本日ツイッターで冨田格(いたる)@itaru1964さんが自認女性の男性弁護士である弁護士仲岡しゅん(うるわ総合法律事務所)@URUWA_L_Oの非常に不誠実なツイートを紹介していた。

一部で論争を呼んでいるようなので表明しておきますが、ぺドフィリアをLGBTと関連させて話をするのは、断じてやめていただきたい。 ぺドフィリア、特に典型的には成人男性から女児に対する性的欲求など、極めて男性的で異性愛的な性的嗜好であり、違う次元のものをLGBTと混同させてはいけない。

この人は以前にも男性器のついたまま女子トイレやお風呂に入りたいなんて言ってるトランスジョセーは居ないと嘯いていた。この人は状況によってコロコロ言い分を変える非常に不誠実な人だ。

これに対して冨田格(いたる)@itaru1964さんはこうコメントしている。

そこに何が含まれているのか明確にしないまま、LGBTに「Q+」を勝手に加えてきたのは活動家側なのに、小児性愛の問題に注目が集まった途端に「Q+」をなかったことかのように語るのは、いくら何でも都合が良すぎると思うな。 こういうやり方をする人を信頼するのは無理。LGBTQ+思想活動家は、「Q+」に何が含まれているのか、その定義を明らかにせよ。 できるものならば。

冨田さんはオープンにゲイの男性で、ずっとLGBT運動に批判的な立場である。特にTRAによる子供の洗脳に関して声を上げてくれている。

LGBTQ+活動家には戦闘部隊と広報部隊の二つがある。戦闘部隊は過激な変態性を隠さずに理不尽な要求をし反対派を暴力で弾圧する部隊。もうひとつは仲岡のような一見まともなことを言っているかのように見える広報部隊だ。広報部隊はあたかも戦闘部隊が存在していないかのようにふるまう。戦闘部隊は小児性愛も含めてツイッターやTikTokなどで一般社会ではとても受け入れられないようなハチャメチャな要求をしている。しかしほとんどの人はそんなことを知らない。それで広報部は「そんな極端な主張をしている人はいない。トランスヘイターの被害妄想だ」と言い続けられるのだ。

2~3年前にLibsofTikTokがツイッターでLGBTQ+戦闘員たちをどんどん暴露したことをLGBTQ+活動家たちが激怒したのも活動家の隠れた本音が世間に知られてしまったからである。普段は正当部隊の存在を否定しているくせに、実は戦闘も広報も仲間であるから、もし一般人が少しでもLGBTQ+に抵抗してデモでもしようものなら、戦闘部隊が武装してやってきて暴力行為に及ぶのである。それでいてこうしたデモで起きる暴力について「過激派右翼保守のデモで暴力沙汰」とあたかも暴力を振るったのはLGBTQ+に反対するジェンダークリティカルの方であるかのように言い、左翼メディアもそのまま報道するのだ。

しかしもうそんな小細工は通用しない。活動家たちが本音を言ってるのをあまりにも多くの人が聴いてしまったから。

実は8月当初にツイッターで私に絡んで来た「さつき」という人がいたが、この人は私にしつこく小児性愛を持つこと自体は変態ではなく差別されるべきではないと主張していた。そういう感情を持つだけで行動にさえ移さなければそれでいいのだと主張していた。今そのツイートを探してたら彼のアカウントは凍結されていた。多分誰かが通報したのだろう。

カカシ注:以降は私に事実誤認があったため、別エントリーで説明している。王谷晶さんへの苦情はペドフィリアを擁護したことではなく、彼女が普段からペドとクィアは区別すべきと主張していたことへの苦情だった。ここで訂正して謝罪する。

昨日その「さつき」という人が村上さつきという翻訳者であることを知った。村上さつきが訳したイン・クィア・タイムという本の帯にコメントを書いた王谷晶という人を巡って出版社はペドフィリアを促進するのかという批判が殺到したようだ。それに関して出版社の「ころから」社は下記のような声明文を発表した。

以下のことを社として明確にしておきたいと考えます。
「ころからは、ペドフィリアを含むあらゆる内心の自由について、いかなる制限もなく保障されるべきだと考えております。」

以上、ご理解いただければ幸甚です。

2023年8月
ころから株式会社
代表取締役 木瀬貴吉

ネット検索で王谷昌を検索してみたところ、彼はツイッターでよく書いているようなのだが、私はブロックされていて読めない(笑)。しかし王谷が何を言ったのかはころから社の声明文ではっきりしている。出版社が公式声明文でここまでクィアに関する本に関して書いているということは、明らかにLGBTQ+のQ(クィア)にはペドフィリアも含まれるということになる。

=========================

我々はLGBTQ+活動家の二枚舌に騙されてはならない。もちろん彼等のいうQ+にはペドフィリアも含まれている。これには獣姦(Z)も死姦(N)も含まれる。以前にもJobRainbowという埼玉県からLGBTQ+理解増進法を委託された企業がPZNを奨励していたという話を紹介したことがある(Q+って何?埼玉県が委託したLGBTQ事業者がSNS上の批判者に訴訟をちらつかせて威嚇する – Scarecrow in the Strawberry Field (biglizards.net))が、批判が集まると「それは含まれない」と言い訳するのはあまりにも見苦しいし不誠実だ。

冨田さんも言っているように、もしQ+にPZNが含まれないと言うなら、Q+の正しい定義を明記してはどうなのだ?

「LGBTQ+思想活動家は、『Q+』に何が含まれているのか、その定義を明らかにせよ。 できるものならば。」


5 responses to LGBTQ+のQ+に小児性愛は含まれるのか含まれないのか?

苺畑カカシ8 months ago

本文中の王谷昌という人の声明文を発見したのでこちらに載せておく。すべての差別に反対しますとか言って安易にペド擁護をしてしまい、それに関して批判を言われてそちらへの対応に追われてストレスが溜まってしまったそう。すべての差別に反対なんて不可能なことをしようとするからこういうことになる。
https://fusetter.com/tw/KaUW6NJO#all

ReplyEdit
苺畑カカシ8 months ago

王谷昌氏のイン・クィア・タイムスの帯に関する抗議文
https://twitter.com/Tsurigane_mushi/status/1697827545847361932/photo/1

イン・クィア・タイムスの帯について、そしてころからのツイートについての問い合わせです。王谷昌はペドフィリア差別を発信しています。ペドフィリアをチャイルドマレスターと混同し、そしてLGBTQ+と一緒にしてはならないとしています。ですが、実際のところペドフィリアとは性犯罪者でも加害者でもなく、単なる性や恋愛などの無機先をラベリングした時の名前にすぎません。ですので、ペドフィリアでありトランスジェンダーであったり、ペドフィリア出ゲイセクシュアルやAセクシュアルAロマンティックで会ったりするものも居ます。
LGBTQ+のQでありペドフィリアである者、そして自分のQの中にペドフィリアがふくまれていてQから分離しない・出来ないものも居ます。
それなのに「Qにペドフィリアが含まれるのはデマ」と発信し、さらにペドフィリアはチャイルドマレスターである、ペドフィリアが同性愛と同じ区’未成年と付き合い恋愛や性的な関係を持てるようにするべき”と主張しているかのように吹聴しているのは、完全にペドフィリアへの差別です。ペドフィリアがペドフィリアだと明かすことは、同性愛者ヤバイやパンのセクシュアルを明かすのと同じ区、誰かに性的仲買をする意思表示や犯行予告ではありません。そして、ペドフィリアの生存の権利(人権の”人”という言葉を是のジェンダーを包括するために生存の権利と言う言葉に変えています)はLGBTQ+やクィアと同じ区、属性を理由に犯罪をやりたい放題にするチケットではなく、単に個々が属性を理由に脅かされることなく生きていける権利なのです。
そんな生存の権利を、王谷昌は脅かしています。
私のようなペドフィリアで、なおかつクィアで、そしてチャイルドマレスター行為に反対している存在を「クィアではない」とジェンダーやセクシュアル、ロマンチックを剥奪し「性犯罪をしたがる悪質な者」と嘯く差別をしています。
そのような差別をするものを、クィアの本の帯に採用し、ころからから引用RTするということは、実在するクィアを「あなた方はクィアではない」「あなた方の生存の権利は無くて良い」と肯定するということです。
ころからから、ペドフィリアの生存が脅かされています。
私からのころからへの容貌は「今後の帯から王谷昌のコメントを失くすこと」と「公式アカウントで王谷昌の引用RTをしないこと」です。
どうか面白い話を書くから、有名だから、などを理由に差別の許容をしないでください。
差別に優劣を付けず、差別を差別として対応hしてください。
ペドフィリアの息をする場所を奪わないでください。

ReplyEdit
苺畑カカシ8 months ago

つりがねむし
@Tsurigane_mushi
·
17h
この王谷氏のふせったーに今の彼女の心境が全て記されている、ぜひ読んでみてほしい 「ぺド差別」と糾弾され、さらには本の翻訳者にも「ぺド差別反対を表明しろ」と迫られ飲み込むも、自身のフラッシュバックとそれを読む児○性被害サバイバーの思いを考え心が壊れてしまった

ReplyEdit
苺畑カカシ8 months ago

王谷さんの帯内容:「ここに居るんだ」と言われなければ、いないことにされてしまう人々がいる。「こんなことがったんだ」と伝えなければなかったことにされてしまう日常がある。「これが私たちの普通なんだ」とよばなければ、他の普通に飲み込まれれ記されてしまう人生がある。この物語たちからあふれる声に、今はただ耳をかたむけてほしい。

ReplyEdit

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *