昨晩ちょっと面白いXポストを見つけたのでそれに関する感想を述べてみたい。このポストを書いた女性Sさんはカナダに数年住んでいるらしく永住権も持っているとのこと。彼女はカナダに移住すると決めた時の考えを書いていた。

ワーホリなどで短期間の滞在であれば、なるべく現地の文化を吸収しようという努力をするのも解るが永住となったらそんなに気張らずに何十年たっても日本語片言の中華やのおばちゃんみたいでも別にいいのではないか、日本人同士で付き合って日系企業で働いてもいいじゃないか、そうやって日系コミュニティーを形成していけばいいというような内容だった。

これは私にも同調できることは結構ある。私も語学留学でアメリカに最初に来た時は、時間が限られていることでもあり、日本人とばかり付き合って時間を無駄にしてはいけないと大分気張った覚えがある。しかしいざ永住すると決めてからは、別にわざわざ日本食を避けるとか日本文化を避けたりする必要はないと思うようになった。なにしろ先は長い、生きやすいように好きなように生きればいいのだ、それが出来るのがアメリカだから、と思ったのだ。

だから私は彼女の意見には賛成なのではあるが、ちょっと気になったのはこの部分だと思う。

日本人は郷に入れば精神でやたら現地の人と馴染むことを重視するというかそっちの方がえらいと思ってるフシあるけど、同国人同士でつるんでなにが悪い。同じ言葉を持つ者同士でしか分かり合えないことだって少なからずあるし、他の国の人たち、全然同国人同士で仲良くしてるし。(略)

アメリカはよくメルティングポットとか言われてるけど、カナダは良くも悪くも各国独立してる感じなんだよな。かなり濃くそれぞれの文化を残したままそれぞれに存在してる感じっていうか? 混ざりあうことが悪いとは言わないけど、混ざりあわなければならないわけでもない。

私は同国人同士で仲良くすることが悪いとは全く思わないし、他の移民も同国人同士で固まって住んでる人も多いからそれ自体はいいと思う。ただ、彼女の書き方だと、なんか地元に溶け込む努力を全くする必要がないという印象を受ける。カナダは最近非常に移民が多くなった。それで色々と問題が生じている国でもある。もちろんアメリカでも同じことが言えるのだが。その一番の理由が異民族がそれぞれ出身国の人びとで固まってしまい、それぞれの混ざりあいがないことにある。

アメリカでいえばミシガンのディアボーン市など、70%以上がソマリア出身のイスラム教徒だ。イギリスなども移民だけの地区がいくつもあり、英語も通じないし内部では好き勝手なシャリア法廷なども作って地元の警察や法律を無視したりしている。

私は移民たちがいつまでも母国の文化にしがみついて、母国出身者としか付き合わないのは、移住先の国に対して非常に失礼だと思う。もちろんちゃんと税金払って犯罪も犯さずに建設的な市民でいる以上、別に地元の文化を受け入れてなくてもいいじゃないかと言われそうなのだが、そういう人が増えれば増えるほど地元の文化というものが破壊されていく。日本にもいるでしょ、ゴミ出しの規則まもらなかったり、除夜の鐘が煩いといってみたり、、

アメリカは移民の国だが、100年前の移民たちの多くは英語を覚えてアメリカ人になろうという努力をした。アメリカには色々な民族の血が混じってるのは、異人種間の交流が頻繁にあったからだ。

外国に住むということは、母国では得られない何かを求めてのことではないのか?例えば戦争や貧困や宗教弾圧を避けるためとか、母国ではないキャリアの機会が豊富などなど。だが日本のように豊かで平和で安全な国からわざわざ外国へ移住したのに、中華屋のおばちゃんみたいに生きるのなら日本で済んだ方が良くないか?

もっとも日本人はSさんが言うように郷に入れば郷に従えという考えの人が多いので、中国や韓国のひとたちのような日本人コミュニティーなんてものはあまりない。カリフォルニアだとガーディナとかトーレンスあたりに日系人が多いとはいうものの、そんなに日本人は固まって住んでいない。だから二世の時代には完全にアメリカ人になってしまっている。

はっきり言って今のカナダやアメリカは日本を後にしてまで移住するだけの価値があるようには思えない。もし私が今18歳だったら移住なんか考えないと思う。


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