刑に処された例もあるくらいだ。しかしほとんどの文明諸国でこの法律は理不尽であるという社会的通念が広まったため、こうした法律は撤廃された。

また同性愛にしてもそうだ。西洋社会では同性愛自体が邪悪な欲望であると考える人が多かった。だから多くのキリスト教圏では同性愛行為が違法だった(イスラム圏では未だ違法な国が多い)。アメリカ最後のソドミー禁止法が撤廃されたのはほんの20年くらい前のは話である。しかしこれも、大多数の人びとが同性愛を邪悪とはみなさなくなったことで、この時代遅れの法律は撤廃となったのだ。

つまり、自由社会では、市民の大多数がその法律が理不尽であると考えるようになれば、そうした法律が撤廃される可能性は高いのだ。であるから、ある種の欲望を持つことが悪いことではないと自分が思っている場合、そしてそれを社会の多くの人が同意した場合、その法律を撤廃しようという動きが出てくるのは時間の問題なのだ。

ここで小児性愛に話を戻そう。多くの小児性愛者は自分達の持つ欲望が邪悪であるという自覚がない。そして、そういう人々を変態者扱いしてスティグマを与えることは彼等への差別を助長することであるなどと本気で言うのである。いや、彼らには変態としてのスティグマを大いにに与えるべきなのだ。もし彼らの欲望が何かの精神疾患だというのであれば、先ずその疾患を治療することから始めるべきなのであって、彼らへのスティグマを取り除くなど論外である。

今欧米社会(日本でも)で何が起きているかを考えてほしい。すでに幼稚園児を対象に明らかな性行為を模写したドラアグショーなどが横行している。幼稚園から小学校低学年の教室でポルノ教材が使われ、子供と大人の性行為を奨励するような教育がされてい子供たちに性行為を教えている幼稚園や小学校があるのだ。

なぜこんなことが起きているのか、それはLGBTQ+α活動家の少なからぬ人々が小児性愛を悪いことだとは思っておらず、小児性愛を正常な性愛として社会に認めさせようという気持ちがあるからである。

悪い欲望でないならそれを実行に移して何が悪い?結局そういうことになるのだ。


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お爺ちゃん日記①(2020年)

先日(2023年1月)セラピストのお姉さんと話をしていて、お爺ちゃんに関する介護日記のようなものを書いてますかと聞かれ、いや、そんなものは付けてないけど、と考えていたら、あ、そうだった私はそのつもりはなかったが、三年前からツイッターにお爺ちゃんについてちょこちょこ書いていたことを思い出した。これは立派な日記と言えるのでは?

残念ながら私は過去のツイートを時々まとめて消していたので、すこし抜けているところもあるのだが、探せる限りここに書き写しておくことにした。

その前に先ず最初にお断りしておくことがある。これらのツイートは純粋なる日記ではなく、起きたことをそのまま忠実に書いたわけではない。ツイッターの短い文字数規制に合わせて省略したり、効果のために多少脚色があったりする。それでこちらのブログに書き移す際に、なるべく当時の脚色は削除して真実に近い形に書き換えた。なのでオリジナルのツイッターとは多少異なるところもある。

私がお爺ちゃんの面倒を診るようになったのは2019年の終わりごろからである。面倒をみるといっても、その時はまだ身の回りの世話が必要というほどではなく、病院まで検査に行く送り迎えなどをしていた程度だ。お爺ちゃんはまだ運転できたのだが、一人で病院に行くのが心細いということと、医者に何を言われているのかよく理解できていないらしいことが解ったので、私が付いて行くようになっていたのだ。

それとお爺ちゃんは、だんだんとお金の管理が一人では出来なくなってきていた。それですべて私が引き継ぐことにした。するとお爺ちゃんは肩の荷がおりたかのように安堵のため息をついた。彼自身自分ではもう無理だということが理解できていたのだ。

お爺ちゃんはもともと頭のいい人だった。脳の検査も誰に言われたわけでもなく、自分から何かおかしいとおもって専門医に診てもらったことが始まりだった。だからだんだんと自分の能力が衰えていくことも自覚しており、他人に任せることにまるで抵抗を見せなかった。

2020年2月、お爺ちゃんは2019年から続いていた数々の脳検査を経て、最後のMRI検査を受けることになった。お爺ちゃんは極度の閉所恐怖症で普通のMRIを何度か試みたがその度にパニックに陥り検査室から出てきてしまっていた。それで最後の手段として全身麻酔をかけ意識のない間に検査をすることになった。

検査の結果、脳外科医はお爺ちゃんには明らかな脳損傷があると言った。まだ認知検査をしないと確かなことは言えないが、多分お爺ちゃんの病気はPrimary Progressive Aphasia原発性進行性失語症であろうと言われた。これは五万人に一人なるかならないかという珍しい脳の病気で認知症の一種である。ただ一般の老人性認知症とは違って知能の衰えは急速には起きないが、言葉を話す能力と他人の言っていることを理解する能力がどんどん衰えていく病気だと言われた。

医師はお爺ちゃんに認知検査をするようにと専門家を紹介してくれた。

しかしこの頃中国の武漢研究所で漏れた新型コロナが中国で猛威を振るっていた。アメリカではまだことの重大さが理解されておらず、2020年の3月初旬はまだまだアメリカは通常運転だった。お爺ちゃんは認知検査を受ける予定で予約も取っていた。

2020年3月20日、カリフォルニアのギャブン・ニューサム知事は前州民にシェルターインプレースという自宅謹慎命令を下した。これによって必要不可欠な用のない限り人々は自宅にこもっていなければならなくなった。そして病院も生きるか死ぬかの病気でない医療はすべて延期されてしまった。そして当然お爺ちゃんの認知検査も数か月の延期を余儀なくされたのだ。

2020年6月ごろ、やっとすこしづつ病院が一般の病気を扱うようになり、お爺ちゃんの認知検査が行われ、医師の当初の診断通り、お爺ちゃんはやはり原発性進行性失語症(PPA)を病んでいることが正式に診断された。

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10/3/20

お爺ちゃんは自分が忘れないようにと指輪物語みたいに暗号的なヒントを子孫に残しておいたのだけど、アガサクリスティーじゃないけど子孫には全然理解できてない。ミスマープル、出番ですよ!’

10/4/20

うちのお爺ちゃんはまだ自分のことは自分で出来るので大丈夫です。まだしばらくはこんな調子が続くらしいです。わかっているうちに色々聞いておかないと後で大変。やっと色々なサイトのユーザーネームを解読したので、パスワードをことごとく変えて今は何とかなりそう。

10/25/20

お爺ちゃん「つまみのナッツがない。これ食ってええか?」それ私のお煎餅だよ。「ナッツの味がしない」だってお煎餅だもの。「ナッツ食べたい」隔離中だから買い物は来週までダメなの。「ナッツ~~~!」もしもし義妹さん、お爺ちゃんがねえ、、

10/22/20

お爺ちゃん、今日は何の日か知ってる?「知らない」お爺ちゃんの誕生日だよ。「え?そうか?じゃあサンドマンタウニーの20年物を買ってきてくれ」そういうことだけは覚えてるんか、爺さんは!

10/31/20

あれ、ビニール袋切れてる、お爺ちゃん「わしが買ってきてやる」いいよ、危ないから、「大丈夫、まだまだ運転できるぞ」ダメだってば、、、20分後。「おいこの車はどうやってエンジンかけるんじゃ?」押しボタン式なんですけど、、ホット胸を撫でおろす。

11/17/20

自分でサンドイッチ作ったりコーヒー淹れたりする手順を忘れないように、段階ごとの写真を撮って見えるところに貼っておくとよいと言われたので、お爺ちゃんがサンドを作ってる様子を写真に撮ってたら、いちいちポーズをとるお爺ちゃん。これは記念撮影ではありません!

11/19/20

今日のリハビリは一人で行くと張り切って出かけたお爺ちゃん。何かあったら困るからと携帯をもたせた。15分後セラピストさんから電話。え?おじいちゃん15分前に出ましたけど、「いえ居らしてるんですが、カカシさんからの電話が来るまでリハビリできないって、、」違うってばお爺ちゃん!

11/14/20

お爺ちゃん「カカシ、あれはどこじゃ」あれって何?「ほれ、それじゃよ」だからほれそれって何?すかさず何かを履く素振りのお爺ちゃん、ああ靴下?、「そうそう靴下」言葉が思いつかない時はそぶりで示してごらんとセラピストに言われている失語症のお爺ちゃん。今日も朝からパントマイムで始まる。

11/16/20

来年生きてないかもしれないお爺ちゃんに今年はターキーはキャンセルだなんて言えないよ。

11/29/20

先日お爺ちゃんのセラピーについて行った時に、若いセラピストさんにiPhone11の使い方を色々教えてもらってるうちにお爺ちゃんのセラピーの時間をだいぶ使ってしまった!しかしお爺ちゃんは携帯に写ってる自分の写真をみて大興奮。「これわしじゃよ!」そういう話をしてるんじゃないの!

11/24/20

クリスマス休暇はワインカントリーに行ってワインバーでも梯子しようと思っていたけど、どこも開いてないので行く意味なし。ホテルのポイントが無駄に貯まっているよ。今年はいかえないんだよってお爺ちゃんに説明しているのだが、全く納得してない様子。

12/2/20

セラピーの日はテンションが上がるお爺ちゃん。今日は一緒に行ってあげると言ったら、早く朝ごはん食べないと遅れちゃうと7時ごろから張り切っている。まだ時間はたっぷりあるのだが、時間の感覚ゼロのお爺ちゃんである。

(子供にかえっちゃうんですね)そうですね。でも子供には未来があるけどお爺ちゃんには進歩がない。このままずっと退化していくんですよね。それが悲しいです。

12/4/20

おはようございます。こちらは金曜日の朝でございます。ロサンゼルス地域の気温はただいま摂氏10度。晴天。今から旗を掲げてまいります。皆さま本日もよい一日を。今朝はお爺ちゃんが一人でコーヒーを淹れられたよ。

😊

しかしこのコーヒー、薄い!

12/5/20

(ツイッターで)お爺ちゃんに関する話題が結構人気があるのが意外です。

12/6/20

数週間前携帯のプロバイダを変更した際はじめてスマホを購入。使い勝手がわからずあまり活用していなかったが、昨日はアマゾンへの返品、出先でのGPS使用、日本の友達とライン会話、撮った写真を人にメールなどなど一人でちゃんとやれたぞ(と自己満足)。しかしまだ日本語の打ち方が解らない。

確か外国語を加えることはできるはずなんです。まだ調べてませんが。今まで会社のスマホは使ってましたが機種はかなり旧式。今回iPhone11に買い替えました!お爺ちゃんは私の古いガラケーを目覚まし代わりに使ってます。電話しても音がなると見とれてしまうだけで出ないからあまり意味がない、、、

12/5/20

お爺ちゃんには時間の感覚というものがないのだが、なぜか決まった時間になるとお腹がすく。腹時計だけはきちんと機能しているようだ。

12/11/20

今日のお爺ちゃんはいそいそしているので、なんだろうと思ったら、買い物は金曜日の給料日までダメだよといっておいたのを覚えていたらしい。日付も時間もわかってないはずなんだが、どうしてと思ったら私がカレンダーに$マークを付けたのを解読したらしい。侮れない爺さんだ。

12/18/20

クリスマスライトを飾ろうと思ったら、夏にペンキを塗り替えた時にペンキ屋さんが杭をすべて外してしまっていたことを発見。杭を打ち直す必要があるのだが、私も最近脚にガタが来てるので梯子に上るとか危なくて出来ない。お爺ちゃんがやる気満々なんだけど出来るわけないでしょうが、やめてよもう!

12/23/20

お爺ちゃん、クリスマスはハムだよ。「そうか。クリスマスって何日だ?」クリスマスは25日だよ。「今日はクリスマスか?」違うよ明後日だよ。「じゃあハムは何時食うんじゃ?」いや、だからあ~。

12/24/20

そうだよねえ。何度繰り返しても聞こえてないお爺ちゃん、最後に怒鳴ると「怒鳴らんでも聞こえとる!わしは難聴じゃない!」とか言われるしね。いや聞こえてても分かってないでしょ、あんたは、と言いたくなる自分を抑える。

(2/1/23 追記)ここでお爺ちゃんの難聴についてひとつ書き足しておこう。

実はお爺ちゃんの様子がおかしいと思い始めたのは2019年の中頃だと記憶している。お爺ちゃんと話をしていると、こちらが何か言ってもすぐ解らないことが多くなった。それで「やだあ、お爺ちゃん難聴じゃないの、そろそろ補聴器必要かもよ」などというとお爺ちゃんは怒って「周りの音がうるさくて聞こえんのじゃ、わしの耳は悪くない」と言い訳していた。この時私たちは本当に彼の耳が悪くなっていると思っていた。

ところがある時、彼の行きつけの美容師さんと話をすることがあり、「お爺ちゃん大丈夫?なんか変じゃない?」と言われたのだ。「あ、最近耳が遠くて」と言うと、「いや、耳じゃなくて、なんかおかしいわよ。アタシの言ってることが理解できてないみたい。お医者さんに診てもらった方がいいんじゃないの?」と美容師さん。

普段から多くのお客さんを相手にしている美容師さんには、お爺ちゃんの様子が変だということが察知できたようだ。実は私も何かおかしいとは薄々感づいてはいたのだが、もう年だから、誰でも物忘れはするし、などとしっかり取り合って来なかったのが、美容師さんの言葉で決定的になった気がした。

12/27/20

お爺ちゃん和菓子買ってきたよ。「なんじゃこの過剰包装は!」さっき携帯で包装要らないよねって聞いたら絶対包装しろっていったじゃん。「そんなことは言っとらん。すぐ食べるのに無駄じゃ」いやだからあんたがきれいに包装してなきゃやだって駄々こねたんじゃないの。いつもこれの繰り返し。

いつもいつも、言った言わないででケンカです。私もいい加減慣れそうなもんなんですが。


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