数日前にXでミリオタのJSF氏が専門家の国際法無理解 病院が軍事施設でない証明義務はハマスにある 憲政史家倉山満【チャンネルくらら】 (youtube.com)を紹介していて、「違います、証明の責任はイスラエルの方にあります」と言っているのを見かけた。私はその時はこのビデオをちゃんと観なかったのだが、昨日よもぎねこさんのところでも紹介があったのでちゃんと観てみた。そうしたら私は国際法というものを根本的に誤解していたということに気付いた。

少し前にも私は国際法による均衡性について書いた。その時も思ったのだが国際法を持ち出す多くの人が、実は国際法をきちんと理解していないのではないかということだ。かく言う私も国際法なんぞ施行力がないので意味がないと思い、国際法を持ち出す人は相手にしてこなかった。しかし実は国際法には色々な誤解があるということを知り、イスラエルもそれをうまく利用すればこのプロパガンダ作戦に勝てるのではないかと考えを変えた。

倉山満氏はイスラエルの病院攻撃について下記のように語った。これは私の要約なので全体をお聞きになりたいかたは動画をご参照のこと。

イスラエルは病院にハマスの司令部があると主張している。ハマス擁護派は、ではそれを証明してみろという。国際法の一義的にはハマスの側にここは病院であって軍事施設ではないことを証明する義務がある。国際法では「疑わしきは決めつけて滅ぼせ」であり、これは冗談ではない。

国際法は戦争のルールである。頭に血の登っている軍人でも理解できるように作っていなければいけない。ここは病院か軍事施設かわからないので攻撃はやめようなどという判断を現場で出来るかどうか考えてほしい。国際法は不可能を求めない。攻撃する側と防御する側の戦っている双方に義務を求める。

民間人や病院を攻撃されたくなければ、そこには戦闘員が居ないと言う証明はハマスの側がしなければならない。よってイスラエルが病院が指令室であることを証明する義務はない。ハマスは民間人へのテロをやり人質を拉致するなど国際法どころか犯罪行為のオンパレードをやっている。ハマスが国際法を破っているのにイスラエルだけ国際法を守れと要求するのは不可能である。国際法は一方が国際法を守っていないのに片方だけ完全にまもれなどということは求めていない。そこが国内法とは全然ちがうところである。

ただイスラエルの側が何をやってもいいと言うことではない。少なくともハマスが病院が軍事基地ではないことの証明を怠っているということを証明する義務がある

国際法的では本当に悪くないのに国際社会から非難されるというということは宣伝戦がドヘタと言う意味である。国際法というのは宣伝戦の道具でもある。国際法とは人類の理想の面もある。もうひとつは力によってそれが守られる。ハマスは論外だがイスラエルもそれが解っていない。イスラエル批判派は国際法は人類の理想だから守れと言う、イスラエルの方もそんなのは理想であり出来もしないので守る気はないといってる。

というわけである。なるほどこれはよくわかる説明だ。だいたい戦争中に敵側が相手の軍事基地についてどのくらいの情報を得ているかなどということを攻撃前に発表する義理はない。そんなことをしたら相手にこちらの手のうちを晒すようなものだからだ。それでもイスラエル側が最初からアル・シファ病院を標的にするから民間人は避難するようにと警告しただけでも十分に国際法の義務を果たしているといえるだろう。ただ、倉山氏がおっしゃるように、イスラエル側も「国際法なんかなんぼのもんじゃい」という態度を改めて、実は我々の方ここれこれしかじかの理由で守っており、ハマスにはこれこれの義務があるのだともっと宣伝する必要があるだろう。私も国際法なんか、と思っていたくちなので大きなことは言えないが、倉山氏の説明で国際法にも意味があることがわかった。

何と言っても今はイスラエルは宣伝戦で負けている。敵側はガザの人びとが可哀そうだということにばかり焦点をあて人々の感情に訴えている。本来であるならば10月7日のテロだけでもイスラエルに一方的な同情が集まってもいいはずなのに、それがあっというまに反ユダヤ運動になってしまったのは恐ろしい。

国際法はうまく使えば宣伝戦の道具として有意義である。イスラエルも早くそのやり方を学んでほしい。

ところでXで誰かが多くの人は事実関係より感情に訴えるほうに弱いと言っていた。それで私は思ったのだが、欧米のあちこちでハマスに拉致された人質の写真ポスターを剥がす人たちがいる。最初からユダヤ人を憎悪しているモスリム活動家は別として、モスリムでもなんでもないリベラル欧米人が何故ポスターを剥がすのか私には疑問だった。ガザの子供たちの命を大切にしたいと言うのは分かる。誰も無実の子供たちを犠牲にしたいとは思っていない。だがそれとイスラエルの人質のポスターと何の関係があるのだろうか?彼等はテロの犠牲者である。犠牲者のなかには欧米からイスラエルを訪問していた人々も含まれている。ガザの子供たちもイスラエルの子供たちも命に変わりはないはず。イスラエルの人質のポスターを破くことでパレスチナの子供達の命は救われるわけではない。ではなぜそんなことをするのだ?

ポスターを剥がしている人々に「何故はがすの?」と聞くと、大抵の人たちは「これはプロパガンダだから!」と答える。彼等は実際にイスラエルから人々が拉致された事実を知らないのか?これはイスラエルのでっちあげだとでもいうのか?いや、そうではあるまい。

彼等は本心ではこれが真実であると知っている。いや、知っているからこそ剥がさなければならないのだ。彼等もハマスによる虐殺行為や拉致行為がよいことだなどとは思っていない。しかし彼等の中にはイスラエルが悪いという固定観念がありイスラエルにも正当性があるなどという考えは絶対に受け入れられない。彼等はモスリムのように非モスリムはどんな目にあってもいいなどとは思っていない。何故なら彼等の道徳観念はあくまでも欧米文化に基づくものだからだ。しかしそうであるなら、イスラエルが完全悪だと信じるためにはハマスの悪を無きものとしなければならない。拉致被害者のポスターは彼等の良心に訴える。ハマスの悪を思い起こさせるものだ。だから剥がさなければならないのだ。

倉山 満(くらやま みつる、1973年〈昭和48年〉12月18日 – は、日本の歴史学者。 専門は憲政史、特に憲政の常道 。救国シンクタンク所長・理事長。 国士舘大学非常勤講師、国立公文書館アジア歴史資料センター非常勤職員、希望日本研究所所長、次世代の党自主憲法起草委員会顧問を歴任。


Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *