最近Xで緑の党という政党のメンバーが街に繰り出して反イスラエルデモをしょっちゅうやっている。彼等が単に「ガザ民可哀そう」「早く停戦を」と言ってる間は、ナイーブなアホどもがまた意味のないことをやってるなで済んでいたのだが、最近の彼等の口ぶりが非常に過激で暴力的なものになってきており、私は1970年代日本を襲った左翼テロの暗雲が立ち込めてきているような気がしてならない。

まずは緑の党の杉原こうじ氏のこのツイート。

中東問題をすこしでもかじったことがある人ならインティファーダとは武力蜂起であり自爆テロに代表される連続テロによる虐殺行為であることを知っている。そんな言葉をこの問題について全く無知な左翼運動家たちに言わせてデモ行進を行うとは、いったいこの人たちは何者なのだ?

普通Xで親パレスチナ派と話をすると、「私はハマスを擁護しているわけではない」とか「テロは悪い、だが、、」という会話になるものなのだが、緑の党は臆面もなくテロ軍団であるハマスを擁護している。

私も「ハマス幹部に資産凍結の制裁を行って駐日イスラエル大使から”貴国は真の友人”と褒められた日本政府は #虐殺の共犯者 。私たちは当面、伊藤忠にエルビットと手を切らせ、政府に”(イスラエルをICJに提訴した)南アフリカを支持する”と言わせなければいけない」と訴えました。ー 杉原こうじ 1/13/24

「ハマス幹部に資金凍結制裁」をすることが虐殺に繋がるという言い方は、緑の党はハマスを支持していると受け取れるがそれでいいのだろうか?

そして今度は伊藤忠がイスラエルと提携しているとして伊藤忠にイスラエルと手を切れと署名運動まで始めた。

テロ組織のハマスを擁護してはばからない連中が、インティファーダといって街に繰り出し、特定の企業を悪者扱い。これをみていると私のような昭和世代は1970年代に起きた連続企業爆破事件を思い出さずにいられない。以下ウィキより。

連続企業爆破事件(れんぞくきぎょうばくはじけん)とは東アジア反日武装戦線が旧財閥系企業、大手ゼネコン社屋・施設などに爆弾を設置し爆破した事件。1974年8月から1975年5月にかけて、東アジア反日武装戦線は日本国家をアジア侵略の元凶とみなし、アジア侵略に加担しているとされた企業に対し断続的に爆破事件を起こした。

とくに1974年に起きた三菱重工爆破テロのことは子供ながらに私はよく覚えている。

三菱重工爆破事件(みつびしじゅうこうばくはじけん)は、1974年昭和49年)8月30日東京都千代田区丸の内で発生した、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件で、連続企業爆破事件の一つである。(略)

1974年8月30日、「狼」の実行犯4人は、午後0時25分[2]ごろ三菱重工業東京本社ビル(現・丸の内二丁目ビル)1階出入り口のフラワーポット脇に時限爆弾を仕掛けた。これは三菱重工業東京本社ビルと、道を隔てて反対側にある三菱電機ビル(現・丸の内仲通りビル)の両方を破壊する意図からであった[2]

(略)午後0時45分[2][注釈 1]に時限爆弾が炸裂した。この爆発の衝撃で1階部分が破壊され玄関ロビーは大破、建物内にいた社員が殺傷されたほか、表通りにも破片が降り注ぎ多数の通行人が巻き込まれ死傷した。三菱重工業東京本社ビルの窓は9階まで全て割れ、道を隔てて反対側にある三菱電機ビルや、丸ビルなど周囲のビルも窓ガラスが割れた。また、表の道路に停車していた車両も破壊され、街路樹の葉も吹き飛ばされた。

この爆風と飛び散ったガラス片等により、三菱重工とは無関係な通行人を含む死者8人(即死5人、病院収容後に死亡3人)、負傷376人を数える戦後日本最悪の爆弾テロ事件となった。この被害は、オウム真理教による松本サリン事件1994年)と地下鉄サリン事件1995年)までは最大規模であった。この時の爆発音は新宿でも聞こえたという[4]

上記の通り何百人という人が怪我をしたので、近隣の病院に分けて収容されたわけだが、NHKでは誰がどの病院に収容されたかという名簿がずっと流れていたのを覚えている。

今の平和な日本にお暮しの読者諸氏には別世界の出来事のように思われるかもしれないが、1970年代の赤軍など極左翼のテロ行為は非常に深刻なものだった。

日本赤軍が起こした中東での乱射事件やハイジャックの数々を思うと、私はいま、ハマスに同調して町に繰り出している左翼連中は非常に危険だと思う。日本の公安はこの人たちの素性をきちんと洗って、厳しく監視してもらいたい。


1 response to 左翼政党の過激な言葉使いに不安の念

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