先日紹介したワレン・スミス先生が今日の番組で「もしあなたが今1938年のドイツ人だったら、あなたはナチスに抵抗できるか?」という質問をしていた。先生は多分殆どの人がナチスになど同意しない、自分は断固抵抗すると答えるだろうと言った。だがもう少し掘り下げて考えてみてほしい。当時の人たちも現代人と同じように判断能力を持っていたはず、ではなぜ多くのドイツ人が抵抗もなくナチスドイツの思想に同意してしまったのだろうか?我々は本当にナチス思想に抵抗できただろうか?

すくなくとも中東問題について10月7日まで一度も考えたこともなかったのに、何故か突然街中に出て「フリーパレスチナ」などとデモ行進をやっている連中や、JKRが何を言ったのかも知らないのに、彼女はトランスフォーブだと断言してる奴らには出来ないだろう。こういう輩は積極的にナチス党に参加し街に繰り出してハイルヒットラーとやるに違いない。

先ず我々の持っているいわゆる道徳観念は我々がきちんと理解して納得して受け入れているものなのだろうか?学校でそう教わったから、周りの人がみんなそう言っているから、メディアでそう言ってるから、TikTokで流行ってるから、といった理由で物事の善悪を判断しているのだとしたら、社会の道徳観念が変わったら自分もどんどん変わってしまうのではないだろうか?だとしたら今自分の持つ道徳観念が100年後も通用するという保証は全くない。それなのに90年前のドイツで当たり前に社会が受け入れていた道徳観念をそういう現代人がそう簡単に拒否できたと確信することは出来ないはずだ。いや、むしろ拒否できない人の方が多いはずだと考えるべきだ。

同調圧力というのは馬鹿に出来ない。例えばの話、自分はイスラエルにもパレスチナにも全く興味ないし、どっちがいいか悪いかなんて考えたこともない。でも周りがイスラエルが悪い、ガザ民がジェノサイドされていると騒ぎ、自分の通う大学のキャンパス内に貼られた人質のポスターを剥がしたり、構内で親パレスチナの集会を開いたりしているのを見ている。仲間たちは集まってはいかにイスラエルが邪悪な国であるかを熱を込めて話している。そんな中で例え自分は「イスラエルってそんなに悪い国なのか?」などと思ったとしてもそれを口に出そうなどと思うだろうか?自分はユダヤ人じゃないし、ユダヤ人の友達も居ない、自分には関係ない。そんな人たちを自分が仲間外れになる危険を冒してまで擁護する義理もない、だったら黙っいた方が楽だ。意見を聞かれたら「そうだね」と同意しとけばいい、自分が首を突っ込む必要はな。そうは思わないだろうか?

そうこうしているうちにキャンパス内でユダヤ人迫害が始まる。ユダヤ学生会の教室が破損されたり、ユダヤ人学生や講師らが暴力的な嫌がらせを受けるのを目撃する。自分はそういう行為がいいとは思えないので参加はしない。とはいえそういうことをやっている学生たちに「彼等はイスラエル人でもないのに、それはやりすぎだろう、やめなよ」という勇気もない。自分には関係ない。少数派のユダヤ人が多少迫害されたからって自分が声をあげる必要はない。ユダヤ学生たちが抗議すればいいんだから。第一パレスチナ人ジェノサイドをやっている侵略シオニズムを支持してる彼等にだって責められる要因は多少はあるだろう。自己責任だよ、ユダヤ人たちの。

ではここで1938年のドイツに戻ってみよう。当時のドイツはどんどんと経済状態が悪くなっていた。ドイツ庶民の生活は苦しかった。にもかかわらず近所には豪邸に住んでいるユダヤ人富豪が居る。ナチス政権は新聞やラジオでどんどんドイツの苦しみはユダヤ金融の陰謀のせいだと煽る。近所の人たちも立ち話の度に自分らが苦しいのはユダヤ人のせいなのだと言い始める。だからユダヤ人に対する「最終的な解決方法」が必要なのだとナチス政権は言う。

あなたは本当にこれに抵抗できるか?


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