主人の妹の娘は現在16歳で高校2年生。中学校時代から演劇が好きでずっと演劇部に所属している。演劇部といっても日本のように放課後に集まってやるのではなく、演劇という選択科目として授業の一部である。祝日などで家族が集まった時に、これまでのお芝居の発表会の様子を見せてくれたりしたのだが、私も夫も子供の演劇になど全く興味がなかったのでずっと観たことがなかった。しかし最近になって、私はもっと家族との付き合いを親密にしておくべきだと考えが変わった。友人のLが天涯孤独であと一歩で孤独死をするところだったのを目の当たりにして、やはり近所にいる家族との絆はきちんと保っておくべきだと思うようになったのである。

というわけで昨日姪っ子の演劇発表会に行って来た。実は私は高校生の頃演劇部に入っており、県の演劇コンクールに参加したこともあった(入賞はしなかったが)。当時私は入賞した高校の演目をいくつも観て、彼等の実力の凄さに感心した覚えがある。また最近では、ユーチューブで高校生によるミュージカルなどがいくつも上がっており、演技だけでなく装置や演出やオーケストラに至るまで、プロの劇団かと思うようなレベルのものをいくつも観ている。なので姪っ子のお芝居がどの程度のものなのか、ちょっと期待して観に行った。

結論から言うと下手だった(笑)。いや、素人芸だから仕方がないし、普通の高校生なんてこの程度なのかもしれない。でもわたしの高校時代と比べるとかなり質が落ちるなと思った。いや、自分のことだからひいき目に覚えているだけなのかもしれないが。

ちょっと気になった点について書いておこう。

マイクを使っていること

お芝居はさほど広くない小さい会場で行われた。私とミスター苺がずっとシーズンチケットを持っていた劇団の劇場よりずっと小さい。にもかかわらず役者は一人ひとり小型マイクを付けていた。私が高校生の頃はこの会場の二倍はある体育館でマイク無で演じた。この違いはお分かりいただけると思う。

大昔は舞台はマイクがついていなかった。だから俳優は大きな声で大向うに届くような声で演技をする必要があった。遠くにいる人にもわかるように大袈裟な演技が必要だったし、声が大きいから活舌が悪いと何を言っているのか聞き取れない。それで役者は大声で活舌良く話せる人でないと務まらなかった。

しかし今はマイクがあるので怒鳴る必要はない。普通の声で話していても大丈夫なのはいいが、それが原因で声に張りのない子が多かったのである。それから活舌の悪い子が2~3人いて、声は聞こえたが一体何を言ってるのか分からない子たちが居た。

踊りやアクションシーンに迫力がない

大昔だがうちのミスター苺は剣劇を習っていた。主人は普通のフェンシングもやっていたが、舞台やドラマでの剣劇シーンは普通のやり方では迫力が出ない。オリンピックなどでフェンシングの試合を見たことがある人は多いと思うが、あっという間に勝負がつき、素人が観ていると何がおきたのか分からない。普通の人は、あんなものを映画で見てもちっとも面白くない。だから映画や舞台で観る剣劇は実際とはかけ離れたものであり、それなりの技術を要するわけだ。

素人のやることだし剣劇コーチがついてるわけではないから下手なのはしょうがないが、小学生のチャンバラでもましだろうと思うくらい酷かった(笑)。

だがもっとひどかったのは踊りである。プロのダンサーみたいな踊りをしろとは言わないが、もう少し楽しそうに元気よく踊ってほしかった。あれじゃあ幼稚園のお遊戯より酷い。

責任は演出者にある

これは演劇という授業の一貫だ。言ってみればこれは授業で習ったことのおさらい会である。にもかかわらずここまでひどいと言うことは、教えている教師の質が悪いということだ。私は生徒達の演技が悪いとは思わない。ひいき目かもしれないが姪っ子の演技は結構うまかった。彼女だけではなく演技のうまい子は何人かいた。しかしそれが生かされていないのは芝居を通じて元気が足りないからだ。そしてこれはやはり最初のマイクを使っているということが一番の原因だと思う。

お芝居の筋そのものは面白かったし姪っ子も上手だったので、それはそれでよかったのだが、なにせ芝居好きの悪い癖ですぐ批評家気取りがしたくなってしまう。


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