私の朝は6時から始まる。やることはいつも同じ。お手洗いに行って顔あらって常備薬を飲んで歯を磨く。それが終ったらおじいちゃんの着替え、薬を飲ませて、歯を磨かせる。一年前までは一日ごとにわけたケースに入れておけば自分で薬は飲めていた。今は「お爺ちゃん、手を出して」と言って手のひらにのせてあげないとダメだ。時々手がすごく震えていることがあり、手にのせた薬をばらまいてしまうことがあるので、そういう時は「おくちあ~んして」と言って開けさせた口に薬を詰め込む。「はい水飲んで」といってコップを渡さないとそのまま薬を食べようとする。それでも最近は水を飲む行為すら何度も言わないと出来なくなっている。

さて、毎朝の着替えの時にお爺ちゃんはかならず腕時計を付ける。といっても自分ではうまくつけられないので毎日私につけろという。時々私が忘れると、つけろつけろと煩くせかす。それが昨日の朝、いつも時計が置いてあるドレッサーの上に時計が見当たらなかった。昨晩つけたまま寝てしまったのだろうかとお爺ちゃんの腕を見ると時計はつけていない。

「お爺ちゃん、腕時計どうしたの?」

そう聞くと、何のことかわからないという風で「知らん」という。しらんじゃないでしょ。どこに置いたのよ。「時計なんて持ってない」持ってないって昨日つけてたじゃない。「つけたことない」いつもつけろつけろとせっつくくせに何言ってんのよ。「ああ、それは大昔のことじゃ」

ほらまた出たよ、お爺ちゃんの「大昔のことじゃ」が。お爺ちゃんは私が嘘を言っているとは思っていない。私がお爺ちゃんの覚えていないことを言うと、お爺ちゃんは自分が覚えていなければいけないことを忘れたのだと悟る。それで本当は思い出せないのだが、メンツを保つために「大昔のこと」にして忘れてもしょうがないという言い方をするのだ。記憶力は薄れても理解力は多少残っている証拠だ。

何故こういうことになるのかは不思議だが、お爺ちゃんは昔からすごく好きだったことや物を突然「嫌いだ」と言い出すことがある。昔大好きだったドラマシリーズ、何度も何度も観ていたのに突然観なくなり、なぜ観ないのかと聞くと嫌いだという。でも好きだったじゃないと言うと「それは大昔のことじゃ」と言うのだ。つい昨日まで観ていたのに。オリオクッキーもピスタシヲナッツもそうやって突然食べなくなった。あんなに自慢にして毎日手入れをしていたモノポリーのおじさんのようなあの白い口髭も、ある日突然剃ってしまった。若い頃の写真でも口髭ともみあげのないお爺ちゃんの顔が写ってるのは子供の頃だけで、10代で髭が生えるようになってからは口髭を剃ったことは一度もないというのに。

だんだん自分の身の回りを構わなくなるというのは良くある話だろうが、お爺ちゃんのようについ昨日までやっていたことを突然やらなくなり、しかもそれまでやっていたということすら忘れてしまうというのはどういうことなんだろう?

おじいちゃん、眼鏡はどうしたの?

「眼鏡?知らん」

テレビ観えなくても知らないからねえ。


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