アップデート:11月17日現在。この学校はあまりにも批判を浴びたため、女子生徒は主役に返り咲いた。Transgender student reinstated to role in Oklahoma the musical following uproar (msn.com)

11月11日

先日テキサス州の高校で、男子を自認する女子生徒が学校の演劇部で上演する「オクラホマ」の主役に選ばれたのもつかの間、最近出来たテキサスの条令で男子と女子の違いは生得的性で分けられるという規則に従って生得的女子である彼女は男役から降ろされるというニュースを読んだ。これはちょっとやり過ぎだろう。その規則はスポーツ競技やお手洗いや更衣室に関する規則であり、演劇部での配役にまで影響があるというのはおかしくないか?

実は私は随分前からアメリカの方が日本よりも男と女という性別のステレオタイプに拘りがあるように感じていた。特に同性愛について寛容であるようで、実はそうでもない。

この間も書いた通り私は高校時代に演劇部に所属していたが、うちの高校は女子の数が男子の数より圧倒的に多く、その比率は4:1だった。それでクラブ活動では男子はほとんどスポーツ競技に取られてしまい、演劇だの合唱だのといったクラブには男子が入ることは先ずなかった。しかし当時は宝塚が大人気の頃である。我々も宝塚のようなロマンチックなお芝居をしたいと思うと、どうしても女子が男役をやるしかない。それで声もひくく男っぽく見えた私は当然のことながら男役を演じる羽目になった。(別に嫌ではなかったが)日本には女子校や男子校が多いので、異性の役を演じることに違和感がない。だいたい歌舞伎や宝塚が日本の文化として受け入れられているのだから当然と言えば当然のことだろう。

ところが欧米社会にはこういう伝統がない。シェークスピアの時代には女性が舞台に立つのは破廉恥であるとして男性が女性役を演じていたが、それも次第に女優の登場で廃れていった。今やシェークスピアも女性役は女性が演じている。そして何故かそうなってしまうと異性を演じるのはオペラの少年役を女性歌手が演じる時以外はほぼタブーとなってしまった。何故なんだろう?

何十年も前のイギリスの映画で、主役の男性が恋に落ちた女性が実は男性だったという筋の話があった。私はその映画を観た時、この「女性」が最初にシルエットで登場した時から、この俳優は男だと解っていた。しかし非常に美しい人だったので女役を演じているのだろうと思っていた。そしたら映画の真ん中あたりで実は男性だったということが暴露され、主人公が大ショックを受けるというシーンが出て来た。私はこの役柄が女性だと思っていたので驚いたが、この俳優をずっと女優だと思い込んでみていた他の観客たちがハッと一斉に息をのむ声が聞こえ、彼等がいかに驚いたかが察せられた。後で一緒にいた男友達にその話をすると「いや、男が女役を演じるなんてあり得ないよ。僕はすごくびっくりした。てっきり女だと思っていた」と言われた。

アメリカでKPopが人気を博する以前は、日本のジャニーズのようなボーイバンドは「女々しくて気持ち悪い」と思われる傾向にあった。今ではあまりあからさまにそういう表現をする人はいないが、ちょっと前までは少しでもなよなよした男に向かって「ゲイ!」と言って蔑むのは結構普通だった。まだガラケイ電話が普通だった頃、私の同僚アメリカ人男性が日本人の恋人からもらった飾りを携帯に付けてもっていたら、他の同僚から「ゲイ!」といってからかわれていたくらいだ。

それでふと思ったのだが、もしかして今のアメリカのトランスジェンダリズムはこれらのステレオタイプに対する反動なのではないだろうか。男が女っぽかったり女が男っぽかったりすると何かおかしいという先入観が強すぎるから、ちょっとでもその枠に嵌らないと自分は異性なのではないかと思い込んでしまうのかも。いや、異性であると言い放てば自分の趣味を大っぴらにしてもゲイだのなんだのからかわれずに済むという考えなのかも。裏を返せばアメリカって今でも同性愛者に対する非常に根強い偏見を持っているという意味なのではないだろうか。最近同性愛者の間でトランスジェンダリズムほどホモフォビアの概念もないと言われるようになったのはそういうことなのかもしれない。

スポーツやトイレや更衣室で男女を分けるのは当然のことだが、演劇に関してはその役に一番合った人が演じればいい。トランスジェンダーだろうと何だろうと役柄として成立すればそれでいいのではないだろうか?


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